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ヤツカダキ恋奇譚

作者:わに
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伍日目(2)


目が覚めた後も、外は嵐の最中にあった。疲労と充足感に満ちた体を起こして、閉ざされた窓から視線を外す。
傍らで寝息を立てる狩人は、今までの荒々しさとは打って変わって穏やかで安らかな寝顔をしていた。普段は防具で隠されている黒髪にそっと指を潜らせる。
長くを小屋で過ごしたからか、乾いた髪は少し硬く纏まっていた。釣られるように自分の白髪に手を伸ばして、触り心地の違いに驚く。
……オオナズチは「人の姿に化ける術を施した」と言っていたはずだ。さらさらした絹糸を思わせる触感は、自慢の蜘蛛糸さながらの光沢と滑らかさがあった。

「……雨……やまないのね」

艶は、夜中なのか昼なのか、あるいは明け方なのか分からない闇の中、ぽつりと独りごちる。渇ききった喉からは、我がものとは思えない掠れた声が出た。

「……うぅ、ん」
「夜一さん? 目が覚めました?」
「ん……艶……」

隣から同じように掠れた声が漏れ聞こえる。視線を落とし、肩に触れてみるも、夜一は未だ夢の中にいた。起こすのも野暮か、と考え手を離す。もう一度正面を向いて、艶は緩やかに長く嘆息した。
溺れるように、焦がれるように互いを貪り合った深い一日……その狭間、休み休みの間に、艶は夜一から懺悔ともとれる彼の悲惨な過去を聞かされていた。

「……夜一さん。やはり、あなたは私と一緒にいるべきではないのに」

黒い雨は止む気配がない。長い睫毛を伏せさせて、それでもせめて雨が止むまでの間は、と祈るように顔を手で覆う――






――少年が生まれ育ったのは、深く入り組んだ森の奥にある村だった。地図にも載らないような小さな村で、村人たちは助け合いながらひっそりと暮らしていた。
村のしきたりで、それぞれの家にはそれぞれの役目が一年を通して定められている。家人の適性に応じて、仕事の内容は様々だった。ある者は建物を直し、ある者は家畜を飼い、またある者は作物を育て、ある者は害虫や害獣の駆除を担う。
しかし、ごく稀に訪れる野生のモンスター――たとえ小型であれ――の襲来については、講じられる策など皆無に等しかった。
世界共通の認識として、また長く村を守ってきた重鎮らに言わせれば、モンスターは専門職であるハンターでなければまともに相手にすることができない。そして実際に、鋭い爪牙を持つモンスターは驚異以外の何者でもなかった。村に居付きの狩人がいないことも、被害を拡大させる一因となった。
故に収穫間近の作物を荒らされようと、苦労して設置した防護柵を破壊されようと、村人たちは黙って堪えるより他なかった。

『お父さん、お母さん。僕、大きくなったらハンターになろうと思うんだ。どうかな……』

「ハンターさえいてくれたなら」。そんな言葉をずっと聞きながら育った子供が夢を抱くのは、無理からぬことだった。
少年「ヨイチ」の父母は若くして害獣駆除の任を任されている。彼は少しでもその手伝いができればいいと年相応に考え、悩み、真剣に提案したつもりだった。

『どうって……バカなことを、ハンターの仕事は大変なんだぞ。遊び半分でできるものじゃない、やめておきなさい』
『ヨイチ、あなたの気持ちはとっても嬉しいわ。でもね、害獣のことなら気にしなくていいのよ。母さんたちが守ってあげるからね』

任命を受けたその日から、二人は害獣、ひいては大猪や賊竜といったモンスターとの攻防に頭を悩ませていた。他の村人から成果を急かされている面もあり、柵や罠を手作りしては壊され、また作り直しては壊されてを繰り返すうちに、二人の顔は日に日に消沈していく。
……惜しまずに村総出で金をかき集め、早いうちにハンターズギルドに救援を求めていれば、まだ救いの道はあったのかもしれない。
しかし、村は繰り返されるモンスターの襲来で疲弊していた。少年の両親もまた同様だった。
自分にはどうすることもできない……荒らされた畑を二人と並んで見つめながら、泣き崩れる村人たちを見やりながら、「ヨイチ」はただ己の非力さを呪った。

『……どうした? モンスターに追われたのか』

転機は、突然に訪れる。ある暑い夏の日、一人の男がふらりと村を訪ねてきた。
汗を滴らせながらも笑みを浮かべるその男は「ヨイチ」より十五は年上の好青年で、近くで狩りをしている最中に仲間とはぐれてしまったのだと話した。これはいい機会だ――なんとしてでも留まらせようと、村の重鎮たちは村の蓄えから作物をかき集め、歓迎と称して彼をうんともてなした。
彼は、お礼と称して当時畑を荒らしに来ていた毒怪鳥を退けてくれた……あまりにも手早く鮮やかな狩猟に、隠れてそれを見に行った「ヨイチ」は衝撃を受けた。彼は文字通りの手練れだったのだ。その証拠に狩りが終わると同時に茂みの中から引きずり出され、どうしてここにいるのか、と説教される始末だった。

『ち、違うよ。その、ハンターさん一人じゃ心配だったから……』
『おいおい、泣くなよ。別に怒ってないさ。俺はこれでも毒系モンスターの狩りに慣れてるんだ、心配するな』
『でも、父さんはこのあたりは森の奥に繋がってて危ないから、って……』
『ああ、それは大当たりだ。こんなところに畑を作るなんてな……このあたりにはもっと質の悪いモンスターもいる。死にたくなかったら家に戻れ』

言われるまま、背中を押されるままに「ヨイチ」は獣道から街道へと追いやられた。既に日が暮れ始めていて、夜鷹の鳴き声がけたたましく響いていた。
一人で帰れというのも酷な話だ、少年は今の今まで、一人きりで黄昏の森に入ったことがなかった。ざわざわと大きく揺れる木々、西に傾きながらも未だ熱く燃える太陽、不気味な鳥の羽ばたき。
駈け出したくなるのを堪えて、汗を滴らせながら足を急がせる。

『……え?』

ガサリと、右隣の茂みが大きく音を立てた。不運といえばそれまでだったかもしれない。
立ち尽くしたまま、「ヨイチ」は深手を負ったあの毒怪鳥に対峙した。

『あ、あ……』

あまりに突然に襲いくる恐怖。瀕死においやられていたからか、毒怪鳥は激高していた。両翼を拡げて大きな怒声を上げてから、突進の構えを取る。
少年はたまらず逃げようとした。しかし手練れの狩人と違い、体が咄嗟に動いてくれるはずもない。後ずさり、よろめき、次の瞬間には尻餅をついていた。
助けて、と叫びたいのにその一声が喉に貼りついて出てこない。どっと駈け出したゲリョスの巨躯を、涙ぐんだ黒塗りの瞳が見上げていた。

 ――!

そのときだった。「ヨイチ」はこれまで一度も耳にしたことのない奇怪な音を聞いた。「伏せて」と、そう言われたような気がした。
眼前、弾け飛ぶようにしてゲリョスの巨体が吹き飛ばされていく。次いで突っ伏した少年の真横に着地したのは、毒怪鳥よりやや小さな体の持ち主だった。

『え? ……も、モンスター!?』

白塗りの体躯、そこに差し込む艶やかな朱色。最も特徴的な湾曲する鉤爪は、「ヨイチ」の頭など容易くもぎ取ってしまえるかのように大ぶりだ。山のように盛り上がった背中には、白い甲殻によく映える鮮やかな彩度の突起物が生えている。さながら天然の紫水晶のように、それは怪しく艶めいていた。
起き上がった毒怪鳥が、怒りに爛々と眼を燃やしながら振り返る。一方で、白い怪異も鉤爪を振りかざして威嚇の体勢を続けていた。

(モンスターが二匹も……に、逃げなきゃ、っ!?)

立ち上がろうとして、刹那、複雑に交差する物体に手を取られる。「ヨイチ」は絡みついた滑り気のある塊を見て眉根を寄せた。
白い蜘蛛の糸だった。力を入れて腕を引き抜こうとしても、びくともしない……それが蜘蛛糸であることに気がつけたのは、半ば直感のようなものだった。

 ――そこから動かないで!

同時に、またあの透き通る悲鳴じみた声が聞こえた。反射的に顔を上げた少年は、眼前のモンスターが取り組み合い、激しく争い始めるのを目の当たりにする。
声の出所は、あの白い大きな蜘蛛だ――「ヨイチ」を庇うように毒怪鳥の巨体に張りつく白影は、血を滴らせながら懸命に鉤爪を振るっていた。
瞬時に辺りを見渡して、手近に転がる大ぶりの石を拾う。当然、当たったところで大したダメージには繋がらない。ならば、と少年が目をつけたのは、すぐ近くの茂みの根元に生えているどぎつい色の木の実だった。手を伸ばし、足を伸ばし、なんとか一つだけをもぎ取った。

『このっ、こいつ……こっちだ、こっちを見ろ!』

「ヨイチ」の挑発に、しかしゲリョスは応えた。石の表面に木の実を塗りつけ、ゴム質の表皮に当たるように狙いを定め、倒れ込みながらもそれを放る。
口の中に砂を吸い込みながら、少年は鼻に突き刺さるような臭気が宙に解けたのを感じて拳を握りしめた。
……「狩れる」だなんて、思い上がりもいいところだ。本来の目的は、別のところにある。

『――おいっ、どうした!?』

ガサガサと、茂みを激しく揺さぶる音が聞こえた。「ペイントの実」は確かに仕事をこなしてくれたのだ。
来た、待ってた、助かった! 喜色を顔面に湛えて振り向いた「ヨイチ」はしかし、先のハンターの顔がみるみるうちに青ざめていく様を見た。

『さっきのゲリョス……と、そっちは……うおっ、【ネルスキュラ】!? くそっ、こんなときに!』
『ハンターさん! そっちの白いのは味方なんだ、僕を助けてくれた!』
『何ぃ!? ネルスキュラが……って、今はそんなこと言ってる場合じゃないな!』

つい先刻、見たばかりの黒い刀身。狩人の青年が太刀を抜いた瞬間、ゲリョスの血走った眼がこちらを睨めつけた。
振り払われるようにして白影――まだ幼いネルスキュラが蹴り飛ばされていく。近くに転がってきたその影を、「ヨイチ」は片腕で庇うように抱き寄せた。

『おおぉっ!!』

怒声とともに放たれた気合い一閃、夕焼けで赤く煌めく刃が、毒怪鳥の体にすうっと吸い込まれていった。
直後、ずぱん、と小気味良い音がして、太刀を振り抜いた青年の動きが停止する。黒塗りの体がゆっくりと夕日に沈んでいき、しまいには倒れて動かなくなった。
土煙と血臭を嗅ぎ取りながら、「ヨイチ」はただ呆然と一連の流れを見ていた。寸断される音以外、物音という物音がまるで聞こえてこなかった。

(これが、ハンターの狩りなんだ……)

ぶるっと体が震え、ネルスキュラをなお強く抱きしめる。途端にそれはもぞりと苦しげにのけぞり、慌てて小柄な体を放してやった。

『驚いた。本当にお前を襲う気がないみたいだな、そいつ』

ふうっと一呼吸置いていると、目の前に黒い影が落とされる。ぱっと顔を上げると、太刀を担いだまま呆れた顔で笑う青年と目が合った。

『……でしょ? ほら、こっちの蜘蛛糸だってもう取れたし』
『お前なあ! 今回はたまたま……まあ、いいか。それより、そいつとはここでサヨナラしないとな』
『えっ? どうして……だって助けてくれたのに』
『……そいつが良い子だってことは分かったよ、お前を守ってくれたってこともだ。でもな、そいつがお前以外にもイイヤツでいられるとは限らないだろ?』

何を言われているのか分からない、そう目で主張してしまっていたのかもしれない。狩人の青年はどこか悲しげな顔で、ぽつぽつと「ヨイチ」に言い聞かせた。
曰く、背中を向けて逃げ出せばゲリョスに狙われることを分かっていたからこそ、真っ先に蜘蛛糸で少年を拘束したこと。
そこまで賢くあるのなら、近付く人間のどれが自分にとって有益か、もしくは害があるか、判断を自ら下せるだけの決断力にも富んでいること。
となれば、いずれ来たる少年との別れを惜しんで少年以外の何者かに手を出しかねないということ……「ヨイチ」は、納得できない、とばかりに首を振った。

『だって、だって……僕を助けてくれたんだよ?』
『よく見ろ、ほら、こいつの背中には【乗り慣らした】鞍がつけられてるだろ。こいつは前に、誰かに飼われていたことがあるんだよ』
『でもっ、もう結構ボロボロだし! きっと前の飼い主は、こいつのことを忘れちゃってるんだよ!』
『それでも、だ。モンスターと人間は相容れないものなんだよ。入れ込みすぎたら駄目だ。お前の回りから、皆いなくなってしまうぞ』

村に連れて帰りたいと願う少年と、それを断固として否定する青年。二人の顔を交互に見比べながら、ネルスキュラは何度も首を傾げていた。
彼の背中、より太く大きな棘の前方に、狩人の言うように使い古して原形を留めていない鞍が設置されていた。鮮やかな赤と、濃い青色が特徴的な鞍だった。

『いいか、【夜一】。どんなにモンスターと仲良くなっても、俺たちは彼らとは根本的に分かり合えないんだ。仕方ないことなんだよ』
『……でも、』
『お前はうまくやれるかもしれない。でも、お前の親御さんはどうだ? 怖がるし、食事だって困るだろう。そのとき、お前は二人とこいつの間に入れるか?』
『……』
『難しいだろ? 今まで生きてきた環境も、価値観も、暮らしやすい場所に餌だって……全部違う。ギルドに見つかれば、討伐の指令さえ出るかもしれない』
『そっ、そんな! だってここに出てきたってだけなのに……村の近くだから、こいつが悪いの? そんなのひどいよ!』
『ネルスキュラっていうのはそれほど危険なんだ。賢いし機転も利いて、攻撃手段も豊富に揃ってる……蜘蛛糸なんかは罠として重宝されるくらいだぞ』

鞍に触れようとすると、ネルスキュラは後ずさりしてその手を拒んだ。よほど、前の飼い主のことを気に掛けているようだった。
「ヨイチ」が「それ」に似ていたのかどうかは定かではない。それでも少年が白い甲殻に触れると、影蜘蛛は喜ぶように顔面を柔い頬にこすりつけるのだった。
「ヨイチ」は涙が止まらなかった。命の恩人を恩人として連れ帰ることができないことも、礼をするためにもてなすことすらできないことも知ったからだ。

『分かった……でも、こいつは僕の友達だ。それでいい? ここにこいつがいる間だけ、いなくなるまででいいから……僕が会いに来るだけにするから!』
『あのなあ、夜一……』
『だって、だって……あんまりだよ! 鞍をつけたまま放り出されて、仲間だっていなくて、ゲリョスにも蹴られて……こんなの、寂しすぎるよ』

根負けしたのはどちらだったか。男同士の秘密だな、若きハンターはそう言って苦笑し、泣きじゃくる少年の頭を大きな手で撫で回した。
「男同士の秘密」。夕闇に沈むように茂みの中に潜っていった影蜘蛛の背を見送って、二人はにやっと含み笑いを交わしながら、村へと続く道を急いだ――






「……それで、ハンターさんはしばらく村に滞在することになったんだ。ギルドに一報を飛ばして、代わりが来るまでの間だけ居着く、って条件つきでさ」

――夜一の腕に頭を預け、体はぴたりと胸板に寄り添わせながら、艶はまどろみかけつつ彼の心臓の音を聴く。
夜一が明かしてくれた過去の出来事は、知ることのできなかった彼自身の「名もなき狩人の矜持」の一部分を、僅かながらに覗かせてくれたような気がした。

「では、夜一さんの狩猟技術はその方から?」
「うん、そんな感じだ。あの人は太刀をよく使ってたんだけど、そりゃあもう鬼神の如き! ってくらい強くってさ」
「そうなんですか。夜一さんがそんなに仰るなら、私なんて一太刀かもしれませんね」
「……」
「? 夜一さ……」

下手な冗談を打ったのだ、そう気がついたのは、一方的に熱く唇を塞がれた瞬間のことだった。
見上げた先、夜一の顔は悲哀に歪んでいる。何かあったのだ……直感で察すると同時、艶は夜一の頭を胸元に抱き込んでいた。

「つ、や?」
「夜一さん。もっとお話を聞かせてください」
「や、ほら、俺の昔話なんてつまらないだろ」
「いいえ……いいえ。教えてください、そのネルスキュラに、当時の夜一さんに何があったのか。どうして今も、あなたが苦しまなければならないのか」
「艶……」
「この数日の間、ずっとあなたを見てきました。それだけでは……私のことなど、信用に足りませんか」
「……そんなことない、そんなことないさ。ああ、艶。君が嫌じゃなければ、いくらだって話せるから」

逞しい腕が背中に回されるも、指先は小刻みに震えてしまっている。互いの心音を確認し合うように、二人はきつく抱きしめ合った。

「あの日……俺の友達は、『シロタエ』は、狩猟依頼を受諾したハンターに……『俺の先生』に殺された。依頼を出した相手は……俺の両親だったんだよ」

夜一の吐息は、冷えきってしまっている。彼にとって恐らく一番の心の傷だ、そう覚悟を決めて耳を澄ましながらも、艶は続けられた言葉に絶句した。
思い知る。所詮「男同士の秘密」など、純朴な子供を宥めすかすための口約束にしかならないのだと。
あまりにも身勝手な取り決めとその結末に、艶は自らの眼の奥に宿る灼熱の琥珀色が、より高温を帯びたような気がしていた。
 
 

 
後書き

……

蛇足の補足。

鞍を背負うモンスター、ということで、こちらのネルスキュラはライダーと絆を結んでいた個体ということになります。
彼とそのライダーについてもあれこれ考えていましたが、こちらも書かずに終わってしまいました。
メリーバッドエンドということで、何があったかは察して頂けると幸いです…!
 
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