| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

竜のもうひとつの瞳

作者:夜霧
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

第五十九話

 ようやく躑躅ヶ崎館に到着した頃には、既に黒い手は消えて半壊した館だけが残っていた。
中では怪我をしていない人間が負傷者の救護を行っていて、とりあえず死者や行方不明者は出ていないのだとか。
状況を聞けば怪我人だけで連れ去られた者は誰もいないらしい。ちなみに幸村君も臥せっている信玄公も無事だそうです。

 とりあえず被害が建物だけで良かった、と言いたいところなんだけど……

 「……何の目的であの手が現れたんだろう」

 そこがはっきりとしない。例の連れ去り事件を躑躅ヶ崎館で、っていうのなら話は分かる。
だけど実際は誰も連れ去られてはいないし、死人が出たわけでもない。
考えられるのは、黒い手が武田を挑発した、ということだけど、挑発する意図が分からない。
だってさ、この状況で武田と争って何の意味があるの。いくら後継者問題で揺らいでるとはいえ、叩き潰すくらいの力は武田にだってあるわけだし。

 とりあえず館を離れて辺りをぐるりと回ってみる。
何か手がかりらしきものが見つかるんじゃないのかなと思ったけれど、特にこれといって何かがあるわけでもなかった。

 織田の手の者は見当たらない。ということは軍を率いて現れた、というわけではないということだろう。
目立たないくらいの少人数、もしくは単独犯……そう予測出来る。

 「手がかりなしかぁ……何か情報が得られると思ったんだけどなぁ」

 「どうします? 景継様」

 どうするったってねぇ……このまま本能寺に向かうのもアレだし、もう少し詳しく状況も知りたいし……一旦戻るか。

 「一旦館に戻ろうか。幸村君に話が聞きたい」

 手がかりになるようなことが聞ければ良いんだけどねぇ~……。



 館の中は相変わらず慌しかったけれど、どうにも思った以上に建物は被害が大きかったようで、一時的にでも拠点を移す必要が出てきたとか。
上田城にしばらくは拠点を移して館を建て直す、そう幸村君が言っていた。

 「どういう状況で襲われたの?」

 「それが某にも良く……一応、情報を集めてはいるのでござるが、
黒い手が突然地面から現れて叩き潰すようにして屋敷を襲った、と見たものは一様にそう申しておりまする。
某が槍を持って外へ飛び出した頃には黒い手が消える直前でありましたゆえ」

 「あの手を操ってた人とかはいなかった? 宣戦布告とか、そういうのは?」

 「それも特には……」

 とすればますます妙だ。信玄公も幸村君も無傷でいる。
宣戦布告も何もないとすれば、どうして襲う必要があったのだろうか。全く以って理由が分からない。

 そうなると、やっぱりこれ以上は甲斐で情報が得られそうにもないや。ここは御暇して、本能寺に向かおう。

 「幸村君、こういう状況でアレだけど、このまま私達は本能寺に向かうわ。
大変だろうけど頑張ってよ? 君がヘタレてると、うちの政宗様が機嫌悪くなるんだから」

 「う……そ、そうでござるな……」

 ……本当、大丈夫なのかしら、この子ったら。なーんか心配になってくるなぁ……。

 「それじゃ、情報ありがとう。次会う時は、もう少し元気な顔を見たいわね。
幸村君に、そういう暗い顔は似合わないよ? 元気で暑苦しいのが幸村君じゃん」

 そう言って踵を返した私を幸村君が呼び止める。

 「小夜殿! 今、奥州は大変な事になっていると聞く……何故、貴殿が調査に奥州を出られた。
政宗殿や片倉殿の側におるべきではないのでござろうか」

 おおっと、その質問が来ましたか。さてさて、どう答えてやるべきかね。
ま、確かに幸村君の言うことも分からなくはないけれどもさ。

 「政宗様には小十郎がいる。だから私は必要ない。
……小十郎は、自分ひとりできちんと答えが出せるから、私が側にいたらいけないのよ。
迷って悩んで苦しんで……それで小十郎は自分の生き方を決めなければならない。
一度犯した失敗を、二度と繰り返さない為にはどうしたらいいのか。
……私が側にいれば、その結論を導き出すのが遅くなる。そう思ったから、調査に出たのよ」

 まぁ、ストーリー云々の話は出来ないから、話せる理由としてはこんなところか。

 ……でも、本当のことを言えば、手を差し伸べそうになるのを耐えられないと思ったから出てきた。
小十郎の手を引いて歩く役目はとうに終えている。だって、もう小十郎は小さな子供じゃないもの。
あの子は竜の右目だから政宗様の側で自分で考えて決めて、行動しなければならない。
そうしなければならない以上、側にいたらあの子を駄目にしてしまう。

 「それで、片倉殿が」

 「小十郎なら大丈夫! そう、私は信じてる。
……私があの子の為に本当に動く時は、あの子が私に助けを求めた時よ。
まぁ、今の今まで一度も助けなんか求められたことはないんだけどね」

 近所の子供達に苛められてる時だって、助けてとは一言も言わなかった。
一人で泣いてても、私に助けを求めることは無かった。それは今でも変わらない。

 ……寂しくはあるけど、小十郎は今はいろんな人に受け入れられてる。だからもう、私が進んで手を貸す必要は無い。

 「幸村君も、こんな事態になって大変なのは分かるよ。戸惑うのもね。
でも、悩んで迷って苦しんで立ち止まっちゃうようなら、まずは心に従って行動してみたら?」

 「心、でござるか?」

 「そう。幸村君が御屋形様と一緒に培ってきたものが、心に刻まれてるでしょ?
それがはっきりと形になって現れなくても……幸村君を動かす原動力にはなると思うんだけどなぁ」

 自分の胸に手を当ててじっと何かを考えている幸村君の背を、私は思いきり叩いた。

 「家中が割れてるってことはさ、幸村君なら出来ると信じて後押ししてくれる人達がいるってことでしょ。
信玄公もその一人だし、佐助だってそう。あとは幸村君が自分を信じて立ち上がれればいいのよ。
……ちょっとくらい失敗したっていいじゃない。それをフォローする為に家臣ってのはいるんだから。
取り返しのつかない失敗さえしなけりゃいいのよ。だから、心が告げるままに行動してみたら?」

 私にも見えないほどに俯いて拳を握り締めた幸村君は、ぐっと顔を上げて私を見た。
その顔は先程までの情けないほどに暗い顔つきではなく、しっかりと腹を括った男の顔だった。

 いい顔するじゃん、幸村君。これで、もうこの子は大丈夫かな。

 「某を信じてくれた御屋形様や佐助、それに武田の者達にも、立ち止まっているわけにはいかんな。
……小夜殿、貴殿のお陰でこの幸村、心が晴れ申した」

 この言葉は信じても良さそう。だってさ、さっきと比べたら別人のようだもん。
少し前までは鬱病で自殺するんじゃないのかと思うくらいに暗かったのに、今じゃそんな翳りがないしね。
でもまぁ、完全とは言えなさそうだけど。この子も結構真面目で、一度悩むとドツボに嵌るタイプだからねぇ……。

 「小夜殿」

 突然、幸村君がしてきた触れるだけの優しい口付けに、私は不覚にも固まってしまった。
まさか幸村がこんなことするとは思ってもいなかった……つか、誰が予想するか。
女を見りゃ破廉恥だって叫ぶこの子がこんなことするなんて。

 「某は小夜殿をお慕いしておりまする……。だが、今の某は小夜殿にふさわしい男だとは言えぬ。
いずれ、小夜殿にふさわしいほどの男になって現れるゆえ、その時は……攫っても宜しいか」

 さ、攫っても……って、な、何て事を言ってんの、この子は。そんな優しい顔して微笑まないでよ、意識するから!
っていうか、十二も下の子相手に犯罪でしょ? 小学六年生の頃に生まれた計算だもん。
私が二十歳で幸村君が八歳だもん、ないない!絶対にない! つか、ときめくな! 私!!

 「……返事はまた、いずれ」

 軽くまた口付けをされて、固まりながらも館の中に入っていってしまった幸村君をぼんやりと見送った。
かなり顔が赤くなってるのも分かるし、お供の連中が心配そうに私に話しかけてくれてんのも分かってる。
けど、それに対応出来るだけの力なんか無い。

 幸村君にあんなことされちゃって……ど、どうしよう、私……。

 「は、破廉恥でござる……」

 ようやく私の口から出た言葉が、その一言だった。 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧