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トスカニーニの義侠

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第三章

「私は二人の子供を一瞬で失ったのか」
「残念ですが」
「何てことだ・・・・・・」
「ご心中お察しします」
「有り難う、だが」
 ワルターはその場に崩れ落ちた、そのうえでスタッフに言った。
「今は・・・・・・」
「そうですか」
「済まない、一人にしてくれ」
 こう言ってその場から動けなくなった、彼は娘夫婦の悲劇に完全に打ちのめされてしまった。またこの話は。
 すぐにトスカニーニにも伝わった、トスカニーニはその話を聞くとすぐに自分の周りの者達に告げた。
「すぐにルツェルンに行く」
「えっ、ですが」
「マエストロのお仕事が」
「今から」
「それはキャンセルだ」
 迷わない、そうした返事だった。
「すぐにな」
「そしてですか」
「そのうえで、ですか」
「ルツェルンに向かわれて」
「彼を助ける、これだけのことがあったのだ」
 トスカニーニは真剣な顔で言った。
「彼は打ちのめされている、その彼のところに行ってだ」
「ワルターさんを助けられますか」
「そうされますか」
「こうした時にこそ立ち上がるのが真の友だ」
 この言葉を残しトスカニーニはすぐさまルツェルンに赴いた、そして到着するとすぐにワルターに告げた。
「私に任せろ」
「アルトゥーロ、どうしてここに」
「話は聞いた、それで充分でないか」
 顔を上げて問うたワルターに答えた。
「違うか」
「君の仕事は」
「キャンセルした」
「そのうえで来てくれたのかい」
「そうだ、ではいいな」
「私の代わりにかい」
「指揮を行わせてもらう、ではいいな」
 こう言ってだった、トスカニーニは指揮台に向かった。その間客席では不穏な話が流れていた。
「マエストロの娘さんが殺されたらしいぞ」
「ご主人によってな」
「しかもご主人も自殺されたらしい」
「あのピンツァの不倫の結果か」
「何てことだ」
「マエストロは大丈夫か」
「相当落ち込んでいるのは間違いないが」
 それでもというのだ。
「指揮は無理だろう」
「とてもな」
「それではどうなる」
「この音楽祭の指揮は誰が行うんだ」
「マエストロが無理なら」
「一体誰だ」 
 客達は不安を感じていた、どうなるのかと。
 だがここでだ、オーケストラの方を見て誰もが仰天した。小柄な男が指揮台の方に向かっていくのを見て。
「なっ、あれは」
「マエストロ=トスカニーニ」
「何故彼がここに」
「今彼は別の場所にいる筈だぞ」
「そこで指揮を行っている筈だ」
「それが何故ここにいる」
「有り得ない」
「何故こんなことが」
 誰もがこのことには驚いた、しかし。
 トスカニーニは指揮台に立ってそうしてだった。
 指揮を行った、それは偉大な指揮者の一人ワルターと並ぶそれである彼の技術と名声に相応しいものであり観客達はその彼に拍手と歓声を送った。
 その後でトスカニーニはワルターのところに行って言った。
「君は今は静かにしてだ」
「そうしてかい」
「そうだ、気持ちを落ち着け」
 そしてというのだ。
「心を養生することだ」
「そうすべきか」
「そうだ、今はそうしろ」
「正直今は」
「何も考えられないな」
「絶望しかない」
「それは当然だ、だが」
 それでもとだ、トスカニーニはワルターに告げた。 
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