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ソードアート・オンライン 穹色の風

作者:Cor Leonis
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アインクラッド 前編
  虚構から現実へ

 マサキが芝の上で長考に入ってから数分の時が流れ、キリトとクラインの言動にも焦りと苛立ちが見え始めたころ、それまで静寂さを保っていた草原に、突然教会の鐘らしき重厚な音が響き渡った。
 キリトとクラインは飛び上がり、マサキはゆっくりと目を開けると、自分の体を覆う青い光の柱の存在を確認し、程度の差はあれど、顔を驚愕の色に染める。だが、マサキは視界に映る草原が薄れていくのに気がつくと、この現象を運営側による強制転移だろうと推測し、青の光の中で表情を引き締めた。

 視界が回復したマサキが辺りを見回すと、そこは紛れもなくゲームのスタート地点であり、マサキたちが一番初めに降り立った、《始まりの街》中央広場だった。しかも、そうしている間にも青い光の柱はそこかしこに出現し、それらが全てプレイヤーへと姿を変える。出現のペースと今既にこの広場にいる人数から、このままではじきにこの広場は人で埋め尽くされるだろうと考えたマサキは、あまりの驚きに立ち尽くしているキリトとクラインを一瞥すると、一人近くのベンチに腰掛け、徐々に苛立ちを帯びてくる喧騒の中で、やがて起きるであろう異変を待った。


「あっ……上を見ろ!!」

 誰かがそれまで広場を包んでいた喧騒を押しのけて叫び声を上げると、広場にいた全員が視線を頭上に集中させた。すると、それまでオレンジ色の夕焼けが投影されていた場所が全て真紅に染まり、さらにその上から赤いフォントで【Warning】、【System Announcement】の単語が表示されたかと思うと、広場中央の空から紅い液体がその粘度の高さを誇示するかのようにどろりと滴り、突如空中で中身のない赤ローブへと姿を変えた。

 その“異形”という言葉ではお釣りがくるくらいに突飛な外見に、それまでアナウンスを聞こうと耳をそばだてていた観衆が、再び一気に疑問の声を上げる。赤ローブはその声が直接届いたかのように右袖を動かすと、低く落ち着いた声で話し始めた。

『諸君、私の世界へようこそ』


 マサキがその言葉を聞いた途端、彼の脳裏で“私の世界”という単語が前日に受け取ったメールの中身と完璧に一致(リンク)し、それと同時に既に予測済みだった赤ローブの正体が確定する。
 マサキは知り合いであり、同業者でもある男の趣味の悪さに一瞬頭を抱えるが、すぐに気を取りなおすと、彼が言葉を紡ぐのを待った。

 その後、赤ローブは自分が茅場晶彦であることを明かし、このゲームから抜け出し、再び現実世界の土を踏むためには、このゲームをクリアするしかない、ということをいかにも事務的な口調で説明し、その度にプレイヤーたちのどよめきが広場を包み込む。
 ――たった一人、広場のベンチに座ったままのマサキを除いて。

 マサキは表情を保ったまま、茅場の発言に耳を傾けていた。茅場が発言したような内容ならば、彼はこの時点で既にある程度予測していたのだから。
 だが、茅場が次に放った言葉は、マサキの予想と一致していながらも、彼の浮かべるポーカーフェイスを一瞬だけ崩した。

『また、外部の人間の手による、ナーヴギアの停止あるいは解除も有り得ない。もしそれが試みられた場合――』
『――ナーヴギアの信号素子が発する高出力マイクロウェーブが、諸君の脳を破壊し、生命活動を停止させる』

 この瞬間、このゲームは単なるゲームではなく、現実の死が想定されるデスゲームへと姿を変え、広場のプレイヤーたちはそのことを理解することを拒もうと、自分の中に響く声を掻き消そうとするかのようにざわめきだす。「そんなことが出来るはずはない」という、きわめて楽観的な、しかしこれ以上ないほどに切実な思い込みで。
 しかし、クラインがナーヴギアの重量の三割がバッテリセルであることに気付くと、広場が一気に静まり返った。気を狂わせた者が現れないのは、その言葉の意味を未だに理解していないからだろう。そしてそんな彼らに、茅場はこれまでで最も残酷な宣告をした。

『――ちなみに現時点で、プレイヤーの家族友人等が警告を無視してナーヴギアの強制解除を試みた例が少なからずあり、その結果』
『――残念ながら、すでに二百十三名のプレイヤーが、アインクラッド及び現実世界からも永久退場している』

 ――馬鹿が。
 どこかで一つだけ上がった細い悲鳴を聞き流しながら、マサキはナーヴギアの強制解除に踏み切った者たちを罵った。こういう場合、マスコミを通じて報道されたという茅場の言葉が本当ならば、当然それよりも速く情報が伝達されているであろう警察やそれに準じた組織が動くはずであり、それをおとなしく待つのが正解だ。恐らくはマスコミの報道を信じなかったか、理解することを理性が拒み、パニック状態になったのだろう。今広場に呆然と立ち尽くしているプレイヤーたちの様に。

 理性というものは、時として人の目を曇らせる。受け入れねばならないことから、人の目を強制的に逸らす。自分の中のちっぽけな常識を守るために、とてつもなく大きなものを代償に差し出す。しかも、そこまでして守りたかった常識も、結局はズタズタに引き裂かれる。後に残るのは、途方もない喪失感と罪悪感だけだ。結局のところ、理性なんてこんな時には何の役にも立ちはしない。
 理性の不安定さをじっくりと咀嚼しながら、数秒ほど愚かな家族や友人を見下したマサキだったが、すぐに表情から色を消し去ると、再び眼前の赤ローブを見据えた。いかに彼らの選択が愚かであろうと、マサキは彼らとは何の関係もないし、彼らに介入する必要も、ましてその権利も持ち合わせていないのだから。

 その後も、茅場によるチュートリアルは継続した。しかし、先ほどのようにマサキの表情を崩すほどのことはなく、マサキの予測通りの話が続いた。
 だが、マサキには一つ、気になる点があった。いくら“現実の死”の恐怖を煽り立てようとも、理性が今の状況を現実として受け入れることはないだろう。あっても、ごくわずかの人数に限られるはずだ。そしてそれでは、この世界が現実になることは不可能であり、それを回避するためにはもっと強烈なインパクトをプレイヤーに与えねばならない。
 ――そんなものを、一体どうやって?
 そんなマサキの思考を先読みしたように、赤ローブは感情の消え去った声で告げた。

『それでは、最後に、諸君にとってこの世界が唯一の現実であるという証拠を見せよう。諸君のアイテムストレージに、私からのプレゼントが用意してある。確認してくれ給え』

 その声を聞くや否や、広場の全員が一斉に右手の指二本を揃えて振り下ろした。同時に電子的な鈴の音が広場に響き、全員が目の前に現れたウインドウを注視する。マサキも同様にし、アイテムストレージの所持品リスト内の最上に《手鏡》というゲーム内部のアイテムとしては些かファンタジー要素に欠けたアイテムを発見、すぐに具現化させた。

 きらきらというサウンドエフェクトと共に現れたそれは、特に装飾が施されているわけでもない、本当に何の変哲もない手鏡だった。
 マサキはそれを手にとって覗き込んでみるが、特に何かが起こるわけでもない。マサキが何かのバグを疑い始めたとき、不意にマサキの、そして広場に集ったプレイヤー全員の体が白い光に包まれた。

 十秒ほど視界を染めていた白い光が徐々に薄くなり、それに比例して世界がクリアになっていく。再び澄み渡った世界で何が変わったのかを確かめようと、マサキは再び鏡を覗き――

「へぇ……」

 賛嘆の息を漏らした。
 マサキのアバターは確かに現実の雅貴の顔と似ているのだが、それはあくまで“他人にしては”の話だ。もし二つの顔を横に並べ、改めて見比べることができたなら、はっきりと別人であることが分かるだろう。だが、今マサキが覗いている鏡の世界の人物は、男性にしては白めの肌、細い体格、怜悧な視線と、その全てが現実の橋本雅貴と瓜二つだった。

(なるほどね。その手できたか)

 自分の顔を右手でペタペタと触りながら、マサキは茅場の取った方法を素直に評価していた。
 人は通常、世界を五感からの情報で認識している。そしてその中で最もウエイトを占めているのが、視覚からの情報だ。だから、視覚が自分(アバター)自分(実際の体)だと認識すれば、晴れてこの世界はその人にとって現実となる。虚構で造られた世界を現実とすりかえるためには、最も効果的な手法と言えた。

 改めてマサキが周囲を見回すと、今までよりも数段見た目のレベルが落ちたコスプレ集団は、全員揃って疑問の視線を赤ローブへと投げかけていた。そして、その視線を察知したかのように、茅場が三度言葉を紡ぐ。

『諸君は今、なぜ、と思っているだろう。なぜ私は――SAO及びナーヴギア開発者の茅場晶彦はこんなことをしたのか? これは大規模なテロなのか? あるいは身代金目的の誘拐事件なのか? と』

 ――違う。
 抑えようがなくなったのか、言葉の端々から高揚感が漏れ出していた茅場のチュートリアルを聞きながら、マサキは茅場の目的を確信した。茅場が望んでいるのは、まさにこの状況であり、前に会ったときに見せた何かに対する狂的な渇望も、この世界の実現に向けたものだったのだろう。もちろん、それ以上の目的や目指す場所があるのかは分からない。だが、茅場の目的の第一段階はここで果たされたのだろう、と。
 そのマサキの推測の答え合わせをするかのように赤ローブは言葉を続け、マサキの出した答えに丸をつけた後、チュートリアルの終了を宣言してローブを消した。広場は再びNPC楽団による演奏のみで彩られ――、
 時に取り残されたように佇んでいたプレイヤーが、ようやく時間の流れに追いつき、これまたマサキの予想通りの反応を見せた。

 絶叫や悲鳴、懇願などの人としての全ての感情が入り混じった叫びを、耳を塞いでガードしながら、マサキはこの世界で唯一関係のある二人に目をやった。するとマサキも驚いたことに、キリトは真剣な、それでいて少しだけ不安と恐怖に揺れる眼差しでマサキを見据えると、どこか魂の抜けたような表情を浮かべたクラインの腕を強引に引っ張り、マサキに歩み寄ってきた。

「マサキ、ちょっと来てくれ」

 少しだけ震えた声でマサキにささやくと、ベンチから立ち上がるマサキの腕を掴み、まだ叫び続けている人の間を北西方向に駆け抜けた。そのまますぐ近くに停めてあった馬車の陰に飛び込むと、キリトはもう一度二人を見て、低く押し殺した声で言った。

「クライン、マサキ。俺はすぐにこの街を出て、次の村へ向かう。お前たちも一緒に来い」
「この街だといけない理由は?」

 今までで一番真剣な顔でマサキが問うと、キリトはマサキに向き直り、さらに低い声で続ける。

「あいつの言葉が全部本当なら、これからこの世界で生き残っていくためには、ひたすら自分を強化しなきゃならない。そしてMMORPGってのはプレイヤー間のリソースの奪い合いなんだ。システムが供給する限られた金とアイテムと経験値を、より多く獲得した奴だけが強くなれる」
「同じことを考えた奴同士で奪い合いになる前に、狩場を先へ移すってことか」

 マサキが納得したような声で言うと、キリトもゆっくりと頷いた。

「俺は、道も危険なポイントも全部知ってるから、レベル1の今でも安全に辿り着ける」

 そこまで言ってから、キリトはもう一度目の前の二人を見回し、曲刀使いの顔が曇ったのを見た。それに気付いたのか、クラインは顔を歪めたままで仲間を置いてはいけないと苦しい胸の内を吐露する。すると、キリトの瞳の中で揺れる不安の色がさらに濃くなった。刹那の逡巡だったが、クラインはそれを敏感に感じ取り、少々強張った笑みで首を横に振った。そして、二人の視線がマサキに向けられる。マサキは数秒だけ考えると、やがてクラインと同じ方向に首を振った。

「いや、俺もこれ以上キリトに世話になるのは悪い。俺のことは気にせず、次の村へ行ってくれ」
「……そっか」

 ここでキリトの世話になっておいた方が彼にとって良かったのであろうことはマサキも承知していたが、一人の人物とあまり深い関係になることによって色々な厄介ごとに巻き込まれることを懸念したマサキが、表面上は申し訳なさそうな顔で言うと、しばしの葛藤の後にキリトは頷き、掠れ声で言った。

「なら、ここで別れよう。何かあったらメッセージ飛ばしてくれ。……じゃあ、またな、クライン、マサキ」

 マサキは黙って頷くと、キリトが身を翻し、クラインと最後に叫びあった後に角へと消えていくのを見送り、クラインに向き直った。

「じゃあ、俺たちもここでお別れだな。今までありがとうよ」
「ああ。これからもよろしく頼むぜ、マサキ」

 マサキが社交辞令で出した手をクラインはがっちりと掴み、

「おめえ、リアルでもイケメンだったんだな。かなりイケてるぜ、その顔」
「お前こそ、なかなか味のある顔してるぜ」

 と笑顔で言葉を交わした。マサキはクラインが走り去るのを見届けると、反対方向へと歩き始めたのだった。 
 

 
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