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冥王来訪

作者:雄渾
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ミンスクへ
ソ連の長い手
  首府ハバロフスク その4

 西ドイツの臨時首都ボンにある連邦国防省
そこにある一室では、密議が始まっていた
約20年ぶりの壁の向こうの連絡に、彼等は困惑した
党の方針で追放された旧国防軍人からの密書の内容は俄かに信じがたかった
 出席者の一人が、濃紺の空軍士官制服を着た人物に問うた
左胸に略綬と首からダイヤモンド付騎士鉄十字章を下げている
国法により、鉤十字の紋章から柏葉に置き換えた勲章に変えられてはいるが、紛れもない真物(しんぶつ)
この男が並々ならぬ戦功を重ねてきた証
「シュタインホフ君、君はどう思うのかね……」
彼は立ち上がると、面前に居る男に返す
戦時中に200機のソ連空軍機を撃墜したとされる男の目が鋭くなる
「これはKGBの策謀の可能性は御座いませんか」
濃い灰色の背広を着た老人が口を挟む
濃紺のネクタイを締め、白色のシャツの襟から深い皴が畳まれた首筋が覗く
「儂もその線は考えた……」
色の付いた遮光眼鏡越しに、彼の顔を伺う
「だが、手紙の差出人にはフランツ・ハイム参謀次長の名まであるのだ」
右手に持った手紙を、衆目に晒す
 周囲が騒がしくなる
「東の参謀次長の直筆の手紙ですと!」
「そんな馬鹿な……」
杖で床を一突きする
音が室内に響く
「諸君、静粛にし給え」
周囲の目線が集まる
「では良いかな」
杖に両手を預けると、男は話し始めた
「ハイム参謀次長がこの手紙を送って寄越したと言う事は、奴等の仲にも何らかの方針変換があったと言う事ではないか」

「閣下、それで……」
閣下と呼ばれた老人は、男の質問に応じる
「我等から出向くのは、危険だ。
国防軍(ヴェアマハト)の再建……その様な米ソ両国の疑念を拂拭(ふっしょく)出来ぬ」
 1945年のあの日、ドイツ国防軍を思い起こす
新型爆弾を前に、彼等の奮戦虚しく連合国に対し城下の(ちかい)を結んだ
首都ベルリンは、米ソ英仏の4か国に分けられ、国土も分断された
何れは()(いつ)にして立ち上がろうと考えては来たが、既に30有余年が過ぎた……

「そこでだ。奴等の中に乗り込む算段として、適当な人材を見繕う」
「そんな人材、何処に居りますか……」
老人は淡々と告げた
「米国の指示で立ち上げた戦術機部隊の連中でも交流名目で送り込む。
どうせ、役立たずの烏合の衆だ……、こういう機会に汗をかいてもらおうではないか」
眼鏡越しに鋭い眼光で睨む
「あの愚連隊には、ホトホト手を焼いていましたからな」
男達は一斉に、室内に響くほどの哄笑を発した 
「各所から兵を集めて米軍に指導させる……、(さなが)ら昔の陸軍教化隊。
……其れも、閣下の発案でしたな」
参謀顕章を付けた男が、呟く
老人は無言で頷くと、彼に返答した
「奴等の中隊長に、ハルトウィック辺りを選べ。
奴は成績優秀な男だ、ソ連お手製の宣伝煽動(プロパガンダ)にも感化されまい」
男は、顎に右手を当てる
「隊に(たむろ)しているチンピラ共を抑えるには分不相応に思えますが……。
何せ、信念と言う物が有りませんからなあ」
閣下と呼ばれた老人は、顔をその男の方に向ける
「寧ろ、信念が無いと言うのが安全なのだよ……。
なまじ強烈な愛国心など持っていようものなら右派冒険主義に資金を差し出すソ連の工作に乗ってしまう。
反米愛国という甘い誘い口で、どれ程の将来有望な若者たちが(かどわ)かされてきた事か……」
ふと、両切りのタバコを取り出し、火を点ける
紫煙を燻らせながら、続けた
「政治的には無関心な能吏(のうり)……、不安もあろうが、至らぬ処はバルクが補佐しよう。
彼奴(あやつ)も莫迦ではない……、少しばかり手癖が悪いだけよ」
そう言うと苦笑する

「方々に出入りして、粗野な振る舞いをしていたそうではありませんか。
それで、東と揉め事に為ったら……、唯では済みますまい」
 総兵力6万弱の東ドイツとは違って、35万の兵力を要する西ドイツ軍
兵員のほぼ全てが徴兵を受けた青年男子
志願した婦人兵は、通信隊や看護部隊専門
彼の卑陋(ひろう)な言行は、戦術機部隊での悩みの種ではあった
だがエリート部隊と言う事で、彼らの言動は黙認された
 閣下と呼ばれた老人は、シュタインホフ大将に問う
「そこでだ、シュタインホフ君。
君の方からNATOに出向いて話を付けて欲しい……」
その話を聞くなり、立ち上がって反論する
「お待ちください、閣下。
仮に各加盟国が納得してもフランスの対応が読めません……」
彼の困惑する顔を見ずに続ける
「奴等は自分で抜けて置いて、口だけは挟んでくるからなぁ……」
フランスは時の大統領の意向で1966年にNATOより脱退した
その影響もあって、本部機能はフランス・パリからベルギー・ブリュッセルに移転した
だが抜け出したのは、軍事部門だけで政治的な影響力は残す処置を取る
彼等はそのことを悩んだ
 老人は、色眼鏡を外して、周囲を伺いながら告げる
「思えばあの敗戦以来、我が国は独立自尊の道を歩めたのかね」
出席者の一人が漏らす
「11年間にわたる再軍備禁止……、『モーゲンソー計画』での脱工業化。
自前の核も持てず、国土防衛の姿勢で歩んできた」
同調する声が上がる
赫々(かくかく)たる光栄に包まれたプロイセン王国以来の伝統も捨てさせられ、銃剣はおろか、軍帽の類も被れぬ……。
こんな惨めな軍隊では……末代までの恥だよ」
「皮肉だな。露助の傀儡共の方がドイツ軍らしいとは……」


「CIAより変な話が持ち込まれたのは聞いておるかね……」
色眼鏡を再びかけると、男が尋ねる
灰色の開襟型の上着を着て、陸軍総監の記章を付けた男が応じる
「お聞かせ願えますかな、閣下」
赤い裏地の階級章は、この男が将官である事を示ている
陸軍総監に問われた彼は、机の下から封筒を取り出す
「ベルリンの周囲を嗅ぎまわっているCIAが、東側と接触した際、ある話が出た。
東ドイツ空軍の戦術機部隊長の妹の処遇に関する件が持ち上がった」
封筒を開けると、数葉の写真と厚いA4判の資料を机の上に置く
「この写真に写ってる金髪の女が、件の娘御だ」
一葉の総天然色の写真を指差す
「アイリスディーナ・ベルンハルトと言う名で……、それなりの美女。
国家保安省(シュタージ)が、我等に貢物として送り出す算段をしていたそうだ……」
漆黒の様な濃紺のダブルブレストの上着に、並列する金ボタン
その話を聞いた海軍大将の袖章を付けた男が嘆く
「知った事ではないが……、中々酷い話ではないか。
淳樸(じゅんぼく)な娘を貢物に差し出す……。
遠い支那の故事になるが……、前漢・武帝の治世の折。
匈奴の単于(ぜんう)に、王昭君(おうしょうくん)という美女を貢がせた……。
その逸話にどれ程の人が涙した物か、想像に難くない」
 老人は、口元より両切りタバコを離すと、紫煙を燻らせる
艶色(えんしょく)滴るばかりの乙女子(おとめご)の行方を案じた男に、返答した
「私はそのことをあの男に尋ねたかったのだが、(つい)ぞ聞きそびれてしまった……」 
 彼は、周囲を憚ってあえて口には出さなかったが、こう思った
救いは、同胞(はらかた)である西ドイツであると言う事であろうか……
粗野なスラブ人などに下げ渡されれば、肉体どころか、尊厳まで破壊つくされるであろう……
幾ら目の前に立っているのが、独ソ戦の4年間、苦楽を共にした戦友達
気の置けない間柄とは言え、一人の美女の悲劇的な行く末……
言うのも引けたのだ


「この娘の扱いは……」
件の老人はシュタインホフの方を振り向き、問いかける
彼はしばしの沈黙の後、口を開いた
「聞かなかったことにしましょう……、我等を誘い出す為の毒入りの餌かもしれませぬ故」
ふと、誰かが漏らす
「気の毒よの」
老人は、右の食指と親指に挟んだタバコを口元から遠ざける
噴出される息より紫煙が揺らぐようにして、室内を漂う
「シュタインホフ君、君も同情もするのかね」
尋ねられたシュタインホフ大将は、ゆっくりと灰皿に灰を捨てる
「ふと、自分の孫娘と重ねただけですよ……。
年頃も10歳とは離れていません。
恨むなら彼等の政治体制を恨むべきでしょう」
両切りタバコから立ち昇る紫煙を見つめながら、告げた
「そうかもしれぬな」
紫煙のまみれる室内に、男達の哄笑が響いた 
 

 
後書き
今回の話で、新たに出てくる原作人物に関して説明いたします。

クラウス・ハルトウィックは、『トータル・イクリプス』で、西ドイツ軍大佐ですが、欧州戦線の経験者で、西ドイツ軍の戦術機部隊創設にも尽力した設定です
なので登場させても問題ないと思い、登場させました

キルケ・シュタインホフの祖父もNATO幕僚という設定です
1970年代後半の話なので時間的には問題ないと思い、登場させました


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