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蒼き夢の果てに

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第4章 聖痕
  第44話 水の精霊

 
前書き
 第44話を更新します。
 

 
 モンモランシーの言葉に甘えて、今晩は彼女の実家に宿を借りる事となった、俺とタバサ。

 それで夕食に関しては、このハルケギニア世界の基本的な食材を使用した物だった筈なのですが、何故か、俺の舌は物足りなさを感じる事は有りませんでした。

 もっとも、これは想定内の事象に過ぎないのですが。

 何故ならば、モンモランシーの継いで来ている魔法の系譜が、ウィッチ・クラフトでしたからね。
 彼女の扱うウィッチ・クラフトが、地球世界の魔法……ウィッチ・クラフトと呼ばれる魔法と同じ種類の魔法だと仮定するのならば、その内容には家事一般も含まれます。
 元々その魔法の始まりは白魔術。確か、薬草の知識などから始まった物のはずですからね。

 そのウィッチ・クラフトを継承するモンモランシーの実家ならば、食事の味付けなどは、他のトリステインの貴族とは違って居ても当然でしょう。
 更に、本来はガリアに有るモンモランシ家が本家筋に当たるらしく、ジル・ド・レイとは従兄弟同士で、既に婚約者の関係でも有るらしいです。

 尚。ジルはガリア王国ブルターニュ地方のナントと言う街を支配する男爵。但し、ガリアのモンモランシー家が支配しているのは其処だけではなく、ラヴァルや、その他、いくつかの街を支配し、それに応じた爵位も持っているらしいです。
 その中で、カジノ事件の際に手助けしてくれたジル・ド・モンモランシ=ラヴァルは、今のトコロ、ナントの街を支配する爵位を継承している、と言う事ですか。

 そもそも、彼の曾祖父の代には、ガリア王国の大元帥を拝命したらしいですから。

 まして、そのブルターニュ地方と言う地名も、ケルトの人達が、ブリテン島より移住して来て付けた呼び名です。そして、モンモランシーが操る魔法も、ケルトの民が操った魔法で有る以上、ここに何らかの関連性が有る可能性も少なくはないでしょう。

 ……などと、現状ではあまり関係ない事を、モンモランシーの実家の客間の天蓋付きのベッドの天井を見上げながらウダウダと考え続ける俺。
 慣れていない枕と、柔らか過ぎるベッドの感触。そして、少し圧迫感の有るベッドに施された天井。
 そのような非日常の中で、唯一の日常。俺の隣のベッドで和漢の書物を紐解き、黙々と読み耽る蒼き姫の姿が、とても落ち着いた気分を俺にもたらせていました。

 もっとも、このモンモランシ邸の客室内には、俺とタバサの他に、護衛用のサラマンダーとハゲンチを現界させていましたが。

 そんな俺の視線を感じたのか、それとも、切りの良い個所まで読み進めたのか。タバサが、読んでいた本に栞を挟み、俺の顔を真っ直ぐに見つめた。
 少なくとも、これで彼女の方には就寝の準備が出来上がったと言う事です。

「サラマンダー。室内の明かりを落としてくれるか」

 ならば、こちらに来てからずっとそうで有ったように、そうサラマンダーに依頼する。それに、ここは科学に支配された世界ではない以上、夜の闇を退けるには魔法に頼るのが一番簡単ですから。

 その一瞬の後、モンモランシー家の屋敷の客間は、魔法の明かりに支配された世界から、窓から差し込まれる月の明かりのみが支配する世界へと変化する。

「おやすみ」

 普段通りの挨拶に、紅いフレームの伊達メガネを外した素顔のままの彼女が、俺をその晴れ渡った冬の氷空に等しい瞳の中心に据える。
 そして、微かに首肯いた。

 これも、眠りに就く前の日常。
 そして、このまま夜の静寂(しじま)に微かに聞こえて来る彼女の吐息を子守唄として、俺は眠りに落ちて行ったのだった。


☆★☆★☆


 少し頭を振った後、ゆっくりと周囲を見回してみる。
 そこは……。淡い蒼と、静寂に沈む世界。

 俺が立っているのはアスファルトにより舗装された道路。左の方向には、外側から見る限りでは有る程度の緑と、等間隔に並ぶ街灯の存在する公園。そして、俺の周りを取り巻いているのは、地球世界に存在する現代風の建物たち。

 ……って言うか、アスファルトの舗装された道路。それに、現代風の建物?

 但し、今見える範囲に広がるその街には、俺と蒼い光り以外には生きて動くモノは一切、存在していない世界で有った。

 そう言えば、ここと似たような世界(場所)は、最近、妙に縁が有りましたか。

 交差点の近く。青白き街灯の明かりが照らす範囲内で、しばし佇む俺。科学が創り上げし無機質にして冷たい明かりを肌で感じながら、この魔法が創り上げたと思しき狂気に彩られた世界を思う。

 そう、確か一度目は、誘いの香炉(いざないのこうろ)により眠らされた時に巻き込まれた、紅き冷たき光りに包まれた世界。
 二度目は、影の国の女王に招かれた、死と風に包まれた静寂の世界。

 そこまで考えてから、思わず、肺に溜まった空気を、笑いに似た吐息と共に吐き出す俺。
 ……やれやれ。今度は、一体、誰に呼び出されたのか。
 地球世界で暮らして来た十六年の間にはそんな経験はなかっただけに、急に、アイドルにでも成ったような気分で、もう笑うしか方法がないでしょう。

 但し、俺が呼び出される先は伝説の木の下や放課後の屋上などの、青春時代の浪漫溢れる場所などではなく、夢の世界。呼び出す相手は、魔法学院の女生徒などではなく、神様のみ、なのですが。
 これならば、放課後の体育館裏に呼び出される方が、余程マシなような気もするのですが。

 少なくとも、不良相手なら、命懸けで相対すような事態に陥る事はないですからね。

 再び、周囲をゆっくりと見回してみる。
 但し、今回は自らの探知能力を使用して……。

 呪文を使用せず、少し目を瞑り、この世界。意識と無意識の狭間の世界と、自らの無意識との接点まで降りて行く事で、この世界と自分(精神)とを重ね合わせてみる。
 目的は、世界の把握。この蒼き静寂の世界を把握する事によって、俺がここに居る理由を探る事が可能だと思いますから。

 もっとも、そこまでの事は出来ずとも、多少の脱出の為のヒントなりを手に入れられたら良い、と言う程度の目論みなのですが……。

 ゆっくりと、深度を下げて行く。いや、それはイメージ。飽くまでも、感覚。
 俺が学んだ魔法は仙術。仙術の基本は、先ず、自らの身体を制御する術を学ぶ。そして、自らの霊気の巡りを感じ、自らと世界の関わりについて学ぶ。
 これは、その際に行った修行の応用。まして、ここが夢の世界ならば、余計な肉体が無い分だけ、無意識との接触はよりスムーズに為せるはず。

 ………………。

 奇妙な空間。それが、この蒼い世界に付いての正直な感想ですか。
 はっきり言うと、この空間自体の規模は判りませんでした。そして、基本的に世界を支配している(ことわり)は、陰にして、狂。そして、やや強い破壊衝動。あまりこんな場所に長居していると、俺の精神にも影響を及ぼす可能性の有るレベル。

 但し、妙な諦観や達観にも似た雰囲気が有るのも事実。
 何をしても。どう足掻いても、世界は変えられない。変わらないと言う諦め。
 それ故の、強い破壊衝動とも考えられますか。

 ……う~む。どう考えてみても、直接魔法に関わる存在。神や、悪魔。仙人が創り上げた世界と言うよりは、ごく一般的な人間が、呪的なアイテムに誤って触れた結果、その呪具を暴走させて創り上げて仕舞った異常空間、と言うような感覚なのですが……。

 ゆっくりと。閉じた時の倍は時間を掛けて瞳を開く俺。
 その瞳を開けた時に、最初に映った人影は……。

「初めまして、で良いんかな」

 俺は、目の前に顕われたその少女に対して、普段通りの雰囲気でそう問い掛けた。
 但し、初めて出会った相手とは思えないのですが。

 少女は、無言で見つめるのみ。科学の産物で有る青白き街灯の明かりに切り取られた空間で、その淡いブラウンの瞳と、銀のフレームを持つメガネに、やや間の抜けた俺の顔が映り込んでいた。

「貴方には、わたしの友人を助け出す手助けをして貰いたい」

 そして、一瞬の空白の後、俺の質問に答えを返す事もなく、その少女は、タバサに良く似た口調、及び雰囲気でそう話し掛けて来た。
 あの冷たい紅に染まった空間で、蒼い髪の毛を持つ少年と話していた時、そのままの雰囲気を纏って……。

 服装は、魔法学院の制服にも似た白いブラウスに、黒のミニスカート。紫水晶らしき宝石を使った首飾りと、青玉らしき宝石を使ったブローチで胸を飾る。そして、左手の薬指にはシンプルなプラチナ製と思しき指輪が嵌められていた。

 左手の薬指に指輪を嵌めていると言う事は、彼女は……。いや、悪魔や神霊、精霊の間には、指輪を贈る事によって婚約を示すようなそんな風習は有りません。有るとするのなら、それは、彼女には生命を賭けた約束が有ると言う事。その誓いを示す為に、左手の薬指に誓約のリングを嵌めている可能性は有ります。

 それで、身長はタバサよりも少し高いと言う雰囲気。髪の毛は、幻想世界の住人に相応しい紫色の髪の毛。彼女もまた、短い目のボブカットですか。毛先が整っていないのもタバサに似ています。但し、全体的にクセの有る髪の毛の質なのか、先に行くに従って跳ねたように成っていて、少し纏まっていない雰囲気が有りますか。
 顔の造作もまた、タバサにかなり似ているな。彼女に良く似た、透明な表情を浮かべた、硬質な、より冷たい雰囲気の有る美少女と言う感じですか。

 そして、何より異質なのは、彼女から感じる雰囲気が、生者ではなく水のイメージ。深い森の奥に広がる清浄な湖と接した際に感じる気、とでも表現したら良いでしょう。
 あの崇拝される者ブリギッドが炎の精霊ならば、彼女は水の精霊。

 いや、水の精霊王アリトンが、俺に親しみ易いタバサの姿形を模して顕われたと考えた方が妥当ですか。

 そう言えば、モンモランシーの家の傍には、ラグドリアン湖と言う地球世界には存在しない湖が有って、其処には、湖の精霊と呼ばれる存在が棲んで居る、と言う話をタバサに聞いていましたね。
 そして、この湖のガリア側に存在する領地が、タバサの実家。オルレアン大公領だった地域に成るはずですか。

「俺に出来る事ならばな」

 俺は、いともあっさりと了承を意味する言葉を口にする。

 確かに誰を救い出すのかは判りませんが、俺が呼び出されたと言う事は、今回の依頼も、俺に関係する人物を救い出す事が目的なのでしょう。
 まして、俺が了承しない限り、この夢の空間からの帰還は不可能でしょうしね。

 俺を真っ直ぐに見つめる、その水の精霊らしき少女。そんなひとつひとつの仕草も、タバサに良く似ている。
 そして、

「跪いて欲しい」

 ……涼やかな瞳で俺をしばらく見つめた後、ひっそりと彼女はそう告げて来る。
 これだけの美貌を持っているのに、何故、彼女は……。いや、もし、彼女が、このハルケギニア世界に於ける水の精霊王アリトンならば、創世戦争の際にヤーヴェに敗れた後、彼女は何処となく冷たい感じのする性格になって仕舞ったと地球世界の伝承では伝えられていましたか。
 ……と言う事は、俺の知って居るその伝承に近い姿形で顕われている可能性が高いと言う事なのでしょう。

 彼女の言葉に素直に従い、片膝を立て跪く俺。
 そんな俺の方向に更に一歩近づき、俺を見下ろす形を取る水の精霊。
 ……この形は、俺を騎士にでも任じると言う事なのでしょうか。

 そう、俺がクダラナイ事を考えた次の瞬間。

「瞳を閉じて」

 そう、呟くような声で、俺に伝えて来る水の精霊らしき少女。
 良く判らないのですが、彼女は余計ないたずらのようなマネをするタイプの存在とは思えないので……。
 素直に、彼女の言う通り、両の瞳を閉じる俺。

 瞳を閉じた数瞬の後、両の頬に宛がわれる冷たい……手。
 そして、

 近付いて来る何か。いや、明らかに水の精霊がその顔を近づけて来ているのは間違いない。
 鼻腔を擽る甘い肌の香り。
 そう言えば、タバサと契約を交わした時もこのパターンでくちづけを交わしたのでした。

 そう思った瞬間、彼女を額に感じる。

「成るほど」

 一気に流れ込んで来る膨大な知識に圧倒されながらも、そう、一言だけ口にする俺。
 但し、それが精一杯。これ以上、無駄口を利く余裕はない。

 さして許容量の多いとは思えない俺の頭に直接、インストールされる古の知識。

 一気に流れ込んでいた情報が途絶え、少しの余韻と共に彼女が離れる。尚、その際に、何故だか少し離れ難いような気がしたのですが……。
 ゆっくりと開いた俺の瞳の中心に、タバサに良く似た少女姿の精霊が映るのみ。

 その頭の先から足の先まで、ゆっくりと瞳と記憶に問い掛けるように彼女を二周分見つめてみる俺。

 そして、少しため息にも似た仕草で息を吐き出した。

 ……やれやれ。もしかすると、俺は、自分でも気付かない内にメガネ属性と、ついでに少し残念な体型の女性が好みと成って仕舞ったのでしょうか。
 確かに、大きければ大きいほど良い、と言う性癖は無かったのですが……。

「今、俺に教えてくれたのは、どう考えても符術やな」

 それでも、俺にメガネ属性が有ろうが、実は少しマニアックな体型が好きで有ろうが、その辺りについては、今のトコロあまり関係は有りません。
 まして、今、彼女が伝えて来たのは間違いなく東洋風の符術。西洋風剣と魔法のファンタジー世界にそぐわない漢字に因り作り上げられた呪符で発動させる符術でした。
 多少の違和感が有って当然ですし、それに対する質問の方が重要でしょう。

 俺の問い掛けに、コクリとひとつ首肯く水の精霊。
 そして、その答えに続いて、かなりの枚数の呪符を手渡してくれた。

 成るほど。矢張り、この世界には、何処かの段階で東洋風の魔法を使用する人物が顕われた事が有ると考えるべきでしょう。
 そもそも、俺や才人がやって来たのです。それならば、俺たち以前にも同じように次元移動を行って、このハルケギニア世界を訪れた存在が居たとしても不思議では有りませんから。

 そう考えながら、水の精霊らしき少女が渡してくれた呪符の確認を行う俺。

 彼女の渡してくれた呪符の内訳は……五行符に()()に属する呪符をプラスしての七種類。陰陽五行に属する呪符で有る以上、これ以上は必要有りませんか。
 但し、ここは夢の世界で有る以上、夢から覚めた後は、自らの手で呪符を作る必要が有るのですが。

 特に、陰陽に属する呪符の作り方は知りませんでしたから。

 俺をじっと見つめていた水の精霊が、在らぬ方向に視線を移してから、そちらに向けて歩み始める。俺に着いて来いとも、そのままここに留まれとも、何も伝えずに。
 そして、俺自身は、彼女の向かおうとするその方向からは、何故か不吉な雰囲気を感じていたのですが……。


☆★☆★☆


 夜の闇……。いや、厳密に言うと夜とは違う暗い空。その深い闇に押し潰されそうな気さえして来る中を、何処かに向けて歩む俺と、水の精霊。
 しかし、其処かしこから何かの破壊音が聞こえ、ここが危険な世界で有る事は感じられる。

 感覚として近いのは、あの紅き夕陽に沈みつつ有った世界を呑み込み、虚無へと変換させていたショゴスに似た存在……。
 そして、更に、あの時と同じ腐臭が辺りを支配していた事が、俺を妙に不安にさせていたのですが。

 水の精霊に招かれた地点から数えて、ふたつ目の四つ角を右に曲がった刹那、視界が黒き森に遮られた。
 そう。どう考えても地球世界に存在する都会的な佇まいの街の雰囲気にそぐわない巨大な森。

 そう考えて、改めて、その森を見つめた俺。そして感じる違和感。

 そう。これは違う。厳密に言うと、この俺の目の前に現れたモノは森ではない。確かに、見た目から言うと森には間違いない。ただ、その森を形成するたった一種の樹木自体が……。

「ロープの如く、蛇の如くいやらしくうねる大小無数の触手。ぬらぬらとした粘液に覆われた太い胴体。その表面に走る皺とも、そして口とも見える裂け目。更に、その醜き胴体を支える三本の太い足の先は、何処となく馬か山羊に似た形をしている」

 俺は、こみあげて来る嫌悪感とも、吐き気とも付かない嫌な感覚を無理矢理に抑え込みながら、そう呟く。
 但し、こいつらがこれだけ大量に湧いていると言う事は、この夢の世界はあの邪神が強く信奉されている場所と言う事だと思うのですが……。

 伝承によれば、彼らは、その母親が礼拝される地域にのみ顕われる生命体で有り、母親の代理人として行動し、彼女への生け贄を受け取り、信者たちに礼拝される事を引き受け、……そして、信者でない者を喰う事で、母親の福音を世界に広めているらしいですから。

 俺は、生来の能力に因る強化を施し、樹木とも、そして、魔物とも付かぬその生命体に対応しようとする。
 しかし……。

「必要はない」

 しかし、涼やかな声が、そんな俺の行動の無意味を教えてくれた。
 そして、彼女の言葉に従うかのように、目の前に存在している蠢く森が、俺と、彼女に対して道を開いて行く。

 まるで、潮が引くように。

 その開いた道は……アスファルトに因る舗装された道路のように思えたのですが……。
 但し、彼らが立つ空間は、果てしなき闇が広がっているだけ。まるで、あの夢の世界を破壊し、呑み込もうとしていたショゴスが進んで来た道のように、黒々とした空間がただ広がるだけ。果てしなき虚無が其処には存在するだけで有った。

「まさか、海を割ったモーゼの気分を味わえるとは思わなかったよ」

 少し、軽い調子で、こう言う場面では必ず使われる台詞めいた一言を口にする俺。但し、妙な腐臭の立ち込める、異形の者の間を進んで行くのは、かなりの精神力を要する行為なのですが。
 ……俺に取っては。

 それに、何故、彼ら。黒い仔山羊たちが、俺と水の精霊の道行きを邪魔しないのか理由は判りませんが、おそらくは、それが森の黒山羊の意志なのでしょう。
 それとも、俺が水の精霊と感じたこの目の前の少女が、実は水の者ではなく、土の者だったと言う事なのでしょうか。

 俺は、水の精霊と思しき少女を見つめる。
 彼女も、俺の顔を見つめ返す。その瞳とメガネに俺を映し、彼女の発する気からは、寂寥感に似た気を感じる事は有りますが、俺を貶めようとする雰囲気は有りませんでした。

「彼女が、貴方を害する訳はない」

 俺の疑問に対して答えるように、ひっそりと、水の精霊がそう呟いた。彼女に相応しい口調、及び雰囲気で。

 成るほど。ここは夢の世界。そして、ここが夢の世界ならば、アレが伝承に残されている黒い仔山羊と同じ存在だとは限らない。
 そして、俺が呼ばれたと言う事は、この事態を起こしたのは俺の関係者なのでしょう。

 但し、俺と関係の深い相手とは、この世界にはタバサしか存在していないはずなのですが。

 其処まで考えてから、再び、俺と水の精霊らしき少女が歩んで来た世界を顧みる俺。
 その視線の先には、等間隔に並ぶ街灯と、一台の車が走る事もないアスファルトに覆われた道路。そして、無機質に立ち並ぶ、入れ物のみが存在する建物が並んでいるだけでした。

 どう考えてもこの夢の世界は、地球世界の様相を呈していますし……。
 但し、何故か生命体の生活を示す雰囲気はなし。まるで、映画かドラマのセットの如き作り物めいた雰囲気を発する奇妙な世界。

「その相手の正体や名前を教えて貰う訳には行かないんやろうか?」

 無駄な事に成る可能性も有るとは思います。しかし、聞くべき質問でしょう。この質問は。そう考え、水の精霊らしき少女に問い掛ける俺。

 それで、一応、一番可能性が高いのは、……和漢の書物を紐解く事が出来るタバサならば、ある程度の現代社会に対する知識は持っています。それ以外で、現代社会に対する知識を持っているのは、俺の知って居る範囲内では才人のみ。
 しかし、水の精霊らしき少女が、彼女と表現した以上、相手は女性。
 ならば、助けて欲しい相手は、タバサだと言うのでしょうか。

 しかし、水の精霊らしき少女は、ゆっくりと二度首を横に振った。そして、

「わたしは、今の彼女の事は知らない」

 ……と、答えました。但し、少し妙な説明方法で有ったのですが。
 今の言葉を判断するのなら、彼女は、その友人の子供の時を知って居る、と言う可能性が一番高いのですが……。

 但し、その場合ならば……。

「その友人の名前すらも判らない、と言う事なのか?」

 俺の問いに対して、コクリとひとつ首肯く水の精霊らしき少女。
 しかし、これは明らかにおかしい。普通、幼い頃の友人とは言え、相手の名前すら判らないと言うのは異常でしょう。少なくとも、通称や仇名ぐらいならば覚えているモノです。
 まして、彼女は、その友人と言う人物が、俺の事を傷付ける事はない、と言い切りました。

 これは……。

「俺と、オマエさんが友人と呼んだその相手とは、某かの縁が有ると言う事やな」

 この問いにも、彼女はあっさりと首肯く。これは当然、肯定。
 但し、この程度の答えなら問題は有りません。問題は……。

「そして、その縁と言うのは、今生で結んだ縁と言う訳ではない、と言う事か?」

 もっとも重要な質問に対しても、紫の髪の毛を持つ少女は、コクリと簡単に首肯いて答えた。これも、肯定。
 そして、今生。つまり、今の生命で結んだ縁ではないと言う事は……。前世で結んだ縁と言う事か。

 輪廻転生。俺達、仙族の出身の人間に取っては当たり前の事実でしかない事ですが、現実に前世で縁を結んだ相手との邂逅など経験した事などないので……。
 いや。可能性としてならば、タバサとの間には、何らかの縁が有ったとしても不思議では有りませんでしたか。
 それでなければ、異世界からの召喚など難しいでしょうから。

 但し、もしそうだとするのなら、この段階では、その『彼女』と呼ばれる相手の正体を知る術はないと言う事ですか。
 まして、水の精霊らしき少女が知って居る時の姿形が女性で有ったと言うだけで、今の、その相手が女性で有ると言う保障もなければ、人間で有る保障もないと言う事。

 ……出来る事なら、今生の姿が男性でない事を祈るばかりなのですが。



 無に支配される空間に退きし黒い仔山羊たちの間を、何故か、其処だけは現実感を伴って維持されているアスファルトにて舗装されし道路を、何処かに向けて歩む水の精霊と、彼女に付き従う俺。
 ただ、何故か俺の右側を歩む彼女の姿に、不思議な安らぎと奇妙な既視感を覚え、そして同時に、彼女が、傍に居ても違和感を覚える事のない自分への疑問を感じる。

 そう。元来、俺は神経質な性質(たち)で、他人に、ある一定以上の距離まで近付かれると、かなりのストレスを感じるはずなのです。それが例え、どんな美人で有ったとしても。しかし、何故か彼女は、そんなものをあっさりと乗り越えて、ごく自然な形で俺の右側に立っています。
 これは、彼女が人非ざる者だから、なのか、それとも、彼女の容姿が俺に警戒感を抱かせない容姿。つまり、タバサに似ているから、なのかは判らないのですが。

 僅かばかりの光と、黒い仔山羊たちの発する人ならざる狂気に包まれし世界を歩み続ける俺と水の精霊。そんな、非日常に支配されし空間に、何故か既視感を覚える。
 俺は……。

 そんな、何かを掴めそうで、掴めない。辿り着けそうで、しかし、辿り着けないもどかしさを感じ始めていた刹那。

 
 

 
後書き
 それでは、次回タイトルは『蒼き世界での邂逅』です。

 追記。フロイライン・メンゲレについて

 もしかすると、死の天使ヨーゼフ・メンゲレを知らない人も居るかも知れないので、一応、念の為に記載して置きます。
 ……と言っても、彼の行った事に関しての詳しい説明は行いませんが。あまりにもおぞましいので。

 それで、私のワールドでは、彼の一族は、フランケンシュタイン博士の弟子に当たる家系で、目的は不死の研究を行っている錬金術師と言う設定です。

 一度死亡した人間の臓器や器官の内で、使える部分を集めて一人分の身体を組み上げた時に、その組み上げられた存在が再び動き出したとしたら、人間の不死化の研究が更に一歩進むのではないか。

 こう言う意図の元、造り上げられたのが、フランケンシュタインの化け物と言う訳です。
 しかし、当然、こんな方法では死体が再び動き出す訳もなく、更に、雷が落ちたぐらいでも無理。

 そして、その科学者、フランケンシュタイン博士と助手のメンゲレは再び考えました。
 臓器や器官は新鮮なモノを使用している。それなのに、何故、この人工生命体は蘇って動き出さないのか。

 生命の水……。人間に流れている血液などではなく、別のモノを体内に流してやれば良いのではないか、と言う結論に到達した、と言う事です。

 尚、元ネタは鋼の錬金術師じゃないですよ。確かに、賢者の石などの思想にも近付きますし、人の血液を使用していますが。
 しかし、ここに挙げた部分だけで、十分に一本のオリジナルの小説を創り上げられるような気もするのですが……。
 
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