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故郷は青き星

作者:TKZ
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第五話

「以上が基本的な操縦法だけど分かったかい?」
 スクリーン越しに映るエルシャンは、自分の説明中に2度ほどおや? という表情を浮かべたが、すぐに自己解決したように頷くと、後はふんふんと頷くばかりで聞き直すことも疑問を口にすることなく、その様子に本当に理解してるのか、それ以前に軽く聞き流されてしまっているのでは? と不安なポアーチだったが、エルシャンはきちんと説明を聞いて理解していた。
 優れたゲームの操作法は説明書を熟読しなくても直感的に使いこなせるもので、擬体──訓練モードなので、この擬体も仮想存在──と同調を開始した直後に航宙戦闘機SF/A-302のコックピットの中に居る自分に気付き、周囲をざっと見回すと操縦系統周りは実にシンプルな構成で、一通り見ただけで何パターンかの操縦法のイメージがエルシャンの頭の中に浮かぶ。
 ポアーチから説明された操縦法はそのイメージの範囲内だったので、このコンソール周りの設計者に感心すると同時に、自分のイメージを作ってくれた地球製……のゲームに深く感謝した。
「大体は分かったと思う」
 そう言ってしっかりと頷く息子の様子に不安を感じないでもなかった。これが実戦なら、いやたとえ訓練だったとしても、曖昧に出来る問題ではないが、これから行うのは訓練ですらない、適正の確認と言う名目で彼に戦闘機の操縦に興味を持ってもらうのが目的なので深く追求することは無かった。
「そうか、じゃあ動かしながら慣れて行くか」
 口頭で細かく説明するよりも実際に動かしてみて楽しみながらやってみれば、子供ならすぐ身体で覚えるものだと経験上ポアーチも分かっていた。
「はい!」
 待ってましたとばかりに良い返事を返す。

「…………」
 数分後、無重力のフィールド内の各所に浮かぶ直径30mほどのリングを自在に潜り飛び回るエルシャンの機体に、ポアーチは言葉を無くしていた。
 最初の内こそ、ぎこちない動きを見せ、リングに接触する息子に「上手いぞ」などとリップサービスをしていたが、ものの数分でコツを掴むと機体を意のままに操り始めると何と声を掛けたら良いのか分からなくなってしまった。
 2本の操縦桿を操り、まるで熟練のパイロットの如く正確で無駄が無く、かつ流れるように美しい機動を見せ、しかも現在もなお目に見えて上達を続ける。
 操縦法を学習しているというよりも、忘れていたものを思い出しているかのような上達速度を見せる息子の才能に、ポアーチは父親として『さすが俺の息子!』と嬉しくも誇らしく感じると同時に、あまり認めたくは無いが1人のパイロットして胸の内に湧き上がる嫉妬を自覚せざるを得ない。

 ポアーチは8年前に事故によって父母と長男であった兄を一度に亡くし、新たなトリマ家の当主としてシルバ6を旗艦とする基幹艦隊の司令に就くまではパイロットとして各戦線で活躍していた。
 数多くの戦場で戦果を残し名を馳せた一流パイロットであり、ボルゾルイ星系防衛戦において激戦の中、母艦に帰還して補給する間の無く、3度機体を乗り捨てては3度予備機に乗り換え、休むことなく戦い続け、231機の撃墜数を叩き出し英雄と称えられた。その後『ボルゾルイの雷光』と二つ名を名乗ってみるも誰にもそう呼んでもらえなかったのはともかくとして、シルバ族でも有数のパイロットであると自負していた。そしてそれは現在でも変わっていないつもりだ。
 その自分をして嫉妬を覚えさせるほどの才能。トリマ家の嫡子としての息子の将来に対して期待を抱いて良いはずなのに、その大きすぎる才能がもたらす先に一抹の不安を拭い去ることが出来ない。
「お父さん。この機体凄いよ!」
 興奮気味のエルシャンの声に我に返る。どう考えても凄いのは君の操縦だよと言いたいのを堪えつつも「大分慣れたみたいだね、エルシャンは飲み込みが早いな」と返事を返すと、更にポアーチを驚かす言葉が返ってきた。
「うん、やっと感覚がつかめてきたから、今度は思いっきりやってみても良い?」
「…………はい?」
 ポアーチは空いた口がふさがらないままに『エルシャンに負けないよう特訓しよう。いや猛特訓しよう。そうしよう』と決意した。


 本気で機体を操り始めてすぐにエルシャンは違和感を覚える。そして自分の思うイメージから外れる機体の動きに次第に苛立ちを覚えはじめた。
 機体に問題は無い。搭載された2発の重力波エンジンが生み出す機動力は、前世で遊んだフライトシミュレーター系のゲームの実際の戦闘機を『ある程度』イメージした動きどころか、舞台が未来宇宙のSFモノのゲームでも見たことがないくらいに操縦桿の動きに鋭く、そして素早く反応する。
 擬体の同調のレスポンスにも問題は無い。むしろ肉体の神経伝達を介さない分だけ──神経の伝達速度は秒速数十m程度に過ぎず、脳から直接命令を読み取る同調装置。そして伝導率の高い金属製の神経を張り巡らし、生体の筋肉以上の反応速度を持つ擬体には勝てない──エルシャンが自分の身体で実際に乗り込んで操縦するよりも早い反応が出来る。
 すると残された原因は一つ、エルシャン本人。
 今までの日常生活の中で時折感じていた違和感。身体はまだ子供なので運動神経が鈍いのは仕方ないと納得してきた彼だが、実際にシミュレーターに乗って初めて、今のエルシャンとしての身体は、田沢真治の身体の頃よりも反射神経が鈍いと気付く、犬っぽいくせに霊長類ヒト科よりも鈍い判断せざるを得なかった。

 前世の記憶の中の自分が行う一瞬の判断速度に比べると全ての判断がワンテンポ遅れる。そのラグタイムが苛立ちを蓄積して行き、それが焦りへと変わる。
「もしかして俺は才能がないのか?」
 小さく漏らした呟きは幸いポアーチの耳には届かない。もしポアーチがそれを聞いていたら修業の旅という名目で家出することだろう。
 一方エルシャンは、実際に機体を使って、しかもゲームのように命の危険を心配することなく思うままに飛ぶ事が出来る。そう期待していたのに適正無しと判断されパイロットに成れないのではと落ち込む。

「今度は標的を出してみるか」
 ポアーチの言葉に、まだ適正テストは終わっていないと気付くと、現金にもエルシャンの身体中にやる気がみなぎる。
「はい!」
 そう力強く応えると『今自分の出せる力を全て、いや120%の力を出してやる!』と余計な決意を胸に刻む。
 直径5mほどの標的機を撃墜するのが目的だが、直径5mほどの球形の標的機は対質量比出力ではエルシャンの乗る訓練用の機体の半分に設定されており運動性能で大きく劣るものの、訓練用機の兵装が機首に取り付けられたレーザー砲のみで、さらに本来戦闘用の機体に取り付けられているロックオンすれば前後左右15度稼動域内で自動照準するレーザー砲と異なり、固定式で動く標的を機体の軸線上に載せない限りは命中させることが出来ない為、同じ程度の技量のパイロットがそれぞれ標的機と訓練機を操縦した場合は、標的機が制限時間一杯逃げ切るのは難しいことではない。

 ポアーチは10機の標的機の内9機の自動操縦の設定難易度を最大に引き上げ、更に残りの1機の操縦権を自分へと設定した。彼は大人気なく本気で息子に対して勝ちに行くつもりだった。
 普通、練習用の標的機は自動操縦の難易度は最低に設定され、その機動はふわりと表現される。動き自体の緩さと動く目的の曖昧さが「ふわり」と呼ぶのが相応しい。それでも固定レーザー砲ではターゲットスコープにその姿を捉えることは一般パイロットの技量では難しいとされる。
 これが熟練の腕利きと呼ばれるパイロットが訓練する際の難易度では、標的機は訓練機から逃げるように動き続けるため、一流と呼ばれるパイロット達でも梃子摺る。しかし、それでも難易度は中程度にすぎない。
 そしてフルント人の様にパイロット適正が抜きん出た種族の中でも一流と呼ばれるエースパイロット達が訓練に臨む際に設定されるのが最高難易度で、標的機は持てる推力を全てを使い、なおかつ生体以上の反応速度を持つ高度AIがその能力を余すことなく発揮して操縦する。
 だがパイロットもこのレベルになると常識を飛び越えた存在であり、例え反応速度で劣っても総合的技量とセンスでAIを上回り標的を撃墜してみせる。とはいえ1機か2機が限界だった。

「制限時間は25フルン(約15分間)。もし時間内に全機撃墜できたら……そうだな、次は実戦に連れて行ってあげるよ」
 出来るわけが無い目標をあえて口にするポアーチ。これも息子が己の才に慢心して道を誤る事がないようにとの親心……いや、『私が操縦する限り誰にも落とされはしない!』などと胸の内で吼えているので甚だ疑問である。
 しかし、この言葉でエルシャンは目の前にニンジンをぶら下げられた馬の心境。更に奮起し彼のやる気は120%どころか200%を超えた。

「ばらけたら面倒だ!」
 戦闘開始と同時に、エルシャンは標的機の集団へと機首を向けると最大加速で突っ込ませる。
 対質量比出力で劣る標的機が加速しきれずにもたつく中、早くもレーザー砲の射程に迫ると自機の軸線上に先ずは1機の標的機を捉える。
「ひとつ!」
 トリガーを引くと、機首より迸る閃光がターゲットスコープの中の丸い標的機の中心を撃ち抜く。
 次の瞬間、眩い光とともに爆散する標的機を尻目にエルシャンは軽く左の操縦桿を左斜め前に振るだけで、2機目の標的機を捉えた。
「ふたーつ!」
 最初の爆発の光が消えぬ間に新たな光球が漆黒の空間に生まれる。

「馬鹿なっ!」
 戦闘開始から僅か50シュルン(18秒間)足らずで標的機が落とされるのを目の当たりにし、愕然として固まっていたポアーチは2機目の撃墜の爆発に意識を戦場へと呼び戻すことに成功する。
 次の瞬間、反射的に自ら操縦する標的機を鋭角に沈み込ませることで、直後真上を通り抜けた光の矢から逃れことが出来たが、他の標的機とは違う動きにエルシャンが気付く。
『あれ? 今の動き、それを操縦してるのってもしかしてお父さん?』
 通信機から聞こえる息子の声に「まずい、ばれてる!」と焦ったポアーチは通信を切断すると、音声入力でAIに指示を出す。
「各標的機は、私が操縦する機体を援護しろ」
 冷静さを欠いたこの命令によって戦いの天秤は大きく傾く。
 ポアーチ機を守るように密集隊形を取らされた標的機はエルシャンにとって格好の獲物であり、文字通り『的』として次々に撃ち落されていくのを打つ手も無く見守る事しか出来なかった。

「ヤバイ」
 ポアーチの周りには、既に他の標的機は残っていない。
 全部で10機居た標的機は自機を残して全て撃墜されてしまっている上に、残り時間はまだ半分以上残している。
 これで自機を落とされたら、アドバンテージが標的機側にある以上言い訳しようが無い敗北が決定してしまう。
『嫌だ! まだ6歳の息子に負けたくない。せめて後10年は強い父の背中を息子に見せ付けて居たいんだ!』そんなことを考えていても息子の攻撃の手は緩まない。
 この訓練の条件的に、逃げ回る標的機に機動力で勝る訓練機が背後に回りこんで追い掛け回し軸線上に捉えて撃墜する格闘戦──ドッグファイト……犬だけに──ならば、逃げるポアーチに分があったはずだが、エルシャンは訓練機の優速を活かしての一撃離脱に徹した。
「何故だ? 何故固定のレーザー砲だけで一撃離脱戦法が、こうも成功するんだ?」
 ポアーチの疑問は当然だった。当然フルント人をはじめとする連盟軍においても一撃離脱戦法は存在するが、それはロックオン後に自動照準のサポートがあっての事で、固定レーザー砲のみですれ違い様に命中させるという話は聞いた事すら無かった。
 格闘戦ならば、背後を取って追う事で標的機との相対速度は0に近づき、また標的機と自機のベクトルは同じ方向に向く。そこから標的機がどんな回避行動をとっても慣性法則からは逃れられず合成ベクトルの範囲は狭く限られる。
 だが一撃離脱戦法ではその恩恵を受けることは出来ない。ならば答えは一つ。息子エルシャンは6歳にして他のパイロットがたどり着いた事の無い高みに達している。そう気付いた時、ポアーチの操縦する標的機は一条の閃光により貫かれていた。

「やった!」
 爆散する最後の標的機の姿に、エルシャンは感極まりコックピットの中で両手でガッツポーズを取り叫び声を上げる。その様子は本当の6歳児のように無邪気であり、趣味に生きる漢という生き物は何時までも子供のままの自分を失う事は無いと雄弁に語っていた。
「やっちまた……」
 同時にポアーチはコックピットの中で項垂れる。最早パイロットとして息子の先を歩き、父の偉大さを背中で語るという夢は潰えた。どう考えても背中を拝むのはポアーチでその関係が逆転する事は今後ありえない。
 今後、どんな事があってもパイロットとして戦場に立つのは止めよう。特訓するのも止めておこう。エルシャンに俺がパイロットだった事を隠すのは無理だが自慢話は絶対にしないでおこう。俺はパイロットは引退したんだ。引退してから10年も経つんだから腕も鈍っても仕方ない。『ボルゾルイの雷光』? 何それバッカじゃないの? 俺は艦隊司令官なんだからパイロットとしての腕なんてどうでも良いんだよ。そんな言い訳を必死に考え今回の敗北による精神的ダメージからの回復を計った。

「素晴らしい。見事な腕前だエルシャン。父として君を誇りに思うよ」
 通信を回復させると、『お父さんはパイロットして負けた事を全然気にしてないよ』という意味を込めて素直に賞賛した。
「えっ?」
 だがエルシャンは、先程までは自分にはパイロット適性が無いのではと不安に思っていた位なので、父からの手ばなしの賞賛の言葉に何か裏があるのかと重い戸惑う。
「えっ?」
 エルシャンが戸惑う理由が分からずポアーチも戸惑う。あれほどの技量を示した息子が、まさか自分のパイロット適性に不安を感じているとは考えた事すらなかった。
「えっと、僕の適正試験は合格で良いんだよね?」
 その言葉にポアーチは唖然とする、次いで『お前が合格しないならパイロットなんてこの宇宙にいねえよ!』と声を出さずに叫ぶ。その後やっと息子が勘違いしている事に気付く。
「勿論合格だよ。だけど、どうしてそう思ったんだ?」
「思ったとおりに操縦できなかったから……」
 小さく落ち込んだ声で答える息子の声にポアーチは頭を殴られるたような衝撃を覚えつつ「へぇ……」としか答えられなかった。
「それにさっきのテストの時だってお父さん手加減してた」
 今度は胸を貫かれるような痛みを覚えたが、なんとか「へ、へぇ~……」と答える事が出来た。もうポアーチの精神力は1桁しか残っていない。
「わざと標的機を一箇所に集めてたりしてた」
 もう何も言葉は出なかった。今晩は浴びるほど酒を飲んで独り枕を涙で濡らそうと誓う。


 適正試験を終えて10日後。
 正式採用はまだだが近い内に実戦テストを何度か行い、その結果を見て年少パイロット資格を申請するという約束をポアーチとしたエルシャンは自宅のソファの上にいた。
「えっとセシウムの放射の周波数はざっくり9.1GHzだけど、むしろ9.2GHzなんだよな……」
 先日、光の速さを思い出す事に成功したエルシャンは、今度は1秒の長さを調べてフルント星の時間単位と比較する事を考えた。
 原子の放射周波数は、測定位置の重力などの条件に左右されないので、地球で原子時計に使われ1秒の定義にも使われるセシウム133に注目した。
 勿論、この星の元素周期表の55番がセシウムであることが前提だが、この星が地球とは別の宇宙に存在し、全く異なる物理法則に支配されていない限り、どんな名称で呼ばれようとセシウムに違いが無いと判断した。
 また、セシウム133はセシウムの39はあるとされている同位体の中で、唯一の安定同位体で、唯一自然状態で存在するという特徴があるので、特定するのは難しくは無かった。
 幸いな事に、セシウム133を使用した原子時計はフルント星でも、はるか昔に時間の基準として使われていたことがあり、フルント星の時間の最小単位であるシュルンは、セシウム133原子の基底状態の2つの超微細単位の間の遷移に対応する放射の3,309,348,536周期の継続時間と当時は定義されていた事が分かったので、後はセシウム133の放射周波数(1秒間の放射数)さえ思い出す事が出来れば、光の速度と合わせれば地球とフルント星の度量法を変換できるようになるのだった。
「自分で語呂を作ったはずなんだよ……女の人なのにカラスの行水みたいなイメージで、はやふろ(8826)……頭が88か近いけど違うな……でも語呂に英語使ってたはずだな。英単語+風呂(26)+女の名前……女はお嬢さん風で綺麗なロングの黒髪なのに何故か風呂が早いってキャラ付けで……白鳥麗子……いやいや全然数字に成らない。大体なんで白鳥麗子?……宮沢りえ……だから全然数字に成らないだろうが……あれ? 白鳥麗子、宮沢りえ……三井のリハウス!……そうだ三井(31)だ。そういう思い出し方だった……」
 エルシャンの前世である田沢真治は理系の癖に数字の羅列を記憶するのが苦手という問題を抱えていて、とりあえず必要な数字や興味のある数字は語呂で憶える。語呂が無ければ自分で作るという習慣があった。
 そして彼の語呂作りの特徴としては人物名を多用する。ただ歴史上の偉人などはそう簡単に当てはまるものが無いので、数字に当てはまる適当な名前を作る。当然それでは思い出す事が出来ないのでしっかりとキャラクターを立てて、比較的得意なエピソード記憶を駆使して思い出すのであった。
「三井……三井で下の名前は3文字。三井、みつい、ミツイ……ナナオ!……いや違う漢字だ。ナナオじゃ70になるから、奈菜緒で770なんだ……」
「ニイチャ! ニイチャ!」
 どこか既視感を覚えずには居られないタイミングで、ソファの下から弟ウークがエルシャンに必死に呼びかける。
 取り合えず考え事を頭の中の片隅に追いやり、上から覗き込むと相変わらずのモコモコ毛玉のような愛らしい姿に、自然とエルシャンの頬が緩む。
「どうしたの?」
「あのねべーとムーが泣いてんの!」
 ウークが自分も泣きそうなりながら呼ぶベーとムーとは、まだ1歳になったばかりの双子の妹達でベオシカとムアリのことだった。
 今日は両親が家を留守にしており、家に居るのは子供たちだけ、とは言え家の中には育児用ロボットもあり子供たちだけでも大きな問題は無かったのだが、流石に優れた育児用ロボットといえども、実の親でもそうであるように泣く子を簡単に泣き止ませる事は難しい。
 急いでトテトテと前を走るウークの後に続いて、居間をでて双子が居る両親の寝室へと向かう。

 寝室のドアをあけると、2人分の泣き声が大音量となってエルシャンの鼓膜を突き、ウークとともに耳を伏せ尻尾は逆巻きになって股の間に入り込む。
「ニーチャ」
 何とかしてくれと涙目で見上げるウークの瞳にエルシャンは逆らえなかったし逆らう気すらなかった。
 寝室に踏み込むと、双子を抱き上げてあやしている育児用ロボットに「ベオシカを渡して」と指示を出し両手を差し出すとロボットは左腕に抱いていた双子の片割れをそっとエルシャンの腕の中に渡す。
 この育児ロボットの腕は感触・温度ともに人肌と同じように調整されており、母親に抱かれるよりも赤子には快適なように作られて入るのだが、エルシャンが見るところまだ完璧とはいえない。
 エルシャンは自分の腕の中で、まだサイレンの様な鳴き声を上げるベオシカに、口を大きく動かしながら「あーう、あーう」と声を掛ける。その声に興味を惹かれたベオシカは一瞬泣くのを忘れて視線を声の元へと向ける。
 ぐずりながらこちらに向ける様子に笑顔を浮かべながら再び大きく口を動かしながら声を掛け続けると、ベオシカは機嫌が良くなったわけではないが不思議そうな表情でじっと彼の口元を見詰める。
 赤ちゃんは相手の顔の中でも口元の動きに注目する傾向があって、その口を大きく動かしてあげると泣いていた事さえ忘れてじっと口元を見続けることがある──あくまでも傾向であって絶対ではない。
「あーう、あーう」
 エルシャンの呼びかけにベオシカも同じように声を出して答える。次第に何故泣いていたのか本人にも分からなくなったようで顔を綻ばせてキャッキャと嬉しそうに声を上げる。
 どうだ? どんなに優れた機能を持っていても兄の愛には適うまいと言わんばかりに育児用ロボットの方を見やる。
 するとロボットの腕に抱かれていたムアリも泣くのを止めて兄と兄に抱かれる姉の姿を円らな瞳で見つめていた。それに応えてエルシャンがムアリに向かって口を大きく動かして「あーう、あーう」と声をかけると、まるで何かを掴もうとする様に手を伸ばしてくる。
 その意図は明らかである『兄ちゃん。私も抱っこして欲しい』と言う心の声がエルシャンには聞こえた様な気がした。
 だが既にエルシャンの腕の中にはベオシカがいる。僅か1歳の赤子とはいえ対するエルシャンも高々6歳の子供に過ぎない。『無理か、俺の妹愛の力を持ってしても無理だと言うのか?』ベオシカを抱く手が震える。
 そんな兄の様子にウークは戸惑っていた。大好きな兄の背中が揺らいでいる。いつも優しく撫でてくれる手が震えている。何だか分からないが押しつぶされそうな不安が襲ってくる。
「ニーチャ、ガンバえ!」
 何を頑張ってもらえば良いのかウーク本人にも分かっていない。だがどんな時も不安を吹き飛ばしてくれる兄を信じて必死に搾り出すように応援の声を上げる。
「ウーク! だが、それでも俺には……俺には……」
 愛する弟の応援。それに応えたい全力を持って応えたい。だがそれでもなお決定的な力不足を埋めることは出来なかった。
「力なきこの兄を軽べ──」
「ニーニー」
「!」
 育児ロボの腕の中から、泣きながらこちらに手を伸ばしている妹たちが自分へと『ニーニー』とはっきり呼びかけたという事実を認識した途端、彼の頭の中を白い光がスパークする。

「男には……男にはやらなければならない時がある!」
 そう呟くエルシャンはまぶしいまでに決意に満ちた男の顔をしていた。
「ムアリを渡して」
 ベオシカを左腕一本で抱き直すと育児用ロボットに指示を出す。
 妹達が言葉らしきものを発したのは初めてだった。それがママでもなくパパでもなく、ニーニーであるなら命を懸けて応える義務がある! 見ていろウーク。この兄の生き様を──
「危険です。ベオシカ様を私が受け取り、エルシャン様がベッドに腰掛けてからお2人をお渡しするべきだと提案します」
「……も、もっともだ」
 冷静すぎる育児ロボットの返答にエルシャンは正気を取り戻した。


 ベッドの真ん中で胡坐をかいて座り、両腕に双子の妹を抱き、膝の上に弟を乗せて『俺最強! 今の俺宇宙最強!』と得意絶頂ご満悦状態のエルシャンは思考入力で情報端末を立ち上げて巨大匿名掲示板サイトに繋ぐ。

【兄弟妹】双子の妹を両腕に抱き、膝の上に弟を乗せた俺は宇宙最強な気がするんだけど【愛】
1 neme: 兄道一直線 date: 5128/S2-26(W3) 11:85:73 ID:@poiuyte
 フルオプション状態の俺最強! 今なら宇宙破壊出来そうでヤバイ。宇宙ヤバイ! もっとも俺は弟と妹のために宇宙を守る側だけどなwww

 またもや、こんな糞スレを立てたので『死ね。氏ねじゃなく死ね。すぐ死ね』とか『またお前か! 何度も同じような糞スレ立てやがって』挙句に『妹のzipはまだでごじゃるか?』と罵られる(?)事になった。


 ちなみに、セシウム133の放射周波数は下7桁までが2631770と判明していたので、90億は10桁になるので残り3桁の数字で、早いという意味を持ち8か9を先頭として成立する英単語と絞り込んだ末に思い出したのがQuick(919)で「クイック風呂三井奈々緒:9,192,631,770Hz」となり、そこから計算するとシュルン≒0.36秒となった。
 その後、子供向け──大人が行ってもめちゃ楽しい──の科学館にセシウム原子時計の実機シミュレーターがあったので、それで実際に実験して得たデータも同様だった。
 結果、この世界の長さの尺度であるスルン(1スルン≒3.0303cm)のメートル法への換算可能になり、この銀河が天の川銀河とサイズ的にも一致したことで、彼の中の疑問は確信めいたものへと変わる。
 また平均的シルバ族の身長が日本人に比べてさほど変わらない事がわかり、今の自分が地球人類と同スケールである事に安堵する。
 地球人類に踏み潰されるような矮人種であったり、見上げられるような巨人種というのは何となく嫌だったようだ。 
 

 
後書き
時間の単位
シュルン(0.36秒)100シュルン=1フルン(36秒)100フルン=1トルキ(1時間)26トルキ=1日(26時間) 8日=1節 10節=1季(春季・冬季・秋季・冬季) 4季+雨季(15日x2)=350日=1年(9100時間=379日と半日弱)

ご承知とは思いますが、フルント星に関する人名を除く固有名詞などの命名法は「+ル」です。 
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