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【旧】銀英伝 異伝、フロル・リシャール

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秋の空の回想


秋の空の回想

「眠いなぁ……」

 フロル・リシャールは士官学校近くの、ハイネセン音楽学校の、それも音楽室の外で寝そべりながら、そう呟いた。
 この時間、本当ならば戦史の授業のだが、彼はそれをさぼってこの音楽学校くんだりまでやって来ているのである。誰も音楽学校に潜入せよ、という任務を受けているわけではない。ハイネセンの空は青く、高く、もうすぐやってくる冬を迎えるように、晴れやかな秋の空であった。
 
音楽室から軽やかに聞こえてくるピアノの音はベートーヴェンだったかモーツァルトだったか。前世よりクラシックが好きな彼だったが、なぜか固有名詞を覚えるのは苦手だったのである。

 フロル・リシャールは転生者である。

 つまり、前世の記憶がある。

 いや、そもそも今のフロルの状態が転生、と呼べるかは定かではない。なぜならフロルが転生したのは、あの銀河英雄伝説の世界だったからである。彼の記憶が劣化していないのであれば、銀河英雄伝説とは彼の前世にて人気であったSF小説だったはずである。彼はその愛読者であり、アニメのファンであり、ともかくつまりは大好きな物語だったのである。

 彼は前世では、相沢優一という青年だった。日本人である。
 彼の死は唐突だった。バイトからの帰宅途中、交通事故に遭ったのである。トラックに当たったその瞬間、全身に疾った痛み、衝撃は今もありありと思い出せる。
 あ、死んだな、と思った。
 あっけないものである。
 まさか24まで生きてきて、こんな簡単に死んでしまうとは思ってなかった。

 そして次の瞬間、彼は転生してたのである。

 痛みが引いたと思ったら、目の前に知らぬ外国人の男女が二人、こちらを覗き込んでいた。誰だろう、と思ったのは、当然の話だろう。まったく見たこともない人間が、どうやら病院で、こちらを見ていたのだから。もし交通事故に遭って一命を取り留めたのであれば、本来その二人は相沢優一の両親であるべきなのだ。だが、そういうわけでもない。

「おお! フロルが目を開けたぞ、アンナ!」
「なんて可愛いのかしら……見て、この目、レイモンにそっくりよ」
「ああ、この口なんてアンナそっくりじゃないか」

 フロル? アンナ? レイモン? 誰だ?
 しかもそれは英語だったのである。ますます心当たりがない。

「ああ、あ〜ああ?(あれ、どなた?)」 
 だが私の声もまた、なぜか発音できなかったのだ。私は自分の手を見た、体を見た、そしてそれは赤ん坊の体だったのである。


 そして私は気付いた。
 俺は生まれ変わったのだ、と。

 俺は新たな両親の元、民主主義の国、自由惑星同盟で生まれ育った。銀河帝国に生まれるよりは幸せだったのかもしれない。俺は両親の愛情を受けて幸福な日々を過ごした。
 だが精神年齢24歳におかげでマせた子供、という評価は常に俺につきまとった。それは致し方ない。もっとも、大した問題も起こさず、多少大人びた、変わった言動をしながらも、すくすくと育つ俺に、両親は本当に良くしてくれた。

 いや、こんな言い方は卑屈だろう。
 俺も父レイモン、母アンナを愛している。
 そう、もう一人の両親として。
 本当に大切な、家族である。


 そんな俺がハイネセンの国立大学ではなく士官学校に入学する、と二人に告げた時の彼らの動揺と言ったらなかった。正直、二人には未だに申し訳ない気持ちがある。自分の可愛い一人息子が軍人になると言ったのだから。だが俺は二人を必死に説得して、士官学校に入学した。

 なぜなら、自分のいた世界が銀河英雄伝説の世界だからである。
 俺は個人的に、軍隊とか国家主義とか、そういう規律でがんじがらめに縛って、人のために自己犠牲、なんて考えは大嫌いだ。虫酸が走ると言ってもいい。高校時代、悪友だったフェザーン人、ボリフ・コーネフと仲良くなった由縁でもある。
 
 だが、それでも、ここは銀英伝の世界なのだ。
 
 今はまだ無名のヤン・ウェンリー、ラインハルト・フォン・ローエングラム——今はまだミューゼルだが——が名を馳せ、銀河の勢力図を一変させることを、彼は知っていたのだ。もっともこれは前世の、それもフィクションの話なのだが自分の持っている記憶すべてが、この世界はまさにあの世界だと告げていた。
 同盟軍の将軍にビュコック将軍がいて、グリーンヒル将軍がいて、帝国にはミュッケンベルガー元帥がいるのだ。
 

 だから、俺はこの世界を精一杯生きてやると決めた。

 このチートな知識を使って、自分の才能と技量で生きてやろうと決めたのである。

 そしてもう一つ、その目的があった。
 ヤン・ウェンリーだ。

 俺は前世で、自他ともに認めるヤンのファンだった。小説でもアニメでも、ヤンが暗殺されたときには、号泣したものだ。だから、俺はこの世界でそれを阻止する。例え俺の命を引き換えにしても、俺はそれを止める、そう決めたのである。



「まーた、こんなとこで寝てるの? 不良士官候補生さん?」
 目を開けると、音楽室の窓からジェシカ・エドワーズがこちらを見下ろしていた。

「やぁジェシカ、今日はいい天気だと思わないかい?」
「そうね。素敵な秋の空だわ。それにしてもなんだってフロル・リシャール先輩が士官学校でなくて、この音楽学校で時間を潰してるのかしら?」

「今日の午後の授業は戦史研究だけでね、つまらんから抜け出してきた。まぁあとでヤンにでも聞けばいいさ。ヤンに教わる方が、あのよぼよぼの教官に聞くよりマシってもんだぜ」
「まったく、こうなると可哀想なのはヤンね」
「最近二人と会ってるのか?」
「ええ、二人とも軍人にしとくにはもったいない好男子だもの」
「おいおい、俺はどうなんだ?」
「先輩はよくも悪くも先輩でしかないもの」
「酷い言われ様だな」
「ねぇ、先輩」
「なんだ?」
「今度、喫茶店でも行かない?」
「……レディのお誘いを断るのは俺の主義じゃないが、ご遠慮させて頂くよ」
「まったく……」
(なぜか私の誘いを受けたことないんだから)

 ジェシカの言葉は、口を出ることなく、飲み込まれて、消えた。

























 
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