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魔法使い×あさき☆彡

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第十九章 なんのために殺し合うのか


     1
 天井からの白い灯りに照らされながら、通路を、ゆっくり、静かに、五人の少女たちが歩いている。

 五人とも、魔道着姿である。

 赤い魔道着。
 その上に、白銀に赤い装飾が施された防具を装着している、赤毛の少女が、(りよう)(どう)()(さき)

 青い魔道着。
 その上に、白銀と青の防具、気の強そうな顔の、ポニーテールの少女が、(あき)()(かず)()だ。

 紫色の魔道着。
 白銀と紫の防具。おでこから半分に分けた、肩までかかる髪の毛、(あきら)()(はる)()
 普段は、朗らかながら飄々淡々としている彼女であるが、現在は、人質に取られた妹の救出作戦中ということもあって、表情ガチガチである。

 白と薄水色の、一人、ふんわりスカートタイプの魔道着。
 (よろず)(のぶ)()だ。
 ステッキやバトンを手に、夢のエネルギーを振りまいて、幸せパワーで魔獣を浄化させる、そんな魔法少女アニメに登場しそうなヴィジュアル。
 アサキたちの隣のエリアである、第二中学校所属の彼女。そこで採用している魔道着のフォーマットだ。
 我孫子市天王台の、第二中学校と第三中学校は、共同作戦を実行したり、休みを交換し合ったりなど、慣れ合った部分が多く、そうした「知り合いの情」から今回の作戦に加わった押し掛け助っ人だ。

 同じく押し掛け助っ人の、()(しま)(しよう)()
 中世騎士の甲冑にも似た、銀と黒の魔道着。
 それに合わせたのかは分からないが、肩まで伸びる髪の毛も、左右それぞれ銀と黒。

 彼女、嘉嶋祥子は、元リヒト所属の魔法使いである。

 機密保持のため記憶を消去されること承知の上で、リヒト脱退を考えていた。だが、魂を砕かれた妹をどうにか救おうと、必死になっている親友、(みち)()(おう)()が気掛かりで、組織に残っていた。
 ()(だれ)(とく)(ゆう)が野望のために慶賀応芽を利用していることに薄々気付いており、それを食い止めようと。

 結局、慶賀応芽を救うことは出来なかったが、祥子は応芽に代わっての特使派遣を志願。メンシュヴェルトへスパイとして潜入、というていを取りつつ、メンシュヴェルトと裏で共闘して、()(だれ)の悪事を暴き野望阻止をするために。

 しかし、まだ正式に派遣日程も決まらぬうちに、()(だれ)の大暴走ともいえる今回の拉致件が起きてしまった。

 もうこうなっては、と、完全にリヒトの敵と知られる腹を決めて、こうして潜入劇に加わっているというわけである。

 五人が、ゆっくり静かに歩いているのは、ビルの中、小綺麗な通路である。
 リヒト東京支部、南棟の四階だ。

 ゆっくり静かに、といっても、各々が自らに魔法を掛けて、空気の流れや光の屈折度をねじ曲げているので、隠密行動とはいえ、それほど気を付ける必要もない。
 普通の人間には、見えず聞こえず、であるためだ。

 ヴァイスタに関しては探知機が発達しているが、魔法使いはみな仲間であるという建前があるため、そうした対策設備を建物に仕掛けることも出来ない。だから、警備員や、臨時体制で呼ばれた魔法使いなど、対人だけ注意すればいい。

 ただ、場所が場所である。
 ただ、相手が相手である。
 事態が事態であり、目的が目的である。

 失敗が滅亡を意味するに等しい、この作戦。コンマ一秒を争う不測の事態が起きた時に備え、慎重を期しているのである、が、

「異空側から進んじゃダメなのかよお」

 緊張感の持続、焦れったさに、もう早速カズミの気持ちがダレそうだ。

「ダメよ! ヴァイスタ対策で、次元の壁が強化されているはずよ。そりゃ強引に突破も出来るでしょうけど、確実に気付かれるわ」

 なにをバカな、という激しい小声で注意するのは、ここにいないはずの()(ぐろ)()(さと)先生の音声だ。

 先頭を歩く祥子のリストフォンから、空間投影でマップ画像が映写されているのだが、その横に先生の顔が映っており、そこから声が聞こえているのである。

「そろーっとそろーっと、ってのが性に合わないんだよなあ」
「でも、時間はたっぷりあるんでしょう? 焦っても仕方ない。……やっぱり無駄に血の気が多いとせっかちになるのかねえ」

 と、ふりふりスカートの万延子に茶化されて、カズミはムッと眉を寄せた。

 そう。
 万延子のいう通り、時間だけならばまだまだ残されている。

 (あきら)()(ふみ)()を取り戻したければ、須黒先生を含む、第三中学校魔法使い全員で、()(だれ)(とく)(ゆう)の元へ行かなければならない。
 期限は、明日の正午。

 そのように要求されているからだ。
 つまり、時間だけならば、あと十時間以上ある。

 指定時刻を一分でも過ぎたならば、明木史奈の生命は保証出来ないとのこと。
 普通に考えて、殺されるということであろう。

 普通の基準を、どこに置くかにもよるだろうが、でもそこを考える意味はない。

 リヒト所長は、アサキを絶望に追い込み(オルト)ヴァイスタにさせることを、本人の前で堂々宣言している。
 慶賀応芽をけし掛けて、超魔道着を奪わせ、アサキと戦わせている。
 証拠はないが、()(ぐち)校長を残酷な方法で殺害している。

 どこに基準があるかなど、考えること無意味というものだろう。
 このような相手に対して、素直に要求を飲んだところで、史奈の運命は変わらないだろう。

 だからこその、潜入作戦だ。
 油断をしたらすべてが終わる、リスクのみの高難易度ミッションではあるが、延子のいう通り、まだ時間はある。
 翌昼どころか、まだ翌日にもなっていないのだから。
 日付の変わるまで、あと三十分はある。

 ゆっくり、進む五人。
 失敗の許されないミッションを、しっかり、確実に。

 繰り返すが、()(だれ)の要求は、第三中の魔法使い関係者全員にきて貰うこと。
 祥子と延子という、他所属の者が加勢する以上は、アサキたちが()(だれ)の要求を飲んで会っている裏で、二人が史奈の救出に動く、という作戦もある。
 実際に、祥子は提案もしたが、須黒先生に却下された。
 隠密行動こそ、アサキの能力が生きる、と判断したためである。

「おいヨロズ、おめえは別に無理してこなくていいんだぞ」

 血の気が多いなど茶化されたカズミが、不満顔で唇を尖らせながら、ぼそり。

「びっくり箱パンチの謝罪とか、普段から第三中に世話になってる義理立てとか、そんなんいらねえんだからな」

 どちらかといえば第三中学校の方が、休みの交代やら援軍要請やらで世話になっているのだが。
 この間の、ザーヴェラーの一件はともかく。

 カズミの言葉に、薄水色スカートの(よろず)(のぶ)()は、ふふっと笑いながら、

「もう片足以上、踏み込んじゃっているからねえ。でも、わたしが()(だれ)(とく)(ゆう)のことなんにも知らなかったとしても、現実は変わらないわけで。つまり、いずれ自分たちにも火の粉が降り掛かってくることは、確実なわけで。なら、知ってしまっている以上は、それをいま払っておきたいだけだよ」
「勝手にしろ。この先になにが待ってるか、分からねえんだからな。死んだって知らねえんだからな」
「ははっ、大丈夫大丈夫。実力的には、わたし最後の最後まで残るからあ」

 ふりふりスカートの三年生は、楽しげな顔で、手をぱたぱたと振った。

「だーかーらーさあ、さっきからお前はあ、わざと死亡フラグ立てるのやめろよお。シャレになんねえんだよ、もう」
「ああ、そうだよね。ごめん、キバちゃん。もしもわたしになにかがあったら、この中できみがいっちばん寂しがりそうだもんねえ」
「だだ誰があああっ。……いや、確かに寂しいか。そのふてぶてしい面ア貼り倒さねえうちに、オッ死なれたらよ。……だから絶対、絶対に生きて帰るからな。みんなもだ! アサキ、特にお前には、最近覚えたデンジャラスなプロレス技を掛けてやるから」
「えーーーーっ!」

 突然振られて、わたしがなにをしたのお、というちょっと情けない顔になったアサキの表情に、周囲から笑いが漏れた。
 みな、ちょっとだけ堅苦しい笑顔であったが。

 それはそうだ。
 心の底からなど、笑えるはずがない。

 でも、だからこそ、みなは笑うのだ。
 万延子とカズミの会話に。
 アサキの、泣き出しそうな情けない顔に。

 笑おうとも、みな心の中では、片時たりとも微塵の油断もしてはいないが。

「ここで、カードだな」

 降りた防火壁により、行き止まりになっているところへ差し掛かった。カズミは、須黒先生から貰った偽造キーカードを取り出して、壁のセンサー部へと翳した。

 ピピッ、
 とエラー音。防火壁はまったく動かない。

「ああっ、ダメだった? それじゃ、これで……っと。よし、もう一度やってみて」

 空間投影で浮かぶバストショットの須黒先生が、喋りながら両手でキーボードをタイピング。

 いわれるまま、カズミは小さく頷いて、同じカードを再度翳した。

 通路を塞いでいた防火壁が、音もなくゆっくり上がり始めた。

 全員が通り抜けると、抜けた側の壁にもあるセンサーに、カードを翳し、防火壁を閉じた。

 ふう
 と、画面の須黒先生から、小さなため息が漏れた。

 祥子のリストフォンから、フロアマップが画面投影されている。
 通路の最北東近くに、赤いポインターがある。
 これが現在地だ。

 マップの通り、右への曲がり角が見える。

 そのまま進み、角に差し掛かった瞬間、アサキ、いや全員が、びくり肩をすくませていた。

 紺の制服を着た、初老の男性が三人。
 雑談しながら、歩いてくるではないか。

 防火壁の開け閉めに神経を集中させていたので、それで気付かなかったのかも知れない。

「大丈夫だよ、ただの警備員だ。突然でびっくりしたけど」

 祥子が、安心させようと笑った。

 ただの警備員。
 しかも男性。
 つまりは、魔法能力とは無縁。

 したがって、彼女たちが自らに施してある隠れ身の魔法は、問題なく機能するはず、見えていないはずである。

 魔法力に反応する携帯センサーも、世に存在はしている。
 しかし、魔法使い同士の抗争は起こしてはいけないし起こるはずないという建前があるため、そのような装備は持っていないはずである。
 はず、が多くなるのは、相手が相手であるため是非もない。

「とりあえずのところ、須黒先生にいわれた通りじゃの」

 治奈がこそっと声を出した。

 この、選んだルートのことである。
 警戒厳重ではあるが、魔法能力者ではなく、通常の警備員が多く巡回しているだけである、と。

「気持ちのいいもんじゃあ、ねえけどな」
「ほうじゃね」

 カズミたちは、警備員たちを避け、間を通り抜け、進む。

 警備員たちも、プロ野球の話だかなんだか、雑談をしながら、アサキたちと、

 お互い、それぞれ喋りながら、すれ違った。

 アサキたちは、魔法により光の屈折率や空気の流れを捻じ曲げている。魔力を持たない人間には、彼女たちの姿は見えないし、声も聞こえない。

 (へい)()(なる)()が生きてここにいたら、単純に楽しんで、遊んでいたかも知れない。

「待って進まないで!」

 須黒先生の、突然の大声に、また全員びくりと肩を震わせた。

「どうしたんすかあ、心臓に悪いなもう」

 カズミが、胸を押さえながらぼやく。

「嘉嶋さん、そこ、右側の壁の、腰の高さくらいの、動かずにそこから望遠で拡大してみて」
「了解しました。……確かに、このフロアには訓練で何度もきたことありますけど、こんなのはなかったですね」

 嘉嶋祥子は、先生にいわれた通り、壁に埋め込まれた黒いレンズへと、リストフォンを向けてカメラの拡大操作をした。

「その壁の黒ポチみたいのが、どうかしたんですか? 早く進みたいんだけど」

 カズミが、じれったそうに尋ねる。

「嘉嶋さんがいまいった通りよ。いま送られてきた、その映像を、こっちにある古いデータと比較しているのだけれど、どうもつい最近まで、そのような機械はないのよ。設備工事の記録にも、特にないし。……ん? あ、あ、分かった。それ多分、新型の魔力センサーみたいだわね」
「えーーっ! 魔法使い同士は平和を守る味方で、絶対に裏切らない。という建前に縛られて、そういうのは設置出来ないのよホホホッとかあ、先生いってたじゃんかあ。組織も一枚岩じゃないし、今回も()(だれ)個人の暴走だから特に、ってさあ」

 不満満面、食って掛かるカズミ。

 他の魔法使いたちは、すっかり真剣な顔になっていたが。
 その設置物がなんであるかにより、ここを突破出来るかどうかというだけでなく、()(だれ)が本格的な潜入対策をしているか否かの指針にもなるのだ。
 真剣になるのも当然だろう。

「あの所長さん、もう完全に開き直っちゃっているからね。……やっぱり今回の件を考えて、って考えるべきでしょうね」
「ほじゃけど、そがいに考えると、さっきの警備員は逆に少な過ぎじゃろ。特別警戒にしては、先生の情報通りの、普段の人数しか、おらんかったじゃろ」

 治奈、先生へタメ口というわけでなく、単なる一人の呟きだろう。

「……治奈さんのいう通りね。あらためて警備の現状を調べてみたいけど、でも、いまはとにかく、なんとかここを突破しないと」
「えー、新型のセンサーをどうやって? なんか情報を得られませんか?」

 尋ねるふんわり薄水色スカートの万延子。

「うん、調べてみるから、ちょっと待っ……」
「大丈夫ですよ」

 いいながら、みなの前に出たのはアサキである。
 元々真顔であったが、さらに口元をきゅっと閉ざすと、そのままゆっくり進み続ける。

「お、おい、ちょっと……」

 カズミが手を伸ばすが、アサキは歩を止めず。

 目を閉じる。
 念じる。
 心の中で、複数の呪文の言葉を、同時に。
 非詠唱魔法、アサキの特技だ。

 完全にセンサー部を通り抜けて、さらに一歩、二歩。

 目を開けた。
 振り向いて、カズミたちを見る。

「もう、通っていいよ」
「と、いわれましても……」

 おどおどしながらも、カズミは、あまりに自信満々なアサキの態度のせいか、足を出す。そっと、ゆっくりではあるが、一歩、二歩。
 センサー部を抜けて、アサキの元へと。

 治奈、祥子、延子も続く。

 全館に警報鳴り響く類の装置、ではないだけかも知れないが。
 とにかく、館内は静かなままだった。

「なんか、したのか?」

 カズミは、おずおずと、赤毛の少女へと尋ねる。

「うん。魔力力場の係数書き換え。不自然さが出ないよう、値は固定ではなく、多少のランダム性を持たせておいた。それと、わたしたち以外の魔力係数の個性が通ろうとし時は、書き換え内容はスルー。つまりセンサーが反応するようにしてあるから、故障と疑われることもない」

 柔らかな笑みを浮かべながら、さらりアサキが説明すると、

 カズミは、ぐらりよろけて、壁に背中を付けた。
 おでこに手を当て、

 ふうーーーっ
 長いため息を吐いた。

「お前が味方でよかったよ」
「……うん。わたしも、みんなが仲間でよかった」

 頷くアサキであるが、心の中では、カズミのいう味方という言葉に対して、悲しい気持ちになっていた。

 味方もなにも、なんだって人間同士で、こんな争いをしなければならないんだろうな、と。

 ヴァイスタやザーヴェラーといった、異空よりの脅威から世界を守る。それこそが、魔法使いのすべきことなのに。

 そもそも、「絶対世界(ヴアールハイト)」だとか、そんな場所が本当に存在するのだろうか。
 まったく信じていないからこそ、または、心から信じているからこそ、部下の人たちは、彼に従うのだろうか。

 でも、そんな力を、神の力なんかを、手に入れて、それでどうするんだ。
 その後は。
 なにが、どうなる。
 どうしたい?
 どうなりたい?
 人間は、独りじゃ生きていけないというのに。

 ただ平和な日常を求めること。
 それだけが欲といえば欲のアサキにとって、()(だれ)や、彼に従う者の考えは、さっぱり理解出来ないものであった。

     2
 しゅい
 小さな音と共に、扉が左右に開いた。

 第二研究室、
 とプレートの掛かっている部屋だ。

 室内には、白衣を着た研究員が十人ほどいる。
 普段通りに、仕事をしているようである。

 アサキは、祥子に続いて室内に入ると、左右を見回しながら、

「なんだか、昔のことのように思えるな」

 ぼそりと呟いた。

 横を歩いているカズミが、不思議そうな顔をする。

「なにがよ。……ああ、ここあそこか。ウメと……」

 アサキは、小さく頷いた。

 二ヶ月ほど前に、この建物を訪れている。
 アサキ専用に開発された、クラフトを受け取るためだ。

 だが、そのクラフトは奪われていた。
 行方不明であった(みち)()(おう)()が、この施設へ潜入して、この部屋で、クラフトを奪ったのだ。

 やはり専用開発された超魔道着に変身した応芽と、アサキは、この部屋で戦った。

 アサキだけではない。
 カズミも、祥子も、途中から参戦し、応芽と武器を交えている。

 決着がついたのは別の場所とはいえ、戦いの始まりはこの部屋だ。

 生命を落としたのは、応芽。
 思い出すのも辛いことだけれども、でも、忘れてはいけない記憶だ。

 応芽が何故、あのようなことをする必要があったのか。
 親友が必死に生きてきた証を、思い、未来へと繋ぐためにも。

 そう、出会ってほんの数ヶ月の付き合いとはいえ、彼女は自分にとって、掛け替えのない親友の一人なのだから。

 そんな、複雑な思いを抱く、部屋の中。
 研究員たちは、チームに分かれて、それぞれの仕事をしている。
 現在、主として行われている作業は、魔道着表面を覆う力場の、係数チェックのようである。

 中央の台に置かれた魔道着に、百本ほどの細かいコードが繋がっている。
 周囲から、様々な光を照射している。
 魔道着は防具であり、さらに、着ている者の魔力を内外から整えるためのアイテムである。その外側、表層を、効率よく魔力が流れるようにするため、実験の数値データを取っているというわけだ。

「この人たちは、平和のためと思って仕事をしているのかな」

 アサキは、しみじみと呟いた。
 別に深い疑問を抱いたわけではなく、なんとなく口をついて出ただけだ。

「思ってる、と思うよ。だいたいね、悪の組織だなんて作れないよ、子供アニメじゃあるまいし。この人たちだって、よい旦那さんであり、よいお父さんだと思うよ」

 なんとなくの疑問に、延子がしっかり返答した。

「そうですよね。だから……」

 アサキは、ぎゅっと強く拳を握った。

 だからこそ、()(だれ)所長の暴挙は、許してはいけないんだ。

 と、そんなことを胸に思いながら、因縁のあるこの部屋を、ちょっと寂しい気持ちと、新たな強い決心と共に、突っ切った。

 しゅい
 反対側の、扉が左右に開く。

 通路へ出た。
 別に、この部屋に用事があったわけではないので、問題ない。
 通路を、ぐるりと回り込んでもよかったが、抜けた方が直線で近いし、防犯システムはほぼ通路にある。
 だから、マップ上を縦断したのである。

「ああ、そういえば……」

 通路を歩きながら、アサキは思った。

 そういえば、前にここへきた時……
 ちょっと、
 やってみようか。

 歩きながら、軽く目を細めて、念じた。
 また、非詠唱魔法である。
 思念同調。
 以前ここで、意識をこの建物そのものにシンクロさせて、慶賀応芽の居場所を探したことがあるのだが、同じ要領で、史奈を探せないかと考えたのだ。

 だが、波長が合い掛けたところで、

 いけない!
 溶け散り掛けていた意識を、慌てて身体へと戻した。

 先ほどの魔力センサーが、どうやらこの先、幾つもあって、それを反応させそうになってしまったのである。

 以前の、思念同調の痕跡を発見されていて、それで警戒されているのだろうか。
 関係なく、もともとこのフロアは警戒厳重ということだろうか。

 魔力センサーなど、先ほどのように一つ一つ、係数の書き換えをしてしまえば、わけはない。
 だが、キリがないし、万が一というリスクを、ここで背負う必要もないだろう。
 だってとりあえずは、須黒先生の調べた情報の通りだし、立てた作戦の通りに、ことは進んでいるのだから。

 もう一つ部屋を突き抜けて、通路を壁沿いに進めば、多分、突き当りの部屋に史奈がいる。
 もしもいなかったならば、その時に、思念同調を使えばいい。

 それよりなにより気掛かりなこと。
 今回の発端となる、()(だれ)が脅迫してきた時の映像だ。
 背後に映っていた史奈が、喉にナイフを当てられていた。
 あれは間違いなく、魔法使いだ。

 思念同調を中断したから分からないが、おそらくその魔法使いは、現在も、史奈の近くにいるのだろう。

 作戦では、わたしが魔法で、その魔法使いの動きを封じ込めることになっているのだけど……
 でも、やれるのだろうか。
 わたしに。
 フミちゃんの生命のかかっている中で、冷静に、的確に、迅速に。

 みんなは、わたしのことを買い被るけど。
 それは、本当ならば成長を喜ぶべきもの、なんだろうけど……そもそも、待ち構えている魔法使いが、わたしよりもっと強いことだって考えられるじゃないか。

 だって、そうだろう。
 まず第一に、しっかりした訓練を受けていないわたしなんかが、世界で一番の魔法使いだとか、そんなこと普通に考えてあるはずがないということ。
 第二に、リヒトは魔法使いを扱う組織なわけで、そういう素質のある女の子を広い世界から見付け出して育て上げることなんて、やろうとすれば出来ることだ。わたしより力のある者なんて、星の数ほど、集められるのではないか。

 そのようなことを考えながら、みなと一緒に通路を歩くアサキであったが、結局、彼女は、ただ無駄な心配をしただけだった。

 何故ならば……

 ことの始まりを告げるのは、空間投影で宙に浮かぶ須黒先生の、鋭い叫び声だった。

「魔力反応! 二つ! 気を付けて!」

 言葉ぶつ切り。
 その叫びとほぼ同時に、通路の防火壁が、ほとんど音を立てずに動き、下がり始めた。

「走れ!」

 閉じ込められようとしていること、いち早く察した祥子が、叫び、走り出した。

 残る四人も慌て、床を蹴り跳ね後を追う。
 腰を屈め、身を折り曲げて、なんとか防火壁を潜り抜け、通路の向こう側へ。
 そしてまた走る。

「バレたってことか?」
「最初からかも」
「そがいな話は後じゃ!」
「そうだな……うわっ!」

 全力で走りながら、カズミは咄嗟に身を屈めた。

「くそ、剣かなんか、風圧受けた! 誰がいるぞ!」
「ぐっ」

 治奈が呻き、左腕を押さえた。
 紫色の魔道着が切り裂かれて、押さえる右手の指の間から、血が染み出している。

「大丈夫? カズミちゃん! 治奈ちゃん!」

 アサキが不安そうに尋ねた。
 と、その瞬間、アサキ自身も感じていた。カズミがいっていた、その風圧を。

 無意識に、身体が動いていた。
 感じたその瞬間に、アサキは、風圧から、見えない武器の軌道と位置を読み取って、手の甲で横から弾いたのである。

 手の甲に、確かな感触。
 金属を弾いた音。

 ち、
 と舌打ちが聞こえた気がした。

 全力で走り続ける五人の前に、分岐点。
 真っ直ぐ先には、ほとんど閉まりかけた防火壁があり、左を見るとまだ降り始めたばかりの防火壁。
 誰かの言葉を待つまでもなく、みな、左へ曲がった。

 防火壁はそのまますーっと、ほとんど音なく降り続けて、隙間あと三十センチほど。みな、そのわずかな隙間へと躊躇なくスライディングし、次々と抜けていく。

 最後の延子が抜けて立ち上がった瞬間、背後で防火壁が完全に閉じた。

「かわせた?」

 腕からじくじくと血を流しながら、治奈が、閉まった防火壁を振り返った。
 襲撃者を、まくことが出来たか。という意味である。

「たぶん……あ、いけない!」

 めくれた薄水色スカートを直しながら、万延子の驚いた声。

 進行方向、十メートルほど先にある防火壁が、もうほぼ閉じ掛けているのだ。

「やってみる!」

 アサキは、呪文を念じた。

 だらりと下げた右手のひらと、左手のひら、それぞれから青い光が生じていた。
 光、輝きは、薄く引き伸ばされ、ピザLサイズ並みの、五芒星魔法陣が出来上がっていた。
 両手をクロスさせ、その魔法陣円盤をそれぞれ投げると、空中で二つが組み合わさり、回転し、青い球形になった。

 投げた魔法陣が挟まって、ガキリ引っ掛かる音と共に、壁の落下が止まった。

「サンキュ、アサキ」

 カズミが、礼をいいながら腰を屈めて抜けた。
 続いて治奈、祥子、延子、最後にアサキも通り抜けた。

 はあ、
 はあ、
 みんな、息切れ切れである。

 だが、この壁落下のアスレチックも、ようやく終わりを向かえた。
 通路の突き当りにきたのである。

 第三試験室、
 と、扉の上にプレートが掛かっている。

「ダメ元っ!」

 といいながら、カズミが壁のセンサーに、セキュリティカードを翳した。

 しゅいっ
 と音がして、あっさりと、扉は左右に開いた。

「拍子抜け、じゃの」
「でも気を付けろよ」

 治奈、そしてカズミが、恐る恐る部屋へと入る。

 訓練上であろうか。
 物のなんにもない、薄暗い部屋だ。

「とりあえず、一息はつけるかな。こう走ると、年寄りには堪えちゃうね」

 唯一の三年生である万延子が、自虐的なことをいいながら、わざとらしく腰に手を当てて背筋を伸ばした。

「みんなごめん」

 須黒先生の声。
 祥子のリストフォンから、上半身が空間投影されているのだが、申し訳なさそうに、しゅんと縮こまってしまっている。

「出来る限りの想定をして、持っているデータと送られてくるデータから最適を判断していたつもりだったのだけど……」
「魔法使いが潜んでいたんです。姿も見せずに近寄って攻撃してきた、油断のならない相手でした。だから、仕方ないですよ、先生」

 励ますアサキの言葉に、須黒先生の顔がほんの少しだけ明るくなった。

「これからすぐに対策を立てるから、少しだけ時間をちょうだい」

 そういうと、手元のキーボードを叩き始めるのであるが、

「必要ない!」

 しんと静まり返った部屋に、ちょっとおかしなイントネーションの大声が響いた。

 不意の、その大声に、アサキたち五人、そして空間投影画面の中の須黒先生は、一ようにびくり肩を震わせた。

 ぶん、
 奥の暗がりから、アサキたちのいる方へと、なにかがもの凄い速度で飛んでくる。

 それは赤黒く、ぬめぬめとした、
 それはなにやら、臓物にも見える、グロテスクな塊であった。

 アサキの顔面を、狙っていた。

 顔を少し傾けて、かわした。

 びじゃっ、
 背後からの音に、みなが振り返ると、壁の一部が茶色に染まっている。
 いま飛来し、アサキが避けたものだ。

 壁に当たって破裂し、ぐちゃぐちゃとした赤黒い塊が、床に落ちている。

 にも見える、ではなく、本当に臓物であった。

 なんの動物だかは、分からないが。
 間違いなく、臓物であった。

 見た目と状況の気持ち悪さに、カズミが、あひっ、と小さく悲鳴の声を漏らした。

 ぶん、
 また、それは飛んできた。
 また、それはアサキへと。

 避けた瞬間、また次の物が。
 奥の暗がりにいる何者かは、アサキだけを狙っているようである。

 臓物の飛来が収まって、また、しんと静まり返っていた。
 息遣いすら聞こえそうな、冷たい空気。

 不意に、声が聞こえた。
 楽しそうな、少女の声が。

(りよう)(どう)()(さき)い、内蔵を投げ付けられて悲鳴を上げないどころか、顔色一つ変えないなんてねえ。肝が据わっている、ってことかな。投げたのが肝だけに、ねえ」

 吹き出したかと思うと、ぎゃははははははと大爆笑。
 自分の掛けた言葉に、自分で大受けしている。

 闇の中に、人の姿が、浮かび上がっていた。
 こちらへ、近付いてくる。
 姿が、はっきりしてくる。

 白を基調に茶色のラインの入った、スカートタイプの魔道着。
 スカートからは、白いタイツを履いた、細い足が伸びている。
 やはり、魔法使い(マギマイスター)であった。
 普通に考えて、リヒトの差し向けた者、ということだろう。

 と、そこへ、また別の声が聞こえた。

「そら違うだろ。そいつは、あたしらと同じ。自分自身を見ているだけだから、平気なだけだよ」

 黒を基調に青いラインの入った、スカートタイプの魔道着。
 スカートからは、黒いタイツを履いた、細い足が伸びている。

 白い魔道着の、隣に立った。

 ……なにを、いっているんだろう?
 アサキは、二人の意味不明な会話に対し、目を細めながら、軽く首を傾げた。
 意味不明ではあるが、間違いなく、不快だった。
 その言葉は、アサキにとって。

 いや、誰でも嫌な気持ちになるだろう。
 人にいきなり内蔵を投げ付けておいて、自分自身を見ている、とか。

 白と黒、二人の魔法使い。
 万延子と同じ、派手なふりふりスカートタイプの魔道着だ。

 だが、派手さ延子の比ではない。
 戦闘服とはとても思えず、まるでアイドル歌手。
 いたるところにふりふりが付いて、いたるところ逆立っている。アップリケも刺繍されており、とにかくかわいらしく装飾過剰の服である。

 でも、油断は出来ないし、するつもりもない。
 油断などしたら、多分、殺される。
 死んだら、フミちゃんを助けられない。

 と、アサキは気持ち戒め、拳をぎゅっと握った。

 二人の姿を、じっと観察する。

 先ほど、通路で攻撃を受けたけど、黒い方が、そうだろうか。
 声、気配、匂いから、きっとそうだ。

 お互い、身隠しの魔法を掛けていたのに、こっちが一方的な攻撃を受けた。走っていて、魔力の目をしっかり働かせられなかったといえ、だったら条件は同じなのに。
 そこだけをとっても、どれだけ恐ろしい能力を持っているか、ということ。

 先ほど、自分より強い者がここにいて不思議でない、という想像をしたが、もしかしたら、この二人がそうなのかも知れない。

 だから、なるべく戦闘には、ならないようにしたいけど……

 握る手の内側が、汗でぐちゃぐちゃだ。
 アサキは不快に顔をしかめ、魔道着で手のひらを拭いた。

 それをきっかけに、というわけでもないだろうが、白い魔法使いが、また口を開いて、また少し歪なイントネーションで言葉を発した。

「あと数分でね、さっきの内蔵みたく、なっちゃうんだから、意味はないと思うんだよね。正直ね。あ、名乗りの話ね。でもね、それをいったら、誰でもいつか死ぬんだし、だからね、一応ね、一応の一応ね、名乗っておくね。あと数分の間だけど、それまでの間ってことで」

 ひねったいい回しだが、さりとて独創性もない、勝利宣言であり、殺害宣言。
 白い魔法使いは、少し口を閉じ、笑みを強くすると、また口を開いた。

「わたしはね、(さい)(とう)()()()。リヒトの(とく)()(たい)の一人であり、所長()(だれ)(とく)(ゆう)の親衛隊のような者。そんでね、隣にいるこのブスがね、(やす)(なが)(やす)()いう同じ特務……」

 (さい)(とう)()()()、と名乗ったド派手なふりふり白スカートの魔法使いは、にこり邪気のない笑みを浮かべ、隣にいる黒スカートの魔法使いを紹介しようとするが、そのにこり邪気のない顔に、頬に、

「誰がブスだてめえええええ!」

 黒スカート魔道着の魔法使い、(やす)(なが)(やす)()の、音速を超えた右拳がぶち込まれていた。

 斉藤衡々菜の、顔面がひしゃげた。
 と見えたその瞬間には、そこに顔面も肉体も魔道着も白のふりふりもなく。
 どどおん、と重たい音と共に、後ろの壁が砕けていた。
 砕け、すり鉢状になった中に、斉藤衡々菜の全身が、めり込んでいた。

「もおおお冗談も通じなあい!」

 斉藤衡々菜が、笑いながらやり返した。
 すり鉢に埋め込まれているそのままの体制で、首と腕と背中と足とで、壁を跳ね返した。次の瞬間には、ガッと音がして、黒スカート魔道着は、全身、床に打ち付けられていた。

 白スカートの魔道着、斉藤衡々菜が、両手を組んで、飛びながらくるり前転。その勢いを乗せ、拳のハンマーで、頭上から叩き潰したのである。

「なんだ、こいつら……」

 敵を前に、ブスがどうとか下らないことで殴り合っている二人の姿、その狂気性に、カズミは唖然とした顔で、かすれた声を発した。

「特務隊に、きみたちのような者は見たことないのだけどな」

 銀黒髪に銀黒の魔道着、元リヒトの嘉嶋祥子が、軽く小首を傾げた。大柄な身体に、ちょっと不釣り合いであるが。

「昇格したばかりにしても、そもそも、どの部所でも見たことない。魔法使い(マギマイスター)自体、なりたてだとしても、どんな才能があろうと、あっという間に特務隊はないよね」
「てめえになんか関係あんのかよ! すぐ殺されるくせによ!」

 前のめりに凄むのは、黒スカートの魔法使い、康永保江である。

「殺すとか、物騒な言葉は好きじゃないなあ」

 強がりなのか、駆け引きなのか、祥子は澄ました顔で、後頭部を軽く掻いた。

「あーっ、誰かと思ってたら、元リヒトの嘉嶋祥子ちゃんね。まだね、(とく)(ゆう)からはね、はっきり明確な指示は出てないのね。だっからとりあえずう、臓物に向けて臓物を投げて、遊んでたあああ」

 白スカート、邪気なくあはははと上を向いて笑う、斉藤衡々菜。

「ふざけないで!」

 だん、と激しく床を踏む音、それを掻き消すアサキ自身の怒鳴り声。
 斉藤衡々菜を、睨み付けていた。
 視線を受けた相手は、そよぐ風ほどにも感じていないようであるが。

 アサキは、本心から不快にイラついていた。
 当然だろう。
 自分だけを執拗に狙う、行動、発言。
 ()(だれ)(とく)(ゆう)のように、打算駆け引きで自分を不安に落とそうしているのなら、ともかく。
 邪気なく、そうだからそうといっているだけなのが、むしろ質が悪い。

「どうして、あたしらのことが分かったんだよ」

 カズミが尋ねる。
 落ち着いた声で。

 怒りぐっと堪え、アサキの気持ちや、この空気を、はぐらかそうとしているのだろう。
 ここでアサキがイライラして自制心を失って、どうなるものでもないからだ。

 質問に答えたのは、黒スカートに青ライン、康永保江である。

「バカなのかお前は。お前たちは人質を取られている、しかし猶予は存分にある。潜入の可能性は高い。そうと分かってりゃ、あれこれせずに、このフロアにだけ気を張っとけばいい。……反対に、お前らがどうして、あたしたちのことが分からなかったのか、だろ?」

 黒スカートの魔道着、康永保江は、意地悪そうな顔をくっと歪めると、続きを語る。

「お前らも、魔法索敵の対策をしてはいるようだけど、お前らのちんけな魔力が憐れに思えるくらいに、あたしらの魔力の方が圧倒的、絶対的、無限大的に強いんだよ。ただそれだけだ、分かったかこのタコ」
「あぁ?」

 タコと鼻で笑われて、カズミの表情が変わった。
 アサキの怒り不快をはぐらかせようとして、持ち出しただけの質問だったというのに、受けた侮辱にすっかり切れ掛かっている。
 歯をぎちり軋らせながら、激しく一歩を踏み出した。

 と、その時である。

 ブウウウウウウン

 モーターの、振動。
 バイブレーション。
 ここにいる全員の、左腕のリストフォンが震えている。
 それぞれの画面には、()(だれ)(とく)(ゆう)の上半身が映っている。

 祥子のリストフォンだけは、表示内容が空間投影されているため、必然的に、みなそちらへと視線を向けることになる。

 グレーのスーツを着ているリヒト所長、至垂徳柳。
 机に両肘をつき、組んだ指の背に顎を乗せ、薄笑いを浮かべている。

 背後、壁際には、まだ幼い明木史奈の姿。
 両手を縛られ吊るされている。
 目もうつろ、心身すっかり衰弱している様子である。

 先ほどは隣に、ナイフを突き付けている魔法使いがいたが、今は見えない。おそらく、ここにいる二人が、ということなのだろう。

「フミ!」

 明木治奈は、空間投影されている妹の姿へと、悲痛な顔で呼び声を投げた。

「フミ!」

 もう一度、呼んだ。

 妹、史奈の、がくりだらりと下がっている頭が、ゆっくり持ち上がった。
 垂れた前髪に隠れている、二つのまぶたが、震えながらそっと開かれ、そして突然、はっと気付いて大きく見開かれた。

「お姉……ちゃん」

 画面の中の史奈は、驚きと混乱に、目を白黒させている。
 無理もないだろう。
 誘拐され、幽閉されていた。
 助けがきた? と思ったら少女だけ。
 中には姉もおり、しかもみな、見たことのない白銀プラス色とりどりの戦闘服に身を包んでいるのだから。

「もう、安心じゃけえね。お姉ちゃんたちが、必ず、助けるからのう」

 治奈は、笑みを浮かべた。

 すると、画面の中の史奈も、ニコリ笑みを返した。かなり、力のない笑みではあったが。

「と、いってもさーあ」

 空間投影の画面内、吊るされた幼い女の子の姿を、横から入った至垂の顔面が隠した。
 鼻息でカメラレンズが曇りそうなくらいに、顔を寄せると、彼は楽しそうに、歪んだ口を開いた。

「分が悪い、と思うんだよね」

 と。

「だって、わたしたちは……ええと、フミちゃんっていったっけ? この娘の、生命を握っているわけだろう? きみたちには投降するチャンスを与えたのに、従うどころか、こっそり忍び込んで。挙げ句のはてには、こうして、あっさり見つかっちゃったわけじゃない?」

 さらにカメラへ顔を寄せながら、

「あっ
 とおっ
 てき
 にいいいいいいいいっ、
 分が、悪いと思うんだなあ。あとなにが出来るのか。もう命乞いしかないと思うけど、でもそれも、ちょっと虫がよい考えだとは思わない?」
「てめえの理屈に酔ってろ! 変な名前の異常性癖クソ野郎! なんの関係もないフミちゃんを巻き込んどいて、好き勝手いいやがって! 名前が妙ちくりんなだけでなく、随分とボケ面をしてる奴だとは思ってたけど、やっぱり脳味噌もおかしかったんだな」

 カズミの怒鳴り声である。
 怒りにぶるぶる身体を震わせ、画面の至垂へと寄ると、正拳突きで顔面をブチ抜いた。
 もちろんこれは空間投影の映像であり、拳は空間を、するりすり抜けただけであるが。
 それも承知か、もう一発、投影映像を殴り付けるカズミ。

 至垂の唇が、より楽しげに釣り上がるだけであった。

 腹立たしげに舌打ちをするカズミ。
 更になにかをいい掛けるが、

 その前に、ぐいとアサキが出た。
 映像の至垂へと、険しい表情を向けると、小さく口を開いた。

 ぼそりと小さくではあるが、しかしはっきりと、アサキらしくない低くドスの利いた声で、こういったのである。

「もしもフミちゃんになにかあったら、わたしは絶対に、あなたを許さない」

 と。

「許さなかったらどう……」

 至垂が楽しげに、ありがちな言葉を返そうとするが、アサキはみなまでいわせず言葉を被せ、

「リヒトを潰す」

 また、低く、小さいがはっきりとした声で、至垂を睨んだ。

「絶対に、あなたの野望がかなえられないように。もしメンシュヴェルトも既に抱き込んでいるのなら、それも潰す。……わたしは決して、あなたの道具なんかにはならない。決して、あなたなんかに絶望させられはしない」

 凄むアサキであるが、至垂はそよ風に吹かれたほども感じていない。だからなんだ、といった顔である。

「ほう。逆に脅しというわけかね。無意味なことだ。だって考えてみてごらん。時間さえ掛ければ、きみに代わる(オルト)ヴァイスタ候補なんかは、いくらでも作り出せるんだから」
「そうでしょうね」
「現在いるからきみなだけ。……神創造の手伝いが出来るなんて、ある意味こんな名誉なこともないのに……」
「あなたの勝手な価値観でしょう」

 アサキは冷ややかな視線を、至垂の映像へと向ける。

「そこまでというのなら、もうきみに存在価値はないのかな。でも、その心意気には打たれた。爽やかな正義面に酔いしれる姿に、感動したよ」
「そんなつもりはない!」

 正義とか、そんなんじゃない。
 ただ、自分の中でどうしても赦せないことがあるだけだ。
 ただ、親友の家族を救いたいだけだ。

「つもりはなくともそうなんだよ。嫌いじゃないよ、わたしは。真っ直ぐなのは。いざ折れたら、粉微塵に砕けるからね。という打算と、さっきの爽やかな感動との、半分半分なんだけど……チャンス、上げるよ」
「なにを、いってるんですか?」
「きみたちは圧倒的に分が悪い、といったでしょ? 打開するためのチャンスだよ。そこにいる二人と戦い、もしも勝てたら、えっと、フミちゃん? この娘を放してあげる……かも、知れない。さて、これで、きみたちには可能性が、希望が出来たね」

 グレーのスーツ、至垂は、机に肘を置き直した。

「なあ徳柳、こいつら殺してもいいのか?」

 黒スカートの康永保江が、空間に映っている至垂へと尋ねる。

 至垂は、返事も頷きもせず、画面の中で、アサキたち潜入した魔法使いたちへと視線を向けた。

「強いよ、その二人は。少なくとも、(りよう)(どう)くん以外のザコどもが、束になって挑んでも、一人にすら勝てないだろうね。まあ、だから、束になって挑んでも構わないよ」
「そういうことだっ」

 くくっ、黒スカートの康永保江は、声に出して笑った。

 反対に、声に出さず、ただ唇を釣り上げたのは、カズミである。
 小さく息を吐いた。

「舐められたもんだよ」

 そのため息、言葉、苦笑、本心ではないだろう。
 いや、もちろん、相手の強さや、舐めるに足る実力あっての発言であることなど、カズミも理解はしているのだろうが。
 魔法使い同士の戦いとなれば、ほぼ魔力の量や質が勝敗を決める。それらの要素は、機械で数値化出来るものだからだ。

 なにはともあれ、チャンスを掴めたことは事実である。
 潜入が見付かってしまい史奈の生命も相手次第、という状況の中、アサキのハッタリによって。

 須黒先生が次の手を打ってくれるはずだ、と信じた上での、そのための時間稼ぎにしかならないかも知れないが。

「では、楽しい結果を待っているよ」

 空間投影や、それぞれのリストフォンに映っている至垂の画像が、ざーっというノイズ音と共に乱れ、信号未検出のブルー画面へと変わった。

     3
 バスケットボールの試合が出来るほどに広く、なんにもない、そして薄暗い部屋。
 先ほどまでいた部屋の、一つ上のフロアにある、今回の戦場として案内された場所だ。

 扉近くには、魔法使い(マギマイスター)が七人。

 我孫子天王台の魔法使い、
 (りよう)(どう)()(さき)
 (あき)()(かず)()
 (あきら)()(はる)()
 ()(しま)(しよう)()
 (よろず)(のぶ)()

 リヒト特務隊、
 (さい)(とう)()()()
 (やす)(なが)(やす)()

 向き合っている。
 冷たい空気の中を。

 これから、ここで戦うのである。
 明木治奈の妹、明木(ふみ)()を取り戻すために。

「ねえ、照明、暗すぎないかな?」

 延子が、リヒトの二人に尋ねる。
 おそらくは遥か格上、とこれから戦うというのに、なんだか普段以上にのんびりした口調で。

「いいんだよ、この方がお互い」

 黒スカートに青ラインの康永保江は、面倒臭そうに答える。

「何故だい?」
「いつもさあ、あたしらと戦うやつも、見ているやつらも、すぐ戦意喪失しちまうんだよ。傷だらけの、ぼっこぼっこの顔になっちまうからな。自分の腹から、ずるずる腸が出ちゃったりするからな」
「強いんだねえ」

 万延子は、青白ストライプの巨大メガネをフレームを摘み、苦笑した。

「ガタガタ震えてるやつらに囲まれてたって面白くないし、てめえらも見たかないだろ? 仲間がぐちゃぐちゃの肉塊になるところなんか、はっきりとは。まあ、結局はみんなあたしたちにブッ殺されるんだから、どうでもいいんだけどよ」

 負けること億に一回もない、と自信満々な表情である。

「みんな、ごめんね」

 しゅんとした声で、割り込んだのは、()(ぐろ)先生である。
 祥子のリストフォンから、空間投影で上半身が浮かんでいるが、声の通り、がくり首を落として申し訳なさそうな表情だ。

「こんなことになっちゃって。甘かった。フミちゃんになにかあったら、全部わたしのせい」
「違います! 先生はなにも……」

 自責の言を否定する明木治奈であるが、いい切るより前に、

 ごっ、
 と鈍く重い音と共に、顔面がひしゃげていた。

 白スカートの魔道着、(さい)(とう)()()()の、白い手袋をはめた拳が、無警戒の頬をブチ抜いたのである。

 不意打ちを受けた治奈の身体が、風を切る勢いで、吹き飛ばされる。

 拳放った斉藤衡々菜本人が、なんという脚力そして魔力か、跳躍してその風へと追い付くと、追撃を浴びせた。
 両足を揃え、治奈の身体へと叩き込んだのである。

 ぐじゃりっ
 壁に打ち付けられて、治奈の身体が潰れた。
 ずるり、ぼとり、まるで叩き付けられた濡れ雑巾。
 剥がれ、床に落ちた。
 ぴくりとも動かない。
 動けない。
 そもそも、意識があるのか、ないのか。

 蹴りを見舞った反動で、斉藤衡々菜はトンボを切って着地した。

「十点!」

 両手を高く上げて、喜悦の笑み。
 その、高く上げた手に、いつの間にか武器が掴まれていた。
 クラフトにより具現化させたか、部屋自体に魔道伝送の機能が施されているのか。

 長い柄の先に、緩く反った刀が付いている。
 (えん)(げつ)(とう)という中国の武器である。

 白スカートの魔法使いは、柄の中心を持ってぐるん回転させると、大きく振りかぶって、

「はーい、そんじゃまずは一匹い」

 にこにこ笑いながら、倒れて朦朧としている治奈へと、なんの躊躇いもなくむしろ嬉々として刃を振り下ろした。

 魔道着は優秀な防具でもあるが、服にしては、に過ぎない。
 ましてや治奈は意識を半分失っており、
 ましてや刃を振り下ろすのは、得体の知れない能力を持つ魔法使い。

 みながまだ、あっけに取られて動けないでいる間に、こうして惨劇がまず一つ。

 いや、
 そのままであったならば、間違いなく治奈の首は切断されていたであろうが、一本の棒が、その未来を変えた。

 (よろず)(のぶ)()の伸ばす、飾り気のない木刀。
 その先端が、(えん)(げつ)(とう)の一撃を、受け止めたのである。

 さすがは一人だけ三年生というべきが、油断をしていなかったため、なんとか間に合ったものだ。

 長い遠心力を持って振り下ろされる金属の刃物を、細い木の刀身で受けたわけだが、折れもしなければ傷一つついてはいなかった。
 正確には、刀身ではなく、気によって弾いたのだ。
 木刀は繊維ゆえに、一瞬で魔力を伝導させられる。
 万延子、彼女が木刀を得物として使う所以である。

「うあん、おっしい!」

 幼児みたいな、まるで邪気のない笑顔を浮かべ、白スカートの斉藤衡々菜は、パチンと指を鳴らしながら腕を振り下ろした。

 敵対関係とはいえ、不意打ちで治奈を殺しかけておいての、そんなことをまるで感じさせない態度に、アサキ、カズミ、祥子はすっかり呆気に取られてしまっている。
 まさかそんな、という常識感に阻害され、気持ちが付いていけていないのだ。

「ああ、いきなりで驚いちゃったあ? 特に始まりの合図とかないから、気楽にね。……だって、どうせどっちが勝つかは決まってるんだし。みんなそんな硬い顔してないでさあ、生きているあとほんの少しの時間を、楽しもうよお、ね」

 白スカートの魔法使いは、勝手な理屈を押し付けながら、手首をパタパタと返した。

 つまり、既に戦いは始まっているわけである。

 相手の強さ、無邪気な言動に調子を狂わされて、アサキたちはただ唖然とするばかりであったが。

 だが、
 一人……

「ライヒ、スターク……」

 微かに聞こえる声で、呪文の詠唱をしていた。
 万延子である。
 気持ちの切り替え早く、既に、こそりぼそりと唱えていた呪文魔法により、両手に握りしめている木刀が、薄青く、輝いた。

 ぶうん
 横薙ぎの一閃が、空気を切り裂いた。

 もしも相手が異空側にいようとも、次元の壁を破り魔道着の上から骨を砕いて不思議のない、破壊魔力に青々輝く豪快な一振り。

 だがその先には、
 戦いの優劣は相対的である、という当たり前の現実が、あるばかりであった。

 木刀の繊維に魔力を行き渡らせての、延子の一撃は、

 白スカートの魔法使い、斉藤衡々菜の、折れそうに細い二本の指に、難なく摘まれ、受け止められていたのである。

 もう片方の腕、小脇に、偃月刀の柄が抱えられている。
 白スカートの魔法使いは、その武器を、腰の回転力だけでぶうんと振り回した。
 軽く腰を捻っただけに見えるが、先に延子の放った一撃以上に、勢い鋭かった。
 周囲の空間粒子を切り裂き潰しながら、刃が延子へと襲い掛かった。

 経験? 本能? 風圧や音を受けるより早く、直感的にその圧倒的な破壊力を見抜いたか、延子は、摘まれた木刀を力任せに奪い返しながら、すっと斜め後ろへと引いていた。

「甘いんだよねえ!」

 ほとんど同じタイミングで、斉藤衡々菜は、引かれた分だけ詰めていた。
 短く持った偃月刀の穂先を、小さなモーションで振り下ろす。

 延子はかろうじて、木刀で打ち上げてかわす。
 だがその瞬間、身体が浮いていた。
 足払いを受けたのである。

 空中で、腰を軸に回転した身体が、ほぼ水平になったところ、その身体に、なにかが振り落とされた。
 延子の全身は、床に叩き付けられた。

 いつ蹴り足を振り上げたのか、白スカートの魔法使いが、踵を落としたのである。

「ぐ、が……」

 苦悶の表情、地に叩き付けられた延子の、呻き声。

「さあああ、今度こそっ一匹い!」

 とどめは武器で、と決めているのか、白スカートの魔法使いは、また楽しげな笑顔を浮かべると、下がって距離を作りながら、長く持った偃月刀を振り上げ、振り下ろした。
 喜悦の表情で。

 だが……

 ぎんっ
 と、鈍いも鋭い、金属の打ち付け合う音が響くと、

「しょぼーん」

 稚拙な擬音を発しながら、斉藤衡々菜の喜悦の表情は、残念そうな、落ち込んだものへと変わった。

 またもや、とどめの攻撃を受け止められてしまったからである。
 首と胴体を分かつ喜びを、お預け食らったからである。

 今度は、アサキの剣だ。
 咄嗟に飛び込み、振り下ろされた偃月刀の刃から、仲間を守ったのである。

「まーーーー、いっか」

 すぐまたにっこり笑顔になった白スカートの魔法使いは、そういいながら一歩前へ出て、アサキへと密接した。

 咄嗟に退くアサキであるが、

 白スカートは、引かれた分を瞬時に詰めると、逃げられないよう手首を掴んだ。

 く、と呻きながら、アサキは、払い、振り解く。
 解いた瞬間にまた掴まれて、さらに、もう一つの腕をも掴まれていた。

 斉藤衡々菜は、押し始める。
 アサキの両手を掴んだまま、アサキの身体を、一歩、二歩。

 アサキの身体が、じりじり下がる。
 押された分だけ、一歩、二歩。

「アサキ、なにやってんだ!」

 カズミの、不安焦燥もどかしげな叫び声。

「う、動けないんだ!」

 完全に動かないわけではない。
 ただ、力がまともに入らない。
 感覚が、麻痺してしまって。

 相手のなんともいえない迫力と非常識に、驚いただけ? とも思ったが、そうではない。

 こちらだって覚悟して、ここへきている。
 いつまでも、気持ちで負けたりなどしていない。

 ということは……
 ま、まさか……

 アサキの目が、あらためて驚きに見開かれていた。

 その表情に気が付いた白スカートの魔法使い、斉藤衡々菜は、アサキの身体をぐいぐい押しながら、満足げに目を細めた。

「そう、非詠唱を使えるのはね、きみだけじゃ、ないんだよ」

 やはり、この白スカートの魔法使い、斉藤衡々菜も、アサキ同様非詠唱魔術発動能力者だったのだ。

 俗に非詠唱能力といい、詠唱系呪文を非詠唱つまり声に出すことなく、脳内にて唱え、発動させることの出来る能力だ。
 右脳特定部位の、異常発達によるものだ。
 それにより、本来なら声に出すことで初めて生じる言霊を、念じるだけで作り上げることが出来る。

 その、非詠唱による魔法を、いつの間にか掛けられており、そのため身体に力が入らなかったのだ。

 充分に、想定し得る状況ではある。
 だが実際に、自分以外の同能力者に、出会ったことなどなく。
 すっかり意表を突かれてしまった。

 束縛魔法は初歩の初歩、それが非詠唱というだけで、分かればどうということはないはずだ。
 アサキは、魔力の呪縛を魔力で、非詠唱で、振りほどくべく対抗呪文を念じた。

 だが、これはどうしたわけか。
 束縛魔法を打ち消すための魔力が、体内に生じないのだ。
 そもそも、脳内に言霊が生じない。

 すぐ、原因が分かった。
 白スカートの魔法使い、斉藤衡々菜に、両手首を掴まれているせいだ。
 しっかりと掴んでいるだけでなく、ぎゅ、ぎゅっ、と細かく不規則に捻じり、特定リズムの刺激を与えることで、呪文の発動を乱しているのだ。

「ストルォング、サーヴィアタイス……」

 と、すぐに有詠唱に切り替えた。
 しかし、間に合わなかった。

 どん、ちゃぷんっ

 アサキの背が、壁に押し当てられた瞬間、液体が跳ねた音。
 背が、全身が、壁の中に沈んだのである。

「じゃあ(やす)()ちゃあん、行ってくうるねえーっ。残りの雑魚は、まーかせたあ」

 白スカートの魔法使い、斉藤衡々菜は、そのままぐいぐいアサキの身体を完全に押し込んで、垂直の水面へ完全に沈めると、自らも壁の中へと飛び込んだ。

 二人の姿は消えて、そこにはただ、冷たく硬い壁があるのみだった。

     4
「お、おい、どこ、行っちまったんだよ、アサキは」

 カズミは、あたりをきょろきょろ、アサキの消えた壁へと近付いて、手のひらで叩いた。

「別に、次元を越えたとかじゃなく、隣の部屋に移動しただけだよ。誰にも邪魔されないためにな。……好きなんだよ、(さい)(とう)は、あの部屋で戦うのが」

 楽しそうに説明しているのは、黒に青ラインの入った、スカートタイプの魔道着、(やす)(なが)(やす)()である。

 なお、斉藤というのは(さい)(とう)()()()
 アサキと共に壁の向こうに姿を消した、白スカートの魔法使いである。

「そこで斉藤は令堂和咲を殺し、ここであたしはお前ら全員を殺し、それぞれが、あたしらこそが最強の二人であることを、証明するってわけだ」

 手の指を組み、こきぱきと鳴らすと、唇の片端を釣り上げた。

「はあ?」

 カズミは、手を翳した自分の片耳を、黒スカートの魔法使い、康永保江へと向けた。

「耳遠くなったのかなあ。誰が最強で、誰を殺すってえ?」

 強気で、気怠そうな、カズミの笑み。
 不安や恐怖も当然ありつつ、それ以上に、見くびられていることが我慢ならないのだろう。

 黒スカート、康永保江は、親指を立ててカズミへと向ける。
 その親指を、今度は自分の首に当て、ぴっ、とかっ切る仕草を取った。

「殺ってみやがれ! あんまり舐めんなあ!」

 二本のナイフを取り出し構えたカズミは、怒気満面、身体を飛び込ませた。
 にやり笑みを浮かべている、黒スカートの魔法使い、康永保江へと。

 右のナイフを振り、左を振り、それは風を起こし、空気を切り裂いた。
 目にも止まらぬ早業である。

 だが、ただ風を起こし空気を切り裂いただけであった。
 攻撃が楽々見切られ、かすりもしないのである。

 残像を残しつつかわした黒スカートの魔法使い、康永保江は、回り込んでカズミの側面から足を蹴り上げて、強引に空中へと浮かせた。
 浮かせたその足を掴み、円弧を描いて床へと叩き付けた。

 ぐあっ、
 遠心力で床へ落とされた、カズミの呻き声。

 黒スカートの魔法使いは、まだ足を掴んだまま。
 ぶん、ぶん、
 とカズミの身体をハンマー投げの要領で振り回すと、壁へと勢いよく放り投げた。

 ぐじゃり、
 壁に激突して、肉の潰れる不快な音。

 カズミの身体が、ではない。

「治奈!」

 驚いて叫んだのは、カズミである。

 そしてカズミを抱きかかえ、壁との間で潰れているのは、治奈であった。
 投げられたカズミが壁に打ち付けられる寸前、治奈が間に入り、受け止め、代わって自らがその勢いにぐしゃりと潰されたのである。

 カズミを下ろした治奈は、がくり膝を着いた。

「思い切り、全身を打ったけえね」

 ぐっ、と呻き、顔をしかめると、後頭部をおさえ、さすった。

「助かったよ、治奈。つうか無茶すんな。酷い目にあったフミちゃんを、誰が抱き締めてやるんだよ」

 苦笑しながらカズミは、腰を少し落とす。
 二本のナイフを、構え直した。
 そして、黒スカートの魔法使い、康永保江を、ぎろり睨んだ。
 むしろ心地よさげ、
 という反応、表情に、睨み付ける顔がさらに険しくなった。

 ぎりり、歯を軋らせる。

「確かにこの女、信じられないくらい強い。……プライドがとか、そんなんどうでもいい。みんなで、同時に攻めっぞ」
「最初からそうすべきでしょ」

 万延子は苦笑しながら、カズミの横に立った。
 両手の木刀を、正眼に構える。
 薄青色のスカートと木刀、そしておでこに掛けた青白ストライプの巨大メガネが、なんともアンマッチであるが、まるで気にせず、真剣な表情である。

 銀黒の髪と魔道着の嘉嶋祥子も、小さく頷くと、二人と肩を並べた。
 トレードマークともいえる、柄のない巨大戦斧を、構え直した。

 床を蹴っていた。
 カズミ、祥子、延子の三人が。
 全員、まったく同じタイミングで。
 誰が合図をしたわけでもないのに。
 ぴったり揃った呼吸であった。

 だが、次の瞬間には、床に張っていた。
 三人も、床に打ち付けられて、苦悶の表情でのたうち回っていた。

 別段、特殊なことが起きたわけでもない。

 まず、康永保江が、自ら一歩を詰めて、延子の握る木刀を、側面から蹴った。
 それにより、ぐんと曲がった木刀の先端が、蹴りの力をもって、カズミの腹部へとめり込んだ。
 康永保江の、木刀への蹴り足は、そのまま反発を利用して、万延子の顎へと後ろ回し蹴り。
 斜め上へと、顔を首からねじ切るような凄まじい打撃にのけぞった延子の、腹を蹴り飛ばす。
 蹴られた延子の身体が飛んで、祥子へとぶつかった。
 祥子が混乱しながらもらぐっと力を入れて堪えようとしたところ、黒スカートの魔法使いは、上から頭を押さえ付けて、足払いしつつ床に顔面を叩き付けた。髪の毛掴んで少し起こすと、また叩き付けた。

 と、ただそれだけである。
 それだけであるが、あまりにも速く、あまりにも力強かった。

 いまの、一瞬の早業により、倒れている三人。
 先ほど、カズミを庇って身体を打ち付け、まだうずくまっている治奈。

 四人の魔法使いを、見下ろしながら、

「お前ら、いくらなんでも……弱過ぎねえか?」

 黒スカートの魔法使い、康永保江は、ちょっとつまらなそうに、頭を掻いた。

     5
 どろり濃密な闇の中を、アサキの身体は、吹き飛ばされていた。
 あまりの勢いその激しさゆえ、ぶつかる空気の粒子が針のように身体に突き刺さる。だが、それを痛みに思った瞬間には、床に打ち付けられ、弾み、転がっていた。

「あぐあっ!」

 アサキは痛みと衝撃に呻き声を漏らしながらも、ぎろり目を動かして、素早く右手を床に着き、自らの転がる方向を変化させた。

 ガチッ
 硬い物が、振り下ろされ床に叩き付けられる音。

 金属の、短い棒である。
 もしも咄嗟に、転がる方向を変えていなかったら、頭部を砕かれていただろう。

 転がりながら、その回転の勢いを利用して、立ち上がるが、

 ぶん
 また、金属の棒が、闇の中からアサキを襲う。

 くっ
 呻き声。
 持った剣を水平にして、跳ね上げ弾いて、頭を守った。
 だが、その瞬間、別の金属棒が横薙ぎに、空気を押し砕きながら、アサキの胴体へと迫る。
 剣で食い止めた頭上の棒を、手で掴み直すと、剣を器用にくるり回転させ柄を逆さに握り直し、脇腹への攻撃を受け止めた。
 受けた剣のひらが勢いに負けて、アサキの身体を打撃する。
 ぐっ、と顔をしかめながらも、受けた勢いをどうせなら利用して、後方へと距離を取った。

 はあ
 はあ
 大きく、肩で呼吸をしながら、
 疲労や痛みに、顔をしかめながら、
 赤毛の魔法使いは、赤い前髪の隙間から、睨む。
 前方に立つ、白スカートの魔法使い、(さい)(とう)()()()の、余裕綽々なその顔を。

 はあ
 はあ
 苦しい。

 手にしているのは慣れた洋剣。
 でも、疲労のため、普段より遥かにずっしり重く感じる。
 魔法強化(エンチヤント)を施せば、少しは軽くなる。しかし、斉藤衡々菜の攻撃が矢継ぎ早で、非詠唱のチャンスすら与えてくれない。

 ここはなんとか、耐え続けるしかない。
 それにしても、前より遥かに厄介だな、この武器は……

 アサキは大きく呼吸しながら、あらためて、白スカートの魔法使いが持っている武器に、視線を向ける。

 先ほどまでの、(えん)(げつ)(とう)ではない。
 この部屋に入ってから、武器を持ち替えている。

 リレーのバトンよりも、少し長い金属棒が三本。
 それを、二箇所の節で繋いだもの。
 (さん)(せつ)(こん)と呼ばれる武器だ。

 一般的な形状と違い、一方の先端には槍の穂先が取り付けられている。
 また、真っ直ぐに伸ばして棒状に固定させる仕掛けが施されており、つまりは取り付けた穂先と併せ、槍状に変化させることも出来る、というものである。

 扱いは危険で難しそうだが、使いこなせるのならば非常に強力な武器だろう。

 一月ほど前にアサキは、やはりリヒトの特務隊と思われる、五人の魔法使い(マギマイスター)と戦ったことがある。
 アサキの精神を揺さぶる目的で(おそらくは)、()(だれ)(とく)(ゆう)が送り込んだもので、学校からの帰り道に闇討ちを受けたのだ。
 その五人組の一人が、まったく同じタイプの三節棍を使っていた。

 だけど、その時よりも現状の方が格段に厄介だ。
 使い手の技術が遥かに高いし、使い手の魔力が遥かに強大だからだ。
 格闘技術と魔法能力、仮に秀でているのは片方だけであったとしても、それでもアサキを充分に圧倒出来るのではないか。

 それだけ、白スカートの魔法使い、斉藤衡々菜は、無邪気な顔をしながらも微塵の隙もなく、アサキを圧倒し続けていたのてある。
 薄気味の悪い、この空間の中で。

 なにが気味悪いのかというと、部屋が完全に密閉されており、窓どころか、出入り口、通気口の類すらもないのである。

 分からぬよう隙間なく閉ざされているのかも痴れないが、アサキが探知した限りでは、そもそも存在していない。
 四面、金属なのか、硬質プラスチックなのか、とにかく硬そうな、飾り気のないつるんとした壁があるのみだ。

 その壁には、よく見ると、であるが小さな文字がびっしり書かれている。
 魔法文字による、呪文だ。
 一般に、魔道着にも、ヴァイスタから身を守るための呪文が書き込まれているが、同じ原理であろう。

 魔法文字は壁だけでなく、天井にも、床にも、隙間なく書き込まれている。

 その天井であるが、バスケットボールの試合が出来そうなほど広い部屋であるというのに、電灯など光源の類が一切なく。
 これもまた不自然であり、不気味の一要素である。

 光源がなく、部屋は完全密閉。
 つまりここは、微塵たりも光の粒子が入り込まない、漆黒の空間なのである。
 アサキたちには、視認出来ているが、それは魔法使いはみな「魔力の目」という基礎能力を持っているからに他ならない。

 部屋への行き来も、視界の確保も、なにをおいても魔力を必要とする空間なのである。

 このような壁や天井であるだけに、空調設備などもなく。
 どのようにしてここへ酸素を供給しているのか。
 分からないが、現在のところは、別段に息苦しさは感じない。

 とはいえ、精神的な息苦しさはまた別だ。
 こんな異様な部屋になどいたら、例えなにもなかろうとも、満ち満ちた瘴気を勝手に感じて、鳥肌が立ち、息も苦しくなるというものだ。

 ましてや、呪術的な仕掛けが壁の文字に施されている。
 なおかつ、言動ことごとく常軌を逸脱している斉藤衡々菜のような者が、戦いの場として好んで選ぶ部屋なのだ。
 先ほどの発言から、ここで何人もの人間が殺されたことは間違いなく、
 なら気持ち悪いに決まっている。
 怖気を感じるに決まっている。

 だけど……
 だけど、そんな泣き言は、いっていられないんだ。

 アサキは、剣の柄をぎゅっと握った。

 ()(だれ)(とく)(ゆう)の出した、「この魔法使いに勝てば史奈の生命を助ける」、という言葉。
 まずは、それを信じて戦うしかないわけであり、こうして戦っているわけであるが……
 しかし、いざ戦ってみると、戦闘能力の差があまりにも大きく、使いたくない言葉であるが、絶望的、な状況であった。
 それでも目的を果たすためには、まずはとにかく、必死に食らいつくしかない。
 それで、せめてもの気合いに、柄をぎゅっと握っていたのである。

「なんかね、つまんなそうな顔をね、しているねえ」

 白スカートの魔法使いが、三節棍で飛び込んだ。
 のほほんとした口調ながらも、振り下ろされる棍の先端は、電撃的な速度であり、壊滅的な威力。

 アサキは、剣の柄をぎゅっと握って、必死に受け止め、必死に受け流すものの、そうしたガードの上から、ガリガリと体力を削ぎ取られていく。

 長期戦に持ち込んじゃいけない。
 分かっている。
 けど、手が出せない。
 この魔法使い、強過ぎる。
 やっぱり、わたしなんかまだまだだった。
 でも、負けるわけにはいかない。
 なんとか、しないと。

「楽しそうな、顔を、しなきゃいけないんですか?」

 受け流した時の相手の勢いを使って、アサキは、一歩滑り下がった。
 ひと呼吸しようと、ぼそり小さく、言葉を返す。

 だが、

「実験のためのね、部屋なんだよねえ、ここは」

 会った最初からなのだが、たまに飛び交う会話が、このようにまったく噛み合ってない。
 というよりも、斉藤衡々菜が、自身の発言をころころ変えるのだ。

「魔力係数って分かるう?」

 先ほど、部屋の説明を簡単にしていたが、それをまた始めた。
 喜悦の笑みを浮かべ、かわいらしい外観と裏腹に、無骨な三節棍をガンガンと打ち下ろしながら。
 語る。

 完全密閉と呪術文字により、魔力を反射共鳴。
 係数値の増幅を図る。

 と、これがこの部屋の仕掛けであるということを。

 つまり、この空間にいるだけで、いる者の魔力がパワーアップするのだ。
 比例して、消耗も激しくなるわけではあるが。

 そのような環境下で、非詠唱魔法による並行処理をどこまで制御出来るのかを確認したり、より強力な魔道着や武器を開発するための測定をしたり、そうした目的のための部屋なのである。

「でもね、そんなんどうでもよくてね、増幅された分だけ戦った時の強さの違いがはっきりと分かるでしょお? だから、わたしはここを気に入っているんだよね。自分があ、最強であることにい、蚤のウンコほどの疑いも抱かずにすむわけだからさあ」
「それこそ、わたしにはどうでもいい」

 縦横無尽に襲い迫る、三節棍の連続攻撃を必死に防ぎながらアサキは、ふっと鋭い呼気に似た小さな声を、絞り出した。
 無理して声を出すことこそ意味がないが、あまりに続く劣勢に、自己発奮のきっかけを無意識に求めたのかも知れない。

 だが、そんなアサキの意識下と無意識下による奮起心は、圧倒的な能力差を埋めるなんの材料にもなっていなかった。
 攻められ続けた。

 単純な実力の差、というだけではないだろう。

 向こうには、こちらの情報がある。こちらはなにも知らない。
 向こうは、この薄気味悪い部屋での戦いに慣れている。こちらは、初めてだ。
 向こうは、この生命のやり取りを単純に楽しんでおり、また、自己の力を信じており、力みがない。こちらは、死を怖れるし、取られた人質のこともあるし、どうしても力みが生じてしまう。

 でも、九割以上は、やはり単純な実力差であろうか。
 斉藤衡々菜という、この白スカートの魔法使いが、桁外れに強いのだ。

 アサキは思う。
 自惚れではなく、真面目に自分を鍛えていてよかったと。
 自分に自信のない、怖がりな性格でよかったと。
 最近の成長に対して、強いの最強のといわれることを迷惑に感じていたからこそ、天狗にならずにいたからこそ、いま、こうして生きている。
 フミちゃんを助けるために、こうして戦うことが出来ている。

 もし少しでも慢心があったならば、もうとっくに殺されていただろう。
 この斉藤衡々菜という少女が、あえてわたしを生かし、いたぶろうとしない限りは。

 だけど、このままでも、負けるのは時間の問題だ。
 なんとか活路を見出さないと。
 隣の部屋でみんなが戦っている、そちらのことも気になるし。
 早く、なんとかしないと。
 でも、こんな強い相手を、どうやって……

     6
 ぶん
 穂先が鋭く風を切り裂いた。
 アサキの顔面へと突き刺さり、突き抜けていた。

 いや、貫かれたのは残像。
 間一髪、顔を傾けてかわしていたのだ。

 本能がほんの少し鈍かったら、経験がほんの僅か足りなかったら、どちらであってもアサキの生命はここに終わっていただろう。

 白スカートの魔法使い、(さい)(とう)()()()が、槍状に伸ばした三節棍で突きを放ち、それをアサキがかわしたものであるが、

 アサキにとって幸運なことに、あまりに速く力強い突きであったことで、穂先の先端が、壁に突き刺さった。

 生じた一瞬を逃さず、

「いやあっ!」

 気合の叫び。
 赤毛の少女、アサキは、激しく飛び込みながら剣を振り上げた。

 足元から斜め上へと、魂を込めた一撃が、空気を引き裂いた。
 だが、空気を切り裂いただけだった。
 刹那、予期せぬ方向から唸りを上げ、なにかが襲ってきたため、攻撃の遠心力で剣をそのまま自分へと引き戻し、防御をするしかなかったのである。

 飛んできたのは、三節棍の反対端だ。
 白スカートの魔法使い、斉藤衡々菜が、突き刺さった穂先を抜くことよりも、一本棒の状態を解除して、自由になった反対端の棍を使って攻撃することを選んだのである。

 後ろへ跳んで、距離を取るアサキであるが、退いた分だけ詰め寄られていた。

 先端を引き抜いた斉藤衡々菜が、三節棍を振り、蛇とくねり踊らせながら、アサキの頭部を横殴りに打つ。

 耳元の唸りに、アサキは瞬時に反応し、頭を下げてかろうじて攻撃をかわした。
 だがその瞬間、下げた顔面の、鼻っ柱に膝蹴りを受けていた。

 すべてが想定内。といった余裕からの、破壊力満点カウンターを受け、アサキの意識は飛び掛ける。
 なんとか強く意識を保ち、踏みとどまり、鼻を押さえながら顔を上げ、目の前に立つ白スカートの魔法使いを睨んだ。

 と、背中に硬く冷たい感触。
 壁に追い詰められていた。

 そこへ、待ってましたといわんばかり、正面から空気を切り裂く槍の、突き、突き、突きが襲う。

 アサキは立ったまま、壁にくっついたまま、身体をごろごろ回して、なんとか攻撃をかわす。

 一突きごとに、超硬質の壁に、小さな穴が穿たれる。
 もしも一回でも避け損なっていたら、その時点で勝負はついていただろう。

 そんな中、チャンスが生まれた。
 なかなか決まらぬことに少し焦ったか、イラだったか、斉藤衡々菜の突きが強過ぎて、また、穂先の先端が壁に深く突き刺さったのである。

 自分の耳元なので見たわけではないが、音で確信したアサキは、機会逃さず、反撃の剣を振るった。

 だが、それもまた想定内、というよりも、釣りであったのかも知れない。
 その反撃の刃は、見るも簡単に打ち上げられていたのである。
 手にびりっと電撃が走った。
 ぐ、と呻いた瞬間、無防備にされた胴体へと、白タイツの長い足、後ろ回し蹴りの踵が炸裂した。

「がふ」

 アサキの身体は、ひとたまりもなく飛ばされて、壁に背中を強打した。
 ぐぅ、と呻いた瞬間、さらに衝撃と激痛。
 強打に意識が揺らいだ一瞬を狙われ、三節棍の横殴りを、まともに受けてしまったのだ。

「うぐっ!」

 赤い魔道着の、白銀の胸当てが、粉々になって床に落ちた。

 間髪入れぬ攻撃が、またアサキを襲う。
 斉藤衡々菜の振るう、三節棍。
 かわし切れず、直撃を避けようとアサキが身をねじったため、攻撃は右肩の装甲に当たった。
 砕け散った。

 はあ
 はあ
 壁際に、まだ追い込まれたまま、アサキは、大きく肩を上下させている。

 せめて気力では負けてたまるか、と睨み付けるが、

「楽しいいいねえええええ」

 その態度は、むしろ斉藤衡々菜にとっては喜ばしいようである。
 ずっと浮かべ続けている無邪気な笑みが、さらに少し強くなっていた。
 その、強くなった笑みで、アサキへと飛び掛かった。
 喜悦の表情で、三節混を振り回し、遠心力で真上からアサキの頭部へと振り下ろした。

「なにがおかしいいい!」

 アサキは眉を釣り上げ、叫んだ。
 千歩譲って戦いは仕方ないにせよ、相手の頭を叩き潰そうとするに、何故このように嬉しそうな笑みを浮かべていられるのか。
 そう思ったら、無意識に激高してしまったのである。
 そういう相手であること、それこそもう分かっているはずなのに。

 でもやはり、アサキの根底には有ったのだ。
 人間は分かり合える。
 魔法使いは団結し、世界を守るために存在するものなのだ、と。

 だからこその激高、怒りに身を任せて、剣を下から振り上げ三節棍の攻撃を払っていた。

 返す剣で、思い切り叩き付けてやる!

 と心の中で叫び、返そうと柄をぐっと強く握った瞬間、後頭部にガツッと衝撃を受け、頭が真っ白になった。

 床に転がった衝撃で、すぐ意識が復帰した。
 頭部の、輪っか状の防具が、砕かれて床に落ちた。

 なにが起きたかというと、
 三節棍の先端を、アサキは受け止めようとしたのだが、
 斉藤衡々菜は一歩下がって、三節の真ん中を剣に当てたのだ。
 それにより、先端がくっと折れ曲がって、アサキの後頭部を強打したのだ。

 防具がなかったら、生命もなかったであろう。
 しかし防具に生命だけは守られたとはいえ、意識を揺るがす大打撃。
 だから次に襲う、床を貫かんばかりの一撃を側転でかわしたのは、気力や潜在能力の高さもさることながら、運も多分に有ったのかも知れない。あったのだろう。

 斉藤衡々菜の攻撃は、間髪入れず矢継ぎ早。

 なんとか隙を狙い立ち上がったアサキへ、今度は、なにか小さい物が風を切って飛んでくる。

 短剣だ。
 前へ飛び込み、また床に倒れるアサキの身体を、短剣がかすめる。

 転がるのを追って、一本、二本、超硬質のはずの床に、短剣が簡単に突き刺さる。

 どこに隠し持っているのか、斉藤衡々菜は次々と投げ続ける。
 楽しげに笑いながら。

 埒が明かない、とアサキは転がる勢いを利用して立ち上がりながら、顔を襲う一撃を、手の甲で払った。

「ぐっ」

 アサキは苦痛の呻き声を漏らした。
 払った腕に、深々と短剣が刺さっていた。

 いわゆる影矢。
 一本目の後ろに隠れるように、もう一本を投げていたのだ。

 顔を歪め、ぎりと歯を軋させながら、刺さった短剣を引き抜こうとするが、その瞬間、
 アサキの目が、大きく見開かれていた。

 お互いの、動きが止まっていた。

 にやり、唇を釣り上げる白スカートの魔法使い、斉藤衡々菜。

 アサキは、ゆっくり、視線を落とした。

 瞳が、震えた。

 伸ばして槍状になった穂先付き三節混、その穂先が、腹に、突き刺さっていたのである。
 深々と、
 背中へと、突き抜けていたのである。

 突き抜けた穂先は、壁に深く刺さっていおり、アサキの身体は、赤い魔道着ごと、串刺しになっていた。

 目を見開いたまま、不意に込み上げ、頬が膨らんだ。
 ごぶ
 口から、大量の血が吹き出した。

 しん、と部屋は静まり返っている。

 アサキの腹と、口から、どろどろと、血が流れている。

 決着の行方は……
 アサキはの生死は……

 負けて、しまったのか。

     7
 白スカートに茶色ラインの入った魔道着、(さい)(とう)()()()
 彼女の、ずっと浮かべ続けていた笑みの、質が少し変わっていた。
 おそらくは、勝利を確信したことで。
 僅かながらあった緊張感が、完全に消え去っていた。

 確信は当然だろう。
 獲物を散々ズタボロに痛めつけた挙げ句、槍で腹を突いて、壁へ串刺しにしてやったのだから。

「はーい、勝負あったねえ。さーあ、さーあ、どおやってブッ殺そおかなあ。ねえ(りよう)(どう)()(さき)い、令堂あさん、どうやってブッ殺されたあい? わたし、いまちょっと上機嫌だからさあ、ちょー特別にい、リクエストに応えてあああげるうううううう」
「あうぐっ」

 口から大量の血液を流し、呻き、そして自分の血にげほごほむせているアサキ。
 むせながらも顔を上げ、意識朦朧の中、強く鋭い眼光を、白スカートの魔法使い、斉藤衡々菜へと向けた。

「あぎゃーじゃなくて質問に答えてよう。意地悪だなあ」

 からかう斉藤衡々菜。

 その顔を、睨んだまま、アサキのまぶたが、とろんと落ち掛ける。

 意識が……
 身体がもう……動かない。

 どくどく、どくどく、
 口から、貫かれた腹部から、血液が流れ、伝い、床を染めている。
 いくら魔力があろうとも、この怪我であり、出血である。気力も体力も、生命力も、もう限界をむかえていた。ほぼ完全に、尽きていた。

 目の前で笑っている、白魔道着の魔法使いの顔が、揺れ、姿が薄れていく。

 もう、痛みも、感じない。
 こんな、酷い怪我をしちゃったというのに。
 きっと、このまま死ぬんだな。
 わたしは。
 守れなかったな。
 みんなのことを。
 フミちゃんを、救えなかった。
 ごめんね。
 みんな。
 本当に、ごめん。
 (しゆう)(いち)くん、(すぐ)()さん。
 二人の赤ちゃん、見たかったなあ。
 元気に生まれてくると、いい、な……

 薄れる意識。
 完全なる闇が、落ちようとしていた。

 だが、まだ、終わっていなかった。
 アサキは。
 生命力が、ほとんど朽ち掛けているというのに。
 心の中で、自分を叱咤する、自分の声を聞いたのである。

 いや……
 違うだろう。

 と。

 わたしが死ぬだけなら、それは構わない。仕方がない。
 修一くん、直美さんの、
 それだけじゃない、
 たくさんの子が、生き物が生まれ、平和に暮らして行く、この世界を、わたしは、守りたい。
 笑顔を、守りたいんだ。
 守らなきゃ……いけないんだ。
 フミちゃんのことだって、絶対に助けると自分に誓ったじゃないか。
 笑顔で帰る。()(ぐろ)先生とだって、そう約束したじゃないか。

 そうだ。
 こんなところで、倒れて、たまるか。
 死んだ時に死ねばいい。

 そうだ。
 まだ、
 まだだ。
 わたしは……

「終わっていない。……終われない!」

 叫び、かっと目を見開いた。
 目の前には、白スカートの魔法使い、斉藤衡々菜が槍状にした三節棍で、アサキを貫いている。その顔には、驚きが浮かんでいる。

 アサキは、ぐっと足に力を込めた。
 気力も体力も尽き果てているが、なにか別の、なんとも形容しがたい力が、アサキの身体を押していた。

 ぎゅう、っと右手の剣を握り締め、
 腹を槍に貫かれたまま、自ら、前へ、前へと進んでいく。
 ぶちゅり、ぶちゅり、自ら槍を腹の中に埋めながら、斉藤衡々菜へと、距離を詰めていく。
 戻った意識による激痛に、顔をぐちゃぐちゃに、醜く歪めながら。
 白い魔法使いへと。

「な、なにを!」

 斉藤衡々菜が、
 ずっと人を小馬鹿にした笑みを崩さなかった白い魔法使いが、いま初めて、狼狽していた。
 畏怖の表情が浮かんでいた。

 目の前の死にかけの獲物が、刺さった槍を抜き取ろうともがくどころか、自ら深く深く突き刺しながら、向かってくる、その必死の顔、執念に。

「あなたとは、覚悟が、違うんだ!」

 アサキの叫び、その小癪に斉藤衡々菜は舌打ちした。
 意識的にか、無意識にか、一歩を退いた。
 いや、
 退けなかった。
 斉藤衡々菜の、槍状の三節棍を握った両手が、指の先まで凍っていたのである。

 アサキの、非詠唱魔法だ。
 その、槍状三節棍に貫かれたアサキの腹部も、完全に凍りついている。
 その、腹部に突き刺さり凍りついている槍を、自らの筋肉や、臓器から、引き剥がしながら、一歩、一歩、進む、白い魔道着へと迫っていた。
 発狂しそうなほどの激痛に、ぐちゃぐちゃと顔面を歪めながら。

 ゆっくりと、ぶるぶる震わせながら、右手の剣を、振り上げた。

「うあああああああああっ!」

 アサキの絶叫、しんとした部屋に響き、
 同時に、斉藤衡々菜の身体が、飛ばされて、床を転がっていた。

 一体、どれだけの力が、その攻撃に込められていたのか。
 怪我と出血に、意識が消失し掛かっていたほどだというのに。
 剣の先が、折れていた。
 折れた先端が、くるくる回って、壁に突き立った。

 どろり、防具ごと斜めに切り裂かれたのは白魔道着、斉藤衡々菜である。
 胸からは、血がどくどく大量に流れて、白い魔道着を、足元の床を、真っ赤に染めている。

「ぐああああうう」

 しばらく、苦痛に顔を歪め、のたうち回っていた彼女であるが、やがて、床を叩き、床に手を付き、ゆっくりと、起き上がった。
 痛みと怒りに、身体をぶるぶると震わせながら。
 半分赤く染まった、白い魔道着、斉藤衡々菜。
 また、くっ、と呻き、顔をしかめた。
 視線を落とし、自分の手のひらを見る。

 手のひらの皮が、完全に剥がれていた。
 赤黒く、それどころか指の骨までが一部見えていた。
 突き刺さり固定された三節棍を、握ったまま凍り付かされたのだが、そこへ剣の打撃で吹き飛ばされ、その時に手のひらの皮が引き剥がされたのである。

 白スカートの魔法使い、斉藤衡々菜は、顔を上げた。
 目の前にいる赤毛の魔法使いを、牙を剥くかの険しい表情で、睨み付けた。
 赤毛の魔法使い、まだ身体を貫かれ、壁に打ち付けられたまま、折れた剣の柄を持って、力なくはあはあと息を切らせているアサキを。

「くそおおおおおおおおお!」

 斉藤衡々菜の笑みは、もう、完全にどこかへ消えていた。
 生まれた時からそうだったのでは、というくらい、醜く歪んだ、皺だらけの顔になっていた。

 天井を見上げ、怒鳴る。

(とく)(ゆう)! おい! 話が違うだろお! 改良して、もっと強くなった存在がわたし。そういっただろお!」

 改良?
 誰を? なにを?

 朦朧とした中、アサキが疑問に思っていると、

「肉体能力と……」

 二人しかいないはずのこの部屋に、どちらでもない、低い声が響いていた。

「魔力の、潜在量だけならね。きみも、(やす)(なが)(やす)()も、現状この世で最強の少女たちだよ。でも、なんだろうかね、心がクズだとその最強を生かせない、ってことなのかなあ」

 至垂徳柳の声である。
 空間スピーカーでも、どこかに仕掛けられているのか。
 しんとした部屋に、リヒト所長の声が反響している。

「会心の出来と思ってただけに残念だけど、きみは失敗作ってことが分かった。処分するのも面倒っちいから、こっち戻ってこなくていいよ。さあ、令堂くんにい、無に還してもらいなさああい」
「はあああああ? こんなカスよりい、わたしが弱いはずがないだろおおおおおっ!」

 白スカートの魔法使い、斉藤衡々菜は、怒鳴りながらぐるり身体を回転させて、まだ串刺し状態のままうつろな目をしているアサキを、怒りの形相で指差した。

「身動き取れないところお、臓物いたぶってえええ殺してやるるああああああ!」

 にやり凶悪に笑むと、床を蹴った。
 串刺しで身動きの取れないアサキへと、飛び込みながら、ボロボロの手に握っている短剣を、振り上げた。

「覚悟が違うといった!」

 まだ幼くも見えるアサキの、どこにそこまで、という程の、凄まじい絶叫。
 魂の震え、激動。

 手にしていた柄の折れた剣を振りかざすと、躊躇いなく、

 自分の前腕を、切り落としていた。

 骨と肉とが、断たれる音。
 激痛に歪む、アサキの顔。

 だが、それ以上、白の魔法使い斉藤衡々菜の、その顔の方こそが、驚きと、原初的な恐怖とに、歪んでいた。
 目が、これまでない大きさに見開かれていた。

「巨大パアアアアアンチ!」

 切り落とされたアサキの前腕が、拳が、血飛沫を噴き上げながら、発射された。
 瞬きの間に、直径二メートルはあろうかという、とてつもない大きさに巨大化。
 短剣を振り上げ飛び込んでくる、白い魔法使いの全身を、掴んでいた。

 白い魔法使い、斉藤衡々菜は、太ももほどもある巨大な五本の指に、ぐしゃり押し潰されていた。
 ぐぅあああ、っと苦痛の声を漏らす彼女と共に、そのまま超巨大な拳は飛んで、部屋の反対側の壁へと激突した。

 爆音。
 轟音。
 低い音と共に、床がぐらぐらと激しく揺れる。

 砕かれた壁に、巨大な拳が、めり込んでいる。
 その拳の中で、ぐしゃり潰れている白い魔法使い、斉藤衡々菜は、頭を壁に強打したようで、呻き声を発したきり、動かなかくなった。

     8
 はあ
 はあ
 とろんとした表情で、肩を大きく上下させている。

 死にそうなくらい苦しい。
 意識がかなり朦朧としているのに、死にそうなほどの苦しさは、微塵も麻痺していない。

 だけど、というか、とにかくというか、まだ、死んでない。
 わたしは、死んでいない。
 生きている。

 生きて、いるのならば、いまやれることは……

 そうだ、そもそもわたしの戦いは、どうなったんだ?

 辛さの中、ぐるり見回す。

 広い部屋の、向こう側の壁が、突然、崩れ落ちた。
 がらがらと、音を立てて。

 壁になにかが埋まっており、一緒に、床に落ちた。
 それは、まるで巨人の手。
 その手には、意識を失っている白い魔法使い、(さい)(とう)()()()の身体が、掴まれていた。

 崩れて出来た空間から、灯りが差し込んだ。
 隣の部屋からの、灯りだ。

 (さい)(とう)()()()を掴んでいるアサキの超巨大な拳が、しゅん、と一瞬で縮み小さくなった。
 普通の女子中学生サイズに戻った拳は、浮かび上がり、音もなく飛び、本来あるべき場所、主人へと戻った。

 赤毛の主人は、朦朧とした表情のまま、戻ってきたそれを掴み取った。

 アサキの肘から先が、なくなっている。
 切断面からは、血がどろどろと流れ滴っている。

 受け取った腕は、先ほどアサキが、自分で切り落としたものである。
 絶対的不利な戦況の中、斉藤衡々菜へと、起死回生のカウンター巨大パンチを浴びせるために。

 アサキは、その勝負に勝ったのである。 

「ぐっ」

 朦朧然の表情を険しく歪めて、アサキは足を出す。
 前へ。
 一歩、二歩。

 腹部から背へ、三節棍が突き刺さり、貫いており、内臓が裏返しされ剥がされるような激痛と不快感に、顔が歪む。
 泣きたくなるでは済まない地獄の激痛に耐えて、前へ、一歩。一歩。
 一歩の都度、腹から突き出た三節棍が、腹に潜る。
 一歩、一歩。 
 すべてが背中側へ抜け切ると、ふらり、がくりと、膝まづいた。

 長いため息、
 の途中で、自分の血にむせた。

 残っている片腕を、ゆっくりと上げて、自分の腹部へと手のひらを翳した。

 意識がなくなる寸前だけど、ここで応急処置くらいはしておかないと。それこそ意識が、永遠に戻らなくなってしまうから。

 アサキの手が、青く輝いた。
 また、顔が苦痛に歪む。

 治癒魔法は本来、心地よさを伴うもの。だが、急速に効果を出そうとすると、逆に激痛が生じるのである。
 痛みに耐え、とりあえず傷口だけ塞ぐと、続いては腕だ。
 自ら切り落としてしまった腕を、そっと肘に繋げると、再び非詠唱。再び苦痛に顔が歪む。

 ある程度くっついたところで、押さえていた手を離した。
 離した手のひらを、結合部分に翳して、しっかりと魔力効果を染み込ませていく。

 応急処置、完了。
 ふらふらと立ち上がったアサキは、あらためて斉藤衡々菜へと視線を向けた。
 広い部屋の反対側。
 崩れた壁の下に、倒れている。
 白いスカートの魔道着を着た、魔法使い。
 といっても、血やその他の汚れで、白い部分など、もうほとんどなかったが。

「うっ」

 呻き声。
 ぴくり、ぴくり、と白スカートの魔法使いが、その身体が、指先が、動いている。

 アサキは心の中で、安堵の溜め息を吐いた。

 彼女が生きていることに。
 わざわざ生命を奪おうと狙う戦い方は、しなかったつもりだが、なにせ、彼女の方が格段に強かった。それに勝とうというのだから、生命を確保する保証など、あるはずがなかったのだ。

「う……ぐ」

 斉藤衡々菜は、ゆっくり、足をぶるぶる震わせながら、両手を着いて、立ち上がろうとしている。
 部屋の向こうにいるアサキの姿に気が付いて、にやり、笑みを浮かべた。
 なんとか立ち上がり切ると、ぐちゃぐちゃの顔に喜悦の表情を浮かべた。
 張り裂けんばかり、大きく口を開いた。

「さいきょうのおおおお、魔法使いはあああああああ」

 ガツ
 骨の砕ける音と共に、倒れていた。
 前のめりに、受け身も取らず、顔面から。

 どろり、
 血が大量に流れて、床を黒い海に変えた。

 打った顔面ではなく、後頭部が、砕き割られていた。
 斜めに、大きく。
 そこから、どるどると血が溢れているのである。

 どう見ても、即死であろう。

 白い魔法使いの死骸、その傍らには、アサキの見たことある魔法使い(マギマイスター)が立っていた。

 我孫子市第二中の、(ほう)(らい)(こよみ)
 助っ人に駆け付けてくれた、ということだろうか。

 剣を右手に下げている。
 その先端が、血に濡れている。

 息を切らせている。
 アサキほどではないが、切り傷擦り傷、魔道着も破れてボロボロだ。

 たぶん、(やす)(なが)(やす)()という黒い魔道着の魔法使いと、戦ったんだ。
 その戦いは、どうなったのだろう。
 気になるけれど、
 それよりも……

 アサキは、頭から血をどくどく流し続けている斉藤衡々菜の死体を、見下ろした。
 見ていて、悲しい気持ちになっていた。

 確かに、悪い人かも知れない、強く、怖ろしい敵だった。
 けど、でも、

「なにも、生命まで、奪わなくても……」

 小さな声で、そういいながら、アサキは歩き出す。
 応急手当をしたばかりの腹部に手を当てて、震える、ふらふらした頼りない足取りで、壁に空いた、大穴へと。

 頭を割られ絶命している、白スカートの魔法使い、斉藤衡々菜の死体の脇へ立つと、あらためて、悲しみをたたえた視線を落とす。

 顔を上げる。
 助っ人魔法使い、宝来暦の顔を見て、壁に空いた大穴を見て、進み、抜けた。

「これは……」

 アサキの目が、かつてない驚きに大きく見開かれていた。

 ここは先ほどまで自分のいた部屋。
 でもここは、先ほどまで自分のいた部屋ではなかった。

 そこは、地獄だったのである。
 信じがたい、地獄の光景が、視界一面に広がっていたのである。 
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