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銀河英雄伝説 異伝、フロル・リシャール

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第1部 沐雨篇
第1章 士官学校
  005 勝負事にこそ勝て

「本日行われるのは、戦術シミュレーションの試験である。君たち2年生はこの士官学校に入学してから今まで学んできたことを、実践的にテストする良い機会である。この学校で学ぶことは、決して虚学ではない。机上の空論ではない。ただの、知識ではない。諸君らが知識を自らの力として駆使できるかに、本試験の主旨は存在する。各自の健闘を期待する。それでは、<戦闘開始>!」

 シドニー・シトレ校長の挨拶が、後期学期末試験最後の科目の、始まりの言葉になった。
 日程的に三年生の期末試験が終了しているフロル・リシャールなどは、暇潰しにこの試験を見に来ている。二年生の学期末に行われるこの試験は、士官学校に在籍する士官候補生たちにとってもっとも盛り上がる行事の一つと言っても過言ではない。もっとも、このあとの三年生や四年生では、戦術シミュレーションの実技試験が何度も行われるので、学年が上がればそれほど珍しい試験でもなくなる。
 だが、今、試験を受けている二年生にとっては士官学校初のイベントであるからして、各生徒の()()()()()としての能力が如実に試されるため、非常に大きな注目を浴びるのも確かであった。
 この試験では高性能戦術コンピュータによって、ランダムによって決定された戦闘条件下における1対1の艦隊指揮シミュレーションを行う。その条件は試験直前まで公開されない。ある者は小惑星群宙域での遭遇戦、ある者は特定宙域制圧戦など、その条件は多岐に亘る。

 もっとも、その条件付けは思いの外シビアであって、二年弱軍事教練を受けたばかり、謂わば知識だけ頭に詰め込んだ二年生(ルーキーズ)の中には、まともな戦いもできぬまま、収拾の付かない消耗戦や一方的な自滅に陥る者も多くいた。つまりはどれだけ今まで学んだことを、ただの知識ではなく、戦闘指揮という形で応用できるかが試される場であったのだ。

 フロルは観戦室とも言うべき部屋にいた。そこには、同時に開始された複数の戦場図が所狭しと並べられたディスプレイに表示されており、その中でもフロルはただ一つのものだけを凝視していた。無論、ヤン・ウェンリー対マルコム・ワイドボーンの戦いである。

「そういえば、昨年の優勝者は君だったな」
 ヤンが拙いながらも敵艦隊を陽動に引っかけた場面で、フロルは隣からかけられた低いバリトンの声に反応し、振り返った。
 そこにいたのは、シトレ校長、その人である。
 シドニー・シトレ中将は今こそ、士官学校の校長職に収まっているが、本来は前線で戦う軍人として勇名を馳せた人間だった。だが有名な軍人に得てして多くいるタイプとは違い、教育者、また組織や人事の管理者として有能である。性格の方も、温厚で落ち着きがあり、その懐の深さに尊敬を抱いている将兵は数知れない。
 無論、原作を()っているフロルもまた、昨年来の関わりを経てその中の一人となっている。

「校長はよろしいのですか? こんなところで時間を潰していて」
「無駄な時間ではないさ。この二年生のシミュレータ試験は私の数少ない楽しみの一つと言える。艦隊の運用はそうだな……言い方は悪いがチェスと同じようなものだ」
「三次元チェスですか?」
「ああ、どうやって(艦隊)を動かすかによって、その人物の性格がわかる」
「なるほど」
 フロルは隣の大人物の台詞に納得の頷きを返した。どの駒を捨てるか、それを冷酷に判断しなければならないという視点は、確かに軍人として正しい見方であった。すべてを拾うことはできない。どのようなチェスの達人でも、自分の駒を一つも失わず勝つことは出来ない。将来のヤンの言葉を借りれば、<用兵とは如何に効率よく味方を死なせるか>ということだ。言い得て妙というものである。
 だがフロルはまだこの時、彼が切り捨てる歩兵(ポーン)には赤い血が通っているということを、頭では知っていても、理解はしていなかった。
 彼がそれを理解するのは、もっとあとになってからのことである。

「そういう意味ではリシャール候補生、君の用兵は面白かった。小惑星帯に紛れ込み、小惑星そのものを工兵部隊でもって弾き飛ばして、敵艦隊の陣形を破壊するなど」
 その言葉にフロルは苦笑した。
「いくら学年首席と言っても、一度崩れた艦隊を即座に立て直す技倆はないですからね。だから使えた小細工ですよ。敵の混乱に乗じてそれを撃破する、言うは易しですが、実戦では使えた作戦ではないでしょう」
「それがわかっているからリシャール候補生は面白いのだ」
 シトレは機嫌良さそうに、フロルの肩を叩いた。軍人らしい力強い手だった。もともと欠点のない秀才よりは異色の個性を重んじる価値観を有する。だからこそ、フロルのようなアウトサイダーも可愛がられている、と言えるが。

「それで、リシャール候補生のご執心は、どの試合かね」
 シトレはフロルの目線の先を追って、小さな声を上げた。
「現2学年首席マルコム・ワイドボーンと……ヤン・ウェンリー? ワイドボーン候補生は何度か聞いた名だが、ウェンリー候補生はあまり聞かないな。戦史研究科? これはまた随分な——」
「ヤンはE式ですから、ヤンがファミリーネームですよ、校長。ま、見ていて下さい。私はヤン・ウェンリーが勝つと思っていますから」
 フロルは、ここぞとばかりに胸をはって自信ありげに言った。
 むしろその言葉に驚いた反応を示したのは、フロルとシトレ校長の話に傍耳を立てていた他の生徒である。
「ふむ、君はヤン候補生を高く買っているようだが、彼は優秀なのか?」
「得意な科目はまだしも、駄目な科目は赤点スレスレっていう怠け者ですよ。今日のテストだって、ついこないだまではやる気ゼロみたいなもんでしたからね。まぁ——」

——だからこそ、焚き付けたのだが。

 フロルがヤンを釣った餌は簡単なものである。
 ヤンが一番好きなもの、歴史学に関するフロル自身の蔵書であった。
 フロルは小さい頃から、自分が置かれた時代を的確に把握するために好んでその手の本を読んだ。さらに、いつか出会うであろうヤンに対する取り引き材料として、その類の本を集めていた、という事情がある。
 だがこれを知らぬ後世の歴史家は、不敗の魔術師ヤン・ウェンリーと、フロル・リシャールを列挙し比較するにあたって、<歴史好き>を挙げてみせたのはヤンにとっても、フロルにとっても複雑な心境を齎したであろう。彼自身は歴史を一つの物語として、読者として楽しんでいたにすぎず、対してヤンは歴史に対して学者としての視点として生涯研究対象として接していたからだ。よって、ヤンとフロルが共通の話題、歴史を通じて意気投合したという逸話は完全に後世の創作、いや、勘違いと言われるべきものであった。
 フロルにとっては、歴史も、はたまた立体TVのアクション映画も、まったく同レベルのエンターテイメントにすぎなかったのである。

 それはさておき、ヤンは釣れた。
 銀河連邦史全集、旧地球史大全など、ヤンにとっては一度は読んでみたいと言った本を見せつけられては、やる気を出さざるを得なかった。どの本も、絶版本や今では需要がなくて出版されないような本であり、また電子媒体としても販売されていない本であったからである。国立図書館にすらおいてないような本すら、あった。そこらへんはフロルがフェザーンの悪友経由で手に入れたのだが、ヤンは知るべくもない。
 もっとも、ワイドボーンと戦うにつれ、
「自分はとんでもない詐欺にあってるんじゃないだろうか」
という気がしていたという。
 
 フロルはこの士官学校に入り、自身がこの戦術シミュレータ試験を受ける際に知ったことであるが、この試験の優勝とは勝ち抜き戦で決まるものではない。採点官が戦術指揮官に必要であると思われる資質や能力について、各項目採点付けし、総合点で判断するものである。それにはもちろん、自身が運用した艦隊の消耗率や敵艦隊の撃破率、戦術目標の達成率なども判断に加えられる。
 謂わば誰に勝ったかよりも、どのように勝ったか、の方が大切なのである。
 その点では、学年主席と対戦するというのは、悪いことばかりではない。
 先述の通り、まともに艦隊運用もできない生徒相手では、こちらの手際を披露することもできない。であるならば、ある程度の運用をしてくれる生徒を相手取り、それを撃破すれば高得点が入りやすい、つまりは優勝しやすいのだ。
 まぁ原作では、ヤンはワイドボーンに勝ったということだけで名が知れていたので、優勝する必要はないのかもしれないが。
 フロルが梃子入れするからには、ヤンに目標とさせたのは()()である。

「ま、面白い奴ですよ。ヤンは誰よりも戦争とか人殺しのような愚行を嫌う男です。元は歴史家になりたかったとか。ですが、なかなかどうして戦争やらせれば上手くやるタイプですよ、あれは。そもそも、優等生を鼻にかけ、肩で風切って歩いてるワイドボーンに将器があるとは思えません」
「将器、将としての器か」
「校長もここを勤め上げたら、また出世街道に戻るんですよね。ヤンには、目をかけていただきたいですね。あれは、化けますよ」
 シトレはまるで他人事のように話すフロルの横顔を見ると、小さく笑いを零した。まるで自分は関係ないという顔で、そういうことを言うフロルが面白かったのだ。
「儂はなんやかんやでリシャール候補生も勝っているんだがな」
「買いかぶりです。俺なんて、二流もいいところでしょう。磨いても、一流にはなれるかどうか」
 その言葉に笑ったのはまたしてもシトレであった。昨年彼に敗れ、準優勝に終わった首席の優等生が聞けば、泣いて悔しがるであろう。

 だが、フロルはまったく、一片の疑いもなく、自分が二流であることを理解していた。戦術、戦略、軍略というものをどれだけ学んだとしても、自分は一流になれても、ヤンやラップを越えることはできないだろう。自分は未来を知っている。それがアドバンテージだ。だが、ヤンやラインハルトといった天才たちとは、彼らの才能とは谷よりも深く隔絶した差があるのだ。超一流と一流の差は、小さいようでいて、大きすぎる違いがある。
 


 二時間が経ったところで、勝利を決めたジャン・ロベール・ラップが観戦室の方にやってきた。ヤンの試合に注目していたとは言え、フロルはちらちらとラップの試合も見ていた。まったく危なげのない試合で、ラップとしては不完全燃焼もいいところだろう。ラップもまた、用兵家としての資質や才能に溢れた人間の一人であった。ヤンには劣っても、並以上は確実である。
 シトレ校長と二言三言話したラップもまた、シトレに気に入られたようであった。

「で、どうです、リシャール先輩。ヤンは踏ん張ってますか?」
「ああ、さすがだよ」

 観戦室にはラップのように自分の試験が終わった生徒が続々と集まりつつあった。彼らは勝ったにしろ、負けたにしろ、自分の学友たちの試合に興味があるようだった。そして皆が皆、早々に決着が着くと思われていた試合が、まったく違う展開を見せていることに、戸惑いを隠せないようだった。

「試合開始と同時に、陽動部隊と本体に分け、ECM(電子対抗手段)出力最大で、擬似的な遭遇戦を作り出した。作られた遭遇戦によってワイドボーンはヤンの陽動部隊につり出され、それ以外のすべての兵力を集結したヤンによって補給線を断たれてしまった」

 だがそのあとのワイドボーンはさすがにたたでやられるつもりはないらしく、そこから苛烈な攻勢に転じている。
「おお、見ろ、あのワイドボーン芸術的な艦隊運動」
「凄いな、波状攻撃か。艦隊を二つに分けて時間差で陣を交換し、ヤンに休ませる暇を与えていない」
「見ろ、いつの間にか別働隊が、ヤン艦隊の背後に迂回しようとしている」
「凄いな、さすがワイドボーン」
「ヤンなんて、最初に補給部隊を攻撃したあとずっと逃げてばかりじゃないか」
「攻める余裕なんてヤンにはないのさ」

 ラップはそんなことを話している学友たちを見て、眉を顰めた。つまり、ラップにもわかっているということだ。
「ワイドボーンは負けるだろう」

 その言葉に驚いたのは、ワイドボーンを賞賛していた二年生たちであった。彼は一斉にその不敵な先輩士官候補生を目をやった。その中の一人が気付いた。その人物が、昨年の優勝者であるということを。
 だがそれを知らない候補生が声を上げた。
「先輩、ご冗談はやめていただきたい。我が学年首席のワイドボーンがヤン・ウェンリーに負けるなど、ありえません!」
「そうだ、ヤンは逃げっぱなしじゃないか!」
「あんな逃げ腰でヤンが勝てるわけがない!」
 その言葉には、自分より劣っている——と彼らは思っている——ヤンがワイドボーンに勝つということが起きてもらっては、彼らの矜持が保てないのである。ワイドボーンは十年に一度の秀才として士官学校内でも有名であった。だが、それに勝ってしまえば、ヤンはそれ以上の秀才でなくてはならない。
 それはあってはならない事態であった。
 そういう低次元での心理的嫌悪感に加え、その時その時の試合の形勢を判断するコンピュータも、すべてワイドボーン優位を指していた。ただ一つ、残弾数、エネルギー残量だけは違うのだが。

 シトレはこの流れを、外野から興味深く見守っている。
 シトレはワイドボーンの狙いを掴んでいた。ワイドボーンは序盤に補給線が断たれてしまって、焦っている。ワイドボーンも補給線が断たれてなお、無限に艦隊運動が出来るとは思ってはいない。
 だからこそ、防御を捨てたと錯覚させるような苛烈な攻勢に出ている。短期決戦、つまり艦隊の活動限界を迎える前にヤン艦隊を殲滅することを図っている。
 対するヤンの狙いだが、これをシトレは図りかねていた。序盤に見せた陽動部隊を用いた補給線の破壊は見事であった。だがそれ以降の艦隊運動が奇妙なのだ。
 始めに補給線を破壊した時点で、ヤンの勝利条件はかなり簡単になっている。

——逃げ切れば良いのだ。

 逃げて逃げて、ひたすら逃げて、敵艦隊がそれを追いかけ続けて、限界を迎えれば勝ちなのだ。
 だがヤンは逃げていない。絶妙な距離を保って、ワイドボーン艦隊と相対し、後退を続けている。射程範囲ぎりぎり、ワイドボーンの攻撃が届きそうで届かないようなそのような距離を——。
 その時、ワイドボーン艦隊に押されたようにヤン艦隊の陣形が凹形になった。
 しかし、それは——。

「バカか、おまえら」
 その時のフロルの表情は、なんとも呆れた顔だった。いや、その表情の中に微かな怒りがあることに気付いたのは、ラップだった。
「いいか、好戦的な敵に対する時、こちらも好戦的になる必要はない。臆病な相手に対する時、こちらも臆病になる必要はない。必要なのは、相手を見極め、相手の考えを読んで戦うことだ。古代地球の軍師は言った。『敵を知り、己を知れば、百戦危うべからず』ってな」
 
 まさにその時、ワイドボーンの操作していた端末に<艦隊攻性運動限界>のエラーが表示された。
 そしてそれが、先ほどまで凹型になっていたヤン艦隊の、反撃の合図であった。
 凹陣形が半包囲殲滅戦への迅速な移行を可能にする。
 まるで、それが始めから仕組まれていたかのように。

 皆が絶句していた。フロルは腕を組んで、ディスプレイから視線を外した。
「防御に徹する敵には、戦略的無意味な消耗戦を仕掛けず、その防御を崩す一点に全兵力を注ぎ込む。こちらを殲滅させようと包囲網を試みる敵には、それが出来上がる前に敵と交戦し、それを突破する。そして、だ——」

 そして、コンピュータが勝利判定の電子音を発した。

<判定:勝利者、ヤン・ウェンリー>


「補給線を断ち、短期決戦に持ち込もうとする敵を誘導し、弾とエネルギーを浪費させ、その限界点を待ち、その瞬間に叩き潰す。ヤンは攻勢が上手くいっていると思わせて、半包囲殲滅戦のための凹陣形を、攻め込まれただけの凹陣形と勘違いさせたというわけだ。理想的な半包囲だ。ワイドボーンに撤退する余裕すら与えない」
 シトレもまた、まさかという答えに驚いていた。視線をフロルから、ヤンに向け直す。だがどう見ても、あまりにも軍人には見えないこの青年が、まさかここまでの戦術を見せるとは思えなかった。
 最終的に、ワイドボーンの艦隊は2割まで数を撃ち減らされていた。ヤンの艦隊は9割弱である。
 圧勝であった。

 
 2年生は誰もが驚きを隠せない表情で観戦室を去って行った。先ほどフロルに反論した一団は、特に気まずそうな顔をして。ラップはヤンを出迎えに行き、無理矢理ハイタッチを交わしている。シトレもまた、まるで何か面白いものを見つけたような顔で一人考え込んでいた。
 そんな中、フロルは茫然自失としたワイドボーンに近づいて、何かを語ったという。この時、フロルが何を話したか、それは定かではない。だがワイドボーンに心境の変化があったのは確かである。そのあとのワイドボーンには、慎ましさという何よりこの男に欠けていた要素が加わったのだ。ワイドボーンは後にこの時の試合について、言葉を残している。
「あの戦いは、俺にとってもっとも屈辱的な戦いだった。だが、あの戦いがなければ、俺は早死にしていただろう」


 余談であるが、このあとフロルは妙に羽振りが良かった。それが秘密裏で行われたギャンブルでヤンに賭けていたからという理由を、ヤンだけは知らない。


































 
 

 
後書き
20120103 誤字修正 
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