| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

魔法使い×あさき☆彡

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

第二十七章 白と黒


     1
 爆音、爆風。

 あまりにも巨大な体躯だからであろうか。生身がただ駆けているだけなのに、暴風雨にも感じられるのは。
 大きいというだけでなく、あまりにも異形な容姿であった。

 長剣の一振りを、かろうじてかわしたアサキとカズミの二人は、それきり口を半開ききして、唖然呆然の体で怪物を見上げている。

 唖然呆然にもなるだろう。
 目の前の、その異形、大きさを考えれば。

 馬というべきか、河馬とでもいうべきか。
 ずんぐりむっくりの胴体で、形状的には、蜘蛛、が一番近いであろうか。
 ただし、生えている足の数は二本少なく、六本であるが。
 蜘蛛といってもその大きさは桁外れで、小型のトラックほどもある。
 そして、異形を異形たらしめるのは、その背中から突き出でているものであった。
 人間の上半身、腰から上が、ケンタウロスよろしく背から生えているのである。
 白銀の服に身を包み、その上には二人のよく知った顔があった。

()(だれ)……(とく)(ゆう)

 カズミの、震える声。

 そう、壁を砕いて現れた巨体は、他でもない、リヒト所長である至垂徳柳の顔を持つ生物だったのである。

 アサキは、ごくり唾を飲んだ。
 汗ばんだ手を強く握った。

「どうして、あなたがここに。その、姿は……」

 記憶おぼろげだけど、わたしと一緒に闇に飲み込まれたはずだ。
 わたし自身、なにがどうなったのか分かっていないけど……
 ここに、同じところに、きていたのか。
 でも、この姿は一体……

「それが、てめえの正体ってわけか。やっぱりこの、妙ちくりんな場所は、てめえらの研究施設の中だったってわけだな」

 カズミとアサキの言葉を受けた、至垂の顔を持った化け物は、ゆっくりと身体を回転させる。
 絡まりそうなほどに密集している六本の足を起用に動かして、ぞぞり、ぞぞりと、二人の正面へと向き直った。

「知らないようだな。知らないようだな。まあよい。感謝しているぞ、いるぞ、(りよう)(どう)()(さき)。感謝のお礼だ。感謝のお礼だ。……なにも知らないままぁ死んでおけえええい!」

 至垂の顔を持つ六本足の巨蜘蛛は、二本の太い後ろ足で、床を強く蹴った。
 どどう、と爆発を感じるのは、その突進力の凄まじさが故であろうか、桁外れの巨体が持つ迫力であろうか。
 その圧倒的な質量が、猛然と突っ込んだのである。
 アサキとカズミが肩を並べる、そのど真ん中へと。

「あぶねっ!」

 カズミは半ば無意識に、紙一重で避けていた。
 突然のことに、心身戦闘態勢に入り切れていないようだが、しかし伊達に鍛錬は積んでいない。腐っても魔法使い(マギマイスター)ということだ。

 だが、隣では……

「ぐぅっ」

 アサキの呻き声。
 顔を苦痛に歪めながら、左肩を押さえている。

 体当たりを完全に避けきれず、骨を打ったのである。

「アサキ、大丈夫か!」

 反対側にかわしたカズミが、心配そうに大声で問う。

「問題ない」

 赤毛の少女は、小さく頷いた。
 至垂の顔を持つ六本足の巨蜘蛛を警戒しながらも、ちらり視線を落として自分の腕や身体を確かめた。
 これは本当に自分の身体なのかと、不安になったからである。
 どうにも身体が重く、それで攻撃をかわし損ねてしまったからだ。

 まだ目覚めたばかりだから?
 だとして、どの程度わたしは眠り続けていたのだろう。
 それとも身体は万全で、突然のことに意識が戦闘へと切り替えられていないだけ?
 ……あとだ。
 そんなことを考えるのは。
 まずは、この場をどうにか凌がなければ。

 アサキは右手をそっと伸ばし、左腕に着けているリストフォンの感触を確かめた。
 と、びくり肩を震わせた。正常に動作するだろうか、などと考えていたら不意にカズミの怒鳴り声を受けたのだ。

「おい! ぼおっとしてる余裕なんかねえだろ! 変身!」

 カズミは、巨体の背後へ回り込もうと走り出しながら、同時に、両手を天へと突き上げた。
 左手に着けた銀と青のリストフォンが輝き出す。
 内蔵されたクラフト機能が、カズミの魔力に反応しているのだ。

 側面にあるボタンを押すと、カズミの身に着けている衣服がすべて、下着までが風に溶けて消えていた。
 だがそれも瞬きの一瞬、溶けた瞬間には全身銀色の繊維に覆われている。
 その繊維が、つま先からぺりぺりとめくれ上がり、黒い裏地がすね、膝、と上り、スパッツに似た形状に癒着固定される。

 いつの間にか、頭上に青い塊が浮いている。
 塊は、弾けて四散。頭、肩、胸、前腕、すね、軽量な強化プラスチックの防具として身体に装着されていく。

 男性の衣装であるモーニングにも似た、だけど袖のない硬そうなコートが、すっと頭上から落下する。
 上体を前に倒し両腕を後ろへと立てて白鳥の舞い、コートに腕を通すと倒した上体を起こした。

 ぶん、ぶん、
 と前蹴り後ろ回し蹴りで空間を焦がしながら、服を身体に馴染ませると、落ちてきた二本のナイフを、それぞれ左右の手に掴み、

魔法使い(マギマイスター)カズミ!」

 構え、勇ましく名乗りを上げた。

 ほんの僅か、時を遡るが、

「変身!」

 アサキも、ほぼカズミと同時に、両腕を高く振り上げ、叫んでいた。
 左腕に着けた、銀のボディに赤い装飾が施されているリストフォンが、眩く輝いた。
 腕を下ろしながら側面にあるスイッチを押すと、アサキの身に着けた衣服であるティアードブラウス、膝丈タータンチェックのプリーツスカート、下着、薄桃色の靴下、すべてが一瞬で溶け消えた。
 溶けた瞬間には、もう既に別の物に身体が包まれている。光が集束し編まれた銀色の布で、首からつま先までの全身を。

 つま先から裂けて、黒い裏地がめくれ上がる。
 黒いスパッツを履いているような形状へと変化、癒着固定された。

 頭上に浮いている真っ赤な塊が、弾けて四散。
 防具状になり、頭部、肩、胸、前腕、すねへと、装着されていく。

 ふわり、
 袖のない、硬質そうな上着が頭上から落ちる。
 前傾姿勢になったアサキは、白鳥の翼ように優雅に腕を後ろへ振り上げて、袖に腕を通す。

 上体を起こすと、腰を軽く振りながら右、左、と拳を突き出して、服を身体に馴染ませる。

魔法使い(マギマイスター)アサキ!」

 頭上から落ちてくる洋剣の柄を見もせず掴むと、構え、勇ましく名乗り叫んだ。

 すぐに激しいツッコミを受けることになり、勇ましさもへったくれもなくなるのだが。

「おい、真っ赤な方が強えんだろ! ならそっち着りゃあいいじゃねえかよアホ! バカ!」

 カズミが、自分の方こそというくらいの真っ赤な顔で、怒鳴ったのである。

 彼女のいうのは、真紅の魔道着のことだ。
 リヒトの研究所で、アサキが貰うはずだったもの。

 アサキの潜在能力が高すぎるため、汎用型では能力を生かし切れない。クラフトと魔道着を、アサキに合わせて作りたい。
 と、開発部から声が掛かり、特注された物だ。

 現在所持しているのに、貰う()()だったというのは、言葉の通り、貰って所持しているものではないためだ。
 (みち)()(おう)()に強奪されて、それを着た彼女と戦ったり、紆余曲折あって、現在アサキが所有しているのである。

 実際、その真っ赤なクラフトを着けて、真紅の魔道着を着て、どれだけの力が発揮出来るものなのだろうか。
 アサキはまだ着たことがないから、分からない。
 魔法使いは基本的に、飛ぶことや飛びながらの戦闘は得意ではない。だがその魔道着を着た慶賀応芽は自由に空を駆けていたので、魔力伝導効率が飛躍的に増大するのは間違いないことなのだろう。

 しかし、

「ごめんね、カズミちゃん」

 アサキは、謝るのみであった。

 自分用にカスタマイズされたという真紅の魔道着、まだ一回も着たことないだけでなく、今後も着るつもりなどなかったから。
 深い理由はない。
 慣れているからだ。最初に支給された、赤と白銀のリストフォンと魔道着に。
 そして、仲間たちと同じ魔道着で、戦いたいからだ。

 無意味なこだわりなのは分かっている。
 もしかしたら、強さにあこがれ自滅した慶賀応芽のようになりそうな気がして、怖いのかも知れない。自分のことながらはっきり分からないのだが。
 たかが道具、肉体の延長に過ぎず、要は扱う人次第だというのに。

 そんなこだわりを、カズミも理解はしているのだろう。

「バカアサキ」

 そう思ったよ、とでもいいたげな顔で、にやり笑みを浮かべたのである。

「でも、絶対に倒すぞ。つうかそれ以上に、死ぬんじゃねえぞ」

 改めて二本のナイフを握り直したカズミは、至垂徳柳の顔を持つ巨大蜘蛛へと向き合った。

「うん」

 アサキは小さく頷いた。
 洋剣を強く握り、カズミと肩を並べた。

     2
 青い魔道着が宙を舞う。
 茶髪ポニーテールの少女、カズミである。
 ()(だれ)(とく)(ゆう)の、巨蜘蛛の胴体を切り付け踏み付け、駆け上がる。
 トンボを切って、急降下。
 二本のナイフを至垂に狙い定めて、

「うおらあ!」

 必殺の雄叫びを張り上げた。

 だが、

「雑魚が!」

 という怒声と同時に、垂直落下からいきなり水平軌道。壁に激突した。
 巨蜘蛛の背から突き出している白銀の魔道着を着た至垂の上半身、その右手に持っている剣のひらで殴られたのである。

「カズミちゃん!」

 心配し、友の名を叫ぶアサキ。

 壁が崩れて、大きな穴が出来ている。
 既にカズミはそこから這い出しているが、今の激突でかなりダメージを受けたようである。頭を押さえ、ふらり身体をよろめかせている。

「大丈夫?」
「屁でもねえ。……でも、おかしいんだ。身体が自由に動かねえんだ」
「わたしもだよ。重たいんだ」

 身体も、動きも。
 だから先ほどだって、なんということのない体当たりを避け損ねてしまった。
 カズミちゃんもか。
 一体、なんなんだ、この身体は。
 わたしたちに、なにが起きているというのだろう。

「よそ見とは余裕だな余裕だな」

 巨体が、広がっていた。
 アサキの、視界一杯に。

 至垂の上半身を背から生やした巨蜘蛛が、後ろ足を蹴ってアサキへと飛び込んだのだ。

 はっ、
 とアサキが目を見開いた時には、遅かった。
 蜘蛛本体の頭から生えている、長く鋭い角が突き刺さっていた。
 腹部を、刺され、貫かれていた。

「アサキ!」

 カズミは蒼白な、自分の魔道着より青くなった顔で、赤毛の少女の名を叫んだ。

 だが、赤毛の少女、アサキの口元には微笑が浮かんでいた。
 貫かれ、そのまま体当たりを受けているというのに。

 と、っとアサキは、床に足を着いた。

「さっきのカズミちゃんの台詞じゃないけど、大丈夫」

 至垂の体当たり、突進が、止まっていた。
 壁にぴたり背を押し付けられているアサキであるが、よく見ると巨蜘蛛の角は腹部に刺さってはいなかった。
 二本ある角のうち、一本を小脇に抱え、掴んでいた。
 それがカズミの立ち位置からだと、突き抜けたように見えたのである。

「心配させんなあ! バカ! ヘタレ! 音痴! ギャグセンス最悪女! アホ毛! 貧乳! 洗濯板!」

 こんな時であるというのに、友へと容赦ない罵倒を浴びせるカズミである。
 顔に浮かんでいるのは、安堵、喜びの笑みであったが。

 アサキは仲間からの罵詈雑言を受けながらも、脇に抱えた角を右手に掴み直すと、左腕を伸ばしてもう片方の角も掴んでいた。
 身を少し低く落として、押し返そうと床を踏む足裏に力を込める。

「まさか力比べで勝てると思っているのかね」

 ふふ、
 蜘蛛の背から生えた人の上半身、至垂の顔に、笑みが浮かんでいる。
 仮に腕力が互角であるとしても、質量が違い過ぎる。
 体格差、体重差、二十倍以上もあるのだ。
 むだなあがきよと至垂の口元がにやけるのも、当然というものだろう。

 じりじりと、アサキの身体がまた壁へと押し付けられて、いまにも潰されそうだ。
 顔を歪ませながらも、きっと睨んでアサキは重圧を押し返そうと全身に力を込める。
 でも、やはりこの質量差、びくとも動かない。

「頑張るのは結構だが結構だが、終わりにさせて貰うよ。もうきみたちに利用価値はなく、リスク考えると、とっとと死んで欲しいのでね」

 六本足の巨蜘蛛、その背から生える白銀の魔法使い至垂徳柳の上半身、剣を持った右手がゆっくり高々と振り上げられた。

「アサキ逃げろ!」

 カズミが叫びながら助けに向かおうとするが、足がふらついて転びそう。まだ先ほどのダメージが残っているのだろう。

「逃げろってえ!」

 せめて懸命に怒鳴るカズミであるが、聞こえていないのかアサキは逃げなかった。
 むしろ、自らの身体を押し当てていた。
 渾身の力を腕に、足に、全身に、掛けて、異形の巨蜘蛛へと。

「うああああああああああああ!」

 なんと、押し戻し始めていた。
 質量、体重、数十倍はある、巨蜘蛛の胴体を押し戻していた。

 当然というべきか、巨蜘蛛から生える至垂の表情には明らかな驚きと動揺が浮かんでいた。

「おしまいだ!」

 余裕の笑みなどどこかへ捨てて、至垂はアサキの頭上へと長剣を叩き落とした。

 だが、剣は空を切っていた。
 すっ、とアサキの身体が、沈んでいたのである。
 力尽きたのではない。 
 腰を落として、自らを巨蜘蛛の下へと潜り込ませたのだ。

 二本の角へと手を掛け掴んだまま、赤毛の少女は自ら後ろへ倒れ込む。
 蜘蛛の腹部に、片足を押し当てる。
 と、巨体が軽々と持ち上がっていた。
 それは巨蜘蛛自身の馬力によって。
 アサキに押し負けまいと、踏ん張っていたからである。
 柔道の技である巴投げの要領だが、効果それ以上であった。
 相手の重量からくる勢いがまるで違うし、技の掛け手であるアサキ自身も、魔道着を着たことによる魔力循環の効率化により肉体能力が向上している。

 巨蜘蛛は無抵抗に持ち上げられて、身体が垂直に立っていた。
 わずかな滞空時間の後、反対側へと倒れる。
 壁や窓を砕き割りながら、巨大な蜘蛛はひっくり返った状態で地へと叩き付けられた。
 轟音と共に、周囲がぐらぐら激しく揺れた。

 それきり、巨蜘蛛は動かなくなった。
 腹や六本の足を見せたまま。
 とてつもない巨体が背中側から叩き付けられたのである。その背から生えた至垂の上半身は、完全に潰れているかも知れない。
 いくら魔道着は打撃にも強いとはいえ、服は服だ。重量重圧を受ければ、着た者の身体ごと潰れるのは必然である。

「相変わらず、規格外なことするな……お前」

 青い魔道着を着たポニーテールの少女は、ようやく足のふらつきも収まったようで、アサキへ近寄ると肩を叩いた。

「いや、ただ死にものぐるいで。考えるよりも身体が動いてたんだ」
()(ぐろ)センセかよ。無意識にブレーンバスターって」
「どこで、どうしているんだろうな。須黒先生」
「生きてりゃ会える。まずは、ここがどこかだ」
「そうだね」

 アサキたちは、建物の外へと出た。
 巨蜘蛛を投げて破壊した、壁の大穴を通り抜けて。
 視線を左右に走らせて、二人とも警戒怠りなく。

「しかし信じられねえデカさだな、こいつ」

 壁を突き破って建物の外でひっくり返っている巨蜘蛛の、あまりの大きさにカズミが目をまん丸にしている。

 彼女たち二人は、これより遥かに大きなザーヴェラーという敵と戦ったことがあるが、だからって驚きが冷めるわけではない。
 人語を解す巨大な怪物など、始めてであるからだ。

 カズミは倒した相手の異形ぶりにばかり目を奪われていたが、アサキはそれよりも外の様子が気になって、きょろきょろ周囲を見回していた。

 足元である地面は、グレーの舗装がされている。
 アスファルトやコンクリートの類ではなく、歩道によく見るタイル素材でもなさそうだ。

 人間の気配は、まったくない。
 だというのに、ちり埃が積もった感じもまったくない。
 不自然に綺麗だ。
 なんといえば、いいのだろう。
 精巧なミニチュア然としている、とでもいえばいいのか。

 振り返って背後、自分たちのいた建物を、振り返り見上げた瞬間、ぞっと寒気がした。
 見たことがないというだけでなく、誰が想像するだろうかという、あまりに非現実的な造形だったのである。

 高さは、三十メートルほどであろうか。
 赤茶けた円錐形の、というだけであればまだしも、素人がチャレンジしたソフトクリームのようにぐにゃぐにゃ大きく歪んでいる。
 上層先端は、いまにも折れそう倒れそう。

 果たして先鋭的で片付けられるものかという奇妙奇抜なデザインであり、さらには見回せば似た作りの建築物に囲まれている。

 妙な建築物地帯の、ここは外れということか、立っているこの一面よりも先に建物は存在しない。
 ただし、グレーの舗装はずっと、遥か向こうにまで続いているようだ。

 遥か、向こう。
 建物内にいた時から窓の外に見えていた、低い山々らしき連なり。
 外に出たことで、よりはっきりと姿をさらしている。

「ここは……」

 どこだ。

 アサキは思った。

 外へさえ出れば、きっと見慣れた風景が待っている。
 そう信じていたのに、知らない土地というだけでなく……そう、まるで異世界じゃないか。

 ぐらり。
 足元に、微かな揺れを感じた。

 至垂、である。
 とどめを刺さなかった甘さが、といわれればそれまでであるが、腹を見せて逆さまに倒れている巨大な蜘蛛が、ぴくりぴくりと動いているのである。

 突然、跳ねた。
 高く。
 裏返しになったまま、背中の力で。

 跳ね、空中で体勢を変えて、巨体は着地した。
 どおおん、と大きな地響き、振動が伝わる間もなく、六本足の巨蜘蛛はぞぞりと足を動かして、アサキたちの方へとその大きな身体を向けた。

 蜘蛛本体の背中からは、白銀の魔道着を着た至垂徳柳の上半身が生えているが、先ほど自身の巨体に潰されたことでひしゃげて歪んでいる。
 白銀の魔道着の中は、骨が折れに折れている状態であろう。

 身体だけでなく顔も、何故これで生きていられるというくらいにぐしゃり潰れている。
 潰れているが、明らかな笑みが浮かんでいる。

 非詠唱の治癒魔法だろうか。
 見る見るうち、至垂の身体の傷が癒えていく。
 歪みが戻っていく。

 元の姿に戻るまで、さしたる時間は掛からなかった。
 ここで初めて見た時の、元の姿に。

「少し油断したようだ。もうきみたちに、まぐれはないと思って貰おう」

 至垂は右手の長剣を強く握る。

「そりゃあ、こっちの台詞だ」

 白銀の魔法使い至垂と、青魔道着のカズミは、同時に唇を釣り上げた。

 かくして、戦いが再開された。
 今度は外へと舞台を移動して、なんの意味があるのか分からない戦いが。

「雑魚に用はない! 真っ先に倒すべき、殺すべき、滅ぼすべきは令堂和咲ただ一人! どけい!」
「じゃあ、力ずくでどかしてみろよ!」

 巨蜘蛛の前足をかいくぐりながら踏み込むカズミ、胴体側面を蹴って背中へと駆け上った。
 蜘蛛の背の至垂へと、二本のナイフを躊躇いなく流れるように振り下ろす。

 至垂が右手に持った剣で受け、ナイフを跳ね上げる。
 同時に、左手のひらから、

「死ね!」

 青白い光弾が放たれる。

 どれほどの破壊力であるのか、それは分からなかった。
 既にそこに、カズミの姿はなかったからである。

 カズミは、巨蜘蛛から離れるように後方へとトンボを切って、着地していた。

「身体の違和感にも、少しずつ慣れてきたぜ」

 カズミは、にやり強気な笑みを浮かべると、再び身を至垂へと飛び込ませた。

 巨大な蜘蛛の化物と、魔法使いによる、激しい戦闘。
 その最中だというのに、アサキは、意識上の空であった。

 怪物と化した至垂のことよりも、ここがどこなのか、そればかり気になってしまって。
 ここで死んだら、どこもなにも、それこそ意味がないというのに。
 戦わなければ、生き残れないというのに。

 分かっている。
 けど、でも、
 どうしてこんな、状況もまるで分からないまま、わたしたちが、殺し合わなければならないの?

 思いながら、アサキは不意に天を見上げる。
 真っ黒な、空を。

 いまは、夜だろうか。
 だから、暗いのだろうか。
 雲一つない空だ。
 非常に澄んだ空だ。
 でも、星は一つも出ていない。
 なんだろう。
 この違和感は。
 世界に対して思う、この違和感は。
 感じることへ感じる、この違和感は。
 まるで虚無の空間にいるかのような、この違和感は。
 どこ?
 ここは。
 いつ?
 現在は。
 誰?
 わたしは……
 なにを、すればいい。
 何故、ここにいる。
 わたしは、
 わたし、たちは……

「アサキィィィィ!」

 カズミの絶叫。

 はっ、と気付いた時には、遅かった。

 ガツッ、
 骨を直接に打つかの衝撃、痛み。

 アサキの身体は、横殴りに吹き飛ばされていた。
 天を突く巨人の大きな手に振り払われでもしたかのように。

     3
 激痛が、全身を襲っていた。
 痛みと、骨がバラバラになりそうな重たい衝撃とに、ふっと意識を失い掛ける。
 そうならなかったのはただ、新たな激痛のため。
 壁に、全身を叩き付けられたのである。

 がふっ、と悲鳴にも似た呼気が漏れ、そして硬い物が割れ砕ける音。
 赤毛の少女が背中から、その砕かれた壁にめり込んでいた。

 六本しか足のない巨大な蜘蛛の、すべての足がぞわりと一斉に動いていた。
 壁の中に半身を埋め込まれ痛みにもだえている、赤毛の少女へと。
 ぞわぞわと一直線で近寄りながら、とどめを刺そうと前足を持ち上げる。
 そして放たれるとどめの一撃であるが、巨体が故の圧倒的破壊力の餌食になったのは、建物の壁だけであった。

 赤毛の少女、アサキはめり込んだ壁から間一髪で抜け出していたのである。
 自分を真っ二つ引き裂こうと振り下ろされる前足の側面へと、拳を叩き付けてその勢いを利用して。

 アサキの身体は、横倒しのまま地に落ちて転がった。
 く、と呻きながらも素早く立ち上がろうとするが、足元がふらついて転びそうになってしまう。

「大丈夫かよ」

 カズミが、素早く近寄って肩を貸した。

「あ、うん、大丈夫」

 大丈夫といっても、全身がかなり痛い。
 最初の一撃だけで済んだから助かったのだ。
 それと、魔道着の防御力もあるだろうか。

「ったく、ぼーっとしてっから。つうかお前も戦えよ!」

 カズミは、アサキの身体を突き放しつつ、ナイフの柄でこつん頭を小突いた。安堵と怒りの、ないまぜになった口調で。

「ごめん」

 小突かれた痛みに顔をしかめるも一瞬、すぐ気を引き締めて、正面を睨む。
 剣を構える。

 油断していたつもりはない。
 でも、どう考えても油断していた。
 つまりはカズミちゃんの生命も危険にさらすことであり、小突かれて文句はいえない。
 ここはどこだとか、それはあとだ。
 すべては、生きていてこそ。
 もう、自暴自棄になっていた時のわたしじゃないんだ。この生命、大切にしなければ。

 ぞぞっ、ぞぞっ
 六本足の蜘蛛が、二人へと迫る。
 背中から至垂徳柳を生やした、巨大な蜘蛛が迫る。

 既に二人とも身を持って味わった、神の鉄槌の如き巨蜘蛛の破壊力が、再び示された。
 ただし、今度は地に対してだ。アサキとカズミは合図なく散開し、振り下ろされる前足をかわしていた。

 巨蜘蛛の破壊力に、地が砕かれ噴き上がった。

 ぞぞっ
 巨蜘蛛が素早く胴体を旋回させ、アサキの方を向いた。
 散らばった二人のうちアサキを真っ先に捉えたのは、殺害の優先順位、驚異の順位ということだろう。

「舐めんじゃねえ!」

 無害とまで思われたかは分からないが、とにかく小馬鹿にされてカズミは怒鳴る。
 だが、ここで自尊心を云々していたら生命が大量にあっても足りやしない。冷静になり、背後にいる利で巨蜘蛛の後ろ足を二本のナイフで狙った。
 ただ狙っただけに終わったが。
 突然、巨蜘蛛の太い後ろ足が、馬の蹴りさながらに突き出されたのである。

「ぶねっ!」

 ほとんど反射であったが、素早く横へ転がってかろうじて攻撃をかわしていた。
 受けていたら、背後の空気とに挟撃されぐしゃり潰されていたかも知れない。

 至垂の意識は、この通り油断なく。
 ただし、メインターゲットはあくまでアサキである。
 背後に目があるのか後方のカズミをなんなくあしらいながらも、正面ではアサキとの攻防を行っていた。

 巨蜘蛛の前足を、アサキは剣を寝かせてがちり受け止める。

 だが、その剣を飛び越えた上から、リーチを生かした至垂の長剣が振り下ろされる。

 非詠唱、
 アサキは左手から、光を放つ。
 魔法障壁で、襲う剣を弾き返したのである。
 弾き返し、そして、反撃の剣を横へ走らせる。

 だが至垂は、六本の足を器用に動かして、かわす。
 身体を旋回させつつ、後退させて。

「うおわ!」

 相乗効果、後退がそのまま体当たりになって、背後に立つカズミを尻で吹き飛ばしていた。

 ごろり転がり立ち上がったカズミは、

「くそ、なんかバカにされた気分」

 胸を押さえながら、痛みと恥辱に顔をしかめながら、至垂を睨み、舌打ちした。

 至垂の上半身が、くるり、肩越しにカズミを見る。

「きみは、身体が慣れてきたといっていたが、わたしもだよ。何故この身体なのかは、分からないけれど、でもまあ、悪くもない」

 ふふ、
 至垂は笑った。

 カズミは瞬き一つせず、ナイフ構えたままじりじりと回り込んで、こんと誰かと肩がぶつかる。アサキの肩だ。

 そのまま二人は巨蜘蛛と正面きって向き合う。

「油断しちゃダメだ、カズミちゃん」

 肩を並べたついでに、アサキがぼそりと注意を促す。
 先ほどカズミが、背後から後ろ足で蹴られたり、体当たりを受けたりしていたことが気になって。

「誰がするかよ。……つうか、お前がいうな」

 まあ、確かにその通りだ。
 アサキこそ、こんな戦いの中だというのに考え事をして、痛い目に遭ったばかりなのだから。

 二人は、ぴたりと身を寄せた。

 カズミは、ナイフを胸の前で交差させながら、僅かに腰を落とし、身構えている。
 アサキも、剣を両手に強く握って、目の前の敵を睨んだ。

 目の前の敵、至垂徳柳には、油断こそ感じられないが、さりとて緊迫感もない。
 顔には、余裕の笑みが浮かんでいる。
 自分の勝利、絶対優位を疑っていない顔だ。

 アサキは剣を身構えながら、先ほど至垂がいった言葉を思い返していた。
 何故この肉体になっているのか分からない。
 そんなようなことを、確かにいっていた。

 自分の意思で、つまりキマイラであることを利用してパーツの交換を行ったもの。
 そう考えていたのだが、そうではないということになる。

 リヒト所長が、開発した生命体との合成もままならない。ということは、ここはリヒトの研究所ではないといということ?
 それとも、研究所ではあるものの、なにか不測の事態が起きたのか。
 どちらだ。
 または、どちらでもないのか。

 ぞぞっ
 六本足の巨大蜘蛛、その足が一斉に動き、アサキたちへと直進する。

 蜘蛛は通常、八本足である。背から生える人の身の、その両腕を勘定に入れてということだろうか。なにがどうであれ、その姿は異形でしかないが。
 その異形の化け物蜘蛛が、攻勢を強め始めた。

 余裕の笑みが演技ではなかったことを、アサキたちは思い知ることになった。

 避けるだけで精一杯。
 受け止め、受け流すだけで精一杯。
 アサキたちは、あっという間に防戦一方になっていた。

 体格差を運動量でカバーするしかなく、どんどん体力が疲弊していく。

 二対一であり、数の上では優位、という勘定は当てはまらないだろう。
 至垂の方こそ、大型動物を遥かに上回る巨体を持っているどころか、足が六本もある。さらには、巨体の背中からは、魔道着を着た魔法使いの上半身が融合しており、それは剣を持ち、人かそれ以上の知恵を宿し、さらには非詠唱魔法まで使えるとあっては。

「アサキィ!」

 カズミの叫び声。

 アサキの身体が、ふわり空中に浮いていた。
 激しい足払いを、避け損ねたのである。

 尻もちをついた瞬間の、無防備な体制のアサキへと、巨蜘蛛の前足が振り上げられ、振り下ろされた。

「させるかよ!」

 カズミは地を蹴り、巨蜘蛛へと身体を突っ込ませる。
 だが彼女も、全力で飛び込む無防備を突かれて、巨蜘蛛の中足を脳天に受け、地へと叩き付けられていた。

 至垂は、なにごともなかったように作業継続、つまり巨蜘蛛の前足でまだ尻もちついた格好のアサキを襲う。

 く、と呻きながら、アサキはなんとか剣で受け止めた。
 異様に硬く、重たい前足に、剣ごと身体を押し潰されそうになるが、そうなる前に、ごろり素早く横へ転がり、逃れた。

 間髪入れずに、再び巨蜘蛛の前足が、落とされた。

 転がる先を狙われては、かわしようがない。
 また、剣で受け止めるしかなかった。

「うぐ」

 ずしり、凄まじい重量に、仰向けになったまま今度こそ身動き取れなくなった。
 咄嗟に魔法障壁を張り、身体が潰されないよう補強をするアサキであるが、その程度が関の山。障壁の上から、巨大な体躯の重さがずしり、地に寝たまま動くことが出来ない。

 余裕を見せて、何度も痛い目に遭っているからだろうか。至垂には、じわりじわりと痛め付けるつもりは毛頭ないようである。

 無言のまま至垂は、右手に握っている長剣へと左手を翳した。
 翳したぼおっと光る左手を、剣の根本から先端へと滑らせていく。
 エンチャント、武器の魔力強化である。
 術を施し終えると無言のまま、青白い輝きを放つ剣身を、高く持ち上げた。

 巨蜘蛛の前足に踏み潰されている赤毛の少女は、苦悶の表情で必死に重圧を押し返そうとしている。その、赤毛の少女、アサキの首を目掛けて、至垂の構えた輝く長剣が落ちようとする、その時であった。

「うおりゃああああああああ!」

 凄まじい雄叫びが、彼女たちの頭上から聞こえたのは。

 アサキは、薄目を開けた。
 巨大な足に踏み潰され、苦悶の表情を浮かべながら。
 そして、なにかが落ちてくるのを見た。
 自分へ、というよりは、至垂へと。
 巨大な蜘蛛の背から生える、白銀の魔道着を着た、至垂徳柳へと。
 それは叫び、落下しながら、なにかを突き出した。
 槍?
 長い柄の、武器だ。

 くっ、至垂は呻きながら、長い柄の武器を弾いていた。
 アサキの首を両断するはずだった長剣を瞬間的に方向転換させて、頭上から自分を貫こうとしていた長い柄の武器を弾いていた。

 謎の人影は、巨蜘蛛の背の上に着地した。
 弾かれた槍であるが、せめてもの駄賃とばかり巨蜘蛛の背へと穂先を深々突き刺した。

「ぬう!」

 至垂は、怒気を吐くと同時に、長剣を水平に薙いだ。

 謎の人影は、後ろへ跳躍して、その切っ先をかわしていた。
 そのまま空中を舞って軽やかに着地したのは、紫色の魔道着姿、アサキたちの、よく知る人物であった。

     4
 身に纏うは、紫と白銀の魔道着。
 両手に持つは、槍の柄。
 おでこ真ん中で左右に分けた、黒い前髪。

 魔法使い(マギマイスター)(あきら)()(はる)()
 その姿であった。

 彼女、治奈はアサキを守るように立つと、油断なく、槍を水平に持ち、穂先を敵へ向ける。
 巨蜘蛛の胴体から()(だれ)(とく)(ゆう)の上半身が生えている、気味の悪い怪物へと。

「治奈……ちゃん」

 アサキが、震えた声を出す。
 紫色の魔道着、その背中を見ながら。
 誰なのか認識しながらも、突然のことになお呆然とした顔で、夢か現か確かめるように、おずおずとした震えた声を。
 呆然、といった顔が、段々と、じんわりと、笑みへと変化していった。

「治奈ちゃん!」

 もう一度、今度は大きな声で名前を呼んだ。
 名を呼びながら立ち上がったが、がくり膝が崩れそうになる。
 まだダメージが残っているのだ。
 でもよろけつつも構わず頑張って立ち上がり、こぼれる笑顔で治奈の横に立ち、肩を並べ剣を構える。
 嬉しいけど戦闘中なのだ。
 戦闘中だけど嬉しい。だからつい口元がほころんでしまう。

「本当に、治奈ちゃんな……」
「治奈ああああああああああ!」

 カズミの大声に、アサキの声は掻き消されてしまう。

「治奈? 治奈なのか? 治奈なんだよな?」

 肩の痛みに顔をしかめながらも上回る笑みで、治奈をアサキと挟むように立った。

「おう、治奈じゃ。忘れてもらっちゃ困るけえね」

 あえて、ということだろうか、治奈の軽い口調は。
 裏腹、両手に槍を構えたまま、正面の敵へと据えた視線を微塵もそらしてはいない。

「呼ばれずの客が、また一人か」

 目の前の敵、至垂徳柳の笑みが僅か歪んだ。
 巨蜘蛛の背中から生える魔法使いの、男性にも見える粗野と端正の同居する顔が、僅かに。
 それは怒りの色であった。
 漏れ出るは僅かながらも、至垂徳柳は明らかに怒っていた。

 ただし、アサキが感じるのは、なんだろうか、例えば承認要求からの不満などといったところか。
 戦いにおける焦りや、危機意識という、いわば生存本能からの怒りは微塵も感じない。つまり、生死の優位感においては変わらずこれっぽっちの揺らぎもないが、なにかに自尊心を傷付けられてそれに怒っているのである。
 アサキがそう感じただけであり、事実としても至った理由についてなど分かるはずもないが。

 そんなことよりも……

「治奈ちゃん」

 アサキはまた、親友の名前を呼んだ。
 嬉しくて。
 あまりのことにまだ半信半疑ではあるが、でも嬉しくて。

「再会を喜ぶのはあとじゃけえ。そがいなことより、あいつを倒さんことにゃ始まらんのじゃろ!」

 あっさり、たしなめられてしまったが。
 たしなめられながらも、それによりアサキはほっと安堵していた。

 この言葉遣い、間違いなく治奈ちゃんだ。
 最後に会ったのが、数分前なのか何年も前なのか、感覚がぐちゃぐちゃだけど、とても懐かしい気持ちだ。
 こんなところで、こんな時に再会したから、というだけかも知れないけど。

 アサキは改めて敵を見る。
 いや最初からそらしもしていないが、意識を改めてしっかりと向ける。
 前にそびえる怪物巨蜘蛛、背から至垂徳柳の身体が生える異形の姿へと。

 そして、胸に呟く。

 とにかく、こうしてわたしたち三人が、揃ったんだ。
 負けられない。
 絶対に。
 なんとか活路を切り開き、そして、ここがなんなのか、どこなのか、わたしたちは何故ここにいるのか、なにをすべきなのか、それをつきとめるんだ。

     5
 がちっ、
 硬い物がぶつかり合う音と共に、弾き飛ばされていた。

「うわ!」

 飛ばされたのは単純に軽い方、アサキの身体である。
 白銀の魔法使い()(だれ)の、頭上からの長剣をかわした瞬間を、巨蜘蛛の前足に真横から襲われたのだ。
 それもなんとか剣で受けたが踏ん張り切れず、踏ん張り切れなかった以上は力も勢いも関係なく、質量重量の絶対差には勝てず、そのまま空中へ身を運ばれてしまったのだ。

 だが、無防備な状態で背を壁に打ち付けられる寸前、

「っと!」

 カズミが横から、アサキへと軽い体当たりで軌道を変えつつそのまま抱きかかえた。壁で膝を曲げて威力相殺、抱きかかえたまま着地した。

「あ、ありがとうカズミちゃん」

 下ろされ、地に立ち、礼をいうアサキ。
 カズミは無反応、というか意識はもう至垂にしか向いていなかった。

「くそだらああああ!」

 青い魔道着を着たポニーテールの少女、カズミは雄叫び張り上げ、二本のナイフを持ったまま、頭から足先までを軸に身体を回転させ、巨体へと飛び込んだ。

 巨蜘蛛は、二本の前足を寄せて自らのの胴体を守ろうとするのだが、

 カズミは激しく回転しながらも、器用にその前足を蹴って軌道修正、巨蜘蛛の背から生える白銀の魔道着へとガリガリ削るように切り付けた。

 それがなにか? といわんばかり、長剣で防御する至垂であるが、その表情が、ふと僅かに変化した。
 白銀の魔道着、その背中に、槍が深々と突き刺さっていたのである。

 治奈の槍。
 蜘蛛の背に乗った治奈が、短く持った槍を背後から突き立てたのである。

 カズミに意識を集中させての、一種連係プレー。至垂の身体は貫かれて、穂先が背を突き抜け胸から飛び出した。

 して、やった。
 して、やられた。
 そんなシチュエーションであるはずなのに、しかし次の瞬間、至垂の表情は、完全元の通り余裕の笑みへと戻っていた。

 治奈の顔に不信感が浮かんだ。
 と、その時には身体が浮かび上がって、くるんと回転して地面いや巨蜘蛛の背に背中から叩き付けられていた。
 そのままごろり地へ落ちた治奈は、すぐさま後ろへ飛びのきつつ槍を身構えようとするが、手になにもないことに気付き舌打ちする。

 なにが起きたのか。
 巨蜘蛛が、背の上にいる治奈を払ったのである。
 異様な柔軟性を見せ、自らの中足を使って。
 それだけではなく、至垂が身体を大きく捻って、自らを貫いている槍の柄で治奈の身体を弾き飛ばしたのである。 

「返すよ」

 いったい、どんな筋肉の使い方をしたものか。
 至垂の胸から突き出ている穂先が、触れてもいないのに、ずるりと引き出されていた。
 と、突然、胸から鋭く噴出されて、槍の持ち主である治奈の顔面へと飛んだ。

 身体を捻ってかろうじてかわす治奈の、頬を穂先がかすめた。
 かわしながら、空中にある柄を掴み取って、

「自分の武器でやられちゃ世話ないじゃろ」

 安堵のため息に似た、小声を呟いた。
 槍の柄には、至垂の血液体液がこびりついており、気付いた治奈は不快げに眉をひそめた。

 ふふ、と笑う至垂の、既に背の傷も、胸の傷も、治癒が始まってほとんど塞がっていた。

「ヴァイスタか、てめえは!」

 至垂へとナイフで切り掛かりながら、カズミは、毒づく台詞を吐いた。

 もちろんヴァイスタではないが、それを相手にする以上に、三人にとって不利な状況であるといえた。
 非詠唱魔法を使える魔道器魔法使いが、怪物と合体している。
 ただそれだけでも厄介であるというのに、脳も複数あるということなのか、状況判断も的確。
 傷を受けてもこの通り非詠唱ですぐに回復してしまう。

 ヴァイスタ同様に致命傷さえ与えればよいのだろうが、至垂は自らの身体を制御する術にどんどん慣れてきており、先ほどの治奈の槍以外に、これといったダメージを与えることも出来ない。

 アサキ、カズミ、治奈、せっかく三人が揃ったというのに、戦況は一向に有利には運ばなかった。

「また、助っ人がこねえかな。第二中のチャラ子どもでもいいから……」

 強がりと弱がりの混ざった、こんなカズミの愚痴が漏れるのも仕方ないことなのだろう。

「そんな都合のいいことなんか起こるはずないよ」

 冗談なのは分かっているが、それでもアサキはいわずにいられなかった。

 ここに、わたしたち三人がいることだって、奇跡なんだ。
 それ以上、恵まれたことなんかあるものか。
 苦境は、自分たちで切り開くんだ。

 そう強く思い、剣を強く握るアサキ。
 カズミというより、自分の心をこそ叱咤して。

 だが、ここで思わぬことが起こる。
 思わぬというべきか、思ったことというべきか。
 拍子抜けするほどにあっさりと、カズミの願いがかなったのである。
 いや、まだ助っ人かどうかどころか、敵かも分からないが、とにかく新たな人物が現れたのである。

「ここにいましたか」

 柔らかく、丁寧な口調でそういうのは、少女であった。
 緩くウェーブが掛かった、ブロンド髪。
 ふんわりゆったりした、真っ白な服を着ている。
 初めて見る、小柄な、少女の姿であった。

     6
「ここにいましたか」

 ふんわり、ウェーブの掛かったブロンド髪。
 同じくふんわりした、あまりにふんわり過ぎてズボンかスカートかも分からない純白の服。
 まだ小学生といっても不思議のない、小柄な、あどけない顔の、でも妙に落ち着いた雰囲気の、少女。
 その口から発せられた、言葉であった。

 ここにいましたか、とは誰に向けたものだろうか。

 アサキは、彼女の目を見る。
 視線から探ろうとしたのだが、まったく分からなかった。

 彼女、ブロンド髪の少女の顔は、ここにいる全員へと、なんとなく向けられてはいるものの、誰に対しても、はっきりとした視線が向けられていないのだ。

 だが、
 知っていたのだろうか。
 ()(だれ)(とく)(ゆう)は。
 この事態を。
 この出会いを。
 分かっていたということなのだろうか。

「待っていた!」

 ぞぞっ、ぞわっ
 嬉しそうに顔を歪めたと同時に、土台たる巨蜘蛛の身体が動き出していたのである。
 真っ直ぐと、ブロンド髪の少女へと。
 そして、先端の尖った巨大な前足を、斜め上から叩き落としたのである。

 確実に身を引き裂かれていたはずである。
 もしもブロンド髪の少女が、そこに留まっていたならば。
 つまり攻撃は当たらなかったわけであるが、では少女はどこに? 至垂のすぐ後ろであった。
 すぐ後ろに、なんの構えもせずただ立っていた。
 先ほどと同様に素手のまま、警戒した様子は微塵もなく。

 一体、いつ移動をしたのだろうか。
 それとも身体が透けて、巨蜘蛛の突進が通り抜けたのだろうか。

 なにを思ったのかそれとも脊髄反射か、至垂が次に取る行動は早かった。

「けえええええ!」

 驚きも焦りもなく、ただ、より愉悦に顔を歪めて、長剣を振り下ろしたのである。
 蜘蛛の巨体はそのまま、背から生える上半身だけを振り向かせて、振り向きざま少女の胸へと。

 空気を切り裂くかの一撃であったが、当たらなければなにもない。
 少女は、ほんの僅か、自らの身を引いて、切っ先をかわしていた。
 紙一重で鼻先をかすめるが、少女の顔には怯えも怒りも焦りもなにも浮かんでおらず、おだやかな涼しい表情のままである。

 ぞぞっ
 巨蜘蛛の六本足が、前へ詰めようと動き出す。
 だが、前へと進み出すよりも先に、

 少女の方が、自ら間隔を詰めていた。
 至垂へと、密着していた。

「なあーーーー」

 至垂の顔に、今度こそ驚きと焦りが浮かんでいた。
 奇妙な声を発しているその顔が、下から照らされて陰影がくっきり浮かび上がっていた。

 下から照らす、その光源とは、少女の手であった。
 巨蜘蛛へ触れようと伸ばす、幼く小さな右手が、白く輝いていたのである。

 輝く手のひらが、巨蜘蛛の胴体に、そっと触れた。

 その瞬間、竜巻に飲み込まれたかのように、回りながら高く舞い上がっていた。巨蜘蛛の巨体が、背から生える白銀の魔法使いごと。
 それは二十メートルほどの高さで、ぴたりと、止まった。
 ほんの、一瞬だけ。すぐ重力に引かれ、胴体逆さまのままで落ち始めた。
 地へと激突、爆発、ぐらぐら地面が揺れ、周囲が噴き上がった。
 凄まじい重量の激突に地面の舗装素材が砕け、石つぶてや砂と化して吹き飛んだのである。

 もうもうとした煙が晴れると、舗装路が砕け大きく陥没している中、巨大な六本足蜘蛛が埋もれている。
 腹を上にして、ぴくりとも動かず。

 衝撃にここまで地形の変わるほどの、巨大物が落ちたのだ。
 しかも背中から落ちたとなれば、その背中から生えている至垂徳柳の上半身は、おそらく無事では済まないのではないか。

 その、半ば埋没した巨蜘蛛の前に、少女は立つ。
 ふんわりしたブロンド髪の、ふんわりした白い服を着た、幼くやわらかな顔をした少女。
 目の前に展開される凄惨な光景は自分のやったこと、という自覚が、あるのか、ないのか。前髪に隠れていることもあって、どこを見ているのか視線がよく分からない。
 ただ、なにかを思ったようではある。
 その口元に、わずか笑みが浮かんでいたからだ。邪気をまるで感じない、さわやかな笑みが。

 そして、消えていた。
 笑った? と、その口元にアサキが意識を取られたのは、ほんの一瞬であるというのに、いつの間にか少女の姿は消えていた。
 まるで、風に溶けたように。

     7
「なんだったんだ……あいつは」

 呆然覚めやらぬ、といった表情、口調のカズミである。

 (はる)()、アサキも、やはり夢か現かという表情で、やり場なくただ正面を見つめている。

 そうもなるのだろう。
 起きたこととしては、自分たちの敵である()(だれ)(とく)(ゆう)を、白服の少女が代わって倒してくれた、という、ただそれだけであるが細々が様々と奇異であるためだ。

 一体、何者であるのか。
 そして、特筆すべきはその戦闘力。
 アサキたちが三人掛かりで苦戦していた至垂を、ただの一撃で倒してしまったのだから。
 まだ幼く見える少女がたった一人で、しかも素手であったというのに。

 もし味方ならば心強いが、至垂を倒したからといって敵の敵は味方が当てはまるかは分からないため、警戒は必要なのであろうが、

 しかしアサキたちには、分析する時間や悠長に考えている余裕などはなかった。

 おおおおおお
 低い唸り声、そして地響き。ぐらぐら地が揺れる。

「まさか……」

 アサキが、地に埋もれた至垂を見るが、そこに至垂は存在しなかった。陥没した中に腹を上にして半分埋まっていたのに、ただそこには舗装の砕けた大きな穴が空いているだけだった。

 空中だ。
 至垂を背から生やす巨大蜘蛛は空中、高く跳んでいた。
 背の力だけで、地を叩き付けて跳ね上がったのだろう。
 落下しながら、くるり器用に巨体を反転させて六本の足で着地すると、また地面が吹き上がりぐらぐら激しく揺れた。

 巨蜘蛛の背の上には白銀の魔道着を着た至垂の身体があるはずであるが、現在その姿はどこにも見えなかった。
 自重に潰された?
 いや、存在している。巨蜘蛛の背中に、埋没していた。
 深い穴から抜け出すように、自身が埋没している縁に手を掛けて、がうう、と唸りながら、至垂は自らの身体を外へと引き出した。
 背骨も肋骨も、骨という骨が折れているのだろうか。筋力に任せ自らを引き出したはいいが、上体を立てることが出来ずにおり、腕の力だけでなんとか身を起こそうとしている。
 骨が折れているのみならず、身体も潰れに潰れ、皮膚も裂けに裂け、ぐちゃぐちゃの酷い状態だ。先ほどアサキが投げ飛ばした時の、比ではないくらいに至垂の身体が砕けている。

 その、なんともおぞましい姿に、アサキは思わず息を飲むが、だが次の瞬間には叫び声を上げて前へ、至垂へと、走り出していた。

 あの白い服の少女が、また現れるかなど分からない。
 そもそも、味方であるかも分からない。
 ならば自分たちが戦うしかないのだ。
 唖然呆然としてばかりなど、いられない。
 卑怯だなどとも、いっていられない。
 この場を、生き残らなくちゃならないのだから。

 戦うことにあまり乗り気になれず、相当な甘さを見せていたアサキであるが、ようやく本気になっていた。

 同じことを考えていたのか、合図もなく治奈もカズミもほぼ同時に走り出していた。

 ぐしゃぐしゃに潰れた至垂の上半身を背中から生やしながら、巨蜘蛛の身体が後退する。
 まるで、踏まれた路上の雑草のような至垂の身体であるが、その姿が急速に戻りつつあった。
 傷が癒え、潰れていた身体がむくむくと膨らんでいた。
 非詠唱魔法で、自らを修復しているのだ。

 だが、

「させねえんだよ! ザイシュネイル・ウォンシュ……」

 カズミの、素早い呪文詠唱。

「超魔法グォウゼエグジブロジオム!」

 技名を叫びながら強く地を蹴った。
 両手にナイフを握ったまま巨蜘蛛へと跳ぶ。
 全身が、青白い光に包まれていた。
 頭から足先までを軸に猛烈な速度で回転をしながら、巨蜘蛛へと輝く身体を突っ込ませる。

 超魔法とは、魔力消費量が激しい分だけ威力も凄まじい上級魔法だ。
 ここぞという時、とカズミは判断したのだろう。
 だが、術者であるカズミがまだ完全に覚醒していないということか、半死半生と思われる至垂にまだまだ余裕があるということなのか、その超魔法は巨蜘蛛の胴体を切り裂くことは出来ず水際で受け止められていた。
 二本の前足で、ガードされたのである。
 がりがりと、ぐちぐちと、激しく削ってはいるようだが、四肢では致命傷にならずすぐに回復されてしまうだろう。

 回転をやめて、いったん地に足を着けたカズミは、

「くそあらあああ!」

 絶叫しながら再び地を蹴って、両前足の間に肩を突っ込ませた。
 強引に胴体部へと割り込んで、肩で体当たりをした。
 どおん、
 低い音、巨蜘蛛の身体が起き上がり、巨大な腹部が見えていた。

「とどめだあ!」

 叫びナイフを腹部へ突き立てようとするカズミであるが、中足を闇雲に振り回す必死の反撃を受けて、地に叩き付けられてしまう。

 だが、まだ終わりではなかった。

「超魔法グォウゼエグジブロジオム!」

 今度は治奈の叫び声。

 巨蜘蛛の腹部が、ほのかに青白く照らされる。
 治奈が、自らを青白く輝かせながら、飛び込んでいたのである。
 地に作り上げた魔法陣を蹴って、両手に槍を握り、全身に魔力を纏いながら。

 次の瞬間、槍の穂先が巨蜘蛛の腹部へ深々と突き刺さっていた。
 うぐあっ!
 蜘蛛の背から生える至垂の顔が苦痛に歪む。

 至垂は、なにやら喚きながら、巨蜘蛛の中足で槍を引き抜き投げ捨てた。
 無防備な姿勢を元に戻して前足を着くと、その衝撃にまたぐらぐら激しく地面が揺れた。

「なんということだ……」

 蜘蛛の背にへばりつきながら、白銀の魔法使い至垂は、視線を左右に走らせて追撃を警戒する。
 なんの意味もないことだったが。
 何故ならば、 

「超魔法グォウゼエグジブロジオム!」

 既にアサキが飛び込んで、両手に握る洋剣を打ち込んでいたからである。
 地に描いた魔法陣を蹴って、雄叫び張り上げ全身を青白く輝かせながら、至垂の、まだ回復しきれていない上半身へと。

「りょおどおおおおおおおおおおお!」

 断末魔にも似た呪いの言葉を吐きながらも、やはり至垂は恐ろしい怪物であった。
 まだまるで治っていない瀕死の上半身であるというのに、超魔法を使うアサキの突進を長剣で受け止めたのである。

 鍔を、迫り合う。
 といっても、それはほんの一瞬だった。

 怪物至垂も限界がきていたか、アサキがあっさり押し勝って、こうして三度、巨蜘蛛の巨体は空中へと舞い上がったのである。

 だけどもアサキは追撃の手を緩めない。
 再び足元に魔法陣を作り、蹴って、巨体を追って高く跳んだ。

 空中で、一閃、二閃と洋剣の切っ先が走り、都度、太い悲鳴が空気を震わせた。
 それは至垂の絶叫であった。
 そして巨蜘蛛は、三度、地に落ちたのである。
 低く激しく、地を揺るがしたのである。

「これでっ、とどめじゃ!」

 アサキに続こうと、治奈も槍を持ったまま魔法陣を蹴って高く跳んだ。
 落下しながら槍の柄を両手に握り直し、ひっくり返っている巨蜘蛛の腹部へと狙いを定めて、深く突き刺した。
 いや、そう見えた瞬間、じたばたあがく巨蜘蛛の足に身体を横から殴られて、

「あいた!」

 地面へと、身体を叩き付けてられていた。
 恥ずかしそうに顔を赤らめながらも治奈はすぐ起き上がり、槍を構えた。

 生じた僅かな隙に巨蜘蛛がごろり身体を横転させて、態勢を立て直した。
 背から生える白銀の魔道着、至垂の表情からは、もう余裕は完全に失われており、あまりの損傷と疲労とに顔色を蒼白にし、悔しげにぎりぎりと歯軋りをしている。

「わたしも……学ばねばなるまいな。(ことわり)、というものを」

 歯軋りと、ぜいはあ荒い呼吸の中、至垂は自分にいい聞かせるように言葉を絞り出す。

(りよう)(どう)くん、わたしにとってきみはもう用がないどころか百害千害の存在だ。覚えておくといい。今度は必ず殺す」

 なんの魔法かぱっと真っ白な閃光が生じ、突然の明暗反転になんにも見えなくなった。

 ぞぞっ
 と、地を擦る音に、

「待ちやがれ!」

 大きな声を張り上げるカズミであったが、しかし眩しさ残光の中、既に巨蜘蛛の姿はどこにも見えなかった。
 遠くから、高らかな笑い声が聞こえるばかりだった。

     8
 戻った暗闇の中に立っているのは、三人の少女である。

 ティアードブラウス、膝丈タータンチェックのプリーツスカート。
 赤い髪の毛に包まれた顔は大人になり掛けながらもまだ多分に幼いところの残っている少女、(りよう)(どう)()(さき)

 紺色のジャンパースカートは、ベスト部分が大きい作りで、中には白いブラウスが覗いている。スカートは短いがロングソックスなので露出はあまりない。おでこで左右に分けた黒髪がさっぱりとした印象を与える、(あきら)()(はる)()

 薄桃色のシャツに、デニム生地のミニスカート。
 茶色い髪の毛をポニーテールにしており、可愛らしくもあるのだがなんともきつい顔立ちなのが、(あき)()(かず)()である。 

「無事で、よかったよ」

 カズミは、両腕を回して治奈を抱き締めた。照れくさいのか、ちょっと怒ったような顔で。
 でも、照れている割には言葉も態度もなんだか妙に素直だったが。

「カズミちゃんもな。……まあ、殺しても死なんじゃろとは思っとったがの」

 治奈も両腕を伸ばして、友の身体を抱き締め返した。

 笑みを浮かべながら、十秒ほどもそうしていただろうか。

 どちらからともなく、離れると、

「アサキちゃんもな。よく、無事でおった」

 今度は治奈が、アサキの身体を抱き締めた。

「うん」

 それだけいうとアサキも、治奈に密着して背中に腕を回した。
 ぎゅっ、と強く力を入れた。

 二人は確かな温もりを感じ合った。

「生きていて、くれた。……カズミちゃんだけでなく、治奈ちゃんまでも。……それとも夢、だったのかな? これまでの、たくさん、辛いことばっかりあったのは、わたしの、夢、だったのかな?」

 アサキの目に、涙が滲んでいた。
 
「夢なんかじゃねえよ」

 抱き合う二人の横に立ったカズミが、二人の肩を優しく叩いた。

「治奈とあたしは身体がどろどろに溶けちまって、お前も至垂に首だけにされて頭も半分砕かれていたよな。みんなでそんな夢を見るなんてあるか? それがどうして五体満足なのかは知らねえけど、でも、夢なんかじゃねえんだよ」
「うん。……そうだね」

 アサキは治奈から身体を離し、カズミの顔を見ると小さく頷いた。

 そうだ。
 これは現実。
 すべて現実だ。
 過去も、現在も、ここでこれから経験する未来もきっと。
 リヒトの支部で戦ったことも、第ニ中のみんなや(しゆう)(いち)くんと(すぐ)()さんが殺されたのも。
 みな、現実なんだ。

 でも、でも……
 でも、

「でも、生きて、いた。治奈ちゃん、カズミちゃんは、生きて、いた……生きて、いる。よ、よかった。そっ、それ、それだけでもっ、うくっ、よ、よ、よかっ……」

 もう、言葉にならなかった。
 アサキのは泣き出していた。
 真っ暗な空を見上げて、まるで幼児のように、わんわんと声を出して泣き続けるばかりだった。

     9
「至垂のクソ野郎! 河馬みたいな蜘蛛みたいな、あんなみっともねえ化け物の姿になってまでアサキに執着しやがって!」

 吐き捨てるように怒り恨みをぶちまけているのは、茶髪ポニーテールの少女カズミである。

 先ほどの戦いでは、至垂一人に三人掛かりで圧倒されたのだ。腹立たしくてならないのだろう。

「執着といっても、もうわたしを利用しようとかではなく、わたしを真っ先に殺そうとしていたね」

 そういうのは赤毛の少女アサキだ。
 落ち着いている表情であり声であるが、先ほどまではわんわん大泣きしていたためまだ目が真っ赤である。

「本人もゆうとったからのう。もう用はないと。……ん、えっ、ということは、至垂は目的を、果たした? ということは、まさか、ひょっとして、ここが……」

 青ざめ深刻な表情になる治奈、のおでこをカズミがデコピン。ビシリと痛そうな音が響いた。

「あいたっ!」
「ここが『絶対世界(ヴアールハイト)』なわけねえだろ。こんな、SF映画のセットみたいな、人っ子一人いねえとこがよ」
「ほうじゃからってなんで、うちのおでこ思い切り弾くんよ! 死ぬかと思うたじゃろ! ……ほいじゃあ、そがいな世界など存在しないと諦めたのじゃろかね」
「分かんねえよ。なんか別の野望を抱いたのか」
「なんであれアサキちゃんに利用価値を感じなくなった。となった以上は、野望の邪魔でしかない、と。……アサキちゃんは、天下一の魔法使い(マギマイスター)じゃからのう」

 などと二人が話していると、聞いていたアサキはちょっと顔を赤らめて、

「わたしなんか、そんな、大したことないよ。まだ新米だよ」

 と、謙遜をした。
 ドレッドノート超級の、それは凄まじいレベルで。

「……加えてなんだか、身体が重たくて、思うように動かなくて。……しっかり動けたところで、でもわたしなんか大したことないけど」
「謙遜も過ぎると嫌味だぞ。でも確かに、身体が重いっつうか、違和感が半端じゃないんだよな。……だからさっきの話、意外と本当でさ、何千年も何万年も眠ってたんじゃねえのか、あたしたち」
「なんのことよ」

 治奈が尋ねる。
 まだ合流したばかりで、さっきの話といわれても分からないのだ。

「いや、ここSF映画のセットみたいな、未来世界みたいなとこだからさ。……もしかしたら本当に未来で、とてつもない長さの眠りから目覚めたばかりだから、身体が動かないんじゃないか。って、さっきアサキと話してたんだ」
「ああ、ほうじゃね。確かにうちも、なんだか身体が馴染んでいない感覚があったかのう。あ、違和感といえば、あれじゃろ、二人とも、ひょっとして耳の聞こえもおかしいじゃろ? 鼓膜で聞いていない感じとでもいおうか」
「もう耳の話題は古いんだよ! 散々に出尽くしただろ」
「うちは、こうして話すの初めてじゃ!」

 微妙に噛み合わないやり取りに、治奈が顔を赤くして声を荒らげていると、

 ぷ、
 とアサキが吹いてしまう。

 なにが面白いというわけでもない。
 ただ、少しだけ、知ったる過去が戻った気がしただけ。
 悲しみが癒えるわけではなかったが。

「まあ、とにかくさあ、今後のためにあたしらが考えるべきは……」

 カズミは、どっかと地面へ腰を下ろすと、ミニスカートであるのも気にせずあぐらをかいた。

「足を開くな!」

 秒も掛からず治奈の注意を受けるが、ポニーテールは気にしない。

「だって、ここベンチないんだもんよお」

 のんびりしたものである。

「ほじゃけど……ほじゃけど、いまスカートじゃろ!」
「でもここ誰もいねえじゃん」
「誰も、ってその二つの目は節穴かあ!」

 あまりに女子を捨て過ぎている言動に、治奈は当然呆れ果てながらも、より声を荒らげてしまう。

「いいじゃんいいじゃん。お客様サービスしときますわあん」

 あぐらかいたまま裾を両手で掴んでカズミ、ばっさばっさ広げたり縮めたりするものだから、当然のこと中身が丸見えだ。

「自分からめくるなああああ!」

 こうしてついに、カズミの頭にどっかん原爆いやゲンコツが落ちたのだった。

「つうう、いってえなあ。いたいけでか弱い女子に、なにすんのよお」
「アサキちゃんの巨大パンチを落としてやりたいとこじゃ! そもそも、いたいけな女子が、いきなり人にデコピンするか!」

 ったく困ったカズミちゃんじゃ。と、なおぶつぶつ小言をいっている治奈。

 その様子に、またアサキはぷっと吹き出した。
 が、すぐに顔を真面目に戻して、

「そういえば、治奈ちゃんもやっぱり、気が付いた時はこのビルの中だったの?」

 尋ねた。
 ねじれ歪んだ妙な形状の建物へと視線を向けながら。

「ということは、アサキちゃんたちもか。気持ち悪いのが天井からぶらぶらしとる、明るいのか暗いのか分からん部屋の中でな。気付けば、ぼーっと天井を見つめておった」
「わたしたちと、おんなじだ」
「明るいのか暗いのかというのも、なまじ魔力の目が効いていたからそう感じただけで、結局そこは真っ暗闇だったようじゃ」
「そうなんだよ、わたしまだ魔力の目のコントロールが上手じゃないから、切って試すこと出来なかったけど。光の、まったく入り込まない部屋で」
「部屋だけじゃのうて、おそらくここもじゃろな。ぶち気持ちの悪い話じゃけど」
「やっぱり、そうだよね」

 アサキは頷いた。
 建物の中ならいざ知らず、屋外すらもまったく光源がないということに。
 まさかとも思っていたが、治奈までがそういうのだからもう間違いないことなのだろう。

 もしわたしたちが魔法使いでなかったら、完全に盲目と同じだったな。
 アサキは、思った。

 魔力の目があってよかったけど、でもこの気持ち悪さはまた別だ。
 人の作った建物があるというのに、そしてここは外なのに、光がまったくないだなんて。
 どうなって、いるんだ。

「そうなってくるとさ、ここはどこか、って話だよな」

 カズミは腕を組んで、難しい顔で考え込んだ。まだ地べたにあぐらかいたままで。

「やっぱりリヒトの基地ん中で、すべては立体映像とか。または、現在か遠い未来か分からねえけど、太陽も星々もすべて吹っ飛んで消え去った世界。または、誰かが見てる夢の中とか。または、魔法的な力で幻覚を見せられている、もしくは、結界に閉じ込められている。それか、ここは異空みたいな別次元、または……」
「よう矢継ぎ早に想像が出るけえね。……うちはまだなんにも考えられん。ただ怖いだけじゃ。魔力の目で物体の認識は出来とるとはいえ、か弱い娘が真っ暗闇に三人きりで。どこに至垂が潜んでおるかも、分からんしのう」

 治奈は薄ら寒そうに自分の身体を両手に抱く。

「か弱い娘って……。しかしその至垂の件だけど、お前、よくああもどんぴしゃタイミングよく現れたなあ」
「うん。それは、さっきの話に戻るんじゃけどな。真っ暗な部屋で、目覚めたいうたじゃろ。ほいで、わけ分からぬまま壁を手探りしていたら、扉が音もなく開いてな」
「あたしもだよ。扉がぶっ壊れてて閉じ込められていたのは、アサキのバカだけだ」
「部屋を出て、エイリアン出そうな気持ち悪い造りの通路を、うねうねうろうろしている間に、とてつもない音が、骨にガンガン響いてきての」
「ああ、外へと出たら、あたしらが至垂と戦ってたってわけだ」

 カズミはうんうん頷いた。

「劣勢のようじゃったから、急ぎ変身してな。こっそり屋上に上ってな。一撃必殺の槍を、狙っとったんよ」
「あんまり役に立たなかったけどな」

 ははっ、とカズミの乾いた笑い。

「仕方ないじゃろ! 奇襲の効果は、最初の一撃目にしかないんじゃから」

 そして、それをあっさり避けられてしまったのだ。
 元々が圧倒的強さの至垂が、さらに別生物と合体してより強力になっているので、仕方がないことではあるのだが。

「まあ、あいつ、本当に手強かったからな。でも……キマイラだからってことなら、こっちも無敵のキマイラが一人いるはずなんだけど」
「ごめん」

 アサキは、ぼそっとした声で謝った。
 責められているわけでないのは分かるが、でも自分がふがいないせいで、カズミたちの生命を危険に晒したことに変わりはないからだ。

「お前は、強くなることにまるで興味ねえもんなあ。それどころか、大ピンチだってのに、超魔道着も着ねえんだもんな」

 カズミは苦笑した。

 慣れていないし、どうであれみんなと同じ魔道着で戦いたい。そんな理由でアサキは、元々メンシュヴェルトから支給されていた汎用の魔道着で至垂と戦っていたのだ。

「ごめん……」
「謝んなっていったろがあ!」

 ぶあっ
 アサキのスカートが、下から地下鉄の風を受けたかのごとく、猛烈全開にめくれ上がっていた。

「ああああああああ!」

 アサキは前屈みになって、両手でスカートを押さえ付けた。

「カズミちゃん! なにするの!」
「謝ったら、めくってパンツ下ろすっていったろが」
「いわれてないよ、そんなこと!」

 もう謝るなとは、確かにいわれたと思うが。
 こんなことをされるだなんて、聞いていない。

「うるせえ、次は本当にパンツ脱がすぞ。ってアサキのお子様パンツのことなんか、どうでもいいや。……なんの話してたっけ? ああ、そうだ、至垂が強かろうとも、こっちは、そのお子様パンツのキマイラ様とあたしたち……」
「どうでもいいならいわないでよ」
「お こ さ ま パンツと、あたしたち精鋭の魔法使いが二人だ。悪かない戦力のはずなんだけどな。でもあの野郎も、あ、いや女だったんだよな、でっけえ怪物と合体して、すげえ化け物になってたから、苦戦は仕方ねえのかな。……でも、次に会ったら絶対にぶっ倒すけどな」

 地面にあぐらかいたまま、ぽきぱき指を鳴らした。

「でも、ほんまのところ、さっきのあの子が現れんかったら、うちら危なかったのう」

 治奈のいうさっきのあの子とは、白服を着たブロンド髪に幼な顔の少女のこと。
 アサキたちが至垂一人に苦戦していた時、ふらり現れて助けてくれた。
 至垂を、一撃の元に吹き飛ばしたのだ。
 そこだけを取って味方といえるかは、分からないが。
 姿を見るなり襲い掛かった至垂を、撃退しただけともいえるからだ。

「そうだね。あの女の子は、なんだったんだろうね」

 アサキは、真っ黒な空を見上げ、考える。
 でも、目で見た事実以上のことは、想像すら出来なかった。

「魔道着は、着てなかったよな。あのふわっふわっした服が、新型とかでない限り。……じゃあ、この研究所での実験体なんじゃねえの?」
「この研究所とは?」

 治奈が問う。

「いや、そうかは分かんねえけどさ。ここ実はリヒトの研究所なんじゃねえの、って話を、さっきしてたじゃんか」
「さっきから、カズミちゃんとアサキちゃんだけのやりとりを、さも当然のこととして話されても困るわ。……味方をしてくれたのじゃから、まあ少なくとも敵ではない、ということじゃろ」
「いや、敵の敵というだけかも知れねえだろ。……なんか焦点定まってない、アサキよりガキくせえ顔のくせして、妙に落ち着いた笑みを浮かべててさ。いずれにせよ、マトモじゃない気がするね、あたしは」
「でもさ……」

 アサキが会話に割り込んだ。
 ガキくさい、などといわれたにもかかわらず、口元は嬉しそうに、少し緩んでいる。

「なにがなんだか、まださっぱり分からない。けれど、わたしたち三人が、こうして揃ってさ……なんとか、なる気がしてきたね」

 ふふっと笑った。

「はあ?」

 カズミはあぐらをかいたまま、唖然とした表情になった。
 でもすぐに、笑みに変わっていた。
 笑みといっても、苦笑であるが。

 地に手を付いて、ようやく腰を上げると、アサキへと右の拳を突き出した。
 真っ直ぐ、ゆっくりと。

 アサキも、腕を伸ばす。
 こつん
 二人の拳が触れて、ぴたと密着した。

 治奈も横から腕を伸ばして、自分の拳をくっつけた。

 三人は、腕を伸ばしたまま、拳で触れながら見つめ合った。

 それぞれの顔に、笑みが浮かんでいた。
 揺らぎのない、信頼に満ちた、笑みが。
 ちょっと、照れくさそうに。
 でも、心地よさそうに。

 だけど……
 その表情は、僅か数秒しかもたなかった。

 険しい表情へと変わっていた。
 三人の顔が一斉に、ぎろり、なにか気配を探ろうとする顔に。
 でも、探るまでもなかった。
 気配の方から、三人へと突っ込んでいたのである。
 目にも止まらぬ速度で、魔力の目ですら追い切れない、影が。
 一番近くということか、その影は治奈へと飛び込んでいた。

 くっ
 と微かな呻き声を発しながら治奈は、反射的に素早く身を引いて避けた。

 影は速度を一切落とすことなく方向転換をし、今度はアサキを狙った。

 アサキも、横へステップを踏んで紙一重でかわす。

 と、
 ぐらり、影がふらついた。その速度が鈍った。
 アサキがかわしざま、右の手刀を見舞っていたのである。
 盲滅法に手を振るったというだけで、どこかを狙ったものではなかったが。
 ただ、クリーンヒットではなかったものの、ふらつかせるには充分なようであった。

 そして、アサキたちは影の正体を見たのである。

 ふわふわとした服を着た先ほどの少女が、前髪の中から睨んでいるのを。

「くそ、やっぱり味方なんかじゃなかったか!」

 カズミは舌打ちし、魔道着へ変身しようと両腕を振り上げた。

「いや、カズミちゃん、違う!」

 治奈の叫び声に、カズミとアサキ二人の目が驚きに見開かれていた。

 確かに治奈のいう通り、違っていた。
 先ほどの、白い服を着たブロンド髪の少女とは。

 顔は、双子ではないかというほどに似ている。
 だが髪は黒く、ふわふわとした服も黒い色だ。そのせいなのか地色なのか、肌の色だけが妙に白く見える。

 先ほどの少女とは、また別の少女であった。 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

感想を書く

この話の感想を書きましょう!




 
 
全て感想を見る:感想一覧