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【旧】銀英伝 異伝、フロル・リシャール

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X'masパーティーはいかが?


X'masパーティーはいかが?

 クリスマス・イヴ。
 その日、フロルとカリンとキャゼルヌ夫人はフロルの新宅に集まっていた。フロルは准将に昇進したので、家が新しくなったのだ。ヤンのようなめんどくさがりは、いつまで経っても少佐時代に与えられた官舎に住んでいるようだが、フロルはもらえるものはもらっておく主義だった。広くなった家は客を十何人呼んでも充分な広さある。ちなみに場所は同じE《エコー》地区。ヤンの家、マルガレータの家、キャゼルヌの家から近いままだった。
 カリンとフロルはクリスマス・ケーキを作り、キャゼルヌ夫人はメインディッシュを作っている。フロルも手伝いを買って出ているが、キャゼルヌ夫人の手際の良さの前には大した役には立っていない。ターキーの丸焼きなど、パーティーの準備は着々と進んでいた。


 一番最初に到着したのは意外にもユリアン・ヤンのペアだった。どうやらユリアンが出不精のヤンを無理やり引っ張ってきたようである。家に着くなり、ユリアンはカリンに手伝いを申し出て、断られていた。

「ヤン、早いじゃないか」
 フロルはホイップクリームを泡立てながら、居間に入って来たヤンに声をかける。やることがないユリアンは、フロルに断ってからティーセットを持ち出してヤンのためにお茶を入れているようだった。
「ユリアンが遅れない方がいいって言ってね」

 ヤンはベージュのチノパンに青いワイシャツ、その上黒にカーディガンを着込んでいた。どこから見ても、軍人には見えない。どこからどう見ても学者というところだった。もっとも、まだ見られる格好なのは、これでもユリアンに窘められたということだろう。
 ちなみに、カリンはフロルがクリスマス用に買って上げたドレスを来ている。白とピンクが、フリルで溶け合った可愛らしいドレス。今はエプロンをして作業しているが、天使のように可愛らしい。
 フロルはというと、チノパンに白いワイシャツ、タイにジャケットだったが、今はワイシャツの腕を捲って、料理中である。

「それにしても、まだ1時間半あるぞ」
「ユリアンが言うらしいことには、私が時間通りに行こうとすると、2時間は遅れることになるから、だそうです」
 フロルがユリアンに目をやると、片目を瞬かせた。ウィンクではない。きっと、黙っているように、というジェスチャーだろう。ユリアンは、自分がカリンに気があることを、フロルに気付かれていると思っているのだ。
「ユリアンもなかなかカッコいいじゃないか」
「ええ、私よりもずっとね」
「やめてくださいよ。フロルさん」
 彼は恥ずかしそうに笑ったが、亜麻色の髪を持った美少年の正装は映えるものがあった。カリンに会うため、気を引き締めて来たのだろう。


 パーティー開始時刻の30分前にやって来たのは、イヴリンだった。
「フロル、お久しぶり」
「三日前に会ったばかりじゃないか」
「でも充分、久しいでしょ?」
 フロルは思わず笑いを零した。思えば、現代日本でクリスマスと言えば恋人と二人きりで過ごすこと言ったのである。今年はみんなで祝っているのだから、来年はイヴリンと二人きりで過ごしたい、と思っているフロルだった。
「料理はどう?」
「キャゼルヌ夫人が凄いよ」
「お菓子は?」
「カリンと俺の力作」
「それは期待できるわね」
 イヴリンはそういうと舌なめずりをする。官能的な唇。一瞬、フロルは違うことを思い出し、軽く頭を横に振った。横を見ると、ケーキを作る手を止めて、カリンがフロルをじと目で見ている。苦笑いをしながら、フロルはイヴリンのおでこに軽くキスをした。イヴリンも料理班の邪魔にならないように、居間でユリアンの相手でもするようだった。


 午後7時5分前、というところでアッテンボロー、キャゼルヌが現れた。キャゼルヌは赤ん坊の次女、クリスティーナを背負い、右手にシャルロットと手を繋いでの登場である。4歳になるシャルロットは、これはこれで非常に可愛らしい。ユリアンによく懐いているようで、ユリアンも頭を撫でてやっていた。アッテンボローはケーキのホイップをつまみ食いしようとして、カリンに怒られている。みんな、思い思いに寛いでいるようだった。


 そして招待状に載せた時刻、午後7時にマルガレータと、自称叔父が現れた。当然といえば当然であるが、似ていない二人である。フロルはパーティーの参加者に二人を紹介した。マルガレータがカリンのクラスメートであること。帝国からの亡命者であること。男性は彼女の叔父であること。ベンドリングは最初、恐縮していたようだったが、フロルの言葉に打ち解けたような表情をしていた。かつて情報部にいたとは思えない、善人である。バグダッシュとは偉い違いだった。


 そして午後7時5分、集まったみんながシャンパングラスを持ち、カリンとマルガレータ、シャルロットとユリアンにシャンメリー、その他大人にシャンパンが注がれたあと、カリンの乾杯の声で、パーティーは始まった。

 料理は思った通り、最高の出来だった。キャゼルヌ夫人が腕によりをかけて作っただけはあって、どれも美味しいの一言である。前から夫人の料理は家庭料理の極致に達しかけていたのだが、フロルという自分よりも上手の菓子職人の登場によって、より料理研究が進んだようだった。その味は既に市販のレベルを逸脱し、有名料理店並みになりつつある。料理が目当てでやって来たアッテンボローなどは、凄い勢いで食べていた。

 女性陣に人気だったのは、もちろんカリンとフロルのクリスマスケーキだった。ただのホールケーキではなく、色々なケーキを面白く配置して、雪の振る森の中の小屋と愛犬エリィを表現している。これが二人の力作だった。小屋にはミルフィーユ、木輪には細いバウムクーヘンなど、手が込んでいること凄まじい。味は保証済みだったが、見事すぎて手が付けにくいということだった。
 もっとも、切り込むのを躊躇している女性陣に気付かず、ヤンがそれを思い切り崩したせいで、一時的にヤンが四面楚歌になっていたが、それもヤンらしいと言えばヤンらしいだろう。カリンも、自分の作った料理が皆に喜ばれていることを、とても喜んでいるようだった。





 そんな時、フロルはこっそりとミスター・バウムガルデンを呼び出した。キッチンの料理を運ぶのを手伝って欲しい、と言ってキッチンに誘い出したのだった。フロルは今日の午前うちに、バグダッシュの協力も得て、マルガレータの亡命記録を手に入れていた。つまり、彼がかつてのベンドリング少佐——今は中佐——であることも、既に知っていたのである。フロルはその上で、ベンドリングに頼みたいことがあったのだ。

「ベンドリング中佐」
 彼は捨てて来た名を呼ばれたことに驚いたようだった。目を見開き、グラスを持つ手に力が入る。
「その名を、どこで知りましたか?」
 フロルと同年代であろう青年は、苦しそうに聞いた。
「私は、情報部に知り合いがいましてね。あなたのことも存じ上げています」

 ベンドリングは、目の前の准将の正体を掴みかねていた。
 昨日、マルガレータさまは嬉しそうに話して下さった。彼女が街中で引ったくりに遭い、それを助けてくれた青年准将。そして彼はお嬢様の御学友の保護者であり、クリスマス・パーティーに誘われた、ということ。彼女にとっても、ベンドリングにとっても、貴族社会に置けるクリスマスのパーティーは単なる社交場の外交機会に過ぎない。だが、同盟でのパーティーは本当に楽しむためのものが多い、というのはマルガレータもベンドリングも認める同盟の美点だった。彼女は同盟に亡命してから初めて人にパーティーを誘われた、と喜んでいた。ベンドリングもせっかく彼女が喜んでいるなら、と参加して来たのだが、そこにこのフロルの話である。

「私はもう亡命した身です。亡命した際に話したこと以上は、知りません」
「いいえ、知っていますよ。アーベンドロード少将から情報士官として巡航艦に乗り込み、あなたが何をしようとしていたか、私は知っている」
「な、なぜそれを!?」
「ヘルクスハイマー伯が同盟に亡命するに当たって、手土産のことを知らせていないと思いますか? 指向性ゼッフル粒子発生装置、あなたがたが追っていたものはそれだ」

 ベンドリング少佐の調書によって作成された公式記録では、ベンドリング少佐はヘルクスハイマー伯の亡命団にもともと乗っており、フェザーンから同盟に亡命の途上、不慮の事故で死亡したヘルクスハイマー伯一家の代わりにマルガレータの後見人を買って出た、ということになっている。だが、裏付けをとらない同盟軍ではない。同盟軍の、それも情報部が策動し、イゼルローン要塞からヘルクスハイマー伯の艦に攻撃をしかけた未確認の帝国巡航艦の存在を突き止めた。フェザーンに残っていた航空記録、ベンドリング少佐という名の将校がフェザーンではなくイゼルローンにいたという事実、そして同時期発生した同盟警邏部隊の相次ぐ未確認敵艦と交戦、破壊。そして決定的だったのは、手土産として持って来る、とヘルクスハイマー伯が言っていたにもかかわらず、不《・》慮《・》の事故で失ったという幻の指向性ゼッフル粒子発生装置の存在。点と点を繋げば、それは線になり、それは次第に形を表し始める。同盟軍情報部も無能ではない。独力でだいたいの真相は探り出していた。もっとも、どの巡航艦がそれを成したか、だけは調べられなかったが、それもフロルは知っていた。

 あの、ラインハルト・フォン・ミューゼルの乗っていた巡航艦だ。

「この2年間、同盟軍の実態を見てきたあなたは少なからず同盟を軽んじられたかもしれない。ですが、無能者ばかりではないのです」
「そのようですね」

 ベンドリングは冷や汗をかきながら悟った。この男はほとんどの事象については知っている。
——もっとも、皇女の秘密までは知っていないだろうが。
 事実を言えば、フロルは知っていた。だが、それを明かせば情報源を探られる。恐らく、帝国すべての国家機密中でも最高レベルの秘密を、同盟の准将が知っているのはさすがにまずいと考え、言わないだけである。

「それで、私に何の話ですか? あなたはほとんどのことを知っているようだ。何を聞きたいのです?」
「私はあなたにお願いが会ったのです。ベンドリング中佐」
 フロルはグラスを置いて、シンクによしかかり、ベンドリングを見つめた。
「私は今、帝国にスパイ網を作り上げようとしています。そのために、あなたの経験と能力をお借りしたい」
 ベンドリングは思わぬ話の展開に驚いたようだった。それもそうだろう。今はただ後方勤務をしている亡命者に、同盟の秘密作戦について語っているのだから。
「私は……もうあのような世界に飽いたのです、リシャール准将」
 ベンドリングはフロルの目線から目を逸らしながら言う。
「私はマルガレータさまと一緒に、……いや、マルガレータと一緒に同盟で平穏に暮らしていきたいと、そう思っているのです。もう、私をあのような世界に引き込まないで下さい」
「ではなぜあなたは軍人をしているのですか?」
「……私は男爵家の三男でした。そして軍人として帝国の碌を食んでいた者です。私は軍人以外の職を知らない。マルガレータを食わせていくには、仕方がないのです」

 ベンドリングは苦しそうに言った。軍をやめると言っても、職業軍人の転職は難しい。それが貴族の三男として育って来た者なら、なおさらだろう。だが、フロルはここでもう一押しすることにした。フロルも、簡単には引けないのである。

「私は、このままでは同盟が滅びると思っています」
「滅びる!?」
「ええ、帝国軍は若年層が凄まじい勢いで育って来ている。同盟の軍事的人材はここ数年の戦いで急速に失われている。社会機構についてもそうです。戦争の継続の弊害が、社会のそこかしこで起き始めている。人為的ミスが多発するのは、社会の基盤になるはずの壮年層が戦争にとられているからです。そういった政治的な問題も大きいですが、それに、私は一人、怖い男がいるのですよ、ベンドリング中佐」
 ベンドリングは視線をフロルに戻した。フロルは、右胸を触っていた。
「私はね、ベンドリング中佐、今年の始めに死にかけたんですよ。ヴァンフリート4=2基地の戦いでね。そして、同じ男に、同盟軍はここ数度負け続けている。私はあの男が怖いのです——」


——ラインハルト・フォン・ミューゼルという男が。


 フロルの言葉は、ベンドリングの心臓を鷲掴みにしたようだった。
「私はラインハルト・フォン・ミューゼルに、この右胸を撃ち抜かれたのですよ。私はカリンを残して死ぬところだった。あの時の恐怖! そして第6次イゼルローン攻略戦で、活躍した敵の小艦隊、あれもミューゼル中将のものだ」
 ベンドリングが恐怖の色を瞳に強くした。フロルの言葉に、彼はかつてのラインハルトとの出逢いを思い出しているのだろう。あの鋭敏極まる天才児が、同盟を滅ぼす……。
 それは悪夢にも似た直感だった。ありうる、とベンドリングは思ってしまったのだ。ありえない、という理性の声を捩じ伏せて、その考えは産声を上げた。

「私はカリンのために、いや、守るべき人たちのためにこの命をかけるつもりです。そのためには、負けるわけには、いかないんです。ベンドリング中佐」
 今、ベンドリングの目には力強いものが広がり始めていた。それはかつて、帝国のためにと巡航艦ヘーシュリッヒ・エンチェンに乗り込んでいた時、持ち合わせていたであろう、軍人として矜持と本能だった。フロルの言葉は、強烈な恐怖とともに、彼にそれを思い起こさせつつあった。
「だから、ベンドリング中佐、あなたにお願いしたいのです」
「……わかりました。私の及ぶ範囲で、微力を尽くさせて頂きます」

 フロルはその言葉を望んでいた。そして、それを手に入れた。かつて情報部として帝国中枢にいたベンドリングの協力は、フロルとバグダッシュが根付かせている情報網に大きな発展をもたらすに違いない。フロルはベンドリングの経験はもちろんのこと、能力も買っていたのである。来る日のために、フロルは着々と、その準備を進めていたのであった。
 こうして、人知れず、パーティーの裏側では、密談が実を結んだ。





 グリーンヒル父娘がフロル宅に現れたのは、午後7時30分のことである。パーティーが始まって30分、軍人であるヤンやキャゼルヌ、アッテンボロー、イヴリンなどは酷く驚いていたようだったが、グリーンヒル大将自身が、
「今日は無礼講だ。気にせずやってくれ」
と言ったことで、一応の落ち着きを取り戻した。もっとも、みながフロルを睨んでいたが、それを気にするフロルではない。
 それよりも艶やかであったのはフレデリカ・グリーンヒルであった。見事なドレスを着こなした、今年士官学校を次席卒業の才女が、明らかに緊張しているのである。フロルは微笑ましくてたまらなかった。父であるグリーンヒル大将も知らないだろうが、フロルはそれが意中の人と再会することへの緊張だとわかったからである。

「フレデリカ・グリーンヒル少尉です。今日は、呼んで頂き、あ、ありがとうございます、リシャール准将」
「フロル・リシャール准将だ。だが、そんな緊張しないでいい。今日はただのプレイベートなパーティーだから。肩肘を張らずに、楽しんで欲しい」

 フロルは代表して言ったが、フレデリカの控えめなナイトドレスは彼女の清純さを見事に魅力的なものにしていた。イヴリンほどの色気はないが、若々しい雌鹿を思い起こさせるような活発な魅力があった。
 アッテンボローは軽くその美貌に驚いていたが、肝心のヤンは軽く目を開いただけで、記憶を発掘した様子もない。

 その微妙な空気を敏感に嗅ぎ取ったのはキャゼルヌ夫人であった。彼女はフレデリカに話しかけ、ケーキをよそって上げたのである。フレデリカもヤンとの再会という一大事から、一度息をつくために、それに手を伸ばし、その美味しさに驚いていた。美味しいものを食べる時の表情が、フロルは好きだった。彼が前世、パテシィエを目指したのも、人の喜ぶ顔が見たいからだったのだ……。

「なぁに、見とれてんの?」
 そんなフロルに擦り寄って来たのはイヴリンである。フロルが見ると、頬を軽く膨らませている。フロルは苦笑した。
「そんなことはないよ、彼女にはお相手が決まっているしね」
「あら、本当?」

 イヴリンはその声に嘘がないことを聞き取って、すぐに笑顔に転じた。フロルにしてみれば、イヴリンをおいて浮気などできる気がしない。する気が起きないほど、イヴリンが魅力的だというのもあるが、浮気をした時のイヴリンの反応が怖いのだ。彼女は、男への恨みで数万人を死に追いやろうとした女性なのだから……。
 だが、その嫉妬や独占欲も、自分に向けられたものならば愛しくて仕方がなかった。フロルはイヴリンを部屋の影に抱き寄せると、情熱的な接吻を交わした。

「どうしたの? 急に」
「いや、可愛いな、と思って」
「まったく……」
 カリンはフレデリカに可愛らしく自己紹介をしている。マルガレータはのっそりと居間に入って来たシェットランド・シープドックのエリィの可愛さにハートを奪われたようだった。その頭を撫でている。ヤンはキャゼルヌからフレデリカの美貌についての感想を求められ、困ったように頭をかいている。アッテンボローはシャルロットとクリスティーナに変な顔を見せて笑わせていた。ユリアンは緊張しながらも、グリーンヒルと和やかに話している。ベンドリングはマルガレータの幸せな笑顔に、いくらか満足したような顔だった。

 今、この瞬間の幸せを実感するように、フロルは腕の中のイヴリンを抱きしめた。






 少しの後、大方の食料が消費され、皆の主食がデザートとティーとコーヒーに移行した頃、フロルはドワイト・グリーンヒルを伴ってバルコニーに出ていた。12月の空は冷え込んで、息は白く曇っていたが、酒の火照った熱さを冷やすには、ちょうど良いものだった。

「今夜は来て下さって、ありがとうございます」
 フロルが最初に口を開いた。
 グリーンヒルは手に持ったコーヒーのマグカップを持ちながら、それに頷く。
「実を言うとな、リシャール准将、私は来る気がなかった」
 グリーンヒルは口を斜めにしながら言った。なぜかなかなかマグカップに口をつけない。
「猫舌でね」
 訝しげなフロルの視線に答えるように、グリーンヒルが言う。
「それでは、どうして?」
「君が娘に招待状を送っただろう? なぜ、娘にも招待状を出した?」
「グリーンヒル大将閣下一人では、こういったプライベートなパーティーに来にくいと思いました」
「まぁそうだろう。私も、一人だったら来なかったに違いない。だが、娘に強く薦められてね。普段はパーティーを避けて通るような娘が、だ。私すら置いて行きかねない勢いだった。いったい、君は何をしたんだ?」

 フレデリカは、ただ一つ、ヤンの傍にいることだけを願って、今までの青春を軍事に捧げている。言わば仕事人間なわけで、趣味もまともに持ってないだろう。料理の腕だって大したものではなかったはずだ。色事にも無関心だった彼女が、急にこんなパーティーに来たがれば、グリーンヒルが不安に思うのも仕方がないだろう。グリーンヒル大将との関係改善と、フレデリカの宿願成就を一石二鳥で願ったが、それが裏目に出たかもしれなかった。
 だから、フロルはここでグリーンヒルに事情を話すことにした。
 だが、問題は言い方である。

「お嬢さん……、フレデリカさんには彼氏がいませんよね?」
「おまえに娘はやらんッ!」

 この場合、フロルの切り出し方は最悪に近いものだった。

「いや……私にはイヴリン・ドールトンという女性がいますから……来年中に求婚しますし」
「あ……、いや、それはすまん……」
 一気に逆上したグリーンヒルはすぐに、落ち着きを取り戻したようだった。
「私が言っていたのは、お嬢さんはヤンと顔見知りじゃないか、ということですよ」
「……どういうことだ?」
「彼はエル・ファシルの英雄です。今では、そんなことを覚えている人間も減りましたが、それでも彼の元には毎週束になってラブレターが来るそうです。まぁ、そんなミーハーな輩はさておき、お嬢さんの場合はもっと直接的にヤンに命を救われている。ヤンもまぁ、欠点の多い男ですが、悪い奴じゃあない。閣下の下で使ってみて、ヤンという男はどうでしたか?」

 グリーンヒルはフロルの言葉に考え込んでいたようだったが、フロルの問いにはすぐに答えた。
「近年の知り合った将校の中では、一番有能な男かもしれない、と思っている」
「それは随分、高評価ですね」

 フロルは苦笑した。原作では、第6次イゼルローン攻略戦の末期、ヤンは|操作卓《コンソール》に脚を投げ出して不貞寝していたために、グリーンヒルの信用を失うはずだったが、フロルの忠告のおかげでそうならずに済んだらしい。

「まぁ、軍人らしくはないし、お世辞にも勤勉とは言えないが、ね」
 グリーンヒルは釣られたように苦笑した。彼も『むだ飯食らいのヤン』が全くの虚称ではないことを知っているのだろう。
「それは多めに見てやって下さい。あいつはもともと、歴史学者になりたかったんですよ」
「歴史学者? それがなぜ軍人に?」
「あいつの父が急逝して、遺産もなくなったヤンは、ただで歴史を学べる同盟軍士官学校戦史研究科に入学したんです。そこからが彼の不運でね。やりたくもない人殺しを、させられている」
「人殺しか」

 軍隊は、どんなに言葉で装飾しても、人殺しの集団である。何かを守るために、人を殺す。日々有事に備えて教練に励む軍人は、毎日を人殺しの予行演習に注ぎ込んでいるようなものなのだ。

「ヤンは賢いから、それに気付いている。そして苦しんでいる。彼の不真面目な態度は、そのせいなんです。皮肉なもんだ。あいつほど、軍事的才能に溢れる男はいないのに、本人がそれを心底嫌っているんだから」
「リシャール准将がそこまで言うのか」
「言いますよ。私なんて、ヤンに比べればゴミみたいなもんです。ヤンは天才だ。きっと、この宇宙で一番のね」

 グリーンヒルはフロルの言葉に驚いていた。自身も、多少なりとも認めるようになったヤン・ウェンリーという男を、このフロルはいったいどこまで信頼しているのだろうかと。人間として信用し切れないところもある、と考えていたが、グリーンヒルはグリーンヒルでフロル・リシャールの有能性も認めていたのだ。その彼が、ここまで全面的にヤンを認めることは、グリーンヒルにとっては意外だったのだ。

「それはさておき、お嬢さんがもしかしたらヤンに再会したいのではないか、いやいやもしかしたら、お嬢さんもヤン・ファンクラブの会員なのではないか、と愚考した次第ですよ」
「ふむ……、まぁあれと私の死んだ家内はヤンに感謝していたからな。あの時の軍部は、明らかにヤンを英雄に祭り上げようとしていたが、救われた300万市民は事実、英雄視していただろう。まぁ、娘がファンであることには疑問を投げかけるがね」
「すると、今日集まった面々の中に、お嬢さんの知的好奇心をくすぐる相手がいたわけですね。アッテンボローはそもそも知らないだろうし、キャゼルヌは既婚者ですし、もしかして私に興味があったのかな?」
「……だとしたら悪夢だ」
 フロルは思わず噴き出した。グリーンヒルも、小さく笑う。
 ひとしきり笑ったあと、二人は室内に戻った。グリーンヒルは娘の恋心について、少なくとも意識するようになったはずだった。今はそれで充分だ、とフロルは考えていた。二人の再会は二年も早まった。切っ掛けは上々である。





 パーティーのお開きは早かった。子供達もいる、ということで、9時半には終わりにしたのだ。フロルとカリンはこの時のためにとっておいたお持ち帰り用のケーキを各家庭に手渡したのである。一番喜んでいたのはキャゼルヌ家のシャルロットだったろう。ユリアンはカリンからケーキを渡され、顔を赤らめながらお礼を言っていた。
 グリーンヒル家にも、ケーキは渡る。フロルは、緊張したような、ほっとしたような顔のフレデリカに近づいた。どうやら、多少はヤンとも話せたようだった。顔の感情の端に、満足が見えた。

「フレデリカさん」
「あ、リシャール准将」
「フロル、でいいですよ」
「……ありがとうございます」

 フレデリカはフロル・リシャールという男を、注意深く観察していた。父からは、注意しなければならない男、と言われていたのである。だが、今日のパーティーでは、終始人の良い笑みを浮かべ、子供たちにも優しく接していた。ケーキも美味しかった。そこまでの危険人物には思えなかったのだ。

「ヤンとは、話せましたか?」
 だがその評価はこの一言で一変した。フレデリカは頬が赤くなることを自覚する。
「な、なんのことですか?」
「ヤンのこと、好きなんでしょう?」
 フロルは優しく笑いかけたが、フレデリカには恐怖を感じさせる笑みだった。
「わ、私は別に——」
「こう見えても、女性の機微には鋭いんです。私以外は気付いていないようですけど、私にはわかります」

 これはフロルの大嘘というものであった。フロルは周りの女性全員から、鈍感と言われる朴念仁なのである。だが、付き合いの短いフレデリカがそれに気付くはずもない。フレデリカは本当に、フロルはそういう男なのだ、と信じた。
 フレデリカは一つ深呼吸をする。諦めたのだ。

「……わかりますか」
「ええ、そりゃあね」
 フロルはカリンの作ったケーキをフレデリカに渡す。
「カリンの入魂作です。お家でどうぞ」
「ありがとうございます」
「フレデリカさん、もし、よかったら、また家に遊びに来て下さい。カリンもフレデリカさんを気に入ったようだし、それに、あなたは良い人そうだ」
「はぁ」
「あなたを呼ぶ時は、必ずヤンも呼びますから」
「……ありがとうございます」
「あいつはしぶといですよ。それに輪をかけて鈍感だ。でも大丈夫。あなたに落ちない男はいない。だから、頑張ってください」

 フレデリカは奇妙な気持ちで、フロルの言葉を聞いていた。
(なぜ、私は励まされているのだろう)
 そんな根本的な疑問を感じつつも、その提案が非常に魅力的であることも実感していた。それに、フロルに下心がないことも、パーティーでイヴリンと話した時に知っていた。
(フロル・リシャールという男は、本当に私を応援しているのではないか?)
 聡明で鳴らした彼女にしては珍しく、やや混乱した頭のまま、フロル宅を辞することになったのである。





「今日は、楽しかったかい?」
 フロルは眠くなってソファーに横になっていたカリンのすぐ横に座って、そう問いかけた。微かに目を開けたカリンは、自分の頭を優しく撫でているのが、フロルであることに気付くと、そのまま撫でられるがままにして、目を瞑った。そして小さく頷く。

「明日は、ビュコック夫妻にカリンのケーキを届けに行こう。だから、今夜はもう寝よう」
「うん」

 カリンは幸せだった。彼女の人生で、これだけ賑やかで、幸せで、明るいクリスマスイヴは初めてだった。そのなんと幸せなことだろうか。そして、それをもたらしてくれたのが、フロルであることも気付いていた。

「フロルさん」
「ん?」
「ありがとう」
「……カリンが幸せなら、俺も幸せだよ」
「うん」
「さぁ、寝よう。サンタさんが来る前に」
「サンタさん?」
「子供たちが欲しいプレゼントを、子供たちに配って歩くって言われる、伝説のお爺さん」
「じゃあ私にはフロルさんがサンタね」
「俺はお爺さんじゃないけどね」
「うん、だけどサンタさんみたい」
「そうかい」
「うん」
「さあ、おやすみ」
「う……ん……」
「いい、夢を」

——ありがとう。
——幸せを私にくれて。
——ありがとう……フロルさん……。




















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※訂正※
ヤンとキャゼルヌ→ヤンはキャゼルヌ
 
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