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蒼き夢の果てに

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第4章 聖痕
  第38話 邪神顕現

 
前書き
 第38話を更新します。
 

 
 そう。しかし、それは、笑い声ではなかった。
 心の軋み。人ではない何かが、人の振りをして上げた笑い声に似た何か。

 そして……。

「我が大神よ、我らが魂を(にえ)にっ!」

 それまでの落ち着いた……冷静な人物の仮面をかなぐり捨て、その笑い声に相応しい狂気に彩られた叫び声を上げる暗殺者エリック。その一瞬後。それまでの、西欧人の少年に現れる、儚いと表現すべきその華奢な身体が倍以上に膨れ上がり……。

 そして、突如、紅い炎の柱と化した。

 刹那、世界がほんの少し歪む。

 一瞬、何が起きたのか判らず、静寂に包まれるカジノ内。
 そして、次の瞬間、爆発する感情。悲鳴、怒号、そして、意味の無い絶叫。
 恐慌に陥ったカジノの客達が、その不気味なまでの紅い炎から少しでも遠ざかろうと、カジノの唯一の入り口付近に殺到する。

 倒れた人間を踏み付け、背骨を砕き、赤き液体で自らの両の脚を染め上げながらも、尚も、出口へと進もうとする者たち。
 いや、その時、既に彼らは異界からの侵食を受けていた。何故ならば、既に、彼らの口と瞳からは赤き血潮が流れ、吐き出す吐息は灼熱の気を帯び、喘ぐように開かれる口の奥には、チロチロと燃える……。

「我が大神よ、我らが魂を(にえ)にっ!」

 その瞬間、世界の秩序が歪み、更に異界からの侵食が進む。

 刹那。同じようにカジノの従業員たち。……おそらく、そのすべてが暗殺者集団に属する構成員たちも、そう叫ぶと同時に炎に包まれて行く。
 そして、徐々に大きくなって行く世界の歪み。

 人間が燃える異常な悪臭に、胃から逆流して来る苦い何かを無理矢理呑み込んだ。
 いや、これは違う。悪臭だけではなく、陰火が発する邪気が周囲を包みつつ有ったのだ。

 そう。人間を次々と炎の柱へと変えて行きながら、周囲の雰囲気は神聖なる炎が支配する空間としては、あるまじき雰囲気へと変わって来たのだ。

「タバサ。気をしっかり持って置け。これは、ヤバい!」

 そう叫びながら、彼女の方に駆け寄る俺。
 異界より押し寄せる戦慄にややその身を強張らせながらも、俺の言葉に反応するタバサ。
 そう。現在の彼女は女性用の正装。白きイブニングドレス、更に夜会用の靴では、流石にこれから先の戦闘に対処するのは難しく成る可能性も有る。

 もし、現状が異界化現象の始まりで有るのなら、これから先には……。

 世界の歪みが更に広がる。
 そして、次々と炎の柱が広がって行く。
 最初は確かに、人体発火現象が起きていたのは暗殺集団の構成員だけだった。しかし、今では無関係なカジノの客までが炎と変わっていたのだ。
 これは、間違いなく意志の弱い存在が、魔界の邪気に呑み込まれている状態。
 浸食して来る異界を、跳ね除ける事の出来ない脆弱な意志しか持ち得ない人間達を次々と喰らい尽くして行く邪炎。

 一人の太った男が俺の方に、何かを訴えかけるように自らの両手を差し伸べて来る。しかし、その両手が既に炎を発し、更に、大きく見開いたその瞳と口からは、赤い炎が、まるで彼自身の体液の如くあふれ出していた。
 既に炎と化し、倒れ伏した元人間を伝って炎が広がり、人の油が燃える悪臭が鼻をつく。

 そして、次の瞬間。既に人としての限界を迎えていたその身体が、音もなく砕け散る。
 焼け焦げた何かと、元々、生命の源で有った赤き液体を、煮沸した何かに変えながら……。

 濃密な呪が燃える熱き大気に、喘ぐように息を吐き出し……。
 床を蹴り、俺の方に右手を伸ばすタバサの右手を掴み、生来の能力解放。そのまま一気に天井付近まで高度を取る。

 刹那。終に、世界の歪みが頂点に達した。
 そして最早、広がり切った陰火により、生ける者の存在しなくなったカジノの床に……。
 ――――――――次元孔(異界への扉)が開いた。

 それは、異界より訪れし招かれざる客人。
 凄まじいばかりの瘴気の塊。

「タバサ、瞬間移動する(跳ぶ)ぞ!」

 天井付近に滞空していた俺とタバサを目指して、その凄まじいばかりの瘴気の渦が、大体直径一メートルほどの大きさの陰火の塊を自らから切り離し……。
 俺達に向けて放った。

 瞬間、繊手が閃き、その淡き色合いのくちびるが古の知識を紡ぐ。
 刹那、俺と彼女の周囲に現れしは、冷気の防壁。
 そして、邪炎と冷気の一瞬の攻防。

 しかし、呆気ないほどの短い時間で無効化されて仕舞う冷気陣。

 何故ならば、元より神格が違う。未だ完全に実体化していないとは言え、相手は小なりと雖も邪神。
 片や、タバサが発生させた仙術は、水の乙女の発生させる対火焔用の結界術。いくら、水克火とは言っても限度が有る。
 この状態を火侮水の状態と呼ぶ。火の勢いが強すぎて、水が火を剋する事が出来ない状態。

 しかし、この一瞬は、生死を分ける一瞬。
 そう。邪炎が到達する一瞬前に完成した瞬間移動用の術式が効果を発揮し、辛くも虎口を脱する俺とタバサ。

 そして、一瞬のタイムラグの後、小高い丘の上に有る女子修道院の上空に転移を果たす俺とタバサ。

 刹那、世界が変わった。
 通常の初夏の夜で有ったはずの世界が、地下より這い出して来た何者かにより、異世界の夜へと変貌する。
 陥没するかのように崩れる地盤。そして、その陥没に巻き込まれるように崩壊する荘厳な中世ゴシック建築風の寺院。

 濛々と舞い上がる土煙。
 その土煙が、上空百メートル程の位置を滞空し続ける俺とタバサの元まで到達し、しばしの間、その視界を奪う。

 そして、その土煙が少し晴れた後、その女子修道院が有ったはずの空間に立つ影は……。

 立ち昇った邪気が、星空を歪ませる。
 そして、腐った肉と焦げた人肉の臭いが混じりあった、非常に気分の悪くなる臭気が周囲に立ち込めた。

 小高い丘の頂点に立つそいつ。大体、体長十五メートル以上。巨大ロボットとまでは行きませんが、それにしてもあの大きさの二足歩行型の生命体が実在するとは思えない。
 いや、おそらく、この世界の法に従った生命体ですらないでしょう。

 ……そう思わせる相応しい悪しき気を放つ存在で有るのは確かでした。

「六本の腕。頭の両側に付いている牛の角。人食いに相応しい赤い邪悪な両眼。巨大な黒い身体。
 ただ、モロクと言う程の神格は感じる事がない。
 ならば、ケモシとか、牛魔王とか呼ばれる連中の同族と言う感じか」

 ほぼ独り言に等しい呟き。但し、俺の腕の中には、タバサが未だ存在しているので、完全な独り言と言う訳ではないのですが。

 それに、何にしても人身御供を要求するタイプの邪神で有るのは間違い有りませんから。
 何故ならば、自らが顕現する際に自分の信者の生命や、それだけでは足りずに、カジノの客達を贄にして顕現するような存在です。

 刹那。獣の咆哮が響く。瞬間、周囲の空間に、膨大な炎の精霊の気配が充満する。
 そして、次の刹那。圧倒的な力が、その六本の腕に集まって行く。
 空間が歪むほどの圧倒的な力。……って、これはヤバい!

 モロク系の邪神ならば、炎に焼かれた人身御供を要求する。
 まして、牛魔王にしても似たような存在の可能性は有ります。ヤツは火焔山関係の話に登場する妖怪ですから。

 つまり、ヤツは炎系の邪神と言う事。

 牛角の邪神の六本の腕それぞれに火球、……直径で三メートル以上有りそうな代物を、果たして火球と表現すべきかどうか迷うトコロですけど、その火球が握られ、
 そして、無造作に投擲された。

 滞空する俺とタバサを向けて放たれた六つの火球が、一秒にも満たない時間で到達する。
 変化も何もしない、ただ超高速のみに支配された破滅を彩る火球が。

 しかし、こちらも全て精霊を従えた存在。更に、自らの時間を自在に操る事が可能とも成っている。

 瞬間、下方に重力(ちから)を向ける。
 刹那、一気に十メートル以上の落下を行い、六つの火球を躱して仕舞う俺とタバサ。
 しかし、通り過ぎた火球との距離は二十メートル以上有ったはずなのですが、前髪が熱風に煽られ、身体全体に巨大な熱源が至近距離を通り抜けた威圧感に恐怖した。

 炎の塊を躱された異形の神(炎の邪神)が、怒りの咆哮を上げる。空気を振動させ、そして、それ以外の何かを奪い去りながら、遙か彼方にまで広がって行く狂気。

 そう。それは、神気。皮膚を泡立たせるような威圧感と、根源的な恐怖を喚起させる物の正体は、炎の邪神が纏いし神気に他ならない。

 そして再び放たれる火球。
 それは人間ではどうしようもないレベルの火球。所謂、津波や雪崩レベルの圧倒的な炎の奔流。

【タバサ。あの邪神を、ヤツの有るべき世界に送り返す。手伝ってくれるな】

 俺の【念話】に、俺の腕の中でひとつ首肯いて答えと為すタバサ。
 そう。相手は小なりと雖も神。無理矢理、受肉し現世に顕現した存在だとしても、殺す事が可能とも思えない。

 まして、神殺しは大罪。どんな呪いを受けるか判った物ではない。

 その刹那。空に向かい放たれた炎の奔流が、俺とタバサを包み込んだ。
 しかし、その瞬間に発動する、神明鏡符。
 俺とタバサを包み込んだ炎の奔流が、空中に現れし防御用の魔法陣に阻まれ、すべて、その術を放った炎の邪神へと返される!

【安倍晴明の呪詛返しを使った強制送還の術を使用する】

 俺は、タバサにそう【念話】で告げながら、邪神との距離を一気に詰める。
 但し、これは攻撃する為では無く、むしろ回避をし易くする為。

 流石に、先ほどのレベルの炎を放たれると、回避し続けるのも難しく成りますから。

 まして、あの手合いの邪神に直接的な攻撃は厳禁です。
 何故ならば、あの手の邪神の伝承には、その体液一滴さえ猛毒で有る、と言う類の伝承が有ります。
 そんな存在を、殺す事が可能だからと言って簡単に殺して良い訳がないでしょう。

 この地域は、ワインが名産と言う事からも判る通り、本来ならばブドウ園とシテ河が育む豊かな田園地帯が広がる地域です。その地域で邪神を滅ぼし、その毒によってシテ河や大地を穢す訳には行きません。

「ハルファス。サラマンダー、ウィンディーネ」

 咆哮と共に放たれる牛角の邪神の攻撃を躱しつつ、続けざまに三柱の式神を現界させる俺。
 一撃ごとに呪を振りまき、俺達が躱すごとに、怨嗟の咆哮を上げながら、俺とタバサを追う邪神。

 そして次の瞬間、顕われ出でる羽を持つ魔将ハルファスと炎の精霊サラマンダー、そして水の精霊ウィンディーネ。

三柱(さんにん)は、俺とタバサの援護を頼む!」

 俺の依頼に無言で首肯く三柱の式神達。

 右斜め上から振り下ろされる大振りの右腕を、余裕を持った位置……大体五メートルの距離で躱し、その右腕が巻き起こす風圧に、吹き飛ばされないように体勢を立て直した瞬間、続けて突き上げて来る左腕を、邪神の巻き起こす上方への風圧を利用して、右斜め前方……つまり、牛角の背後に回り込む。

 刹那、俺とタバサに気を取られていた邪神に、魔界よりの風が叩き付けられる。
 そう。ソロモン七十二魔将の中でも戦闘力の高い魔将ハルファスが、彼女の支配する風の魔力を解放したのだ。

 その魔風の直撃を受けた巨体が一瞬、バランスを崩す。

 その瞬間、俺の懐から取り出した木行符にタバサが息吹を吹きかけ放つ。
 振り返った牛角の邪神が再び俺を捕らえようと繰り出して来る右腕を、空中を踊るような足さばきで左下方向に躱す。

 その姿はまるで古の舞い。古に伝えられる舞いを踊るが如き正確な足の運び。

 そして、定められし地点で、再びタバサが取り出して有った火行符に息吹を籠めて放つ。
 更に続く足の運びに象徴される古の舞踏。
 いや、それだけではない。俺の足が、有る動きを行うと同時に、タバサの自由に成っている両手が何らかの印を結んでいる。

 俺が右膝を持ち上げると、タバサは、左腕を横に広げ、
 左足を引くと、右手を正面に向ける。

 ばらばらに見える二人の動きが螺旋を刻み、二人分の霊力を練り上げる。

 そう。それは、二人を同期(シンクロ)状態にして発動させる送還の術。

 土行符を配置した刹那、邪神の三本の右腕がすべて赤銅に染まる。
 ヤツは元々、火行に属する邪神。自らの身体を炎に変える事ぐらい容易い。

 そして、無造作に振るわれる巨大な腕。いや、今回振るわれたのは、三本の右腕全て。

 しかし! そう、しかし!
 その炎を纏った右腕の炎が、一瞬後には全て輝きを失って仕舞う!

 火気が強いこの場では、俺の式神のサラマンダーの能力も活性化している。そして、彼女は俺より能力(霊力)を与えられし式神。木生火。火行に支配されし戦場で、相生によって能力を強化された、本来の陽の火を操る炎の精霊で有る彼女と、この世界には本来存在しない陰火の塊で有る邪神との炎を操る能力に関してはほぼ互角。

 そして、そのままの勢いで俺とタバサを捕らえる右腕の一閃!

 刹那。俺達の目の前に展開される防御用の魔法陣。

 そして、俺とタバサを捕らえたと思った刹那、その攻撃が全て邪神へと返されて仕舞う!
 物理攻撃を一度だけ反射する仙術が施されている以上、俺とタバサを打った威力そのままが邪神に返されるのが必定。

 俺達を打った右腕の肘から先全てが爆発し、この世の物とも思えないような咆哮がこの身体すべてと、精神を打ち貫く。
 撒き散らされた赤黒き体液が地上に落下し、不気味な煙を発生させた。

 間違いなく、この戦闘の後に何らかの方法で穢れを祓う必要が有るが、今はそんな事を考えている余裕はない。
 何故ならば、現在は術式を組み上げている最中。現世に顕現した邪神に対する強制送還を行う術式が簡単に完成する訳がない。

 金行符を配置。俺の脚の運びと、タバサの腕の動きが同期し、呪符が起動状態と成る。
 残るは水行符のみ!

 喘ぐようにして大気を貪る邪神。その一瞬後には、肘から先を全て失って仕舞った邪神の三本の右腕の赤黒いうじゃけたような断面が、俺の見ている目の前で、徐々に盛り上がって行くのが判る。
 そして、その傷痕から止めどなく溢れて来る異常な臭気を発生させている体液が、地上に有る草木や、建物の残骸。いや、大地そのものを穢し続けている事も。

 ……いや、それだけではない。ヤツは、明らかに穢し続けている周囲から大量の気を吸い上げている。
 そう。ヤツが動く度に初夏の勢いを感じさせていた草木が冬の様相を呈し、大地から精気が奪われているのが感じられたのだ。
 これは、正に気が枯れる状態。つまり、気枯れ(けがれ)に通じる。

 右腕全てを一時的に失った牛角の邪神が、怒りの咆哮を上げた。
 ややバランスを欠いた仕草だが、しかし、それでも尚、俺とタバサを得ようと無事な方の三本の左腕を突き出そうとして来る邪神。

 いや。目的はそれだけではない。おそらく、ヤツも気付いている。俺を得たらヤツの能力が跳ね上がる事を。

 俺は陽に属する木行の神獣。ヤツは、この現世には存在しない陰火に属する邪神。
 木生火。この定めに従い、俺を得た陰火の邪神は更なる(能力)を手に入れる可能性が高い。

 しかし、その左腕に巻きつく何者か!
 そう、それは水龍。鎌首を擡げ、火行の邪神の行動を阻害する水で出来た龍。

 濛々と発生する水蒸気を物ともせず、その水龍が邪神の左側頭部に対して、水流を放つ。

 小爆発に等しい水蒸気の発生を左側頭部に受けながらも、しかし、未だ前進を続ける邪神の三本の左腕。
 シテ河の水より、ウィンディーネが造り出した水龍により一度は動きを鈍らせた邪神だが、現在は火侮水の状態。完全に勢いを消す事は出来ないっ!

 しかし、もう一体の水龍が、今度は俺の後方から接近し、邪神の前進しつつ有った左腕を絡め取る。
 これは――――――――。この地を囲むような形で流れるシテ河の支流から作り出された新たなる水龍が、邪神の攻撃を防いだのだ。

 何者に造り出され、操られたのか判らない。しかし、精霊の悲鳴は聞こえず、更に、邪神顕現のような場面で精神に異常を来す事なく対処出来る存在が、そう存在するとは考えられない。
 まして、この水龍が発する霊力は、水の精霊が造り出した水龍と互角。
 これは、おそらくカジノ内に現れた二人の内のどちらかの存在に因る魔法。

 そう考えた瞬間。タバサが、最後の水行符に息吹を籠めて放った。
 最後の呪符が起動した瞬間、それぞれの呪符が行に応じた光を放ち、相生に従い曲線を。相克に従い直線を空中に描き出す。

 少し距離を取り、牛角の邪神を睥睨出来る位置に滞空。
 同時に、右手を高く掲げるタバサ()。その少し先、大体一メートルほど上空に現れる釘……ではなく、聖なる槍。

 両腕を水龍により縛められ、その首をハルファスの風に、そして、下肢はサラマンダーにより封じられた邪神が……。
 しかし、未だ戦意を失ってはいない、その赤き凶眼にて、俺と、俺の腕の中の蒼き姫を睨む。

 刹那、ヤツの周囲に集まる炎の精霊。
 そして、その一瞬後、俺とタバサを呑みこもうとするかの如き炎の塊が、その大きく開かれた口から放たれる。

 この期に及んで放たれた邪炎は、今までのそれを、遙かに凌駕する呪の籠められている邪炎で有った!

 最早、俺とタバサを護る者は無し。
 一瞬の逡巡。如意宝珠『護』を壁盾の形で展開させ、それと同時にタバサが冷気陣を展開させれば、身を護る事は出来る。
 但し、それでは術式が中断され、ヤツを送り返す事が出来なくなる。

 それとも、このまま、聖なる槍に籠められた呪によりヤツの心臓を穿ち、それを点穴と為す事に因って……。

 一瞬の判断が、何故か、永遠に感じられた正にその時!

 滞空する俺と、牛角の邪神との間に現れる、小さな黒いモノ達。

「蟲?」

 そう。それは本当に小さな、羽を生やした小さな蟲であった。しかし、それぞれが土の精霊を従え、何か大きな意志の元に統一された動きを繰り広げる数万、いや数十万の小さき生命体。

 そして、その黒き蟲たちに、赤き呪いの炎塊が正面から突入する!
 一瞬毎に燃え上がり、生命を散らせて行く小さき蟲たち。しかし、その度に、炎塊に籠められた呪を奪い去って行く。
 その様は正に赤と黒の攻防。

 再び右手を掲げるタバサ。その手の上空に現れる如意宝珠により再現された聖なる槍。
 俺の中で暴走寸前と成った霊気を、タバサが制御する。
 流石は、魔女の守護者ヘカテーに守護されし少女。俺本人でさえ扱い切れそうにない霊力を正確に誘導し、途切れる寸前の意識を持たせ、螺旋を駆け上がる霊力を全て聖なる槍に注ぎ込む。

 俺と彼女の霊力の高まりを受けし聖なる槍と、そして、光続けている五芒星が更に輝きを増す。
 そう、それはまるで、夜を昼へと変えるような光。
 陰の気に支配されし空間を、陽気溢れる世界へと変えるような陽の霊気。

 そして、ゆっくりと口訣を唱えながら、掲げられた右腕を、光り輝く五芒星の中心に水火風によって封じられている牛角の邪神に向けて振り下ろす。

 刹那。俺の霊力を籠められし聖なる槍が、(青龍)の気を指し示す蒼き光と成って放たれる。
 黒き蟲たちの中心を貫き、赤き呪いの炎塊を粉砕し

 刹那の後、その聖なる槍に籠められし呪の通り、牛角の邪神の心臓を完全に貫く!

 その瞬間、世界が反転した。

 穿たれた胸の傷に向かって落ち込んで行く邪神。有りとあらゆる全ての存在を吸い込む次元に穿たれた穴。
 音も、そして、光さえも吸い込み、全てを無に帰す最悪の次元孔。

 しかし、そんな猛威も、五芒星に囲まれた範囲内のみ。そこを一歩でも離れた場所には、初夏に相応しい緑の木の葉一枚。俺やタバサの髪の毛一本すらそよがせる事もない。
 正に、異世界の出来事。

 そして……。

 そして、永遠に等しい一瞬の間荒れ狂った最悪の次元孔が、出来上がった時と同じく、あっさりと消滅して仕舞う。
 ただ、地上に隠しきれない破壊の爪痕は残して仕舞いましたが。


☆★☆★☆


 タバサが開いた次元孔に牛角の邪神が消えた後、戦場となった場所から少し離れた地点に着陸し、その場に座り込んで仕舞う俺。
 幾らなんでも、もう限界です。モンモランシー作製の薬の御蔭で妙に絶好調だったから走り抜けられただけ。体調が普段の状態だったのなら、流石に生き残る事は出来たとしても、おそらくあの邪神を強制送還するようなマネを今晩中に為す事は出来なかったでしょう。

 そして、俺の傍らに同じように座り込むタバサ。折角のドレスが汚れて仕舞うのですが、これは仕方がないですか。
 それに、タバサのイブニングドレスも、もう十分に煤に汚れ、あちこちが破れ、元々の姿からはかなり変わって仕舞っていますから、この上、少々土で汚れたとしても意味がないでしょう。

 やがて、最後の場面で邪神を捕らえていた三柱の式神達が近付いて来て、俺の護衛役と成る。
 もっとも、現状では俺とタバサは一蓮托生唇歯輔車(いちれんたくしょうしんしほしゃ)の関係なので、俺を護るイコール、タバサを護ると言う事に成るのですが。

 そして、次に現れた登場人物も、煤に汚れ、更に、貴族に相応しい服装が異常に泥に汚れた状態で有った。
 そう。西百合騎士団副団長と名乗った青年騎士ジル・ド・レイが、俺……ではなく、おそらくタバサの方に近寄って来たのでしょうね。

 先ず、身長に関しては、間違いなく180以上。髪の毛は、癖のない金髪。瞳は碧眼。もっとも、トリステインのグリフォン隊々長のワルドが髭を生やしていたのに対して、彼は髭などを生やしてはいませんでした。
 ただ、現在の時間帯から来る彼自身の好調さと、彼の一族の特徴で有る人成らざる者の特殊な威圧感。そして、時折見せるその視線の強さは、並みの人間ならば、瞬間に戦意を消失させる事が可能だと思わせるに相応しい物で有りました。

 しかし、ガリアには、あの種族の貴族が多く存在しているのでしょうか。

 座り込んでいた俺とタバサが、立ち上がってジル・ド・レイを出迎える。
 但し、当然にように、彼が敵だと思って対処し易いように立ち上がった訳では無く、先ほどの援護に対しての礼を告げる為に立ち上がったのですが。

 そうして、

「先ほどは、危ないトコロを助けて頂いて感謝の言葉も御座いません。御蔭で、我が主と共に、無事に虎口を脱する事が出来ました」

 ……と告げてから後、深々と貴族風の礼を行う俺。
 この世界にやって来てから身に付けた特技。使う機会はあまり有りませんから、使える時に使わなければもったいないですからね。

「いえ、大して援護をする事が出来ずに心苦しい限りです。本来なら、あれの相手は、我らガリアの騎士の仕事のはずでしたが、私と私の配下では無理でした」

 先ずはそう答えてから、片膝を付き、タバサの差し出した右手に軽く口付けを行うジル・ド・レイ。
 それは、貴婦人と騎士の有るべき姿。
 但し、双方とも、その豪華であった服装はあちこちが破れ、煤に汚れた状態であったのですが。

「いえ、ラヴァル卿の水龍と、貴方の配下による最後の蟲による障壁が無ければ、あの邪神は未だ健在だったでしょう」

 そう。おそらく、あの水龍を操っていたのは、眼前のこの青年騎士。そして、あの緑色のドレスを纏った少女が、蟲に因る障壁を施してくれたのだと思います。
 もっとも、この青年が水属性だと言うのは、彼の家名から推測した単なる当て推量なのですが。

 俺の言葉に、流石に少し驚いたような顔を見せるジル・ド・レイ。そして、まったく表情を変える事のないタバサ。
 矢張り、俺の知って居るジル・ド・レイと同じ名前だったか。ならば、種明かし。

「私の知って居るジル・ド・レイ男爵の正式な名前は、ジル・ド・モンモランシ=ラヴァルでしたから、そう問い掛けたまでです」

 そう答える俺。但し、俺の知って居るジル・ド・レイとは、フランスの百年戦争時代の人物で、ジャンヌ・ダルクと共に戦い、救国の英雄として称えられた人物の事です。
 もっとも、その最期は、宗教裁判により絞首刑の後、敬愛するジャンヌのように火刑に処されたはずなのですが。

 ただ、当時の宗教裁判ですし、どうも胡散臭いトコロも有ると思いますが。例えば、本当に悪魔を崇拝していた人間が、キリスト教から破門されたぐらいで改心し、懺悔を乞うとも思えないのですけどね。
 その理由は、俺ならば、キリスト教からも、ましてブリミル教からでも破門されたとしても屁とも思いませんから。

 それに、その宗教裁判自体が、確か、当時のフランスでも一、二を争う金持ちだった彼の財産を狙った親族の聖職者による宗教裁判の判決だったとも思いますし……。

 おっと、これは、地球世界のジル・ド・レイへの考察でしたか。

 そして、この目の前の青年騎士が、地球世界のジル・ド・レイのような狂気に走る可能性は低いと思いますしね。
 もし、地球世界のジル・ド・レイが本当に狂気に走ったのだとしたら、それは敬愛するジャンヌ・ダルクを護らなかった神と王に愛想を尽かしたから。
 その王の名前は、シャルル六世です。

 少なくとも、この世界ではシャルルは王位に即く事は有りませんでしたから。

 そして、彼が水属性の魔法が行使出来ると思った最大の理由は……。

 トリステインの古い水の使い手の一族と同じ苗字だったから。
 まして、その特徴的な金髪と碧眼。確かに体格が違い過ぎますが、それは男性と女性との差と考えるなら、そう不思議でもない事。
 そして、彼女と、この眼前の青年騎士に僅かながら面差しに似た雰囲気が有る事。

 それに、今、思い返して見ると、モンモランシーの動きにも、多少の違和感のような物も有りましたから。

 ギーシュくんとシェスタがぶつかった時に感じた精霊の不自然な動き。
 フリッグの舞踏会の時に、誰も、ルイズと踊っていた俺のドッペルゲンガーを不審に思わなかったのに、彼女だけはそれを察知した事。
 そして、最後は、昨日の不気味な薬。

 あの妙な薬を飲まされていなければ、今夜の任務は、かなり厳しい任務と成っていたでしょう。

 つまり、モンモランシーも、ジョルジュと同じような任務を帯びた存在だったと言う事。

 まして、トリステイン貴族のモンモランシーの実家が治める領地とは、ガリア領と面していると言う話です。
 それに、俺が知って居る地名。モンモランシー渓谷とは、間違いなく地球世界ではフランスに存在する地名の事です。

 ……トリステインに諜報組織が有るかどうか判りませんが、少なくとも、ガリアの諜報組織は優秀ですね。

 しかし……。

「確かに、あの水龍は私の魔法ですが、あの土の精霊を纏った蟲は、私の配下の操った魔法では有りません」

 俺の問い掛けに対して、誠実な騎士としての表情を見せながら、ジル・ド・レイがそう答えた。そして、その言葉の中に、ウソや偽りが含まれている雰囲気を感じる事は有りませんでした。
 ……と言う事は、あの緑のドレスの少女は、ガリアとは無関係だったと言う事なのでしょうか。

「それでは、あの最後の場面で俺とタバサを護ってくれたのは一体……」

 ジル・ド・レイからタバサへと視線を移しながら、そう独り言を呟く俺。
 しかし、タバサはふるふると首を横に振る。
 これは、否定。おそらく、タバサもあの緑色のドレスを纏った黒髪の少女に心当たりがないと言う事なのでしょう。

 ただ、あのカジノに何者かは判らないけど、人外の存在が居た事は確かですし、彼女以外に俺達を助けてくれそうな存在は居なかったと思うのですが……。

 
 

 
後書き
 最後の方はカジノ話とは思えないような展開でしたが……。
 まして、気枯れ(ケガレ)などと言う言葉は、ゼロ魔ドコロか、西洋風ファンタジー世界にはそぐわない言葉ですし。

 ただ、ゼロ魔原作小説通りの展開では無理が有りますし、もうひとつ重要な理由が有って、この話は出来上がりました。
 問題が有ったんですよ、このタバサとギャンブラーについては。

 最初の問題は、大方の予想通り、精霊魔法を使用した幻術程度では、タバサも、そして主人公も騙す事が出来ない事。
 もうひとつの問題は、残念ながら、ここでは語らずに済ませます。

 もう断言して置きますが、ラグドリアン湖の事件。徐々にラグドリアン湖が増水して行く事件は起こりますが、内容は変えます。
 このカジノの話と同じ理由で、そのまま行うとかなり問題が有り、矛盾が発生するからです。

 尚、その理由は……。アンチと取られる可能性が有りますから、記載はしません。
 但し、私の目から見させて貰うと、原作のままで双方を進める方が問題は大きいと思うのですが……。

 もし、この説明で納得出来なければ、感想で問い掛けて下さい。詳しい事情は説明します。
 但し、アンチと取られる内容と成ります。私としては、矛盾点の排除の一環で為した事ですから、そう思われる事は非常に辛いですから。

 それでは、次回タイトルは『UMA登場?』です。

 何か、微妙なタイトルですが、今回のカジノ編の後日談と、原作小説内で進行しているイベントの進行具合の説明。そして、後半部分で次の、この『蒼き夢の果てに』ヴァージョンのミノタウウロス話のオープニングです。

 追記。カジノ内で陰火が広がった件について。

 あのシーンは、本来は、『不死鳥再生話』で行おうかと思っていたシーンでした。
 ただ、不死鳥の再生の現場で、ここまで異常な事態に陥る可能性を主人公が想定しない訳がないので、地面自体に罠を仕掛けるのではなく、結界で覆う事により殺人祭鬼の連中の侵入を防ぐ、と言う選択肢を選んだのです。
 
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