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ドリトル先生とめでたい幽霊

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第九幕その七

「織田作さんは大阪だったからね」
「そのことも大きいですね」
「谷崎潤一郎も関西に住んでいたけれど」
「あの人もですか」
「けれど谷崎は元々東京生まれで」  
 織田作さんとそこが違ってというのです。
「関西にいてもお家を転々としていたから」
「大阪だけじゃなかったですか」
「京都や神戸に住んでいた時もあるんだ」
「そうでしたか」
「そしてね」 
 それでというのです。
「あの人はまた別だよ」
「そうですか」
「谷崎も純粋な純文学じゃないけれどね」
「耽美派でしたね」
「そう言われる世界を書いていてね」
 それが谷崎潤一郎の作風だというのです。
「国会でも問題になったことがあるよ」
「作品がですか」
「芸術か猥褻かとね」
「それは凄いですね」
「この人はそうした作品で織田作さん達もね」
「批判していないですか」
「批判の対象は志賀直哉や川端康成だったんだ」 
 この人達だったというのです。
「谷崎はあまり受けていなかったみたいだよ」
「何か志賀直哉が批判されていますね」
「うん、当時文壇の長老だったからね」
 そうした立場だったからだというのです。
「それで作風も違っていて」
「終戦直後言っていることも変わって」
「太宰が言うにはね」
「そうしてですか」
「織田作さんもね」
「志賀直哉を批判していましたか」
「うん、ただ志賀直哉の方はね」
 批判されている人はというのです。
「余裕があったよ」
「そうですか」
「太宰達の方が必死だったんだ」
「そこは違ったんですね」
「そうだよ、ただ織田作さんは終戦直後に亡くなって」
 これまでお話している通りにというのです。
「太宰は自殺しているね」
「そうでしたね」
「坂口安吾も昭和三十年に亡くなって」
「無頼派の人達はいなくなったんですか」
「いや、石川惇や檀一雄がいたよ」
「その人達が残っていましたか」
「それで戦後長い間頑張っていたんだ」
 この人達がというのです。
「無頼派の人達はね」
「残ってはいたんですね」
「長い間ね、田中英光という人もいたけれど」
「その人も」
「太宰が自殺して暫くしてね」
「確かその人自殺でしたね」 
 トミーもこのことは知っていました。
「そうでしたね」
「そうだよ、太宰のお墓の前でね」
「そうして亡くなっていますね」
「それで二人が残って」
 そうしてというのです。
「戦後長い間頑張っていたんだ」
「それが無頼派の歴史ですか」
「終戦直後の間だけと思われているけれど」
「無頼派の人達の活躍は」
「その人達は残っていたんだ」
「そのことも覚えておくことですね」
「うん、そしてね」
 先生はさらにお話しました。 
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