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故郷は青き星

作者:TKZ
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第十話

 翌日。1時限目の授業の後にエルシャンは即座に昨日の女性を探しに教室を出る。
 色々問題発言を繰り返したポアーチではあったが、女性へのアプローチに関しては当たり前の事を言っているとエルシャンは思った。
 この世に思っているだけで通じるような愛は存在しない。そんなものはそれこそフィクションの中にしかない。
「言葉にして伝えなければ何も始まらない……」
 遅れてやってきた麻疹の様な恋。だからこそ、その想いは強く一度自覚した以上は忘れてしまえるものではない。恋の草食獣は覚悟を決めて恋愛雑食獣程度には進化したのだった。
 そんな思いはさておき、エルシャンには昨日の女性を探す手がかりが無かった。
 結局最初の休み時間の10分間は、校舎内の廊下を歩き回るだけに費やされ無駄足に終わった。
 教師である可能性が高いのだから職員室や準備室を当たってみれば良かったのだが、恋愛が彼の視野を狭く愚かにしていたため、2時限目の授業以降の休み時間も闇雲に学校中を探し回るだけで無駄にする事となった。

「あぅっ、しまった」
 午前の授業が終わり、急いで昼食を終えて再び探しに行こうと思っていたエルシャンだが、弁当箱が入ったバッグの中にウークの分の弁当箱まで入っている事に気付いた。
 彼女の事で気もそぞろだったために、ウークを一年生の教室まで送って行った時に彼の分を渡すを忘れて持ってきてしまっていたのだった。

「ウーク!」
 急いで弟の教室にたどり着いたエルシャンは、教室の入り口にから呼びかけた。
「兄ちゃん!」
 他のクラスメイトの姿が無く──基本的に生徒は学食で食事をとり、エルシャン兄弟のように弁当を学校に持ち込む方が少数派。だが飯マズのフルント星においてトリマ家の食事のレベルは群を抜いて高く、その食事に慣れてしまったウークにとって学食のメニューは満足できるものではなく母親に作ってもらった弁当を持ち込んでいる──1人教室に残っていたウークは兄の姿を見つけて走りよってくる。
「ごめんなウーク。お弁当を渡すのを忘れて」
 心細かったのだろう。安心して嬉しそうに駆け寄ってくるウークにエルシャンは心から頭を下げる。
 恋に夢中になって弟を蔑ろにしてしまった様な気がして心が痛んだ。
「いいよ、だから一生に食べようよ」
 いつもは弁当を学食に持ち込んでクラスの友達──ウークにはちゃんと友達が居た──と一緒に食べていたのだが、今日は弁当箱が無かった。そのことに気付いたのはHRの後に授業の準備をしていて気付いたのだが、まだ学校に慣れていないウークにとって休み時間に上級生のいる上のフロアに行き、兄から受け取るというミッションは恐ろしくて無理だった。
 だから彼は兄が気付いて持って来てくれる事を信じて教室で一人待っていた。だからちゃんと弁当箱を持ってきてくれたことが嬉しかった『兄ちゃんは頼りになる』と思う。弁当箱を忘れて持って行ってしまったエルシャンが悪い事はすっかり頭の中から飛んでいた。

「そうか、じゃあ今日は一緒に食べるようか」
 バッグを高く持ち上げて見せる。エルシャン的にはむしろ望むところ。久しぶりに自分に頼る様子を見せる弟にテンションが上がった。
「うん」
 自分のお願いを嬉しそうに聞き入れてくれる兄に、ウークははじける様な笑顔で答えた。

 教室の窓際に席でエルシャンはウークとともに少し遅れた昼食を始める。
 ランチボックスの中身は猫──フルント星に地球の猫にそっくりな動物が居たことエルシャンは驚いたが、しかも猫がフルント人にとって最良の友と呼ばれている事には笑ってしまった──を形どった所謂キャラ弁になっていた。
「兄ちゃんニャンコが可愛いね」
「母さんは本当に料理が上手だからね」
 お弁当箱の中にデフォルメされた猫の形に作られたオムレツを見て、嬉しそうに顔を綻ばせるウークにエルシャンもつられて笑顔になる。本当なら急いで食べて昨日の女性を探しに行かなければならないのだが、ウークと一緒にランチをするために時間を潰してしまったというなら仕方なかった。トリマ家的には本当に仕方がないのだった。

「おや、ウーク……と誰だい」
 聞き覚えのある。いや昨日からずっと耳から離れない声にエルシャンは弾かれたように振り替えると、そこには昨日の黒髪の女性が、一日中目を閉じても瞼の裏に映っていた姿のまま立っていた。
「あっ先生!」
 ウークは飾り切りで花に見立てられたソーセージを刺したままのフォークを持って手を振る。
 女性はドアが開け放たれたままの入り口を少し窮屈そうに潜ると、2人が座る窓際の席まで歩いてくる。
 長身の、並みの男よりも10cm以上は高い長身で、背筋を伸ばし大股で颯爽と歩く様は綺麗というより格好良いと誰もが思うだろう。
「おや、君は昨日の……」
「ウークの兄でエルシャンです」
 思いもよらず最初の関門の『自分の名前を名乗る』を突破する事が出来た。
「私はこのクラスの担任のネヴィラ・コリーです。今年正式採用になったばかりのまだ若輩ですが担任として弟さん事は任せてください。お兄さん」
 引きしまった表情で真っ直ぐにエルシャンに話し掛けながら、最後の『お兄さん』でにっこりと笑う。
「こちらこそお願いします。ネヴィラ先生」
 そう言って差し出されたネヴィラの手をエルシャンは取り握手しながら、真面目な顔と笑顔のギャップにやられたと心の中で白旗を上げる。
 同時に第二関門の『相手の名前を知る』を突破して、更に手を握る事ができた事に尻尾が右──犬が尻尾を振るという行動は単純に感情の高まりを意味しており、喜びの衝動として振る場合は右側に振り、警戒や敵対のための感情の高まりに際しては左側に振ると言われている──に振れてしまう。
「お兄さんの噂は聞いているよ。とても弟思いの良いお兄さんだそうだね」
「最近は、ウークもあまり構うと嫌がるようになってきたので、学校でこうして一緒に昼を食べるなんて事はこれが最後かもしれません」
「ウーク君は、兄離れですか?」
「う~ん、わかんない」
 今は兄に甘える弟であるよりも妹達に頼られる兄になりたい。そんな気持ちがウークの中にある。だが兄が嫌いになった訳ではないので返答に困る。
「僕の方がいつまでも弟離れ出来てないんです」
 困った様子の弟の頭に手をのせ優しく撫でながらエルシャンはそう答えた。
「本当に仲の良いのね」
 ごく自然に弟を庇うようなエルシャンの言葉に、ネヴィラは微笑ましそうに和らいだ表情を浮かべる。
 そんな彼女の表情はまるで少女の様に可愛らしかった。今までのさばさばとしてクールな印象との違いにエルシャンの心拍数は更に跳ね上がる。

 一瞬の間に『ここで勝負を掛けるのか?』このフレーズが何度も頭の中をぐるぐると回り続け、次の一瞬には回転の渦の中に『ウークの前でウークの担任に告白は拙くない?』というフレーズが飛び込むと一緒になって回り始めて、更なる思考の迷宮の奥へと陥ろうとしたエルシャンをウークの声が救う。
「兄ちゃん」
 また昨日のように様子がおかしくなった兄に不安を抱いたウークがエルシャンの袖を引きながら呼びかける。
「ん……ああ。何でもないよウーク」
 心配そうな顔をしているウークに笑いかけながらエルシャンはほっとする。

「しかし凄いお弁当だね。可愛いし美味しそうだよ」
 まだ手付かずのエルシャンの弁当を身を乗り出して覗き込みながら感想を述べる。
「この黒いのは何なんだい?」
 オムライスの上に張り付いて猫の顔の目鼻やヒゲを作っている黒いシート状のものを指差して尋ねる。
「これは薄い葉を持つ海草の一種を細かく刻んでから、板の上に均等に隙間無く並べて乾燥させたもので、シルフド星系のラーヴェという伝統食をフルントの海で取れた海草で再現したものです。海の匂いと、一度火にアブってあるので香ばしさが特徴です。まだ試作段階のなのですが、今年中には商品化する予定です」
「さすがはラッシー食品のオーナーの息子だね。偉い偉い」
 淀みなく説明を始めたエルシャンに呆然としたネヴィラだったが、次の瞬間には笑いながらエルシャンの頭を撫でていた。
 ちなみにラッシー食品はエルシャンが考えたアイデア──と言うことになっている。地球の食文化のパクリ──を元に、ユーシンがアレンジした料理や調味料などを販売する会社で、創作料理レストランチェーン『クドリャフカ』も出店も行っている。有限会社として立ち上げたが現在は株式会社になり、株式の80%をポアーチ・ユーシン・エルシャンの3人で所有し、筆頭株主で社長はユーシンが勤める。
「うん。兄ちゃん凄いよ! みんな兄ちゃんが考えたんだから」
 ネヴィラに撫でられて思わず鼻を「きゅ~ん、きゅ~ん」と鳴らしそうなったエルシャンの代わりにウークが答える。
「エルシャン君がかい?」
「うん。カレーも兄ちゃんが最初に作ったんだよ!」
 自慢の兄を、大好きな先生に自慢出来る喜びにウークは頬を紅潮させながら答える。
「カレー? あのカレーを? 君が? 本当か!」
 目の色を変えてエルシャンの肩を掴み、鼻と鼻がぶつかりそうになるほど顔を寄せて尋ねるネヴィラ。
「は、はい。確かにベーシック・カレースパイスは僕が調合しました」
 エルシャンが6つのスパイスを調合して作ったカレー用ミックススパイスは、単純だがはっきりとしたカレーの味わいが楽しめるベーシック・カレースパイスお手ごろな価格で、ユーシンが18種類のスパイスを駆使して完成させた。芸術的ともいえる複雑なスパイスの調和が楽しめるプレミアム・カレースパイスとしてお値打ちな価格で、ラッシー食品より絶賛発売中であった。

 ネヴィラは飯マズのフルント社会においても、特に残念な料理しか作れないある意味エリート料理人だったので、2年前のラッシー食品の起業と同時に発売された冷凍食品シリーズには「こんな美味しいものが今まであっただろうかいや無い!」と感激したり、熱湯を注いで3分で食べられるカップ麺という新しい食品形態には「これに出会う為に私は生まれてきたんだ」と自分の生まれた意味を勘違いしてみたりと、すっかりラッシー食品の商品にはまり込んだ挙句に、ラッシー食品の経営するレストランチェーンが出店されたと知ると、わざわざ遠く離れた街まで三日に一度のペースで通うようになり、そこで出会ったカレーライス──結局、稲に相当する作物は発見できなかったため、澱粉と蛋白質を主原料に食味・食感・形状をご飯そっくりに加工した食品を開発しライスと命名して商品化した──に「神はこの皿の中に居た」と感極まり涙を流したほどだったので、開発者を目の前にしてちょっとテンションがおかしくなると叫んでしまう。
「好きだ! 愛してる!!」
「……はい、僕もです」
 エルシャンは何がどうして結婚に結びついたのか分からないが反射的にそう答えていた。
「あっ…………いや、じょ、冗談だよ」
 顔を赤くしながらネヴィラは慌てて言い繕う。
「えっ、ああ、そうですよね……はっはっはっはぁ」
「君も咄嗟に冗談で返すなんてやるね」
 思いもよらなかったネヴィラからの告白に応じて『ああ漫画のようなご都合主義な展開って普通にあるんだ』と頭の中が、既にめでたい結婚式会場になっていたエルシャンは、一瞬の内に天国から地獄に落とされた気分だった。

 だが今がチャンスである事にエルシャンは気付く。この後どんな話が続いたとしても告白に繋がるような話題や雰囲気に持っていくのは、冷静に考えてみれば自分には無理だと分かる。つまり逆に今この瞬間を逃せば、この後に何年の時を費やしても、何度も会って話をしようが告白なんて無理なのだった。
「……でも、でも僕は…………」
 前に進むしかない。それが分かっていても続きの言葉が出てこない。最後の踏ん切りがつかない。一か八かで思い切って口にするにはエルシャンは彼女に本気になりすぎていた。

 一方ウークには、この短い間に目の前で何が起きたのかまったく把握出来なかった。
 兄の事を胸を張って自慢したら、いつの間にか兄は耳を伏せ背中を丸め尻尾も丸めて、まるで負け犬状態だった。何を言ってるか自分でも分からないが、ともかくこのままでは駄目だと、どうしたら良いのか分からないが何かしなければと思った。
「……兄ちゃん。頑張れ!」
 だがウークに出来たのは応援の言葉を口にする事だけだった。
 しかし、その一言がエルシャンの迷いで出来た心の中の堤防を決壊させる最後の一滴の水となる。
「でも、でも僕は……僕は本気です。僕は本気で貴方の事が好きだ!」
 断崖絶壁の縁で、後ろからトンと背中を押されたら重力に従って落ちるしかない様に、ウークの言葉に背中を押されたエルシャンの口から自然に告白の言葉が口を突いて出た。

「えっ?」
 思いがけない返答にネヴィラは一瞬呆然とし、次の瞬間顔を真っ赤にするという、見た目に反した初心な反応を示す。
 ネヴィラ・コリーは高等教育過程を終了後、3年制の教員教育過程に進み、その後1年間の研修を経て教員になったばかりの19歳。まだ20歳にもなっていないのだがフルント社会においては女として年増と呼ばれる時期であり婚期を逃しつつある年齢だった。
 高等教育過程を終えてパイロットなどの軍関係に進んだ男女の多くが15歳で結婚し、更にフルント社会全体が結婚・出産を奨励し支援する体制が整っているため18歳までの結婚率は実に8割りに迫るとはいえ、20歳を超えて未婚というのは多くは無いが取り立てて珍しいと言うほどでもない。
 だが彼女の心の中には結婚の2文字は存在しなかった。決して異性に嫌悪感を持っているわけでも、結婚という制度に疑問を持っているわけでもない。単純に男性から異性として見られない事による諦めの結果だった。
 化粧したりおしゃれに気を使ってる様子も無いのに関わらず、誰から見ても美人と判断される容貌。男前なくらいにさっぱりしているが周囲への細やかな気遣いも出来る性格。頭の回転も速く身体能力も高い。一見スペックを並べ立てるともてない筈が無いのだが、彼女はシルバ族としての致命的な問題点を抱えていた。
 身長である。彼女の身長は190cmに迫るほどで、成人男子の平均が170cm台半ば成人女子は160cm程度のシルバ族の中では規格外に大きい。そしてその『規格』というのがシルバ族のみならずフルント人の純血主義にとって重要な意味を持っていた。
 シルバ族は6大種族の中では最も小柄な種族であり、小柄であるという事が種族的特長であり身長はあまり極端ではない限り低い方がステータスである。特に女性においては身体が大きいというだけで、女性的な魅力という意味で大きく評価を下げる要因となった。
 そんなシルバ族社会では、女の子が男の子より大きいと言う事は、子供達の間で十分差別の対象となり、その体格の良さから直接的なイジメ対象になることは無かったものの、男の子達は近寄ろうともしなかった。
 一方で女の子達には凄い人気があったのが、彼女にとって救いだった。

 それは思春期になっても変わることは無く、シルバ族の少年達は美しく成長したネヴィラを気にはしつつも結婚の対象としてみる事は決してなかった。その頃になると彼女も自分が女と見られることは無いと自分の人生に見切りをつけるようになっていた。
 それから10年近くの時が過ぎて、人生初めての異性からの告白──実は特殊な趣味を持つ女性からの告白は、悲しい事にかなりあった──に戸惑う。彼女の現在の男性的な性格は、女である事を諦めた後に努力して獲得した性格であり、元々の彼女はむしろとても女性的な性格であり、真っ直ぐ見つめてくるエルシャンの瞳に封じられていた乙女心が蘇ろうとしていた。
「じょ、冗談はもう良いから……」
「冗談なんかじゃない。本気です。僕は貴方が好きだ」
 エルシャンはそう言って身を乗り出すと、ネヴィラの手を取り両手で強く握る。握られた彼女は思わず手を引っ込めようとするが、エルシャンの手は離そうとはしない。
 彼の頭の中で『良いか、告白のタイミングを計るのも重要だが、もっと重要なのは告白した後は、とことん前に出るということだ。そこで退いたら終わりだ。相手が受け入れてくれるか、明確なNOをだすまでは決して退くな』というポアーチの言葉が蘇る。実際正しい事を言って無くもない。エルシャンもそれが正しいと信じていた。。
 ちなみにポアーチが結婚したのは25歳の時。フルント人の常識に照らし合わせれば男性としても完全に婚期を逃した負け犬である。
 これが名門トリマの本家の跡取りという立場だったなら仕方ない部分もある。名声がある一方で、自分の稼ぎまで艦隊運営に注ぎ込む事を求められる名門氏族の跡取りと結婚したいという奇特な女性は少ない。実際、死んだポアーチの兄も30歳を間近にして独身だった。
 更に言えば、フルント人の平均寿命は120歳を超え、150歳を超える長寿を誇る老人も少なくなく、早婚の風習と相まって自分の8代・9代先の子孫が居るという老人はそれほど珍しくは無い。普通なら25歳の時に父親を亡くしたとしても、祖父や曽祖父が普通に現役というのは当たり前なのだが、トリマ家のような名門氏族の本家跡取りともなると軒並み晩婚であり、ポアーチの父親の結婚は50過ぎであり、祖父は40過ぎであった。
 しかしポアーチは跡取りではなく気軽な立場の次男坊である。逆に名門であることが有利に働く立場であり、自身は一流パイロット。見た目も貴公子然とした美男であり、もてない筈が無いのだが、ネヴィラとは違い明確な理由も無く彼は本当にもてなかった。
 もし彼に恋愛面での武勲があるとするならば、兄の死後にトリマ本家の当主に祭り上げられた一年後に、10歳年下で当時は誰もが羨む美少女だったユーシンを射止めたことだけだ。しかし、それもユーシンが何を血迷ったのかポアーチに一方的に惚れるという珍事の結果であり、とても胸張って息子に恋愛を語る資格などは無かったのであった。

 そんな事とは露知らず、エルシャンは父の言葉を信じて全面攻勢を崩さない。
「一目見て心を奪われました」
 これはネヴィラにとって心底嬉しい言葉である。戸惑いと混乱の中でも心の真ん中を打ち抜くような言葉だった。
 一目見て、つまり一番目立つ自分の身長の高さを含めてと言うことであり、「デカ女」の一言で女としての自分を否定され続けてきた彼女には涙が出るほど嬉しい言葉だ。だがどんなに嬉しくても頷けるわけが無い。
 相手は自分の半分も生きていない、まだ9歳の少年。しかも出会って間もない相手であり、恋愛の対象として見るには余りにも相手の事を知らなかった。
「幾つ年が離れていると思うんだ!」
 エルシャンの手を振り解いて大きな声を上げる。
「年の差ですか。それならもし僕が貴方と同じ歳だったとしたら付き合っても良いと思っていてくれるんですか?」
 一方エルシャンは、まるで言質をとったかのように目を逸らさずに冷静に確認する。
 内心はかなり限界ギリギリなのだが『目を逸らしたら負けかな』という思いでネヴィラの目をじっと見つめながら話す。
「い、いや、そんな事は言ってない。大体私と君は教師と生徒じゃないか」
 誤解とはいえ、年下の少年の男らしい態度にネヴィラは目覚めたばかりの初心な乙女心を揺さぶられる。
 理屈ではなく彼女の中の女の部分が、良く知りもしない目の前の少年に惹きつけられていく。
「僕は何時までも生徒じゃありません。初等教育過程を終えればこの学校の生徒じゃなくなります」
「違う。違う。君は何も分かっていない。こんなアルキタ族との混じり者呼ばわりされる私とトリマの跡取りの君が、つり合う筈が無いだろう!」
 ネヴィラはエルシャンに惹きつけられる自分の気持ちを振り払うために、あえて自分に向けられる誹謗の中で最も嫌な言葉である『混じり者』を口にした。
 血が混じり合う事を禁忌とする純血主義の行き過ぎた面。単に他の種族との間に産まれた子を差す『雑種』とは別に、血統的には同種族でありながら種族的特長から外れた者を差別する言葉。古来は他種族との不義の血筋の雑種で在りながら同族面する恥さらしという意味だが、現在は全く根拠無く使われる差別用語であり、良く陰口として使われて来た言葉だった。
 そんな言葉を使わなければならないほど彼女は追い込まれていた。
 彼女には自分の存在が両親の仲を引き裂き家庭を崩壊させたという負い目があった。
 最初は普通の家庭だった。ただ生まれたばかりの娘が普通より少し大きかったという事以外は。だがネヴィラが1歳になり2歳になり明らかに同じ年齢の子供達とは体格がかけ離れて大きくなるに従い夫婦の仲は冷めていった。
 夫は妻に隠れて自分と娘の遺伝子鑑定を行う。結果は紛れも無く自分の子供だと分かったが、鑑定した事が妻に知れると溝は決定的なものとなる。
 互いにどちらかの血統に問題があったと疑い合う。フルント人にとって自分の血統が『混じり者』であるなどと認める事は無いために、互いに相手をそう罵るようになり、ネヴィラが5歳になる前に夫婦は、調停に入った裁判所が徹底した遺伝子鑑定を行いネヴィラ本人。両親ともに遺伝子的に純血のシルバ族であるという鑑定が出たにも関わらず破局し離婚に至る。
 その後、両親が共に親権を放棄したためにネヴィラは施設に送られてそこで育った。幸い人口増加が国是であるフルントでは施設の子供達は手厚く保護されたが両親に捨てられた彼女の心の傷は大きかった。

 ちなみにフルント人の種族といっても、それぞれが全く別の生き物から進化したわけでも、異なる血統から誕生したわけでもない。元は原種と呼ばれる同じ一つの種族から始まり、フルント星中に生活圏を広げていく過程で、取り巻く自然環境などの違いから地域ごとに特性を持つ種が生まれたに過ぎない。
 そもそも彼等が持つ純血主義という考え自体が妄想に過ぎなく、各種族は現在も生活環境に応じて変化を続けている。本来のシルバ族は全体的にもっと細い体つきで顔も細面だったが現在は丸い顔立ちで骨格もしっかりしていて大型化している。これは他の種族にも言えることで文明の発達による生活環境の均一化が種族間の差異を減らし、今は滅びてしまった原種とは別の形ではあるが、各種族は再び一つの種族へとなるべく進化の途上にあるという意見が様々な分野の研究者の間でも有力になっている。

「問題はそれだけですか?」
 心の基礎に地球人のメンタリティが詰まってるエルシャンにとって、彼女の懸念など、どうでも良い話だった。
 実際、彼女にアルキタ族の血が入っていたとしても、それ以前にアルキタ族だったとしても彼にとっては心変わりする理由にはならない。どのみち地球人類からは遠く離れた種である事に違いは無い。
 それに雑種への差別の残るフルント人社会において、彼女が遺伝子レベルでシルバ族と確認されなければ教師にはなれなかったはずなので、根拠の無い誹謗などポアーチやユーシンは気にもしないだろう。
 可能性としてあるのは親戚の分家筋が文句をつけて来る事だが、本家の地位を譲ってやると脅せば尻尾を巻いて逃げ出すだろう。
 最悪、可哀想だがウークに全てを押し付ける事さえも考えていた。

「駄目だ。駄目なんだ。私は、私はとうに女を捨てたんだ──」
 声を荒げて否定するネヴィラの目元に浮かんだ涙の粒を見た瞬間エルシャンの理性が吹っ飛んだ。
 同時に彼の中で眠っていた本能。深い深い、冬眠よりも深い眠りでもう一生目覚めないと思われていた彼の中の恋愛肉食獣がついに目覚めた。

 椅子を蹴って立ち上がると、目線の高さが合った──2人の身長には50cm近くの差がある──右手でネヴィラの肩を掴んで引き寄せ、そのまま左腕を彼女の首の裏に回して抱き寄せると、リップクリームを塗っただけの形の良いその唇を強引に奪った。
 その間僅か1秒。唇を奪われたネヴィラも、それを見ていたウークも呆然と目を見開いて固まっている。
 そしてゆっくりと唇を離す。
「貴方が捨てた女を僕にください。一生大事にします」
 真顔でそんな臭い台詞を口にしたエルシャンだが、既に自分でも何を言ってるのか良く分かっていなかった。
 そして、言われたネヴィラも何を言われているのかショックの余り良く分かっていなかった。
 はっきりしているのは、目覚めたばかりの乙女心が目覚めたばかりの恋愛肉食獣に美味しく頂かれてしまったということだけだった。
「……はい」
 訳の分からないまま、そう答えてしまったネヴィラの唇をエルシャンの唇が再び塞ぐ。
 そして一番訳の分かっていないウークは、大好きな先生と大好きな兄の超展開に「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ…………」と小さく声を上げ続けるしか出来なかった。

 ちなみにその30秒後、正気を取り戻したネヴィラにエルシャンは全力の平手打ちを貰って文字通りぶっ飛ばされた。 
 

 
後書き
書いてる作者も驚きの超展開。

話の展開が遅くなってイライラしてやった。
今も反省はしていない。 
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