『月と太陽と星』騎士時代編
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騎士時代編(劇場版ルート)5
16
翌日。
私とフレンとユーリで、隊長の遺品整理をしていた。
といっても、遺体はないし、棺に入れるものは個人が所有していた極僅かなものだ。
ユーリが持ち上げた兜には、無数の小さな傷が刻まれていた。
激戦の跡というよりは、彼が日々を兵士として真っ当に生きた証のように見えた。
フレンが丁寧に畳む衣服からは、微かに使い慣れた香料と、革の匂いが立ち上る。
私が手にした時計は、すでに刻むのを止めていた。
ぜんまいを巻けば再び動き出すはずだが、今はその静寂を破るのがためらわれた。
最後に残った、色あせかけた一枚の写真。
そこには、戦場での厳しい顔とは似てもつかない、一人の父親としての柔和な笑顔があった。
三人の視線がその一点に集まり、誰もが言葉を失う。
彼が守ろうとした世界の重みが、その薄い紙一枚に凝縮されているようだった。
それらを一つ一つ丁寧に入れていった。外には剣が置いてある。
入れ終わり、私たち3人は沈痛な面持ちで口を開く。
「形式とはいえ、何も入ってないのにな。
隊長、任務を優先して家族を守れなかったんだってさ。
おまえさんの親父さんを尊敬してるって言ってたぜ」
「隊長…騎士は誰かの命を守るために捧げるって私に言ってた。初心に戻れって」
その時、ノックもしないで部屋に入ってきた人が。
「ふん、まだいたのか」
兜を脱いだその人はアレクセイ様の傍に控えていた、グラナダだ。
「現場を保持しろとの命令が下っていただろ。
アレクセイ閣下から預かる隊に手傷を負わせおって。
無能め。街の人間を救ったヒーローにでもなったつもりか?
こんな隊長の元では――「貴様!」
グラナダの言葉を最後まで言わせたのは、ユーリの拳だった。
言葉の端に滲んだ隊長への侮辱――それを聞き届けるよりも早く。
ユーリの理性が焼き切れる音がした。
短い咆哮とともに放たれた拳が、グラナダの顔面を正面から捉える。
鈍い衝撃音と共に、グラナダの体がまるで糸の切れた人形のように地面へ転がった。
全部を言い終わらせる必要なんてない。
隊長が積み上げてきた思いを、向けられた優しさを、守り抜いてきた誇りを。
そのすべてを土足で踏みにじられた気がして、視界が真っ赤に染まる。
無様にひっくり返り、鼻血を拭うグラナダを、ユーリはなおも追撃しようと踏み出した。
その目は、獲物を仕留める獣のように冷たく鋭い。
「ダメだ!ユーリ!」
「ユーリ!!」
「なんだテメェ!!今頃のこのこと!!」
逸るユーリの肩をフレンが組み伏せるように抑え、私も必死になって彼の腕にしがみつく。
腕の中から伝わってくる震えは、怒りか、それともやり場のない悲しみか。
それでも、ユーリの視線はまだ、地面に這いつくばる男を射抜いたままだった。
グラナダは鼻を抑えてユーリを睨みつける。
「っ、貴様ぁ…!はぁ…!?」
口から血が出てるのに気づいてグラナダは愕然とする。
その時、副官のユルギスが仲間のエルヴィンとクリスを引き連れてきた。
グラナダは殴られた頬を示すが、ユルギスも皆も知らんぷり。
私たちナイレン隊は、隊長の方が大事なんだから。貴方はもうお呼びじゃないわ。
「棺を運びます。お前たちも手伝え。ヒロミは俺の隣を。……準副官だからな」
ユルギスの言葉は、儀式めいた冷たさを帯びていた。
「はい…」
短い返事さえ、喉の奥に張り付いて剥がれない。
準副官。ユルギスに次ぐ、隊の要。
それは私が血の滲むような訓練の末に掴み取った「実力の証明」だったはずだ。
なのに今、その肩書きは、無力な自分を縛り付ける枷でしかない。
(私に能力があるなんて、誰が言ったの。私は一番 肝心な時に、何一つ振るえなかったのに…)
棺の蓋が、逃げ場を奪うようにゆっくりと閉じられる。
使い慣れた剣を傍らに置き、騎士団の紋章が刺繍された紅い布を広げた。
指先が震えて紋章と目が合った気がした。
それは誇り高き赤ではなく、拭い去れない血の色にしか見えなかった。
「…出すぞ」
男子たちが棺を担ぎ上げる。
微かな木の軋みと、ずっしりとした「物」としての重みが空気を震わせた。
私はユルギスの隣に並び、先頭に立つ。
隣を歩くユルギスの足並みは、一糸乱れず、正確で、どこまでも騎士らしい。
その整然とした歩調に合わせる度、私の中の「偽物」の準副官が、悔しさで内側から削られていく。
前を見なければならない。先導者として、背中を見せなければならない。
けれど、石床を打つ自分のブーツの音だけが、空っぽの胸に虚しく響き続けていた。
「何だ、この隊は!」
グラナダは最後まで負け犬の遠吠えだった。
建物から一歩外へ出ると、冷ややかな風と共に。
鼻を突くほど濃厚な白い花の香りが漂ってきた。
そこには整列したナイレン隊の面々と、その後ろを埋め尽くすシゾンタニアの人々がいた。
誰もが押し黙り、ただ一人、偉大な隊長の旅立ちを待っている。
これほどまでの人だかりが、音一つ立てずにそこにいることが、
隊長の人徳を何よりも雄弁に物語っていた。
(……隊長。貴方は本当に、こんなにも多くの人に愛されていたんですよ。
どうか天国では、もう寂しい思いをせず、奥さんと娘さんと幸せに笑い合ってくださいね)
棺が馬車へと繋がれ、その周囲は街の人々が手向けた白い花で埋め尽くされていく。
一人、また一人と、祈りを捧げながら花を置くたび。
白の純潔さが隊長の生きた軌跡を塗り替えていくようだった。
私はユーリとフレンの間に立ち、その光景をじっと目に焼き付けていた。
一般献花の列を見守るユルギスの、張り詰めた背中がいつもより小さく、そして大きく見える。
「隊長が死んで何も残らなかったなんて思うか?」
ユーリが、隣のフレンにだけ聞こえるような低い声で呟いた。
「ここにいる皆が生きてるんだ。だろ?
…死んだおまえの親父さんが、何も残さなかったなんてこと、絶対にない」
「うん。ここにいる人々の思いが、今までの隊長の生きた証だよ。
フレンのお父さんだって、きっと隊長と同じように誰かの心に何かを残したはず。
隊長がそれを覚えていたようにね。……思いは、ちゃんと繋がってるよ」
フレンの頬を、一筋の涙が伝い落ちた。彼は唇を噛み締め、声を殺して泣いていた。
私とユーリはあえて彼を見ず、ただ前方の棺を見つめ続けた。
今この瞬間、彼の涙を「見ないふり」をすることだけが、
私たちにできる唯一の、そして精一杯の優しさだったから。
やがて献花が終わり、ユルギスが震える声を押し殺して、凛とした号令を響かせた。
「帝国騎士団、ナイレン・フェドロック隊長に――敬礼ッ!!」
その場にいたナイレン隊全員の腕が、吸い込まれるように一斉に跳ね上がった。
揃いの甲冑が鳴らすガシャリという硬い音が、シゾンタニアの空に鋭く響く。
カポカポと、乾いた蹄の音を残して馬車がゆっくりと動き出す。
遠ざかっていく白い花の山。それが角を曲がって見えなくなるまで、私たちは腕を下げなかった。
(ナイレン隊長、本当にお世話になりました…!貴方の背中を、私たちは一生忘れません)
敬礼を終え、ゆっくりと下ろした腕が重い。
首の後ろにこびりついた、あの悍ましい違和感――。
それは毒のように、あるいは呪いのように、いまだ私の肌を粟立たせている。
(……いや。まだだ。まだ、終わっていない)
隣でフレンも手を下ろす。その動作はいつになく緩慢で、どこか震えていた。
彼の視線が、遠ざかるガリスタの背中を射抜く。その時、私は見た。
ガリスタが手首の「何か」を隠す、一瞬の、だが決定的な仕草を。
その瞬間、フレンの中で全ての断片が繋がったのだろう。
見開かれた彼の瞳の中で、過去と現在が走馬灯のように激しく交錯するのがわかった。
「…気付いた? フレン。…これ、拾っておいたから」
私は懐から、遺跡で密かに回収した『魔核』を取り出し、彼の掌に滑り込ませた。
冷たいはずの魔核が、今の私には酷く熱く感じられた。
「これ……ヒロミ、まさか、彼が……」
フレンの言葉が、震える吐息となってこぼれる。
私は自分の首の後ろを忌々しげに撫で、深く、強く頷いた。
「ええ…。この1年と少し、ずっと霧の中にいた。
でも、奴はついに尻尾を見せた。もう逃がさない。絶対に…!」
フレンは俯き、渡した魔核を壊れんばかりの力で握り締めた。
指の節が白く浮き上がり、彼の激情を物語る。
そして、顔を上げた彼の瞳には、かつてないほどの鋭い光が宿っていた。
「ユーリ、ヒロミ。……まだ、終わってない」
「え?」
「フレン、真実の扉、開きに行きましょ」
フレンは、ガリスタが去った方角を、憎しみを込めて睨みつけた。
唇を強く噛み締め、滲んだ血が彼の決意を赤く彩る。
私だって同じだ。
胸の奥で、渦巻く魔力が制御を失うほどに膨れ上がっている。
敬愛する隊長を喪った悲しみは、今や純粋な「怒り」へと昇華されていた。
今の私なら、複雑な詠唱など介さずとも、この怒りだけで全てを焼き尽くす魔術を放てる。
「行こう、フレン。あの男が隠し通してきた『真実』を、引きずり出しに」
私たちは、逃げ場のない真実の扉へと足を踏み出した。
17
私とフレンはユーリにすべてを打ち明けた。ガリスタの本性を。
そして私たち3人は駐屯地の建物にある書庫に向かった。
書庫の机に、遺跡から持ち帰った壊れた魔核の魔導器の証拠を置いて。
奴が出てくるのを待ち伏せていた。
奥のドアが開き、ガリスタが出てきた。ガリスタは軍師でありながら魔術専門だ。
私も隊一で魔術を使うなら、ユーリとフレンを魔術でサポートする方がいい。
いつでも発動できるように、唇を舐める。
ガリスタは開けっ放しの箱にタオルをしまっている。
そして、私たちが机に置いた壊れた魔核の魔導器に気付いた。
フレンはそれを見て口を開いた。
「遺跡の中に仕掛けてありました」
視線だけ、私たちを見たガリスタ。
「あなたしか使用しないタイプの魔核です」
するとガリスタは手首の魔導器の蓋を開ける。やはり、同じ魔核だったか…!
私は視線を鋭くさせる。雪辱に待った。1年以上、待ったんだ。
そしてフレンは信じてくれた。ガリスタが怪しいと言っても否定しないでくれた。
どれだけ救われたか。
「何のためにあんなことを!町を破壊するつもりだったのですか…!」
「まさか。あの遺跡は新たな魔導器の実験場だったのですよ」
フレンも私も、さらに視線を厳しくさせる。もう本性を露わにしているに等しい。
「新たな魔導器?」
「そうです。エアルをコントロールし、魔導器を制御する事。
我々はエアルが結晶化した魔核を発掘でしか入手できません。
自らの手で魔核に代わるものを作り出せれば、
魔物を恐れることなく更なる繁栄を遂げることが出来る」
「……繁栄だと? 笑わせるな!」
フレンの絞り出すような声が、冷たい空間に響く。
「人が安心して暮らせぬ世界に、何の意味がある!
あなたが作ろうとしたのは未来ではない。ただの、絶望の墓場だ!」
剣を握るフレンの指が、怒りで白く震えている。
ガリスタは、まるで理解の遅い生徒を見るような、憐れみすら含んだ笑みを浮かべた。
「犠牲? 違いますね。それは新世界の産声に過ぎない。
強大な力を手にするためには、古き器は壊れる運命にあるのです」
その言葉が、私の逆鱗に触れた。
目の前で崩れ去った景色、耳にこびりついて離れない悲鳴。
この男にとっては、それらすべてが「魔導器」の性能を測るための数値に過ぎないのだ。
ガリスタの持論など、今の私たちには塵ほどの価値もない。
私たちは、あなたが踏みにじった「日常」の重さを知っている。
「その魔導器が暴走し、あなたは全てを舞台諸共、葬り去ろうとした!」
「今の我々は、通常の魔導器さえ完全にはコントロールできていません」
吐き捨てるようなガリスタの言葉には、どこか言い訳めいた響きがあった。
フレンはその隙を逃さず、冷ややかな声を重ねる。
「その『不完全さ』のお陰で、決定的な証拠である魔核を、ヒロミが持ち帰ってくれました」
その瞬間、室内の温度が数度下がったかのような錯覚に陥った。
ガリスタの顔が怒りでわずかに歪み、忌々しそうに私を睨みつける。
その瞳の奥には、計算を狂わされた者特有の、どす黒い執念が渦巻いていた。
負けてはいられない。私は真っ向からその視線を受け止め、挑むように眼力を強める。
沈黙が、まるで実体を持つ重圧となって二人の間に居座った。
(さあ、どうする? 言い逃れはもうできないはずよ)
私の視線は、雄弁にそう物語っていた。
「ある程度、成果の実験もあったのですよ?」
ガリスタは薄ら笑いを浮かべ、眼鏡の奥の瞳を冷酷に光らせた。
その勝ち誇ったような仕草に、私の背筋を冷たい悪寒が駆け抜ける。
「もちろん、犠牲者は出ましたが」
平然と言い放たれたその言葉。最悪の予感は、残酷な確信へと変わった。
隣でフレンの息が止まる。その顔が、絶望と驚愕に白く染まっていく。
「まさか……そんな、嘘だ……!」
「おやおや、お気の毒でした」
ガリスタは煽るように、大仰な動作で礼儀正しく頭を下げた。
そのわざとらしい敬意が、かえって彼の下劣さを際立たせる。
そう、フレンのお父さん――ファイナス・シーフォが亡くなったのは、事故などではなかった。
この男、ガリスタが己の野望のために仕組んだ「実験」の犠牲になったのだ。
「…貴様ぁッ!!」
最初に動いたのはフレンだった。理性を焼き切るほどの激昂。
ユーリも、込み上げる怒りに震えながら武器を抜く。
フレンは叫びと共に真っ先にガリスタへ斬りかかったが、
不可視の障壁に弾かれ、無残に吹き飛ばされた。
「くっ……!」
「おっと、危ない。今の私に触れるのはお勧めしませんよ」
ガリスタは余裕たっぷりに防護壁を解くと、手元で怪しく脈動する魔導器を見つめた。
「どうやらここでも、あの時のように魔導器が『暴発』する必要がありそうですねえ。
……次は君たちが実験体になる番だ」
冷たい殺意が部屋を満たす。しかし、私は一歩前へ踏み出し、自らの魔力を解放した。
「いいえ。そんなこと、絶対にさせない」
魔導器の暴走を抑え込むように、私は意識を核へと繋ぐ。
「全て防いで見せるわ。ガリスタ……あなた、私たちを、そして人の命を舐め過ぎよ!」
ユーリが抜いた剣を低く構え、フレンが再び立ち上がる。
三人の怒りと意志が、邪悪な魔導師を包囲した。
魔核を暴走させ、狂乱の雷を操るガリスタ。
その圧倒的な圧を背に、私とユーリはフレンの元へと駆ける。
だが、背後に膨れ上がる殺気は無視できない。
私は走りながら、一歩も止まることなく、ただ「意志」だけで背後に魔力の壁を編み上げた。
「――ッ!」
直後、鼓膜を突き破るような轟音と共に、バチィッ!と激しい衝撃が私の背を襲う。
無詠唱で展開したバリアに、蜘蛛の巣状の亀裂が走る。
防ぎきれなかった衝撃が肺を圧迫するが、構うもんか。
「ほう? さすが。隊一の切り札と言われるだけありますね。その即応性、実に見事だ」
背後から響くガリスタの余裕に満ちた声。
「ユーリ! フレン!」
私は二人の名前を呼び、再び無詠唱で飛来する雷撃を弾き飛ばすと、
迷うことなく彼らを巨大な本棚が並ぶ死角へと誘導した。
ガリスタが嘲笑を浮かべ、死神のように歩を進めてくる。
その足音が近づくのに合わせ、私は極限まで集中力を高め、本物の「詠唱」を紡ぎ始める。
「輝く御名の元、地を這う穢れし魂に裁きの光を雨と降らせん――」
本棚の影、光と影が交差する一瞬の隙。
潜めていたユーリが、獲物を狙う豹のような速さでガリスタに奇襲の刃を振るう。
だが、ガリスタの周囲を覆う防御壁が鈍い音を立てて剣を弾き、ユーリの体が宙に吹き飛ばされた。
「安息に眠れ、罪深き者よ――味方を避けよ!」
間髪入れず、逆側の本棚からフレンが飛び出す。
彼の剣が空気を切り裂く音と、私の詠唱の最終句が重なった。
「ジャッジメント!!!」
フレンの斬撃がガリスタの防御を削り取った瞬間、天から無数の光の雨が降り注ぐ。
ガリスタは、防御壁の再構築が間に合わない。
鋭い光の杭が彼の体を貫き、フレンの刃がその額を浅く、だが確実に切り裂いた。
「ぐっ、あああああッ!」
ガリスタが大きく仰け反る。その刹那、私は反動で震える指先を二人に向けた。
追撃への備え――再び無詠唱で展開した半透明のバリアが、
吹き飛ばされたユーリと、着地したばかりのフレンの全身を優しく、かつ強固に包み込んだ。
ガリスタは馬鹿力でフレンを吹っ飛ばしたが、私のバリアでダメージは少ない。
ガリスタがフレンに近づいてくる。私は俊足でフレンに近づき、回復を使う。
「痛いな」
だがフレンに近づこうとしたガリスタの手には雷の玉が。
しかし、それをユーリが阻む。なんと本棚が倒れてきた。ユーリ、ナイス!
本棚が倒れる間に私とフレンはすぐに本棚エリアから走り、抜け出す。
私はすぐに詠唱を唱える。
「我が味方の守護となれ――バリア!」
ユーリとフレンにまた防御壁を掛ける。
散らばった本が浮き上がり、宙をういて巻きあがってガリスタの周りを渦巻く。
ガリスタは額を斬られ、怒り心頭だ。いつの間にか眼鏡が吹っ飛んだのか、無い。
どこがイケメンだ、言ったやつ出てこい!この野郎!
「ムカつくやつらだ」
「そのまま、あなたに返すわ」
巻き上げ渦巻く本を一斉にこっちへ放ってきた。
私は両手を広げて無詠唱で防御壁を張る。
バチバチッっと皹が入るが、後ろの2人は絶対に護る!
「「ヒロミ!」」
「…あなたは本当にムカつきますねぇ。1年前から」
バチィッ!と激しい衝撃が走り、私の防御壁に蜘蛛の巣状の亀裂が広がる。
至近距離まで迫ったガリスタの眼光は、眼鏡を失ったことでその狂気を剥き出しにしていた。
「1年前からムカつく? それはこっちのセリフよ!
陰気なツラして裏でコソコソ動いてたツケを、今ここで全額払わせてあげるわ!」
背後でフレンとユーリが息を呑む音が聞こえる。
二人の無事は確認した。なら、私の役割はこの「絶対防壁」を貫かせないこと、ただ一つ!
空いた片手で別の魔術式を構築し、詠唱しガリスタへと放つ。
「澄み渡る明光よ、罪深きものに壮麗たる裁きを降らせよ!レイ!」
「生温い!」
「くっ」
バチバチィッと防護壁で弾かれた。ガリスタが近付いてくる。
「く、どうにか…」
「ちっくしょ…」
すると後ろでユーリが、隊長の魔導器を取り出す。
「ヒロミはそのままオレを護っててくれ。フレン、一か八かだ。隙を作ってくれ」
「「わかった」」
私はユーリの前に立って防御壁を張る。フレンはガリスタに向かっていく。
私はフレンに無詠唱でバリアを張る。無事でいて…!
ユーリは手首に隊長の魔導器を嵌める。
「どりゃああっ!」
フレンは乱雑に詰み上がった本を袈裟斬りに本を巻き上げ、ガリスタぶつける。
「くだらんことを…!」
フレンが素早く戻ってきた。私とユーリとフレンで…!隊長の魔導器に手を添える。
「「「くらえええええ!!!」」」
青白い燐光が弾け、空間を塗りつぶすように蒼い魔法陣が激しく展開する。
その眩い輝きにガリスタが目を細めた、わずかな隙。
「はああぁっ!」
ユーリが地面を蹴り、爆発的な踏み込みでアドバンテージを奪う。
一気に距離を詰め、翻した剣が空気を切り裂いた。
鈍い音と共に、白銀の刃がガリスタの胸を深く貫く。
「あ……ぁっ、それは……っ」
ガリスタの口端から鮮血が溢れ、床に滴り落ちる。
彼は朦朧とする意識の中で、自分を貫いた相手の手首、
――そこに埋め込まれた「魔導器」を凝視した。
その魔核は、まるで鼓動するように、仄かに、そして確かな温もりを持って脈打っている。
「隊長の魔導器だよ」
ユーリの低く、静かな声が響いた。
復讐でも憎しみでもない、ただ事実だけを告げるその声が。
何よりも冷酷にガリスタの野望を打ち砕く。
「あ……ぁぁ……ぁ……」
皮肉なものだ。彼が追い求め、利用し、弄んできた魔導器が、最期に彼を裁く光となった。
剣が引き抜かれると、糸が切れた人形のようにガリスタは崩れ落ち、二度と動かなくなった。
私とフレンも、静まり返った部屋の中で、倒れた彼のもとへ歩み寄る。
……終わった。本当に、すべて。
「隊長、終わったよ」
ユーリが誰に言うでもなく呟く。
「うん。最後の最後で、隊長が守ってくれたんだね…」
私はその魔核を見つめた。
それは先ほどまでの激しい光とは違い、今は慈しむような穏やかな輝きを放っている。
「……それ、大事にしなくちゃね、ユーリ」
私の言葉に、ユーリは答えなかった。
ただ、愛おしそうに、あるいは誓いを立てるように、魔導器を握る手に力を込める。
やがて、隊長の魂が宿っていたかのような光は、ゆっくりと、名残惜しそうに収まっていった。
18
ガリスタを倒した高揚感は、
シゾンタニアを放棄するという帝国の冷徹な決定によって、瞬く間に冷え切った。
数日後の夜。
街全体が静まり返り、遠くで撤収作業の鈍い音だけが響く中。
私は密かに副官のユルギスを呼び出した。
―――そう。彼に、私の「居場所」を託すために。
差し出された退団届を見つめ、ユルギスは信じられないといった様子で目を見開いた。
「……本気か、ヒロミ」
「冗談でこんなもの書かないよ。……ごめんね、準副官なんて立場にありながら」
私が辞めることが、これからの隊にとってどれほどの痛手かは分かっている。
けれど、今の私にはこの選択肢しかなかった。
「……どうして、きみまで」
ユルギスが零した、その「まで」という言葉が耳に残る。
「きみ“まで”?」
「ああ。……先ほど、ユーリからも退団の意志を伝えられた」
心臓が跳ねた。あのユーリも辞める。向かう先は、きっと帝都。
(…奇遇だね。私たち、同じ方向を向いてるのかな)
驚きを飲み込み、私は小さく息を吐いた。
「え、そうなの?…まぁ、あの一件で、彼の中にも思うところがあったのかもね。
それより、私のことなんだけど」
私は努めて明るく、けれど確かな拒絶を込めて続けた。
「ユルギスは知ってるよね。私が持病持ちだってこと」
「…ああ。把握している」
ユルギスと隊長だけは、私の身体のことを知りながら、
ナイレン隊の一員として居場所を与えてくれた。二人の配慮があったから隠し通せてきた。
(本当に、感謝してるんだよ。隊長、ユルギス)
「あの遺跡調査の後から、正直、身体の調子が良くなくてね。
……皆には隠してたんだけど、もう限界みたい。
隊の足を引っ張って、士気を下げるようなことはしたくないんだ」
私は少しだけ声を震わせ、頬をかいて苦笑いしてみせた。
「病が克服できたら復帰したいけど……今のところ、希望は薄いかな」
ユルギスは深い溜息を吐き、視線を落とした。その肩にのしかかる重荷を思うと胸が痛む。
「そうだったのか……。きみが居なくなると、みんな寂しがるな。
隊の雰囲気を支えていたのは、きみだったから」
「あー黙っていなくなるの、絶対みんなに怒られるよね。
ごめん、ユルギス。泥を被らせちゃうね」
「気にするな。これも副官としての俺の仕事だ。…きみも、今日まで本当によく戦ってくれた」
その言葉だけで、報われた気がした。
「後のこと、任せたわよ。元気でね、ユルギス」
「ああ。ヒロミも、元気でな。もし身体が良くなったら…また会おう。
ナイレン隊の門は、いつでも開けておく」
最後に交わした握手は、驚くほど力強かった。
「あ。最後にお願い。このことは、明日みんなが発つまで黙ってて。
…双子には話してもいいけど、他の人に漏らさないよう釘を刺しておいてね。
あの双子、鼻が利くから。隠し通そうとしたら、きっと貴方の仕事の邪魔をするわ」
ふっと自嘲気味に笑うと、ユルギスも困ったように眉を下げた。
ユルギスは静かに頷いた。
ユルギスの視線を背中に感じながら、一度も振り返らずに廊下を歩く。
自分の足音だけが、やけに大きく響いていた。
自室のドアを閉めた瞬間、背中を預けて、ようやく肺に溜まっていた熱い息を吐き出す。
部屋に残されたわずかな私物を見つめながら、私は帝都への遠い道のりに思いを馳せた。
(私の初恋の2人。黙って居なくなること許してね。…さよなら)
愛することを教えてくれた、2人への最初で最後のわがまま。
黙って居なくなる私を、どうか責めないで。
この恋を抱えたまま、私は私を終わらせにいくから。
……さよなら。あたたかな光の中にいて。
使い古された革の鞄に、最低限の着替えを詰め込む。
部屋はすっかり寒々しくなり、壁に掛けていた制服だけが、
かつての自分の居場所を主張しているようだった。
そこへ、静寂を切り裂くようにバタバタと騒がしい足音が二つ、こちらへ向かってくる。
「ちょ、ちょっとヒロミ!貴女まで辞めるなんて聞いてないよ!」
「急にどうしたの?辞めるからには何か理由があるのよね」
扉が勢いよく開き、息を切らしたヒスカとシャスが飛び込んできた。
鏡合わせのような二人の表情には、戸惑いと悲しみが隠しようもなく浮かんでいる。
「実は、体調が少し良くなくて。前みたいに倒れたら、また皆の迷惑になるから」
なるべく淡々と、作り慣れた微笑みを浮かべて答える。
けれど、食い下がる二人の瞳は潤んでいた。
「そんな!そんなことないよ。迷惑だなんて、誰一人思ってない!」
「…そう、そんなことあるの。私のせいで全体の士気が下がるのは、隊にとって一番の毒だから」
心を鬼にして言葉を重ねる。
優しさに触れれば、今すぐこの荷物を放り出して、ここに留まりたいと泣いてしまいそうだったから。
「もう、決めた事なのね?ヒロミ」
鋭いシャスが、私の指先の微かな震えを見逃さずに問いかける。
「うん。…今まで本当にありがとう」
沈黙が流れる。二人は顔を見合わせ、やがて諦めたように肩を落とした。
「もしまた戻ってきたくなったら、何時でもいいからね。
あんたの席、勝手に誰かに座らせたりしないから」
「うん。……ねえ、ヒスカ、シャス。フレンのこと、お願いね」
一番言いたかった名を口にすると、胸の奥がキリリと痛んだ。
「もちろんよ。フレンはずっと、ヒロミを待ってる。…それが分かってて行くのね」
「フレンにはこの手紙を渡しておいて貰える?この御守りも一緒に」
差し出した封筒と、大切に扱われてきた御守り。
それを受け取ろうとしたヒスカの手が、私の手元にある一点を見つめて止まった。
「仕方ないわねえ…。あら?この花のブローチ。もしかして、あの時の…」
「うん。私とフレンを繋ぐものと言えば、これしかなくて。
…もしフレンが泣いたら、『元気になぁーれっ!』って、この花を揺らして慰めてあげて」
おどけて見せた私の仕草に、シャスが顔を歪めて叫んだ。
「うわーずるっ!そんなの、絶対フレン泣くじゃん!
思い出して余計に泣くに決まってるでしょ、どうすんのよ~もぅ!」
「それでも。お願い、二人とも。
…今、あの子を任せられるのは、頼れるのは双子たちだけなの」
真っ直ぐに二人を見つめると、二人は毒気を抜かれたように同時にため息をついた。
「…それ言われちゃったら、ね。もう、本当に行ってらっしゃい。元気でね」
「うん!二人とも本当にお世話になったよ。元気でね!」
最後に一度だけ、部屋を見渡す。
私は手早く普段着に着替え、双子が差し出す温かな手を振り切るようにして部屋を出た。
月明かりが廊下に長い影を落としている。
さて。ここからは誰にも見つからないように、気配を殺して。
共に戦った仲間たち、眠るフレン、ユーリ、そして愛したこの場所。
(…ごめんね。夜のうちに、こそこそと出て行く私を許して)
一度も振り返ることなく、私は夜の闇へと溶け込んでいった。
街道の脇をすり抜ける際、
追い越す馬車の御者が目を丸くしてこちらを見ていたが、構わず足を回した。
肺に冷たい空気が入り込み、景色が後ろへと飛び去っていく。
一歩ごとに地面を蹴り飛ばす感覚が心地いい。
それを繰り返し、水を飲んで休憩して、夜になったら夕飯を作る。
夜、焚き火の傍らで作った簡単なスープを流し込み、
泥のように眠れば、翌朝にはもう足の疲れは消えていた。
それをわずか1日半で、帝都に付いた。うわーもうお昼に近い時間だ。
巨大な城門が見えてきた頃には、太陽はもう真上近くだ。
検問を軽やかに通り抜けると、帝都特有の喧騒――人々の話し声、
石畳を叩く馬の蹄の音、そしてどこからか漂うパンの焼ける匂い――が私を包み込んだ。
一人の身軽さにかまけて、気づけばかなりのハイペース。
少し火照った頬に、下町特有の湿り気を帯びた川風が心地いい。
どこからか漂う醤油の焦げた香りと、遠くで響く都電の音。
ようやく帰ってきた、という実感が胸に広がります。
「ふぅ……、やっぱりここに来ると落ち着くね」
入り組んだ路地、軒先に並ぶ植木鉢、そして近所の猫。
そんな日常を全力で駆け抜け、私は「ふぅ」と一旦落ち着く。
一人の気楽さは、この風景を独り占めできる贅沢さでもあったんだ。
さてさて。まずはハンクスおじいちゃんに挨拶だね。
19
ヒロミが出て行った、あの日から一夜。
窓から差し込む朝日は、昨日までと何も変わらないはずなのに、
部屋に満ちる空気はどこか余所余所しく、冷ややかだった。
ユーリは、自分の寝床を振り返る。
いつもなら、フレンに「少しは片付けろ」と小言を言われるのが定位置だった万年床。
それが今日は、まるで別の住人の部屋かのように、隅々まで美しく畳まれていた。
これから自分が踏み出す道の険しさを、自分自身に刻み込むような、奇妙なまでの潔さだった。
「……ま、こんなもんか」
独り言は、静まり返った壁に虚しく吸い込まれていく。
窓の外、階下の厩舎の方から、高く鋭い馬の嘶きが聞こえてきた。
それは日常の音であるはずなのに、今のユーリには、
ここではない「外」の世界が自分を呼んでいる合図のように聞こえた。
鏡を見るまでもない。
身に纏っているのは、誇りでもあり、枷でもあった騎士団の隊服ではない。
着慣れた、しかしどこか身の引き締まる私服だ。
一つ、大きく息を吐き出す。
愛用の剣を確かめ、最低限の荷物を詰めた背負い袋を肩にかけた。
振り返ることはしなかった。
ユーリは一度だけ、相棒のベッドに視線を投げ、それから音を立てずに自室の扉を開けた。
軋む床の音さえも、新しい旅路への序曲のように、朝の静寂に響き渡っていた。
石畳には絶え間なく馬車の車輪がきしむ音が響き、
シゾンタニアはかつてない喧騒に包まれていた。
結界を失った空はどこまでも無防備に広がり、市民の頭上には目に見えない不安が垂れ込めている。
副官ユルギスは、額に浮いた汗を拭う暇もなく、泥にまみれて馬車の誘導に奔走していた。
「この馬車が出たら、次は三番街の家族を乗せるんだ。
遅れるな、日が暮れる前に峠を越えるぞ!」
彼の飛ばす怒号は、不思議と人々のパニックを抑え、秩序を与えていた。
元ナイレン隊の面々も、今は剣を背に回し、大きな木箱を担いで家々と馬車を往復している。
兵士と市民という壁は、壊れた魔導器と共に消え去ったかのようだった。
誰もが、後ろを振り返る余裕などない。
ただ、明日を生き延びるために、自分たちの街を荷馬車に詰め込んでいた。
その時、作業の手を止めたシャスティルが、雑踏の中にユーリの姿を見つけた。
「ヒスカ!」
鋭い声に、隣で荷を運んでいたヒスカも勢いよく振り返る。
「あ……!」
二人の顔がパッと華やいだ。双子は示し合わせたかのように、
遠ざかっていく背中に向かって、ちぎれんばかりに手を振る。
ユーリは振り返らず、ただ片手を高く上げてそれに応えた。
傍らを行くラピードの爪音が、石畳に規則正しく響く。
慣れ親しんだ町の活気。野次を飛ばしてくる親父さん、会釈を送る婦人。
ユーリはその一つ一つを拾い上げるように、視線を配りながら歩を進めた。
やがて、街の喧騒が背後へと遠のく。城門の影には、幼馴染が待っていた。
フレンは門柱に背を預け、手持ち無沙汰に地面を見つめていたが、近づく足音に顔を上げる。
「お見送りかい?」
ユーリが揶揄うように口角を上げると、フレンは少し困ったように眉を下げた。
「ああ。…僕らしくないな、とは思うけれど」
「全くだ。柄じゃねえよ」
ユーリはそこで一度足を止め、歩いてきた道を振り返った。
立ち並ぶ家々、昇る煙。かつて守りたかった小さな世界が、今は遠くに見える。
「みんなも、出て行っちまうんだな」
その呟きには、寂しさよりも、
それぞれが自分の足で歩き出したことへの静かな充足感が混じっていた。
「帝国がここを放棄する以上、仕方ないさ」
「ギルドの連中なんざ、とっとと消えちまったしな」
「メルゾムも隊長がいたから、ここが心地よかったんだろう」
「オレも隊長のいない騎士団じゃ、やってけそうにないもんなぁ。悪ぃ、あと始末頼むわ」
「……ユルギス副隊長は、震える手で報告書を受け取ったよ。
ガリスタの遺体を確認することすらしなかった。いや、したくなかったんだろうな。
ガリスタが何をしていたか、薄々感づいていたはずだ。
それでも、隊長が生きていれば……あの人ならガリスタを正道に戻せたかもしれない。
皮肉なもんだよな。
ヒロミがあれほど必死に鳴らしていた警鐘を、最後まで真剣に聞き入れ、
対策を練ろうとしていたのは、帝国の上層部じゃなく、前線の隊長だけだったんだから。
彼女は自分が疎まれていると思い込んでるみたいだけど……違うんだ。
隊長は彼女を守るために、あえて遠ざけていたんだよ。
僕らのこの『黙認』も、きっと隊長が遺してくれた最後の命令みたいなものさ」
「フレン、おまえは強いな。オレには真似出来ねぇ」
ユーリは、眩い太陽に目を細めながら呟いた。
その視線は、かつて二人で憧れた騎士団の象徴ではなく。
人々が蠢く薄暗い下層街へと向けられている。
「君もね、ユーリ。一人で生きて行こうなんて、いかにも君らしい選択だよ」
フレンの声には、呆れと、それ以上の深い信頼が混じっていた。
彼は背筋を伸ばし、汚れ一つない騎士団の制服の襟を正す。
「僕は、この場所から変えていく。
騎士団に残ることで、隊長が目指した理想の先を追いかけてみるよ。
……あの方に、託されてしまったからね」
フレンは困ったように笑い、隊長の形見の剣の柄にそっと手を添えた。
それは、亡き隊長の遺志そのもの。
その重みを知るからこそ、ユーリは何も言わずに鼻を鳴らす。
すると足元から、不満げな「ワンッ!」という短い吠え声が響いた。
ラピードが、煙管をくわえたままユーリの脛に頭をこすりつけ、
「オレを忘れるな」と鋭い眼光を向けている。
「……はは、ごめん。一人じゃなかったな、ラピード」
ユーリが苦笑して相棒の頭を乱暴に撫でると、フレンの表情がふっと和らいだ。
朝日に照らされた隊長の魔導器が、二人の行く末を祝福するように一瞬、強く輝く。
魔導器を握りしめるフレンの指先には、まだユーリの体温が残っていた。
「大事にしてくれ」
その言葉は、託された魔導器だけでなく、かつて共に歩み、
そして今は別々の道から同じ目的地―ヒロミ―を目指す愛する人への、最大限の敬意だった。
「じゃあな。ヒロミの事、頼んだぜ」
「え。ユーリ、いいのか?」
「オレは諦めたわけじゃねーよ。あいつの事だ、下町にも顔くらい出すだろ」
軽口を叩きながらも、ユーリの瞳には迷いがない。
「望むところだ。僕も負けないからな」
「ははっ。ライバル確定だな。じゃーな」
「またな」
背を向け、片手を上げて歩き出すユーリ。
その隣を、相棒のラピードが静かに、だが力強く伴走していく。
一人と一匹の影がシゾンタニアの門をくぐり。
街道の先へと小さくなっていくのを、フレンは見送った。
(ユーリに頼まれたなら。遠慮はしないよ)
フレンは一つ深く息を吐き、心地よい高揚感を胸に街へと引き返した。
フレンが辿り着いたその部屋には、開け放たれた窓から吹き込む風だけがあった。
整えられたベッド、主を失った机。残酷なほどに冷え切っている。
「……ヒロミ?」
フレンの声が、虚しく室内に響く。
二人が「再会」という共通の未来を誓い合ったその時。
運命の歯車は既に、彼らの想像も及ばない方向へと回り始めていた。
ヒロミの姿は、もうどこにもなかった。
事態は風雲急を告げる。
「なんだって!!? ヒロミまで辞めたっていうのか!?」
「フレン、落ち着いて……っ!」
「落ち着けるわけないだろ!
ユーリが去って、今度はヒロミまで……そんなの、バラバラじゃないか!」
詰め寄る僕を、双子先輩が左右から「どうどう」と宥めるように抑え込む。
その掌から伝わるわずかな震えが、事態の深刻さを物語っていた。
「まさか、あいつもユーリを追いかけて……」
「そうじゃないよ。……限界だったんだよ。ずっと顔色が悪かったでしょ?
これ以上みんなの足を引っ張りたくないって、泣きそうな顔で……」
「…………」
熱を帯びていた頭が、急速に冷えていく。
思い返せば、ヒロミの顔は日に日に白磁のようになっていた。
元々病弱だった体を、血の滲むような努力で鍛え上げ、この過酷な騎士団の門を叩いたんだ。
人一倍重い鎧を背負い、誰よりも早く訓練場に現れていたその背中。
「……彼女、僕たちの前では一度も弱音を吐かなかったから」
厳しい環境、重なる任務。そして、ユーリの離脱という決定的な衝撃。
強靭な精神が肉体を支えていたのだろうが。
その糸がプツリと切れてしまったのかもしれない。
「体調を……崩してまで、守ろうとしてくれていたのか。この場所を」
僕は拳を握りしめた。ヒロミが去ったのは、裏切りでも逃げでもない。
自分を削ってまで騎士団に尽くした彼女の、それが最後に出した「誠実な答え」だったのだ。
「ねぇフレン。ヒロミはフレンのこと心配してたよ」
「え?」
「ユーリもヒロミもいなくなって。落ち込むんじゃないか、って」
「それは…」
強ち間違いじゃないと思う。
ユーリとなら、騎士団を中から変えていけるんじゃないかって思ってた。
でも、彼はもういない。そして支えだったヒロミも。
「ね。フレン、これ。ヒロミから託されたんだけど」
「これは…手紙?それに、この花のブローチは!」
僕は急いでヒロミからの手紙の封を開けた。
『フレンへ
まず、黙っていなくなってごめんなさい。騒ぎにしたくなかったの。
実は、あの遺跡調査から、体調が芳しくなくて。
騎士として貴方の隣に立つ自信がなくなってしまいました。
隠しきれなくなる前に、一人の女として静かに去ることにしたの。
心配性のフレンのことだもの。
理由を知ればきっと自分のこと以上に傷ついて、私の為に騎士の道を止めてしまうでしょう?
それは私の本望じゃないの。
フレン、自分を責めないで。私は私の意志で、この静かな終わりを選んだんだから。
フレンには、フレンの道を真っ直ぐに進んでほしい。迷いも、悔いも、全てを断ち切って。
貴方だけの騎士道を貫くことを、遠い空の下から願っています。
小さい時に貴方に出会えて、そして騎士団で奇跡のように再会できて、本当に幸せだった。
貴方は、私の暗闇を照らしてくれた太陽だよ。“あの花”ように、優しく、強くあれ。
――元気になぁれ! ヒロミより』
震える指先が、便箋の端に滲んだ小さな跡を見つけた。
それは彼女がこれを書いている時に落とした涙の痕か、それとも迷いの跡か。
読み進めるほどに、手紙を持つ手が激しく震え、カサカサと乾いた音を立てる。
「…っ、馬鹿だよ、ヒロミ。君がいない道なんて…っ」
手紙から立ち上がる、かすかな彼女の香りが、余計に胸を締め付けた。
手紙の間に挟まれていたのは、僕らを繋ぐ唯一の「あの花」のブローチだった。
騎士団の重厚な紋章とは違う、小さくて、けれど芯の強さを感じさせるその造形が、
今の彼女の決意を物語っているようで。
手のひらに押し当てたブローチの鋭い感触が、現実の痛みを刻みつけてくる。
「……ヒロミ…っ!くっ、うぅっ」
渡された手紙の言葉と、特別な花のブローチに。
僕の眼からポッ、ポトッと涙が滑り落ちた。
「ちょっ、フレン!?」
慌てて肩を叩こうとしたヒスカ先輩の手が、僕の嗚咽を聞いて止まった。
「……あーあ。泣いちゃった。まあ、そうなるよね。あんな手紙渡されたらさ」
呆れたような口調とは裏腹にシャスティル先輩も、それ以上踏み込まず。
僕がその悲しみを吐き出し切るのを待つように、少しだけ視線を逸らした。
朝日の眩さが。光が。
皮肉にも彼女が残した“私は貴方の太陽だよ”の言葉が。
何よりも僕の心に深く突き刺さった。
泣き崩れる騎士の背中を静かに照らしていた。
(太陽だったのは僕の方じゃない。
僕の暗闇を照らしてくれていたのは、いつだって君の、その不器用な優しさだったんだ。
自分が一番辛いはずなのに、最後の最後まで僕の騎士道を守ろうとした。
その献身が、今の僕には何よりも残酷で、何よりも愛おしかったんだ…)
僕は手の中にある手紙とブローチを握り締め、しばらく涙した。
【騎士時代編 END】
後書き
これにて騎士時代編は完結です。
次回はゲーム沿いまでの日常編になります。
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