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亡者火

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第一章

               亡者火
 青森県津軽地方には一つの言い伝えがある、その話を今東京である作家が編集者に自宅で湯豆腐を食べ酒を飲みながら話していた。
「僕はその津軽の人間だからね」
「ご存知ですね」
「この目で見たことはないけれどね」
 端整なその顔で言う、髪の毛も整髪料で整えており大柄な身体によく似合っている。
「それでもだよ」
「お話は聞かれていましたか」
「そう、だから若しね」
「若しもですか」
「それを見たらね」
「どうするかですね」
「そのことも大事と言われてきたよ」
 こう編集者に話した。
「子供の頃は」
「太宰さんの子供の頃ですか」
「そうだよ、中学の時まで聞いていたね」
「そのお話を」
「こっちに来てからは流石にないけれどね」
 その作家太宰治は豆腐、鍋の中で熱くなったそれを食べつつ編集者に話した。
「あっちにいる間はよく聞いたよ」
「そうでしたか」
「それでだよ」
 太宰は編集者にさらに話した。
「今度僕もね」
「このご時世だからですね」
「家族と一緒に疎開するが」
「その疎開先は」
「実家だよ」 
 太宰は笑って言った。
「そのね」
「津軽ですか」
「そう、もう戻ることはないと思っていたけれど」
 義絶されていたからだ、もうそれはないと思っていたのだ。これは太宰治ではなく本名である津島修治としてのことだ。
「しかしわからないね」
「戦争が影響してですね」
「それで帰郷するなんてね」
「人生はわからないものですね」
「全くだよ、しかしね」
「津軽に戻られることはですね」
「もう決まったから、東京が落ち着くまでは」
 その時まではというのだ。
「そこで書いていくよ」
「宜しくお願いしますね」
「君もね。そういえば君には赤紙は来ていないね」
「実は何年か前に来まして」
 編集者は飲みつつ太宰に話した、今飲んでいる酒にしても肴にしている豆腐にしても実は太宰の奥さんが苦労して手に入れたものだ。
「それで志那の方に」
「行っていたんだ」
「そうしていました」
「そうだったのか」
「それでもう行くことはないと思いますが」
「そこはわからないね」
「野球の投手の沢村君なんてあれですよ」
 編集者はここでこの人物の話をした。
「二回赤紙が来て」
「またかい」
「それで行きましたから。もう野球の方もです」
「大変みたいだね、選手に次々と赤紙が来て」
「どんどん人が減っていますよ」
「そうしたご時世だということだね、井伏さんも行ったしね」
 太宰は自分の師匠の話もした。
「本当に寂しいものだよ」
「全くですね、じゃあ津軽で」
「書いていくよ」
 こう言ってだった。
 太宰は家族と共に実家のある津軽へ疎開した、そしてそこで静かに暮らしていたがその彼のところにだ。 
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