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【旧】銀英伝 異伝、フロル・リシャール

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後悔と前進


後悔と前進

 帝国軍宇宙艦隊司令長官、ミュッケンベルガー元帥はその日もまた、副官より同盟軍の侵攻を妨害している小部隊の戦果についての報告を受けていた。帝国軍の戦略としては、同盟軍もとい叛乱軍をイゼルローン要塞前面に引きずり込む、というものであったから、この戦果はさして重要なものではない。だが、敵の士気低下や侵攻の遅らせて敵の兵站を圧迫する、というのは戦略的に有効であっため、主に准将から少将が率いる小部隊の出撃を、積極的に肯定していた。

「何? ミューゼル少将の艦隊が逃げ帰って来ただと?」
 いつもの通りの報告の中に混ざった、ラインハルト・フォン・ミューゼル少将率いる艦隊の報告に、ミュッケンベルガーは思わず聞き返していた。
 彼には、ミューゼル艦隊の敗北が俄には信じられなかったのである。ラインハルトの率いる小艦隊はこの半月に渡り、およそ20回もの出撃を続け、そして一方的に戦果を手に入れて来たのである。その艦隊が、艦数を半分に減らされて、要塞に帰還したというのである。彼には、それが意外であった。

 ここで、このグレゴール・フォン・ミュッケンベルガーという男の特徴がある。
 彼は自他ともに認める、帝国貴族である。自分が帝国貴族であるということに矜持を持って、彼はその人生を歩んで来た。だが、彼の拠って立つところは、貴族ではなく軍人であることであった。彼は自分を軍人として認識しており、幼き頃士官学校を首席で卒業してから、それは薄れることを知らなかった。彼は軍人として帝国において出世し、そして尊敬を得て来たのである。
 彼が帝国の宇宙艦隊司令長官になってから、帝国の領土は保全されている。それは彼が無能でないということの証であった。彼は悪しき帝国貴族の妄執に囚われてはいたが、軍人としての能力は人並み以上にあったのである。で、なければ、人口250億人を有する帝国の、軍事的頂点に立てるわけはない。
 そして、ミュッケンベルガーは、皇帝の寵姫の弟、という理由で異例の出世を遂げているラインハルト・フォン・ミューゼル少将という男を心底嫌っていたが、軍人としては正当に評価していたのである。
 彼が自身の配下にラインハルトを擁していることを知ったのは、ヴァンフリート星域会戦であった。彼はその当時准将であったラインハルトを、取るに足らぬ者として無視して来たが、今回のイゼルローン要塞前哨戦における戦闘記録を聞くにあたって、その認識を改めつつあった。ラインハルトは小規模な戦闘ながら、他の一戦を画する軍事的才力を示していたのだ。艦隊運動の見事さだけではない。戦術的に判断をしても、他の准将・少将とは比べ物にならなかったのだ。

 ミュッケンベルガーはこれを気に入りはしなかった。
 だが、それでも見事、と言わざるを得なかったのだ。

 そのラインハルトが半ば潰走の状態で帰還したのだ。彼はその戦果報告書を手に取って眺めた。そして思わず声を失った。それはどちらに対する驚きであったろう。ミュッケンベルガーは同盟軍と称する叛乱軍が、一定以上の軍事的能力を有しており、それが一時的にもラインハルトのそれを上回ったことを、正確に読み取ったのである。だが、それを挽回したラインハルトの凹面回避運動の、なんと奇抜なことか。ラインハルトでなければ、この包囲網から逃れるのは至難であったろう、と彼は心中で考えた。それは実に気に入らない考えではあったが、それが正しいであろうことも、彼は気付いていたのである。
 ミュッケンベルガーは重々しく彼の副官に、ラインハルト・フォン・ミューゼル少将の出頭を命じさせたのは、それから30分後のことである。



「ラインハルト・フォン・ミューゼル少将、参上致しました」
 ラインハルトはその絢爛な金髪をわずかに揺らし、見事な敬礼をした。その姿をもしも芸術家が見たならば、描写し表現したいと心より望んだであろう芸術的完成度を持っていた。だが無論、それはラインハルトの一側面であり、彼の頭蓋骨の中に込められた能力に比べれば、瑣末なものに過ぎなかった。
「ミューゼル少将。卿は今回の出撃によって、畏れ多くも皇帝陛下より賜った軍艦及び臣民を失うこと甚だしいものである。これについて、卿の弁明を聞こう」
「弁明はありません」
 ラインハルトはその形の良い唇を引き締めて、そう言い切った。
「ほう」ミュッケンベルガーはわずかに目を見開いた。「すると、いかなる処罰にも甘んじると?」
「小官麾下の艦隊が半数もの被害を得たのは、ひとえに小官の無能の成すところであります。部下にはなんの落ち度もありません。そのことは誰よりも小官が理解しております」
「軍人としては見上げた態度であろう」
 ラインハルトは内心、このミュッケンベルガーの言葉に驚いていた。姿ばかりが勇剛な男が、形はどうあれ、自分を認めるような発言をしたからである。彼は帝国において誰よりも革新的な脳髄を秘めていたが、自分に敵する者に対する憎悪や偏見もまた、過剰に持っていた。それは彼の苛烈な性格に由来するものもあったろう。彼の姉が帝国という亡霊に奪われてのち、彼は帝国の貴族を憎み嫌っていたのだ。
「だが、信賞必罰は軍における鉄則である。卿には十日間の謹慎を申し付ける」
 それは軽すぎる罰、というべきであった。ラインハルト自身、オーディンの強制帰還も半ば覚悟していたのである。だが、これは図らずも彼の立場によって与えられた罰であった。彼は己の軍事的才覚によって地位と権力を上り詰めることを求めていたが、彼が望むも望まぬも、彼の立場がそれを大いに補助していたのは紛れもない事実であったのである。それほど、寵姫の弟というのは、特別なものだったのである。ミュッケンベルガーはもう少し大きな罰を望んだが、下手に罰を与えて皇帝の不興を買うというのは、この程度のことでは避けたかったのだ。
 ラインハルトはそれに無知であるほど、若くはなかった。彼は一瞬後その事情に思い当たり、奥歯を噛み締めながらも、敬礼して総司令官室を出たのである。


「ラインハルト様」
 総司令官室の前で待っていたのは、ジークフリード・キルヒアイス大尉だった。彼はラインハルトが元帥より召喚されたのを心配し、部屋の前で待っていた。これは過保護、というべきものだったかもしれないが、彼ら二人の絆を持ってすれば当然の行動であったろう。
「キルヒアイス、俺は驕り昂った無能者だ!」
 それはラインハルトの血を吐くような自嘲だった。キルヒアイスはその瞳の放つ激情の強さに、かける言葉がない。ラインハルトはこのようなことを言うのは、今までほとんどなかったのである。かといって、ただ慰めても意味がないだろう。ラインハルトは一瞬であれ、叛乱軍によって完全な罠に陥れられ、その結果艦隊の半数を失ったのだから。
「ラインハルトさま」
「キルヒアイス、俺は戦士でなく、猟人の気分になっていたようだ。相手にも武器があり、戦意があり、用兵技術があるのを忘れていた。それにしても叛乱軍にも、よくできる奴がいる。完全に、俺の動きを読まれていた」
「ですが、そのような人物が多くいるとも思えません」
「そうさ、たった一人かもしれん。だが、一人だろうと、幾人だろうと、叛乱軍の指揮官にやられるようで、どうやって宇宙を手にすることができるか!」
 遠い将来、これは覇気と烈気に富んだ帝王の発言として、賞賛されることになるかもしれない。だが、帝国暦四八五年一二月の時点において、これは一八歳の若者の、誇大妄想に近い空疎な歎きにすぎなかったであろう。それが空中楼閣でないことを、ジークフリード・キルヒアイスだけが知っていた。
「ラインハルトさま、無為に敗れ去ったのではありません。敗北の淵を知ったのです」
 ラインハルトは傍らに控える赤毛の親友に、思わず目をやった。
「人は常に勝ち続けることはできません。それは能力の限界だからではなく、人間だからです。勝ち続ける人間も、時には絶望の縁に立つことがあるでしょう」
「……それが今回だというのか」
「ラインハルト様は負けませんでした」
 キルヒアイスは強く言葉を言った。
「あの状況下で3倍以上の敵に囲まれようとして、見事それを脱出なさりました。ラインハルト様は艦隊の半数を失いましたが、ラインハルト様でなければもう半数の将兵も今頃はヴァルハラに旅立っていたでしょう。ラインハルト様、失った将兵の犠牲を、無駄にしてはなりません。何よりもラインハルト様になくてはならぬ経験になったはずです。ラインハルト様に足りないのは、経験だけ。これを糧をなせばよいのです」
「本当に、そう思うか?」
「はい、心から」
「そうだな、そう思うことにしよう。俺は今まで味わったことのない敗北の香りを嗅いだ。この屈辱を忘れなければ、二度とこのような愚かなことはしない。済んだことを悔やむのは、俺らしくもないものな」
「ええ、ラインハルト様には似合いません」
 二人は視線を合わせて笑い、こうしてラインハルトは、心理的再建を果たしたのである。強固な意志と、今までは持ち合わせていなかった慎重さを獲得して……。




              ******




 ワルター・フォン・シェーンコップ大佐が、第5艦隊チェン分艦隊旗艦ネストールに姿を現したのは、宇宙暦794年11月31日のことであった。
 彼が連隊長を務める|薔薇の騎士《ローゼンリッター》連隊は、この艦隊の陸戦部隊として、今回の第6次イゼルローン要塞攻略戦に参加している。今回の彼の目的は、前の前の隊長であるヘルマン・フォン・リューネブルクを殺すことであった。差し当たって、彼には連隊の指揮権こそあったが、出撃は本隊の許可が必要であった。本来ならば、帝国軍の亡命者で作られた|薔薇の騎士《ローゼンリッター》連隊はその勇名と風評によって忌避されるものだったが、第5艦隊には戦友とも呼べる男がいたので、今までになく立場が良かった。シェーンコップが本部に対して送る要望——特に物資や設備に関連するものが多かったが——は、今までにない速度と真摯さによって叶えられていた。おおよそ、参謀長のおかげであろう。

「ワルター・フォン・シェーンコップ大佐、参上つかまつりました」
 シェーンコップは参謀長室に入ると、それらしく礼をしてみせた。もっとも、入った瞬間、フロルの顔に只ならぬ色を見いだしていたのが、いきなりそれを問いただす了見は持ち合わせていなかった。
「ああ、シェーンコップ大佐、お疲れさま」
「リシャール大佐、我が艦隊ももうそろそろイゼルローン要塞の前に来るでしょうな。それでお願いがあって来たのですが」
「うーん、いや、わかっている」
 フロルは眉間を抑えながら、椅子の背もたれによしかかった。
「ほぅ、小官の考えがお分かりになられると?」

 シェーンコップは目を細めていた。このフロル・リシャール大佐という男、今年のヴァンフリート4=2での戦いでも、先日の艦隊戦においても、なかなかどうして辣腕を奮っている。その戦略眼、用兵技術は他ではちょっと見られないものだ、と彼は考えていたのである。

「どうせ、強襲揚陸艦で突撃したいというんだろう? それで、いちいちリューネブルクにラブコールを送る、そんなところじゃないかな?」
「なるほど、フロルにはお見通しというわけか」

 フロルはこの時28歳、対してシェーンコップは30歳を迎えていたが、彼らの間に上下関係はほとんどないと言ってよかった。階級はともに大佐。フロルはシェーンコップの陸戦能力に全幅の信頼と尊敬をしていたし、シェーンコップもまた、フロルの軍人としての有能さを認めていた。当初こそ、互いに名字であったが、シェーンコップは既にフロルをファーストネームで呼び捨てであったし、フロルもシェーンコップを呼び捨てにすることが多い。

「シェーンコップの考えそうなことだ」
 フロルはそこで鼻から息を漏らした。呆れている、というのではないだろう。むしろその剛胆さに言葉がない、というところだった。
「それで、認めて下さりますかな?」
「それを考えていた」
 フロルは軍帽を脱ぐと、両手で弄び始める。
「シェーンコップはリューネブルクを殺したい」
「ええ、もちろんね」
「だが、俺は殺したくない」

 シェーンコップはフロルの言葉に思わずぎょっとした。シェーンコップはフロルという男を知っていた。人間として甘いところのある男だったが、軍人としての職務は果たす男である。必要があれば、男であろうと女であろうと、敵兵を殺せる男だとも知っていた。その彼が、一度は彼を死地に追いやった張本人を殺したくないと言うのだ。

「……どうやら小官には存じ上げぬ事情があるようですな。いったい、なんだってあの男を生かしておきたいんですかな?」
 シェーンコップは動揺を皮肉で包んでフロルに投げつけた。
「リューネブルクは怖い男だ。君たちから話を聞いていてわかったよ。あれは触れれば触れるほど、毒になる。敵に回すと、非常に厄介な男だ。有能なだけではない、あの性格も非常に嫌らしいね」
 フロルはシェーンコップを半ば睨みつけるようにしながら、顔だけは穏やかに言う。シェーンコップもふてぶてしい笑みを浮かべて、それを見つめ返す。
「だが、毒だ。そしてその毒は、まず何より帝国に先に回るだろう。あの男は敵としてよりも、味方に持つのが避けたくなる男だ。帝国側で生きていれば、きっと帝国を中から蝕んで行くだろう」
「では、やめろと?」
「だが、それでは君たちの気持ちが収まらないだろう? それに、リューネブルクに一言言ってやりたいのは、俺も一緒だ。だから、出撃は許可する。ただし、俺も部隊に同行する。そしてリューネブルクと戦ってもいい。だが、殺さないでくれ。手足の一本切り落とすのはいいが、殺しちゃあいけない」

 シェーンコップは幾ばくかの沈黙を口の中で転がし、考えた。確かに、あの男は帝国にいる限り、帝国の害となるだろう。そしてあの男の人間性からして、俺が殺さなくとも、いつか惨めな死に方をするに違いない。
 そこまで考えてシェーンコップは心中で笑った。フロルは下手をすれば、シェーンコップよりも残酷なのではないか、と思ったのである。フロルはリューネブルクと帝国軍中枢との不和を見抜いている。彼はリューネブルクに名誉の戦死を与えず、帝国軍の中ですり潰してやれ、と言っているようなものなのだ。どちらが残酷か、言うまでもない。

「……フロルも、いい加減、いい性格をしているものだ。だが、ここで逃して、あとで同盟に大いなる災いをもたらすとも限らないと思うが?」
「あの程度の男に構ってられるか。それにシェーンコップ、俺はおまえの方があの男よりも強いと信じているんだ。例えここで倒さなくとも、いつか将来の戦場であっても、おまえは勝つよ。俺が保障してやる」
「まったく、大言壮語というべきか、大した自信だな」
(だが、悪くない)
「物資など、出撃に必要なものと用意は惜しまない。好き勝手に遊んでいい。最初は俺が付いて行く必要はないだろう。三日くらいしたら俺も連隊に同行する。チュン少将にもお願いしておく」
 そこでフロルは大きくにやりと笑った。それはまるで子供が悪戯を思いついた時に浮かべるような、純粋で残酷な笑みだった。
「|薔薇の騎士《ローゼンリッター》ここにあり、帝国軍に思い知らせてやれ」
「言うまでもない」
 シェーンコップは、自分もまた、似たような笑みを浮かべて、右手に戦斧《トマホーク》の重みを思い出していた。


 12月1日、同盟軍はいよいよ要塞目前にまで進出。第6次イゼルローン要塞攻略戦は本戦に突入した。そして|薔薇の騎士《ローゼンリッター》連隊は、戦場の各所でその力を大いに奮うことになる。




















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※訂正※
帝国軍総司令官→帝国軍宇宙艦隊司令長官
軍艦隊→艦隊
 
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