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【旧】銀英伝 異伝、フロル・リシャール

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第6次イゼルローン攻略戦(3)


第6次イゼルローン攻略戦(3)

 リューネブルクと|薔薇の騎士《ローゼンリッター》との決別がなされたあとも、第6次イゼルローン要塞攻略戦の戦況は混乱の一途を辿っていた。

「もしかすると、このまま戦況が停滞して、年を越してしまうかもしれんぞ」

 そう危惧する者もいたが、辛うじて、それは避けられそうであった。

 12月6日、同盟軍は大変な苦労をしながら、混戦域の外縁で全艦隊を再編し、挟撃態勢を巧みに整えることに成功したのである。これは作戦参謀ヤン・ウェンリー大佐の功績であった。普段は『むだ飯食らいのヤン』『穀潰しのヤン』と呼ばれる彼は、時としてどこからか戦争の神が舞い降りて、彼に他者を驚歎させる作戦案を与えるのだ、などと囁かれていた。エル・ファシルがいい例であり、そして今回もまた、どうやら降臨したという次第であった。

 だが、それも参謀長であるドワイト・グリーンヒル大将がそれを認めたからである。参謀長の指示によって、同盟軍は、イゼルローン要塞の右側——回廊の同盟側出入口方面から見て右側ということである——に艦隊を再構築し、三度の集中された方かによって、敵に大きな損害を与え、、雷神《トゥール》のハンマー正面宙域に敵を押し込んだのだ。更に左側面からの機動的な波状攻撃を加え、過去24時間を超える損害をわずか2時間で敵に与えたのである。


 フロルはその時、総司令部の旗艦アイアースの上の人であった。彼は呼び出しを食らったのである。
 フロルがヤンを見つけたのは、食堂においてであった。
 ヤンは後方参謀としてアイアースに乗っているキャゼルヌ大佐、中破して現在突貫修理中である駆逐艦、エルムⅢ号の艦長、アッテンボロー少佐と共に、優雅なお茶の時間を過ごしているようだった。士官学校時代の悪友が一同に会した形となる。一人いないのは、ラップだけだった。

「よう、ヤン。偉いな、仕事したそうじゃないか?」
「フロル先輩」

 最初に気付いたのはアッテンボローだった。食堂に入って来た彼に気付いて、手を挙げている。
「アッテンボロー、修理に立ち会わなくていいのか?」
「修理は私の仕事じゃありません。技術兵の担当です。俺がいても、ハエみたいに回りを飛び回るしかないですからね。むしろ邪魔にならないように、ここで大人しくしてるんです」
 物は言い様である。

「キャゼルヌ先輩、補給の方はどうです? 年を越せますか?」
 フロルはアッテンボローの隣り、ヤンの向かいに座り、斜め前に座っているキャゼルヌに話しかけた。挨拶の意味でキャゼルヌは軽く上げた手で、そのまま頭をかいた。
「いや、いいです」
 フロルは肩を竦めた。言葉を聞かなくとも、キャゼルヌの顔を見れば当然というところであった。彼は苦虫を何匹か噛み締めたような顔であり、その顔には疲労が色濃く残っていた。

「フロル先輩は、なんだってこんなところにいるんです?」
 これはヤンの問いであった。フロルも実は、自分がここに来ている理由がわからない。彼は当初、第5艦隊の分艦隊参謀長に過ぎなかったのだが、ロボス元帥によって呼び出されていたのである。彼には心当たりはない。ただ、楽な仕事を任されるとも思えなかった。
 その事情を語ると、ヤンは何かを思い出したような顔をする。

「なんだ、おまえ、なんでだかわかるのか?」
「先輩は、ホーランド少将が戦死したと聞きましたか?」

 ホーランドが死んだ?
 フロルは思わず叫びそうになるのを、ぐっと堪えた。ホーランドは確か、第3次ティアマト会戦で独断行動をとった挙げ句、ラインハルトにやられて戦死するはずである。それが少将のうちに死ぬとは、歴史から外れた話だった。

「知らなかったみたいですね」
 ヤンはフロルの顔からそれを読み取って、一口、手に持ったマグカップから紅茶を飲んだ。もっともまともな味でなかったらしく、眉間に一瞬皺がよる。自分で紅茶を入れたようだ。
「ミサイル艦部隊を率いてたんですが、あの1700隻の艦隊に殲滅されたそうです」
「ヤンも、あの艦隊はロボス元帥の言うところの”小賢しい敵”だと思うか?」
「ええ、あれだけの才を持った将官が何人もいると思いません。何人も入れば、我々は今頃、冥界の門をくぐっているでしょうね」

 キャゼルヌは既に聞いていたようだったが、アッテンボローはその言葉に驚いたようであった。あの敵の脅威を正しく認識していた者は少なかったのである。そしてその少ない中の二人が、このヤンとフロルであった。

 だが一つ、特筆すべきは、ヤンは己の才覚でもってそれを感じ取っていることである。彼はあの卓越した手腕を見せた敵将が同一人物であると感覚的に嗅ぎ付け、そしてそれを断言してみせた。それは一流の将官なければ手に入れられない嗅覚のようなものだったのかもしれない。フロルは自身がそれを有しているのかはわからない。だが、彼は己の分を弁え、危険を避けようとする男である。自然、人よりは鋭いのだった。

「フロル先輩は恐らく敗残兵力、まぁと言ってもホーランド少将が遺していった潰走部隊や、戦場の端々で生まれたそういう部隊の後片付けをさせられるのだと思いますよ?」
 ヤンの言葉にフロルは頭を抱えた。それはつまり、少将の死であぶれた敗残兵の世話を焼かされるということを意味している。

「まぁ、このあとは撤退するだけですから、先輩も無理しなくて済むと思いますよ」
 ヤンはお気楽にそう言ったが、フロルには安心してもいられない。恐らく、ラインハルトが最後の武勲を立てようと、戦場に現れるのではないか、と考えていたからである。

「……それならいいが、ヤン。おまえはあの”小賢しい敵”さんがこのまま大人しく下がってくれると思うのか?」
 フロルは席を立ちながら聞いた。そういうことなら、一刻も早くロボス元帥の元に行き、将兵と艦隊——かりそめの預かりものだが——を掌握せねばならない。彼らと楽しくお茶を飲むという暇もないだろう。それに、考えようによってはこれはチャンスだ。ラインハルトを討つチャンスかもしれないのだ。一秒は一粒の砂金より貴重だった。

「なんだ、もう行くのか?」

 キャゼルヌなどは突然立ち上がったフロルに驚いたようだったが、フロルの真面目な顔を見て、神妙な顔になった。フロルが変に積極的になったり、真面目になるときは、いつも問題事が起きる時なのである。ヤンやキャゼルヌ、アッテンボローなどは、それをフロル独特の第六感か何かだと思っていただろう。
 その時のフロルは、史実よりも少ない艦数でラインハルトがあの無謀な敵中突破をするとは、考えられなかった。つまり、本当にラインハルトが来るのか、理性では来ないと考えていたのである。だが、彼の奥底に眠る何か、言葉に言い表せぬ直感が、彼に危急を告げていた。

「ええ、嫌な予感がするんです」
 フロルはそのまま食堂から出て行こうとした瞬間、振り返ったヤンを見た。ヤンはフロルの言葉を自分の中で考えていたようだが、視線に気付いて顔を上げた。

「なんですか? フロル先輩」
「ヤン、例え戦況がどうにもならなくなっても、艦橋でダラしなくするなよ。いいか、足を机に載っけて眠ろうとしたり、椅子の上であぐらをかいたり、絶対にするな。おまえは大佐だ。大佐は佐官最高位なんだ。人の上に立っている自覚を、忘れるな」

 それだけ言うと、フロルは今度こそ食堂を出て行った。残されたヤンたちは、フロルの真面目な口調と真面目な説教に、思わずお互いの顔を見合わせた。一体、なんなのだろう。あまり人に説教をするのは嫌いな男だったはずだが、フロル・リシャールという男は。だが少なくとも、あと数日間は忘れられぬ珍事になったのである。





 フロルはラザール・ロボス元帥に出頭し、概ねヤンの言った通りの命令を受け取った。また戦場における緊急処置として、野戦任官でフロルは准将になった。野戦任官とは、戦場で指揮官が足らなくなったなどした時に、その場を凌ぐまで一時的上の階級を与える、というものである。つまりその急場を凌げば、元の階級に戻るというものであったが、功を立てればその例ではない。

「貴官のことは、グリーンヒル大将に聞いたのだ、リシャール准将。准将級の者はことごとく己の所属する艦隊の元で艦隊を率いている。大佐階級で一番マシな者を、と聞いた結果、こうなったのだ」

 ロボス元帥は、まるで恩を着せるような言い方でフロルに言ったが、それはフロルにとってはどうでも良かった。それよりも、早く指揮権を確立せねばならない。戦況は刻々と終わりに近づいている。恐らく一隻でも多い艦艇を導入して、この混戦に収拾をつけるのが、ロボスの狙いなのだろう。

「は、謹んで拝命します」
「君は作戦参謀としても優秀だと聞いている。何か、意見はあるかね」

 フロルは話を続けたがるロボスに辟易していたが、同時に意外な印象も受けていた。歴戦の名将という印象である。彼はシトレ元帥と四半世紀に渡ってライバルであり続け、帝国との長きに渡る戦争を生き残って来たのだ。無能であるはずがない。だが、このあと急激にその能力を失うはずだった。だが、その兆候がこのロボス元帥にはない。そこにあるのは、老練な宿将の顔だった。

「……では、謹んで申し上げます。現在、戦況は混戦状態を極めておりますが、同盟、帝国軍ともにその損害は30万人ほど。そろそろ、撤退の頃合いだと小官は考えます」
「……撤退か」

 ロボスは露骨に打算するような顔をしている。フロルはそれにうんざりしながらも、言葉を重ねた。

「敵の要塞主砲を使わせないまま、ここまで善戦したのです。既に戦果としては十分だと小官は思います。撤退するには、この混戦状態のまま要塞主砲の射程外まで敵を引きずり出し——」
「いや、わかった、リシャール准将。貴官の言うことは理に適っている」

 ロボスはフロルの言葉を途中で止めた。フロルは落胆した。恐らくロボスには彼なりの作戦なり戦略があるのだろうが、これ以外に手段はありえない、とフロルは考えていたからである。
「は、ありがとうございます」
「うむ、グリーンヒル大将の言う通りだ。君の手腕に期待する」
 フロルはそれで話が終わりだ、と言わんばかりに勢いよく敬礼をし、総司令官室を飛び出した。ロボスは手元の端末で、作戦参謀のフォーク中佐を呼び出している。





 イゼルローン要塞を出撃した帝国軍の総数二〇〇〇隻ないし二五〇〇隻の部隊が、戦域を斜行して同盟軍の後背に出て、退路を絶つかに見えたのは、12月9日2200時のことであった。敵部隊は進むべき先にいる左右の同盟軍を無視し、ひたすら同盟軍の防御分布が薄い宙点を選定しては、その点を結び線にする作業を、快速でこなしていった。その速さは瞠目に値するものであったろう。同盟軍はこの目障りな敵に注目し、これを捕捉撃滅するという欲求に逆らえなくなっていった。

——眼前の戦術的利益にとらわれて大局を見ない者と、それを凌駕する者との差が、ここに現れた。

 とヤンは考えた。
 同盟軍の指揮官達は、再び現れた”小賢しい敵”を倒そうと、艦首を翻してまで追いかけている。
 2000隻という数は少ない。少なすぎる。敵中を突破することなく、崩壊してしまう可能性があまりにも大きい。よもや功を焦った者の個人プレーなのだろうか。だが、それにしても同盟軍の退路を遮断しようと見せかける戦略的構想、混戦の中を高速で突破していく戦術的洗練の二つは、普通ならざるものである。少数の敵によって、大軍が乱されるという屈辱を上手く利用し、頭に血を上らせて同盟軍を手玉に取っているのだ。同盟軍の統制は急速に乱れつつあった。
 その時、ヤンはフロルの言葉を思い出した。

—— おまえはあの”小賢しい敵”さんがこのまま大人しく下がってくれると思うのか?

 ヤンはその時、戦慄を覚えた。敵将に対して、ではない。フロルに対して、である。フロルはあの時既に、自分と同じことを考えつき、そして恐らくそれをこなすのは、あの狐の艦隊だろうと考えついていたのだ。そしてそれをヤンに指摘していた。

 ヤンはすぐに心理的平衡を取り戻し、作戦案を作り上げた。
「混戦状態のまま、雷神《トゥール》のハンマーの射程外に出て、そこで相互の戦力を引き離し、急速撤退する」
 それはフロルが考えついたものと同じだった。ヤンは彼自身が感心する熱意でもって、総司令部に3度それを提出したが、2度は総司令官によって退けられ、3度目には時機を逸していたのである。





















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※訂正※
リューネベルク→リューネブルク
幕僚長→参謀長
 
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