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或る皇国将校の回想録

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第二部まつりごとの季節
  第二十五話 陸軍軍監本部にて

 
前書き
馬堂豊久 駒州公爵家重臣団の名門馬堂家嫡流 陸軍中佐

馬堂豊守 豊久の父 兵部大臣官房総務課理事官 陸軍准将

駒城保胤 駒城家長男 <皇国>陸軍中将にして駒州鎮台司令官

大辺秀高 陸軍軍監本部戦務課参謀 豊守が後見人を務めていた 陸軍少佐

堂賀静成 豊久のかつての上司 陸軍軍監本部情報課次長 陸軍准将

実仁親王 皇主の弟にして近衛衆兵隊司令官である近衛少将
     駒城閥と協力関係にある。  

 
皇紀五百六十八年 四月三十日 午前第九刻半
大馬場町南 陸軍軍監本部庁舎前
〈皇国〉陸軍中佐 馬堂豊久


 ――さて、まさかこんな事になって此処に来るなんてな、いやはやこの世に不思議な事など何もないと云うが、どうも妙なめぐり合わせだ。
豊久は複雑な感情を胸中に抱きながら、眼前の練石造りの巨大な建物――事実上、〈皇国〉陸軍最高司令部である陸軍軍監本部の官舎を眺めた。
「お前でも感傷に浸る事があるのだな」
 豊守は穏やかな声で云った。

「私にとっては、転機の場所ですから――」
 ――此処に配属されなかったら辺境巡りもせず、北領紛争に参加する事も無かっただろう。いや、今はたらればの妄想なぞしている暇は無い。
 頭を振るい、意識を戻す。
「若殿はどこにいらっしゃるのですか?」
「兵站課だ。各地の鎮台は通達が下れば直ぐに軍に改組出来る様に準備しているからな」
どうにも時期外れに暇なのが申し訳なく感じた豊久は僅かに顔を赤らめた。
「分かりました。父上はどうなさるのですか?」
「私は幾つか部署を回ったら兵部省に行かねばならない。仕事が山積みでね。
若殿にはお前からよろしく言っておいてくれ」
駒州・護州両鎮台は皇都周辺に集結し始めている。対〈帝国〉への本格的な準備に取り掛かるのだろう。特に予算編成は衆民院の議決を得なければならない。それは大臣と官房の最重要職務である。
「解りました、私は若殿様の話が終わった後はどうしましょう?さすがに兵部省にまで行く用事もありませんし――」
「馬車は残しておくからお前も用を済ませたら好きにしなさい。
私は誰かしらが兵部省に向かうだろうからそれに便乗させてもらう、帰りは兵部省の公用車が使えるから問題ない」
 ――ならば帰り際に防諜室に寄っていくか、仕事の話は積もる前に、って言うしな。俺も少しは家の為に働くとしよう。
「了解しました、父上」


同日 午前第十刻 陸軍軍鑑本部 兵站課応接室
〈皇国〉陸軍砲兵中佐 馬堂豊久


 大臣官房総務課理事官はさっさと戦務課へと行ってしまった。
主家の中将に挨拶もせず、など本来なら有り得ないのだがそうした実際的な態度を好むのが保胤であった。
「お久しぶりです、閣下」
 だからこそ、若き家臣が敬礼を捧げる先の中将は分厚い報告書に脇に備えていたのだろう。
「お疲れ様です。馬堂中佐。座ってくれたまえ」
 敬礼を交わし、保胤が声をかけると豊久は背筋を伸ばして席に着いた。
「北領では苦労したそうだな。直衛から聞いた」
「はい、閣下。ですが得るものも大きかったと思います。
致命傷ではない敗北から我々は学べるうちに学ばなければなりません」
 豊久の言葉に保胤も頷く、軍政畑が長い保胤自身もその必要性は認識しており、可能な限り手を打っている。
「私もそう思う、傷口を最小限に抑えられた事は大きいだろう。直衛も珍しく素直に褒めていたよ。あいつも難儀な性質だからな、君が居てくれて助かった。――それに過程がどうであれ殿下に対しても上手く渡りをつけてくれたからな」
「――はい、閣下。部隊に恵まれました。特に御育預殿には助けていただきました。彼がいなかったら私はここに居なかったでしょう」
豊久の言に保胤は目を細めて頷いた。
「だが彼奴を上手く扱えるのは、それこそ今の時点では君くらいだろう。
大隊に送るときは不安だった。あれに幕僚が務まるとは思えなかったからな。
――だが剣虎兵はまだ人務に干渉できるほど余裕のあるところではなかったからな」

「ですが、取り敢えず良い意味で注目が集まりました。泥縄ですが人材は集まりやすくなるでしょう。
――育預殿が近衛衆兵にて念願の剣虎兵大隊を預かるとしたら面白いですね。剣虎兵の運用について私は素人です。彼がどう扱うのか興味があります、それに彼がどう扱われるのかも」
そう言うと若い陪臣は薄く笑みを浮かべて主家の若中将と視線を結ぶ。
「あぁ――君も知っている通り、駒州の中でも色々口を出す輩が多い。
それならば、と実仁殿下が衆兵隊で自由にやらせたいと言っていた。
衆兵隊司令としても直衛を頼りにしていらっしゃるようだ。なにしろ北領帰りの剣虎兵だ。
その価値は君もわかっているだろう?」
 一瞬口篭ったが淀みない口調で家臣の視線に答える姿を豊久は分析する。
 ――若殿なら自分の目が届く駒州の後備に送るものだと考えていたが親王殿下から言い出したのか。義兄としては思う所がある、と見てよいだろう。
 ――できればもう少し探りたいな、さすがに皇族相手になると陪臣は口をはさめない。
「それに殿下は君のことも気にかけておられる。
君のおかげで下手な綱渡りをしないですんだとね」
「殿下は衆民を救出し、後衛戦闘の危険を必要以上に侵さず、皇族として期待された以上の武勲をお上げになりました。私は殿下から大きな助力を得られました。
私としては、殿下のお力添えで自分の命が繫がっているので十分以上に採算がとれたと思っています」
 どことなく義弟を思わせる物言いに保胤は苦笑を浮かべる。
「馬堂の者らしい言い草だ。君はたしかもうじき二十七だったかな?
その若さで皇族をつかって状況を動かしたのだ、注目もされるだろうさ」
 ――尤もあの方にとっては衆民の英雄――新城のついでだろう。どうせ、糞生意気な将家の小僧程度にしか思っていないだろう。
「光栄です、閣下」
 どうしたものか、と豊久は脳裏で算盤を弾きながら主の言葉に恭しく頭を下げる。
 ――自分は近衛への伝手を十分に持っている。益満大佐に連絡すれば禁士隊の実情は十分把握出来るし、衆兵は新城が大隊の編成の際に当てにならない衆兵を教導出来る様に陸軍から古兵を引き抜くだろう。その際に自分が将校を推薦すれば政治的行動を感知出来る。
幕僚に防諜室の息がかかった者を、そして砲兵に自分が面倒をみた士官から気の利いた者を見繕い、彼の大隊に送り込めばそれで事足りる、近衛衆兵で問題になるのは(或いは出来るのは)新城だけだろう、他は五将家の太鼓判つきの日陰者達である。
――問題は皇族としての実仁親王殿下だ。駒城との結びつきは可能な限り把握しておきたい。
「あぁ、話が随分と脱線してしまったな。本題に入ろう、君の今後の事だ」
「はい、閣下」
 豊久も姿勢を正す、政治はどの道、祖父と父が主軸となる。いまだ自分は中佐でしかない。
「当然ながら駒州鎮台に配属されることになる。そして私は君に聯隊を預ける。独立聯隊だ」
「独立聯隊ですか? 私は中佐ですが、閣下」
 ――〈皇国〉陸軍では、大隊なら兎も角、聯隊は有り得ない。ましてや独立部隊となると大型聯隊だ。大佐でも古株のものがつくべきだ。
 保胤は部下の疑問に鷹揚に肯いてぱらぱらと書類をめくり、説明を行う。
「無論、臨時配置だ。冬まで大過無く過ごせば翌年には状況次第では大佐にするつもりだ。この部隊は本来ならば実験部隊として編制が検討されていたものなので少々特殊な編制をしている、単隊での戦闘を想定し諸兵科連合で編制する、戦闘団と言う奴だ。
正式名称は独立混成第十四聯隊、駒州軍司令部直轄だ、君が北領で諸兵科連合部隊の運用に長けていると分かったから多少は無理を通させた。
基幹部隊は既に準備が整っている、がある程度は好きに弄って構わない」

「――はい、閣下。身に余る光栄です。でしが、諸兵科連合では補給や統率が煩雑になります。大隊規模なら兎も角、連隊では維持、運営が難しいのではありませんか?」
諸兵科連合は単純に便利だとは言えない。戦闘能力は飛躍的に高まるが指揮・管理・運営が煩雑化してしまうのである。砲兵の補給には手間がかかるし騎兵も馬の管理に手間がかかる。主導権を握れば強いが、緊急時に足並みが揃わないと特定の兵科の部隊が圧殺されて単隊戦闘力が瞬く間に低下してしまうことだってある。活用するためには本部・後方支援部隊の拡充が必要になる。
「その点も含めて好きにしてくれ、特に後方支援に関しては戦訓が少なすぎる。君の実感にまかせるのが一番だろう」

「後方支援と本部の編成は弄って宜しいと?」
 目を見張った青年将校に保胤は応用に頷いて見せた。
「基幹部隊の編成はすでに大隊単位では完了しているが、その他の部隊に関して可能な限り君の意見を反映させようと思う。
だから定数すらも決まっておらず、編制の申請も出していない」

「――それはなんとも豪勢な話ですね」

「君個人には損な役回りだったからな。この位は面倒を見なければ主家の面目が立たないのさ。
既存部隊である独立銃兵第三六五大隊と再編し第一大隊、馬堂家から鋭兵一個大隊を出して第二大隊とし、これを基幹部隊とする。
それと新設途中の鉄虎大隊、この三個大隊を基幹に部隊を集成する予定だ」
保胤が抱えていた書類から数枚を手に取りながら説明をする。
 ――連隊に鉄虎大隊?
ひくり、と豊久の眉が動いた。 
「閣下、剣虎兵は全て独立部隊として編成するのではありませんか?」
 これは単純に威力偵察に迂回・奇襲と単独行動を前提とした運用が多い為である。
それに剣牙虎に慣れた馬は少ない事もあり、剣虎兵は一般部隊にとって厄介者なのだ。
第十一大隊でも輜重部隊の駄馬や砲兵の輓馬が剣牙虎に怯える等と本部で散々頭を痛めた前例がある。剣虎兵が主体の独立大隊でもそうだったのだから与えられた聯隊では他の兵科が増える分問題が増える事は火を見るより明らかだ
「導術を利用した連携の実験だ。君が一番理解していると思うが、剣虎兵の損耗率が高い。
勿論、それ以上に戦果も高いのだが、何しろ四年前に漸く部隊が編成されたばかりの新兵科だ。現在の運用法だけでは消耗に育成が追いつかなくなるかもしれない。
何しろ後備部隊も存在しないからな。故に他の部隊と緊密な連携を行いそれによって損害をどの程度減らせるかの実験の意味もある。――故に中佐に任せる部隊は極めて実験的な要素も含まれている」
 ――――剣虎兵は使い方さえ誤らなければ強力ではあるのだ、それは疑問の余地は無い。
だが馬と相性の悪い剣虎兵は他兵科との連携が困難であり、諸兵科連合での運用面からみると使い勝手が悪く、補助が難しい。その為、得意の多勢相手の奇襲も敵軍が統制を取り戻したら。各個撃破の的でしかない、第十一大隊が良い例である
 ――だからこその実験部隊か、ならば専科の幕僚と連携の肝となる導術が欲しいな。
「閣下、導術部隊の規模は如何程になりますか?」

「百三十名前後だ。戦闘導術中隊を本部付でつけられる。だがこの部隊は補充が難しいから慎重につかってくれ」
 ――異様に充実している。導術兵の動員が進んでいるのだろうか?それともこの部隊の実験に余程期待をしているのか?だとしたら連隊である以上、定数は2000前後が常識だが――何時でも戦力不足になるのが戦場である。単独運用もされるだろうし、旅団すれすれにしたって良いだろう。 だが規模が大きくなると面倒も増えてしまうな、だとしたら問題は――

「連隊が編成されるのは何時ぐらいからになりますか?」
大粒の宝石を鑑定する質屋のような顔で尋ねる家臣を眺めながら保胤は面白そうに答える。
「基幹部隊はすぐに聯隊として編成準備に入れる。新編部隊は、一ヶ月以内に―――君が軍務に復帰したら直ぐに連隊全隊の面倒を見られる様にする。」
「早いですね」
「別に君が考えているほど、難しい事情じゃない。
各鎮台は戦時体制――軍への改編を行っている最中だからな。ある程度は融通を利かせられる。それに、君にもある程度自由にやらせてあげないと信賞必罰が問われる。
家の末弟も相当好き勝手に動くつもりらしいからな。」
そう言って保胤は苦笑する。
 ――信賞必罰が問われる、か。本当にそれだけだろうか――いや、あまり勘繰るのも失礼だろう。
「とりあえずは編制だけでも決めたまえ。そうすればすぐに準備にかかれる」
――定数か。現在決定しているのは銃兵二個大隊と鉄虎兵大隊の三個大隊
鉄虎は単独行動が多くなるから七百近くと計算して――二千名と試算しよう。
支援部隊の割合を考えると余り空きが無いな。
 ――騎兵は捜索専用の一個中隊だな。剣牙虎に慣らしても馬は万全な状態にはならない。相手の騎兵を脅かす為に吼える時に此方まで馬が動揺し、落馬する者すら出る可能性すらある。駒城の騎兵は精兵だ。あまり枠をとるよりも本隊で活躍してもらおう。
 ――後は砲だ。最近、周囲に忘れられている気がするが俺の本職である。
最低でも平射砲二個中隊と擲射砲一個の大隊だな。それに第一・第二大隊にも臼砲・騎兵砲を各一個小隊分配置させよう。輜重部隊に負担がかかるが仕方ない。
 ――後は導術兵と野戦築城が出来る工兵中隊、この二部隊は使いどころが肝心だ。苗川で実証されたとおり、陣地にこもって防衛戦は導術と相性が良い。場所を選べばこの連隊でも向こうの旅団を数日程度は食い止められるだろう。導術も疲れきらない様に注意しなくてはならない。そして一番苦労するであろう輜重大隊と療兵・給食中隊か――
 ぶつぶつと呟きながら手持ちの帳面で試算する。
「閣下、頭数は三千を超えます。宜しいでしょうか?」
 そう云って書き付けた覚書を渡す。
「構わない、流石に4千を超えたら困ったがね。
ならば定員は――三千九百名で良いかな?」
興味深そうに豊久の帳面に目を通して言う。
「――しかし、これだとほとんど旅団規模だな。君も存外に遠慮がない」
「前線や後衛戦闘に送られる可能性が高いですからね。限界まで弄繰り回さなくては冥府で愚痴をこぼすくらいしかできません」
豊久の言い草に保胤は声をたてて笑う。
「なるほど、君も直衛と付き合いが長いわけだ」
「――朱に交われば何とやら、と言いますからね。」
 豊久は苦いものが混じった笑みで答え、ついでにと遠慮なく注文を再度飛ばす。
「――あぁそれと戦務課の大辺少佐を本部付で回してもらえませんでしょうか?」

「首席幕僚に配属させるのか?たしか豊守の子飼だったか?
わかった、窪岡少将には私から話しておこう」

「あと古参の剣虎兵将校を本部付で一人お願いいたします。
それと砲兵将校を数名程、富成中佐に推薦をお願いしたいのですが宜しいでしょうか?」

「どちらも構わない。君が剣虎兵に慣れていないのは解っているからな。
それに富成中佐も元々そのつもりだったようだ。
――あぁそれと直衛が場合によっては第十一大隊から何名か引き抜きたいのでそちらは君たちで相談してくれ」
鷹揚に頷いた中将に若き中佐は深々と頭を垂れた


同日 午前第十一刻 陸軍軍監本部 戦務課付近
〈皇国〉陸軍中佐 馬堂豊久

――既存の大隊と馬堂家が出している兵を中心に匪賊の討伐などで実戦を経験した兵が半数を占め、幕僚陣も充実している。士官の数も二百名程度となるだろう。
訓練の優先順位を厳格にすれば三ヶ月――いや、二ヶ月だ。それで、駒州軍の名に恥じぬ部隊になるだろう。
「――と思うがどうかな?」
「取り敢えず、前線送りの道連れにされた恨み言を申して宜しいでしょうか?」
 大辺は静かに溜息をついた。
「連隊本部の人事は一任されていたからね、信頼出来る者を幕僚にしたいのさ。
俺に参謀教育を施したのは少佐だ。その能力は知っているよ、首席幕僚殿。」

「また皇都で要らぬ心配をするよりはましですかね。少なくとも貴方が何をするかを見張ることが出来る」
そう言って溜息をつかれると耳が痛いのか、視線を泳がせながら豊久は言葉を続ける。
「北領では必要だった。あの戦よりはマシであってほしいな。
いや、そうしなければならないな、俺が死地へと連れていく連隊だ」

「――そうですね。それではまた、連隊長殿」
感情の薄い顔に僅かな驚きと喜びの色をよぎらせ、今の職場へと戻っていった。
「宜しく頼むよ。首席幕僚」



同日 午前第十一刻三尺 陸軍軍監本部内情報課 次長執務室
〈皇国〉陸軍中佐 馬堂豊久


「お久しぶりです、堂賀閣下」
「久しいな、馬堂中佐」
久しぶりに会った上司は髪の灰色こそ白の度合が強くなっていたが猛禽類の如く鋭い目に射抜くような光を閃かせ、どこか愉しげに唇を歪めている姿は変わっていなかった。
「それで?あれで早くも釣れたそうだな。魔導院も手が早いものだ」
かつての上官の問いに豊久は口をゆがませて答える
「はい、閣下」
 この男が書いた書面には呼び出しの他はどうでもよい事を大仰に書いていただけであった。それであっさりと魔導院の輩を釣り出すのだから恐ろしいものである。
「連中が何を考えているかは流石に分からん。
だが、馬堂家は執政府にも強く食い込んでいる。貴様の家の当主殿の方が探りやすかろう。
――もしくは君の義父殿か。うむ、まだ違ったな。これは失敬」
そう云って顔を引き攣らせたかつての部下を眺め、にたりと笑う。
「まぁそれに貴官は勅任二等特務魔導官とも顔見知りだろう?
かの無位の英雄殿とはどちらも旧知の仲だ、伝手を作れたらありがたいものだが」

「私は前線送り確定ですよ?それまでに面倒を片付けられるとは思えませんね」
 将官相手とは思えない口調であるが、堂賀もそれを全く気に留めずに微笑すら浮かべている。
「だが、その様な事ばかり言っていられないだろう? なあ中佐」
「分かっております、閣下。ですが流石に兵の命を預かっているのに内職はできません
閣下の麾下の者だけでも――」
 陸軍には陸軍の情報機関がある。――特設高等憲兵隊と呼称されている。
その名のごとく私服憲兵から発展した情報機関である。情報課の管轄下であり、防諜室が実質的に支配しているのだが――
「無理だ。宮野木に安東、そして守原、将家の手勢が入り込みすぎている。
だからこそ、貴様が知りたい事も耳に入るのだが。その代わり私の動きも耳に入る」
 将家の勢力争いの御陰で身動きがとれないのは変わらずだ。それに規模も皇室魔導院どころか水軍の外郭団体である内外情勢調査会にも負けている。導術に至っては魔導院から教官を借り受けている始末である。
「それにな、貴様だけではないのだ、駒城の者は。――駒城にすら知られたく無いから私の所に来たのだろう?」
長く深く陰謀の世界で生き抜いた男の猛禽の如き視線に射抜かれた。
「・・・・・・」

「貴様も大胆だな、鞍替えを考えているのか?」
 視線を緩め、唇を再び楽しげに歪める。
「勿論そうならない為でもあります。ですが、万が一、駒城が潰れそうなら、
或いは馬堂家を切り捨てようとするなら――」
 
 ――本意ではない、だがその時には極めて遺憾であるが、戦略を変える必要がある
「現状では?」

「私は駒城を主家と仰ぐのは恵まれた事だと考えていますよ。少なくとも主家は国を守ろうとしています」
 ――馬堂は簡単に切り捨てられない程度には駒州内に深く食い込んでいるが――いや、それでも状況次第では危険だ。馬堂家は今、最も我々にとって不必要な類の力を持ってしまっている、大殿は必要であると判断すれば出る杭を杭ごと切除してしまうだろう。そうで無くては駒城が独立独歩の方針を執りながらこれ程の権勢を維持する事は出来ない。今必要なのは切札を作る土台だ。
 かつての部下へ向ける視線を緩め、歴戦の情報将校は口を開いた
「――大掛かりな行動は出来ないが協力しよう。私の子飼いの者ならば信用できるからな。
その代わり、貴様の家が持つ伝手も使わせてもらうぞ。」
「新城直衛と実仁親王殿下ですね?
後は当主様の許可を頂ければ弓月伯とあの方が抑えている衆民官僚閥に蓬羽を含めた衆民の有力者にも何名か」

「上出来だ」

「愉しみですか?」

「あぁ、何とも愉しみだ。後は貴様が私の下に戻ってくれば言う事無しだったが
貴様が一番、この手のことの愉しみ方の覚えがよかったからな」
 愉悦の笑みを浮かべている。

「私も当分は部隊の面倒を見ることになりそうです」

「連隊長だったな?私の下に居た時にはただの大尉だったのだがな
ふふふ、来年には閣下にでもなるか?」

「またまたご冗談を。――あぁ、そう言えばお聞きして宜しいでしょうか?」
閣下、で思い出した。
「何だ?」
今まで見たことが無いほど上機嫌である。
正直、逆に恐い。

「個人副官をつけていらっしゃらないのですか?
いえ、ちょっとした好奇心ですが」

 豊久が個人的に知っている将官は誰もつけていないが、将官には両性具有者である個人副官の配属を希望する権利がある。
彼(女)達は法的には亜人として扱われており、女性的な美貌と高い知性の持ち主であるが、 一度愛情を持った相手への依存心が高く、それは時に狂信の域にまで達するのが種族的な特徴である。
そして忠実であり、コトに及んでも産まれるのは彼女(かれ)らの同族達―だ。
――つまりは人間を妊娠しない(相続の面倒が起きない)、と色々な意味で都合が良いらしい。
結構な数の将官が彼女(かれ)達の配属を希望している。
「――家のが、な」
 先程の上機嫌から一転して僅かながら恐怖の表情が張り付いている。
「あぁ、分かりました。だいたい私の知ってる方達と同じですわな」
 一般的に、個人副官は周囲からは情人扱いされる。例外とされる者もそう勘ぐられる。
それからは如何に軍監本部の要人と言えど逃げられない様だ。
 ――それにしても恐妻家だったのか、この人。
何故か先ほどの朱に交わればの言葉が脳裏に浮かび、慌てて豊久はそれを打ち消した。
 
 

 
後書き
また遅れて申し訳ありません。
少々立て込んでいるのと、急に外伝(というか前日談)を書きたくなってプロット作成していました。
7・8・9巻で少し触れられている新城閣下の中尉昇進前後の時期が舞台ですが……書く時間があるか虻蜂になりそうですが(汗)
来週の投稿もこの時間帯になりそうです、ご了承くださいませ。 
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