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その男ゼロ ~my hometown is Roanapur~

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chapter 05 : beginning of the end
  #48 "Roanapur summit"

 
前書き
ふふふ……

今日は楽しみだ。

本当に楽しみだ。





 

 
【11月3日 PM 1:06】

[連絡会開始より40分経過]

Side 張

言葉は時に刃となり、また爆弾ともなり得る最強にして厄介な武器だ。
そんな事は充分に分かっていたつもりだったし、コイツが今日の連絡会で何か仕掛けてくる可能性も考慮してはいたんだがな……

やはり言葉を有用に使うという点では男は女にかなわんものらしい。
その事をたった今つくづく思い知らされた。
だからといってこのまま黙っている、というわけにもいかん。
全く管理職とは辛いものだ。

「バラライカ。すまんがもう一度聞かせてくれないか? 出来ればもう少し詳しくな」

顔だけを彼女に向け、サングラス越しに問い掛ける。
表情にも言葉にも震えが現れていないと信じながら。
我ながら何とも情けない話ではあるが。

「耳が遠くなったか、張。
それとも私の英語の発音が(つたな)かったかな?
それならば、 I am sorry, Mr.Chang.
ふふ、どうだ?
これなら聞きとれたか」

そう此方に告げてきた彼女の口許に浮かぶのは明確なまでの微笑。
自分の発言がどんな影響をもたらすか。その事を良く理解している人間だけが見せる類いの表情だ。
全く大した女王様だ。

「おい、バラライカ!
テメエにジョークのセンスがねえ事は承知してるがよ!
さすがに今のはいただけねえぜ!」

俺の左隣に立っていたヴェロッキオが激昂して言葉をぶつける。
奴のイタリア訛りがキツい英語はいつも聞き取りにくいが、何故か今回はハッキリと理解できた。
こんな時でなければ笑い話の一つにも出来るんだがな……

「そ、そうだぜ。バラライカ。 アンタも分かってんだろ?
今は街がとんでもねえ状況になってんだぜ。
それで今日わざわざ俺達が集まってんじゃねえか。
さっきまでやたらダンマリ決め込んでると思やあ、いきなり口開くなり、な、なんて事言いやがる。
言うに事欠いて、お、俺達の中に……」

アブレーゴも追随するように言葉を吐き出す。
コイツのところは少し前にホテル・モスクワと揉めたばかりだからな。
今日の会議でも当初からやたらと汗をかいていたし、さぞ緊張していたんだろう。
挙げ句の果てがこれだ。

当事者の一人でなければ慰めの言葉でも掛けてやれるんだが、さて……

「待て、落ち着け。ヴェロッキオ、アブレーゴ」

俺の口から出たのは、我ながらありふれたつまらん言葉。
もうちょっと気の利いた人間だと、自負していたんがな。

「うるせえぞ、張!
これが黙っていられるかってんだ!
おい!火傷顔(フライフェイス)!このイワンの糞アバズレが!
テメエ!もういっぺん言ってみやがれ!
俺にもよ~く分かるようにな!
その薄汚え顔面の真ん中にあるケツの穴より臭え穴をはっきり、ゆっくり、大きく動かしてよ!」

ヴェロッキオが此方に向けて一喝した後、再びバラライカに向き直り、ゆっくりとした発音で要求を突き付ける。
要求、か。
確かにヴェロッキオの分厚い唇から強い調子で発せられた言葉は、要求と呼べるものかもしれない。
彼の肩と言葉の震えに敢えて目を瞑ればだが。

「………」

アブレーゴは無言。
こちらは肩どころか全身が震えている。
南国生まれの彼には北国の女の言葉は冷たすぎるのかもな。

「お望みとあれば聞かせてやるよ。ヴェロッキオ。張もアブレーゴも良く聞いておけ」

「………」

「………」

「………」

俺の正面に立つバラライカが再び口を開く。
そして黙り込む俺達三人。
やれやれ。
いよいよ女王陛下のお言葉を待つ従者という図式だな、これは。
女を仰ぎ見るというのは初めての経験だが、何とまあ……

人生には知らない事が多い方が楽しめる。
全く至言だ。
アイツからこの言葉を聞いたのは、さてどんな状況だったか。

益体もない事を考える俺を気にする風もなく、バラライカは先刻の発言を繰り返す。

俺達三人に向けて降り下ろされた氷の刃。
或いはロアナプラ(この街)をまとめて吹き飛ばす焼夷弾のような一撃。
そう例えたくなるような鮮烈な言葉を。

「私は今回の事件の黒幕はこの中にいると確信している。
一両日中にホテル・モスクワは、該当する組織に対し戦闘を開始する」













【11月3日 PM12:34】

[連絡会開始より8分経過]

Side アブレーゴ

「さて、そろそろ本題に入ろうか。
今この街ではホテル・モスクワに対して何者かが襲撃を行っている。
残念ながら襲撃犯の特定はまだだ。
実行犯どころか裏で糸を引いてる連中の、勿論いると仮定すればだが、見当もついていない。
今回連絡会を招集したのはその為だ。
また、一つ付け加えておくと被害はバラライカのところだけじゃない。
三合会(うち)の人間も殺られた。分かったのは一昨日だ」

「張、実は俺んとこにも被害が出てんだよ。こりゃあ、やっぱり……」

張とヴェロッキオが会話を交わしているが、俺はそれに相槌を打つ事も出来ずにいた。
ただただ右隣に立つ女の事が気になって仕方なかった。
会議の冒頭から、薄い笑みを浮かべたまま沈黙を保つ火傷顔(フライ・フェイス)の事が。

最初は連絡会なんて代物は馬鹿馬鹿しい考えにしか思えなかった。
確かにこのロアナプラって街は単一の組織が支配するのはまず無理だ。
(タイって土地はどこからも遠すぎるし、どこからも近すぎる。
南米や欧州みてえに余所からの干渉をはね除けんのには向いてねえ)

だからって組織同士で仲良く手え繋いでやっていこうなんざ、それ以上に無理だと思った。
実際小競り合いどころか"大"競り合いだってしょっちゅうだ。
こんなちっぽけな街、いつ吹き飛んだっておかしかねえ。
それでもどうにかこうにかやってきたんだ。今までは。

額から冷たい汗が流れるのを感じ、指でそっと掬いとる。
俺だってカルテルの一員として、ロアナプラって厄介な土地を任されてる男だ。
それなり、どころじゃねえ修羅場だって潜り抜けてきた。
だからこそ、こうしてこの何十人かの人間が(ひし)めき合ってる連絡会って舞台のど真ん中に。
たった四人しか立てねえ場所にいられるんだ。
冷静になんなきゃいけねえ。落ち着かなきゃいけねえ。
分かってる。分かってはいるんだけどよ。

俺はもう一度右側を窺った。顔は動かさねえ。目だけを動かし、そっとだ。

そこに立つバラライカは、変わらず前を向いたままで会話に加わろうともしねえ。
腕を組んだまま張とヴェロッキオの野郎が話してんのを聞いている、ように見える。

俺から見えるのはロシア女の左側面。
火傷の跡なんて無え、綺麗な白い肌を残してる方だ。
火傷でひきつってる右側は俺からは良く見えねえ。
その事を少し残念に思う自分に気付く。
火で汚されたあの肌を見れりゃあ何か分かるのかもしれねえのに、と。

バラライカって女と相対していて、気付くのはコイツが俺達とは全く違う人種だって事だ。
俺達ってのはマフィアだとか、何だとか、そういうちっぽけな意味じゃねえ。
コイツは俺が今まで出会ってきた連中のどいつとも違う。
違うんだ。
噂じゃソ連の元軍人だって話だが、単に元軍人ってだけなら本国に居た頃に散々見てきた。
それもただの元軍人じゃねえ。
国家やら宗教やら主義主張やら。
そんな色々なもんに裏切られて棄てられて、ボロボロになっちまった軍人どもだ。
そういう奴等は大抵同じ目をしているからすぐに分かる。
なんにでも噛み付きたがる犬のような目をしてやがるんだ。

てめえ自身や周りの損得なぞ勘定出来ねえ、する気もねえ。
俺らみてえに意地汚く生き抜いていこうとはしやがらねえ。
なんもかんも諦めちまってる訳でもねえ。

ただ何かを欲しがって。
何かを欲しがってる事を隠そうともしやがらずに。
目ん玉だけをギラギラさせながら、噛み付く相手を探してる。

そんな元軍人連中は腐るほど見てきた。
だから断言出来る。

バラライカって女はそういう連中とは違うんだと。

初めてホテル・モスクワの女首領に会ったのは、当然ながら連絡会という場だった。
初対面の印象はとにかく最悪。
何せカルテルのロアナプラ支部がホテル・モスクワに潰されてすぐの時だ。
一応組織の上同士で話は着けているとはいえ、油断出来るわけも和やかに付き合えるわけもねえ。
この世界は舐められたらおしまい。
況して一度味噌が着いちまってる手前、余計に気を張っていかなきゃいけねえ。
そう思って臨んだ連絡会。
俺は(つら)の上に笑顔こそ浮かべながら、眼だけには力を込めつつバラライカという当面の仮想敵を観察し続けた。

………確かその時の連絡会は一時間程度だったと思う。
解散した後に帰りの車ん中で、俺はただひたすら会ったばかりのロシア女の事を考えていた。
一見その女は典型的な糞アマに思えた。
人に命令する事に慣れてる、男を見下す事に喜びを見出だすタイプのアマだ。
口許にはいつでも冷笑を浮かべ、俺らを馬鹿にしてやがる。
テメエは元軍人さまの白人さま。
この糞ったれな街に巣食うマフィア供ん中でも最悪とも言われてる力の持ち主。
ノコノコ南米からやって来た俺なんぞ、道端に(うずくま)ってる犬っコロ程度にしか思っていやがらねえ。
奴の左側の、綺麗なままの面にはそう書いてある。

少なくとも当時の俺にはそう思えた。

"その事"に気付いたのはいつだったか。
何の感情も浮かべていない。
いや、浮かべる事が出来ない。 火傷顔(フライ・フェイス)の由来ともなったひきつった皮膚。
そこにこそバラライカという女の本質が眠っているという事に気付いたのは。

「アブレーゴ、お前んとこは大丈夫なのか?被害は出てねえのか」

ヴェロッキオに話し掛けられ、意識が裡から外へと向かう。
時計も見てねえからどれくらい時間が経ったかは分からねえ。
まあ大して経っちゃいねえんだろうが。

「おい、アブレーゴ。聞いてんのか?」

「ああ、すまねえ。俺んとこにゃ被害は出てねえ。悪いが大した情報もねえ」

正面のヴェロッキオに答えを返しながら、俺は不思議な確信を覚えていた。
バラライカはこのまま黙ったままじゃいねえ。
俺からは見えねえ側に何か隠し持ってやがるに違いねえ。
今日が、そして今回の一件がどうなるかは分からねえが中心にいるのはこの女だ。
どんな時だってそうなんだ。
この街のど真ん中にゃあ、いつだってこの女がいる。
俺らはこの女が何か始めてから漸く動き出せる。
どうやったってそうなんだよ………
















【11月3日 PM1:23】

[連絡会開始より57分経過]

Side ヴェロッキオ

「ハッタリだ!あんなもんハッタリに決まってる!
ほ、本気でやらかすわけねえ!
お、俺達ん中に黒幕がいるだあ?んな訳ねえだろうがよ!」

クソッ!クソッ!クソッ!ふざけんじゃねえぞ!
あんの腐れアマ何考えてやがる!戦争だあ?
この街はテメエの遊び場じゃねえんだぞ、クソッタレが。

俺は歯を食いしばりながら部屋の出口を睨みつける。
イカれた戦争狂のロシア女は部下を引き連れてとっくに出て行っちまった。
俺らが引き留めたにも関わらず、だ。
戦争の準備でもしようってのかよ。
畜生………
何でこうなっちまうんだ、糞!

「バラライカはよお……
やるつったらやる女だよな。
ハッタリかますような奴ならまだ楽なんだけどよお……
張、本国で何かあったって事はねえか。バラライカが決断するような」

アブレーゴが張の野郎に話し掛ける。
糞っ!呑気な連中が。
何とかしなきゃいけねえ。
あの糞アマが自棄起こす前にだ。考えろ、何か手がある筈だ。何か、何か……

「……俺の方には情報は来てない。
ただホテル・モスクワにとってもこの街は重要な意味を持っている筈だ。
そう簡単に焼き払えるものでもない。
バラライカのさっきのアレは額面通りに受け取るべきではないだろう」

ホテル・モスクワにとって!
組織にとっちゃあ確かに重要な土地なんだろうけどよ。
あのアマは本当にそんなもん気に掛けんのかよ!
もしかしたら本当に本国で何かあったんじゃねえのか。
それで何もかもぶっ壊すつもりにでもなったんじゃねえのか。
くそっ! 俺はテメエらとは違うんだよ!
頭ん中がウォッカと弾薬漬けになってやがる、テメエらイカれ連中とは違うんだよ!
パレルモの親分衆がどれだけこのチンケな街を気にしてると思ってやがる!

だから俺はわざわざ……

「い、言っとくけどよ。
俺ゃあ今回の件は本当に無関係なんだ。
バラライカがどう考えてるかは分からねえが、本当に関係ねえんだ。
アンタだってそうだろ?こんな事やらかすような奴じゃねえよな、アンタは。
………なあ。
アンタから説得しちゃくれねえか。
この街でバラライカとタメで口きけるなんざ、アンタくれえのもんだ。
さっきのがハッタリじゃねえとしても、何かバラライカに考えがあるのは確かだろ。
とにかく一度話をしてみてくれねえか。
向こうだって聞く耳持たねえってつもりはないんじゃねえかな。
それだったら今日の連絡会だって来なかったと思うんだ」

アブレーゴの野郎は相変わらず、張とぐちゃぐちゃ話してやがる。
あんな細い目をグラサンで隠してる中国人(チンク)野郎なんぞに何が出来るってんだ! 俺が何とかしなきゃいけねえ。
誰も頼りになんねえ。
部下どもも使いもんにならねえ。
まともに"子守り"も出来ねえ奴等ばかりだ。
俺が何とか…
俺が何とかしねえと………

「……話はするつもりだ。
この街を火の海にさせる訳にもいかんからな。
ただ何か情報が欲しい。何でもいい。何かないか?今度の一件に関する何かだ」

張の言葉にアブレーゴが黙り込む。
今度の件について知っている事?
何も知っている訳がねえだろ!
俺以外の奴が何も知っている訳がねえんだよ、クソッタレ。
あのアバズレだってそうだ。
何も知っているわけねえ。
そうだ。知っているわきゃねえんだ。
あんなのはただのハッタリだ。そうに違いねえ。だから、今は………

時間だ!時間を稼ぐんだ!時間さえ稼げりゃ何とかなる。"まだ"何とかなる。

考えろ、考えろ、考えろ。
何が必要だ。いま何が必要だ。
あのロシア女が欲しがってるものは何だ。

(えさ)だ!

獣が欲しがるのはいつだって餌だ。
奴が欲しがってんのは、その中でも戦争って名前の特別な餌だ。
そんなもんくれてやるわけにゃあいかねえ。
野良犬に上等な肉を喰らわせる馬鹿はいねえ。
クソッタレな犬っコロにゃあ、腐りかけの肉で充分だ。

えさ、エサ、餌……
何だ、どんな餌を与えてやりゃあいい……
あの腐れアマに相応しい腐りかけの餌が何処かに……

…………………あっ

「よおっ……バラライカを止める方法があるぜ」

呟くような言葉だったが、二人の耳にはキッチリ届いたらしい。
張とアブレーゴの視線を受け止めながら、俺は笑いだしそうになるのを堪えてた。

そうだ。この手だ。これなら止められる。この"餌"ならあの雌犬も満足するに違いねえ。

「あの女は要するに意地になってんだよ。
テメエに喧嘩売ってきてる相手の姿が見えねえもんだからよ。
そんで俺らに八つ当たりしようってのさ。

へっ。

この街全部巻き込んで、派手に火遊びかましてストレス解消ってか。
だから女は嫌れえなんだよ。
周りの都合なんざお構い無し。 テメエの感情だけで動きやがる。
冗談じゃねえ。
何で俺らがヒス女の面倒なんぞ見なきゃいけねえんだよ。そんなもん真っ平ごめんだ!」

二人は黙って俺の話を聞き続けてる。
そうだ。テメエらは口を閉じて大人しく聞いてりゃいい。
今度の一件は俺が始末を着ける。何故なら……

「とは言ってもよ。
あの女を放っておく訳にもいかねえ。
適当な餌を与える必要がある。
獣ってやつは腹あ満たせば満足するもんさ。
だから呉れてやりゃあいいんだよ。この事件の犯人って餌をな」

アブレーゴは馬鹿みてえに口を開きっ放しのまま俺の話を聞いてる。
張の奴は何を考えてやがんだか、少し俯き加減に黙ったままだ。

へっへへへへへへへ。
そうだ。黙ったままでいろ。
テメエら馬鹿にゃ思い付かねえ解決策ってやつを俺がくれてやる。

くっくくくくくくくくくくく。
これぞ素晴らしき解決策だ。バラライカ相手に喰らわせてやる餌を俺が用意してやる。

けっけけけけけけけけけ。

かっかかかかかかかかか。

うへへへへへへへへへへ。

笑いが止まらねえ。気に入らねえ連中の鼻を明かしてやる最高のチャンスだ。

「いいか。バラライカ相手にくれてやろうや。
アイツが欲しくて欲しくてたまらねえ上等の餌をよ。そうすりゃ俺らは安泰だぜ」

「………あ、あのよ」

アブレーゴが何か話そうとするのを片手で遮る。
へっ。慌てんじゃねえよ。
お前らにも喰らわせてやるさ。"真犯人"って餌をな。

「分かってるさ。
誰が犯人なのかってんだろ?
いるじゃねえか。この街にゃあ一人。
バラライカ相手にだって平気で喧嘩売りかねねえ。
一体何考えてんだか分かんねえ。
この街の事にやたら詳しい、不気味でムカつく飛びっきりの糞野郎がよ」

見てろよ。これで一発逆転だぜ………














【11月3日 PM1:33】

[連絡会会場より退出後12分経過]

Side バラライカ

「ボリス。客人は?」

「はっ。既に到着したとの連絡を受けました。
大尉殿(カピターン)のお帰りをお待ちいただいております」

「そうか。大事な客人だ。粗相のないようにせよ」

そう告げて、私は懐のシガーケースから葉巻を取り出した。
唇にくわえると同時に差し出されるのはオイルライター。
副官(ボリス)により先端に灯された火はゆっくりと内部に熱を染み渡らせ、やがて車内には柔らかい紫煙が立ち昇ってゆく。
事務所へと向かう車の後部座席。
私はシートに背を預けながら薄く目を細める。
葉巻特有の強い香りに包まれながら、私が考えているのはこれからの事。

先般まで行われていた連絡会などはもう私の記憶領域の奥底へと沈んでいた。
私の発言で彼等がどう動くか。
それは彼等の問題であって私の問題ではない。
もし彼等が連合してホテル・モスクワ(私と私の部下達)と戦おうというなら、それはそれで構わない。
必ずしも私の望む戦いではないが、この街は私の望むべき戦場ではある。
私の前に立ち塞がるというなら、排除して殲滅するだけ。

そう、ただそれだけの事。

車窓には流れてゆくロアナプラの街並みが映し出されている。
市街戦は好みではないがそれもやむ無し。
まあ、あくまで彼等が望むならだが。

私に私の都合があるように彼等には彼等の都合がある。
戦いを回避せんと努めるならそれも良し。
それがマフィア流だというなら、それを貫き通せばいい。

私には関係ない。

私は私のやるべき事をやる。私と、私の部下の為に。

「同士軍曹。今朝届いた"贈り物"だが、贈り主については何か分かったか」

葉巻を指に挟みながら隣に座るボリスに確認する。
今朝、連絡会に出向くまえに事務所に届けられた"贈り物"とその贈り主について。

「申し訳ありません。大尉殿。
現在のところ、まだ部下からは報告は上がってきておりません」

返答は予想の通り。
何か分かっていたなら、私が訊ねる前に報告があっただろう。

「そうか。
あれほどの丁寧な贈り物を頂いたのだ。返礼をせぬという訳にもいくまい。
何としても突き止めろ」

はっ。

ボリスからの返答を受け止め再び葉巻をくわえる。
………口中に苦いものを感じる。
葉巻の味が変わるのは、唯一この時だけだ。

あの"共同墓地"(クラードヴィシャ)からもう何年も経ったがそれだけは変わらない。

今朝の"贈り物"は七人目、或いは八人目に当たるのか。
まさか二人一組(ツーマンセル)を組ませていた私の部下が殺られるとはな。
そうしておけば殺られる筈はない。そう考えていた私の失態だ。

驕慢は身を滅ぼす。
上に立つ者が腐れば下にいるものも同様に腐ってゆく。魂に刻むべき教訓だ。

だが、もうこれ以上好きにはさせん。
夜の闇に隠れて舞い踊れるのは昨夜までだ。

ロアナプラは私の戦場だ。

ここからは私の好きなようにやらせてもらう。そうだ。ここから先は、な。

「大尉殿。事務所へ到着いたしました」

車は『ブーゲンビリア貿易』の表札を掲げたビルの前で停まる。
葉巻を灰皿に押し潰して消した後、ゆっくり立ち上がり車外へと足を踏み出す。

ボリスを後方に従えながらビルへと入っていく私。
その口許には隠しきれぬ笑みが。
そして右の眼にはまだ見ぬ敵への憎悪が浮かんでいた事だろう。
鏡など見ずとも、私はそう確信する事が出来た。
闘争への期待に背を押されるように、私は早足でビルの中を進んでいくのだった………












 
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