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【旧】銀英伝 異伝、フロル・リシャール

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綻びを残して


綻びを残して

 |超光速通信《FTL》を終えたカーテローゼ・フォン・クロイツェルは、真っ暗になった画面を見て、一つ溜息をついた。久しぶりに自分の同居人と、話をしたのだ。口をついて出ようとする言葉ばかりで、まともに言いたいことも話せなかったが、とりあえずフロル・リシャールと、イヴリン・ドールトンの生存を確認できたことだけでも、満足だった。
 カリンの年の離れた友人であるイヴリンが多少の怪我を負ったと聞いた時には、心胆寒からしめるものがあったのだが、無事帰国の途に着いたと聞いて、胸を撫で下ろしていた。フロルも、苦しい戦いを切り抜けたようだった。
 カリンとって、フロルという男は何者にも代えられない家族であって、と同時に宇宙で一番頼りになる男だった。心落ち着かせて待つことは難しかったが、帰ってくるという確信だけは、不思議とカリンの中にはあったのである。
 だから、この|超光速通信《FTL》は確信の確認作業、と言った具合なのだが、やはり姿を見て、声を聞くと安心したカリンである。
 カリンは|超光速通信《FTL》室を出た。暗闇から待合室の明るい光の下に出て、カリンは眩しそうに目を細めたが、近寄ってくる姿を認めて、一つ頭を下げた。

「キャゼルヌさん、ありがとうございました。ちゃんと、フロルさんと話せました」
 ここはデンホフ基地にあった|軍用超光速通信《MTFL》施設であった。ちょうど帰還部隊の手続きのためにデンホフに来ていたキャゼルヌが、気を利かせてカリンにその機会を作ってやったのだ。この施設は平常時であれば、軍人の家族に無料で開放されているのだが、多くの面倒な手続きが必要な代物であった。専用回線を用いるため、高性能は折り紙付きであったのだが、それをキャゼルヌがすべて用意してくれたのである。
 キャゼルヌは柔和な笑みを浮かべながら(フロルやヤンに言わせると悪魔の微笑みとでも表現するだろう)、腰を屈めた。

「そうか、よかったな。あいつは元気そうだったか」
 キャゼルヌはまるで愛娘のように頭を撫でた。
「ちょっと、疲れてるみたいでしたけど、しゃんとしてましたよ」
 一端のレディを自認しているカリンは口をアヒル口にしながら答えた。
「まぁあいつは今回も大変だったらしいからなぁ。要領が良いように見せかけて、どうしてか苦労するんだよな、あいつは」
「あと、イヴリンさんもハイネセンに着く頃には全快してるって言ってました」
「そうか」
 イヴリンの名を出すと、キャゼルヌは苦い顔をした。彼は自分の部下として使っていたイヴリンを、補給艦隊付にして、グランド・カナル事件で死なせかけたことがあったからである。直接の責任があるわけではなかったが、彼はそれを感じていたようだった。

「イヴリンさんからの言づてです。『気にしないで下さい。私は今幸せですから』……フロルさん、どうやら戦場でプロポーズしたみたいですよ?」
 カリンはキャゼルヌの顔色を聡く読み取ると、とっておきの情報を教えた。教えられたキャゼルヌは、一瞬ぽかんと呆けたあと、にやりと頬を歪めた。
「俺もフロルの奴に早く結婚するように言ってたんだが、とうとう決心したか」
「はい、そう言ってました。正式な婚約は、帰ってきてからするみたいですけど」
 キャゼルヌは満足そうに大きく頷くと、立ち上がった。
「じゃあ帰ろうか」
「はい、アンナお婆さんが今日はタルトの作り方を教えてくださるんです」
「それは美味しそうだなぁ」
「一緒にどうですか? アフタヌーンティーにはちょうどいい時間ですよ」
「フロルの実家にか? 遠慮しとくよ」
 キャゼルヌは施設の警備兵に敬礼を送りながらそう言った。隣を見ると、カリンもその小さな手で敬礼をしている。微笑ましい背伸びだった。

 だがそんなものを見ながらも、キャゼルヌは自身の耳に入ってきていた情報について考えていた。|薔薇の騎士連隊《ローゼンリッター》が第5艦隊から出されるという噂、上役に収まっていたフロルと彼らの不和騒動、そして何より、フロルの抗命未遂騒ぎ……。
 どれもフロルにしては、人と上手くやるのが得意なフロルにしては珍しい話だった。
|薔薇の騎士連隊《ローゼンリッター》はそれこそ色々な人間と小競り合いを続けてきた連中だが、そんな連中と上手くやるのがフロルという男だったはずである。そのフロルが、彼らを切り捨てようとする動きを見せたというのだから、キャゼルヌは納得できなかった。

 フロルは陸戦部隊としての|薔薇の騎士連隊《ローゼンリッター》の働きを大きく評価しており、その口から絶賛の言葉が出てくるのをキャゼルヌは何度も聞いていたのである。
 より重大という点においては、突破され半壊した第4艦隊を再編成したフロルが、司令本部の命令を無視しかけたという話である。フロルと司令本部、第5艦隊司令官ビュコック中将との仲は良好であったはず。
 そもそもフロルは一時の感情で判断を見失うような軽率な男ではなかったはずだ。士官学校時代において、フロルは常に明るく快活な振る舞いながら、内心では恐ろしく冷静沈着に動いていたことを、キャゼルヌは見抜いていた。それがフロルの本質に近いとキャゼルヌは思っていたのだ。
 だからこそ、まるで復讐に狂わされたように敵艦隊に突撃をかけようとしたと聞いて、彼は理解できなかったのだ。

——いったい、どういうことなのだろう。
 キャゼルヌは、それを考えていた。



***



 統合作戦本部の自室にいたドワイト・グリーンヒル大将は、手元に届いた部下からの報告書を読み終えた。それは公式な資料ではなく、あくまで彼子飼いのラオ少佐からの報告書である。
 今回の第3次ティアマト会戦は同盟軍にとって、不味い戦いだった。
 
 それが、軍中枢にいる者たちの共通認識である。

 それでも、報道では同盟軍の圧倒的勝利を叫んでいるあたり、末期的だと言えるだろう。グリーンヒルは椅子を回して窓からハイネセンの街に目をやった。
 今回の会戦では、第4艦隊の半数が壊滅、第5艦隊も30%近い被害を受け、中破、小破判定の艦艇を含めれば更に被害は甚大である。唯一勝利らしい勝利を手に入れた第10艦隊にしても、20%近くの艦艇と人員を消耗した。
 また第4艦隊は副司令官を失い、司令官であるラウロ・パストーレは重傷を負い、第5艦隊から派遣されたフロル・リシャール准将が代理に指揮をとっているという。
 明日にはハイネセンに到着するであろう派遣艦隊はまさに、満身創痍というべき有様であった。
 
 そして、フロル・リシャール准将である。

 ラオ少佐は、かつてフロル・リシャールを危険視したグリーンヒルが秘密裏に監視を命じた諜報畑の人間である。前の報告では、ラオがグリーンヒルの監視員であることが、フロルにばれたと知らせてきたので、グリーンヒルは随分と肝を冷やしたものだが、フロルは結局なんの反応も示さなかった。
 それどころか、都合がよいとばかりに自らの諜報にラオを使っていたそうだ。
 グリーンヒルも、いい加減フロルに対する注意度を下げようかと思案するほどであったのだが、とうとうやらかしたのである。

<——リシャール准将は明確な意思でもって、作戦本部の命令に抗い、私的な艦隊の運用を試みた。直後に発令された撤退命令には従ったが、その抗命の意思は、艦隊の無意味な転針によって明らかである。未遂とは言え——>

 グリーンヒル大将は不思議であった。彼が知るフロル・リシャールという男は、膨大な野心があるでもなく、狭窄した固定観念に囚われることもなく、惨めな支配欲があるわけでもない、至って健常で有能な民主主義の軍人であった。軍事行動の理をよく理解し、無謀な作戦でない限り従順にそれを遂行する、そういう信頼に足る軍人であったはずなのだ。

<——リシャール准将は、帝国軍艦隊司令官、ラインハルト・フォン・ミューゼル中将に対する敵意著しく、これを排除せんとする感情の暴走が見られた。また准将はかの敵将を、ラインハルト・<<フォン・ローエングラム>>と呼称した。その意図は不明であるが——>

 グリーンヒルは軍事情報サーバで<ローエングラム>の名を検索した。

<ローエングラム伯爵家。
 ルドルフ大帝以来の名門閥族。軍事貴族の名流。745年、当時の当主、ヘルムート・フォン・ローエングラムが40代の若さで、第2次ティアマト会戦で戦死。断絶の後は伯爵領が帝国直轄領に組み込まれ、現在に至る>

 グリーンヒルはこの結果に首を傾げた。
 フロルが敵視しているという帝国の中将は、ミューゼルという帝国騎士の家出身だという。この異例の出世には実の姉が皇帝の寵姫となったことが大きいだろう。だが、その男がローエングラム伯爵家と関係のあるということは、情報部の活動によって日々更新されている帝国軍人データには、書いてはいなかった。
——なぜフロルは、このラインハルトという男をローエングラム姓で呼んだのか。
 
 グリーンヒルは詳細に、豊富に記述されているラインハルト・フォン・ミューゼルというこの若き中将のデータを読んでいた。 そして、その記述量が通常のそれではないということに、遅れて気づいた。いかに急激に権力を増した若き名将とはいえ、一介の中将である。スクロールしても、スクロールしても終わらない人物データは、同盟軍のデータベースにしては多すぎる情報量であった。
 しかもグリーンヒルはこの時、ラインハルト・フォン・ミューゼルという男が、第6次イゼルローン要塞攻略戦で、同盟軍を掻き回したあの”小賢しい敵”の指揮官であることを知ったのである。

<——ラインハルト・フォン・ミューゼル少将は2000隻の分艦隊でもって、イゼルローン回廊出口付近に20余度の出撃を行い、同盟軍の分艦隊規模の戦力をことごとく排除した。この時、かの者が見せた艦隊運用は巧緻な艦隊運動や高度に計算された戦術から見ても、重大な脅威であった。表3を参照されたい。ミューゼル分艦隊によって撃破された同盟軍の戦力、指揮官、被害、戦術についての一覧である。驚くべきことにかの艦隊は、20余度に渡る出撃と交戦において、すべて違う戦術理論を用いてこれに当たった。その結果、対処した同盟軍は毎回変わるその戦術に対処できず、連敗を——>

 グリーンヒルは慌ててページ最後に記された最終編集者の名前を探した。
——フロル・リシャール
 
 彼は椅子の背もたれに体を預けた。
 検索ツールを探し出して、<ラインハルト・フォン・ミューゼル>のページでフロル・リシャールを検索する。
 検索結果は13件。

 異常だった。

 同盟軍に対する脅威として、ラインハルト・フォン・ミューゼルが台頭してきたのは、ここ数年のことである。
 にも関わらず、一介の同盟軍人と帝国軍人がこれほどの回数、戦場で|見《まみ》えるということは、普通ではなかった。
 確かに、ここ数年の同盟軍と帝国軍との闘争は大規模かつ頻繁である。大規模な戦いだけでも、794年のヴァンフリート星域会戦、同年の第6次イゼルローン要塞攻略戦、795年の第3次ティアマト会戦と続いている。
 ラインハルト・フォン・ミューゼルはその悉くの戦いに参加し、そして功を上げている。この2年弱の期間で准将から中将にまで昇進するというのは、いかに皇帝の寵愛があったとしても、それだけではないだろう。同盟軍は、別に皇帝の愛臣だからといって手を抜いていたわけではないのだから。
 
 グリーンヒルは、詳細極まりないラインハルトの功績報告書を、帝国軍人データを読んで、この男の天賦の軍才を認めざるを得なかった。なかば、そうではないかと思っていたのを、この報告書によって確信に変えたのである。

 そして、その天才に、戦場で四度見えたフロル・リシャール。

——1度目はヴァンフリート4=2防衛戦。

——2度目は第6次イゼルローン要塞攻略戦における前哨戦。

——3度目は第6次イゼルローン要塞攻略戦の最終盤における伏兵奇襲戦。
 
——そして、4度目は第3次ティアマト会戦の、逸脱行動。

 そして、どの作戦も、フロル・リシャールという男は、半ば自らの志願という形で、戦闘に参加していた。

 ヴァンフリートの転属は、当時の基地司令、シンクレア・セレブレッゼ中将の招聘に|快《・》諾《・》して実現したものである。当時、これを知ったグリーンヒルはフロルの信義に感心したものだった。なぜならば、その当時、フロル・リシャール|中《・》佐《・》は第5艦隊の作戦参謀、しかも先のアルレスハイム星域会戦の戦功が認められ、次期、次席作戦参謀の就任が確実視されていたのである。
 それを、フロルはかつての上司からの願《・》望《・》というだけで、蹴ったのだ。
 ヴァンフリート4=2はいかに戦場に近いとは言え、後方基地として建設されたものである。本来ならば、帝国が同じ星の裏側に艦隊を駐留するなどというバカな偶然が重ならなければ、一切の戦闘も戦功も発生するような場所ではなかったのである。
 だが、戦闘は起き、フロルはラインハルトと交戦し、瀕死の重傷を負いながらも、戦功を手に入れた。
  第6次イゼルローン要塞攻略戦は忘れもしない。<小賢しい敵>であったラインハルトの艦隊を罠にかけようと一番暗躍したのはフロル・リシャールであり、最終的にラインハルトの艦隊を待ち伏せ、同盟の一矢を報いたのもフロル・リシャールである。
 そして、第3次ティアマト会戦では、指揮権を得ると突如命令から逸脱してまで、ラインハルトと交戦を試みた。

 すべてが、ラインハルトとフロルの偶然の星の巡り合わせであったならば、それで良かっただろう。
 しかし、手元の資料は、その状況は、グリーンヒルに新たな見方を示していた。

「フロルは、ラインハルトと交戦する状況を、わざと作り出している……?」
 グリーンヒルは、自らが口にしたことが信じられなかった。呆然と、コンピュータのディスプレイを見る。
 反転された、<Frol Richard>の名前が、点滅していた。



***



「——次に、フロル・リシャール新少将を紹介しよう。リシャール少将は、先の会戦において、第5艦隊主席幕僚として、作戦立案において多くの功績が認められた。また、激しい戦闘の中、敵の攻撃によって混乱した第4艦隊の再編成を行い、帝国軍の左翼に睨みを利かせ、同盟軍派遣艦隊の殿《しんがり》を務めた。この功績は賞賛に値する。よってこの功績を認め——」
 地上55階、地下80階、自由惑星同盟軍統合作戦本部のビルの地下、四層のフロアをぶち抜いた集会場にフロル・リシャールはいた。
 天井の、手の届かぬ高みから照らされるスポットライトが、フロルは眩しかった。自分が来ている白い礼式用の軍服と、階級章が目新しく光っている。横目に見れば、第3次ティアマト会戦に参加した高級将官が鹿爪らしい顔で立ち並んでいた。トリューニヒトを挟んだ反対側には、統合作戦本部長のシドニー・シドレ元帥、宇宙艦隊司令長官ラザール・ロボス元帥の姿も見える。
 同盟の主要人物が揃っているようなものだった。
 もしフロルが帝国の工作班であれば、この機会を逃さないだろう。同盟軍の首脳部が一堂に会したこの場で爆弾テロを起こせば、^軍部中枢を決定的な混乱に陥れることが可能だからである。だが、むろん徹底的なセキュリティ・チェックによって、爆発物や化学薬品の類いは排除されている。

——だが。
 この発想は有効だろうと、フロルは考えていた。
「テロで流れは変えられない。でも、流れを止める事はできる」
 と言ったのは、小説の中のヤン・ウェンリーだった。その通りである。実際、ヤンがあのフィクションの世界で暗殺され、同盟と帝国の講和が実を結ばなかったことも、のちにユリアンによって結果的には講和が成立している。つまり、歴史の流れは、変わらなかったのだ。
 だが、ヤン亡き後、ユリアンがラインハルトに辿り着くために、多くの人間が血を流した。メルカッツ、シェーンコップ……。
 彼らの運命は、彼らの人生は、ヤンの暗殺によって大きく変わったのだ。

 だからこそ、フロルは考えている。
 暗殺は有効な手段である、と。

 フロルが思考を深めている間も、第3次ティアマト会戦の戦《・》勝《・》祝賀会が執り行われていく。

 フロルは、ふと視線を上げ目に入った垂れ幕の<勝利>の文字に対して、誰にもわからないほど小さな苦笑をこぼした。
 あの戦いを、まるで同盟の一方的な勝利のように宣伝する同盟軍の現状がその苦笑の訳だった。
 国民に対して正確な戦況を教えない軍部は、果たして民主主義国家の軍隊のあるべき姿なのだろうか。これでは、20世紀の日本軍と変わらない。現実から目を背け、自らは英雄の進むべき道を、栄光にあふれる正義の道を歩んでいるという妄想に、国家レベルでのめり込んでいるのだ。
 なんと愚かな、ことだろう。
 衆愚政治、という言葉は、フロルがこの世界に転生してから何度も頭を過ぎった言葉だった。
 
 帝国からの自由と、民主主義を守るために始まったはずの戦いは、その期間に反比例して当初の目的を見失い、今では大義のために戦っているのか、戦うために大義があるのかさえ見失っている。そしてその大義ですら、いったいなんのためのものなのかさえ、誰も考えることを忘れている。
 
 トリューニヒトのような男が議員を務め、今この場で挨拶をしていることが、その証左だった。
 そして、その|煽動政治家《トリューニヒト》からの美辞麗句を身に受けているフロル自身もまた、愚かな道化に違いないのだ。
 
 この戦勝祝賀会は、第4、第5,第10艦隊が首都星ハイネセンに帰還した、3日後に行われていた。同じ集会場で昨日、第3次ティアマト会戦戦没者慰霊祭が開催されたという事実は、もはや悪い冗談と言わざるを得ない。昨日は、もっともらしい暗い表情で戦没者を悼んでいたはずの人々が、今は貼り付けたような笑顔でトリューニヒトの演説を聴いているのである。会場を埋め付くさんとする人々の顔は、もはや何かの宗教のような様相だった。
 トリューニヒトはまた長々と演説をしていたが、その内容はフロルには聞かなくともわかっていた。今回の戦いにおいて、同盟軍人がいかに勇猛果敢に帝国軍に立ち向かい、その雑兵を打ち破ったか、いかに崇高な愛国心によってその身命を賭したのか、それを余分に過剰を振りかけて、更に度を超した修飾によって誇張しているのだ。

 聞くだけで、吐き気がした。

 事実、ステージの前方2列目に座っているヤン・ウェンリー准将の表情が加速度的に悪くなったいる。そのわかりやすすぎる姿が、今のフロルにとってはかえって清涼剤だった。フロル自身は上辺を取り繕うのが得意であるから、神妙な顔でステージに立っているのだ。

 今回、フロルは少将へと昇進することとなった。
 |MIA《作戦行動中行方不明》となったフィッシャー准将に替わり、第4艦隊の副司令官に内定している。
 負傷したパストーレは、4ヵ月で全快予定だった。

 フロルによる独断専行も、未遂であるということを理由になかったことにされたようだった。
 なかったことにしたのはもちろん、トリューニヒトである。


***
 

 帰国したフロルを出迎えたのは、ハイネセン国際空港にまでやってきたヤンとユリアン、そしてカリンだった。
 地上連絡艇から地上にタラップを降りたフロルに、誰よりも早く駆け寄ったのは無論、カリンである。
 一言の挨拶もなく、二人は抱き合った。
 子ども特有の高い体温、抱きしめると折れてしまいそうな華奢な体、そして耳元で聞こえる押し殺したような泣き声、そして細く柔らかい紅色がかった髪が、すべてがカリンだった。

「ただいま、カリン」
「……ぐすっ……おかえりなさい、フロルさん」
 少し経って顔を離したカリンは、目を赤くしていたが、とても綺麗な笑顔でフロルにそう言った。この笑顔を見ると、フロルは生きて帰ってきたことを、神に感謝したい気持ちになるのであった。
 保護者の贔屓目を差し引いても、天使の笑顔だろう。
「また、背が伸びたな」
「うん、フロルさんが私を放っておく内にどんどん伸びてるよ」
 フロルは優しくその頭に手を置いた。
「俺がいなくても、カリンは大丈夫。しっかりした子だからね」
 カリンはちょっと拗ねたような顔をしたが、フロルが頭を撫でるとそれもまた笑顔に転じた。

「フロル先輩、お疲れ様です」
 ヤンがこちらに近寄ってきて、そう言った。特に困ってるわけでもないだろうに、頭をかいている。
「フロルさん、お帰りなさい」
「ただいま、ユリアン」
 ユリアンもまた、フロルが会わないうちに身長が伸び、その美少年ぶりにも磨きがかかっているようだった。
「ヤン、カリンを連れてきてくれてありがとうな」
「いえ、カリンちゃんの頼みですから、断れませんよ。本当はキャゼルヌ先輩が連れてくる予定だったんですが」
「まぁ先輩も忙しいだろう。今度の戦いが終わったら昇進だろうから」
「ええ、少将に昇進するそうです」
 フロルは頷いた。それだけのことを、キャゼルヌはやっていたはずである。過労で倒れるほど、セレブレッゼ退役中将の抜けた穴を埋めるべく働いていたのだ。

 ヤンはその時、何かを言いたそうに口を開きかけたが、それを続けることはなかった。恐らく、フロルの独断専行について、多少のことを聞き及んでいるのだろう。だが、それをユリアンやカリンの前で口にすることに、抵抗を覚えたに違いなかった。
 フロルは後輩《ヤン》の不器用な気遣いに感謝しつつ、カリンと手を繋いで空港に入っていった。

「あら、カリンちゃんじゃないの」
 空港内で、カリンに声をかけた老婦人がいた。一同がそちらに目をすると、それはベンチに座ったビュコック夫人であった。

「これは、ビュコック夫人、ご無沙汰をしております」
 フロルはカリンを連れて、彼女に近づき、頭を下げた。カリンを可愛がってもらっているこの老婦人には、感謝しても感謝しきれないほどの気持ちをフロルは抱いていたからである。

「フロルさん、無事のお帰り、お喜び申し上げますわ」
「ありがとうございます。ご主人の指揮のおかげです」
 そうフロルが言うと、夫人は柔らかな微笑みを浮かべた。
「あの人はまだ降りて来ないのね」
「もう少しで、降りてくると思いますが」
 フロルは澄み切った青空の上に目をやった。ビュコックは今頃、第5艦隊の事後処理を終え、地上《ハイネセン》に降りてくるところだろう。フロルは第4艦隊の連絡艇で降りてきたため、ビュコックと同じ便ではない。
 更に言うと、フロルとビュコックはここ数日まともに顔を合わしていなかった。一つに、フロルが顔を合わせにくかったという感情もあるが、撤退に関する事後処理によってまともに時間を作れなかったということもある。画面越しに通信をしても、終始事務のことしか、お互いは口にしていなかった。

 フロルに釣られたように、夫人もまたガラス越しに空を見上げた。
「あの人は——」
 夫人は言葉を続けた。フロルは、夫人を見た。
「——頑固なところがあって、若い人には難しい人なの。悪い人ではないんだけど、苦労もあると思うわ。フロルさんは、今まで私が見てきた部下の方の中でも、一番あの人のことを理解してくれているように思えるの。どうかしら?」
 彼女は、その人の良さそうな笑みで、フロルに一寸の疑いも不信も抱いていないかのように、話しかけた。
「恐縮です」
 フロルは、ただ、頭を下げた。
 それしか、今の彼には出来なかった。
「あの人を、よろしく頼みます、フロルさん」
 頭の上からかけられたその声は、フロルの心を締め付けた。
 つい先日、裏切った事実が、彼に重くのし掛かっている。



***



 フロルの独断専行は、針路転換という形でしか、書類上は残っていない。それもまた、作戦本部によって明示された作戦行動を達成するために、別働隊の指揮官に認められる範囲の独立行動として処理されていた。
 だが、あの時の、一刻一秒を争うような攻防戦の中で、あの針路の変更が、いったいどれだけの意味を持つか、有能な指揮官であれば理解できるものだったろう。

 式が終わり、会場を出る際にも、フロルは自身に向けられる好奇の視線を自覚していた。
 
——29歳の新少将。

——第4艦隊副司令官。

——新進気鋭のエリート将校。

——パストーレの懐刀。

——シトレ派のリーダー的存在。

——得体の知れない情報部との繋がり。

——親ビュコックのヤン一派とも親しい。

——命令無視の独断専行未遂……。

 フロルは、会場を出たホールにいた白髪を見て、それに話しかけようとした。
 だが、それを遮った人間がいた。

 同盟最大の悪人。
 フロルにとって、厄介極まりない煽動政治家。

 ヨブ・トリューニヒト。

「やぁ、フロルくん」
 その顔にはにこやかな、一見すれば人当たりのよい笑顔が浮かんでいた。
 だがそれは、フロルにとって嫌悪感を催すものでしかなかった。
「トリューニヒト国防委員長……」
「今回はご苦労だったね」
 フロルは言葉を出さず、鋭く敬礼だけをした。トリューニヒトの横をすり抜けようとしたが、トリューニヒトはそれを妨げるように体をずらした。フロルは横を抜けられない。
「君もなかなか苦労したこととは思うが、君の行動は大局から見て適切な判断であったと私は考えている」
 フロルはやむを得ず、立ち止まった。
「ありがとう……ございます」
「私は君に期待しているのだよ、フロル新少将。20代での少将昇進は同盟史上最速だそうだ。そのように優秀な人間が私の国防委員長在職中に現れたことは非常に喜ばしいことだと思うわけだが、フロルくん。わかるかね」
 トリューニヒトは右手を差し出した。その意味を、フロルは読み違わない。フロルは、トリューニヒトと自分を見ている人間の多さと、走り寄ってくるジャーナリストの姿を視界の端に認めた。
 差し出された手は、握らざるを得なかった。
 
 フロルは理解している。
 今回の会戦で、フロルがいかに働いたとはいえ、本来ならば少将昇進に適うほどの功績ではなかっただろう、ということを。実際問題、第4艦隊の副司令官になるとしても、前任のフィッシャー准将は准将位で任官していたため、慌ててで少将になる必要はなかったのだ。
 さらに、幻の独断専行。
 
 ビュコックは、あの独断専行を許してはいないだろう。
 その行動がもたらしかねなかった窮地を見通し、フロルの行動を厳しく評価していたはずである。
 ならば、フロルは昇進できるはずがない。
 だが、現実は昇進した。

——トリューニヒトの差し金。

「これも、国《・》防《・》委《・》員《・》長《・》閣下のおかげ、ということですか」
 フロルはトリューニヒトの右手を握った。
 一瞬だけ顔を寄せ、周りの誰にも聞こえぬ声量で、トリューニヒトに話しかける。
 トリューニヒトは小さく、その口角を上げた。
「民主主義国家の、正当な評価だよ、フロルくん」

 フロルは、ともすれば引きつりかねない思いで、カメラに笑みを向けた。
 フラッシュが走る。
 右手に感じる湿った肌が、気持ち悪かった。
 トリューニヒトが左手で、フロルの肩を抱いた。
 
 フロルを、より多くのフラッシュが襲った。


 この二人を多くの人間が見ている。
 そして群衆の中には、アレクサンドル・ビュコック提督の姿も、あったのだ。




















 
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