機動戦士ガンダム0086/ティターンズロア
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第二部 黒いガンダム
第六章 ヒルダ・ビダン
第五節 散華 第二話
「逃げようったって、そうはさせるかっ」
カークスは僅かな違和感から、エマの回避軌道の不自然さを正しく見抜いた。気づけたのは、カークスが狙撃手であり、普段から弾道計算や軌道予測を行っていたからにほかならない。
直感的で経験則に基づく感覚派のライラや、格闘戦からの肉弾戦を得意とするライルでは、恐らく気づかなかったろう。
カメラが機体の影に入ったため、映像の一部が微かに暗くなった。勿論カメラは一つではないし、すぐに補正が掛かるため、視界に影響はないが、補正される一瞬だけ画像がちらついたように見える。普通なら気になるレベルではないが、細かい計算を積み上げる狙撃手がそのチラツキを見逃す筈もない。そして、自分が予測していた位置と目標の現在位置に僅かなズレを気付かせてくれたのだ。長距離レンジでの射撃は宇宙空間において大気による減退がない分、僅かな誤差がミスに直結する。誤差範囲さえ予測しておかなければならないのが狙撃手であった。その誤差範囲から脚一本分のズレがあった。
(ヤバかったぜ……)
それが正直な感想だ。
機体がトロいからといって嘗めて掛かっていた自分をたしなめる。あのままであれば、足許を掬われかねなかった。気を引き締めて確実に仕留めなければ、折角のチャンスをフイにしてしまう。カークスとて、一生うだつの上がらぬ巡航艦付きのMSパイロットでいたくない。このチャンスをものにすれば、ティターンズに入れる可能性とて見えてくるかも知れないとなれば、絶対に獲物を逃す訳にはいかなかった。
現在、地球に居住権を持てるのは軍関係者と政府関係者およびそれら関係者施設で働くものとその家族、文化保護対象の少数民族などに限られていた。そうなると必然的に軍は世襲化し、門閥化していく。結局この八十年間、その傾向に拍車が掛かる一方だった。
しかし、軍関係者といっても、宇宙移民者の地球への転籍は認められていない。申請は可能だが、認可など下りたことなどなく、唯一の例外が一年戦争の英雄たち――〈ホワイトベース〉の主要クルーだった。
だが、それさえも、実は本人たちの希望ではなく、ニュータイプを危険視した軍上層部や政府関係者の軟禁だと、もっぱらの噂だった。
しかし、ティターンズなら。
ティターンズに入れば、地球に還ることができるかもしれない――カークスがそう思うのも無理はなかった。数々の特権や優遇措置に加え、潤沢な資金で装備も充実し、さらに連邦軍のエリートであるという政府の喧伝。ティターンズの正義なぞ、スペースノイドなら誰も信じないが、魅力的な余禄は現実だ。才能に自信のある者なら、応募したくなるというものだ。
事実、ティターンズの公募には二十倍を超える応募者が集まったと発表されている。実際に採用されたティターンズの正規スタッフにスペースノイドはただの一人も居ない。それが現実である。
「アイツらが手こずって、捕り逃がした奴らを捕えてやりゃあ…ひょっとするかもしれん」
チャン・ヤーの思惑もその辺りにあったろう。それに乗せられてみたいという欲は濃厚にあった。
エゥーゴも同じスペースノイド――そういう感情が無いわけではない。だが、政治に関心のないカークスには、エゥーゴの主張も何処かの新興宗教的だった。
胡散臭いのだ。
戦争に青春時代を砕かれた彼らは、夢も仕事も宇宙の塵となり、安全神話が保証されなくなった世代である。神の世紀と訣別した宇宙世紀にあって、もともと信仰心が篤いとは言えなかった若者は、ジオニズムという狂信者じみた大量虐殺とコロニーを地球に落とすという大質量兵器による破壊が撒き散らされたことで、宗教を顧みなくなった。そして、巨大なガスボンベの内側に暮らすことは、彼らを享楽的で刹那的にした。若者が懐く不安は、そうすることでしか晴らせなかったとも言えるだろう。
復興の美名に湖塗された宇宙棄民政策は、戦争の傷跡をさらに人の住めない廃墟に変えた。現在の各サイドの人口は半数がジオン共和国からの帰還民である。帰還後もジオンシンパは少なくなかったが、若者たちは裏切られた――自分たちが売られたような気がしてならなかったのだ。
これは事実ではない。
ジオン共和国は彼らを養うことができなかったのだ。戦後賠償などはなかったものの、軍事に偏りすぎた国家経済はかなり際どい所であった。グラナダ条約の締結により、軍縮路線に舵をきれるとはいえ、食料供給もギリギリのラインだった。大量の帰還兵と戦時移民を抱えた状態では、国家運営が立ち行かない可能性があった。そこで行われたのが、ジオン・連邦両国による《コロニー再生計画》である。
しかし、それまでジオンを讚美していた大人たちが、急に連邦政府に従順になる姿も、瞬く間に復興していくジオンも、繁栄を貪るサイド6も、若者たちに反感をいだかせた。自分たちだけで生きていくしかない。その思いは手段を選ばない上昇志向と結び付き、戦後のコロニー経済の復興を仕切っていく。ジャンク屋稼業が盛んになり、一攫千金を狙って小さなプチモビに乗り込んでジャンクを漁る様は砂糖に群がる蟻のようだった。
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