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プロパンガス爆発リア充しろ【完結】

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他人を嫌いになるほうが難しい

私がたしなめると引き戸がピシャッと閉まった。シルエットがすりガラスごしにゆらめいて、ヌッと大根脚が生える。そしてつま先でぐしゃぐしゃのドレスを蹴り出す。これを洗うのも私の仕事だ。

ジャーッという滝の音を背景に私は何とも言えない空しさを感じた。修行するのは姉の方だよ。暗澹たる気持ちで腰をあげ、ドレスに手を伸ばすとスピリッツが鳴った。招き寄せると風が逆巻いて半透明の正方形が実体化する。
「はい。清美です」
プロジェクトメンバーのえりっち。矢作絵里奈。私の概念上のオットだ。
「キヨ? すぐ来て!ヒメが大変なことになっているの」
「大変…って、あなた何時も大変じゃない」
「スペッッシャルたいへんなのよ!」
「だから、何?」
「姫がいなくなっちゃった!」
「ハァ?」

そこで通話が切れた。五分後、私は印旛沼アルゴリズム推進研究所の赤い建屋に舞い降りた。ワンマンドローンがよたよたと入道雲に消えていく。生ぬるい風が髪を揺らす。着陸前から察していたが人の気配がない。それどころか生活感が消えている。そういえばナビシステムが何度も念押ししたっけ。アルジェラボは25年前に廃された。押し問答が面倒になって私は3年ぶりにコマンドラインを手打ちしたのだ。経度緯度を指定して強引に到着した。屋内は禁コロだ。感染症対策のために服をダストシュートに入れ、シャワーを浴び、自分のロッカーから下着を含めた一式を取り出す。銀色の糸くずが一杯ついていた。
「うぇっ。衣魚だらけじゃん」
濡れた体のまま検疫場を素通りして職場に向かう。立体印刷機にパターンが入っていたハズだ。姫が着せ替えごっこするためのデータが。そこで私は見たくない文章に出会った。
〝KiY♡へ。これを見ているということはあたしは…"
●AI結婚理論

人工知能の学習は結婚と似ている。人間は物事を予測する際、縦軸に深刻さや期待値を取り、横に時間軸を置く。
そして、経過に応じた結果を点に記していく。もっとわかりやすく例えるなら恋人の月収だ。
交際中の女は考える。このまま時間軸を結婚後に延長した時、あの人の収入でやっていけるだろうかと。
点と点を赤ペンで結び、出産や子供の入学など節目節目の収入を予測したい。その為にはなるべく多くの点を結ぶ曲線を探す必要がある。

彼女は赤ペンで何度も何度も線を引きなおすのだ。まるで運命の赤い糸をみつける作業だ。
人工知能も手探りで事物の因果関係を学んでいく。これをフィッティングという。

さて、恋愛において白馬の王子様が迎えに来たり、一目惚れした相手と幸せな夫婦生活を満了する奇跡はそうそうない。

人は異性遍歴を重ねながらパターン認識を鍛えて己の理想像に近似した相手を選ぶ。

恋する二人はまことに客観的な赤糸(データ)に寄り添うものなのだ。

「でも、二人がうまく行くかどうかなんて評価できませんよね」

英国、マンチェスターにあるラッセルフォード工科大学の講堂に失笑が満ちた。
機械学習に関する授業は美人のアリサ・テレーズ教授が教鞭を執っており、満席だ。
二回生のエドモンドがいい質問をした。アリサはさっそく評価関数の紹介をはじめる。

「伴侶にどれぐらい従っていけそうか、相手がどれほど理想像っぽいか。判断基準を設けるために評価関数という道具を用意します」

生徒のスピリッツに数式に流れる。「例として訓練データを用いる二関数を用います」
Σでおなじみの二項定理が右辺に記述された。
「Nは夫婦喧嘩の履歴です。愛する二人は衝突を繰り返して絆を深めていきます」

するとエドモンドが肩をすくめた。「夫婦喧嘩は犬も食わないってニホンのアニメで言ってましたよ?」
今度は爆笑の渦が巻く。
テレーズ教授は泣きそうな顔で多項式を書き換えた。

「で、ですから先ほど話したフィッティングデータ。赤い糸の描く理想像と現実の距離は定量化できますよね。ギャップを縮める関数を見つければいいのです」

男子生徒からヤジが飛んだ。
「日本製ジュブナイル(ライトノベル)の読み過ぎだ」

万事休すのテレーズ教授。助け舟を出したのはエドモンドだ。
「まぁ、お前ら落ち着けよ。ギャップ関数の皆無を証明してから騒げよな」
効果てきめん、ピタッと雑談が止んだ。アリスに微笑んで見せる。

「…まぁ、どうもありがとう。わたしの騎士」

教授は照れながら単元を次に進めた。

「さて、夫婦が元さやに納まったとしましょうね…そこ、うるさいです! 夫婦円満になったといったらなったんです」

テレーズ教授は仮説上の夫婦に更なる試練を与えた。破局の危機を回避する方法の一つとして互いの理解を深める道がある。
夫婦が相手の趣味や娯楽を理解し、価値観を共有する。もちろん、喧嘩の回数も増えるだろう、

ギャップ関数を活用することで二人はひとつになれる。そこで困った問題が発生する。

夫婦喧嘩の蓄積データNが蓄積されると補正するギャップ関数も増える。
その結果、フィッティングデータ—運命の赤い曲線が新婚時代に思い描いた理想像とかけ離れてしまうのだ。
喧嘩慣れしすぎて四六時中、盛り上がりっぱなし。

ある時は理想像に接近しすぎた日々、またある時は理想像の一部だけを誇張したような大げさな日々。
ジェットコースターみたいにただ忙しいだけの毎日になる。

これを過剰適合という。もちろん、夫婦が波風をたてない生活を送っていればギャップ関数も必要ない。

しかし、息が詰まるような関係も夫婦喧嘩不足によるフィッティングデータの乖離を招いてしまうのだ。
確かに妥協すれば理想像っぽくなるだろう。
堅苦しい生活のどこにギャップ関数が生まれるだろう。波風を立てない関係も夢をしぼませてしまう。
これを過少適合という。

過少適合は生活にうるおいを増やせば解決できるとして、過剰適合にはどう対処すればいいだろう。

「ハーレムあって一利なし、リア充爆発しろってことよね」
 
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