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緋弾のアリア ──落花流水の二重奏《ビキニウム》──

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予期せぬ事態

言い知れぬ焦燥が胸臆に燻っているのを感じながら、自分は斜陽を望むこともなく《境界》で手早く帰宅した。そうして白雪と協力しながら夕食の支度をし、アリアが不意に現れたのはそんな具合の時だった。先の出来事もあるから、どう言葉を交わせば良いのかが分からない──そんな雰囲気のまま夕食を仕舞って、めいめいに入浴などをしていると、すぐに宵は暮れてしまった。

白雪はアドシアードの件で作業をするらしく、誰よりも早い入浴の後に、自室にずっと篭もりきっている。現在はいちばん最後に入浴することになったキンジを除いて、このリビングには自分とアリアの2人しか居ない。互いにこの雰囲気を自覚しながら、それでも何かしら会話を交わすのに躊躇して、歯切れの悪い辿々しい話だけを、ときおり挟んでいた。テレビの音声を、ある意味をして森閑としたリビングに鳴り響かせながら、隣り合ってソファーに腰掛けつつ……。

まだカーテンを閉めていない窓硝子の向こうには、大東京の夜景を眼下にして、既に下りた夜の帳に、海月が嫣然と腰を掛けている。その海月が薄月に変貌する刹那を見届けながら、この森閑が何に起因するのかという予想を、粗方ではあるがつけていた。自分がアリアに向けている印象──彼女の居ないところで展開させていた話題を、彼女に露呈させてしまったこと。そうして恐らく、アリアはその詳細を、文に訊ね聞いたこと。ともすれば、どこまで文が話したのかは定かではないけれど、自分自身のエゴともとれる愚蒙を、間接的にアリアに伝えてしまったのだ。

彼女に向けた感情のほんの些細な断片でも、アリアが感受してしまったならば──その帰結が、こうして彼女が採っている態度に表れているとしたら、自分は、どうしたら良いのだろう。
この雰囲気に気圧されてしまって、そんなことを考える余裕なぞは、今の自分には無かった。ただ自分の愚蒙、換言すればエゴに起因した結末だろうことを、悲観するのみでしかいられない。

そんなことを幾度も幾度も巡らせながら、隣に座るアリアを一瞥した。
数十分ほど前に入浴を済ませ、ヘアドライヤーである程度だけ乾かした髪の毛を下ろしている。まだ残った微細な水滴が照明を爛々と反射させていて、洗髪剤の芳香は梔子と混じっていた。
いつもみたく眦の上がった彼女の目は、赤紫色の瞳を真正面に向けている。ただ、それもテレビの内容に見入っているようには思えなくて、どこか茫然としているように思うのが自然だった。

そんな風采の彼女を一瞥した刹那に、自分は途端に、この森閑に耐えきれないだろうことを自覚してきた。端的に言えば、居心地の悪い気まずさに耐えかねて、こうして黙然としているのだ。
それでも、アリアに声を掛けるのはそれほど苦ではなかった。どうして、もう少し早くこの森閑を打破しなかったのだろう──と拍子抜けさせられてしまうほどには、あっけらかんと。

「ねぇ」と呼びかけると、アリアは夢見心地から醒めたかのように瞠目した。そのまま切れ長の目つきに覗かせた赤紫色の瞳を自分に向けると、少し間を置いて「……なに?」と返事する。
こうした彼女の口調からは、平生と比較して何らの差異の切片をも抱くことはなかった。


「……帰ってきてから、あまり喋らないね。どこか具合でも悪い?」
「別に、どこも悪くない」
「それじゃあ、何か嫌なことでもあった?」
「……何も無いけど。なんで?」


そう返事したアリアの声色は、本当に不思議がっているようだった。


「帰ってきてからずっと、物思いに耽けっているみたいだったから」


その答えが図星だったのだろうか、彼女はほんの少しだけ唖然としたような面持ちになった。それから体裁が悪いと言うかのように自分から視線を逸らすと、苦笑しながら「ごめん」と告ぐ。
「何について考えてたの?」そう問いかけた。やにわにアリアは「えっと……」と言い淀むと、そのまま再度、黙考の深海に沈んでいくらしい。「言い難いことだったら、言わなくても──」


「……彩斗はさ」


アリアは言葉の端を遮って、そう零した。同時にその態度が、いかに平生と比較して彼女にとって似つかわしくないかを自分自身で首肯するのにも、大した時間は要らなかった。
頑なで気位が高い──それがアリアという少女の性格であっても、こうした場面に於いては、人の話を最後まで聞かないような子ではない、と自分は思っている。だからこそ対峙した、物珍しい一種の例外に耳を傾けるべく、細細とした調子とは真逆の赤紫色の瞳を凝視すべくした。


「……どうしてアタシなんかを、こんなに優しくしてくれるの? 彩斗は『そんなこと』って思うかもしれないけど、アタシには分からなくって、だから、それだけをずーっと考えてたんだよ」


詰まった咽喉の奥からようやく洩れたような、そんな声をアリアはしていた。
物思いに耽ける少女が零した問い──らしい問いに、自分は胸の内のどこかで安堵したように思う。それが、彼女のしてくれた告白に起因するのだろうことは、何となく分かっていた。


「大事に思っていない子に対して、とりわけ優しくしたりはしないでしょ。そういうことだよ。自分にとって君はパートナーだし、身内だから。それに、思うように母親に会えないというのが、どれだけ辛いか──だから、せめて自分といる間は、出来るだけ苦の少ないようにしてやりたいんだ。それが、君の言う優しさなんだろうね。……大事に思っていれば、そうもなるよ」


照れ隠しの笑みに濁しながら、最後の言葉を自分は零した。けれども、今更の言葉ではない。自然に口を衝いて出た、自分でも意図していなかった言葉の集積、衷心に他ならなかったのだ。
「……そっか。ありがと」アリアはそう呟きながら、目元を綻ばせて静穏に笑う。
そんな彼女の態度を見た刹那に、自分の胸臆に秘めている想いを今、この場所で赤裸々にしたくなった。告げた言葉の裡面にある想いは、それでもまだ伏せておかなければならないのだ。

この愚蒙を平然と宣うことができる時期ではない。今は、それよりも優先すべきことがある。
だからこそ、たとえ愚蒙と呼んだ想いであろうとも、それを彼女に面と向かって伝えることができる時期を迎えたのなら──その時は何が何でも、どうなろうとも、そうするつもりだ。それが、抱いたこの感情に区切りを付ける時か、或いは、この感情を成就させる時になるか──。

彼女の零した笑みにそんなことを思いながら、自分は小さく頷いた。その直後に、穏和の2文字が浮かぶリビングの外から、その穏和とは見事に掛け離れた雑多な物音が聞こえてくる。
2人揃って廊下の方に目線を向けるものの、扉の向こうで何が起きているのかは分からない。けれど、その物音がどうやら白雪の足音らしく判断したのは、お互いの共通認識からだった。


「──キンちゃん! どうしたの!?」


扉を隔てた廊下からは、白雪の悲鳴めいた叫び声が聞こえてくる。何かしら有事を迎えたのだろうか、それにしても──。しばし逡巡しながら、取り敢えずは、と紡錘形の《境界》を開く。
眼前を覆うように展開されたその向こうには、リビングへと入る扉の付近が見えた。照明に照らされた廊下に異変は無い。けれども洗面所を隠すカーテンが、何故か無造作に開かれていた。

その向こうに視線を遣ると、着替え途中だったらしい半裸のキンジと、何かしらの用事で赴いた結果にそれを目撃したらしい白雪が、互いに硬直して見つめ合っている。珍妙な光景だった。
「……君たち、何やってるの」その言葉で初めて、2人は自分たちの存在を認識したようだった。唖然とした態度を残しつつも、我に返ったようにして、決まりが悪そうにしている。


「それで、白雪はどうして叫んでたわけ? 取り敢えずこっち来なさい。話なら聞くから。……キンジも、いつまで裸でボケっとしてるのよ。早く着替えてアンタも来るの。何かあったの?」


アリアは呆れたようにして、茫然としている2人に機敏な態度を促した。彼女に手招かれた白雪は、《境界》を経由してこちら側に小走りで駆け寄ってくる。その背後でカーテンを閉めたキンジを確認してから、「えっとね、あのねっ」と狼狽する彼女を横目に《境界》を閉じた。
「いいから、まずは座りなさい」アリアはそう言って白雪をたしなめる。彼女は慇懃に「失礼します」と挨拶してからソファーに座ると、何度か深呼吸して気を落ち着かせているらしかった。


「……ずっと部屋で作業をしてたんだけど、急に電話が掛かってきたの。こんな時間に電話を掛けてくるのは身内くらいだし、同じ家に居るんだから、お話なら部屋に来てすればいいのに──って思いながら出たんです。するとね、『風呂場に居るんだが、ちょっと来てくれるか。今すぐだ』って言われたの。そうしたら、ご覧の有り様です。何だったんだろ……。おかしいね」


すっかり面食らって消沈してしまったらしい白雪は、最後には細細とした口調になっていた。
「おかしいも何も、」有り合わせのタオルで髪の毛を乱雑に拭きながら、着替えを済ませてきたキンジはぶっきらぼうに告げる。「どう考えてもイタズラ電話だろ。俺は電話なんて掛けてないし、そもそも風呂場で電話なんて怖くて使えない。俺の電話は防水じゃないんだからな」


「あっ、そっかぁ……。そうだよねぇ……」と白雪は納得したように頷いていたが、それにしても──といった疑懼の2文字が、この意識の上に堂々と浮上してくる。自分もアリアも、白雪もキンジも、内心では単なるイタズラ電話だと1度は納得しただろう。けれど、その納得を取り払ってみると、そんな単純なものには思えなかった。むしろ右に倣えの納得というものが──、


「楽観主義の得た、免罪符……かぁ」


「免罪符、って?」そう零した白雪の声で、自分の意識は引き戻された。いつの間にか伏せていたらしい顔を上げながら、同時にこの奇怪事の裏を仮定する。そうして伝えるべく口を開いた。
神妙な面持ちをしているのは、自分を除けばアリアしかいない。恐らくアリアも、気が付いたのだろう。彼女特有の天才的な直感力でもって、今のこの奇怪事と、件の騒動との関連性を。


「免罪符っていうのは、もともとキリスト教用語なんだ。罪に対する罰を免除してくれる証書で、一般的には口実と似た意味合いで使われているかな。もっとも今、自分が言いたいのは──この奇怪事の裡面を見澄まさないことへの、ちょっとした警鐘を鳴らすということでね」


「……回りくどい言い方は面倒臭い。簡単に説明しろ」キンジはそう言い放つと、1人用のソファーに腰掛けた。「要するに、平和ボケしたような俺たちの態度が気に食わないわけだろ? 」
「ふふっ。まぁ、1つずつ説明していこうか。これはあくまでも仮定の話だけどね」それでも、考えられない話ではない──そんな意図を込めながら、自分は2人に解説を始めた。


「まず楽観主義とは、物事を自分にとって都合が良いように解釈することだよ。悲観論で物事を見澄ますべき武偵の思想には、かけ離れている。……そうして、免罪符。これはある種の口実のようなもので、ここではその口実が、『イタズラ電話』という形で現れてしまったわけだ」


キンジも白雪も、まだ釈然としないような表情を浮かべている。


「キンジ。主に君が白雪を護衛しているのは、彼女を《魔剣》から守るためでしょう。そんな最中に、キンジを名乗る者から白雪に向けて、虚偽の電話が掛けられた──おかしいと思わない? イタズラ電話にしては、少し手が込んでいるよね。何も《魔剣》との接触は、互いに対峙し合うことだけじゃないんだよ。彼の者との接触が最も危惧されているのは、アドシアードの当日だけど、必ずしも当日に接触してくるとは限らない。今回が、それだと仮定するならば──?」


そこまで告げたところで、ようやく2人は、事実として起きた予期せぬ事態──ここまでの話を前提に裏を返せば、自分の提起した仮定の1つという可能性──を目の当たりにしたようだった。同時にそれは、この状況と時期を鑑みれば、多分に説得力を孕んでいるものに相違なかった。だからこそ、キンジも白雪も顔を見合わせて、寒慄したような面持ちで押し黙っている。

不意に「これが、《魔剣》の隠密接触なら──」とアリアが重い口を開いた。「今まで以上に用心しないと、やられるかも。たぶん、アタシたちの行動を事前に偵察してるんじゃない?」
そう言いながら、アリアはこちらに流し目をする。その意図を汲んだ自分は《境界》越しに手を伸ばして、まだ閉めていなかったリビングの窓硝子──それをカーテンで素早く覆った。

「ところで」と前置きをしてから、白雪に問いかける。「君が電話で聴いたキンジの声は、いつも通りの声をしてた? そもそも、掛かってきた番号とか覚えてる? キンジのはずはないよね」
その問いかけに、彼女はいささか悩ましいような顔付きで、十数秒ほど考え込んでいた。それから、手元に仕舞っていたらしい携帯電話を取り出すと、着信履歴を見てから小さく呟く。


「あれ、非通知だ……。てっきり皆のうちの誰かだと思ってたんだけど、全く違うね。でも声はキンちゃんに似てたよ? 声が響いてたから、本当にお風呂に入ってるんだって思ったもん」
「偽物のキンジが、白雪に、本物のキンジのところへ行け──と要請すること自体、そもそも意図が掴めないよね。声を反響させる環境まで用意しているあたり、割と周到だけれども」


「どちらにしろ、単なるイタズラ電話には思えないよね」そう続ける。「やっぱり、《魔剣》が接触してきたと考える方が間違いないと思うんだ。何より厄介なのは、《魔剣》はもう、自分たちのすぐ近くにいるだろう──と読めてしまうこと。少なくとも、今の動向は把握されてる。ご丁寧にキンジが入浴した折を狙っているんだから、これを偶然とは捉えられないでしょう?」

そうであるならば、《魔剣》は何によって自分たちを偵察しているのだろうか──真っ先に思い付くのは、盗聴器だった。けれど、その予想も、一瞬間の後には自分自身が否定してしまう。
盗聴器は《武偵殺し》が工作活動に用いた一手段に他ならなかった。だからこそ観念連合として呼び起こされたのだろうし、事実、非常に有力な手段ではある。ある、のだけれど……。


「粗方の必然性をもって、この奇怪事は構成されていると見た方が良いね」


《武偵殺し》がアリアを誘い出すための手立てとして、盗聴器は一種の足跡の役割を、恣意的に果たさざるを得なかった。そうした意図のかかった工作活動と、今しがた仮定した単なる工作活動というのは、性質がまったく異なりすぎている。その双方が自分の推論を邪魔していた。

話によれば、《武偵殺し》も《魔剣》も、ともに《イ・ウー》の人員らしい。内部の詳細こそ不明なものの、恐らく身内とされる2人の間柄を考えれば──それが標的を誘き出すための罠とはいえ──《武偵殺し》が採った結果に敗れた作戦を、《魔剣》が同じくして採用するとは考えにくい。むしろ既出の作戦にこちらが警戒していることまで、読まれているかもしれないのだ。


「だから2人は、なるべくお互いから離れないようにして。今となってはもう、意味が違う」


毅然とした口調で、自分は告げた。何のためか星伽白雪を狙う《魔剣》が、既に自分たちの付近にいることを自覚しながら──そうして、その裡面に暗躍する《イ・ウー》が、間接的ではあるものの、自分とアリアに急接近しつつあることもまた、自覚しすぎる以上に自覚しながら……。
その段階に入ってしまうと、こちらも警戒度を層、一層と上げていかなければならなくなる。


「……意味が違うって、どういうことだよ。やるべきことは変わらないのにか?」


そう問いかけてくるキンジは、《魔剣》との距離感を把握しきっていないように思えた。そんな彼に呆れたようにして、アリアが「その小さな脳でよーく考えなさい」と補足を入れる。
「さっきのイタズラ電話は、ほぼ間違いなく《魔剣》による電話なの。彩斗も言ったけど、電話の内容とタイミングが上手く一致してたでしょ? こんな偶然はそうそう有り得ないの。じゃあ、どうして《魔剣》はキンジがお風呂に入ってることが分かったの? そこが1つ目のポイント」


アリアはそう告げて、人差し指を立てた。


「盗聴とかハッキングとかが思い付くけど……たぶん違う。実は《魔剣》と《武偵殺し》は繋がりがあるらしいけど、その《武偵殺し》の工作活動に盗聴器があったじゃない? 今回の隠密接触で仮に自分が《魔剣》だとバレた時、アタシたちがどうやって《魔剣》に動向を確認されてたのかを疑うのは当然でしょ? それで真っ先に盗聴器が思い付くはずなの。だからアタシたちがこうして警戒することを見越して、敢えて手掛かりになるような証拠は残さないようにしてるはず」


「だから、」と付け加えて、アリアは人差し指の次に中指を立てた。 「2つ目のポイントね」


「消去法で考えれば、手掛かりの残りにくい方法──古典的手段を採っているはずなの。尾行とか、覗きとか、《魔剣》の装備次第では狙撃銃で鷹の目とかね。何処からアタシたちを偵察してるのかは分からないけど、こういう手段に絞られてくるの。少なくとも、すぐ近くには居る。何より《魔剣》の素性は知られてないから、尻尾を出さない限りアタシたちは気付けないのよ」


そうして、アリアは薬指を立てた。赤紫色の瞳で、キンジを見据えながら。


「これは極論だけど、《魔剣》は、いつでも白雪を狙えるの。でも、アタシたちはいつ《魔剣》に接近されるかが分からない。……『なるべくお互いから離れないようにして』っていう意味、もう分かったでしょ? 最低でも白雪の護衛は1人必要なんだから、隙を見せちゃいけないの。3人揃って護衛できる時はするけど、もしかしたら用事でバラバラになる日もあるだろうから」


彼女の言いたいことは、もう分かった。それは当の本人であるキンジも、はたまた護衛される立場の白雪も、大いに察し得ることだろうと思う。目前に迫った脅威に臆することなく、或いはそうなれども──彼にとって決して守るべき約束と、護るべき者のためには、最善の解答だった。


「アンタも男なら──自分の幼馴染くらい、命懸けで護りなさい」


遠山キンジがそれに背くのには、大した時間は要らなかった。 
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