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亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)

作者:azuraiiru
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第九十一話 現実は予測を上回る



宇宙暦 795年 9月18日    巡航艦パルマ  ヨッフェン・フォン・レムシャイド



『なるほど、帝国でも地球教団支部からサイオキシン麻薬が出たか……』
「どういう事ですかな、トリューニヒト委員長。そちらでもサイオキシン麻薬が発見されたのですか」
予想された事ではある、しかしそれでも声が強張った。

『その通りです、レムシャイド伯。同盟でも地球教徒がサイオキシン麻薬を使用している事が分かりました』
スクリーンに映るトリューニヒト委員長の表情は厳しい。同盟側でも地球教はサイオキシン麻薬を使用していた。つまりこれは偶然ではない。地球教は何らかの目的が有ってサイオキシン麻薬を使用している。

スクリーンに映るトリューニヒト委員長、シトレ元帥は厳しい表情をしている。おそらく私も同様だろう。そして一人ヴァレンシュタインだけが平静な表情をしている。多分彼にとっては想定の内だったという事だろう。ブラウンシュバイク公達と話したことを思い出した。彼にとっては地球教の脅威は全て想定内なのかもしれない。

「卿は知っていたのか、驚いてはいない様だが」
「古来、宗教と麻薬は切っても切れない関係に有ります。今更驚く様な事ではないでしょう」
幾分皮肉を込めて訊いてもヴァレンシュタインは全く動じなかった。知っていたのか、それとも冷徹なのか……。

『相変わらずだな、君は。だから可愛げがないのだ、少しは驚く振りでも見せたまえ』
トリューニヒト委員長の苦笑交じりの言葉にヴァレンシュタインが微かに笑みを漏らした。冷笑か? いや、そんな事よりも先ずは確認する事が有る。

「不思議な事が有ります。三年前のアルレスハイム星域の会戦、あの件で帝国は国内のサイオキシン麻薬の密造組織、売人組織、使用者を徹底的に取り締まりました。地球教は一体何処から大量のサイオキシン麻薬を入手したのか、心当たりは有りませんか」

言外に同盟領からサイオキシン麻薬を入手した可能性が有るのではないかと問いかけてみた。トリューニヒト委員長とシトレ元帥が顔を見合わせた。トリューニヒト委員長が首を横に振りシトレ元帥が低い声で答えた。

『同じように三年前、こちらもサイオキシン麻薬を軍が主力となって取り締まりました。可能性はゼロとは言わないが……、まず有り得ないことです。我々はむしろ帝国から入手したのではないかと考えていました。』
なるほど、状況は帝国と同じか……。どちらもサイオキシン麻薬の入手経路について心当たりがない。消去法で相手ではないかと疑っている。

「地球でしょう」
ココアを飲みながら事もなげな口調で答えたのはヴァレンシュタインだった。トリューニヒト委員長、シトレ元帥、そして私が顔を見合わせた。地球?
『アルレスハイム星域の会戦後、地球が自らサイオキシン麻薬を作ったと言うのかね?』

「そうじゃ有りません。アルレスハイム星域の会戦の前からですよ、トリューニヒト委員長。宗教団体がサイオキシン麻薬を犯罪組織から買えば何かと利用される。或いは噂が流れ警察に目を付けられる、そのくらいなら自分達で製造した方が良い、そう思ったのでしょう」
ヴァレンシュタインは苦笑している。

「馬鹿な、そんな事は……。帝国内での捜査は非常に厳しいものだったと聞いている。それをすり抜けたと卿は言うのか」
チラリとヴァレンシュタインが私を見た。未だ苦笑を浮かべている。そしてココアをもう一口飲むとカップをテーブルに戻した。顔から笑みが消えた。

「地球教が何のためにサイオキシン麻薬を所持していたと思います?」
「……」
『……』
トリューニヒト委員長、シトレ元帥、私、三人が無言で視線を交わし、そしてヴァレンシュタインを見た。

『教徒に与えていた……。市民を地球教徒にするために与えていた、そんなところか』
シトレ本部長の言葉にヴァレンシュタインが頷いた。

「最初にサイオキシン麻薬を与えたのは地球で、でしょうね」
「地球?」
「聖地巡礼、聞いたことは有りませんか? 一般市民、或いは地球教徒が地球へ巡礼にいく……」
聞いたことは有る。フェザーンからかなりの巡礼団が地球に行っている。随分と地球教が信徒を増やしていると思った事も有る……。

『そこでサイオキシン麻薬を投与したと君は言うのかね?』
「そうだと思いますよ、シトレ元帥。サイオキシン麻薬中毒者にした上で洗脳する。筋金入りの地球教徒の完成ですね。教団の命令なら何でもするでしょう、人殺しでもね」
蔑むような口調だった。顔に冷笑を浮かべている。話の内容よりもその口調と冷笑に息を呑んだ。

「巡礼者全てに与えたわけではないでしょう。多分、家族が無いものとか周囲に不審を抱かれることの少ない人間を選んだはずです」
『だから帝国でも同盟でも気付かれなかった、そう言うのかね、君は』
トリューニヒト委員長が微かに首を傾げている。それだけで国家の目を眩ませたのか、そう言いたげな表情だ。私も同感だ、それだけですり抜けられるとは到底思えない。

「彼らはサイオキシン麻薬を利益を得るために作ったんじゃないんです。売人も必要なければサイオキシン麻薬の使用者を探す必要もなかった。取引が無い以上、人も動かなければ金も動かない。どうやって見つけるんです?」
『……』
「……」

『君の言う通りなら地球教は地球で教徒をサイオキシン麻薬中毒者にしたことになる。帝国人なら分かる、しかし同盟人には不可能だろう』
トリューニヒト委員長の言うとおりだ。地球は帝国内にある、同盟人を麻薬中毒者にする事は不可能だ。だがヴァレンシュタインはクスクスと笑い出した。

「同盟から帝国に行こうとすればフェザーンを使うしかありません。そして地球とフェザーンは裏で繋がっています。どうして不可能なのです?」
スクリーンから唸り声が聞こえた。いや、自分も唸り声を上げている。そしてヴァレンシュタインはそんな私達を面白そうに見ていた。

「フェザーン起点の地球巡礼がどのような形で行われているか知っていますか? 客船じゃありません、貨物船を使うんです。つまり法的には人間を運ぶのではなく貨物を運ぶ。何処の誰なんて事は関係ありません。皆帝国人を運んでいる、或いはフェザーン人を運んでいると思っているでしょうがその中に同盟人が居てもおかしくは無い、違いますか?」

『何という事だ……』
トリューニヒト委員長が疲れた様に呟きシトレ元帥がブツブツと何か呟きながら首を横に振っている。
「まあ、今のは私の推測です。あとでルビンスキーに確認してみましょう。それで真実が分かるはずです」

そうか、ルビンスキーか、先にそちらに確認すれば良かったか……。どうしてもルビンスキーと地球、フェザーンと地球が結びつかない……。
『そうだな、そうしてくれるか……。レムシャイド伯、帝国は地球に対して武力討伐を実施すると聞いていますが』

「そう聞いております、トリューニヒト委員長」
『決して逃がさぬように願いますぞ。彼らは非常に危険です、逃亡を許してはとんでもない事になる』
「分かりました。本国に改めて念押ししましょう」

「討伐軍の指揮官は誰です? ミューゼル中将ですか?」
「いや、指揮官の名前までは聞いておらぬが……」
ヴァレンシュタインの問いかけにトリューニヒト委員長、シトレ元帥が表情を変えた。ヴァレンシュタインは表情を消している。はて、ミューゼル中将に関心が有るのか?

「気を付ける事です」
「?」
「地球教の軍事力は無きに等しい。そんな彼らが取る手段はテロしかありません。殺人、爆破……、幸い彼らには死ぬ事を恐れない狂信者がいます。戦う事に熱中していると後ろから刺されますよ」

テロの言葉にトリューニヒト委員長、シトレ元帥が顔を顰めた。当然ではある、政府、軍の中枢にある彼らにしてみればテロなどおぞましい代物以外の何物でもあるまい。私だとて彼の言葉に嫌悪感しか感じられない。もしテロが実際に行われれば地球教の連中に対して憎悪を抱くだろう。

「ミューゼル提督を殺す事で討伐軍を混乱、いや麻痺させようというのだな」
「その通りです。彼に警告する事ですね、一つ貸しだと言っておいてください、必ず返せとね」
ヴァレンシュタインがクスッと笑った。その事に神経が苛立った、妙に反発したくなった。

「……卿の言う事が当たるかどうか、分かるまい」
子供じみた反発だ、馬鹿げている。しかし押さえられなかった……。ヴァレンシュタインも私の感情は分かっただろう、しかし何の反応も見せなかった、私の反発など彼にとってはどうでも良い事なのかもしれない。

『君はミューゼル中将の死を望んでいるのだと思っていたが』
「!」
「そうですね、望んでいます。死んでくれればと思っていますよ」
困惑した様なシトレ元帥の問いかけと何の感情も見えないヴァレンシュタインの答え……。混乱した、訳も分からずスクリーンとヴァレンシュタインを見た。

『では何故警告するのかね』
「さあ、良く分かりません。何でかな……。多分、馬鹿なんでしょう……、感傷を切り捨てられない。……愚劣にも程が有るな、いつか自分を殺すかもしれない人間に忠告するなど……。自分がエーリッヒ・ヴァレンシュタインとして此処で生きているという事を未だに理解できずにいる……」

トリューニヒト委員長、シトレ元帥、私……。皆が困惑する中ヴァレンシュタインだけが無表情にココアを飲んでいる。心此処に在らず、そんな風情だ。先程まで彼に感じた反発は消えていた。この男をどう捉えれば良いのか、まるで分からない……。

『ヴァレンシュタイン中将……』
トリューニヒト委員長が躊躇いがちに声をかけた。しかしそれを遮るようにヴァレンシュタインが話しだした。多分故意にだろう、何か言われるのを嫌ったのかもしれない。

「ミューゼル中将だけじゃありません。テロを効率よく行うには組織の頂点を狙うのがベストです。帝国も同盟も政府、軍の上層部は非常に危険な状況にある。身辺警護が必要です」
『なるほど、私達も要注意か。しかし一番危険なのはヴァレンシュタイン中将、君だろう』

シトレ元帥の言葉にヴァレンシュタインが僅かに首を傾げた。
「私ですか? 非正規の艦隊司令官を殺しても余り意味は無いでしょう」
『報復という意味が有るだろう。それに君を一個艦隊の司令官にすぎないとは誰も思っていないよ』
『シトレ元帥の言う通りだ。君に死なれては困る』

スクリーンの二人がヴァレンシュタインの身を気遣っている。二人とも深刻な表情をしているのを見れば口だけでは無い事が分かる。やはりこの三人は密接に繋がっていると見て良い。そして核になるのはヴァレンシュタインだろう。彼が何を考えているのか、それが帝国の未来に大きく影響するのは間違いない、早急に確認しなければ……。そしてミューゼル中将との関わり、こちらも確認する必要が有るだろう……。



宇宙暦 795年 9月18日    ハイネセン  最高評議会ビル    ジョアン・レベロ



「馬鹿な、何かの間違いではないのかね、国防委員長」
最高評議会議長、ロイヤル・サンフォードの声は疑念と猜疑に満ちていた。そして他のメンバーも信じられないといった表情でざわめいている。彼方此方で”有り得ない“、”冗談だろう“という私語が聞こえた。

「間違いではありません。同盟でも帝国でも地球教団支部はサイオキシン麻薬を使用していました。地球教そのものが何らかの目的のためにサイオキシン麻薬を使用していたという事でしょう。しかも生存者の中毒症状から推測するとかなり以前から使用していたようです」

トリューニヒトの沈痛と言ってよい口調に皆が沈黙した。しかし未だ信じられないといった表情をしている。無理もないだろう、宗教団体がサイオキシン麻薬を使用していたなどあり得ない事だ。あれは人を破壊する毒薬だ、まともな人間、組織なら使うはずは無い。

「連中は一体何処からサイオキシン麻薬を入手したのだ? あの騒ぎ以来、サイオキシン麻薬については厳しく取り締まりを行っている。サイオキシン麻薬が流通しているなどという話は聞いた事が無い」
法秩序委員長、ライアン・ボローンが首を横に振っている。

警察を配下に置いている彼にとって例のサイオキシン麻薬、スパイ事件は思い出したくもない悪夢のはずだ。しかしそれ以上に今現在サイオキシン麻薬が流通しているという事が信じられずにいる。私もトリューニヒトから聞いた時には信じられなかったから分かる。しかし現実は常に予測を上回る、悪い現実ほどそうだ。そしてその現実を的確に予測する人間も居る、ヴァレンシュタイン……。

「地球だよ、法秩序委員長。彼らは地球でサイオキシン麻薬を製造しているのだ。ルビンスキーから聞き出したから間違いは無い」
彼方此方で呻き声が上がり部屋の空気が一気に重くなった。サンフォード議長の顔が蒼白になっている。事無かれ主義のこの男には刺激が強すぎるか……。やはりこの男では和平は無理だ。ホアンを見た、微かに首を横に振っている。どうやら同じ事を考えたらしい。

「彼らは地球に信者を送り込みそこでサイオキシン麻薬を与え洗脳した。自分達の意のままに動く狂信者を作りだしたのだ」
トリューニヒトの言葉が続く。事実を告げただけだが冷酷と言って良い程の威力だ。皆、凍りついている。

「馬鹿な! そんな事は有り得ない!」
「分かっている。同盟から帝国領に在る地球になど行けるはずがない、そう言いたいのだろう、ターレル副議長」
「その通りだ! 君はルビンスキーに騙されているのだ!」

副議長兼国務委員長、ジョージ・ターレルは噛み付かんばかりの勢いでトリューニヒトを責めた。愚かな、この時点でルビンスキーがトリューニヒトを騙す理由が何処にある。今のルビンスキーは同盟政府が見捨てればあっという間に地球教徒に殺されるだろう、裏切り者として……。

「同盟から地球に行くにはフェザーンを経由するしかない。そしてフェザーンと地球は裏で繋がっている。それでも不可能だと?」
「それは……」
ターレルが絶句した。俯いて黙り込んでいる。

「ルビンスキーによればフェザーンから地球に人を運ぶ仕事はフェザーン商人にとって最も堅実な仕事だそうだ。行きも帰りも人を運ぶ、それだけで金が入る……。地球はフェザーンを利用して帝国、同盟に勢力を植え付け、浸食してきたのだよ」
政敵をやりこめた得意げな口調では無い、むしろ不快そうな口調だ。それだけに事態は深刻だと皆が感じただろう。

「しかし、何のためにサイオキシン麻薬を与えるのだ? 狂信者を造り出す事に何の意味が有る?」
サンフォード議長がトリューニヒトに問いかけた。想像力の欠片もない男だ、よく議長が務まる。トリューニヒトが微妙に片眉を上げた、多分呆れているのだろう。溜息が出た。

「混乱させるためです。殺人、爆破、テロにより社会を混乱させる。それにより現実に失望させ宗教に縋りつかせる……、宗教が力を得るには社会が混乱している方が望ましい。そのために狂信者が要る……。そうじゃないかね、国防委員長」
私の言葉にトリューニヒトが無言で頷いた。彼方此方で呻き声が起きた。おそらく皆が恐怖に囚われているだろう。

「だがこうして地球教の陰謀が明らかになった今、彼らの計画は潰えた、そう見ていいのではないか」
ガイ・マクワイヤー天然資源委員長が周囲を窺いながら発言した。少しでも事態を楽観視したいのだろう。ここにも想像力が欠片もない人間が居た。最高評議会の十一人の中に二人だ、最近では想像力は必要とされないらしい。

「確かに彼らの計画は潰えた。しかし危険性は少しも減らない。今後彼らは生き残りのためにテロを仕掛けてくる可能性が有る。標的は政府、軍部の頂点に居る人間達だ」
トリューニヒトの言葉に皆がギョッとした表情を見せた。

「我々が標的になるというのかね」
「その通りです、議長。先ず狙われるのは貴方と私、そしてボローン法秩序委員長ですな。理由はお分かりでしょう」
議長が顔を強張らせている。想像力だけじゃない、胆力もないらしい。また溜息が出そうになって慌てて堪えた……。

「評議会のメンバーに護衛を付ける必要が有るな、それと警備をこれまで以上に厳重にする必要が有る。こいつは警察の仕事だが、さてどうする。ボローン委員長、対地球教対策として軍に任せるかね」
ホアンの言葉にボローンの顔が引き攣った。

軍に任せれば警察の面目は丸潰れ、警察が担当すれば万一の場合は責任問題。二者択一、究極の選択だろう。緊張のあまり目が飛び出しそうになっている。
「……軍は必要ない、警備は警察が行う」
絞り出す様な声だった。周囲を睨むように見ている。

「宜しく頼むよ、ボローン委員長。こちらも出来る限りの協力はする」
「分かった」
トリューニヒトの言葉にムッとした口調でボローンが答えた。
「それと私の警備は軍の方で行うから無用だ。警察を信用していないのではないが軍にも面子というものが有るのでね、分かってくれたまえ」
ボローンが無言で頷いた。おそらくは腹の中は煮えくり返っているだろう。

ホアン、トリューニヒトと視線を交わした。ホアンが微かに頷いた。上手く警備をボローンに押し付けることが出来た。軍が行うと言えば何かと反発して邪魔するだろう。だがこれで奴も自分の事で手一杯になる。こちらの邪魔などしている余裕は無くなるはずだ。

さて、この後はレムシャイド伯の受け入れの提案か……。まず問題は無いだろう。地球教の脅威は現実なのだ、そして我々にとって彼は和平への糸口でもある。少しずつ、少しずつ前へ進んでいる、少しずつだ……。



 
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