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【旧】銀英伝 異伝、フロル・リシャール

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ビュコック提督


ビュコック提督

「そこのお若いの、紅茶を頼む」
「提督、私はもう26ですよ。それに作戦参謀の職務に、提督の紅茶を用意する、というのはありましたか?」
「いいではないか、どうせ君だって飲むのだろう、リシャール少佐」

 フロル・リシャールは小さく溜め息をついた。このなかなか食えない老提督に対してである。

「まぁ、いいですけどね。……といつも私が折れてる気がするのは気のせいですか、ビュコック提督」
「若者は年寄りに尽くすものだよ」

 フロルは給湯室にまで歩いて行って、紅茶を入れる。シロン星での2年弱、暇を持て余していた時に紅茶の入れ方を本場で習ったのであった。コーヒーはエスプレッソ・マシーンがあるおかげで、大した手間もなくまずまず美味しいコーヒーが飲める。だが紅茶に関するならば、それはコーヒー以上に難しいのであった。紅茶に関するなら、それはかのミンツ大尉がプロフェッショナルというべきであった。そのレベルにはまだ辿り着くべくもない。されども茶葉と軟水とティーポットによって、ヤンを唸らせる程度のものは、フロルにも入れることができるようになったのである。


                ******



 アレクサンドル・ビュコック少将とフロル・リシャール少佐の出会いは平凡なものであった。つまり一艦隊を率いている老提督と、複数人いる作戦参謀の中の一人としての出会いである。ただそこにフロルなりの心遣いがあったとすれば、それは着任の翌日、おみやげを持って提督の家に挨拶に行ったことにあるだろう。
 始め、家にフロルが来たと聞いたビュコックは眉をひそめた。昨日着任の挨拶をした新米の男が、わざわざ休日の家にまで訪れたからである。手には紙袋。その時彼の頭によぎったのは、フロル・リシャールなる男はかつてパストーレの懐刀として名を上げた男だったこと、パストーレは政治家との暗い噂があるということだった。もしかしたらこれは、何かしらの懐柔の手段なのではないか。老いても明晰な頭脳を持っている提督は、そこまで考えたのだ。
 だが、わざわざ礼をもって家に来た少佐を、玄関先であしらうのも器量が疑われる。いや、こんなちょこざいな24歳の少佐の相手など、彼にとっては容易いことだと考えたのであろう。

「リシャール少佐、わざわざ儂のような老骨の家にやって来るとは物好きじゃな」
「は、恐縮です」

 フロル・リシャールの礼は尽くされていた。ビュコックもその裏を読み切るまではできなかったが、彼を居間に通した。むろん、そこにはビュコックと長く連れ添って来た妻がいたのだが、彼はその妻に目をもって居間から離れるように言った。以心伝心の彼女も、お茶を出してから姿を隠そうとしていた。
 だがそこに、フロルは無神経にも声をかけたのである。いや、それは意識された無神経というべきだったのかもしれない。

「ビュコック夫人、お初にお目にかかります。フロル・リシャール少佐です。よろしければ、こちらをどうぞ」
 と言って手に持っていた紙袋を差し出したのである。
「あら、それは……ありがとう」
 横でそれを凝視している夫に目を向けながら、恐る恐る手を伸ばした彼女は、その袋の意外な軽さに驚いた。中を見ていると、そこには袋一杯にパッキングされた紅茶の茶葉が入っていたのである。
「あの……、小官の前の任地先がシロンでして……、よろしければどうぞもらってやって下さい。お土産用にハイネセンに持ち帰ったのですが、少々多く持ち帰りすぎまして」
「まぁまぁそれはご親切に」
 老婦人はそう言って柔らかに笑う。フロルは、そこに幸せな人生を送って来た者の笑顔を見たような気がした。
「少佐もなかなか気が利くようじゃがな、それだけかね、用件は」
「あ、いえ、違います」
 ビュコックは身構えた。本題が来た、と思ったのである。
 だが、彼の予想はまたも裏切られる。
「その袋の中に、私が作ったアールグレイのシフォンケーキがあるんですが……」
 フロルはまるで今まで大切に隠して来た宝物を見つけられた子供のように、恥ずかしげに頭をかいた。
「ご一緒にいかがです?」


「ふむ……」
 ビュコックは考えていた。この男はいったい何をしに来たのだろうと。突然、儂のような男のうちにやって来たかと思えば、紅茶の茶葉と手作りの驚くように美味しいケーキを一緒にどうかと薦めて来た。そして本題に入るかと思えば、儂の妻と一緒にどうでもよいような話題で談笑しておる。いったい……何の目的があるのだろうか。
 そしてビュコック夫人がキッチンに戻った時、フロルは改めてビュコックに向かった。

「提督、私は士官学校を出ました。閣下とは違い、人並み以上に昇進が早いという自覚はあります。はじめパストーレ少将のもとで数年を過ごしました。なぜか迷惑な話で、政治家とのつながりがあるという噂まで立てられましたが……困ったものです」
「ふむ……少佐は政治に興味はないと?」
「率直に言わせて頂きます。彼らは私に恩を売ったつもりで昇進を与えましたが、私は彼らにそれを頼んだことは一度もなく、そしてそのために何かをしたこともありません」
「すると、君は政治家との繋がりはないのかね」
「繋がりにはいくつかの種類があります。自分から積極的に持とうとして持つ繋がりと、しょうがなくできてしまった繋がりです。そして私の場合は後者でしょう。上官がラウロ・パストーレになってしまった、ただそれだけです」
「そうかね。では尋ねるが、貴官は現在の同盟をどう思う」
「非常に不味い状況、だと思います」
 フロルは言葉を選びながら、そう言った。
「同盟と帝国は既に数百年、戦争を続けて来ました。そして我が同盟の社会構造は歪みを拡大し続けて来ました」
「君は帝国を滅ぼすべき、と思うかね」
「私は、同盟を絶やしてはならない、と思っています」

 フロルの視線が鋭くなった。ビュコックの問いの意味を理解したからである。

「我々同盟の市民は、この長過ぎる戦争状態によって本来の意味を失っています。私たちの祖先は帝国による自由を奪われた生活を手に入れるため、このハイネセンまで長い旅を続けて来た。そして苦難の果てに手に入れた自由を守るため、帝国と戦って来た。だが、現状はどうですか。同盟と帝国の戦争によって、自由や生活などよりも何より大切にしなければならない命を浪費し、そのせいで社会構造は歪み、ひいては生活にまで影響を与えている。我々は個人の自由を手に入れるために、いや守り抜くために戦っているのであって、国家のために命をすり潰すために生まれて来たのではないのです。確かに自由も民主主義も私は心より賛同申し上げる。ですが、そのために命を浪費し、それによって国家の存続を図っている政治家どもなど、私にとっては忌避すべき対象でこそあり、親しみ擦り寄る対象ではございません」
「……偉く饒舌じゃな。貴官がそこまでよく喋る男とは思わなんだ」
「私は口下手なのです、提督。だからこそこんな言葉を重ねに重ね、伝えたいことを伝えようとしているのです」

 ビュコックはこの青年の人柄がわかってくるようだった。この男はあくまで民主主義のために戦っていながら、誰よりもその兵士のためを思っている。同盟市民を守るために同盟軍が存在し、兵士がそこに所属している。だが、その兵士もまた、一市民であることをこの男は忘れていないのだ。

「提督、なぜ政治家が、先生、と呼ばれるかご存知ですか?」
「ふむ……、儂がどう思っているかは別にして、ほとんど政治家どもは偉いからだ、とでも思っているだろうな」
「政治家とは、自分の欲や望みを捨て、国民が平穏で幸せな生活を送るために、国家を動かす人物を言います。例え国民の望みがAであっても、国民が将来に渡って平和に暮らせるためならBを選択できる、いやそこまでの視野や思いやりをもって国を動かせる非情の者を指すのです。そのために自分の生活を顧みない者を、尊敬するがための尊称です。私はこのような政治家を、浅学ながら少ししか存じ上げません。そして、そうでもない輩に尻尾を振るほど、私は浅はかな矜持を持ち合わせてはいないのです」

 ビュコックは悟った。この男は自分が政治家との癒着でもって昇進を喜ぶような男である、と儂に思われたくないからここに来たのだと。恐らくこの男は理解しているのだろう。それを示そうにも、それは誠意でしかなしえぬことを。だからここに来た。儂もまた戦争の愚かさを知りながら、戦争をして来た老人だからこそ、今の政治に暗い思いを抱いているであろうことを知っていたから。

(この男は、それを示しにきたのか。わざわざ手作りのケーキまでこさえて)

 そう考えると、随分愛嬌のある人物ではないか。ビュコックは小さく笑った。
 昨日の着任の時には、士官学校出のエリートとしか見えなかったが、ずいぶんと気を回す男らしい。案外、いい拾い物だったのかもしれぬ。それに妻もお土産を喜んでいる。それに免じて、多少は可愛がってもいいのではないか。

「少佐、もう良い。わかった、貴官の言いたいことは理解したよ」
「恐縮です」
 フロルは素直に頭を下げた。
「まぁ今日は時間も遅い。良かったら夕食を一緒にどうかね?」
「非情にありがたいお申し付けですが、奥様にご迷惑ではないでしょうか」
「なに、君もキッチンで手伝えばいいだけのこと。何か美味いもんでも作ってくれ。ケーキも美味かったことだしな」

 フロルは少し考えると、何かを思いついたように顔を上げた。

「では、シチューを作ってもよろしいですか? 先日、美味しいシチューの作り方を習ったのです」
 そして、フロルは夜遅くにビュコック宅を辞したのである。


            *******


「はい、提督。シロン産アールグレイ、レモンティーです」
「うむ」
 その後、一年半の間に、ビュコックは位をに中将に昇進させ、晴れて第5艦隊の艦隊司令となった。そしてフロルはそこの参謀でありながら、日々ビュコック提督の紅茶を入れる係を、仰せつかっているのである。
 年は宇宙暦792年。ビュコック提督率いる第5艦隊は、アルレスハイム星域に差し掛かろうとしていた。

























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※訂正※
ビュコック提督の階級:中将→少将
ミンツ中尉→ミンツ大尉
 
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