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ナイン・レコード

作者:
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ちいさなしまのおはなし
  てんしさまのおはなし

.







深い霧に包まれたムゲンマウンテンの頂上から、悍ましいほどに濃厚な闇の気配が漏れ出している。
山肌に沿ってゆっくりと流れていく闇の気配は、気性の荒いムゲンマウンテンに住みつくデジモン達でさえも凍り付かせた。
周りの森を一部残して、ファイル島は砕けたクッキーのように残骸が流されていく。
森の一部を残して聳え立っているムゲンマウンテンでは、取り残されたデジモン達がなるべくムゲンマウンテンから離れようと島の端に集まっている。
本能的に、悟っているのだ。
頂上に君臨している者は、自分達では到底敵わない相手なのだということを。


ムゲンマウンテンの頂上に、古代ギリシャや古代ローマを思わせる、神殿のような建物が建っている。
しかし闇を凝縮したような雲が空を覆い、濃厚な霧が立ち込めているせいで、神聖さが全く感じられない。
神殿の中も、天使ではなく悪魔のような風貌をした彫刻が首(こうべ)を垂れて、神殿の主に跪いているような、禍々しさを醸し出している。
その神殿を反響して、不気味な笑い声が響いた。

『選ばれし子どもと言っても、1人1人の力など知れたもの……1人残らず血祭りにあげてやるわ!』

神殿の奥、玉座に佇む1つの陰。
その背には蝙蝠の翼が生えており、闇の衣を全身に纏い、赤い目の奥に暗い野望を秘めている、まさしく悪魔に相応しい姿をしていた。
空気を裂く音を置いていきながら、悪魔……デビモンの前を、黒い歯車が飛び去って行く。



《………………………………………………………………………………………………キシッ》



何処かで、闇が笑った気がした。






白や水色、それからほんのちょっとのピンクとか赤とかオレンジ色。
ヒカリの世界では絶対に見られない光景に、こんな状況であるにも関わらずぼんやりと見とれていた。
お日様はすっかりてっぺんまで登っていて、木々に挟まれて生まれた空の道から燦燦と照らしている。
時折聞こえてくる鳴き声に反応して、その度に立ち止まってしまうけれど、パートナーのプロットモンが大丈夫って声をかけてくれる。
肺いっぱいに吸い込んだ空気は少し冷えていた。
ここに来てからすっかり見慣れてしまったはずの光景が、何となく寂しい。

「ヒカリ?どうしたの?」
「……ううん、何でもないよ、なっちゃん」

ぼんやりと立ち止まって空を見上げていたら、隣にいる子が話しかけてきた。
振り向く。心配そうに見つめてくる瑠璃色の目。ヒカリはにこっと笑って首を横に振った。



大きな館を見つけて、昨夜はその館で休んでいたヒカリ達だったが、夢見が悪くて兄の寝床に忍び込んだ直後には、何もかもが変わっていた。
ヨーロッパのお嬢様が住んでいるような、メルヘンチックな絵本に出てくるような、素敵な館。
お兄ちゃん達はみんな、警戒しながらもまともな寝床を見つけたことですっかり安堵していたけれど、ヒカリ達最年少の3人は、何処か薄気味悪いものを感じて、始終落ち着きがなかった。
でも自分達は2年生だし、ここは嫌だと言ったところでその意見が聞き入れてもらえないだろう、ということは目に見えていたので、何も言えなかった。
もしもあの時、兄に叱られることを覚悟しながら、3人で一緒に主張していれば、少しは違ったかもしれない。
でも3人はしなかった。できなかった。
その結果が、“コレ”だ。
デジモン達が強烈な悪意を感じて飛び起きたことで、意識を強制的に引きずり出された子ども達の目に飛び込んできたのは、満天の星。
荘厳な館の天井は、何処にも見当たらなかった。
それどころか、豪華な館の姿形すらなくなっていた。
ボロボロの壁と床、遮るものがなくなった濃紺の空。
みんなで混乱していたら、そのうちベッドが宙に浮きだし、空を駈けていた。
これが何でもない日常なら、メルヘンチックで片付けられていただろうに、今ヒカリ達は誰も頼れる人がいない中、過酷な環境を生き抜かなければならない異世界の冒険の真っ最中であった。
振り落とされるかもしれないという恐怖で引きつりながらベッドにしがみついていたら、ヒカリ達が冒険をしていた小さな島が、バラバラに散らばったのを見た。
離ればなれになっていく仲間達。
そしてヒカリ達は、引きちぎられた小さな島の一片に、不時着したのである。


朝になるのを待っていたヒカリとプロットモンは、壊れたベッドのシーツに包まって一夜を過ごした。
プロットモンは、見張りは自分がやるから寝てていいよって言ってくれたけれど、ヒカリはその申し出を辞退した。
眠れなかった。眠れるわけがなかった。
いつもお兄ちゃんが、大輔くんが、賢くんが傍にいてくれたのに、みんなバラバラになっちゃって、一人ぼっちになっちゃって、眠れるはずがなかった。
眠くて眠くて何度か船を漕いでいたけれど、ガサリと近くの茂みが揺れるたびに、ヒカリはびくーって肩を震わせて眠気が吹っ飛んでしまう。
お日様が昇って空が白んできて、ヒカリはようやく安堵した。
普段着に着替えて、パジャマは畳んで手に持って、さあこれからどうしよう、って相談をプロットモンとする。
結論から言えば、太一達を探すのが手っ取り早い、ということだったので、2人はとりあえずベッドが来た方角を目指すことにした。
プロットモンはまだ進化が出来ない。
もしも野生のデジモンと出会って、そのデジモンがとっても好戦的なデジモンだったら、逃げるしかない。
ヒカリは溜息を吐いた。
お兄ちゃんじゃなくてもいいから、せめて大輔くんとか賢くんが一緒だったらよかったのになぁ、って思った。
頼れる人がいない、というのは、妹として守られるのが当たり前のヒカリにとっては、かなりきつい状況だ。
あの時みたいに、ヌメモン達に追いかけられてお兄ちゃん達とはぐれちゃった時みたいに、大輔くんや賢くんが一緒だったらよかったのに。
状況としては、あの時とほぼ似ていた。
大輔とブイモン、賢とパタモンがいないだけだ。
あの時はヌメモンから逃れるためにバラバラになったのだが、今回は違う。
ヒカリは、立ち止まった。ぎゅ、と胸の前で両手を組む。昨夜のことを思い出す。
空を駈けるベッドから見下ろした先にいたのは、闇を凝縮させたような存在感を放っている悪魔だった。
デビモン、という名のデジモンで、普段はムゲンマウンテンに籠っているらしい。
どうしてそのデビモンがヒカリ達の前に姿を現して、ヒカリ達を困らせるようなことをしたのか、ヒカリには分からない。
ただ、ムゲンマウンテンで感じたものと、お屋敷の外で感じたものと、全く同じ気配をしていたことだけは分かった。
あれは、あの時の恐ろしい気配は、デビモンだったのだ。
自分達をずっと見ていたのだ、あの恐ろしい気配を隠そうともせずに。
過保護でサッカー上手なお兄ちゃんのお陰で、ヒカリは自分に向けられる敵意や悪意に少しだけ鈍感になっていた。
だから、デビモンが自分達に対して向けてきた、剥き出しの悪意の理由が、どうしても分からなかった。

──あれが、ゲンナイさんが言っていた“闇”なのかな。

ふるり、とヒカリは総毛立った。
ゲンナイさんに、この世界を救ってほしいって頼まれて、他のみんなもそれしか帰る方法がないのならってそれを引き受けた。
まだ最年少のヒカリ達は、ついていくことしか許されない。
頼れる人がいない太一達にとって、ヒカリ達最年少は最後の砦だ。
何があっても守らなければならない存在だ。
ヒカリ達を守ることによって、彼らの心を保ち、守ることにも繋がるのである。
まだ2年生で、1年生に対しても“年下のお友達”という感覚が強いヒカリは、しかし身近で“兄”として奮闘している太一をよく見ているから、それをよく理解していた。
太一は悪くないのに、太一が目を離した隙にヒカリが怪我をすると、怒られるのは太一なのだ。
ちがうよ、おにいちゃんはわるくないの、ってヒカリは一生懸命お母さんに言って、お兄ちゃんを庇うけれど、お母さんが聞いてくれた試しは1度もなかった。
お兄ちゃんが好きなのは分かるけど、って頓珍漢なことを言って、ヒカリを叱ってくれないのである。
違うのに、お兄ちゃんは悪くないのに。
これでヒカリちゃんが、嫌なことをぜーんぶお兄ちゃんに押し付けて、お母さんの後ろであっかんべーってする女の子だったら、きっと2人の仲は険悪なものになっていただろう。
だがヒカリは周りをよく見る子である。お兄ちゃんが大好きなのである。
お兄ちゃんが自分を庇って、お母さんの怒りをヒカリに向けないようにすることがよくあるのを、ちゃんと知っているのである。
だからお兄ちゃんが頑張って“お兄ちゃん”をやっているのを、邪魔したくない。
幸か不幸か、ヒカリと同い年のお友達は、2人ともヒカリと同じ立場だ。
大輔も賢も、お兄ちゃんとお姉ちゃんの大変さを分かっているから、どうしても口を挟めない。
太一達があっちに行くぞって言ったら、黙ってついていくことしかできない。


だが、その太一達は、今いない。
大輔も賢も、そのパートナー達も、何処にもいないのである。
プロットモンしかいないのである。
黙っていれば、あっちに行くぞって引っ張ってくれる上級生達がいない今、ヒカリが自分の意志で行くところを決めて、自分だけで上級生達を探さなければならないのである。
今までずっとついていくだけだった自分に、そんなことが出来るのだろうか、ってヒカリちゃんは不安で不安で仕方がなかった。

『……ヒカリ、大丈夫?』

は、と我に返ってヒカリは足元にいるプロットモンを見下ろす。
急に立ち止まって黙り込んでしまったパートナーを心配して、プロットモンが声をかけてきたのだ。
自分は、1人ではない。ここに来た時からずーっと一緒にいてくれた、パートナーがいるではないか。
そのことを思いだしたヒカリは、先ほどまでの不安が嘘みたいに何処かに消えてしまった。
ぶんぶん、と嫌な考えを振り払うように頭を振って、頬を軽く叩いて、切り替える。
きっとお兄ちゃんや、大輔くん達も、ヒカリを探して歩き回っているに違いない。
他の人達を探し回っているに違いない。
自分もやらなければ、誰かが見つけてくれるのを待っているだけでは、ダメだ。
こういう時ぐらい、自分から動かなければ。
心配してくれたプロットモンを見下ろして、ごめんね、大丈夫、早く行こうって返して、ヒカリは歩き出そうとした。


ガサリ


近くの茂みで、葉っぱがこすれ合う音がした。
ギクリ、とヒカリとプロットモンの足が止まる。

ガサリ、ガサリ

風は吹いていない。だから何かがその茂みを刺激しない限り、葉がこすれ合って音を立てるはずがない。
ぎ、ぎ、ぎ、と錆びたロボットみたいにぎこちない動きで、2人は音がした方に顔を向ける。

ガサリ

再び音がした。ひ、と引きつったような音が、ヒカリの喉の奥から零れた。
どうしよう、何だろう。
ヒカリとプロットモンの心臓がバクバクと激しく波打つ。

「だっ、誰……?誰かいるの?」

ヒカリは声をかけたが、返事はなかった。
気のせい、ということはないだろう。
ヒカリだけでなくプロットモンも気づいたし、そもそもプロットモンの表情が険しい。
恐らく、茂みの向こうにいるであろう何者かは、自分達が知っている気配ではないのだろう。
そもそも太一達だったら、茂みに隠れている必要はない。
どうしよう、ってヒカリの内心はパニックだった。

ガサリ

また茂みの葉が鳴る。
もう決定打である。ヒカリの目の前で茂みが揺れたのだ。
誰かがいることはもう間違いなかった。

「ね、ねえ!誰かいるの?」

再度問いかけるヒカリだったが、茂みの向こうからは何の反応もない。
数分待ってみたけれど、茂みの向こうから飛び出してくる気配はなかった。
だがプロットモンの表情は険しいままだったので、まだ茂みの向こうに何かがいるらしい。
……敵意は、ないのだろうか。
ヒカリは、息を飲んで覚悟を決め、茂みへと歩み寄っていった。
こつ、スニーカーが地面を踏みしめる。
茂みとの距離は、約1メートル。プロットモンが心配そうにヒカリを見つめても止めようとしないのは、茂みの向こうの気配から殺気や敵意を感じないことに気づいたからだろう。
こつ、また近づく。手を伸ばせば届く距離だ。
恐る恐る手を伸ばす。
がさり、茂みに手が乗る。
がさり、茂みの向こうが揺れる。
やっぱり、何かいる。
大好きなお兄ちゃんと、1番仲のいい男の子に影響された女の子は、行動も大胆になってきている。
えーい、って茂みをかき分けて、そこにいたものにヒカリは目を見開いた。

「え……!?」
『ヒカリ?………ええっ!?』

ぎょっとなって硬直するヒカリを見て、プロットモンも慌ててヒカリの隣に並んで、ヒカリがかき分けた茂みの中を覗き込む。
そして、同じように驚いた。


そこにいたのは、なんと人間の女の子だった。
茂みに隠れるようにしゃがみこんでいたのだが、ヒカリがかき分けたせいでがっちんと硬直しながらヒカリを見上げている。
バターブロンドの髪は肩までの長さで、ふわふわしている。
深い海のような瑠璃色の目は、見ているだけで吸い込まれそうだった。
パフスリーブの白いチュニック型のワンピース。
真雪のような白い肌と、背中から見える小さな翼は、まるで。

「天使さん……?」
「っ……!」
『あっ!ちょっと!』

目を奪われるほどに美しいその容姿に見とれて、ぽそりと呟いたヒカリが声をかけたのがきっかけになったように、硬直が解けた女の子は、ペタンと尻餅をついた後、ばたばたと手足を動かしながら、ヒカリ達に背を向けて逃げ出そうとした。
ヒカリとプロットモンも慌てて追いかける。

「あっ……!ま、待って!」

足元を縺れさせながら逃げようとした女の子の腕を、ヒカリは両手でがっしと掴んだ。
ゲンナイさんはいないと言っていた人間を見つけたのだ、1人になりたくないこともあって、ヒカリは逃すまいと必死だった。
掴んでくるヒカリの手が震えているのが伝わって観念したのか、女の子は困ったような表情を浮かべてヒカリを見下ろした。

「あの、天使さん?お名前は?」

逃げる様子がないことにほっと胸を撫で下ろしたヒカリは、手を離して女の子に尋ねた。
女の子はしばらくもじもじしていたのだが、そのうち消え入りそうな小さな声でぽそりと口を開いた。

「……アタシ、天使じゃないよ。なっちゃんって言うの」

なっちゃん。女の子はそう言った。
天使さんじゃないの?ってヒカリは首を傾げる。
ふわふわの甘いお菓子のようなバターブロンドと、太陽が反射した海のような瑠璃色の目、白いワンピースと背中に見える白い羽は、どう見ても絵本で見た天使なのに。
そう言ったら、白い羽はなっちゃんが背負っている鞄についているもので、背中を向けて見せてくれた。
天使さんじゃなかったことを残念に思いながらも、天使さんがお名前を言ってくれたことが嬉しいヒカリは全く気付かない。
なっちゃんと名乗った女の子の容姿は、いつだったか大輔くんに見せてもらったアメリカの写真に写っていたお友達のような、アメリカの人達のような見た目なのに、名前は日本人そのものであることは色々とおかしいのだけれど、まだ小学2年生のヒカリは知る由もなかった。

「なっちゃんね、私はヒカリ。こっちはプロットモン」
『よろしくね!』
「……うん」

手を差し出すと、天使さん……なっちゃんは交互にヒカリとヒカリの手を見つめた後、ぎこちなく手を取って微笑んだ。

「なっちゃんはどうしてここにいるの?もしかしてもゲンナイさんに呼ばれたとか?」
「……う、ん」
『え?じゃあパートナーは?』
「……は、はぐれちゃって……」
「大変!じゃあ探さなきゃ!」

なっちゃんの言葉に、ヒカリとプロットモンが慌てる。
ここはデジモン達が住む異世界である。人間はいないのである。
ヒカリ達でさえ、デジモン達と一緒にいないと安心して歩けないぐらいには危険地帯だというのに、パートナーとはぐれてしまったなんて、一大事だ。
ヒカリは自分が置かれている状況も忘れて、なっちゃんのパートナーを探そうと言った。
なっちゃんは目を見開いて驚いていたけれど、すぐに可愛らしい笑顔を見せる。

「……うん、そうなの、大変なの。だから一緒に探してくれる?」





そして今に至る。

なっちゃんとはぐれてしまったパートナーを探して、あちこち歩き回っているのだが、幾ら探しても、それらしいデジモンは何処にも見当たらなくて、ヒカリは困ったなぁって眉尻を下げた。
なっちゃんのパートナーデジモンはピコデビモンという名前のデジモンらしい。
姿は丸っこくて、蝙蝠みたいな羽が生えていて、見た目は怖いけれど、とっても優しいのだそうだ。
ふーん、ってヒカリは思ったけれど、プロットモンは違ったらしい。
えーって言う表情を浮かべていたから、どうしたのかって尋ねたら、ピコデビモンはとっても意地悪なデジモンで、誰かが困っているのをケラケラ笑って楽しんでいるような奴なのだという。
なっちゃんとは正反対の評価で、どっちを信じたらいいのか分からなくて、ヒカリは困ったようにプロットモンとなっちゃんを交互に見やった。
そんなヒカリを見て、なっちゃんはクスクス笑う。


きゅるん、と可愛らしい音が鳴った。
え、ってなっちゃんとプロットモンが音の出どころに顔を向けると、目をぱちぱちさせた後、顔を真っ赤にさせたヒカリの姿。
お腹を押さえていたので、恐らく先ほどの音はヒカリの腹の虫が鳴いた音だろう。
そう言えば朝から何も食べていなかったのだ。
朝はお兄ちゃん達を探すためにプロットモンと軽く会議をして、あちこち歩き回っていた。
朝ご飯を食べるのを、すっかり忘れていたのだ。
すぐ近くに木の実もなっていたし、ヒカリとなっちゃんとプロットモンは、木の実を集めて朝ご飯兼お昼ご飯を食べることにした。
お昼はここに来てから定番になっている、リンゴのような果物だ。
ナイフなんて便利なものはないので(光子郎のパソコンに収められているテントの中にはある)、皮がついたままの丸かじりである。
シャクシャクシャク、とリンゴを咀嚼する音を立てながら、ヒカリはなっちゃんに尋ねた。

「ねえ、なっちゃんは本当に天使さんじゃないの?」

ヒカリの焦げ茶色の髪と、赤みがかった茶色の目、大輔くんと遊びまわって日焼けした健康的な肌とは、全く真逆の容姿。
絵本で読んだ天使さんにそっくりなのに、なっちゃんは違うと言う。
最初は、一人ぼっちになっちゃったヒカリを可哀そうに思った神様が、ヒカリのためによこしてくれたのだと本気で思っていた。
違うと言われて、ちょっとだけがっかりしたけれど、それでもプロットモンと自分だけという現状を打破てきたのはなっちゃんのお陰だから、本当は人間のフリをしている天使さんなのでは、とちょっとだけ疑っていた。
でもなっちゃんは、クスクスと笑ってやっぱり首を振る。

「違うの?本当に?」
『ねえ、ヒカリ。“テンシ”ってなぁに?』

否定するなっちゃんに食い下がるヒカリに、プロットモンが聞く。
2人だけで話を進めちゃうから、構ってくれと言わんばかりにヒカリの膝に寄り掛かるように、話題を遮った。
でもヒカリはそれで怒ったりせず、プロットモンの質問に答えるべく、目線をプロットモンに向ける。

「えっとね、背中に白い羽が生えてて、神様のところでお仕事してるの」
『その“テンシ”に、なっちゃんが似てるの?』
「うん。前に読んだ絵本にのってたの。だからてっきりなっちゃんは天使さんだと思ったんだけど……」
「……ヒカリは天使さんが好きなの?」

ずーっとなっちゃんのことを天使さんと言っているせいなのか、なっちゃんはそんなことをヒカリに問う。

「うん、好き!白い羽とか、綺麗な金色の髪とか」

実はヒカリ、お家には天使さんにまつわる絵本や本もいっぱいあったり、天使さんのイラストが描かれているとお母さんにねだって買ってもらったり、そのページだけもらって机や壁に飾ったりするぐらいには、天使モチーフのものが好きだったりする。
あんまり自己主張せずに、こっそりと1人で楽しむ程度なので、たぶんお兄ちゃんやクラスのお友達も気づいていない。
何気に鉛筆や筆箱にも天使さんのシールが貼ってあったりするのだけれど、自慢したり見て見てーってぐいぐい行く子じゃないので、誰も気づかないのである。
いつも一緒にいる大輔くんだけは気づいているようで、この前のお誕生日プレゼントでヒカリがこっそり集めているシリーズの、天使さんのぬいぐるみをくれた。
嬉しくて嬉しくて、夜寝る時のお供にしているほどだ。
それぐらいには、天使さんのことが好きだった。
誰にも言ったことがなかったのだけれど、何故か初めて会ったはずのなっちゃんと、パートナーのプロットモンには、すんなりと話せた。
お友達には恥ずかしくて言えなかったのに。

「そっか。でもアタシは天使さんじゃないの。ごめんね?」

その代わり、ってなっちゃんは笑った。
とっておきのお話を聞かせてあげる。

「とっておき?」
「そう、ヒカリが好きな、“てんしさまのおはなし”」



むかしむかし、あるところに3にんのてんしさまがおりました。
3にんのてんしさまはそれぞれ、おとこのひと、おんなのひと、けもののすがたをしておりましたが、すがたがちがうことなんかまったくきにしないぐらい、なかよしでした。
おとこのてんしさまは、せいぎとちつじょをつかさどり、せかいのへいわをたもっておりました。
けもののてんしさまは、かみさまとちせいのしゅごしゃといわれておりました。
そしておんなのてんしさまは、じひとじあいにみちあふれたてんしさまでした。

3にんは、いつもいっしょでした。
うれしいこともかなしいことも、いつも3にんでわけあっていました。

おんなのてんしさまには、まいにちにっかにしていることがありました。
それは、げかいのようすをのぞきみることでした。
みどりいっぱいにひろがったもり、おひさまをはんしゃしてきらめくうみ、いろとりどりにさくおはな、すべててんしさまがくらしているせかいにはないものでした。
そしてそこでくらすものたちの、いきいきとしたかおは、このよでもっともうつくしいとおもっていました。
じひとじあいのてんしさまは、げかいでくらすいきものを、いつもやさしいめでみまもっていたのです。
なかでもおきにいりだったのは、ちいさなあおいりゅうのこどもでした。
ちいさなあおいりゅうのいちぞくは、ながくいきられないしゅぞくでした。
それはきょうだいなちからをもっただいしょうでした。
でもそのことをけっしてうらんだり、なげいたりせずに、きょうというひをだいじにいきることをしっているいちぞくでした。
そのなかでも、いっとうげんきなこが、おんなのてんしさまのおきにいりでした。
そのこはいつもぼーるみたいにとびはねて、おなかいっぱいたべて、たくさんねて、そのひそのひをくいのないように、げんきにすごしていました。
おんなのてんしさまは、まいにちそのこをみていました。
そのこがげんきだと、てんしさまもえがおになりました。
がんばろうとおもえました。
へいわをまもるのはとてもたいへんだけれど、そのこがいきているせかいをまもるために、てんしさまはがんばりました。
ときどきおとこのてんしさまとけもののてんしさまも、いっしょにそのこをながめていました。

へいわでした。

へいわ、だったはずでした。

かみさまと、3にんのてんしさまが、へいわをたもっていたはずでした。


そのへいわは、みごとにくずれさってしまいました。


あるひ、そらのむこうからおそろしいものがやってきました。
それは、ざんぎゃくとよばれるものでした。
それは、ぼうりょくとよばれるものでした。
げかいにすむものたちは、みんなちからをあわせて、おいはらおうとしました。
しかしぼうりょくとざんぎゃくは、それをあざわらうかのように、かれらのいのちをいともかんたんにうばっていきました。
ざんぎゃくとぼうりょくは、かれらのいのちだけでなく、かれらのすまうばしょまで、むざんにもうばっていきました。
てんしさまは、さけびました。
てんしさまは、なげきました。
あざわらいながらうばっていくざんぎゃくとぼうりょくにいかり、かなしみました。
そして、かみさまにおねがいしました。

かみさま、かみさま、おねがいです。
どうかげかいにいくことをゆるしてください。
あのこたちを、たすけたいのです。

しかしかみさまは、うんとはいってくれませんでした。


やがてざんぎゃくとぼうりょくによって、すべてのいきものがしにたえてしまいました。
みどりいっぱいにひろがっていたもりも、おひさまをはんしゃしてきらめいていたうみも、いろとりどりにさいていたおはなも、このよでももっともうつくしいとおもっていたものが、すべてうばわれてしまいました。
てんしさまはなきました。
たくさんたくさんなきました。
だってもうないのです、てんしさまがめでていたものが、うつくしいとおもっていたものが、もうどこにもないのです。
おきいにいりのりゅうのこどもも、どこにもいません。
どこをみわたしてもいないのです。
せかいのどこにもいないのです。
だから、かみさまにおねがいしました。

かみさま、かみさま、おねがいです。
どうかげかいにいかせてください。
あのこをさがしたいのです。

やっぱりかみさまは、うんといってくれませんでした。

てんしさまはなきました。
たくさんたくさんなきました。
どれぐらいないたのか、わからないぐらいなきました。
おとこのてんしさまは、ずっとそばにいてくれました。
けもののてんしさまは、いっしょにないてくれました。
でもおんなのてんしさまは、なきやみませんでした。
なきやんでくれませんでした。
なかよしのてんしさまたちがそばにいてくれたのに、かなしみはきえてくれませんでした。

でもそのかなしみは、いつしかよろこびにかわりました。

りゅうのこどもは、いきていたのです。
ざんぎゃくとぼうりょくから、のがれていたのです。
りゅうのこどものいちぞくは、みんなみんなしんでしまったけれど、そのこはいきていたのです。
それをしったとき、おんなのてんしさまはよろこびました。
かなしみのなみだは、よろこびのなみだになりました。
てんしさまは、もういちどかみさまにおねがいしました。

かみさま、かみさま、おねがいです。
わたしのすべてをあなたにかえすので、あのこのそばにいさせてください。
えいえんのいのちなど、あのこのためならおしくありません。

かみさまはやっと、うんといってくれました。

おんなのてんしさまは、じぶんのすべてをかみさまにかえして、りゅうのこどものもとへといきました。
ひとりぼっちで、かなしくてないていたりゅうのこどもは、もうひとりぼっちじゃありません。
てんしさまだったてんしさまと、りゅうのこどもは、ずっといっしょに、しあわせにくらしました。



「……めでたし、めでたし。どう?」

語り終えたちゃっちゃんは、首を傾げながらヒカリに微笑みかける。
しかしその微笑みは、何処か悲しみを帯びているように見えた。
なっちゃんの話に聞き入っていたヒカリとプロットモンは、眉尻を下げる。

「何か……悲しいお話だったね」
『そうね……ねえ、他の天使はどうなったの?』
「さあ、そこまでは。女の天使様と一緒に竜の子どもの傍にいたっていうお話もあるし、いなくなった女の天使様の分まで平和を守ったっていうお話もあるわ」

色々と話のバリエーションはあるらしい。
聞いたことがなかったけれど、帰ったら調べてみようかな、とヒカリは3つ目のリンゴに手を伸ばし……。

どぉん!!

「きゃあっ!?」
「え、な、何!?」

突如として揺れる地面。ヒカリとなっちゃんとプロットモンは、ぎょっとなって立ち上がった。
まるで地震のようで、ヒカリは学校の避難訓練を思いだす。
確か先生は、地震があった時はまず慌てないでって言っていた。
建物の中で地震があったときは机の下に隠れなさいって。
お外にいるときは、崩れそうなものから離れて、その場でしゃがんで揺れが収まるまでじっとしていなさい。
そうだ、先生は確かそう言っていた。
ヒカリはなっちゃんの手を掴んで、頭を抱えながらその場にしゃがみこんだ。
なっちゃんはびっくりした顔をしていたけれど、ヒカリが必死の形相だったので、何も言わずにヒカリの真似をしてその場にしゃがみこんだ。
地面が揺れる。その上に立っている木々が葉を激しく擦りあわせて、ぐらぐらと震えている。

ピシリ

固いものに亀裂が入ったような音。

ピシ、ピシピシピシ

ヒカリとなっちゃん、そしてプロットモンに向かって、地面に雷が走ったような亀裂が走ってくる。
このままではまずいと思ったヒカリは、なっちゃんの手を取ってその場から逃げようとしたが、揺れはまだ続いており、立ち上がることが出来ない。

ぴし……

あ、と言ったのは誰だったか。
地面に走った亀裂がヒカリとなっちゃんとプロットモンの目の前まで辿り着くと、


がらり


2人と1体の真下の地面が崩れて、ぽっかりとした穴が開いた。
重力に逆らうことができない、無力な人間の女の子達はそのまま穴の中に落下する。

「「きゃぁあああああああああああああああああっ!!」」

2人の悲鳴が二重奏のように響き渡る。
穴は思っていたよりも浅かったが、それでもヒカリとなっちゃんが2人で肩車をしても届かないぐらいには深い。
広さは半径50メートルほど、と割と広めだった。
掘られた穴の中は少々デコボコで、歩きづらい。
一体どうして、って混乱するヒカリとなっちゃんを、更なる危機が襲う。
大きな岩や細かい欠片になって崩れた岩壁の向こうに、落下して尻餅をついて座り込んでいるヒカリとなっちゃんとプロットモンは見た。

大きな、角。

高速で回転して、砂埃と崩れた岩の中から姿を現したのは、大きな角が鼻先から生えた、四つ足のデジモンだった。
短い体毛は、上半分が紫色で、下が白くなっている。
どすん、どすん、と地響きを立てながら岩壁に開いた穴から、ぬうっと出てきたデジモンに、ヒカリとなっちゃんは声を失う。

『ドリモゲモン!?』

プロットモンだけは、冷静だった。
デジモンとして、パートナーとして、ヒカリを守らなければならないのだ、取り乱している暇などない。
プロットモンは地面を踏みしめるように踏ん張り、頭部に角を持ったデジモン……ドリモゲモンを睨みつける。
ドリモゲモンは普段、地中に住んでいる大人しい性格のデジモンである。
悪戯好きではあるものの、自ら好んで相手に戦闘を吹っ掛けるようなデジモンではない。
もしかしたらただ移動中で、偶然ヒカリ達がいた場所を刺激してしまっただけなのかもしれない。
そうであってほしい、とプロットモンはドリモゲモンを睨みつけながら必死に祈った。


しかしそんなプロットモンの願いは、呆気なく壊されてしまう。


『グルァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!』

深く削られた穴の中で、ドリモゲモンの咆哮が響き渡る。
ドリルが高速回転して、ヒカリとなっちゃんに向かって突進してきた。

『危ない!』

プロットモンが叫ぶ。
唖然としていたなっちゃんが我に返り、ヒカリを押し倒すように庇って、ドリモゲモンの突進を避ける。
岩が削れ、崩れる音。
どさり、と2人は倒れこみ、急いで起き上がる。
ドリモゲモンはゆっくりとヒカリ達に顔を向け、そして再び突進してくる。
なっちゃんはヒカリの手を掴んで、その場から走った。

『このっ……パピーハウリング!!』

ヒカリとなっちゃんから引き離そうと、プロットモンは超音波をドリモゲモンにぶつける。
しかし成長期と成熟期では力の差が歴然としているし、何より身体の大きさが違いすぎる。
プロットモンが発した超音波は、まるで巨人にたかる蝿のように無力だった。

『グルルルル……!』

ドリモゲモンの目の焦点が合っていない。
しかしドリモゲモンはそれでも真っすぐヒカリとなっちゃんから狙いを外さない。
どす、どす、どす、と地響きを立てながらヒカリとなっちゃんを追いかけ回す。

『パピーハウリング!パピーハウリング!!』

プロットモンは何度も技を放つけれど、ドリモゲモンは全く見向きもしない。
ならばとプロットモンはドリモゲモンに体当たりをしに行ったが、身体の大きさの差がありすぎて、プロットモンの方が吹っ飛ばされてしまった。

「プロットモン!」
「あ、ヒカリ!ダメ!」

吹っ飛ばされて転がっていったプロットモンを見たヒカリは、なっちゃんの手を振りほどいてプロットモンの下へと走る。
驚いたなっちゃんも、ヒカリを追いかけて走った。
必然的に、ヒカリとなっちゃんを追いかけていたドリモゲモンも、進路を変更する。

「プロットモン……!」
「ヒカリッ!危ない!」

うう、って呻いているプロットモンを優しく抱き上げ、今にも泣きそうな表情を見せながらプロットモンを見下ろす。
なっちゃんが声を張り上げる。
は、って反射的になっちゃんの方を振り返ると、なっちゃんの背後からドリモゲモンが迫ってきていた。

「……きゃあっ!」

足場が不安定の中で走っていたせいで、なっちゃんは足を取られて転んでしまった。

「なっちゃん!」
『っ、ヒカリッ!』

ヒカリはプロットモンを抱えたままなっちゃんの下へと走る。
だがヒカリが駆け付けるよりも、ドリモゲモンがなっちゃんを踏みつぶす方が早い。
間に合わない、でもヒカリは止まる気配がない。
このままだとヒカリまで……!

プロットモンの心の奥から、何かが沸き上がってくる。

『うあああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!』

プロットモンが悲痛の籠った咆哮を上げると、ヒカリの腰についているデジヴァイスから、眩く強い光が漏れる。
その光は、ヒカリが抱いていたプロットモンを包み込んだ。
眩い光が、薄暗い穴の中を強く照らしつける。
その眩さに、ヒカリとなっちゃんは咄嗟に目を瞑り、ドリモゲモンはもだえ苦しみながらその動きを止めた。

『プロットモン進化─!』

0と1に変換された光によって、プロットモンのデータが書き換えられていく。
くるくると回転しながら、光に包まれたプロットモンの姿形は、四つ足から二足歩行に変化した。

『テイルモン!』

見た目はまるで白い猫のようだった。
白と紫の縞模様の尻尾はその体長より長く、金色のリングが通っていた。
手には鋭い爪が生えた手袋をはめている。
念願の成熟期に進化したが、しかしその大きさは、ヒカリの腰ほどしかない。
プロットモンと比べれば大きいものの、ドリモゲモン相手ではかなり心許なかった。
ヒカリとなっちゃんの表情は困惑に彩られている。
しかしプロットモン、否、テイルモンの表情は自信に満ち溢れていた。


光が収まり、苦しんでいたドリモゲモンは、首を振ってチカチカする視界を振り払う。
再び咆哮を上げながら突進してこようとしたので、なっちゃんは我に返った。
プロットモンが進化したことに目を奪われていたので、自分が転んだことをすっかり忘れていたのだ。
危機はまだ去ったわけではない。
しかしその危機がなっちゃんに牙をむくことはなかった。

『はあっ!!』

テイルモンの、気合の籠った声。
そして、ヒカリとなっちゃんは信じられないものを見る。
小さな身体を駆使して、頭部のドリルが届かない懐に潜り込んだテイルモンは、あろうことかその巨体を持ち上げるようにアッパーをかましたのである。
吹っ飛ぶ巨体。もちろん、ヒカリとなっちゃんに被害がないように、位置を調節して。
ずぅん、と地響きを立てながら落下して、ひっくり返るドリモゲモン。
すごい、ってヒカリはテイルモンの方に顔を向けるが、やはり無茶をしたせいなのか、少々息が上がっていた。

「テイルモン……!」
『平気よ、これぐらい!それより2人とも、もう少し下がってて!』

テイルモンの目はまだやる気に満ちている。
ヒカリとなっちゃんは顔を見合わせると、離れたところに積み重なっている岩の瓦礫の陰に隠れた。

『グルルルるるルる……!!』

ドリモゲモンが唸る。
その目は焦点が合っておらず、口の端から唾液が垂れていた。
ずしん、ずしん、と地響きを立てながらテイルモンに狙いを定めたその足は、ふらついていた。

──様子がおかしい。

これは早いところケリをつけた方がよさそうだと判断したテイルモンは、ドリモゲモンに向かって走り出した。
距離を詰め、あと数メートルというところで跳躍する。
ドリモゲモンが降り回した、頭部についた角にとん、と乗っかると、更にそれを利用して高く飛び上がった。
穴の外へ飛び出すテイルモンを追って、目線を上へ向けたドリモゲモンを襲ったのは、強烈な光。
ほぼ天辺に登った太陽の光がドリモゲモンの目を焼く。
ぎゃあ、と悲鳴を上げて目を瞑ったドリモゲモンの隙を逃さず、重力と落下で加速した拳を振りかぶった。

『ネコパンチッ!!』

その脳天に重たい一撃をお見舞いする。
ドゴォ、だかバキィ、だか何かが割れるような音が聞こえた気がした。
反動をつけ、テイルモンは宙がえりをしながらドリモゲモンから飛び降りる。
脳天を思いきり殴られたドリモゲモンは、白目を剥いてゆっくりとその場に倒れこんだ。

「……や、った、の?」
「……分かんない、けど……」

息を飲むヒカリとなっちゃんは、岩陰からそろそろと出てきて、倒れこんだドリモゲモンを見つめた。
大きく口を開け、涎を口の端から垂らしているドリモゲモンは、数分ぐらいじっと見つめていたが動く気配がなかった。

「……はあ」
「え!?ヒカリ!?」
『ヒカリッ!』

へなへなとその場に座り込んだヒカリに、なっちゃんとテイルモンが慌てたが、安心しただけだと引きつった笑みを浮かべた。

『……いつまでもここにいられないわ。またドリモゲモンが起きたら、さっきみたいに上手くいくとは限らない。早くここから出ましょう』

呆れたように溜息を吐いたテイルモンは、ヒカリとなっちゃんにそう言った。

「ど、どうやって……?」

なっちゃんが言う。
ヒカリとなっちゃんの身長を合わせたよりも深い穴である、よじ登るのはかなり骨がいりそうだ。
と言うか体力にあまり自信がないから、登りきれるかも怪しい。
するとテイルモンがふふんと胸を張りながら、鼻を鳴らした。

『ワタシに任せなさい』

そう言うと、テイルモンはヒカリとなっちゃんの間に移動し、腕をしっかりと2人の腰に回すと、何と2人を抱えたまま軽々と跳躍したのだ。
デコボコに出っ張った岩場を上手く利用しながら、テイルモンは2人を抱えて穴の外へと脱出する。
2人を下ろす。ヒカリとなっちゃんは、目を白黒させながらテイルモンを見下ろした。
ヒカリよりも身体が小さいテイルモンが、女の子とは言え2人の人間を抱えて何でもないように大きくジャンプしたのである。
すごい、ってヒカリはようやく事態を飲み込み始めて、頬を上気させた。

「すごいね、プロットモン!あんなに身体が大きいデジモン、あっという間に倒しちゃった!」
『ふふ、今はテイルモンよ、ヒカリ。当然じゃない、身体が小さくとも成熟期よ。あんなのに負けるわけないでしょ』

そう言って胸を張るテイルモンに、ヒカリは目をキラキラさせながらすごいすごいって何度も連呼した。
なっちゃんはふふ、って苦笑している。
……そして、少し寂しそうな表情を見せた。

『……さて、いつまたドリモゲモンが起きてきて襲い掛かってくるか分からないし、早くここから離れましょう』
「うん、そうだね。なっちゃん、行こう?」
「……ヒカリ」

なっちゃんに手を差し出そうとしたヒカリは、なっちゃんの落としたような呟きを拾った。
なっちゃんの向こうから風が吹いて、なっちゃんのバターブロンドのふわふわの髪が、風と戯れて遊んでいる。
瑠璃色の目は、太陽を背にしているせいで、暗い影を帯びているような気がした。
一瞬だけ、ヒカリは息を飲む。

「……ごめんなさい」
「え?」

なっちゃんは、何故か頭を下げた。
え、え?ってヒカリとテイルモンは慌てる。

「ごめんなさい、ヒカリ。本当にごめんなさい」
「な、なっちゃん?どうしたの?」
『何故謝るの?』
「……アタシ、ヒカリと一緒に行くことはできないの」
「……何で?」
「アタシね、ヒカリに嘘ついてたの」

嘘?ってヒカリとテイルモンが首を傾げると、なっちゃんはようやく顔を上げて、小さく頷いた。

「ゲンナイさんに呼ばれたっていうのも、パートナーとはぐれたっていうのも、嘘なの」
「……そうなの?」
『何故そんな嘘を……』
「……あのね、ヒカリ、テイルモン。約束してほしいことがあるの」

なっちゃんはヒカリとテイルモンの質問には答えず、彼女の両手を取って優しく握り、ヒカリの目をじっと見つめた。

「約束……?」
「そう、約束。そうしたら教えてあげる」

真剣な表情で見つめてくるなっちゃんの剣幕に、ヒカリは何を感じたのか、同じように真剣な顔つきになって、しっかりと頷いた。
なっちゃんは、ほっとしたように表情を緩め、ありがとうと小さく言った。

「あのね、アタシと逢ったこと、誰にも言わないでほしいの」
「……どうして?」
「約束、して」

ぎゅ、とヒカリの両手を握るなっちゃんの手は、少し震えていた。
そのことに気づいて、ヒカリはなっちゃんと自分の手を見下ろした後、顔を上げてなっちゃんを見やる。
見つめ合うこと、凡そ数分。

「……分かった。言わない。誰にも言わないね、なっちゃんのこと。約束する」
『……ワタシも』

ヒカリのただならぬ気配を感じたのか、テイルモンもそう言った。
ありがとう、となっちゃんはようやく笑ってくれた。
そして話す。どうして嘘をついていたのか、それは。

「本当はね、ゲンナイさんに言われたの。逢っちゃダメって。陰から見守っているように、って。でもみんな、デビモンのせいではぐれちゃったでしょ?アタシ、どうしようって凄く悩んで……太一達は大きいし、パートナーも進化してるから、大丈夫かなって思って、それでヒカリのことを見守ることにしたの」
「私?どうして?」
「だってヒカリは女の子でしょ?」

こてん、となっちゃんは首を傾げる。
どうしてそんな当たり前のことを聞くの?と言いたげな表情に、そっかぁってヒカリは納得してしまった。
ヒカリは女の子だから。いつも言われていることだ、お兄ちゃんに。
そのことについてヒカリは疑問に思ったことすらなかったのだが、それは今は置いておくことにして。

「なっちゃんのこと、内緒にする。私とテイルモンと、なっちゃんだけの約束」
「うん」

なっちゃんの手を握り返す。
ヒカリは口の堅い子だ。言わないと約束したこともあり、今日なっちゃんと逢ったことは絶対に太一達に口外することはないだろう。
嘘をつくのは苦手だけれど、隠し事は得意だ。
なっちゃんと逢ったことを悟られる心配もない。
……大輔には感づかれるかもしれないけれど、その時はその時だ。

「本当にごめんなさい。ヒカリを騙すつもりはなかったの」
「ううん、いいの。だってなっちゃん、ずっと私のこと助けてくれたもん」

ヒカリとテイルモンに危害を加えるつもりだったのなら、逢った時に仕掛けてくるはずだ。
でもなっちゃんはヒカリと一緒に太一達を探してくれていたし、ドリモゲモンに襲われた時だってヒカリの手を引いて一緒に逃げてくれた。
なっちゃんは敵ではないと、ヒカリの本能が告げている。

『……それで、これからどうするの?一緒にはいけない、ということだけれど……』
「うん、一緒に行けない。だから帰るね」

帰る?ってヒカリとテイルモンは首を傾げる。

「何処に?」
「ゲンナイさんのとこ。みんなを陰から見守っててほしい、ってゲンナイさんに頼まれてたけれど、ヒカリに見つかっちゃったから、帰らなきゃ」
「……どうしても?」

うん、ってなっちゃんは微笑む。
ヒカリは、寂し気に俯いた。
右手を解いて、ヒカリの頬にそっと添える。

「大丈夫よ、ヒカリ。またすぐ会えるわ。ちょっとお別れするだけだから」
「……ほんとに?」
「ええ。……あのね、ちょっとだけ。ちょっとだけ教えてあげる。本当は貴女達が全部やらなきゃいけないんだけど、ゲンナイさんに口止めされてるんだけど、逢っちゃったから教えてあげる。でも誰にも言わないでね?」

しーっ、て口元に人差し指を当てて、ヒカリとテイルモンにしか聞こえない音量でお話をした。

「あのね、海の向こうにサーバ大陸っていう場所があるの」
「サーバ大陸?」
『……そういう大陸がある、と言うのは聞いたことはあるけれど……』

テイルモンが首を傾げる。
ファイル島から出たことがないテイルモンは、知識としては知っているようだが、詳細は知らないらしい。
ヒカリとテイルモンは、続きを促すようになっちゃんを見た。

「ゲンナイさんとワタシはね、普段はそこに住んでるの。このファイル島からずーっとずーっと海の向こう」
「海の向こう……もしかして、そこも……?」

おずおずと尋ねるヒカリの意図を理解したなっちゃんは、辛そうに目を伏せた。
それだけで、ヒカリとテイルモンは理解できた。
海の向こうにあるサーバ大陸にも、闇の手が伸びているらしい。
アンドロモンの工場でも、同じようなことを言っていたのを思いだした。
この世界に巣食う闇を晴らすために、異世界から戦う力を持つ子どもを呼び出した、とゲンナイさんは言っていた。
この小さな島を守るためだけなら、デジモン達でどうにかできる、でも事態はこの世界の住人だけでは手に負えないところまで来てしまった。
だからヒカリ達は、今ここにいる。

「ここの闇を晴らしたら、次はサーバ大陸に来てほしいの。そこでまた逢えるから、それまではワタシと逢ったことは、3人だけの秘密ね?」
「うん、分かった」
『約束だ。なっちゃんのことは絶対に言わない』

す、となっちゃんは小指を差し出した。
ヒカリはなっちゃんの小指に、自分の小指を絡ませ、歌う。

「ゆーびきーりげーんまん」
「うーそつーいたーら、はーりせーんぼん」
「「のーます!」」

指きった!2人の少女は笑った。
次に、なっちゃんはテイルモンに自分の小指を差し出した。
ヒカリのように小指を絡ませることはできないから、代わりに手袋の爪に小指を絡めてもらい、同じように歌う。
聞いたことのない歌だったけれど、何となく楽しくなった。

「……行って、ヒカリ。ここでお別れ」
「……うん」

名残惜しそうにするが、ヒカリは他の仲間達を探さなければならない。
なっちゃんも、ヒカリに見つかってしまった以上、ここに留まってはいられない。
サーバ大陸というところでまた逢えるから、って言ってくれたから、残念だけれど行かなければ。

「……このまま真っすぐ行けば、ヒカリの1番大好きな男の子がいるよ。だから早く行ってあげて?」

1番大好きな男の子。そう聞いて思い浮かぶのは、2人だ。
1人は兄の太一。いつもヒカリを守ってくれて、サッカーをしている姿がとってもかっこいいお兄ちゃん。
もう1人は……。

「バイバイ、ヒカリ。また逢いましょう?」

強い風が吹く。きゃ、ってヒカリとテイルモンは咄嗟に目を瞑った。
次に目を開けた時、なっちゃんの姿は何処にもなかった。

「………………」

優しい風が、ヒカリの短い髪を撫でつける。
不思議な色をした青空が、ヒカリを見下ろしていた。

『……ヒカリ?』
「……ううん、何でもない。行こう!」

ぼんやりしていたヒカリに声をかけたが、ヒカリは何でもないと首を横に振った。
そして、なっちゃんが指をさした方角に駆け足で向かう。
テイルモンは慌てて追いかけた。
この先に、ヒカリの“大好きな男の子”が待っている。





「……ヒカリ、ごめんなさい。ワタシ、また1つ嘘ついた」

「逢っちゃいけない、って言われてたのは本当だけど、ヒカリには、貴女にだけは逢いたかったの」

「……だって、貴女は、ワタシの──」






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