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【旧】銀英伝 異伝、フロル・リシャール

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第3次ティアマト会戦(5)


第3次ティアマト会戦(5)

「全艦隊砲撃開始ぃ!」
 わずかに上ずった声が響いたのは、帝国艦隊が同盟第4艦隊の有効射程圏内に入る前のことである。一瞬の空白の後、まばらに光の槍が闇を裂いた。各艦の砲手が、それぞれ戸惑いと共に引き金を引いたからであろう。彼らの懸念通り、敵艦に届いたと思われた中性子砲は、すべてレーザー中和磁場によって無効化されていた。有効射程外であったため、この防御バリアを突破することができなかったのである。

 砲撃はそこからおよそ勤勉と言える熱心さで行われた。各砲手が己の技量を尽くして帝国軍を撃破せんとしたのである。もっとも、敵の中和磁場を抜いたものは少なかったが。
 対する帝国軍は同盟軍に遅れること30秒後、一秒の遅延もない一斉射撃を以て攻撃を開始した。この一射目は十分に敵を引きつけていたため、同盟軍には少なくない被害をもたらした。だが両軍が互いの有効射程内に入ったため、そこからの消耗率は、ほぼ同速度を保つかに見えた。

「少し、早かったかな」
 頭をかきながら指揮官席に座ったのは、たった今、早すぎる砲撃命令を出したラウロ・パストーレ中将だった。周りにはフィッシャー准将なども控えていたのだが、命令後に制止して混乱を招くのを恐れ、結局誰も止められずに砲撃が始まってしまったのである。
「フィッシャー准将」
「は」
 エドウィン・フィッシャーは副司令としてこの艦隊の戦闘機動のすべてを託されていた。と言えば聞こえはいいが、実質的にはこの艦隊を担っているのは彼を初めとした幕僚チームである。パストーレ中将は艦隊の方針決定と、事務仕事を主としていたため、それ以外の多くを幕僚で分担していたのである。軍人に向き不向きが存在するのは当然で、それを補佐するという形で有能な部下がいるわけだが、いささか補《・》佐《・》の割合が大きすぎるのが、第4艦隊の問題点であった。パストーレ中将は事務仕事こそ人並みにこなす能力を有し、指揮能力に関しても分艦隊をカバーするほどのものを持っていたが、何分、大会戦で指揮官が失ってはならない冷静な判断力と麾下の将兵を束ねる人望に欠けている。概ね、フィッシャーもまた、そのように認識していた。パストーレ中将は背伸びをしていると。
「敵は紡錘陣形でこちらに突っ込んでくる。これを止めるにはどうすればよいか」
「敵艦隊はこちらを突破せんと突っ込んできます。そのための紡錘陣形です。敵艦隊はそれだけ士気と指揮に自信があるということです。これを止めるには揺るぎない防御陣形を引くしかありません。艦隊を密にし、陣を厚くして、突撃に耐えて接近戦に持ち込むのがいいかと」
「つまり混戦に持ち込め、と」
 パストーレは顎に手を当てながら首をひねる。
「我々に課せられた任務は、同盟2個艦隊の急激な艦隊運動の混乱を回復するまでの時間稼ぎと、敵の挟撃作戦を防ぐことです」
「挟撃?」
「……対している敵艦隊が我々を抜ければ、同盟2個艦隊は前後から敵に攻撃されるでしょう?」
「おお、そうだったな」
 フィッシャーは何も言わない。
「混戦に持ち込めば、勝つことは難しいですが、それを収拾させるための時間で、敵を足止めできます」
 パストーレは頷きながら、ポケットから取り出したハンカチで彼の額の汗を拭いた。まだ戦闘が始まって間もないにもかかわらず、冷や汗が止まらないのである。

 フィッシャーは眉間に皺を寄せたまま、艦橋ディスプレイの陣形図を見た。同盟軍の陣形はフィッシャーが指示したとおり、厚めの凹陣形で敵の紡錘陣形を受け止めようとしていた。陣を厚くし、敵の突破を容易にさせない作戦である。更に敵がこちらを圧倒して陣に食い込んでも、左右に広げた同盟部隊が側方から攻撃をしやすいようになっている。無難ではあるが、もっとも成功率が高い陣形である。
 もっとも、パストーレの下ではこれ以外やりようがない、という作戦である。
「だが、帝国軍も突入の速度こそ凄かったが、それほどではないのではないか?」
 パストーレは、フィッシャーと同じことを感じ取っていたようだった。それはフィッシャーも気付いていたのだ。帝国軍はその見事に統率の取れた艦隊運動によって、同盟艦隊に押し寄せてきたのだが、射程に入ってからはまるで同盟軍に気圧されたように速度を遅くしているのである。これはフィッシャーにとってはむしろ意外であった。先ほど第5艦隊の司令部から伝えられた情報によれば、敵艦隊は第6次イゼルローン要塞攻略戦で同盟軍を弄んだ帝国随一の精鋭部隊だというのだ。
「むしろ、先頭の部隊が孤立している?」
 戦闘が始まってわずか15分経ったに過ぎないにもかかわらず、敵艦隊内の速度が明らかにばらつき始めたことにフィッシャーは気付いた。敵紡錘陣形先頭部の50隻ほどの部隊が、後方の部隊を置き去りにしてこちらに突っ込んでくるのである。しかも砲撃もめちゃくちゃで、まるで適当に撃っているような乱雑さである。しかも、部隊というには艦と艦が疎になりすぎており、ばらばらに突撃してくるようなものだった。

「先頭の小部隊、同盟軍直前!」
「……艦列の内側に入れるな。同盟軍の最前列にいる部隊は、これを叩け!」
 最前列の艦から回された拡大望遠映像が、砲撃がその部隊に当たった瞬間を映していた。
——閃光。
 遅れてカメラに衝撃波が伝わるのがわかった。
「あの部隊には爆弾が満載されているのか!?」
 フィッシャーはその時、敵の考えを読み取ったと確信した。敵のあの部隊は恐らく無人。膨大な爆弾を積載し、こちらに突撃させ、前線を混乱させようというのだ。そしてその混乱の隙を縫って突撃……。
「パストーレ中将」
「あの先頭部隊を叩いた方が良さそうだな」
 パストーレも、今の強烈な爆発にその必要を感じ取ったようだった。
「全部隊に告げる」
 パストーレは艦隊放送のスイッチを入れ、声を張った。
「あの先頭部隊を決してこちらに近づけるな!」



***



「どうやら、敵もあの無人艦部隊50隻が爆弾を満載していることには気付いたようだな」
「はい、ラインハルト様」

 ラインハルトは慌てふためくように先頭部隊に砲撃を集中させる同盟軍を見て小さく笑った。爆弾を満載、といってもたかが50隻程度の部隊である。それの爆発と誘爆によって同盟軍に与えられるであろう損害はせいぜい150隻。これは撃沈以外の戦闘不能になるであろう艦の数を含めてこれほどの被害である。確かに前線に楔を打つ程度のことはできるが、それで突撃したのでは帝国軍本隊が少なくない被害をこうむることになるだろう。

「現在4隻目が撃沈されました!」
 通信士官が声を上げたが、先頭部隊は特に装甲が厚く防御に強い艦を選別されていた。ラインハルト艦隊の本隊を相手にしながらでは、なかなかすぐには全てを落としきれないであろう。
「見ろ、キルヒアイス。同盟軍のあのみっともない慌て方を」
「ええ、最前線の部隊は爆発に巻き込まれたくない一心で、撃ちまくっていますね」
「問題は敵の司令部だ。あの程度の脅威に対して、過剰に反応しすぎるのだ」
 ラインハルトはそこでキルヒアイスを見た。
「キルヒアイス、例のアレまであとどのくらいだ」
「もう少しで、先頭部隊が有効範囲まで敵前線に近づきます。その瞬間に一斉に」
 ラインハルトは頷いたが、顔は不満顔である。本来、ラインハルトはこのような小細工が嫌いだったのだ。彼は大艦隊同士の戦いで、勇猛に戦い、敵を完膚なく叩き潰すことの方が性分にあっているのである。
 今回の戦いにせよ、本気で推し進めればまず確実に敵艦隊を抜く自信はあったし、これを殲滅することもできるはずであった。だが、この戦いは第3次ティアマト会戦という大会戦の中の局所的な戦闘に過ぎなかった。今、ラインハルト艦隊に求められているのは、敵艦隊を突破するという一点であり、突破さえできれば敵の艦隊は放置してもよいくらいなのだ。
 これは一定の危険を残す。後方に敵を残せば、こちらを追って尾に食いつかれる危険性があるからだ。だが、ラインハルトはこれを振り切ることができるであろうと客観的に考えていて、後方に追いつかれるよりも先に叛乱軍2個艦隊の後背を突けると確信していた。
 だが、それを成すにも今は時間との戦いだった。叛乱軍2個艦隊と対する帝国2個艦隊はかなりの苦戦を強いられていると情報が伝えられていた。叛乱軍第5艦隊、第10艦隊は前評判通りの実力ということらしかった。
 ミュッケンベルガーが率いている2個艦隊が撃破されるより前に、ラインハルトはこの戦いのメイン会場に行かねばならない。
 そのための小細工だった。

「無人艦部隊、所定の位置に到達! 超超短距離跳躍《ワープ》、作動しました!」
 通信士官がそう叫んだ。



***



 それは誰もが考えつきもしなかった、非常識な手段。

 目前に大質量の同盟軍第4艦隊の艦艇がいるにもかかわらず、約50隻もの重装甲の戦艦が跳躍《ワープ》したのである。
 後にこの戦闘詳報を読んだフロル・リシャールは、その恐ろしさに背を震わせた。彼の知っていた銀英伝の歴史において、この跳躍《ワープ》事故が起きた事態について覚えていたのだ。言うまでもなく、あのアムリッツァ会戦であった。あの時、退路を断たれたとパニックに陥った同盟軍の戦艦一《・》隻《・》がキルヒアイス艦隊の眼前で無謀にも跳躍《ワープ》し、その混乱によって帝国軍は同盟軍残存兵力を逃すことになったのだ。それだけ跳躍《ワープ》は多くのエネルギーを消費し、そして強烈な時空震を引き起こす。

 それがまとめて50隻弱。
 しかも故意に、引き起こしたのだ。
 眼前で敵の無人艦隊が忽然と姿を消した刹那、同盟軍の将兵のほとんどはその意味を理解していなかった。だが次の瞬間、その消失の意味を悟ったのである。

 同盟軍のオペレーターは、ほとんど悲鳴のような叫び声でこの危険を知らせた。艦の制御コンピュータは一斉に警告音を発する。前方の艦隊が消え失せ、それに伴った激しい時空震が到達したのは、わずか三秒後のことだった。
 第4艦隊はこの激烈で無秩序な波動によって、一挙に混乱の坩堝《るつぼ》に叩き落とされた。1隻ですらキルヒアイス艦隊を混乱に陥れた跳躍《ワープ》の50倍である。フィッシャーの名人芸とも言われた艦隊統率が、文字通り一瞬で破滅的に失われたのである。猛烈な波動は特に最前線の艦隊の衝突や接触を多発させた。紡錘陣形に備え、艦隊を密にしていたのが更に状況を悪化させたのだ。コンピュータ制御の衝突回避システムは<回避不能>の文字をディスプレイに映し出し、手動による艦体制御によって秩序を失った艦の動きを必死に押さえ込もうとする努力が繰り広げられた。磁気靴のスイッチを入れていない兵は激しく転倒し、入れていた者も飛び交う装備品や崩れ折れた柱の下敷きになった。各種センサーは一時的に、だが一斉に無効化された。各艦の重力制御装置にまで不調を来し、前時代的な無重力空間に陥った艦艇も多数あった。
 この状況下に、超超短距離跳躍《ワープ》に成功した無人艦隊が出現した。もっとも座標も進路の算定も粗雑に行われたものであったため、無事、出《・》現《・》できたのは跳躍に成功した44隻の内でも19隻に過ぎなかった。だが、その19隻の更に16隻は回避運動に悲鳴を上げている同盟軍のまっただ中に跳躍《ワープ》したのだ。出現によって生じた二度目の時空震が、第4艦隊に襲いかかった。更に、跳躍《ワープ》後に自爆するように設定されていた19隻が爆発するに当たって、第4艦隊の混乱は極致を達したのだった。
 
 フィッシャーはようやく収まった震動から立ち上がった。ディスプレイは再起動がかかったセンサー類から徐々に回復し、そのデータを映し出し始めている。オペレーターが普段は使うこともない手動の舵に取り付き、肉視窓にかけよったオペレーターが必死に回避を叫んでいる。通信士官が叫んだ。
「て、敵艦隊本隊が突入してきます!」
 フィッシャーは言葉もなかった。まさか、無人艦隊をこんなことに利用するなど。時空震さえも、武器として利用し、敵を殺そうとする執念。
 そしてこのアイディアを思いつき、まんまと同盟軍の指揮系統を瞬殺した鬼謀詭計。
「指揮系統の、回復だ……。敵が突入してくるぞ! 急いで艦列を組み直せ!」
 それは誰もが無理だとわかる命令だった。だが、これしかやるべきことがない、という命令でもあった。。第4艦隊に、撤退は許されない。第4艦隊の撤退は、味方の2個艦隊を見殺しにするのと同義であったからだ。だが、もはや時間も余裕も消し飛んでいた。
——抜かれるかもしれんな。
 フィッシャーは、横で腰を抜かしたまま立ち上がれないでいるパストーレを見ながら、そんな考えが頭に浮かぶのを抑えられなかった。



***



 ラインハルトの命令は単純であった。
「混乱に陥った敵艦隊に、我が艦隊はこれより突入を開始する! だが、我々が攻撃すべき敵は、敵艦隊すべての艦艇ではない! 我々の攻撃目標は二つ! 我々の前方にいる敵艦と、敵の指揮艦である! これ以外には一発の弾も不要だ! 我々は敵を突破することを目的としている! 繰り返す、火力は全力で、だが集中して使え!」
 ラインハルト艦隊の動きを、遠巻きに見ることが叶ったならば、それは脆弱な堤防を突き崩す光の濁流のように、見えたかもしれなかった。
 ラインハルト艦隊は徹底的に、同盟軍がこの会戦初期で帝国2個艦隊に対してやってのけたことと同じことを繰り返したのである。敵の旗艦を見つけ、それを集中的に叩き、指揮系統をずたずたにして、勢いのまま突き進む。
 詭計によって混乱に陥っていた第4艦隊には、既にそれに抗う力は残されていなかった。一艦一艦に至るまで統制の行き渡ったラインハルト艦隊は、一つの巨大な有機生命体のような柔軟性と力強い勢いで第4艦隊を突破した。
 それが1915時のことである。



***



 帝国の迂回艦隊が同盟軍第4艦隊を突破したことは、同盟軍が決定的な窮地に陥ったことを意味していた。それは残された第5艦隊、第10艦隊の両司令官が一番よく知っていることだった。言われるまでもないことである。何しろ、彼らがこの敵艦隊の存在に気づいてから、ずっと恐れていた事態なのである。

 アレクサンドル・ビュコック提督はこの知らせに重々しく頷いただけであった。そして一向に接近しようとはしないミュッケンベルガー艦隊・シュターデン艦隊の2個艦隊に対して、今や取り得る方法は二つだけであった。
 一つ、もはや第4艦隊を諦め、今現在向き合っている敵2個艦隊に対して更なる攻勢を強めるか。だが、この2個艦隊が迂回艦隊と呼応して突撃するのは時間の問題だと思われた。
 もう一つ、撃破されたとしても多く残っているであろう残存兵力を救い出すために転進して敵迂回艦隊と正面決戦をするか。
 だがどちらも前後面に位置するもう一方の艦隊が背面を突くことは明確であった。
 そこで残された道は前後面に配する敵を同時に処理しつつ、撤退するというものである。この場合、同盟2個艦隊が逃げ切れたとしても、それは第4艦隊を本当に見捨てることと同義となる。帝国軍が残存第4艦隊を殲滅することは明白なのだ。

「第4艦隊の損害報告は届いたか」
『…ザッザ……旗艦中破、パストーレは重傷で、フィッシャー…ザ……傷を負った。第4艦隊の中級指揮艦も半数が破壊……』
 ビュコック提督は画面の向こうにいるであろうウランフ提督に話しかけた。別々の艦隊運動を行っていたため、つい先刻まで可能であったビデオ会議は既に不可能になっていた。帝国軍によると思われる電子妨害によって、音声通信にノイズが入り込んでいた。
「旗艦レオニダスは自沈処理、艦隊で動けるのは6割。ひどい被害じゃ」
 ビュコックは隠しきれない溜め息を小さく漏らした。詳細な報告は未だ届いていなかったが、ここまで簡単に抜かれるということは敵迂回艦隊は凡庸という言葉とはかけ離れた実力を有していた、ということらしい。
「どうすればよいかの?」
『……ザザ……見捨てるのは私の本意ではありませんな』
「うむ、儂も同感じゃ。だがここから立て直して撤退する、それも第4艦隊を見捨てずに、というのがどれだけ大変なことか」
『……ザザ…ザ…これというのもパストーレの無能者が——』
「今はそれを言っても始まらんじゃろう。もうすぐ敵の奇襲艦隊が儂の艦隊に突撃をするじゃろう。そこで、ウランフ提督には——」
『ザッ!——』
「音声途絶しました! 我が軍の間隙に敵ミュッケンベルガー艦隊が突入してきたことが原因かと思われます」

——来たか。
 という言葉は出さなかった。ビュコックには来るとわかっていたことなのだ。
「続いて、敵奇襲部隊がこちらに突入してきます!」
 ビュコックは艦隊放送のスイッチを入れた。
「我が艦隊に伝達する。敵奇襲部隊は我が軍の後方から突入を開始する。左前方の敵1個艦隊がこちらに向かってくる。我が軍はよって、右前方に艦隊を進める。我が軍は前方の艦隊を受け流し、そして右後方から迫る艦隊を振り切る——」



***



「それしか、あの艦隊、つまりは叛乱軍第5艦隊が生き残る術はあるまい」
 ラインハルトは頬に笑みを浮かべつつ、そう言い放った。それは己の策がほぼ完璧に成功しつつあることに、満足していたからであろう。ラインハルトの詭計はなり、敵1個艦隊を易々と突破、更に敵の総指揮官の艦隊の後背に回り込むことにも成功した。
「我が艦隊は敵第5艦隊の側面を突けますね」
「そして逃げようとする敵の頭を押さえるのがミュッケンベルガーの役割ということだ。問題は、ミュッケンベルガーにそれが成せるか、ということだが」
 キルヒアイスは敵の退路を断たんと動いているミュッケンベルガー艦隊の陣形図を見て、小さく頷いた。数の上では1対1の衝突である。逃げようとする者を押さえるのは向かってくるものを叩きのめすよりも困難である。だが、その程度の芸当ができないミュッケンベルガーではないようであった。キルヒアイスはラインハルトの顔を見たが、ラインハルトは一瞬片眉を上げただけである。
「第10艦隊はシュターデン艦隊に任せていますが」
「数の上では互角以上だ。それに、兵力を分断することに我が帝国軍は成功した。ただ一つ問題があるとすれば、こちらも二分されてしまったことだが」
「艦艇数はこちらが優位です。」
「我が艦隊はこのまま第5艦隊に突入する」
 それが第5艦隊、最大の苦難の始まりを告げる号令であった。



***



 ラインハルト艦隊は第5艦隊を陵辱した。
 頭をミュッケンベルガー艦隊に押さえ込まれた第5艦隊は、効果的な対抗手段を封じられ、ラインハルト艦隊を迎え撃つことになったのである。だが、ビュコックは非凡だった。前方に攻勢を強め、退路を作り出すことに加え、後方の半個艦隊を後ろに振り向けラインハルト艦隊に対応した。至難の技、というべきであった。
 対するラインハルトの戦術も、非常識なものである。
 その芸術的なまでの艦隊指揮で艦隊をまとめ上げ、恐ろしいほどの観察眼で第5艦隊の一瞬の乱れを見抜くと、そこに突撃をし、抜群の速度と躍動性によって、半ば用兵の基礎を度外視した動きによって、同盟軍第5艦隊の混乱を招こうとしたのである。
 第5艦隊は前方のミュッケンベルガー艦隊、後方のラインハルト艦隊による挟撃態勢がが完成したことに加え、更なる負荷をかけようとするラインハルト艦隊によってその被害を大きくしていった。乱戦、混戦の中で、中級指揮艦は次々と、時間と比例して失われていった。
 それはホーランドがやろうとしていたことを、裏返してラインハルトが行っていたのだ。
 ラインハルトの目的はただ一つ。

 超短期決戦によって第5艦隊の指揮系統を壊滅させ、艦隊という巨大な組織が戦闘不能に陥るまで痛めつけることである。

 補給線は伸びきらない。
 ミュッケンベルガー艦隊が前を押さえているからである。
 だがその猛烈な攻撃は瞬く間にラインハルト艦隊のエネルギー、物資、弾薬を消費していった。
 補給が不可能なのではなく、その時間的余裕がラインハルト艦隊からは失われていた。ラインハルトはその艦隊の持てる力をすべて攻勢に費やしたのである。それほど、苛烈な攻撃であった。
 その猛攻を受けてなお、第5艦隊が壊滅しなかったのは、ただ偏にビュコック中将のおかげであっただろう。ビュコックは予想もつかない、芸術的な艦隊運動で翻弄しようとするラインハルト艦隊を受け流し、受け止め、そして反撃し、突撃を敢行するラインハルト艦隊にしぶとく対処し続けた。
 2200時に至り、ラインハルト艦隊は第5艦隊の15%の艦艇を撃破、30%の艦艇を戦闘不能の破壊を加え、第5艦隊を突破した。分断され、消耗した第5艦隊は、そこで抑えに徹していたミュッケンベルガー艦隊のスイッチ攻撃に遭う。
 既にラインハルト艦隊は限界に達していた。将兵を総動員したような猛烈な戦いは、人的疲労の限界を招いたのだ。だがその無理な攻撃によって、第5艦隊は満身創痍となり、あとは止めを刺すばかりであった。
 役目を交代したミュッケンベルガーが、第5艦隊に最後の猛攻をかけようと、全艦突撃を命令しようと右手を掲げたその時、事態は最終局面へと駒を進める。



***



「おい見ろ、この影、何かわかるか?」
 ミュッケンベルガー艦隊の中でも、もっとも端にいた駆逐艦グリンブルスティの、情報通信士官グスタ・ホフベルクが索敵レーダーに映った影に気づいた。そこは最前線からもっとも離れていたため、その声に緊張はない。周りを見ても<この戦いは勝った>というムードが流れている。あの|金髪の儒子《ラインハルト》が敵を翻弄し、分断したという知らせが、それを決定づけたのだった。
 ご多分に漏れず、隣で舟を漕いでいた同僚のロルフ・グライナーも、その声で目を覚ましたようである。
「なんだ、なんかいたのか?」
 目をこすりながらそのディスプレイに映った索敵レーダーは、天頂方向からの何かの影を映し出していた。
——天頂?
「隕石かな」
 最初に見つけたグスタは、声に若干の不安を込めてロルフに尋ねた。グスタとロルフは同じ時期に着任した謂わば同期であったが、情報通信任務に就いている期間はロルフの方が長いのだ。
「隕石……かな。レーダー透過装置のある軍用艦は、こんなにレーダーに映らんものだ。だが……」
「ああ、ちょっと数が多すぎる」
 レーダーの探知外にあったその隕石らしき影は、徐々にその数を増してレーダーに映り込んできた。
「こりゃまずいなぁ。このコースだと隕石がうちの艦隊に当たるぞ」
「でもここいらでこんな大規模な隕石群が通りかかるか……」
 グスタは自分の背中に、冷や汗が流れ落ちるのを感じた。右手がやけに汗をかく。握った手が、湿っぽい。
 ここはティアマト星域。叛乱軍の占領する星域の中でも、もっとも障害物がなく開けた星域であった。だからこそ、ここで過去3度もの大会戦が行われてきたのだ。その星域に、大規模な隕石群。
「これは、おい……」
 グスタは席を立ち上がった。ロルフもまた、さっきまでの眠気を飛ばしたような顔つきで、手元のコンピュータのキーボードを叩き始めた。グスタは上官を呼びに行こうと思ったのだ。判断は、つかない。だが、この光速の半分の速度で近づきつつある高速移動群体が、何であるか、グスタにはわかるような気がした。
 それでもグスタは、この嫌な予感が間違いであることを願った。
 的中したとき、自分が生きていられる可能性が、ぐっと減ることに気づいていたからである。




















 
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