| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

銀河日記

作者:SOLDIER
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

後始末と人事異動

第四次イゼルローン攻防戦が終幕し増援として派遣した艦隊が帰還すると、直ぐに論功行賞が行われた。

ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ少将は確実な打撃を敵右翼に与えた功績を評価され、中将に昇進。アルブレヒト・ヴェンツェル・フォン・デューラー大尉も以前の回廊外遭遇戦における功績で少佐へと昇進した。

増援艦隊の一員であり、要塞攻防戦では帝国艦隊中央部に布陣し六千隻を指揮していた、グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー中将はベルカ准将の猪突により間隙が生まれた中央部を献身的に支えたことが評価されて大将へと昇進することとなった。そして、大将の礼遇の一つである個人旗艦として、戦艦ヴィルヘルミナが下賜されることとなった。

この旗艦授与には、ミュッケンベルガー中将の座乗艦であった戦艦ホーエンシュヴァンガウは戦闘終盤において中破し、要塞攻防戦終了後、廃艦処分が確定となったことも、その理由として挙げられる。

帝都オーディンで、第四次イゼルローン要塞攻防戦の戦勝を喜ぶ雰囲気がまだ完全に冷めきらぬ中の九月二十日、アルブレヒトは軍務省人事局に出頭し、人事課長から辞令を受け、軍務省帝国軍戦史管理研究課第七分室長を命じられた。戦史管理研究所は部署名の通り、戦史などの過去の資料を分析する部署であり、閑職である可能性は少なからずあった。アルブレヒトの着任は、一週間後の九月二七日と定まった。それまでの間、アルブレヒトはメルカッツの副官人事の引き継ぎなどで忙しくなる事が、半ば確定していた。

人事局を辞去したアルブレヒトは、オーディン軍事宇宙港に停泊するビスマルクⅡで上官、メルカッツ中将に受理した異動命令のことを報告し、書類仕事を終わらせると自宅へと戻った。

我が家に着くと、軍服を脱ぎ、私服に着替え、エプロンをつけて台所に向かった。

ようやくではあるが、味にある程度の安定感を持てるようになった夕食を食べ終え、後片付けをしていると、TV電話が鳴った。蛇口を捻って皿洗いを止め、手を拭いエプロンを外しながら、TV電話のほうへと向かった。
画面の傍の赤いボタンを押すと、通話機能が瞬時に起動する。それに伴って、画面の色が、黒から、別の色へと変化する。

「久しぶりね。アルブレヒト」
「お久しぶりです。ケルトリング侯爵夫人」
TV電話の画面には、良く知る顔が映っていた。画面の中の女性、ベアトリクス・フォン・ケルトリングは昨年、ケルトリング家を正式に相続し当主、ベアトリクス・フォン・ケルトリング侯爵夫人となった。
「ベアトリクスで構わないわよ。それと、昇進おめでとう。貴方ももう少佐殿ね」
「有難うございます、ベアトリクス様。自分でも、驚いております」
ベアトリクスの言葉を受けても、アルブレヒトは会話の中に敬語の装飾を絶やさない。自分の提案の後に、口にされた言葉に、彼女はなんて言えばいいのかしら、と内心呆れた。
「暇になったら、また屋敷にいらっしゃい。また一緒に、御茶でも飲みましょう」
「はい。誠に有難い御誘いなのですが、自分はこれから忙しくなり、異動もありますので、お相伴に預かるのは当分先になってしまうかもしれませんが、それでもよろしいでしょうか。もし、ベアトリクス様から日時を御指定して頂ければ、私の方で、調整致しますので…」
アルブレヒトがその先を言おうとすると、ベアトリクスは右手を二回程、宙に泳がせた。

「アルブレヒト、別にそこまで気を遣ってくれなくてもいいわ。マグダレーナと飲むのも楽しいけど、貴方と一緒の時は落ちつけていいの。たまには、殿方とも飲みたくなるのよ。こうも、女ばかりだとね」
最後は苦笑しながら、若年の侯爵夫人は三歳下の少佐に告げた。その言葉は、柔らかい音色に包まれていた。
「畏まりました。では、機会があれば、喜んで参上いたします」
「ありがとう。その時は、マグダレーナもそうだし、アンネローゼとも一緒になれればいいのだけれど・・」
会話の中で聞こえた名前に、アルブレヒトの脳内をある言葉が駆け巡った。

目の前の女性の言う、“マグダレーナ”の言葉が指しているのが、ヴェストパーレ男爵夫人マグダレーナであることは、以前の会話で知っている。

では、アンネローゼとはいったい誰のことなのか?一人だけ、アルブレヒトには心当たりがあった。だが、それを素直に確信する気には、なれなかった。

「ベアトリクス様。アンネローゼ、とおっしゃいますとアンネローゼ・フォン・グリューネワルト伯爵夫人の事ではございませんか?」
「ええ、そうよ。それがどうしたの?」
少しきょとんとした感じで帰ってきたベアトリクスの返答に、アルブレヒトは少々考え込んだ。

グリューネワルト伯爵夫人アンネローゼ。旧名はアンネローゼ・フォン・ミューゼル。オーディンに住まう帝国騎士の貴族、ミューゼル家の長女にして、ラインハルト・フォン・ミューゼルの実姉。宮内省の官吏に見出され、十五歳で新無憂宮(ノイエ・サンスーシ)の後宮に上がり、皇帝フリードリヒ四世の寵を一身に受ける女性。皇后は風邪が原因で亡くなっており、彼女、アンネローゼは伯爵夫人の称号により、事実上、皇帝の妻の座を与えられえている。

後世、ある女性と青年の回想では全ての始まりとされた女性である。だが、それをアルブレヒトは知らない。しかし、“IF”を考えればそうなってしまうのは仕方がないことだった。

ベアトリクスが当主を務めるケルトリング家は、ミュッケンベルガー家とは縁戚関係に当たる。両家は共に侯爵、伯爵という爵位持ちの上流貴族であり、しかも、ベアトリクスはケルトリング家当主の侯爵夫人である。史実でのアンネローゼの友人、ヴェストパーレ男爵夫人マグダレーナ、シャフハウゼン子爵夫人ドロデーアの二人だけならまだしも、ベアトリクスまでが近づいても良いものだろうかと、アルブレヒトは少しだけ考え込んだ。そして、ある疑問が浮かび、ベアトリクスに尋ねてみることにした。

「失礼ながら、何処で伯爵夫人とお知り合いになられたのですか?」
「あれは、今から二カ月ほど前だったかしら、新無憂宮でパーティーがあったの。その時に、マグダレーナの紹介で出会ったのよ」
「・・左様でございますか。ベアトリクス様、相当、孤立していらっしゃいますのでしょうな。グリューネワルト伯爵夫人は」
「ええ、あの子には、アンネローゼには後見も何もないわ。それに、彼女を良く思わないのは、貴族の殿方だけではないの。社交界の貴族の夫人方も一緒よ。皇帝陛下の御寵愛を一身に受けているのだもの。あの子の立場は辛いでしょうけど、私も出来る限りは支えてあげるつもりだから、心配しないで」
「畏まりました。では、またお会いしましょう。ベアトリクス様」
「ええ、待っているわ」
そう言った後、二人の前の画面は、同時に黒く染まった。どちらから、先に切れたか、わからなかった。

その後の五日間、アルブレヒトの置かれた状況はまさしく激務だった。副官人事の引き継ぎに関する書類作成の傍らに、メルカッツは中将となって軍上層部から示される人事によっては一万隻単位の艦隊をも指揮できる地位である。だが、メルカッツの階級が向上した分、扱う書類の量も増えた。第四次イゼルローン要塞攻防戦で被った損害はすでに算出してあり、それに伴った麾下艦隊の艦艇補充要請など、仕事は山のように残っていた。

それから五日が過ぎ、アルブレヒトは異動となった。
「デューラー少佐、これまで御苦労だった。また何時か、何処かの戦場で会おう」
「はっ、小官こそこれまでお世話になりました。メルカッツ閣下も、お元気で」
アルブレヒトとメルカッツは、ビスマルクⅡの提督室で会話を交わすと、別れの敬礼を交わし、アルブレヒトは部屋を出て、ビスマルクⅡを退艦した。この艦は一カ月後、ゼークト少将の麾下艦隊の旗艦となる事が確定していた。メルカッツには新たに、戦艦クラーフアイゼンが旗艦として与えられることになった。

戦史管理研究第七分室は、閑職と言えば閑職であった。だが、アルブレヒト本人にとってはそうではなかった。それは、人の価値観が異なるという、数多い実例の一つであろう。

第七分室の仕事は二、三週間に一度回ってくる書類仕事。唯それだけ。しかも、分室の人員は分室長のアルブレヒトだけ。その間、彼は有り余った勤務時間のほとんどを、帝国軍軍事図書館にある文献やデータの目録を作ることに専念していた。

別にこれは軍務省の上層部からの命令があったからではなく、彼個人の行動である。手当として支給される、超過勤務手当が目当てだったかどうかは、彼しか知らない。

帝都の軍務省に隣接されている、銀河帝国軍事図書館には地球から銀河連邦までの時代の収集された戦史の史料と、五百年の長きに渡る帝国軍史など、非常に膨大な量のデータなどが存在する為、データの整理が付いていないというのがその理由であり、余暇を利用しての閲覧の際に感じた煩わしさが、彼を動かしていた。

だが、彼が行うことはかつて銀河の反対方向にある、バーラト星系の惑星テルヌーゼンにある、自由惑星同盟軍士官学校で、ヤン・ウェンリーとジャン・ロベール・ラップが士官学校校長シドニー・シトレ中将の命令で行った戦史研究科の目録作りよりも、遥かに多大な時間と労力、根気を要するものであった。アルブレヒトは、軍務省に泊まり込んでも、仕事に没頭していた。備え付けのタンクベッドには、相当世話になったものだった。

中佐に昇進し、それと同時に帝都憲兵本部の第三十二武装憲兵大隊長に異動となるまでの月日、約一年半を掛けて、彼は全ての目録を作製し、軍務尚書エーレンベルク元帥に提出した。これは、寝る間も惜しんだ努力の結果であったが、それのせいか、ベアトリクスとの茶会は、当分の間は延期されることとなった。

もっとも、誘われたアルブレヒトは、自分が誘われていたことすら、忘れていたのである。誘った女性は、返答がいつまでも来ないことに、小さな落胆とそれよりも大きな呆れを半々に、日を改めて、再び誘うことを決めた。
 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧