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至誠一貫・閑話&番外編&キャラ紹介

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◆外伝・弐◆ ~麗羽の一日~

 歳三らの姿が、だんだん小さくなり、やがて見えなくなった。
 だが、麗羽はその場から微動だにしない。
「お師様……」
 そう呟く彼女の眼には、うっすらと涙が光っている。
「麗羽さま、そろそろ戻りましょう」
 斗誌と猪々子が、そんな麗羽に遠慮がちに声をかけた。
「姫、お気持ちはわかりますよ、そりゃ。あたいだって、斗誌と離ればなれになるなんて考えたくもないですし」
「文ちゃん……それはちょっと違うんじゃない?」
「何でだよ? 斗誌はあたしのモンだろ?」
「……はぁ。あなた方は気楽でいいですわね」
 頭を振りながら、麗羽は踵を返した。
「いつまでも嘆いていられない事ぐらい、わかっていますわ。参りますわよ」
 その様に、斗誌と猪々子は思わず顔を見合わせる。
「別人みたいだね……」
「いや、中身が入れ替わったって言われても、あたいは驚かないぜ?」
 そう、麗羽は変わろうとしていた。
 その道のりが前途多難とわかっていたとしても。


 麗羽が執務室に戻ると、元皓(田豊)と嵐(沮授)が待っていた。
「お待たせしましたわ。では、始めて下さいな」
「はい。まず、郡太守ですが、勃海郡については袁紹様が昇進した為に現在空席となっています。後任については、いずれご沙汰があるとは思いますが」
「当面は袁紹さんが兼任するしかないけどさ。ただ、今のタマなしボンクラ揃いに、地方の人事まで頭が回るとも思えないけどな」
「……ただ、僕らもこの魏郡については把握していますが、他の郡については詳細に実情を掴んでいる訳じゃないんです」
「渤海郡は寧ろ、袁紹さんに教えて貰わなきゃわからないんだけど。でも、何処まで聞いていいんだい?」
「それは……」
 麗羽は俯く。
「……やっぱりな。顔良さん、アンタに聞けばわかるのかい?」
「は、はい。ある程度なら」
 思わず、嵐は肩を竦めた。
「やれやれ。それで良く郡太守が務まったもんだよ全く」
「ちょ、ちょっと嵐。いくら何でも言い過ぎだってば」
 慌てて、諫める元皓。
「けど、事実だろ? 官吏なんてモンはさ、上がある程度為すべき事を弁えてきっちり指示出せば、後はちゃんと動く。その代わり、上が堕落しきっていたり、無能ばっかだとあっという間に腐敗する。この魏郡だってそうだったじゃないか」
「それはそうだけど……」
「ま、今更無い物ねだりしてもしょうがないし。顔良さん、おいらと一緒に渤海郡に行ってくれるかい?」
「え? 今からですか?」
「当たり前じゃん。悠長な事言ってる間にも、どんどん政務ってのは停滞するんだ。一刻後には出るから、準備して」
「え、ええと……麗羽さま?」
 救いを求めるように斗誌は麗羽を見るが、
「そうですわね。嵐さん、斗誌さん、お願いしますわね」
「ああ、旦那にも頼まれてるんだ。やるっきゃないさ」
「はぁ……。わかりました、行ってきます」
 がっくりと、肩を落とす斗誌。
 その背を軽く叩き、嵐は執務室を出て行った。
「申し訳ありません、袁紹様。嵐は、どうにも口が悪くて」
「田豊さんが謝る事はありませんわ。……口が悪いと言うのなら、ずっと前から似たような方がおりますもの」
「……姫。もしかして、あたいの事ですか?」
 猪々子は、むくれてみせる。
「他に誰がいまして?」
「酷いなぁ、姫も。あたい、これでもちゃんと敬意は払ってるつもりなんですよ?」
「……それはともかく。田豊さん、渤海郡の事はお二人に任せるしかありませんけど。他の郡については、太守さんはそのままですわね?」
「はい。ただ太守様、いえ歳三様はご自身の分を超えた真似はしたくない、と、あまり他の郡には関わらなかったので……僕も正直、あまり面識があるとは言えませんけど」
「では、一度皆さんに集まっていただく必要がありそうですわね」
「そうですね。でも、それは嵐が戻ってからの方がいいでしょう。韓馥様の下にいた奴ですから、接点が少しはあるでしょうし」
「……そうしますわ。ふう」
「……では、僕は魏郡の資料を纏めてきますので。また後ほど」
 後に残ったのは、麗羽と猪々子。
「ねぇ、姫。いきなりは無理じゃないですか?」
「何がですの、猪々子さん?」
「いや、何もかもですよ? 政務だって殆ど斗誌に丸投げしていた姫が、歳三アニキみたいに何でもこなせる訳ないじゃないですか」
「…………」
「そりゃ、あたいだってやれる事はやりますけど。やっぱ、姫はデーンと構えて、田豊と沮授に全て仕切って貰いましょうよ」
 だが、麗羽は猪々子の言葉に、激しく頭を振る。
「それは出来ませんわ。お師様の抜けた冀州を、庶人の皆さんをちゃんと守ってみせると。それが、お師様との約束ですもの」
「意気込みはいいんですけど……。なんか、今の姫、背伸びし過ぎですって、絶対」
 猪々子は、率直に言う。
 主従関係が長いという事もあるのだが、猪々子はあまり言葉を選ばない。
 この辺りが不敬と取られかねない一因でもあるのだが、麗羽もそれを咎め立てはしない。
「背伸びでもしなければ、わたくしの今までの事は取り返せませんわ。それよりも、猪々子さん。お願いがありますの」
「え? あたいにですか?」
「ええ。聞いて下さいますわね?」
 麗羽の気迫に、猪々子はただ、頷く事しか出来なかった。


 ドサリ、と麗羽は寝台に身を投げ出す。
 州牧としてすべき事はまだこれからだが、それ以前に魏郡太守としての仕事が待ち構えていた。
 歳三の不在中、愛里らが代理として処理していたとは言え、所詮は代理。
 正式な落款が必要な書簡が、膨大な山となっていた。
 無論、全てただ処理すれば良い訳ではなく、中身を確かめ、精査する必要がある。
 一度落款をした書簡は、当然それを許した者に責任が発生するからだ。
 中には公費の私的流用を目論んだり、不正行為の温床となるものが混じっている場合もあり得る。
 ……とは言え、その全てを一度に処理出来る筈もなく。
 元皓を呆れさせたり嘆息させたりしつつも、その一部をどうにか片付けた麗羽。
「疲れましたわ……」
 そう独りごちる麗羽。
 以前の彼女ならば、こんな真似は間違ってもしなかったであろう。
 常に優雅に、華麗に。
 とにかく、己を如何に美しく飾るか、そればかりに腐心していた。
 だから、自慢の金髪や衣装には費えを惜しまず、彼女に傅く人員も多く置かれていた。
 ……が、一切の虚栄心を捨て去った麗羽に取って、全ては意味のないもの。
 そう判断した麗羽は、今唯一人、部屋にいるという次第だった。
「お師様……」
 彼女が懐から取り出した、一枚の絵。
 洛陽の絵師に描かせた、謂わばブロマイドと言うべきものだ。
 麗羽はそれを、ずっと肌身離さず持ち歩いている。
「わたくし、負けませんわ。ですから……守って下さいませ、お師様」
 そっと、絵を胸に抱き、彼女は眼を閉じた。


 翌朝。
「……お、おはようございます、袁紹様」
 出仕してきた元皓は、軽く驚いたようだ。
 真面目な彼は、指定された刻限よりも前に出仕してくるのが常である。
 一方、嵐はその点、割と杜撰だったりするのだが。
「あら、田豊さん。早いですわね」
 ……その彼よりも早く、麗羽は執務室に入っていた。
 それも、ただ待っていた訳ではなく、書簡を手にしながら、である。
「あ、わたくしでわかる範囲でもせめて、と思いましたの」
「そ、そうですか……」
「……もしや、わたくしは余計な事を……?」
 不安げに言う麗羽に、元皓は慌てて手を振る。
「い、いいえ! とんでもありません」
「良かったですわ。では田豊さん、本日も宜しくお願い致しますわ」
「は、はい。僕の方こそ」
 日頃冷静な元皓だが、どこか取り乱したまま、書簡を手にした。

「姫~!」
 二刻が過ぎた頃、猪々子が執務室に入ってきた。
 机の上には、堆く積まれた書簡の山。
 その向こうから、麗羽と元皓が顔を覗かせる。
「ありゃ、お邪魔でしたか?」
「いえ、大丈夫ですわ。田豊さん、一刻ほど外しても宜しいかしら?」
「何をなさるおつもりか次第ですね。文醜さん、袁紹様は見ての通り、執務中ですが」
「あ~、それはわかってるんだけどさ。姫から頼まれた事で呼びに来た訳で」
「袁紹様から?……どういう事ですか?」
「姫、どうします?」
「……お話ししますわ、わたくしから。田豊さん、勘違いしないでいただきたいのですけれど……わたくしは、別に遊びに行きたいと言う訳ではありませんわ」
「無論です。仮に冗談でもそんな事を言い出すのなら、僕は今からでも歳三様を追いかけますよ」
 真顔で言う元皓。
「……実は、猪々子さんに剣の稽古をつけていただこうと思いましたの」
「剣の?」
「そうですわ。わたくしは、これでも軍人として振る舞っていますけど……。今のままでは、まともに戦う事も適いませんもの」
「で、姫と約束した刻限になったんで迎えに来たって訳なんだけどさ」
「事情はわかりましたけど……。袁紹様、今がどういう時期なのか、おわかりですよね?」
 麗羽は、黙って頷く。
「ただでさえ、歳三様を慕う庶人は今でも圧倒的に多いんですよ。一方、袁紹様は渤海郡での失政がここ、ギョウでも広まっているんです、十二分にね」
「……はい」
「そんな評判を覆さない限り、袁紹様が州牧としての役目を果たすのは無理です。いくら嵐や僕、官吏の皆さんが努力したとしても、です」
 淡々と語る元皓。
 だが、その眼は冷たく、麗羽を見据えていた。
 彼は元来、酷薄な性格ではない。
 寧ろ、律儀であり情にも厚い。
 ……但し、庶人の暮らしを重んじる彼に取って、為政者への妥協はあり得ない。
 そんな彼に取って、歳三はまさに理想の上司であった。
 確かに武人であり、政治家として人の上に立つ事を望む方ではない。
 それでも、政務を怠る事はなく、麾下の人間を使いこなすだけの度量がある。
 そして何より、自身は決して豪奢な生活を送る事もなく、庶人の事を大切にする。
 短い間ではあったが、元皓に取ってはやり甲斐に満ち、毎日が充実していた。
 その結果として、魏郡は腐敗と度重なる災害や黄巾党などの賊横行による疲弊から立ち直り、奇跡とも言うべき復興にもつながった事は明白。
 だが、その歳三は既に交州へと去り、後任は麗羽。
 元皓にしてみれば、渤海郡時代の悪印象しかない人物である。
 歳三から諭され、麗羽と直接語り合った末に、元皓は残る道を選んだ。
 が、それは即ち麗羽を信頼した、という事ではない。
「田豊さん。わたくしも、その事を忘れた訳ではありませんわ。政務も、到底お師様には及びませんもの」
「それならば、何故その為の努力を途中で投げ出すような真似をなさるのですか?」
「…………」
 ふう、と元皓は息を吐く。
「わかりました。鍛錬は認められませんけど、ちょっと外出しましょうか」
「外出?」
 麗羽が首を傾げる。
「ええ。気分転換になるかどうかはわかりませんけど」
「いいんですの?」
「……今のまま続けても効率は上がりませんよ。文醜さんも一緒に来ていただけますか、警護も必要ですので」
「あたいも?……まぁ、姫が出かけるなら」

 そして、三人は城下町へ。
 せわしなく人々が行き交い、あちこちから物売りの声が上がる。
「相変わらずの活気ですわね」
「当然です。歳三様の元、みんなで努力した成果ですから」
 そう言いながら、元皓は露天商に声をかける。
「景気はどうですか?」
「おや、田豊さん。お陰様で、商売繁盛でさぁ」
 笑顔の商店主だが、背後の麗羽らに気がつくと、途端に顔を曇らせる。
「……ただ、この景気もいつまで続くのか、そうは思いますけどね」
「何か不安でも?」
「いや、田豊さんや沮授さん達がおられる以上、大丈夫……って言いたいところなんですがね。実は、商売仲間がエン州に移る、って言い出してるんで」
「エン州……曹操様のところですか」
「あっちも、此所に負けず劣らず賑わってるそうですし。今度の州牧様は、刺史からそのまま務めるんでしょう? おっと、お客が来たようで。失礼しますぜ」
 元皓は、頭を振りながら、麗羽達のところに戻った。
「彼らは、店舗を構えずに商いをする人達です。その地に根付く事はありません、景気や治安を見て、場所をその都度変えているんです」
「……華琳さんのところに行く人がいる、そう仰ってましたわね」
「はい。陳留を中心に、エン州は安定していますからね。曹操様の為政もかなり評判がいいですし」
「なぁ、田豊」
「何ですか、文醜さん」
 猪々子は頭をかきながら、
「屋台がいなくなるって事はさ。この裏通りにある、食い物の屋台も……って事か」
「可能性はあるでしょうね。特に、飲食店は人が多くなければ儲かりませんし、屋台は薄利多売が基本ですからね」
「うへ~、そいつは困るって。この街の屋台、美味い店が多いのにさぁ」
「……彼らを縛る事は出来ませんし、出来たとしてもそれをやるのは為政者として失格です。寧ろ、彼らに見捨てられるような自分を省みるべきでしょうね」
 麗羽は、ただ押し黙っている。
「……次に行きましょうか」
 振り返る事なく、元皓は歩き出す。


 住宅が並ぶ一角。
 空き地で、子供達が元気よく走り回っている。
「あ、田豊さまだー」
「田豊さま、今日は遊んでくれるの?」
 あっという間に、子供に囲まれる元皓。
「ごめんね、今日は州牧様のお供なんだよ」
「え~? そんなのいいから遊ぼうよ~」
「そうだよ。州牧って、あのお姉ちゃんでしょう?」
 と、子供の一人が、無遠慮に麗羽を指さす。
「お母さんが言ってたよ、暮らしが苦しくなるから大変だって」
「うんうん、わたしのお父さんも、たくさん税を取られるかも知れないって頭抱えていた」
「僕なんて、友達が引っ越しちゃったよ。州牧さまのせいで生活出来ないって」
 子供に取っては、州牧などという存在がどういうものか、理解出来る訳がない。
 ただ、家族や友人が内々に語った事も、遠慮なしに口にしてしまう。
 ある意味、最も残酷であるかも知れない存在ではあった。
 彼らはただ、遊び相手として元皓を望んでいるだけであり、麗羽を責めている訳ではない。
 ……にも関わらず、麗羽は茫然自失となっていた。
 猪々子も、そんな彼女に声をかける言葉がないようで、ただ狼狽えるばかり。
「また今度ね。その時は、遊んであげるから」
「本当? 約束だよ?」
「わかったよ。ほら、向こうで遊んで来なさい」
「はーい」
 そして、再び元気に賭けだして行った。
「……おい、田豊」
「どうかしましたか、文醜さん」
「どうかしましたか、じゃねぇ!」
 猪々子は、元皓の胸ぐらを掴む。
「てめぇ、態と姫の悪口を聞かせるようなところばかり連れてきてるだろ!」
「そう、見えますか?」
 元皓は、顔色一つ変えずに言う。
「ああ! お前が歳三アニキと姫を比べて、アニキを買うのは仕方ないさ。けどな、姫をいたぶるつもりなら、あたいは承知しないぜ!」
「お止めなさい、猪々子さん」
「姫! 姫も何故言われっぱなしで黙ってるんですか!」
「……いいから、その手をお放しなさい」
 重ねて言われ、猪々子は元皓を放した。
「言っておきますが。このギョウで、袁紹様を褒めそやすような場所はありません」
「おい、まだ言うか!」
「猪々子さん!」
 いきり立つ猪々子だが、しぶしぶと引き下がる。
「何度でも言いますが、今の袁紹様は、このギョウ、いいえ、冀州の庶人誰一人として信頼を得ていないのですよ? 僕はただ、その現実を知って欲しかっただけです」
「…………」
「それなのに、ご自身が歳三様に憧れるあまりに、あちこちに手を出そうとしていますよね? そんな半端な覚悟で、本当に州牧が務まるとお思いですか?」
「……それで、先ほど、あのような事を」
「はい。ご無礼は承知の上です。ですが、今の袁紹様は、剣の鍛錬などなさらずとも結構。それよりも、まずはこのギョウの民、彼らの信頼を得る事が最優先です。その為には、政務に専念して戴きたいのです」
 麗羽は、小さく頭を振る。
「……仰る通りですわね。わたくし、焦っていましたの」
「焦っても何も結果は出ません。悠長に構えるような時勢ではありませんが、いきなり歳三様のようになれ、とは僕は言いません。いえ、嵐もきっとそう言うでしょう」
「そう、ですわね。……わかりましたわ、戻って政務の続きをしましょう」
「はい。あと、文醜さんも一緒に。少しは、政務に関わって戴かないといけませんからね」
「いいっ? あ、あたいも?」
 元皓は涼しい顔で、
「当然でしょう? ただでさえ人手不足なのです。読み書きが出来るだけでも、立派に文官は務まりますから」
「い、いやぁ、あたいはほら、剣を振り回すしか能がないし」
「駄目です。宜しいですね、袁紹様?」
「……そうですわね。猪々子さん、あなたもご一緒に」
「ひ、姫ぇ……」
 涙目になりながら、猪々子はとぼとぼと城へと向かい始めた。
 その後ろ姿を見ながら、麗羽はそっと呟く。
「わたくしは、まだまだ至りませんけど……。見ていて下さいませ、お師様」
 南の空に、星が瞬き始めていた。 
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