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とある銀河の物語

作者:JK
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005 コーヒーミル

ドック入りした俺たちは、三日間の休暇がもらえた。
「たった、たった三日かよ!!」
「そう、たった三日だ。」
バルロスの声は冷たい。隊長の声として聞くと迫力があって、やっぱり逆らえない。
「うーん、三日は短いわねぇ。」
珍しくリリスが言う。
「でしょ、でしょ、でしょ!」
ここぞとばかり連発したが、聞いちゃくれない。
「ここまでの移動が長かったからな。その分差っぴかれたんだろうさ。」
これはランだ。
一人身だし、特にやることもない奴は黙っていて欲しい。
「家庭持ちのミアルが文句を言わないんだ。独身貴族のお前たちが文句を言ってどうする?」
独身貴族だって、いつの言葉だよ、まったく。
「うちのかみさんは、まぁ、もう慣れっこになってますからねぇ。」
すでに奥さんと子供はこっちに移動しているそうで、相変わらずの手際である。
じゃ四日後の朝に、と言って先に行ってしまった。
「俺は、キャッツの補給についていますよ。他にやることもないし。」
と、ランが進んで言うが、バルロスがとめた。
「うーん、それは隊長かパイロットの役割だな。・・・どうするかね?」
リリアに向かって言う。
「あら、命令してくださいな。」
「おう、そうか。補給はリリアが見てくれ。」
「アイ・アイ・ボス」
「三日間張り付いている必要は、ないぞ。要領よく休んでくれ。」
「アイ・アイ」
「お前たちは、どうするんだ?」
「俺は、行くところがありますから。」
教官からの命令に、なるのかな?とにかく行かなきゃね。
「俺は行くところが、ないなぁ。」
「私も、ここは初めてなのよねぇ。」
ランとエムだ。
「とにかく、ねぐらだけでも確認しておけよ。」
特務隊に配属されると、ベースとなるドックが決められ、官舎が適当に振り分けられる。
だいたい家庭持ちなら一軒家が、独身ならアパートだ。
「四日後の09:00、キャッツに集合だ。いいな。」
と言うことで、ささやかな休暇が始まった。

荷物と言っても、大き目のダッフルひとつだ。
ほとんど、着替えだけなので身軽なもんだ。
タクシーでも拾おうかと思ったが、近くのコム・ステーションで教官から渡された住所を調べてみるとここからそんなに遠くない。
歩いていくことにした。
つい数日前に一千八百キロメートルを走破したが、あの時は景色をめでる余裕なんかこれっぽっちもなかった。
今日は短い距離だが、ゆっくり歩いて、じっくりと景色を眺めよう。
といっても、ここから山が見えるわけでもないし、海が見えるわけでもないし、景色と言ってもなぁ。
特にドックの近くは殺風景だ。
でも、離れていくにつれ、緑が増えてくる。
建物の印象も、柔らかくなってくる。
人が普通に住む建物に変わってくるからだ。
たしか、この船の、このドックは本部エリアの一部のはずだが、なぜこんなに立派な住宅街があるんだ?
きれいな公園もあるし・・・・でも、確かこのあたりのはずなんだが。
ここかな?うん、住所は合ってるな。
そこそこ大きな、なかなかきれいな家じゃない。
教官は何だって、こんなところに俺を来させたんだろ?
ま、いいか。ここに来て、ここの人の指示を仰げとか言ってたな。
呼び鈴を押した。
ほどなく、ドアが開いた。
「よう、もうそろそろ来るころだと思ったよ。」
ニコラ・テスラ・ウッド教授だった。
「へ?」
「そんな馬鹿面さらしてないで、早くあがれ。」
「は、いや、その・・・」
「ウォルフにここにくるように言われたんだろ?」
「は、はい。」
「後のことは俺から聞けと言われたんだろ?」
「は、はい。」
「とにかく入れ。」
「は、はい。」

俺はまだ未成年だから、酒はあまり飲まないようにしている。
そのせいでもないだろうが、ウッド教授が俺の目の前でコーヒーを入れてくれた。
「とりあえず、くつろいでいてくれ。」
そういって台所に立ち、フライパンでコーヒー豆を煎りはじめたのだ。
十五分くらい、煎っていただろうか、和紙を引いた底の浅いざるに煎りたてのコーヒー豆を落とした。
「少し冷ましてから、うまいコーヒーを入れてやろう。」
棚から、金属のハンドルの付いた木の箱を持ってきた。
いや、木の箱にほんの小さな鍋みたいなものが乗っていて、そのふたのてっぺんに取っ手が付いている。
よく見ると小さな鍋のふたは動かせるようになっていて、まわすと隠れていた四角い穴と言うか、窓が出てくる。
そこからさっき煎ったコーヒー豆を中に入れた。ふたを回して窓を隠す。
左手で木の箱を押さえ、右手で取っ手を回し始めた。ガリガリガリガリ・・・。
木の箱の部分にはこれまた小さな引き出しが付いていた。
「さてさて。」
引き出しを引いた。粉になったコーヒーが入っていた。
コーヒーの香りが漂い出てくる。
「いいにおいですね。」
お世辞でなく、そう言うと、
「ふむ、まだまだ。」
と、ウッド教授はいい、ドリッパーにフィルターを入れ、挽いたコーヒーの粉を落とす。
シンプルなコーヒーセットだ。
ガラスのコーヒーポットとその上に乗っているドリッパー。お湯を注ぐための、口が細くて長いポット。
珍しいのは、さっきのコーヒーグラインダーくらいだ。
ウッド教授がフィルターのコーヒーの粉にお湯を少しずつ垂らし始めた。
モコモコッと、粉の表面がマッシュルーム状に盛り上がる。
「おお、すごいですね。こんな風になるんだ。」
「コーヒーが新鮮で、お湯の温度が適切だと、こんな感じになる。香りも段違いだろう?」
「はい。」
実際、部屋中に香りが行き渡っている感じだ。悪くない。
時間をかけて、ゆっくりとお湯をかけていく。
「コーヒーポットに溜まったコーヒーの表面に、小さなコーヒーの粒が踊ってるだろう?」
ドリッパーから落ちるコーヒーが水面に当たったときに弾けて、なぜか小さな液粒となって水面を踊っている。
結構大きな粒が踊るときもある。
「俺はこれを見るのがなんとなく好きでな。」
「なんか、コーヒーで出来た宝石みたいですね。」
「うちの娘と同じ事を言いやがる。」
「この家の息子になりたいなんて言いませんので、ご心配なく。」
「ふん、当たり前だ。」
出来上がったコーヒーをカップに注ぐ。
「ま、飲め。」
砂糖もミルクも出されていない。そのまま飲めと言うことだろう。
「はい、ありがとうございます。」
一口、飲んでみた。
驚いた。
これがコーヒーと言うなら、今まで飲んでいたものはいったい何なんだ?
苦味よりも程よい酸味が前に出ていて、甘みさえ感じられる。
「・・・・うそでしょう?」
「今までお前が飲んできたやつがか?・・・・ほう、我ながらいいできだな。」
満足そうな表情でつぶやいた。
しばらく、無言でコーヒーを味わった。言葉にするのが憚られたから。
「このグラインダーは、ウォルフが持ってきたものでな。」
唐突にウッド教授が話し始めた。


ノックの音がした。
ドアは開いているので、わざわざノックする必要もないのだが、読書に没頭していた私の気を引きたかったのだろう。
足をデスクの横に伸ばし、リラックスして読んでいた本から顔を上げ、予定外の訪問客のほうを見た。
背の高いやせ気味の、薄いサングラスを掛けた男が立っていた。
年齢は、ちょっと判らない。意外と若いのかもしれないが落ち着いた雰囲気を持っている。
二十五より若いと言うことはないだろうが、四十近いと言われても意外ではない。それほど大きくない紙袋を携えていた。
「何の御用でしょう?ここの学生のようには見えませんが。」
多少警戒しつつ、丁寧に対応した。
「教授に見てもらいたいものがあるんで、持ってきたんだが、ちょっといいかね?」
男が紙袋を少し掲げながら部屋に入ってきた。
「授業に関係あるものですか?考古学は私の専門ではないのですがね。」
歴史を教えているせいか、ときどきこういうことがある。
十中八九、単なるガラクタだ。納屋でほこりをかぶっていたものを持ってこられたこともある。
大抵、学生たちの親なのでそう邪険にも扱えず、適当に鑑定まがいのことをして追い返している。
男が私のデスクの上の本や雑誌を空いているほうの手で、意外なほど注意深く横に移動させ、紙袋をデスクの上に置いた。
いい香りが漂っていた。とても慣れ親しんだ香り。
私が香りに気づいたことに気づいたのだろう、男は口元に楽しそうな笑みを浮かべ、紙袋から私に見せたいと言うものを取り出した。
思いがけないものを目の当たりにして、ついしばらく見とれてしまった。
「うーん、おもしろい・・・・はじめて見るなぁ・・・・」
「とりあえず、好きなだけ検分してくれてかまわんよ。」
手にとって見た。
縦横20センチくらい、高さは25センチくらいか。外見からは木製の部分が多く見えるが、持った感じは意外に重い。
中に金属が何かを使っているのだろう。木箱の上に小さななべ状の金属部分があり、天辺にハンドルが付いている。
木箱の部分に小さな引き出しがあり、なべ状の部分には引き窓もある。
「ここからコーヒー豆を入れ、このハンドルを回して挽いて、この引き出しに溜める、と言う感じか・・・」
男がデスクの上に小さなガラス瓶を置いた。それを手に取り、ふたを開ける。
なかなか、出来のいいコーヒー豆が入っていた。
いつの間にか予備のイスをデスクの前に持ってきて、男はくつろいでいた。
ふむ、これとこれを使って、コーヒーを入れてみろと言うことだな。ようし。
「上の金属部分はひねれば外れる。中のグラインドする二つのパーツの隙間を調節して、粗引きにするかエスプレッソにするかお好み次第なんだが、ま、何度か使ってみないことにはわからんかもな。」
「その言葉、挑戦と受け取ったよ。」
一発で、最高のコーヒーを入れてやる。そう思った。
いわれたとおり、分解し、調節し、木箱にはめ直す。
ビンの中のコーヒーは、正確な銘柄はわからないが、色と香りからミディアム・ローストのPea Berryだ。粗引きになり過ぎない程度にカンで調節した。
手の平に壜からコーヒー豆を落とす。まだけっこう暖かい。いったい何処でローストしてきたのだろう?
男の顔を見た。男は、ただ肩をすくめただけだった。

入れたコーヒーは、芳醇と言えるほどの香りを漂わせた。
きれいにすすいだ自分のカップに注ぎ、男に差し出す。なぜか自分は紙コップになってしまった。
カップを手に取った男は、しばらく両手で覆うように持ち、口に持っていこうとはしなかった。
香りを確かめているのかな?
一口、味わってみた。
柔らかくて深い、そんな印象を受けた。
「このミルだから出る柔らかさだと思うんだが、どうかね、教授。」
「そういうからには、俺はまずまずの入れ方をしたと言うことだな?」
男はカップを上に掲げ、乾杯のしぐさをした。そのまま残りのコーヒーを飲み干す。
「しばらく好きに使ってくれ。また来るよ。」
そういって、名も名乗らずに男は出て行った。

私は完全にこのミルにはまってしまい、家に持って帰っては使い、毎朝オフィスにもってきていた。
いつあの男が来るか判らないので、常にオフィスに持っていかなければと思っていたのだ。
ミルのほうは、丁寧に時間を掛けて分解し、クリーニングした。
洗剤なんて使った日には、せっかく木にしみこんだ香りが台無しになるので、乾いた布とブラシで丁寧に粉を落とした。
コーヒー豆のことが気になっていた。
あの暖かさはローストしてから一時間とは経っていないはずだ。せいぜい二十分と言うところか。
ということはこのアカデミーの近くでローストしたことになるが、いくら探してもローストしてくれるような店が見つからないのだ。
そうこうしているうちに、男がオフィスに現れた。
「教授、いつものやつ。」
「・・・・お前、喫茶店と勘違いしていないか?」
今度はわざわざ男のために買ってきたカップにコーヒーを注いだ。
何で俺が、と思わないでもなかったが、満足そうにため息をつきながらコーヒーを飲んでいる男を見ているとそんなことはどうでも良くなってくる。
「うん、ミルをかわいがってくれてるな。さすが。」
クリーニングのことを言っているのだろう。そんな味の違いまで、よく判るもんだ。
「おい、この間のコーヒー豆、何処で手に入れたんだ?」
「あれはあれで、なかなかうまかったな。だが、今日の方が洗練されている。豆の違いはさておいて。」
「つまり、前の豆で今日入れたらもっとうまかったと言うことだろ?」
今日のコーヒー豆はそれなりにいいのだが、やはり違いは歴然としていた。鮮度が違うのだ。
「今度はその豆で、最高のコーヒーを飲ませてやるから、教えろ。」
男の目が、いたずらぽく光った。ちぇっ、はめられたのか。ま、いいさ。
「あれはな、ここの学食のキッチンから持ってきたのさ。」
「うそだろ!!」
「正確には、キッチンで自分で煎って持ってきた。」
「ま、まじで?どうやって?」
「普通に、フライパンで、こうやって・・・」
チャーハンでも炒めるようなしぐさをカップを持っていない方の手でした。
「・・・十五分から二十五分くらい、好みに合わせて炒めるんだ。冷ます時に適当に風を当てると余分な焦げ皮が飛ばせる。」
自分で煎ったのか。考えもしなかった。手引きのミルといい、いったい何なんだこの男は?
そう思って男の顔を見返した。
「ほう、簡単に信じるんだな。ま、だまされたと思って、いろいろとやってみてくれ。」
そういうと、ポケットから紙切れを取り出し、デスクの上に置いた。
「いいグリーン・ビーンを扱っている店だ。」
グリーン・ビーン、つまり、ロースト前のコーヒー豆のことだ。近くはないが、えらく遠いわけでもない町の住所が書かれていた。
「歴史の先生なんかより、喫茶店のマスターの方が似合ってるんじゃないか?」
また来るよ、といって男は帰っていった。

週末、アメリアとマティルダを「買い物にでもいっといで」といって追い出した。 いろいろやってみることにしたのだ。
いろいろな豆があるといろいろやってみた場合に、味の違いが判らなくなるので、スマトラ産の一種類だけを買ってきた。
「問題は煎り方だが、さて・・・」
家にあるのは、ごく普通のフライパンと電気式のコンロだ。
なんとなく、うまくいかないような気がする。
それでも、この組み合わせで三回煎って飲んでみた。
それなりのコーヒーを入れれたが、良い市販の豆の方がましといわざるを得なかった。
早くも行き詰った。
いろいろと試したいのだが、何をどうしたらいいのか思い浮かばなかった。
「そういえば、あいつの手つきは・・・。」
上着を着て、財布を持って外に出た。モノ・レールを乗り継いで中華街に行く。
飲食店を覗き込みながら散歩していく。カウンターだけの小さな店を選んで入った。
「チャーハン一つ。」
そういいながら、コックの動きが良く見えそうな席に着く。
「・・・・なるほど。」
そうつぶやいて、そそくさとチャーハンを食べて店を出た。
中華なべと、キャンプ用のガスコンロを買った。
念のため、予備のボンベも二つ買っておいた。
まだ二人とも帰ってきていないようだ。よし。
コンロの準備をして、火をつけ、一握りのグリーン・ビーンを中華なべに落とす。
「さてと・・・」
コックの手際を思い出しながら手首を返した。
勢い良く豆たちが中華なべから飛び出し、そこらじゅうに散らばった。

再び行き詰った。
どうしても、何度試してもイメージどおりにならないのだ。
あの男の手の動き、中華街のコックの手つき、何を見落としているのか?
「だまされているのかな、やっぱり・・・」
つぶやいてみただけだ。
あの男は、私のコーヒーを楽しんでいた。騙しているとは思えない。
「・・・・ニコラ、どうしたの?何かあったの?」
「・・あ、ああ。帰ってたのか。楽しんでこれたかい?」
アメリアとマティルダが心配そうに私の顔を覗き込んでいた。
「ええ、おかげさまで、のんびりとさせてもらいました。で、ニコラ、私たちを追い出して何をしていたの?」
「いや、追い出したわけではないんだが・・・」
そういって、今日のいろいろを話して聞かせた。
二人にも、ミルのことと男のことも話してある。
マティルダはともかく、アメリアの理解は早かった。
「なるほど、そんなにはまっちゃったのね。OK、応援しましょ。」
マティルダも嬉しそうにうなずく。
「となると、まずは腹ごしらえからね。」
そういって、アメリアは腕まくりをした。

次にあの男が私のオフィスに顔を出したのは、二ヶ月近くたってからだった。
アメリアの協力で最高のプラクティスと言うやつを確立し、十分実践する時間があったということだ。
“簡単に信じるんだな・・・・いろいろとやってみてくれ”
“嘘は言っていないが、自分なりのやり方ってやつを見つけてくれ”と言う意味だったのだ。
何も言わずにいつものイスを私のデスクの前に引っ張ってくる。
私も何も言わずに立ち上がり、コーヒーの準備をする。
キャンプ用コンロに火をつけ、中華なべをかける。
密封できるガラス瓶からグリーン・ビーンを一掴み、中華なべに落とす。
左手で中華なべの取っ手を持ち、右手に“菜ばし”を持って中のグリーン・ビーンを転がすようにかき回していく。
男は相変わらす、薄い灰色のサングラスをかけているので、私の動きを見続けているのかどうかはよく分からなかったが、なに、この男の事だ。すべてを見ているに違いない。
どうやら、いい具合に煎れてきたようだ。
目の粗い金具製のざるに煎ったコーヒー豆を移し、ゴミ箱の上で優しく振る。
これで余分なコーヒー豆の焼け落ちた皮がほとんど振り落とせるのだ。
と同時に荒熱をとることにもなる。
例のミルで挽き、まだ一回しか使っていないのにこの男専用となったコーヒーカップを用意した。
沸騰したお湯を金属製のポットに注ぐ。注いで、しばらく待つ。
ポットの、金属の取っ手が熱くなり過ぎるくらいまで、待つ。
それからフィルターに移したコーヒーの粉にお湯をたらしていく。ゆっくりと、少しずつ。
お湯が一通り粉に染み渡ったあたりで、また一休みする。
フィルターの中では、コーヒーがマッシュルームのようにドーム上になって、しぼんでいく。
いい香りが私のオフィスに充満していく。
確かに、あそこで買ったグリーン・ビーンをこうやって炒って、このミルで挽いて、こうやって温度にも気をつけながらコーヒーを入れると、格別な香りが漂ってくる。
「さすがだね、教授。コーヒーを開かせることにも気づいたんだ。」
「この、”間”のことかね?」
口元に笑みを浮かべながら、男はうなずいた。
出来上がったコーヒーをカップに注ぎ、男の前に置いた。
平静を装っているが、とんでもない。
この二ヶ月、とんでもない回数の試行錯誤を繰り返し、現時点での一番良い方法というやつを確立し、この男を待っていた。
しかも今日の“出来”は最高だ。
自分の分も注ぎ、椅子に座る。
ものすごい努力して、男のほうを見ないようにしていた。
コーヒー・ポットにはもう一人分くらい余っていた。
いつもではないが、大体この時間になるとアメリアがコーヒーを飲みにくる。
だから習慣で一人分余計に作っていたようだ。
そのアメリアが、ドアを開けて入ってきた。
「すごくいい香りが廊下まで漂ってきているわよ、ニコラ。・・・・あら、お客様?」
私のデスクの前で、粗末な椅子に王侯貴族のようにゆったりとくつろいで座っていた男は、首だけアメリアに向けて、手に持っていたコーヒーカップを少し掲げた。
アメリアの表情が、変わった。
「・・・ニコラ、あなたの言っていた“突然来てコーヒーを入れろと言っていく変な男”って、この人?」
「・・・うん、そう。」
男は、デスクのほぼ正面でデスクに向かって右側に足を投げ出して座っている。
私もデスクの反対側で、備え付けの回転椅子を回してデスクの右側に向かって座っていた。
そうしないと、男の顔を見る誘惑に負けそうだったからだ。
「あきれた・・・本当にこの人が誰なのか、気づいていないの?軍事マニアのくせに。」
アメリアの声が、心持緊張しているように聞こえたのは気のせいだったと思いたいが、さて。
「知るわけ、ないだろう。この男も、どこかの軍事マニアなのか?」
と、言いながら、“誰だっけ?”と頭の中の人物ファイルをめくり始めた。
そういえば、どこかで、過去の歴史上とかではなく、もっと近い・・・。
いつの間にか横を向いて座っている私の正面に回ってきていたアメリアが、言った。
「あの、“クリス・アリジン”と一緒に“船”を発見した、、“ウォルフ・ザ・シルバー”よ。・・・お久しぶりですね、ウォルフ?」
盛大にむせた。コーヒーをこぼしこそしなかったが、すぐには回復しなかった。アメリアが背中をさすってくれる。
「・・・・ありがとう、もう大丈夫。」
椅子に座ったまま身をかがめ、口元をハンカチで拭った。
「仕方がないさ、博士。教授は博士に会ったときも気づかなかったんだろ?ま、そういう男なのさ、教授は。」
このやろう、何だって?何で・・・。
何で、伝説のウォルフが、こんなところにコーヒーを飲みにくるんだ?
一体、何が、どうなって・・・まあ、いい。
「・・・どうかね、コーヒーのほうは?」
腹に力を入れ、背筋を伸ばして座りなおした私は、男に向き直った。
「うん、うまい。楽しませてもらっている。」
ひとつうなずいた私は立ち上がって、アメリアを引き寄せた。
「知り合いのようだが、改めて私のほうから紹介しよう。」
「知ってる。教授の同居人以上、恋人未満のアメリア・ジョ-スター博士だ。“最も納得できないカップル”は、アカデミーの外でも有名だぜ。」
「いや、ちがう。恋人で婚約者の、アメリア・ジョースターだ。近い将来、私の妻となる人だ。」
アメリアの肩に回した手から、彼女の緊張が伝わって来た。
「・・・ニコラ。」
ゆっくり、恐る恐るというように、アメリアは私の方に顔を向けた。
アメリアの視線が私のに充分に絡まると、アメリアの体から緊張が解け、暖かく、やわらかくなっていった。
「この数ヶ月、本当に楽しかった。特にこの二ヶ月足らずは、毎日がデートのようだった。もっと前に心は決まっていたんだが、なかなか言い出せるものではないんだな、こういうことは。」
アメリアが、私を見つめながら小さく、数回、首を横に振ってくれた。
「だから、決めたんだ。次にこの男が来てコーヒーを飲ませたときに“うまい”と言わせれたら、いや、絶対言うはずだから・・・・おい、それはアメリアの分だ。」
信じられないことだか、この感動的な場面でこの男は、自分のカップにアメリアのために取って置いた分を注ぎ始めたのだ。
「気にしない、気にしない。教授の奥さんになる人には、次の“最高のコーヒー”を出してあげたらいいのさ。いつでも、好きなときに。」
温かい手のひらを私の両頬に感じた。優しい力で、私の顔を引き寄せる。
私を見つめながら、今度はひとつだけ、うなづいてくれた。・・・・そうだな、まぁ、そういうことだな。
彼女を引き寄せ、キスをしながらそう考えた。
「不器用な男の、プロポーズ大作戦に、乾杯。」
ウォルフが小さくつぶやき、コーヒーを口に含む気配がした。

「ウォルフというより、話をしていたのはクリスだったらしいんだが、アメリアに新しい研究の依頼をしばらく前からしていたらしいんだ。
何回かクリスと会って話をしていたら、ま、当然ウォルフとも会うことになる。二人はなかなかのパートナーだからな。
俺と違ってアメリアは二人の顔をちゃんと知っていただろうがね。ウォルフとはそれ以来の腐れ縁で、もう十年近くになるのかなぁ。」
あの野郎は、外見はぜんぜん年をとらねぇ、などと教授は言っているが、実際教官は年齢不詳だ。今の話からすれば三十五から四十くらいのはずだが、いまだに二十台でも通る外見なのだ。
その教官よりも更に年上のはずのクリス特別教官だが、この人も年齢不詳だ。二十代前半でも通るんじゃないか?
だからこそ俺のハートをつかんで放さないわけだが、分かってるよ。ふたりは、な。はぁ・・・。

「と言うことで、お前の部屋は二回の突き当たりだ。向かいがマティルダの部屋だ。ま、仲良くしてやってくれ。」
「はぁ、まあ、それはいいですが・・・え?」
「だから、ここがお前の家と言うことだ。」
 
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