冥王来訪
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第三部 1979年
新元素争奪戦
スペツナズ その4
新聞記者の香山定吉は、函館市内にある社会大衆党の函館支部に来ていた。
社会大衆党は、通称を社大党といい、日本政界の最大野党にして全国規模の左翼系政党である。
「尾行は……」
社大党の事務所に案内されるなり、香山は職員に言われた。
「つけられている様子はなかったのですが、一応電車とタクシーは乗り継いできました」
「そうか」
そのまま応接間に通されると、そこには社大党の代議士で、北海道選出の鋼鐵良夫がいた。
彼は夕張炭鉱の労働争議で名を売った人物で、本名は中田太郎という。
ヨシフ・スターリンを崇拝するあまり、その名前をもじり、改名した経緯がある。
暴力さえもいとわない荒っぽいやり方と、大人数のデモ隊を組織できる能力は、ソ連からも目を付けられた。
「良いか、絶対に部外秘だ」
白髪交じりの男は、中年の記者にこう言いかけた。
「身辺調査の結果、第二航空団に問題ありの人物がいることが判明した。
参謀の一人で、樽田という男だ」
「どういう事だ?」
「要するにその人間の弱みに付け込んで、情報提供させようって訳さ」
「強請り……か」
「そうだ。お前の十八番だろう」
香山は、外務省の女事務官に近づき、酒を飲ませた上で半ば強引に関係した。
その後、頃合いを見て不義を材料にし、政府機密を漏洩させたことがあった。
手に入れた情報は、直ちに野党経由で、在京のKGB工作員に報告された。
野党議員が国会で問題を追及し、与党と内閣の責任が問われる事態となり、結果として日米合同の沖縄核ミサイル基地計画を潰したことがあった。
「今更……怖気づいたか……香山。
だが、これは大事の前の小事にしかすぎん」
一連の姦通事件で、香山が無罪を勝ち取ったのには理由があった。
判事を買収するという、KGBの裏工作で、実刑判決を免れた経緯があった。
その為、香山はKGBに借りがあり、いいなりとなっていたのだ。
「貴様は女の尻ばかりを追っかけている、ゴシップ新聞の記者……
だが、ジャーナリスト魂ぐらいは持っているだろう」
社大党を支援したいKGBは、在札幌ソ連総領事館のKGB工作員を通して、鋼鐵あてに45万ドル相当の資金を手渡しで受け渡していた。
鋼鐵は、その中の3分の1である15万ドルを、自身の懐に入れていた。
(1979年、ドル円レート、1ドル=239円)
「今一度、自分がやれることを考えてみろ」
「はい」
第二航空団司令部の副指令である樽田は、485万円の借金があった。
それは病気の妻の為に借りた金であるが、返済期限がまじかに迫っていた。
(1980年の貨幣価値は、物価を換算すると2020年のおよそ2倍前後である。
1000万円相当と考えてもらえば、よい)
朝礼の最中、サラ金業者を名乗る男女が、第二航空団司令部に現れた。
取り立てに慌てた樽田は、急いで彼等に会うことにした。
樽田の目の前にあらわれたのは、一組の男女だった。
眼鏡をかけた背広姿の男は、名刺を差し出す。
「樽田大佐ですね。
是非お話したい事があります。
近くの喫茶店までお付き合いくださいませんか」
眼鏡の男は、いきなり切り出した。
婦人用スーツの女は、少しだけ表情を真剣にして答える。
「お時間はとらせませんわ」
な、なぜだ。
サラ金業者が課業中に来ることなんてなかったのに……
午前中、樽田は仕事に手が付かなかった。
話し合いは、昼食の休憩の時に基地を抜け出して、近くにある喫茶店で行なわれた。
「なんだって、借金を肩代わりしてやるから、基地の最新情報を渡せだと」
話の内容は、軍人として、聞き捨てのならない物であった。
樽田は一瞬息を飲んでから、努めて冷静に答えた。
「とんでもない。
私たちはそんな事は一言も申していません」
香山は言葉を切ると、タバコに火をつけた。
浮名を流した新聞記者らしく、銘柄はパーラメントのライトを好んでいた。
「あなたは第二航空団司令部の管理する予定表を持ち帰る。
ただそれだけでいいんです」
一緒にいる女が、香山に助け舟を出す。
女は新聞記者ではなく、鋼鉄の私設秘書の一人だった。
「それをやっていただくと、485万円の借金のご請求は、永遠に来ません。
それだけはお約束しますわ」
女はそう言うなり、机の上にジュラルミンの鞄を広げる。
中には手の切れそうな新札で、1000万円ほどが詰め込まれていた。
「あ、貴方たちは一体、誰なんだ」
一瞬の沈黙の後、再びゆとりのある笑みで女は答えた。
「あとは貴方の判断にお任せしますわ」
樽田は惨めな姿のまま、男の方を振り仰いだ。
全くの初対面だし、サラ金業者特有の社会の裏側で生きる人間の香りを感じさせない。
もしこの場で抵抗しようものなら、借金の事実は露見され、将来の昇進に影響するだろう。
樽田は、喧嘩に負けた弱い犬が憐れみを乞う目で、香山を見た。
「じゃあ、私のプライバシーは守ってくれるんだな」
香山は樽田が大人しく言いなりになったと悟って、落ち着いた口調で答えた。
西日本の裕福な商家の息子らしく、チェスターバリーの既成スーツを着こなしている。
すさんだ雰囲気はなく、それどころか育ちの良い雰囲気に、樽田はますます男の正体がわからなかった。
「約束しましょう」
樽田は、基地の情報をかいつまんで説明し、午後に本州から迎えが来ることを説明した。
そしてジュラルミンのカバンをひったくるようにして受け取ると、喫茶店を足早に後にした。
マサキが、五稜郭の傍にある北海道警察函館方面本部を訪れたのは昼前だった。
本部長室に通されると、既にそこには陸軍の制服を着た男たちがいた。
それぞれ、函館駐屯地を所轄とする第28連隊長と、北海道の防空を担当する第二航空団司令である。
彼等は、飛来したソ連機の管理が警察に一任されていることに抗議に来たところであった。
だが函館中央署長は、刑事事件という事で抗議を聞き入れない所か、一切機体に近寄るなと放言した。
両者ともに無言のにらみ合いをしてるところに、ちょうどマサキが来たという具合だったのである。
これまでの政府方針からすると、この世界の日本政府も、前の日本政府と同様に軍事組織を軽んじる点がある様だ。
どうやら軍を抜きにして、外務省、内務省、法務省で実務レベルの協議が進んでいる様子だ。
(内務省は、現在で言うところの総務省と警視庁、国土交通省、厚生労働省を合わせたマンモス官庁)
居ても立っても居られないマサキは、タバコに火をつけると、彼らに声をかけた。
「俺は木原マサキ、天のゼオライマーのパイロットだ。
なぜ、敵国の飛行機と戦術機を調べられんのだ」
本部長の取り巻きの一人がこう言った。
「アンタは所詮、准尉官だろう。
この案件は既に殿下の決定事項だ。口をはさむ権利があるのかね」
一警部の言った殿下のご意志という言葉は、この異界での政府職員の常套句であった。
この言葉は反対者の口をふさぎ、尚且つ上層部や自分の意見を通そうとする役人にとって非常に使い勝手が良かった。
実際に帝都城に参内して、将軍に会える人物は限られており、尚且つ簡単に確認ができないからだ。
もしマサキ以外の人間だったならば、即座に言をひっこめたであろう。
だが別世界から来たマサキは、将軍を武家の棟梁というただの軍事統率者としか思っておらず、なおかつ尊敬していなかった。
そしてこの世界にも、万世の君が存在することを知っていたので、かつての歴史に基づいて、尊王家風の態度をとることにしていた。
「それでは、貴様らの奉戴する将軍とやらではなく、大内山へ裁可を諮ったら、どうだ」
大内山とは、皇居や御座所を指す言葉である。
京都府京都市右京区にある大内山に、宇多院が御座所を置いた故事に由来する古語だ。
マサキの話を聞いていた他の者たちの顔色が翳った。
いよいよ危険なところに足を踏み入れてくれたな、といった感じの表情だ
「将軍に宣下を出せるのは、宸儀のみ……」
江戸時代、徳川幕府は豊臣政権からの簒奪という形で、武力による天下統一を成し遂げた。
その為、後世になると、その正当性が問われた。
そこで登場したのが、体制委任論である。
朝廷より武家の棟梁である幕府は日本国の政治を委任されたので、正当性が揺るがないとする論だった。
この事により幕府に対する不信は一時的に収まったが、その反面、朝廷への期待が高まることとなった。
幕末の尊王攘夷運動にこの事が利用され、徳川幕府は崩壊する遠因となった思想である。
この異界で、万世の君が一切の国事から遠ざけられたのは、かつての討幕運動を恐れたためである。
鎌倉、室町、江戸の三大幕府は、政権崩壊の遠因は、帝室問題が遠因であった。
いや、日本史をさかのぼれば、帝室の権威を利用しようと、その威光の陰に近づいたものは、帝室を巡る政争に巻き込まれ、やがては滅びてしまうという流れがあった。
日本史における一種の自浄作用であり、その影響は今日も続いている。
マサキは、現体制を憎むあまり、危険な橋を渡っている状態であった。
警部が言葉を見つけられないうちに、本部長は立ち上がって、電話の受話器を取った。
彼は函館地裁の検事正にこの一件を伺いを立てたのだ。
「木原博士、午前11時から午後2時まで機体の検証をするつもりです。
同席を認めますが、その際は地検の捜査協力に従うことが条件です」
マサキは指示に従う事が気に入らなかったが、時間がなかったので了承した。
参謀総長の秘密空輸作戦の期限が、午後3時だったからだ。
マサキ達が函館中央署を後にしようとしたとき、大勢の群衆が署前の交差点に集合していた。
多くがプラカードを持ち、幾人かの人物は色のついたヘルメットをかぶり、顔を隠す手ぬぐいをしている。
それは、ソ連の協力者が日当2万円で組織した学生デモ隊だった。
早くも警察署にはペンキがかけられ、ゲバ棒を振るって、パトカーを破壊している。
マサキは、乗ってきていた車からM16A1小銃と、30連マガジンと銃剣を取り出した。
銃を組み立ててから、構えようとしたとき、道路を挟んだ分庁舎から機動隊が一斉に飛び出してきた。
面頬のついたヘルメットと紺色の出動服を着て、ジュラルミンの盾を持つ一群が隊伍をそろえて、デモ隊に進んでいく。
マサキ達は、その隙に裏口に用意してあった日産グロリア230のセダンに乗り込んだ。
それは一般車両をよそった覆面パトカーで、かき消すようにして署を後にした。
「開襟シャツに黒のスラックス姿の男が、木原だ」
そう一人の大学生風の男が小声でつぶやいた。
函館中央署から30メートルほど離れた五稜郭そばの駐車場にいる男たちの一人である。
北海道観光の客をよそって、3人の若い男たちが話し込んでいた。
「ウィリスアンドガイガーのサファリジャケットを着た髪の長い女が、氷室か」
もう一人のアロハシャツ姿の色黒の男が尋ねた。
いちばん若い学生服姿の男は無言だ。
だがコダックの小型カメラ"インスタマチック76X”で仲間を取る振りをしながら、しっかりと覆面パトカーを撮影していた。
「ええ。
あの背広姿の男は鎧衣でしょう」
リーダーらしき男が確かめる。
「その他に護衛の兵士二人と、陸軍諜報員の白銀。
参謀総長と秘書の女を含めて、8人か……」
「それに運転手が二人いますからね。
合計10人といったところでしょうか」
色黒の男は怖気づく。
狙っている標的が大きいと、仕損じる可能性があるからだ。
「参謀総長と女秘書だけを確保できればいい」
「それが良いでしょう」
3人はそのままマサキ達を追わず、五稜郭タワーの前を去るのを見送る。
五稜郭公園を左手に函館市電の線路沿いに進むと直線距離にして1キロ先に函館競馬場があった。
そこに隣接するようにして函館駐屯地がある。
「木原の他に、あのボデーガード二人は武装していると考えた方が良い」
「手っ取り早く同時に襲わねば……」
「まさか、このまま函館から出ることはないか」
「親方に連絡だ」
数人の男を乗せたハイエースバンは、国道278号を函館市内に向かって南下していた。
車の同乗者は全員ソ連のアルファ部隊の工作員で、一見して軍人だとは分からない服装だった。
「イワノフ、状況を報告しろ」
助手席に座る男は、モトローラ社の小型無線機"ウォーキートーキー"で、連絡を入れた。
通話相手は、部下の工作員で、函館空港近くの拠点に指示を出す。
「今のところ、変わった動きはありません。
ですが、給油用のタンクローリーが3台ほど止まっています」
「何時からだ」
「3時間ほど前です」
「何時でも攻撃できるように、準備しておけ」
「格納庫の前を遮るようにして止まっているので、監視できません」
「格納庫か。
何か、企んでいるな」
アルファ部隊の隊長は賭けに出ることにした。
作戦の予定にはない白昼の基地攻撃を準備することにした。
「戦闘準備に取り掛かれ」
危険な賭けだが、今の段階で形勢を逆転するにはこれしかなかった。
相手は手ごわいプロだ。
機会は、一度しかない。
もちろん失敗は、許されない。
車は、函館空港から1キロほど北にある、元修道院に向かった。
山の中腹にあり、既に早い時期から廃寺となっており、地元の人間は誰も近寄らない場所だ。
そこは既に、ソ連軍の特殊部隊が好んで着用した白樺迷彩服の一団が整列していた。
RPG対戦車ロケット砲や、PKM汎用機関銃。
そしてSPG-9無反動砲やZPU-2機関銃を搭載した日産・ダットサントラック。
200名以上の隊員を前に、隊長はこう訓示した。
「15分後に攻撃を開始する。
諸君!函館壊滅の様子を目に焼き付けておきたまえ」
後書き
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