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展覧会の絵

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第十三話 ベアトリーチェ=チェンチその四

 だがその顔は悲しさに満ちており奇麗な目にしても泣きはらした様になっている。その絵を見てだ。和典は少し考えてから十字に尋ねた。
「この絵は確か」
「知ってるかな」
「ベアトリーチェ=チェンチだったかな」
 絵の名前であるがそれだけではなかった。
「この女の子だよね」
「そう。その絵だよ」
「確かこの人は」
「実の父に陵辱されてその父を殺した罪でね」
「死刑になったんだよね」
「そうだよ。悲しいことにね」
「そうだよね。家族や家に仕えている人達と共にね」
 己を陵辱した父を殺害したのだ。彼女の父は元々無道の人物として知られていた。だからこそ実の娘を陵辱するという人の道を踏み外した所業に出たのだ。
 そのことについてだ。十字は言うのだった。
「殺された父親は自業自得だったよ」
「僕もそう思うよ、本当にね」
「うん。ただ人を殺すことは罪」
 どの時代でもどの文明でもだ。変わらないことだ。
「そして特に親を殺すことは」
「罪だからこそ」
「この人は裁かれたんだよ」
 ベアトリーチェ=チェンチは処刑されている。場所はローマ、サン=タンジェロ城の前だ。この堅固かつ壮麗な城は屋上やその前で多くの者が処刑されてきた歴史がある。
 このことについてもだ。十字は言った。
「罪は罪だからね」
「厳しい考えだね」
「罪は厳しいもの。けれど」
 だがそれでもだとだ。十字はここで言った。
「それ以前にね」
「幾ら何でも実の娘に手を出すっておかしくないかな」
 和典は人間の倫理感から首を捻って十字に話した。
「それって。おかしいよね」
「おかしいよ」
 十字もだ。こう返した。
「神は近親相姦を許してはおられないよ」
「近親相姦ね」
「そう。それ自体をね」
「それってやっぱりあれかな」
「神の御教えだよ」
 ここでもだ。彼はカトリックだった。
「それにおいて最大の悪徳の一つだと定められているよ」
「そうだよね。やっぱり」
「それは許されてはいないよ」
 また言う十字だった。
「それだけで死に値するね」
「実際にそれで死刑になった人っているのかな」
「いるよ。近親相姦だけでなく」
 キリスト教は禁欲主義の強い宗教である。その為修道院はまさに鉄の規律により縛られていた。だがその禁欲主義もまた、だ。十字を形成していた。
「同性愛や獣姦もね」
「そういうのもだよね」
「禁じているよ」
 絶対のタブーとしてだ。そうしているというのだ。
「だからそうした罪を犯せば」
「殺されるんだね」
「そう。だからね」
「この場合はその父親が悪いよね」
「親を殺すことは罪」
 このことは否定できなかった。十字にしても。
「けれどそれ以上にね」
「自分の娘に手を出すことは」
「罪だよ。だからこの場合はね」
「その絵の女の子は同情されるべきかな」
「彼女に罪があってもその罪はまだ許されるよ」
 そうなるというのだ。彼女の父が彼女にした罪に比べれば遥かに。
「まだね」
「そうだよね、やっぱり」
「そしてそれは彼女だけではないよ」
「この女の子だけじゃないんだ」
「罪を犯し泣く人はいるよ」
 罪は人の心を苛むものだというのだ。ただしこの絵の主人公であるベアトリーチェ=チェンチの涙には様々な説があろう。だが十字はここではこう言ったのである。 
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