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緋弾のアリア ──落花流水の二重奏《ビキニウム》──

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恋篝 Ⅰ

「……トントン拍子にしては、出来すぎてるじゃない」


アリアはそう呟きながら、窓硝子の向こうに揺らぐ東京湾を眺めていた。宵に差し掛かった黄昏時の海面に的皪(てきれき)としているのは、茜を横溢させている落陽が降り零した輝石であるらしい。さながら藍色のインクに銀粉が振り撒かれているような、大自然の織り成す芸術みたようだった。
赤紫色の瞳をふいと真正面に向けた彼女は、アンティーク調に仕立てられた椅子の背もたれに身体を預けている。軋んだ音に反応して小首を傾げる姿が、小動物のようで愛らしく思えた。


「あはは、まぁねぇ……。時期的にホテルの予約をとるのは難しいかと思ってたけど、幸いだったかな。アリアが人気があるって教えてくれたところだし、きちんと来られて良かった」
「ふふっ。ウォルトランドの花火大会に行くだけに、本当はここまでするつもりはなかったのにね。でも言い出しっぺはアタシだし、彩斗も行きたいって言ったし、お互い様ってところ?」
「こちらが花火大会に誘って、じゃあホテルで見ようと言ったのは君で、それで乗り気になったんだから──まぁ、そうだね。どっちもどっち、お互い様ってところに落ち着くのかな」


──そんなわけで、自分と彼女とはホテルの一室にあるテーブルを間に挟みながら、椅子に座って向かい合っている。他所行きをしたアリアの洒落着がやけに新鮮なのは、いつも制服と部屋着姿ばかりを見ているから、余計にそう思うのだろう。こうして取り留めのないことを考えているうちにも、窓辺に括り付けてあった天鵞絨(ビロード)のカーテンが、よくよく視界の端に掛かっていた。

「ところでの話だけど、アリアはてっきり、《境界》で移動しようって言うと思ってたんだ。遂に言わなかったものだから、少し残念」含み笑いを浮かべながら、自分は軽く頬杖を突く。
「そんなに意外?」そう洩らす彼女の面持ちは、やや不満げな色をしていた。「せっかくのお出かけなんだから、道中も楽しむのは当然でしょ。彩斗は旅行とか《境界》で行くの?」
「まさか。遊びに行くなら使わないよ。……依頼とかなら、使うかもだけど」
「ねっ、そういうこと。アタシの言いたいこと、これで分かってくれたでしょ」

『綺麗に反論できたでしょ?』とでも言いたげな、そんな得意の笑みをアリアは零す。お嬢様の仰せの通りだね──なんて軽口を交わしながら、2人揃って窓硝子の外を見詰めていた。あの東京湾を浮かぶテーマパークがウォルトランドで、色鮮やかな照明が爛々と明滅している。あそこで花火を見るのも悪くはなかったのだけれど、どうせなら閑静な場所で雰囲気を楽しむのも味があるだろう──というのが、どうやらお互い、口に出さずとも暗々裏に伝わっていたらしい。

ところで自分たちの他に、キンジと白雪はと言えば──最後に見たのは自室を出る前だったろうか──不慣れな彼に浴衣を着付けてやっている幼馴染とで、たいそう仲良くしていたように記憶している。どうやら2人もウォルトランドの花火を見るらしく、白雪の性格を勘案して、人気の少ない葛西臨海公園で観察してみるという話だった。彼女が外出するのは珍しいね──とキンジに訊ねると、『俺が誘ってみた』という返事なのだから、少々面食らわされてしまったけれど。

自分とアリア、キンジと白雪でそれぞれ外出することに相成ったまでは良いものの、やはり《魔剣》の接触というものは危惧されていた。護衛が離散するこの機会を、果たして彼の者が如何様に捉えるのか──好機と見るか、まだ鳴りを潜めているか。前者であるとしても、瞬間的に現地へと《境界》で奇襲的援護を行えるこちらの利は大きい。そもそも今まで彼等2人きりの状況があったにも関わらず接触されなかったのは、まだ《魔剣》に不都合があるのだろう。しかし後者としても、油断はできないところだ。アドシアード開催日に接触される可能性が高いというだけで、その他には何も、根拠らしい根拠など、殆どと言っても良いくらい存在し得ないのだから。


「……なんだか、この1ヶ月で、色々と変わったね」


そう零し零し、覗いていた窓硝子から、視線をふいと例の赤紫色の瞳へと流し目する。アリアはそれに小さく頷くと、今度は伏せがちにして「きっと、アタシがいるからでしょ」と呟いた。
「アタシが彩斗のパートナーで、同居人で、友達だから。危ないことに首を突っ込ませちゃってたり、でも同じ部屋で家族みたいに過ごしたり、一緒に学校に行ったりしてる。こんな変な関係って、きっとアタシたちだけかもしれないけど。……ふふっ、良くも悪くもアタシのせい」
そう微笑しながら目を細めている彼女の面持ちは、どこか楽しそうで、物悲しそうだった。


「でも、これからが──」


そこまで言いかけて、自分は口を噤んだ。彼女との(・・)これから、或いは彼女()これから──似て非なる字面にふと思い至って、思わず羞恥に閉口させられてしまったのだ。単なる親友として見たアリアとのこれから、というのは、例の感情に照らしてみると、行き着く先はやはり、そういう関係なのだろうか。とかいう陳腐な思いごとをしては、勝手に黙りこくっていた。


「──ううん。やっぱり、なんでもない」


反面、パートナーとして見たアリアとのこれから、というのは、そんな恋愛みたく生易しい話で済ませられるようなことでは到底ありはしない。《武偵殺し》こと峰理子による一連の騒動は、表面的にこそ解決はしたものの、裡面ではまだ司法取引というこれ以上にない重大事が残されている。それに次いで《魔剣》なる者が巷で噂されているのは偶然ではなく、やはり理子と同様に《イ・ウー》に属しているのだと、そう供述したのもやはり、他ならぬ彼女自身だった。


「それより、理子の司法取引はどんな具合なの?」
「……えっと、前にも言ったけど、供述は有望すぎるくらい十二分の収穫ね。書類とか手続きも一通り作成が済んだから、もう明日には釈放されるみたい。普段の生活に戻るって」
「なるほどね。その書類はこっちに送られてくるのかな」
「そうね、そろそろ届く頃だと思う。明日には読めるんじゃない?」


明日、なら──(あたか)()し。これを利用しない手は無いだろう。そう思い思い、「そっか」と返事する。すると次第に、話題性に影響されていた心境もやや落ち着いてきたらしい。余裕のある態度で壁掛け時計を一瞥してみると、話しているうちに時刻は6時も半ばに差し掛かっていた。アリアもそれに気が付いたらしく、「あっ」と声を上げるなり、矢庭に椅子から立ち上がる。微細な髪の毛の一筋一筋までを靡かせながら、同時に、あの梔子のような香りも芳香させていた。


「ねぇ、そろそろ温泉でも入らない? アタシ、久々の温泉だから楽しみにしてたんだ」
「うん、行こう。ちょうど言おうかと思ってたところでさ」
「ふふっ、やった。じゃあ早く──もう、立つのが遅い!」
「……まったく。はしゃぎすぎだよ、君」


服の裾を掴んでまで立たせようとしてくる彼女の態度に、自分は思わず苦笑した。──けれども、その無邪気な調子と快活な態度、或いは屈託のない笑みに、やはり安堵している。子供さながらに悪戯心の見え隠れしているような笑顔が、アリアには似合いすぎる以上に似合っていた。

「別に長風呂でも構わないからね。楽しむだけ楽しんでおいて」そんなような話をしながら、自分たち二人は部屋から持ち出した浴衣を抱えつつ、大浴場に向かっていく。駆け足で女湯の脱衣場に入っていったアリアのご機嫌な後ろ姿を見送ってから、こちらも足早に男湯の方へと進んでいった。そうして、かれこれ30分と少しは温泉にくつろいでいたろうか。頃合いを見て入浴を済ますと、彼女を待たすのは不躾だろうと思い思い、手早く浴衣に袖を通してから帯を締めた。

アリアがお風呂から出てくるのは、あと10分後ほどかしら──などと考えながら、自分はもと着ていた衣服を手に男湯と書かれた暖簾をくぐる。けれど、そこによく見知った少女の姿があるなどということは、あまり予想もしていなかった。思わず「あれっ」と頓狂な声が洩れる。彼女は寄りかかっていた壁から離れると、自分と視線が合うなり小さく手を振って笑みを零した。


「アリア、出てくるの早いね。もっとゆっくりしてても良かったのに」
「まぁ、ね。待たせちゃ悪いかなぁって思っただけ」
「別に、そんな……。どれだけ待った?」
「5分くらいかな。浴衣を着るのに時間かかっちゃったから、そんなに待ってないけどね」


はにかむ彼女の返事に「へぇ」と相槌を打ってから、「もしかして帯が締められなかったの?」と訊ねてみる。どうやら図星だったらしく、アリアは「うん。おばあちゃんが手伝ってくれたのよ」と笑った。「ほら、これ。……どう? 可愛いでしょ? リボン結びにしてくれたんだ」
そう言って彼女は嬉しそうに目を細めながら、綺麗に結ばれた帯を自慢げに見せてくれた。


「本当だ、よく似合ってる。可愛いね」
「えへへ、そうでしょ? 着付けもバッチリできたし、次はディナーねっ」
「うん、それなら早く行こう。お腹が空いちゃって」
「そうね、アタシもちょっと食べたい気分」


もと着ていた2人ぶんの衣服を《境界》で部屋に置いてから、裾を踏まないように慎重に歩くアリアと歩調を合わせつつ、自分と彼女とは、やや混雑し始めてきたバイキング形式のレストランへと向かっていった。始めはお互いに好きなメニューを皿に乗せていたのだけれども、アリアは大好物のももまんを見つけるや否や、一気に10個ほど我が物顔で取り始める──それが何だか愛らしくて、思わず笑ってしまったのは失態だったらしい。「何よ」と訝しげにこちらを見上げながら零した彼女に、自分は微笑しいしい無言で首を振る。


「……気になる。別に言ってくれたっていいじゃない」
「だって君、素直に理由を言ったら怒るでしょう」
「じゃあ、怒らないから言ってみてよ。ほら、なんで?」


煌々とする照明に降られながら、アリアは赤紫色の瞳を見開いてそう訊ねた。食事用のテーブルを挟んで向かいの席にいる彼女を一瞥しいしい、用意の済ませた食器を卓上に置いて、自分は腰を下ろす。アリアも合わせて座ったものの、やはり視線は凝然として、こちらを見詰めていた。彼女の食器には、やはり文字通りに山積みにされたももまんが、ひときわ異彩を放っている。


「別に大したことじゃないよ」
「それなら言ったって構わないじゃない」
「嫌だよ、恥ずかしいもん」
「むぅ……気になる。なによ、怒るとか恥ずかしいとか」


わざとらしく不貞腐れるアリアを前にして、自分は今一度だけ微笑した。それから「いただきます」と手を合わせて、箸を持つ。彼女も渋々──というか食欲には抗えないらしく、真っ先にももまんに手を伸ばしては口に運んでいった。少し見ていると、1個なんてすぐに食べ終わってしまう。この小さな身体のどこに、あれだけ収まるのかしら……と最初の頃は唖然としていたけれど、日を経るごとに改めて見てみると、やはり動作が小動物めいた感じで、どこか可愛らしい。そんなことを考えながら箸を進めていたら、2人ともあっという間に食べ終えてしまった。


「あー、美味しかったっ。ふふ、たまには良いわね。こういうのも」


そう声を弾ませながら、アリアは椅子の背もたれに寄りかかる。彼女の下がった眦が、いつにも増して嬉しそうな、そんな気がした。「なかなか外には行かないもんね」と自分も話を続ける。


「……そういえばアタシたち、そんなに外食とかしないのね。休みの日にショッピングとかは行くけど、結局はほら、ご飯って彩斗か白雪が作ってくれるじゃない。だから新鮮なのかも」
「ふぅん。それなら月に1回くらいは外食にでも行こうか。2人きりでも、皆とでもさ」
「そうね、楽しみにしてるっ。今はちょっと忙しいけど、それが終われば行きたいわね」
「うん。……アリアのおすすめとか、行ってみたいなぁ。どういう雰囲気なんだろうね」


そんな他愛のない、いつも通りの会話だけを快活に交わしながら、花火が見えるという例の午後8時が近付いてくるまで、自分と彼女とはレストランの照明の下に爛々として降られていた。それから部屋に戻ったのは、花火が打ち上がるらしい丁度5分前で、無邪気な子供みたく奔放にはしゃいでいるアリアを見ていると、何だかこちらまで童心に帰ったような心持ちになってくる。


「ほら、もう時間になるでしょっ! 早く早くっ」
「はいはい、そんなに焦らなくてもいいよ」


部屋の扉を開けるが早いか履き物を適当に脱いでしまったアリアは、その乱れた履き物とやらを整理している自分の心境もつゆ知らず、やはり我儘な子供らしく背中に要求を投げかけてくる。それからいよいよ彼女の方に向き直ると、とうにアリアは最初の時みたく窓辺の椅子に腰掛けていて、「ほら、彩斗も座るの」とでも言うかのように、無言で対面の椅子を指さしていた。「仰せのままに」──と従順気取りで座ってみると、やや満足気な様子でアリアは頷いている。


「あのね、女の子は雰囲気が大事なロマンティストなの。ドラマとか映画でもあるでしょ? 別にBGMを流せとは言わないけど、ほら、こういう──雰囲気、とか、ね? ……あるでしょ?」
「自分から言い出しておいて、いざ恥ずかしがるなんて変なものだね。お得意の弁舌に万丈の気を吐き始めたと思ったら、どうして歯切れが悪くなるんだい。言いたいことは分かったけど」


組んだ両の手を揉みながら、アリアはやや俯き気味にして黙りこくっていた。照明に燦々と照らされた彼女の面持ちがよく見える。ほとんど乾ききった艶やかな髪の毛とか、羞色を帯びて紅潮した頬とか、彷徨する赤紫色の瞳とか、指先で天鵞絨のカーテンを摘む仕草だとか──彼女が見せている態度の全てが、これ以上ないほどにいじらしくて愛らしい、とても直視してはいられないほどに、可憐なものに思えた。そうしてその通り、窓硝子の向こうをふいと見たくなった。

煌煌としたイルミネーションが、ウォルトランドのあちらこちらに散りばめられている。幻想的──と言えば、幻想的なのかもしれない。黒洞洞たる東京湾も、どこか浮ついたような淡みを帯びていた。そんな大東京の夜景を眼下にして、既に下りた夜の帳に、海月が嫣然と腰を掛けている。そうして藍染の天穹に見えるはずの綺羅星は、みんな掻き消されてしまっているらしい。星が綺麗だね──なんて言えそうにもなくて、それが何だか、彼女との行く末を暗示しているような気がして、どこか物悲しい、同時に目も背けてしまいたくなるような、そんな心地がした。

だからかもしれない──意地でも星を見付けたくなったのは。別にそれが絢爛な一等星でなくとも、今に消え入りそうな六等星でも、なんとか手をあるたけ伸ばしきって、掌に収めて、その存在をどうしても肯定したいのだ。届かないからこそ綺麗だとか、そんな陳腐な言い訳はしたくなかった。──彼女の瞳を彩る赤紫色が綺麗なのは、あぁ、これはいったい、どちらなのだろう。
「……あっ」思わず洩らしたその一言に、アリアがふいと伏せがちにしていた顔を上げる。「ねぇ。あそこ、見て」自分はそれだけ告げて、影が反照している窓硝子の向こうを指さした。


「──ほら、端白星(はじろぼし)。綺麗だね」


煌煌たる電飾灯にも、或いは皓皓(こうこう)とした海月にも、その端白星は掻き消されてはいなかった。漆黒に限りなく近い濃藍に、ただ悠然と明滅しながら──同時に、ただそこにだけ、確かに存在している。アリアはしばらく、凝然と据えた赤紫色の瞳でもって、その端白星を見詰めていた。いつもらしく眦の上がった鋭敏な目付きで、涼し気な目元をして──そんな端麗な様が、やはり似合っている。それから、やがて長い瞬きをひとつしたかと思うと、おもむろに口を開いた。


「……そうね。月も」


確証は無いけれど、そう聞こえた気がする。窓硝子の向こうで爆ぜた散華の余韻を耳に入れながら、自分は濃藍に描かれた菊文様を呆然と網膜に映していた。自分にとって、あの端白星が綺麗なら、彼女の言った、あそこに浮かぶ海月も、やはり綺麗だろう。けれど、いちばん綺麗なのは──その全てを映した、自分が焦がれている片恋の相手の、あの赤紫色の瞳だと、そう思った。 
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