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船大工

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第五章


第五章

「いえ、ロシア人ですよね」
「そうです」
 大使が彼女に述べた。
「その通りです。私と同じ」
「その訛りで大柄で毛深いとなると」
「心当たりが?」
「あります」
 夫人は真剣な顔で述べてきた。
「確かペーター=イワノフという男がいました」
 彼女はそう二人に語った。
「名前もペーターでしかもロシア訛りで」
「それでは彼ですかな」
「そうなると」
 大使と市長はそれを聞いて述べる。夫人はさらに付け加えてきた。
「しかも大柄で毛深いです」
「間違いないですな」
 大使はそこまで聞いて納得したように頷いてきた。
「彼です」
「それではすぐにも」
「いや、お待ち下さい」
 市長が動こうとするとすぐに大使がそれを止める。
「あまり手荒なことは」
「駄目だというのですか」
「当然です。我がロシアの皇帝陛下ですぞ」
 そう述べて市長を制止するのだ。
「卑しくもモスクワ大公であられビザンツ帝国の正統なる後継者であられます」
「だからですか」
「そうです。断じて手荒なことはなりません」
 そう述べて制止するのであった。
「宜しいですね」
「わかりました。それでは」
 市長は大使に止められて浮かない顔で彼に返す。
「ここは静かに」
「はい。そうして下さい」
「それでは細かいことはですね」
「何処へ?」
 店を後にしようとする市長に対して声をかけた。
「はい。ここで話しては誰に聞かれるかわかったものではありませんからな」
「確かに」
 既にかなり聞かれているがそんなことはどうでもいいようである。
「それでは。私の家に来て下さい」
「わかりました。それではお酒と共に」
 大使は何かついでに飲むつもり満々であった。市長はそんな彼に顔を顰めて返す。
「いえ、飲まれてはお話にならないでしょう」
「いやいや、話は深く酒を楽しんでこそです」
「そうなのですか?」
「ロシアではそうです」
 かなり適当なことを述べる。どちらにしろ飲みたいだけなのである。
「ですから。さあ」
「はあ」
 そんなことを言い合って彼等は去る。それを見届けてペーター達も店を出る。そうしてイワノフとマリーは二人で何処かに行こうとした。ペーターはそんな二人に問うた。
「デートでもするのか」
「あのフランス人が何処にいるかわかったものじゃないしね」
 イワノフは怪訝な顔でペーターにそう答える。
「だから」
「わかったよ。それじゃあな」
「うん。じゃあ」
「ペーターさん、また」
「ではまた、お嬢さん」
 ペーターは気品よくマリーにそう返す。
「それでは」
「うん、また」
 こうして彼等は店の外で別れる。ペーターは一人になるがそこにまた一人やって来た。観ればやけに派手でみらびやかな貴族の服を着て金髪の鬘に化粧をして黒い目の顔をにやにやさせた男がやって来た。一目で何か何処の人間かわかりそうであった。
「おや、ここに」
 彼は辺りを見回しながら気取った動作でペーターの側に来た。
「マドモアゼル=マリーがおられたのですが」
「マリーはとは誰か知らないが一人のお嬢さんがあっちに行ったぞ」
 ペーターはそう言ってイワノフとマリーが行った方の全く逆を指差した。
「あっちにな」
「そうなのか。ではあちらへ」
「うん。行った方がいいな」
「しかし貴方は」
 ここでフランス人はペーターについてあることに気付いた。
「どうにもこうにもフランス語がお上手で」
「そうかな」
「いえ、しかもその気品」
 彼はここで持ち前の勘のよさを出してきた。どうやらペーターの国の大使より余程外交官として優れているようである。フランスは外交が上手い国なのは伝統である。実に高慢で鼻持ちならず、敵もそれこそ世界中にいるが外交能力が高くて助かっている。
「貴方が皇帝陛下ですね」
「むっ」
 ペーターはその言葉に目を鋭くさせてきた。
「ロシアの。違いますか?」
「そういう貴殿も只のフランス貴族ではないな」
「否定はしません」
 彼もにこやかに笑ってペーターに返す。
「私はフランス大使シャトーヌフ。爵位は侯爵です」
「シャトーヌフ侯爵か。覚えておこう」
 ペーターはそれを聞いて述べる。
「わしの心の中だけでな」
「では私も」
 侯爵はペーターがこれを秘密にしておくと申し出たのでそれに合わせてきた。
「そうしましょう。しかし」
「ここでは何だ」
 話し合いの場を変えることにした。
「他で。じっくりとな」
「はい。それでは」
 こうして二人は立ち去り酒場の前は誰もいなくなった。何やら面白そうに話が進んでいた。
 それから数日後。夫人の息子が結婚したので船大工達と船乗り達が大きな酒場を借り切って盛大に飲み食いをしていた。宴である。
「いやあ全く」
「めでたいことで」
 彼等はそう言い合いながら酒を楽しむ。その中にはペーターこと皇帝とイワノフもいる。皇帝は上機嫌で木の杯の中のワインやビールを飲み焼肉を手で掴んで口の中に入れていた。それを見て誰も彼がロシアの皇帝であるとは思わない。
「夫人に乾杯!」
 皇帝は上機嫌で杯を掲げる。
「その御子息にも乾杯しよう」
「そうだそうだ」
「ペーターさんもいいことを言うね」
「何であろうとも酒が飲めるのはいいことだ」
 皇帝は上機嫌で仲間達にそう述べる。
「だからこそ皆も」
「そうだな」
「盛大に飲もう」
「マリー、君もな」
 イワノフはここで隣の席に座っているマリーに声をかける。大柄で荒くれ者の男達の間で座っていた。
 船に携わる者達が上機嫌でやっていると。そこに海軍士官に変装したフランス大使がやって来た。その服装はやはりフランスのものであった。
「フランス軍か?」
「何に来たのかね」
「おお、皆さん楽しくやっておられますな」
 侯爵は芝居がかった動作でいきなり言葉を発した。
「これはこれは」
「それはいいが」
「あんた、ここはオランダの船乗りの場所だぜ」
 彼等は侯爵が化けている士官を不審な目で見ながら声をかけてきた。
 
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