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八方塞がり

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第八章

「俺もそう思う」
「お寺も神社も大嫌いだったわよね」
「教会もな」
 とにかく宗教関係は全て大嫌いだったのだ。それは何故かというと彼が共産主義者であるからに他ならない。
 それ故に宗教施設も関係者も否定していた。だが今だ。
 目の前の銀閣寺と周りの木々に池も観て言うのだった。
「いいものだな。実にな」
「ううん。これは思わぬ異変ね」
「異変か?」
「これは金閣寺も楽しみね」
「他にも行くんだよな」
「清水寺も行くわ」
 幸恵はこの時を利用して京都の名札をあらかた回るつもりだった。彼女にしてみれば観光だからそう決めているのだ。
 それでだ。清水寺もだというのだ。
「あそこもね」
「清水寺の舞台もか」
「飛び降りた人間は本当にいるらしいな」
「死んだ人はいないらしいけれどね」
 だが実際にいる。死んだ人間がいないことも。
「いるらしいわね」
「そうなのか」
「間違っても落ちないでね」
「落ちるものか。しかしあそこにも行くんだな」
「金閣寺もね」
「そうか。じゃあ楽しみにしているな」
「うん、それじゃあね」
 二人で話してだ。そうしてだった。
 宇山は幸恵に連れられてその金閣寺や清水寺、他の神社仏閣も巡った。夫婦での京都旅行で彼は多くのそうした場所を見て回った。
 それからだ。彼は時間があるとこう妻に言った。
「今日も行くか」
「お寺に?」
「ああ、それで今日は禅宗の寺だからな」
 特にだ。南禅寺や銀閣寺から禅宗の寺を知って言ったのである。
「座禅をするか」
「座禅って」
「それと。お寺だからな」
 だからだとだ。彼はさらに言った。
「お坊さんともお話がしたいな」
「お坊さんとお話って」
「ああ、そうしたいな」
「ううん、共産主義者なのに」
「共産主義でも何でもな」
 彼は明らかに変わってきていた。それが言葉にも出ていた。
「俺は少し座禅をしたい」
「それでお坊さんとお話をして」
「ソ連は崩壊した」
 ここでは遠い目になって言う。
「ああなってな」
「そうね。共産主義もね」
「共産主義も終わったのかもな」
 変わってきているからこその言葉だった。これまでは絶対のものと確信していたがソ連の崩壊でそれは確かに崩れてきていた。
「だが仏教は今もある」
「お寺もね」
「神道に神社もあるがな」
 そちらも観ているが彼が深い関心を向けたのはそちらだった。
「仏教はずっとある」
「それはどうしてか興味があるのね」
「出て来た。だから行くか」
「今度の日曜ね」
「一緒に座禅をするか?」
 夫は妻に微笑んで共に座禅をしようと提案した。
「そうするか?」
「そうね。それじゃあね」
「行くか」
「ええ、一緒に座禅をしましょう」
 妻も穏やかな笑みで夫に応える。そうしてだった。
 二人で禅宗の寺に入り座禅を組み僧侶の話を聞く。彼は次第に、寺に通う度に禅というものに入り込んでいった。そして。 
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