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星々の世界に生まれて~銀河英雄伝説異伝~

作者:椎根津彦
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策謀編
  第百十一話 可能性

宇宙曆796年11月15日14:00
バーラト星系、ハイネセン、自由惑星同盟、自由惑星同盟軍、ハイネセンポリス郊外、技術科学本部ビル、
ヤン・ウェンリー

 同盟軍内部の組織として、三つの本部と十二の部局がある。まず最上位に位置し軍令を司る統合作戦本部。補給、後方支援を掌握する後方勤務本部。軍事技術の開発、艦艇の建造、設計を担う技術科学本部。そしてその三本部の下に防衛・査閲・経理・情報・人事・装備・教育・施設・衛生・通信・戦略の各部局がそれぞれ存在している。今、私がウィンチェスターと共に訪れているのは技術科学本部だ。十二部局のうち、掌握しているのは装備部のみ、三本部の中では一番影が薄いと思われている組織だ。

 「しかし、本当に実現可能なのかい?」
「可能とは思いますよ。無理だったら他の手を考えるだけです」
「他の手をねえ…あるのかい?」
「さあ…」
ここに訪れた理由は、ウィンチェスターの先日の発言だった。
~イゼルローン要塞をハーンに運びます~

いやあ、壮大稀有というか、空いた口が塞がらないというか…ウィンチェスターの思いつきは想像の斜め上を行く。
『イゼルローン要塞に十二個の航行用エンジンを取り付け、ワープと通常航行でハーンまで移動させて同地の防衛の要とする』と言うのだが…。

 今の技術科学本部長はバウンスゴール大将、艦隊司令官としても優秀だが、元々は技術畑の人で、実戦に即した艦艇ユニット設計をする事で知られている。序列も当然ウィンチェスターより上だ。だからこそ三本部長の一人でもあるのだが、軍内部現実的な格付としては宇宙艦隊の下に位置しているから、宇宙艦隊副司令長官の要請という事で司令部に来て貰ってもよかったらしい。だが、『年下の大将や中将に呼びつけられて、いい気分でいられます?お願い事をするのはこっちなんですから、こっちから出向きますよ』という事で、応接室で技術科学本部長を待っている、という訳だ。

 「お待たせして申し訳ない。戦艦の艦首ブロックの試験に付き合っておりましたのでな…で、今日の用向きは…?」
内容が伝わっていないのか?…ああ、情報漏洩を避ける為か。そうだとしても内容が内容だ、前情報もなくいきなり話をして大丈夫なのだろうか?
「今日の用向きはとりあえず置いといて、折角ですからその試験中の艦首ブロックを拝見したいのですが。どうです、ヤン提督」
「…そうですね、宜しければ見せていただけませんか」
バウンスゴール大将は目を輝かせて、こちらへ、と我々の先導についた。艦艇装備試験室、という部屋というよりは旗艦戦艦がまるまる一隻入りそうな倉庫に案内された。少々お待ち下さい、そう言うとバウンスゴール大将は試験室の中へ消えて行った。

「ウィンチェスター、君は人をおだてるのが上手いね」
「技術科学本部長という肩書になってまで試験に付き合うなんて、根っからの技術屋さんじゃないですか。そういった人に頼み事をするのなら、現場の空気感ってやつがあった方がいいと思いまして。それに」
「それに?」
「私こう見えても『宇宙の艦船』の愛読者なんですよ」
「……」
案内された試験室には、一隻の標準戦艦のモックアップが置かれていた。艦型は普通の標準戦艦だが、艦首部分が異なっている。どうやらこの原寸大の模型は各部のユニットが付け変えられる様になっている様だ。ウィンチェスターが子供の様にはしゃいでいる…。

 「ヤン提督、見て下さいよ、艦首部が大きくなって主砲が縦に五門の四列、二十門もありますよ…バウンスゴール大将、これはムフウエセの艦首ブロックの発展型ですか?」
「ムフウエセ…よくご存知ですな。いえ、発展型ではありません。むしろ原点回帰です。あの艦に取り着けた武装ユニットは少々バランスが悪いのです。旋回時の慣性モーメントの制御に難がありまして…ブロックを装着してみたところ、あちこちといじくりまわさなくてはならないという本末転倒な結果になりまして」
「そうなんですか…あの艦首形状、シュモクザメみたいで格好いいんですけどね」
「お褒めいただきありがとうございます…話を戻しますと、旗艦戦艦用の艦首ブロックを参考に小型化、シンプルな形に戻したのです。結果、ムフウエセの十八門から二十門に増やす事が出来たのです。ですが…」
「何か問題が?」
「全力斉射時の戦闘継続時間に問題が発生しまして。射撃管制にも電算機の容量を食いますし…まあ、元の二倍以上の門数なので当たり前といえば当たり前なのですが」
「となると、使用する状況が限定されるという訳ですね」
「はい。元々は標準戦艦に旗艦戦艦の役割を充てられないか、というオーダーから生まれたものですから…戦況が劣勢ならともかく、現状ではあまり必要性を感じないのも確かなのです」
「しかし、可能性の追及を止める事は出来ない、そういう事ですね」
「はい。ご理解が早くてありがたい限りです」
標準戦艦を旗艦戦艦の代替艦として使う…現状では余程の大敗を喫しない限り、そういった事態は訪れないだろう。標準戦艦は元々指揮機能を持っていない。改造を施しても小規模な分艦隊の指揮にしか使えない。だったら旗艦級戦艦を作ればいいじゃないかという話なのだが、旗艦級戦艦は標準戦艦に比べて工数が倍以上かかるのだ。当然時間がかかる。この艦首ブロックはそういった暇がない時…急速に艦艇数を揃えなくてはならない時の為の物だろう。想定される使用状況は…圧倒的に不利な状況下での正規部隊による奇襲やゲリラ戦術といったところだろうか…。
「いやあ、いいものを見せて貰いました。ありがとうございます」
「そう言って頂けると案内した甲斐があったというものです…ところで、ご用件は?」
 
 再度場所を応接室に移したバウンスゴール大将は、大将としての序列は上ながら、穏やかで物腰の柔らかい人物の様だ。かなり年下である筈のウィンチェスターに対しても丁寧な口調で接している。
「とりあえずは可能性の追及という事でいいんですが、イゼルローン要塞を移動させる事は可能ですか?」
「ほう…あの人工天体を移動させる、と言うのですか」
「はい、通常航行、ワープ航法、どちらも使用してです」
ウィンチェスターは多分可能だと言っていた。彼がそう言うのだから可能なのだろうが…。
「難しいですね」

 技術科学本部長の答えを聞いたウィンチェスターの口が真一文字に引き伸ばされた。だが、難しいと言った技術科学本部長は一つ咳をして続けた。答えにはどうやら続きがあるようだ。
「難しいですが不可能ではありません。副司令長官、移動後の使用想定はどうなのでしょう?恒常的な移動を目指した物なのでしょうか?」
答えを聞いて、ウィンチェスターと同じ様に思わず胸を撫で下ろす自分が居る。
「いえ、要塞なんておいそれと動かす物じゃないですし、一度きりの移動で充分です。それにあれだけの大きさの物を動かすとなると必然的に推進機関も大きくなるのは想像がつきます。敵の攻撃のいい的になるでしょうし、移動後は取り外して分解廃棄します」
「ふむ。確かにそうですな。恒常的な移動を目指すのなら、最初からそれ用のシステムを組み込んだ方がいい。仮設で移動は一度きり、使用後は取り外す…イゼルローン要塞の外壁を構成する流体金属層が難敵ですが、出来ると思います。設計、工期の明示はいつまでに?」
「まあ早い方がいい事には違いないのですが、急なお願いですから、今日は可否の可能性をお伺い来ただけなんですよ」
「いえ、大丈夫ですよ。私自身は空いていますから…ではとりあえず…明後日には素案をお持ちします。それで宜しいでしょうか?」
「はい、宜しくお願いいたします」

 その後もしばらく雑談が続いた後、私達は技術科学本部を後にした。統合作戦本部ビルに向かう車内の中で、ウィンチェスターが質問をぶつけてきた。
「ヤンさん、ハーンにイゼルローン要塞を置いたとして、その方面に駐留させる艦隊戦力はどの程度必要だと思います?」
「うーん、ハーンに一個、イゼルローンに二個程度が妥当だと思うね…でも要塞の攻略法は君が示してしまった。どれだけ艦隊を置いても攻略されてしまうんじゃないか?」
要塞を移動させるという事が実現可能か、という事もそうだが、私が気になったのはこの点だった。攻略法の解っている要塞は最早難攻不落足り得ない。ウィンチェスターは続ける。

 「…帝国軍がイゼルローン要塞攻略を企図したとしましょう。ヤンさん、帝国軍の指揮官になったつもりでお答えください。こちらは要塞と三個艦隊です。まず我々の艦隊を封じるとして帝国軍はどれ程の戦力を繰り出すと思います?」
「…君と同じ戦法を用いたとしても…五個、いや六個か七個は出すだろう…いや、厳しいな、アムリッツァからの増援も考慮しなくてはならない…そうか、だから君はあの作戦で十二個艦隊全てを動員したんだな」
「はい。イゼルローンを攻略する時に気になったのは帝国軍がどれ程の増援を出すか、そして我々の攻略が成功した後に当然催すであろう奪還作戦に用いる戦力の規模でした。あの戦いを帝国軍が総括した時、奪還にどの程度の戦力が必要だと見積るのか…」
あの作戦に参加した兵力…第一陣として四個艦隊、二陣として八個艦隊。第二陣は第一陣が苦戦に陥った時の後詰として控えていた。第一陣の兵力は、過去に行われた要塞攻略作戦の結果から算定された数だった。だがそれはあくまで想定であって、実際に戦場に到着してみないと実際の敵戦力はわからない。だからこそウィンチェスターは第二陣に八個艦隊もの兵力を用意した…。

 「奪還の為の戦力算定は、おそらく我々の用意した作戦戦力を参考にするだろうという事は想像出来ました。純粋な要塞攻略だけであれば、第二陣は五個もあれば充分だったと思います」
「しかし君は八個艦隊を用意した」
「そうです、帝国軍の戦力見積を混乱させる為です。口で言うのは簡単ですが、大兵力になればなるほど用意するのは難しい…はたして帝国軍は、十二個艦隊もの兵力を要塞一つの為だけに派遣する事が可能でしょうか?内乱の危機に瀕しているこの現状で」
「…無理だね、おそらく。アムリッツァのミューゼル軍はハーンに回せない。帝国軍が要塞攻略を企図する場合、アムリッツァからハーンに送られる増援の数を減らす為にも陽動が必要になるからね。となるとオーディンに残る兵力で要塞攻略を行う事になる訳だから、十二個もの兵力を揃えるのは厳しいだろうね、有志連合の存在を考慮せねばならない」
よくここまで考えたものだ。本当に感心するよまったく…ウィンチェスターは何度も深く頷きながら質問を続ける。
 
 「ヤンさんがそう言ってくれると本当に安心しますよ。では質問を変えます…イゼルローン要塞の攻略法ですが、他にもあったと思いませんか?」
「他の攻略法…?」
「はい。時間をイゼルローン攻略前に戻して考えてください。ヤンさんならすぐに思い当たる筈です」
私なら思い当たる…攻略前に時間を戻す……まさか…。
「外から攻めても駄目なら内から攻める、か。まさか君もそう考えていたのかい?」
「はい。古来、城や要塞というのは守備側の裏切り、内通で落とされたケースが多いのはヤンさんもご存知でしょう?」
「うん。後は兵糧攻めだが、イゼルローン要塞に兵糧攻めは通用しない。裏切りや内通も同様だ。となると内部に擬装した兵を潜入させて内側から攻略するしか手はない、そう考えたよ。堅牢な外壁、強力な主砲、おまけに駐留艦隊。正に『イゼルローン回廊は叛乱軍兵士の死屍をもって舗装されたり』だ。だったら地球時代のトロイア戦争の様に、トロイの木馬を真似るしかない、そう思ったんだ」
「はい。十中八九成功したと思います。犠牲も少なくて済んだでしょう」
彼の言う通り、成功する確率は高かった。要塞が堅牢過ぎて内部から攻められるとは誰も思わないからだ…同じ事を考えたくらいだ、潜入には当時のローゼンリッター連隊を投入する事くらい折込済だったろう。
「だけど君はその戦法を採らなかった。それは何故だい?」
そうだ、何故その戦法を用いなかったんだろう?

17:30
ハイネセンポリス、コートウェル公園、ミハイロフの店
ヤマト・ウィンチェスター

 ヤンさんとの会話は本当に楽しい。時間さえ許せば余裕で朝まで喋っていられる…お、この公園は…
「少しお腹が空きました。いい所があるんです、統合作戦本部に戻る前に寄って行きませんか」
「いい所って…まさか…懐かしいな」
ミハイロフの店。店とは言うものの、言うなれば屋台だ…原作でヤンさんとビュコック長官が密談した場所だ。術科学校時代、士官学校時代、マイクやオットー達とよく通ったものだ。
「君も士官学校の頃に通ったクチだろう?」
「はい。マイク達と門限ギリギリになりながら通ってました……おっちゃん、フィッシュ・フライとキッシュ・パイ、ミルクティ、二つずつ頂戴…あ、フライドポテト一つ追加」
空いているベンチは…無い。そうなんだ、ここは『貧しいが若さと希望だけはたっぷりある恋人たちが、この店で食べものや飲みものを買いこんで、常夜灯の下のベンチで話し込んだりしている、そんな場所』なんだよね…。
「昔と変わらないな、ここは」

 少し歩いてベンチを見つけ、しばらく無言でほおばる…ヤンさんも空腹だったんだろう。
「潜入作戦を行わなかった理由ですか」
「うん。動かす兵力も少なくて済んだ筈だから、犠牲も少なかったと思うんだ」
「作戦の責任者がシトレ元帥だったからですよ。ああ、シトレ元帥の能力を非難したり軽んじている訳ではありません。潜入作戦を進言すれば実行していたと思いますし、成功もしたでしょう」
あの作戦当時、シトレ親父は大将、宇宙艦隊司令長官代理、という立場だった。能力も高く人望もあるがシトレ閥、というものが明確に存在した訳でもなく、望まれてその地位に就いた訳でもない。手腕を示す必要があったのだ。潜入作戦を進言したなら、シトレ親父はおそらく自分の艦隊のみでそれを実行しただろう。でもそれじゃ駄目なんだ。組織において、組織に利益をもたらさない者は組織の敵と見なされる。潜入作戦を実行し、成功させたなら元帥昇進間違いなし、退役前のシトレ親父がそうだったように、司令長官代理から一挙に統合作戦本部長に就任した筈だ。だけどそれではシトレ親父の一人勝ちでしかない。そしてそれは組織内に不協和音をもたらす。親父を競争相手とみなしていたロボスの反感ももっとひどいものになった筈だ。部下の汚職でロボスは退場したからいいものの、もしそうなっていたらシトレ体制は磐石ではなかったと思うのだ。体制の不協和音が外に漏れれば、トリューニヒトあたりの干渉が大きなものとなった筈だ。皆の力を使って勝つ。そうでなくてはならなかった。

 「成程ね。皆の力を使って勝つ、か」
「はい、潜入作戦ではシトレ閣下の個人プレーとみなされてしまいます。それでは称賛はされても尊敬はされません。むしろシトレ閣下の孤立を招いたでしょう」
「組織人である以上、感情を無視してはならないという事か。宮仕えも大変だね」
「他人事じゃないんですよ、もう」
「悪かった悪かった…でも、話してて気付いたんだが、帝国軍が潜入作戦を実施するとは考えられないだろうか。ハーンは占領したばかりだし、工作員が潜伏しやすい条件は整っていると思うんだが」
「そうですね。その場合、潜入するのはどんな人間だと思います?」
「同盟標準語に堪能で、こちらの社会習慣をよく知っていて、帝国人とは疑われない…ハハ、解っているんだろう?」
ヤンさんはそう言うと、冷えたミルクティを飲み干した。
「そうです。逆亡命者や、捕虜交換で帝国に戻った帝国兵達です。最近の逆亡命者で指揮官にうってつけな人物と言えばリューネブルクです。捕虜交換式典時にミュッケンベルガーの護衛としてフェザーンに現れたと、以前に報告がありました」
「そこまで予想しているのなら、潜入作戦の対策については問題なさそうだね」
「はい。それに…イゼルローン要塞に対する最大の懸念事項はもう、ありませんから」
「最大の懸念事項…?」
「ガイエスブルグ要塞です」
「何だって?……ああ、イゼルローン要塞を動かせるとすれば、ガイエスブルグ要塞だって…そうか、帝国軍がそう考えてもおかしくはない。最悪の場合、ぶつければいいんだものな…まったく君って奴は。ここまで来るといっそ爽快だよ」
ヤンさんはそう言って笑ったけど、ガイエスブルグ要塞と言っただけで、原作と同じ様にぶつければいいとか言い出すヤンさんの頭の中身も、相当だよな。原作の同盟軍の中でもかなり異質な存在だったんだろうなあ。魔術師ヤン、ミラクル・ヤン、か…納得、納得。

 「たまには、こういうのもいいもんだ」
そう言っていきなりベンチから立ち上がったヤンさんは、ミハイロフの店に駆けて行った。戻って来たヤンさんの手にはテイクアウト用に包装された紙袋があった。
「持って帰って食べるんですか?」
「いや、グリーンヒル大尉にも持って帰ってあげようかと思ってね」
「いいじゃないですか。きっと喜びますよ。じゃ、戻るとしましょうか」


22:30
ハイネセンポリス郊外、メープル・ヒル、トリューニヒト別邸、ヤマト・ウィンチェスター
 
 宇宙艦隊司令部に戻ると、グリーンヒル本部長と、ビュコック司令長官が俺の執務室で待っていた。トリューニヒト氏が呼んでいるという。最高評議会ビルに向かうのかと聞くと、別邸だという。三人揃って最高評議会ビルに行くとマスコミに勘繰られるし、だからと言って別邸に向かっても同様だ。三人それぞれ一度帰宅し、目立たない私服に着替えてそれぞれ時間差をつけて別邸に向かう事になった。で、揃ったのがこの時間という訳だ。
「えらくカジュアルな格好じゃないか、ウィンチェスター」
「妻に協力して貰いましてね。二人で外出する体を装ったんですよ、本部長。年相応でしょう?」
「そういえば君はまだ二十代だったな」
「その割にはもう三十年も軍人をやっとる様に見えるの。貴官、やはり軍人が天職の様じゃな」
「止めて下さいよ長官。単純に計算してもあと四十年近くも軍人やるんですよ?」
「そうか…という事は儂もそれこそ五十年も軍人をやっておる事になるのか…月日が経つのは早いもんじゃ…外出の体を、と言ったが、奥方は貴官がここに居る事を知っておるのか?」
「はい。私の副官宅で飲んでいると思います。私は副官宅の裏口から出て歩いて来たんです」
「ほう、ローザス少佐だったな。この近くなのか?だとすれば豪勢なもんじゃ」
「はい、亡くなられたローザス提督の自宅を相続したらしくて」
「ああ、ローザス提督のお孫さんじゃったな、彼女は…そうか、ローザス提督か…」
ビュコック長官は遠い目をした。そうだ、長官も七百三十年マフィアの生き証人なのだ。
「士官学校在学中に、ローザス提督の講演がありましたよ。あの頃はまだ七百三十年マフィアも、バリバリの現役でしたからね…私は何もしていない、アッシュビー提督のおかげで現在の地位にいるのだ…と、ひどくご謙遜なさっていたのを覚えています。長官は確か、第二次ティアマト会戦に征っておられるのですよね?」
本部長に問われた長官の目は、更に何光年も先を見ているかのような、ここには居ない誰かを見ているような、優しい光を湛えていた。
「あれは、二等兵としての初陣じゃったの。戦艦の砲手を務めておったが、早々に撃ち尽くしてしまって、戦いの半分は膝を抱えて座っておった。後は人知れず死ぬだけかとな…ハハ、古い話じゃよ。当時の儂の様な下っぱには、アッシュビー提督や七百三十年マフィアの名は眩しく見えたもんじゃ」
指揮した戦いは必ず勝つ、常勝の宇宙艦隊司令長官か…。

 「やあ、遅れて済まない」
そう言ってトリューニヒトは現れた。俺達と同じ様に時間差をつけて来たらしい。四人が思い思いにソファに座ると、トリューニヒトが例の朗らかな口調で切り出した。
「改めて礼が言いたくてね。君達のおかげで選挙戦は順調だ。本当にありがとう」
この世界に転生して分かった事なんだけど、きちんと政党が存在している。トリューニヒト氏が所属する政党は自由共和連合という。一方、前最高評議会議長が所属していたのは自由革新同盟だ。どちらの党も主にハイネセンでの活動が活発だ。ハイネセンは首都という事もあって一番人口が多いから、選出される評議員の数も多いからだ。他にも政党はあるけど、基本的にはこの二大政党が政権を担う事が多い。勿論無所属の評議員もいる。ジョアン・レベロやホアン・ルイがそうだ。シトレ親父は故郷の惑星カッシナからの出馬だけど、自由共和連合の推薦を受けている。レベロやホアンもこの二大政党の推薦を受けていた筈だ。じゃないと流石に委員長までにはなれない。

 俺自身は今回の選挙にはあまり興味がなかった。おそらくトリューニヒト暫定議長から、暫定の二文字が取れるだけの選挙、だからだ。当然本人もそう思っている。軍という票田かバックにいる事に加え、前議長サンフォードの逮捕拘禁が尾を引いて自由革新同盟の支持率が低下しているからだ。マスコミも、自由革新同盟の支持層が自由共和連合とその他の小政党や無所属候補に流れている、という観測気球を上げていたから、自由革新同盟から離党したり自由共和連合へ公認を鞍替えする候補者すら現れる有様だった。
「すごい支持率ですね。このまま行けばルドルフの再来と呼ばれかねませんよ、議長」
今のこの状況を作り出したのは君だ、とシトレ親父に言われた事があったけど、その恩恵をもっとも享受しているのが目の前のトリューニヒト氏だろう。国内の再開発と新領土アムリッツァの経営が順調に進んでいる今、同盟国内の政治状況はトリューニヒト一強と呼んでもいい状態にある。
「終身執政官という訳かね?私が?とんでもない。これでも引き際は心得ているつもりだよ。まあ、それはともかく、君達の意見が聞きたくてね」
「何についての意見でしょう?現在の政治的状況についてですか?聞くまでもないと思いますが…」
「いや、私が聞きたいのは帝国の政治状況なんだ。君達はあの帝国政府の発表を同盟で一番最初に見聞きした筈だ。その次が多分私達の様な政府閣僚だろう。そして今では同盟市民の誰もが知っている。選挙期間中でもあるし、中身のないウケ狙いの談話を発表する訳にはいかない、様子を見る、一旦はそう結論が出たのだが、あまり長い事先延ばしにも出来ない。軍部の見解としての報告は受けたが、君等自身はあの放送の内容についてどう考えているのか、聞きたくなってね」
「何を言っても選挙に負ける心配はなくなったから対策を発表しよう、そういう事ですか?」
「本部長、そう嫌味を言わないでくれたまえ。評議会では君が国防委員会に上げた報告書も参考資料として使われているんだよ。他人事ではないだろう?」
「提出した報告書の元になったのはウィンチェスター副司令長官のレポートです。もし閣下がお困りなのでしたら、その原因は副司令長官に帰するものです」
三人の視線が一斉に俺に向けられる…悪い事書いた覚えないんだけどなあ…。

 「本部長…私のレポートの内容、ひどかったですか?」
「いや、そんな事はない。私が付け加えたのは鑑だけだからな」
「だったら何の問題もないと思うんですが…議長、一体何が問題なんです?」
トリューニヒトはがっくりと肩を落とした。久しぶりに肩を落とせて良かったんじゃないか?たまには力を抜く事も必要だぞ。
「あの報告書の内容は、何もしない事の言い訳なんじゃないかと思うんだがね。私、いや、評議会の認識は間違っているかな?」
「その通りです。間違ってませんよ」
「だったら問題だろう」
「私のレポートの採点の前に、評議会で何をどう討議しているのか教えて欲しいですね。今更非公開とか言わないで下さいよ?」
「戦争、いや、直接的な戦闘行為を避けて帝国政府と対話すべきではないか…そういう意見がある。帝国は開明的な改革を実行しつつある、立憲君主制へ移行しようとしているのではないか…というんだ」
「帝国は皇位継承に端を発した内戦の危機にある…その認識は評議会にはあるのでしょうか」
「私もそう言ったさ。評議会でもあの映像を見ながら討議しているんだ。文官の列が非常に少ない…帝国政府において文官は貴族の領分だ。その貴族達が列席していない、幼帝エルウィン・ヨーゼフは貴族達の支持を得られていないのではないか、有志連合と帝国政府とで皇位継承の争いが起こる可能性があるのではないか、とね」
「…議長閣下におかれましては、事態を正しく認識していただいて有難い限りです」
「ウィンチェスター君、茶化すのは止してくれ…評議会の中では劣悪遺伝子排除法の廃止が高く評価されている。それが皆の目を曇らせているんだよ。帝国市民へのウケ狙いの改革だと言っても、中々そうは思ってくれないんだ」
意外だった。評議会の中でトリューニヒトが孤立している。あの映像だけで帝国政府の思惑を見抜いていたのも意外…いや、仮にも一国のトップなのだからこれくらいやって貰わないと困るか…なんと返事を返そうかと思っていると、ノックの音と共に使用人と思われる妙齢の女性が入って来た。何やらトリューニヒトに耳打ちしている。
「…うん、分かった…本部長、クブルスリー次長から連絡だ。ビュコック長官の副官はファイフェル少佐で間違いないかね?」
「はい、その通りですが何か」
返事をしながら本部長とビュコック長官が顔を見合わせた。
「ならばよかった。ウィンチェスター君への報告だった様だが、君も君の副官もいないので長官室のファイフェル少佐が受けたらしい。少佐は上官がいないので本部長に報告しようとしたが、本部長もいないのでクブルスリー次長に報告を行ったそうだ」
なんなんだ、まどろっこしいなまったく。同じ感想なのだろう、答える本部長の眉間に皺が寄っている。
「報告の内容は緊急なのでしょうか」
「緊急と言えば緊急かな。フェザーンのバグダッシュ中佐からの報告だ。帝国の貴族達…有志連合が声明を発表したそうだ」
「…どの様な内容なのでしょうか」
「帝国内で新政権が樹立された。銀河帝国正統政府というらしい。高等弁務官府からも同様の続報が入ってきているらしい」





 
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