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【旧】銀英伝 異伝、フロル・リシャール

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第3次ティアマト会戦(3)


第3次ティアマト会戦(3)

 宇宙暦795年2月18日1620時、第5艦隊旗艦リオ・グランデの艦橋にいたフロル・リシャール准将は、前方より進み来る敵遠征艦隊を見つめていた。映像は前方200光秒に敷設した偵察衛星からのものであった。衛星はさまざまな索敵システムで捉えた敵艦隊の陣容をこちらに伝えてきていた。フロルは流れゆく膨大な情報に時折目を走らせながら、沈黙を保って腕を組んでいる。
 唐突に偵察衛星からの通信が途絶えた。どうやら、敵の偵察部隊に潰されたらしい。だが、それでわかったこともあった。敵は既に極近くまで接近しており、戦闘は1時間以内に始まるということである。
 フロルは2、3時間は立ったままだったその場所から、ようやく足を動かした。片手をスラックスのポケットに突っ込み、歩き出す。もう一方の手はフロルのベレー帽を掴んだ。思考は深く、そして速く回っていた。彼の行動は、いわば無意識のものだった。

 気になっていたことがある。
 言うまでもなく帝国軍の陣容だ。
 敵は2個艦隊を正面につけ、さらに少し後ろに1個艦隊を付けてこちらに進んでいる。偵察衛星と、情報分析担当士官はこれをミュッケンベルガー元帥直下の1個艦隊とシュターデン中将率いる1個艦隊の2個艦隊、少し離れているのがラインハルト中将率いる1個艦隊と判断した。敵は綿密にこちらの情報網を破壊、もしくは無力化しにかかってきていたが、それでも集まってきた情報を統合すれば、それは疑いもないように思えた。
 対する同盟軍は中央に第5艦隊、左翼に第10艦隊、右翼に第4艦隊を配し、防御を固めていた。この陣形を決定するのには、いくらかの混乱があった。それは主にビュコック中将とウランフ中将によって取りざたされたものであったが、要するにパストーレ艦隊をどこに配するか、であった。パストーレ艦隊は練度こそ高くとも、それを指揮する人間にそれ相応の能力がないと、二人とも考えていたからである。練度が高いのはかつてそこに配属されていたフロルのおかげもあったが、副司令官であるエドウィン・フィッシャー准将のおかげも大きかったろう。フィッシャー准将は艦隊運用の名人で、「生きた航路図」とまで言われた艦隊機動のスペシャリストだった。彼が日々絶え間なく艦隊を仕切っていたため、第4艦隊は高度な練度を保てていたのだ。
 だがそれを指揮をするはラウロ・パストーレ中将。おべっかで昇進したと軍では専ら陰口を叩かれながらも、世間では百戦錬磨の猛将として名の通っている人間である。ビュコックもウランフも、このパストーレの扱いに困っていたのだ。パストーレには1個艦隊を指揮する能力があるとは思えない。かといってそれに代わる人間を勝手に据えるわけにもいかない。もしもに備えてビュコックやウランフがどうにかできるように、3個艦隊の中央に配置したかったが、通常3個艦隊の中央はその艦隊群の司令官がいるべき位置なのだ。よって結局はビュコック艦隊が中央になったわけだが、これがビュコックの作戦運用に陰を落としていたのは紛れもない事実だったろう。例えばアクティヴな迎撃行動に出ようと思っても、意思疎通、十全な連携の期待できない1個艦隊があるだけで、それが叶わないのだ。
 フロルはそれに頭を悩ませる人間のうちの一人であったが、彼の知っている歴史通りに進みつつある第3次ティアマト会戦は始まろうとしていた。正史では、ホーランドの突出をラインハルト艦隊だけが避けて後退を重ねた。それによってホーランド艦隊に対応したのはミュッケンベルガー元帥率いる2個艦隊となったのだ。
 今回は偶然なのか、奇妙にもその形と同じになりつつある。ラインハルト艦隊は一人後方に配され、猛烈な勢いでこちらに向かってくるのはミュッケンベルガー元帥率いる帝国軍2個艦隊だったのだ。
 だがこれをそのまま受け取るほど、フロルは楽観的な軍人ではなかった。戦力の逐次投入はもっとも嫌われるものだ。だがミュッケンベルガー元帥はそれをしようとしている。ミュッケンベルガー元帥とラインハルトとの対立が原作並みに悪化していたとして、ラインハルトを疎むということは十分に予想されたはずだった。だが、これは奇妙に過ぎた。ラインハルト艦隊を捨て駒に単艦隊突撃させるならまだわかる。そこで混乱を同盟にもたらし、それを悠々と蹂躙するとするならば、正しくミュッケンベルガーの考えそうなことだった。事実、フロルの知る正史では第4次ティアマト会戦でそれが行われている。
 だが、今回の陣容では、ラインハルト艦隊だけが安全圏にいる。

「リシャール准将はどう思う」
 アレクサンドル・ビュコック中将が作戦会議室に入ってきたフロルに問いかけた。フロルは一つ頷いて、ビュコックの近くの椅子に座った。フロルはベレー帽を机に置く。手元の端末を操作して、艦隊陣形図をホログラムで表示した。
「問題は、後方の艦隊です。この艦隊は先の第5次イゼルローン要塞攻略戦で我が軍を引っ掻き回したあの司令官の艦隊のようです」
「ああ、あの小賢しい分艦隊か」
「ええ、恐らく」
『その情報は正しいのかね』
 そう問いかけたのは、ディスプレイの向こうから作戦会議に参加しているウランフ中将だった。作戦会議の壁の一面にはディスプレイが並び、第4艦隊、第10艦隊の各艦隊司令及び高級幕僚が参加していた。
「あくまでフェザーンから手に入れた情報です。頭から信じるわけにも行きませんが、我が軍の情報部も恐らく間違いないだろうと」
 ウランフは一瞬目を細めたが、それ以上は言おうとしなかった。恐らく、フロルが情報部に親しいという噂を思い出したのだろうが、それがこの作戦に直接影響しないから、と口にすることを憚ったらしい。
『すると帝国軍が温存しようとしているその艦隊は、敵の精鋭部隊ということでよいのかな?』
 続いて発言したのはパストーレ中将だった。
「精鋭には間違いないでしょう。かの分艦隊司令の指揮は非常に高度であり、またその練度も帝国の標準的なそれとは一線を画すものでした。パストーレ中将も、第5次イゼルローン攻略戦の戦闘詳報はお読みになられたと思いますが?」
 フロルは慇懃に聞き返したが、パストーレはカメラから視線を逸らした。フロルは小さく溜め息をつく。
「するとミュッケンベルガー元帥はこの艦隊を切り札として使おうとしていると考えられるな。問題は、切り札を出すタイミングと、使い方が皆目わからんということだ」
 ビュコックはフロルの淹れた紅茶に口を付けた。さすがにフロルは忙しくなって、以前のように毎度毎度紅茶を淹れることはできなくなっていた。だが、作戦会議の前には景気付けの意味も込めて淹れることが通例になっていた。
『2個艦隊が我が軍を引きつけ、機を見てその精鋭部隊を叩きつけるのでは?』
 パストーレの発言一つで、会議室の張り詰めた空気が弛緩した。もっとも、それは空気が和んだとか、そういった善良な類のものではなかった。明らかに、拍子抜けの類のものである。
『……パストーレ中将、我が軍は3個艦隊、敵2個艦隊で、正面からぶつかれば、数の上で我が軍が圧倒的に優勢だ。どう間違っても敵に勝機はない。我が軍は兵力を集中し、指揮権の統一にも問題もなく、武器弾薬の補給も、兵の休息も万全で、士気も高い。その上で、正面衝突して勝つというのはそれこそ帝国が新兵器でも持ち出してこなければ、話にならんよ』
 ウランフは口に笑みすら浮かべながらそう言ったが、フロルはウランフの顳かみの血管が浮き出ていることに気が付いていた。
『では、帝国が新兵器を開発としたという可能性が——』
「兵力の分散を避けるという観点からしても、本来ならばこの艦隊運用は帝国が取るはずもありません」
 フロルは口早にパストーレの発言を遮った。本来なら、上官の言葉を遮るのは叱責を受けても不思議ではなかったが、たった一名を除き不思議には思わなかったのだ。画面の端でフィッシャー准将が何かを諦めたように首を振ったのが見えた。
「ならばあの艦隊はただの囮なのではないか?」
 ビュコックはホログラムに浮かぶラインハルト艦隊を睨みながら言った。
『ただの張りぼてだと?』
「兵力が少ないのをデコイでごまかしている……」
 ありうるだろうか。
『かの艦隊が今回の遠征を離れたということは聞かない。戦力は互角だと考えるべきだろう』
 ウランフが眉をひそめながら言った。
「問題は、これ以上策を練るほどの時間が、我々に残されていないということじゃろうな」
 ビュコックが腕時計に目をやった。フロルの端末で表示された両軍の有効射程距離までの残量時間は、既に30分を切っていた。
「……念のため、艦隊全方面に偵察を出します。何か、あるかもしれない」
 ビュコックはフロルに頷いてみせた。ウランフも、そして遅れてパストーレも許可の頷きを返した。このことが、この会戦を左右する判断であったことに彼らはまだ気づいていなかった。


 艦橋に上がったビュコックは静かに艦隊司令の席に腰を下ろした。フロルもまた、その横に立つ。手に持った端末で、徐々に届けられ始めた偵察情報に目を通し始めていた。
「前方、120光秒に敵2個艦隊! ミュッケンベルガー艦隊およびシュターデン艦隊です!」
 通信兵が叫んだ。 
「艦型から旗艦の判別は付くか?」
「現在解析中です!」
「このままだと、正面衝突になりますね」
 フロルの言葉に、ビュコックは黙ったままだった。

 1710時、両軍の衝突は数の差こそあれ、平凡なものだったろう。数の上で勝負にならないはずの帝国軍も、その士気は高く、そして強靭だった。それはフロルの想像を超えたものだった。帝国は遠路を突破し、この会戦に望んでいる。兵の疲労もあるだろうに、それを感じさせない攻撃であった。
 同盟もまた、砲撃とミサイル攻撃を敵艦隊に集中させ、その勢いを挫かんとしている。足並みを揃えた3個艦隊の密集隊形の火力は、熾烈を極めた。
 だがそれも段々と帝国が押されるように推移し始める。当然の結果だった。
「第4、第10両艦隊に伝達! 両翼を前進させ、もって帝国軍の半包囲を行動目標とせよ!」
 ビュコックの新たな指令があったのは、1740時のことである。 
 これはいわば定石と言っても過言ではなかった。今回の同盟軍の目標は帝国を撤退に追い込むことである。ある程度の被害を与えるために、半包囲による大打撃を狙わんとしたのだ。もっとも、退路を塞ぐほどの戦力があるわけではない。全滅は元から無理だったが、それでも少なくない被害を与えようとしていたである。
「情報特務艦は後方の艦隊を捕捉したか?」
 高度に発達した情報戦電子戦は戦場を旧来の形に戻している。通信技術が奇形的に発達した一時期を除き、艦隊戦は非常に原始的、つまり肉眼での伝達が基礎となっていた。情報特務艦とはそういった中でもレーダーなどの通信技術を特化させた戦艦であり、武装が少ない代わりに装甲に重きを置いたものだった。
「い、いえ! 敵艦隊は我が艦隊と一定の距離を保ち、こちらの捕捉範囲に入ろうとしません!」
 フロルはずっと考えていた。帝国軍の徹底的なまでに綿密な偵察衛星の破壊、同盟電子網の妨害、そして決して近づこうとしないラインハルト艦隊……。
 その時、フロルは気づいた。そして顔を上げた瞬間、その通信が入ったのだった。



***



——さすが、同盟において名将と謳われるだけはある。
 グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー元帥は胸を張って威風堂々としたまま、矢継早に指令を飛ばし続けていたが、内心では感嘆の思いを抱いていた。
 帝国2個艦隊を同盟3個艦隊と正面からぶつけて、既に30分を迎えようとしていた。この30分、もしこの帝国2個艦隊を指揮するのがミュッケンベルガーほどの男でなければ、早々に戦列は瓦解していたことであろう。
 それほどまでに、苛烈な砲撃を同盟はこちらに加えてきている。同盟の攻撃は単純であった。こちらの宇宙母艦や中級指揮艦を見つけると、徹底的に火力を集中させているのである。それは非情なまでの火力の集中、と言うべきだった。いったいどのような戦艦が、300もの中性子砲と300のミサイルによる一点攻撃を防ぎうるであろうか。敵に捕捉されるやいなや、それらの艦は一瞬で爆散していた。おかげで、ミュッケンベルガーはそれらの艦を最前線から一つ引いた場所に置くことを余儀なくされていた。本来現場の士気を円滑にするためには、中級の指揮艦は可能なかぎり前線にいた方が有機的に行動できるはずなのだ。だが、同盟の徹底した排除により、末端における艦隊運動に支障を来すのは明らかだったからである。
 さらにこちらの指揮系統が混乱したところに、一気に攻撃を加える、機を読むに長けた敵の艦隊運動。高度な技術によって、同盟指揮官の伝達する指令が末端まで行き届いているのが、ミュッケンベルガーの側からも見て取れた。
「だが、こちらも馬鹿ではないということを、見せてやろうではないか」
 ミュッケンベルガーはディスプレイに表示されたデジタル数字を見て嗤った。
 それはラインハルト艦隊の強襲予定時間を指し示していた。



***



「偵察部隊より入電! 右翼より約1万の艦隊接近す!」
「なんだと!」
 悪態を吐いたのは誰だったのか、それがわかる前に艦橋は困惑の声で満ちた。フロルはすぐに現状を認識した。ラインハルト艦隊は、饒回進撃をして、こちらの右翼を突くつもりなのだ。つまり、あの後ろにいた1個艦隊は——。
「第10艦隊に連絡! 足の速い駆逐艦でもって敵艦隊後方のデコイを潰せ!」
「リシャール准将、やはりあれはデコイだったか」
 ビュコックの予想は正しかった。だが、フロルに問いかけたビュコックの顔は、見極めきれなかったことを後悔するかのように、小さく歪んでいた。
「ええ、でも偵察部隊を出していたおかげで、完全な奇襲は避けられそうです。——右翼の敵艦隊との会敵予想時刻は!」
 フロルは通信兵に問いかけた。ヘッドホンを押さえて、キーボードを猛烈な勢いで叩いていた通信兵が、エンターキーを押した。
「距離は60光秒! 残り10分です!」
 フロルは頭を働かせる。この時間では第4艦隊が迎撃するしか、選択肢はなかった。だが、現在同盟軍は3個艦隊全体で帝国2個艦隊を攻撃している。熾烈な死の応酬の中で、1個艦隊を転進させるのは、容易なことではなかった。
「第4艦隊に伝達じゃ。後方に下がりつつ、右舷回頭。敵、精《・》鋭《・》部《・》隊《・》からの攻撃に備えろ、とな」
 ビュコックは余裕すら感じさせる笑みを浮かべ、そう言った。通信兵がすぐにそれを復唱し、通信機にしがみつく。
「では第10艦隊と我が艦隊が——」
「——困難であろうが、ここで挟撃をされるのは防がねばならん」
 ビュコックはゆっくりと立ち上がった。それに気付いた者が、皆彼に目をやった。
「 第5艦隊及び第10艦隊はこれより前方の帝国軍へ徹底的な攻撃をしかける! ここよりこの戦いは防衛戦ではないと考えよ! ここで押し切って、我が軍は初めてこの戦いで勝ちを得るのだ、とな!」
 年齢を感じさせぬ大声だった。艦橋は一瞬の沈黙が支配し、次の瞬間には兵の呼応する声で溢れかえった。
 にやり、と笑って再び指揮席に座るビュコックを見て、フロルは内心のざわめきを抑えきれなかった。これが、同盟最高の老将なのだ、と実感していたのだ。敵の急襲に浮き足立った艦隊の雰囲気が、あの大声一つで一気に変わるのを、フロルは感じていたのである。
——大した爺さんだ。

 1800時、戦局が大きく変わった。




















 
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