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ドリトル先生と不思議な蛸

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第九幕その十

「素敵だね」
「本当にね」
「じゃあその風流も楽しみましょう」
「海を見ながら」
「皆でそうしようね」
「是非ね。昔の人だと」 
 日本のというのです。
「ここで和歌や俳句も詠んでいたよ」
「うわ、それはいいね」
「ここで和歌や俳句を詠むとか」
「まさに歌人」
「優雅や風流にいる人よ」
「これはお公家さんだけじゃなくてね」
 詠む人はというのです。
「お侍さんやお坊さん、神主さんも。そして字を書くことが出来たら」
「普通の人も?」
「お百姓さんや町人の人達もなの」
「詠んでいたの」
「そうだったんだ、万葉集には防人の人の作品もあるよ」
 そうした人のものもというのです。
「だからね」
「普通の人も詠んでいたんだね」
「身分のある人達だけじゃなかった」
「和歌や俳句を詠む人は」
「日本ではそうだったんだ」
「戦前でも軍人さんがよく詠んでいたしね」
 この人達もというのです。
「和歌をね」
「そう言えば辞世の句ってあるわね」
「そうそう、日本にはね」
「それもあるね」
「切腹の前とか詠むね」
「忠臣蔵でもそうしていたよ」
「武士の嗜みの一つだったんだ」
 和歌はというのです。
「そうだったんだ」
「成程ね」
「そこまで皆が詠んでいたんだ」
「和歌、それに俳句は」
「今も川柳とかあるし」
「詠まれているわね」
「僕も詠んだことがあるけれど」
 かつて学園でそうしたことも思い出します。
「いいものだね」
「そうよね」
「ただいつも出るかっていうと」
「先生もそこまでじゃないね」
「いつもは詠えないわね」
「いつも詠えるのは」 
 その和歌や俳句をです。
「もう日本語をかなり身に着けていないとね」
「詠えないね」
「そうはね」
「先生も日本に来て長くて」
「国籍も日本になって」
「普段は日本語を喋る様になったけれど」
「そして頭の中で考える言語もね」
 これもというのです。
「日本語になったけれどね」
「日本に来て暫くは英語だったね」
「先生色々な言語を使えるけれど」
「頭の中の言語は英語だったね」
「それもキングスイングリッシュだったね」
「そうだったけれど」
 それがというのです。
「今はね」
「日本語になったね」
「本当に日本語に馴染んだね」
「頭の中の言葉までそうなる位に」
「喋る調子も自然だし」
「そうなったけれど」
 それでもというのです。
「まだね」
「和歌や俳句をいつも詠める様になるには」
「まだなんだ」
「先生でもそこまでじゃない」
「そうなのね」
「そうなるには」 
 本当にというのです。 
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