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五人といない

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第二章

「まずな」
「そうだな、それでトリスタンは前に上演する筈だったな」
「歌手を見付けることに苦労したが」
 それでもとだ、ワーグナーは友人にその時のことを話した。
「ようやく見付けた彼もリハーサルの中でだ」
「聞いている、歌える自信をなくしたな」
「難しいとな」
「あの作品も長いな」
「四時間だ、トリスタンはその間優に二時間半は舞台にいる」
「普通の歌劇よりもずっと長いな」
「三時間かも知れない」
 トリスタンが舞台にいる時間はというのだ。
「第一幕の半分位から終わるまでな」
「常に舞台にいるか」
「ほぼ全てな、イゾルデよりも長い」
「あの声域でそこまで歌うなぞだ」
 それこそとだ、知人はまた言った。
「滅多な歌手ではいない、リエンツィもほぼ舞台にして最後に壮大なアリアがあるが」
「リエンツィの祈りか」
「トリスタンはそれ以上か」
「そうだ」
 まさにとだ、ワーグナーは答えた。
「かなりの役だ」
「そしてその役を歌える歌手はいるのか」
「探すことに苦労した」
 ワーグナーは再び自分から言った。
「私の作品の常だが」
「欧州中を探してだな」
「ようやく見付けた」
 その歌手、テノールの彼をというのだ。
「とはいっても以前も歌ってもらったが」
「ペーター=フォン=カルロスフェルトか」
「そうだ、彼にだ」
 まさにというのだ。
「今回トリスタンを歌ってもらう、イゾルデは彼の細君だ」
「夫婦で歌ってもらうか」
「二人共トリスタンとイゾルデに相応しい」
「君がそう言うなら間違いないな」
 知人はワーグナーの自作に対する完璧主義を知っている、とにかく役に妥協は一切許さない性格で歌手にしてもそうなのだ。
 それでだ、彼にもこう言ったのだ。
「それならば」
「そうだな、私は確信している」
「二人ならばか」
「それもカルロスフェルト氏ならだ」
 とりわけトリスタンはというのだ。
「大丈夫だ、私が欧州中を探して見付けた歌手だけあってな」
「歌えるか」
「無事にな、だからな」
「これからか」
「彼に歌ってもらう」
 そのカルロスフェルトにというのだ。
「是非な」
「上演を楽しみにしている、だが」 
 知人は今度は難しい顔になってワーグナーに話した。
「欧州に君のテノールを歌える歌手は何人いるのだ」
「テノールでか」
「そうだ、一体何人いる」
 このことを問うのだった。
「その歌手は」
「五人といないだろう」
 欧州でもとだ、ワーグナーは答えた。
「まずな」
「五人もか」
「いないだろう」
 やはり自ら言う。
「どうしてもな」
「いないか」
「そうだ、だがそれでもだ」
「君の作品にはか」
「あのテノールでないとだ」
 さもなければというのだ。
「駄目だ」
「ヘルデン=テノールでないとか」
「私の作品のテノールはな」
 どうしてもというのだ。 
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