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【旧】銀英伝 異伝、フロル・リシャール

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新たなる任地へ


新たなる任地へ

 フロル・リシャールの新しい赴任地は、シロン星域の守備部隊の幕僚である。

 シロン星というと、同盟の中でも屈指の紅茶生産地。それこそヤンの奴が大好きな紅茶の生産地だ。ここの星の茶葉は、それこそ帝国ですら名が響き渡るほど人気らしい。むろん紅茶も嗜む程度には飲むフロル・リシャールだったが、他の茶葉とはひと味も二味も違うというのが正直なところだった。恐らくこれでアールグレイのシフォンケーキを焼けば、かなり美味しいものができるだろう。

「うん、やっぱあんたのケーキ美味いわ!」

 そのことを目の前のイヴリン・ドールトンに口を滑らせてしまったところ、彼女のために作らされることになったのだった。結果、高いシロン星の紅茶を使って、ふわふわでもちもちなシフォンケーキを作った上、特製のアールグレイクリームで綺麗に包んだ謹製ケーキを、彼女はほくほくの顔で食しているのである。さきほどフロル自身も一口食べたのだが、やはり美味しかった。彼の料理センスはまだ鈍っていないらしい。

 実はこのドールトン中尉の次の任地も、同じシロン星域の守備部隊らしい。そもそもあの日、同じエレベータに乗っていたのは、彼女自身も新たな辞令を受け取るためだったというのが理由だった。彼女も今後出世の道が出てきたというのだから、よほどシロン星域の勤務は待遇がいいということなのだろうか。

「そうでもないわよ」

 イヴリンは一口、そのアールグレイのシフォンケーキを口に運ぶ度に唸っていたが、フロルの独り言に反論した。
「どういうことだ?」
「シロン星の貿易取引が毎年どれくらいになるか知ってる? 同盟に収めている税金だけで星一つの国家予算並みって話。そんだけの金が動く場所なら——」
「汚職やらなにやらてんこもり、って話か」
「そーいうこと」

 イヴリンは唇の横に、アールグレイのホイップを付けて頷く。その姿に何か思うところがあるではなかったが、フロルは無理矢理視線を外して、喫茶店の外から見える街並みを見つめた。
「シロン星域の任務って2週間後。行くまでに一週間くらいかかるから、あと一週間で用意しなくちゃね」
「じゃあここでケーキなんか食ってる場合じゃないだろうが」
「だってあんたが、『アールグレイのシフォンケーキ……悪くない』とか呟いちゃってんだもの! あんたのあの凶悪なケーキの虜になった私にしてみれば、食べずにはいられない。いや、死んでも食べなきゃいけない気持ちになるってもんよ」
 フロルは一人、静かに溜め息をついた。
 あの一件以来、何かとこのイヴリン・ドールトンはフロルに付きまとってくるのだった。彼女曰く「次の赴任地が一緒なんだから、よろしくやりましょうよ」ということだったが、彼にしてみれば面倒がまた舞い込んだだけ、という話だろう。彼は正直なところ、原作同様彼女がヤンを巻き込んで船ごと自殺を図る、というのをやめさせたかっただけで、本来はそれ以上の意味はなかったのだ。もっとも、彼女が思った以上に美人だったので、多少の下心がなかったかと言えば、彼は正直言葉に詰まるだろうが。

「それで、俺は守備部隊の幕僚だが、ドールトン中尉の役職は?」
「セレブレッゼ司令官の副官だそうよ」
「セレブレッゼ……、それってシンクレア・セレブレッゼ中将か?」
「そうそう、後方勤務のプロフェッショナル。同盟軍の台所が火の車になっててもまだ機能してるのは、彼がいるおかげっていう話。どんだけ数字に強いのかしら。私も一級航海士の国家免許持ってるけど、そんなレベルの計算とは桁が違うんでしょうねぇ」

 セレブレッゼ中将はこの数年後、ヴァンフリート4=2の戦いでラインハルトに捕獲されるはずの人間である。後方勤務としては一級の手腕を持っていながらも、軍事的才覚には乏しい男だったはずだ。もっとも、フロルやヤンのような男にそれをやれ、と言われても無理なので、その手の人間は軍隊が有機的に機能するために必要不可欠な人間と言えよう。その点、フロルやヤンは潔かった。自分にそれが向かないとわかっているので、それが得意な奴に丸投げするのである。むろん、それなりに信任のおける者に頼むのだが、面倒事はできるだけ減らし、自分の数少ない秀でた才覚が発揮できる機会を逃さない。

「ふーん、じゃあキャゼルヌ先輩に話を聞いてみるか……」
「キャゼルヌって、あの後方勤務本部のアレックス・キャゼルヌ中佐? 凄いエリートじゃない?」
 突然出て来た名前に、イヴリンは驚く。
「そうか、イヴリンの三つ上の先輩か」
「あの人凄かったのよ。士官学校在籍中に書いた論文が——」
「その話なら本人から何度も聞いたよ。スカウトに来たって話だろ?」
「そうそう、でもなんであんたがキャゼルヌ先輩の知り合いなのよ」
「あの人、俺が士官学校時代に事務次長としてやって来てね。以後仲良くしてもらってるのさ」

 フロルは肩を竦める。毒舌家で、上に媚びるを良しといないことから中央部よりは煙たがられているが、後輩の面倒見がいい、非常に付き合っていて気持ちのいい男だった。何より彼の卓越した事務処理能力がある限り、彼は出世街道から外れることはないだろう。

「ねぇ、会いに行くの?」
「時は金なりに、だからな。早めに行くつもりだが」
「じゃあ私も一緒に行かせてよ」
 イヴリンはホールケーキをあと2口のところまで食べていた。いつも思うのだが、イヴリンの菓子を食べる速度はとてつもなく早い。

「いや、別に……来る必要はないだろう」
「いいじゃない。この前の話だって、キャゼルヌ中佐が助けてくれたんでしょ?」
「それを言っちゃダメだって。アレは裏で処理したんだから、それを人に言っては」
「……まぁしょうがないわね。でも会いに行かせてよ」
「いや、だから——」
「いいから!」
「……はい」
 いつの間に、私はこんなに女性に弱くなったのだろう。ジェシカ・エドワーズには強気に出れたのだが、もしかしたらイヴリン・ドールトンが年上だからだろうか……。少なくともこれはいい傾向ではない。いつか私が主導権を取り返さねばならないだろう。だが、いったいどうやって? さすがにこの事ばかりはフロルの頭脳をもってしても、まったくいい案が浮かばぬのであった。



「おまえは俺の部屋によく来るが、そんなに俺の部屋が好きなのか、それとも俺が好きなのか」
 キャゼルヌは部屋に入って敬礼した俺に向かってそう言った。フロルとしても最近、頻繁に訪れすぎている気はしているのだ。だが厄介事が起きれば、まずこの頼れる先輩の元にやって来るしかないのだから、それは俺ではなく厄介事に向かって行って欲しいものだ、というところだった。
「後者だったらどうします」
 フロルがふざけて言う。
「気味が悪いからおまえの出入りを禁止させてもらうさ」
「ならば俺のところに厄介事が来るのを禁止してもらいたいですね。俺がここに来るのは俺の自由意思によってではなく、必要に迫られて来ているだけなのですから」
「それで」キャゼルヌはフロルの後ろに立っているイヴリンに目をやった。「そのお嬢さんはどなたかな?」
「イヴリン・ドールトン中尉です」

 彼女はさっきまでの態度が嘘だったかのように猫を被って、軽やかな敬礼をした。

「ほぅ、君がフロルに痴漢されたと言う——」
「キャゼルヌ先輩、あれは誤解だったと、被害届は取り下げられましたよ」
「はい、そのイヴリン・ドールトンです」
「ドールトン中尉!」
「そういえば君の名前は、士官学校時代に聞いた覚えがある。私の後輩だったと思うが、違ったかね?」
「いえ、キャゼルヌ先輩の3つ下でした。中佐の評判は当時より聞き及んでおりました」
「そう面と向かって言われると照れるがね、まぁ二人とも座ってくれ」
 私とフロルは備え付けのソファに座った。キャゼルヌはその正面に座る。
「赴任先が決まったそうだな。シロン星域だってな。セレブレッゼ中将がいるはずだが」
「その話を伺いに来たのです」
「セレブレッゼ中将は押しの弱い人でな、まぁ何かと強い者には巻かれろを地で行っている人だが、基本悪い人ではないだろう」
 フロルはひとまずそれを聞いて安心した。これでまた面倒に巻き込まれるのは勘弁願いたいところなのである。
「タナトス管区内だからな。ヤンの次の任地先は知ってるか」
「ええ、鄙びた捕虜収容所の参事官ですよね」
「え、あんた、あのヤン・ウェンリーとも知り合いなの!?」
「イヴリン、少しその口を閉じろ」
「ははは、フロルもどうやら春が来たみたじゃないか」

 キャゼルヌはフロルとイヴリンの様子を見て何を勘違いしたか、そんなことを言った。フロルも自分を客観視してみて驚いた。確かに、他人から見ればこれはいちゃついているように見えるのではないか、と気付いたからである。それは明らかに不本意な話である。確かにイヴリンは疑いようもない美人だが、このように気の強い女性は願い下げなのだ。

「それはどうでもいいが、キャゼルヌ先輩も結婚するんでしょう?」
「おい、なんでそれを知ってるんだ」
「聞いてますよ。元上官の娘さんでしょう? 綺麗な人と聞いてますよ」
「まったく、おまえさん時たま人を驚かせて、それを楽しむ悪い趣味があるな」

 イヴリンは隣で「残念」と呟いていたが、それに気付いた者はいなかった。

「いつ頃、結婚するんです?」
「来年の2月頃になるだろう」
「わかりました、その時にはハイネセンに戻って来ますよ」
「おいおい、今は10月だぞ。赴任早々帰って来れるのか」
「親の危急とでも言って戻って来ますよ」

 フロルは肩を竦めた。
「あなたのお祝いをしたいわけではないですが、あなたを夫に持つ哀れな女性に労いの言葉をかけてあげたいのでね」
 イヴリンはここで小さく笑った。
「ヤンは閑職に回されたわけだが、俺がどうにかして戻してやろうと思っている」
 キャゼルヌは頭をかきながら言う。
「ええ、そうしてやってください。私は大人しくしてようと思いますよ。まぁあそこは賑わっているだろうから、せいぜい美味しい紅茶のために汗を流しますさ」

 イヴリンも特に話したいことはないようだった。穿った見方をすれば、結婚するとわかったからキャゼルヌへの興味がなくなったのかもしれない。そうだとしたら、いったいなんだってそんなに結婚がしたいのか、という話だが。若くて将来有望な男、という彼女の次のターゲットが、一体誰になるのか。鈍感にしても、無意識の作為であっても、それが自分になるなどとは、フロル・リシャールは考えてもいないのである。


 それから一週間後の10月14日、フロル・リシャール大尉とイヴリン・ドールトン中尉を載せたシャトルは、首都星ハイネセンを旅立った。
























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※訂正※
作戦本部→後方勤務本部
参謀→幕僚
キャゼルヌ中尉→キャゼルヌ中佐
 
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