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ナイン・レコード

作者:
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ちいさなしまのおはなし
  夜の静寂に

.




あの日のことを、治ははっきりと覚えている。

お父さんとお母さんが離婚したのは、治が今の賢と同じ学年の時である。
元々は別の場所に住んでいたのだが、お父さんとお母さんが離婚したのをきっかけにお台場に引っ越した。
その年のお台場小学校は、怒涛の転校生ラッシュだったようで、治の他にも転校生が何人かいたのだが、治は他の転校生のようにすぐ馴染むことが出来なかった。
元々積極的とは言えない性格の治は、自分から友達の輪に入るということが出来ない。
頑張っては、みたのだ。
何度か話しかけてみようと、手を伸ばしてはみたのだ。
だがこちらを振り返るその目に見つめられると、どうしても委縮してしまうのである。
何?と、じ、と見つめてくるその目に、心の内に隠した思いを総て見透かされるようで、結局何も言えなくなってしまうのである。
何でもない、とか細い声で返して、背中を向けて逃げてしまう。
そんな治を見てクラスメートの方も気味悪がったり、近寄らなくなったりしてしまう。
治も治で、そんなクラスメートの心情を嫌でも察して、治はますます委縮してしまう。
悪循環である。
おまけに治は小学2年生とは思えないほど頭が良かった。
中学生で習うような公式もその当時で既に理解していたし、難しい漢字も一度見ただけで覚えるし、スポーツだって何をやらせても卒なく熟すのである。
教えれば何でもスポンジのようにするすると吸収してしまう治は、教師からは大変可愛がられていた。
勉強もスポーツも万能、先生の言うこともよく聞く、所謂“優等生”。
まだまだやんちゃ盛りで手がかかる子がクラスに溢れている中で、治のような子は教師にとって有難かった。



だが子どもと言うのは単純で、純粋で、残酷である。
勉強もスポーツもできる子、というのはどちらか一方しか出来ない子、またはどちらも劣っている子にとっては疎ましい存在である。
先生の言うことをよく聞くというのも、先生に取り入って“お気に入り”にしてもらおうと思っているのだと実しやかに陰口を叩く。
結果的に、クラスの子達は治を遠ざけるようになってしまった。
それだけならまだよかった。
治が大人しいのをいいことに、気が強い男子や勉学にコンプレックスのある男子が、治を虐めだしたのである。
筆箱や上履きを隠されるのは日常茶飯事、教科書を捨てられ、体操服に落書きされ、治の机を廊下の外に出したり、1番酷かったのはそこら辺で咲いていた、枯れかけた花を生けた花瓶を机に置かれたことだった。
それがどういう意味なのか、賢い治は勿論知っていた。
それでも、治はお父さんに相談することは出来なかった。
お母さんと離婚したばかりで、幼い治を育てるだけでなく、お母さんについていった賢の養育費も稼がなければならず、夜遅くまで働いていたお父さんを煩わせるのは忍びなかったのである。
いつもごめんな、って疲れた顔で頭を撫でてくれる父親の顔が先に浮かんでしまうのである。
教師には、もっと言えなかった。
先生の言うことをよく聞いて、勉強もスポーツも出来る、何の問題も起こさない優等生、と治の表面しか見ていなかった教師を、治は子どもながらに信用することが出来なかった。
体操服を泥だらけにされ、もう心が麻痺しかけてぼんやりとそれを眺めていた治を見た教師が、スポーツが好きなのはいいけれどもっと大切にしなきゃだめよ、帰ったらお母さんにごめんなさいしなさいね、って優しい笑顔を浮かべながら言ってきた時から、治は教師を見限った。
これがスポーツによる汚れか、態と汚されたのかの見わけもつかないような無能な教師なのだ、賢い治がさっさと切り捨てたのは当然である。
複数の人数に囲まれていた時だって、どう見たって仲良こよしの会話をしているのではないことは明白だったのに、治くんは友達が多いのねって言われた時は流石に鼻で笑いそうになった。
優等生の治が問題を起こすわけがないと、信じていた。
確かに治自身は問題を起こしていない。
治を取り巻く環境に問題が起こっていたのだ。
だが教師は言うことをよく聞き、勉強もスポーツも優秀な治しか見ていない。
先生にとっての「いい子」と言うのは、「都合のいい子」ということだということが、よーく分かった1年だった。



そして、転機が訪れる。
それは、治が3年生に上がった時のことである。
お台場小学校は3年生の時と5年生の時にクラス替えがある。
色んな子と仲良くなるため、なんて聞こえはいいが、いじめっ子と同じクラスになったら何の意味も成さない。
治を虐めていた子達は、皆治と同じクラスになった。
既に心が死にかけていた治は、ニヤニヤしながらいじめっ子達が近づいてきて、腕を引っ張って校舎裏に連れていかれても、最早何とも思わなかった。
子どもらしい、ボキャブラリーの乏しい罵詈雑言が、治に叩きつけられる。
ばか、とかあほ、とか幼稚園の子が言うような罵倒に、治はさっさと終わらないかなぁ、と心を無にしていた時であった。

ぽーん、と飛んできたサッカーボール。

え、と思った時には、いじめっ子の主犯格のこめかみ辺りにぶつけられていた。
すっ転ぶ主犯格に、ギョッとなった取り巻き達。
唖然とそれを見下ろしていた時に、太陽のような元気な声が響き渡った。

「3年生にもなってイジメかよ、カッコわりーな!」

声のした方を見やる。
特徴的な髪型にやんちゃを絵にかいたような男の子と、外はねのオレンジ髪が眩しい女の子だった。
脚を中途半端な位置で上げているのを見て、どうやらサッカーボールを蹴ったのは男の子らしいと気づいた。

「なっ、なっ、何すんだ!」
「何すんだ、じゃないわよ!あんな分かりやすく気持ち悪い顔浮かべて、その子連れ出して!気づかないほうがバカでしょ!君、大丈夫?」

起き上がって怒鳴りつけたいじめっ子に怒鳴り返したのは、女の子である。
うん、って譫言のように返事をすれば、女の子はよかった、って笑った。

「無視してんじゃねー!」
「女のくせにでしゃばるな!」
「いじめを助けるのに、男も女も関係あるかよ、バーカ!」
「何だとぉ!?」
「1人を虐めるのに、複数人で虐めないとなーんにも出来ない奴が、威張ったって怖くないわよ!卑怯者!」

2人がべーって舌を見せて、いじめっ子達を莫迦にする。
ぐぬぬ、となったのはいじめっ子の方だった。
治1人に対して、いじめっ子は4人もいる。
主犯格がいない時は何もしてこないくせに、主犯格がいると途端に威張り散らすような取り巻きなど、確かによく考えたら何の脅威にもならないのだ。
とは言え、彼方も2人しかおらず、心許ないのは変わりない。
それにも関わらず、女の子の方は口撃の手を緩めることはなく、治は凄いなぁと何処か他人事のようにそれを眺めていた。

「うるせー!女のくせに!」
「そうだそうだ!女のくせに!」
「ふーんだ、女のくせにって言葉しか返すことしか出来ないのはそっちでしょ!悔しかったらもっと勉強して、日本語覚えなさいよ!太一だってもう少し口喧嘩できるわよ!」
「おい、俺を巻き込むな!」

思わぬ方向から飛び火してきたことにびっくりした男の子が、抗議をしたが女の子はそれを無視した。

「さっさとその子から離れて、どっか行きなさいよ!」
「じゃねーと先生に言うからな!」
「…ちっ!」

2人の剣幕に気圧されたのか、いじめっ子達は面白くなさそうな表情を浮かべて立ち去って行った。
憶えてろよ、という捨て台詞を吐かれたが、うるせー速攻忘れてやる、とまた舌を出した。
そそくさと立ち去っていくいじめっ子達の背中を見送り、男の子と女の子が治の下に駆け寄ってきた。

「大丈夫だったか?」
「怪我とかしてない?何か他にされてない?」


それが、治と太一と空の、最初の邂逅であった。
















グレイモンがシェルモンをぶっ飛ばした後、あの浜辺は危険だと言うことで、子供達は急いで荷物をまとめて海が見下ろせる崖の上へと避難することにした。
太一が崖から落ちそうになったり、モノクロモンの縄張り争いに巻き込まれたりと、ちょっとしたアクシデントはあったものの、無事に切り抜けられた。
グレイモンが再びアグモンに戻ったのは何故だと言う疑問はもたげたけれど、今の彼らが気にするべきはそれではない。



色んな絵具を混ぜ合わせたバケツの中の水をぶちまけたような夕日を見上げながら、一向は歩き続けた。
もうすぐ夜だ。このまま当てもなく彷徨うのが危険なことは、太一でも分かっている。
だからデジモン達に飲み水や食料が確保できそうな、安全な場所はないかと尋ねてみた。
尋ねてみるものだ、デジモン達はあると答えた。
もう少し歩けば広い湖があるらしい。
その湖なら魚も泳いでいるし飲み水として他のデジモン達も利用しているし、食べ物も豊富に実っているとのこと。
だったらそこに行かない手はないだろう、と子ども達の見解は一致した。
デジモン達を先頭にして、子ども達は湖を目指したのだったが……。

「もう疲れた…足が太くなっちゃう~…」

最初に根を上げたのはミミだった。
今日1日だけで何度も走り回っていたせいもあるが、オシャレを優先して歩きやすさとか動きやすさを無視した服装は、これから始まるであろう大冒険にはとても不向きなものなのは明白だ。
サマーキャンプに来ただけなのに、どうしてまたそんな恰好をしてきたの、と誰もが疑問に思っていたが疲れを見せ始めている子ども達は誰も突っ込まない。
もう少し頑張れよ、と太一が励ますが、ミミはもうやだーとだたこね寸前である。
そんなミミにアグモンが余計なこと言ったから、ますますへそを曲げる。
脚は太い方がいい、なんて体重に敏感な女の子には絶対に言ってはならない言葉なのだが、そんな複雑な乙女心をデジモンが理解できるはずもなく。

『そーらー!見えてきたよー!』
『コウシロウはーん!あっちや、湖やでー!』

ピヨモンとテントモンが高い樹の枝まで飛んで、周りを見渡してくれたのはその時である。
降りてきた2匹が、こっちこっちって子ども達を先導する。
5分もしない内に、デジモン達が言っていた湖が見えてきた。
わあ、って漏れた声は安堵よりも驚愕に近かった。
と言うのも、湖に何故か電柱が建てられていたからである。
あの電柱も、よく見かけるタイプのものだった。
電話ボックスと言い、電柱といい、治によって異世界ではないかという結論が出た場所に、一体何だって自分達の世界でもよく見かけるものがあるのか。

「湖を水力として電気を起こして、誰かが使用しているとか……?」
「留まっている水じゃあ、電気は起こせないよ。水力発電は高い所から低い所に流れる時の位置エネルギーを利用しているんだから」
「それに、あの電線も水中に建っている電柱にしか繋がっていないようですよ」

治と光子郎の説明を聞いて、なぁんだ、って太一はがっかりする。
勉強嫌いの太一が水力発電のことを覚えていただけでも、褒めるべきことだろう。

「すごーい!大きな湖だね!」
「ねえ、大輔くん。湖って英語でなんて言うの?」
「湖?えーっと……pond?……じゃないな、この大きさだと。えーっとlake、かな?」
「えっ、大輔くん英語喋れるの?」

凄い!って賢は目をキラキラさせながら大輔を見やる。
クワガーモンに追っかけられていた時と、撃退した際にも披露していたのだが、賢はそれどころではなかったようで、実質今が初めてだったのだ。
照れる大輔と、すごいすごいって褒める賢とヒカリ、そしてそのパートナー達を微笑ましく思いながら、空は口を開いく。

「でもここなら、キャンプするのに丁度よさそうね」
「えー?でもキャンプってことは、野宿ってことですよね?」
「ま、そうなるな」
「うっそぉ……」

夕日を反射した湖がオレンジや赤やピンクに染まっている。
目の前に広がる幻想的な風景をぶち壊すように、ベルの音が鳴った。
そちらに目を向ければ、まるで太一達を待っていたかのように電気が点いた路面電車が、湖の小島に鎮座していた。
何で?って言う疑問が浮かんでくるけれど、その前に誰かいるかもしれない、という期待が心に灯り、子ども達は走った。
小島と湖畔を繋ぐ石畳の橋を渡り、路面電車のドアを開けて中に飛び込んでみたものの、案の定中には誰もいない。
子ども達の期待は、またも打ち砕かれることとなった。
だがいいこともある。光子郎と治が軽く調べてみたところ、まだ新しく座席のクッションも利いている。
1車両分しかないが、子ども達が全員横になっても余裕はありそうだった。
ならば決定である。

「今日はここで寝ましょうか」
『さんせー!』

持ってきた荷物をとりあえず電車の中に置いて、それからまず役に立ちそうな物を取り出す。
魚が獲れるとのことなので、ミミのキャンプ道具から釣り竿を取り出し、子ども達は一度外に出た。
役割を決める。海洋生物であるゴマモンは、必然的に魚獲りに回され、それに光子郎と賢が立候補した。
魚釣りなんてしたことなかったけれど、やりたくないって拒否したって別の面倒な役割が待っているのである。
だったらさっさと役割を貰った方がいい。ミミから釣り竿を受け取った光子郎と賢は、湖畔に移動して釣りを開始した。
途中でゴマモンが泳ぐことに夢中になってしまい、釣り竿近くで顔を出したために光子郎に怒られるという場面があったが、完全な余談である。
丈と空は薪を探しに行く。ミミはパルモンに連れられて、食べられる植物を探しに行った。
植物のような見た目をしているだけあり、どれが安全でどれが危険なのかすぐに教えてくれる。
パルモンがいてくれてよかった、ってミミが素直にお礼を言うと、パルモンは嬉しそうに胸を張った。
丈と空が拾ってきた薪を、太一と治が円に並べた手頃な石の真ん中にバサッと置いた。
あとは火を起こすだけであるが、ミミが持ってきた固形燃料があっても火種がなければ点けられない。
さてどうしたものか、と悩んでいる3人のために、アグモンが火を吐いてくれた。

「魚、釣れましたよ!」

光子郎と賢が釣れた魚を持って戻ってきた。
治は、弟から魚を受けとると、ミミのキャンプ道具から持ってきた小型のナイフで削った細い樹の棒に、魚をS字状に突き刺す。

「よし、こんなもんかな?さぁて、上手くできるかな……」

少し自信なさそうだったが、お兄ちゃんなら出来るよ、って弟が言ってくれたから、ありがとうって微笑む。
太一が、光子郎から受け取った魚を火の上であぶろうとしているのが見えて、治は苦笑した。

「太一、危ないよ。そんなことしたら。ほら、それ貸して。こっちの魚、火から少し離して地面に突き刺しておいて」
「お?おう、すげぇな治。これもお前調べたのか?」
「2日目に鮎釣りするってプリントにも書いてあっただろう?ま、網焼きだったのかもしれないけれど、念のため、な」

クスクスと笑う治に、太一は感心しきりである。
人数分釣り上げた魚を躊躇なく串に刺していく姿に、きっと図書館やパソコンで調べたんだろうなぁって思った。
どうすればいいのかな、って思ったことはきちんと調べるのである。
治が天才少年たる所以なのだが、その反面出来ないと思ったらあっさり引き下がる潔さも持ち合わせていた。
出来ないなりに躍起になっているところを見たことがない太一は、しかしそれに関して何か言うつもりは、今のところなかった。

「……あれ?大輔くんとヒカリちゃんは?」

役割を終えた賢が、次に何かやれることはないかと、皆を見渡していたら気づいた。
友達になった2人がいない。デジモン達も、何匹かはいるが、足りなかった。

「確かブイモンとプロットモンと……ガブモンとピヨモンもだったかな?樹に生えた果物取りに行っているはずだけど……」
「じゃあ僕も行ってくるね!」
『あ、ケン待ってぇ!』

丈が指さした方向に向かって、賢とパタモンは走り出す。
治は立ち上がりかけたが、デジモン達もいるから大丈夫だよ、という太一の言葉によって、再び腰を下ろした。



大輔とヒカリに割り当てられた役割は、自分のパートナー達と一緒に、樹に生っている果物を取りに行くことだった。
付近にも果物は沢山なってはいたのだが、ピヨモンの好物だと言っていた果物を太一が試しに食べてみたところ、酸っぱすぎて食えたものじゃない代物だったため、子ども達でも食べられるような果物はないかと探すことになったのである。
聞けば桃やリンゴ、ミカンのような果物も生っているようなので、子ども達が安堵したのは言うまでもない。
そんなに多くなくていいわよ、って空に言われたので、皆で手分けして大きな葉っぱを2枚もぎ取り、そこに置いて2人ずつぐらいで持ち運べるぐらいまでにしよう、って決めて大輔とヒカリはブイモン達に案内されてまずはリンゴが生っている樹を見つけた。
ブイモンとピヨモンが樹に登ってリンゴを落とし、大輔とヒカリでキャッチしてガブモンに渡す。
その要領で他の果物もたっくさんゲットして、あっという間に葉っぱの上には果物が山積みになった。

「Apple!」
「あっぷる!リンゴ!」
『あっぷー?』
『あっぽー!』

途中で大輔により英語講座が始まったものの、概ね順調である。
ヒカリとガブモン、大輔とブイモンで手分けして、果物が山積みになった葉っぱをせーので持ち上げた。

「よい、しょ!」
『ヒカリ、大丈夫?重くない?』
「ちょ、ちょっと重いかな……」
『じゃ、ワタシ手伝うわね!』

ピヨモンも助っ人に入り、ヒカリ達は歩き始める。
プロットモンも手伝いたそうにしていたが、四足歩行という身体の構造上、断念せざるを得なかった。

『よいしょっ!』
「うわ!ブイモン、すげー!力持ちだな!」
『へへーん、これぐらいどうってことないよ!さ、ダイスケ。早く行こっ!』
「うおお、ちょっと待てって!」

軽々と持ち上げるブイモンに対し、大輔はへっぴり腰だった。
ちょっと取りすぎてしまったようで、持ち上げた葉っぱが若干悲鳴を上げている気がする。
手がぷるぷると震えているのが分かった。油断すれば肩ごと腕を落としそうで、大輔は一旦タンマ!と言って山積みのフルーツを地面に降ろす。
いてて、って両手をぶらぶら振る大輔に対し、情けないなーってブイモンが笑うから、このやろー!って追っかけた。
慌てて逃げるブイモンを何とか捕まえて、頭をぐりぐりして満足した大輔は、再度チャレンジ。
ブイモンに向こう側を持ってもらって、大輔はせーのって掛け声をかけて持ち上げた時だった。

「おーい、大輔くーん!」
「!賢?」
『手伝いに来たよー!』
『おー!サンキュー!』

手を振りながらやってきた賢とパタモンが駆けつけてくる。
前と後ろで大輔とブイモンが持ち上げている葉っぱを支えようと、賢は葉っぱの横に立ち、手を添えた。
その時、賢の手がブイモンの手に当たった。

『っ!!』
「うわっ!?」
「わあっ!?」
『ケ、ケン!?ダイスケ!!』

あまりにも突然だったので、大輔と賢は何が一瞬何が起こったのか分からなかった。
気付いた時には、視界に映っていたのはオレンジと濃紺の境目で、星が散らばり始めた空模様だったのである。
え?え?って大輔の頭上に疑問符がたっくさん浮かんで、数秒ほどしてようやく理解した。
脚と腹筋を使って起き上がると、せっかく集めた果物が彼方此方へ転がっていっているではないか。
大輔と賢は慌てて果物を拾い集める。
何処か傷んだりしていないかを念入りに確かめ、特に異常がないと分かってホッと胸を撫で下ろして後、大輔はじろって原因を睨み付けた。

「ブイモン、何だよいきなり!」

そう、原因はブイモンだった。
賢が手伝おうとした瞬間、ブイモンは何故だか知らないが持っていた葉っぱを放り投げるように手を離してしまったのである。
その衝撃で大輔と賢はひっくり返り、葉っぱに乗せていた果物がコロコロと転がって行ってしまったのだ。
が、ブイモンの顔を見た大輔の口から、更なる抗議の言葉が出ることはなかった。
そこには、蒼い顔を更に真っ青にさせて、赤い目をこれでもかと見開かせて、硬直していたブイモンがいたからだ。
へにょりとした2本の角としっぽがピーンと尖って、胸の位置で左手で右手をぎゅうっと掴んでいる。
腕に変な力がかかっているのか、小刻みに震えていた。

「……ブイモン?」
「ど、どうしたの……?」
『…………ご、めん。ちょっと、びっくり、した、だけ……』

あまりにも様子がおかしいブイモンに、大輔と賢は顔を見合わせた後、恐る恐ると言った様子でブイモンに話しかける。
は、と我に返ったブイモンは、気まずそうに視線を逸らし、落ち着きなさげに右手を擦りながらも小さく謝罪した。

「………………」
「………………」
『………………』
『……あ、え、えっと、早く行こうよ?きっとタイチ達も待ってるよ?』
「あ、そ、そうだね!えっと、じゃあ、大輔くん。そっち持って!」
「お、おう!ほら、ブイモンもそっち!」
『……う、ん』





総ての支度が終えた頃には、青白く光る月が森の向こうから顔を覗かせていた。
今が何時なのかすらも分からないが、お昼ご飯もまともに食べられなかったために子ども達のお墓は悲鳴を上げている。
焼き魚は1人1つずつ、大輔とヒカリと、途中合流した賢とデジモン達で手分けして持ってきた果物を2つずつ。
到底足りるとは思えないけれど、ないよりはマシである。

「よーし、とりあえずご飯にしようか」

丈に促されて子供達はご飯にありつく。
魚を焼いただけなのと、果物丸かじりという質素なものだが、空腹は最高のスパイスだ。
まともな食事にありつけた子ども達は、夢中になってかじりついた。

「Delicious!」
「でり……?」

口元に食べかすをくっつけながら魚お頬張る大輔は、またも英語を使う。
隣にいた賢がきょとんと大輔を見つめていると、治が美味しいって意味だよ、って教えてくれた。
そっかーって納得した賢は、魚を一口食べて、

「でりしゃす!」

って大輔の真似をした。
Good!と大輔もサムズアップする。

「ヒカリ、大丈夫か?」
「う、うん……」

初めての食べ方に悪戦苦闘しているヒカリに、太一が目敏く気づく。
普段はお皿に乗っているお魚をお箸でつついて食べるから、両手で持って食べると身がぽろぽろと零れてしまうのである。
オマケにいつも食べている魚は切り身が多く、骨はあらかじめ取られているものが多い。
食べる度に細かい骨が口の中をちくちくと刺激して、もごもごさせながら骨を出しているために食べるのが遅い。
ごめんなさい、ってヒカリは申し訳なさそうに頭を下げるが、他の子ども達は気にしなくていいよって言ってくれた。

「骨取ってやろうか?」
「へ、平気だもん!」

太一が揶揄えば、ヒカリは躍起になって魚にむしゃぶりついた。
よしよし、と頷く太一に、空は呆れるやら感心するやらで苦笑するしかなかった。
太一が先程のようなことを言ったのは、恐らくヒカリが周りを気にしているのを払拭させるためなのだろう。
太一の妹とは思えないほど、ヒカリは他人を優先するきらいがある。
周りに気を使い過ぎて、自分のやりたいことや言いたいことをため込みがちなのだが、太一はヒカリの膨らみ過ぎた心の風船を上手くガス抜きしているのだ。
自然と兄をやってのける太一を、空は凄いなぁと思わざるを得なかった。

「………………」
「……大輔?どうしたの?」
「……何でもないっす」

そんな太一とヒカリに視線を向ける大輔に気づいたのは、空だった。
眉を顰めて、じーっと食い入るように見つめているから、一体どうしたのかと思って尋ねるのだが、大輔は首を横に振るだけだった。
こういう時の大輔は意外と頑固なので、きっと答えてくれないだろう、というのは経験上よく分かっていた空は、それ以上何も言わなかった。
そう言えば海に行った時も、太一とヒカリをじっと見つめていたなぁって思い出す。
何か言いたいことでもあったのだろうか、言いたいことははっきりという性格の大輔にしては珍しい。
一人っ子が故に、大輔の心情が思い当たらない空が大輔の本心を知るのはもう少し後のこと。










パチパチという薪がはじける音がした。

「おい、ガブモン。毛布代わりにその毛皮貸してくれよ。俺すっごく気になってたんだよなぁ、ガブモンのさ、毛皮の下ってどうなってんの?」
『へっ!?いやっ、ちょっ、待って待ってそれだけはっ!!』

そろそろ寝よう、と言い出した太一が、悪戯っ子の笑みを浮かべながらガブモンにちょっかいをかけている。
そのガブモンはと言うと、顔を真っ赤にして慌てて逃げ、治の後ろに隠れた。

「おい、よせよ。嫌がってるだろ?」
「なはは、悪い悪い」

眉を顰めて太一の悪戯を咎める治。
うう、って若干涙目になっているガブモンを、よしよしって撫でてあげれば、ちょっと照れくさそうに笑った。

「全く太一は……」
「だーから悪かったって!」
「僕じゃなくてガブモンに謝ってくれよ」
「おう、悪いな、ガブモン」
『……いいけど、もうしないでね』

ぎゅ、と治の腰にしがみ付いて、背中から覗き込むように言われると、罪悪感が太一の心に突き刺さる。
いや、あの、本当にすみません、ってバツが悪そうに謝るものだから、治はおかしくて吹き出してしまった。
笑うなよ。ごめんごめん。
昔から、この2人はこうだった。
性格も成績も全くの正反対、片やクラスの問題児、片や学校一の優等生。
普通なら相容れない存在だろうが、それが逆に功を奏したのか、2人はとても仲が良かった。
太一が暴走すれば治が抑え込み、治が引っ込んでしまえば太一が引っ張り出す。
お互いがお互いのいいところを上手く引き出しているのである。
そんなもんだから、教師も下手に2人を引き離すことが出来ずにいるのを、太一達は知らない。

「ふぁ~あ……」
「………………」
「……むにゃ」

下級生がそろそろ限界のようだ。
見張りを立てた方がいい、という光子郎の意見を採用し、上級生の男の子達が順番を決める。
私もやろうか、って空が申し出てくれたけれど、チビ共頼むという太一の一言により空は引き下がった。
眠そうな下級生3人の手を引いて、空とミミは小島の路面電車へと乗り込んだ。

「あーあ、いつもならベッドで眠れるのに……」
「寝る所が見つかっただけでもありがたいと思わなきゃ。さ、寝ましょ」

空がミミを宥める。
子ども達はクッションの利いた座席に寝転がり、デジモン達は皆で集めた南国風の葉っぱをかき集めて、床に敷き詰めて寝床を作った。
一緒に寝なくていい?って空が尋ねると、こっちの方が落ち着くからってピヨモンは笑顔で答える。

『……………』
『……ブイモン?大丈夫?』

子ども達のおやすみなさいが飛び交う中、賢の隣を陣取ったパタモンがこっそりブイモンに尋ねる。
大輔はとっくに夢の中で、豪快な寝相を披露していた。
ヒカリも丸くなって横になっていたし、賢からも穏やかな寝息が聞こえる。
他の子ども達も、既に目を閉じていた。

だから、誰も聞いていない。

『……どうしたのよ?』

ヒカリの隣で眠りにつこうとしていたプロットモンが、ひそひそ話をしているブイモンとパタモンに気づいて割り込んできた。
だから、パタモンはプロットモンに話した。
ヒカリとプロットモンはガブモンとピヨモンと先に行っていたから知らなかった、賢とパタモンが合流した際に何があったのかを。
え、ってプロットモンの顔色が変わる。

『だ、大丈夫だったの?』
『うーん……大丈夫、ではなかった……?』
『……何で疑問形なのよ』
『だ、だって……』
『……びっくり、は、したんだけど……いつもと、違ったんだ』

先程、賢の手が偶然触れた、右手の甲。
違和感は拭えないし、まだ手が震えているけれど、それでも、いつもと違った。
いつもなら、こんなんではないのだ、いつもなら、もっと──。

「どうしたの?」

は、と3匹は一斉に顔を上げた。
見れば、寝たと思ったはずの空がブイモン達の方を見ていたのである。
慌てて何でもないと返して、おやすみなさいって言って横になった。
不思議に思った空だったが、眠気に勝つことは出来なかった。
















ぽつん、と。

大輔は“そこ”に立っていた。
上も下も前も後ろも右も左も何処を見渡しても真っ黒に染まっており、何も見えない。
しばらくぼんやりと前方を眺めていた大輔だったが、だんだん頭が覚醒してきて、はた、と気づいた。

“ここ”は、“何処”だ。

何処を見渡しても暗闇の空間に佇んでいた大輔は、“そこ”にいるのが自分1人だと気づいて硬直する。
太一は?治は?空は?光子郎やミミ、丈、賢は?ヒカリは?
ブイモンは?
誰もいないのである。尊敬する先輩達も、友達も、パートナーも、誰もいないのである。
光さえ飲み込むほどの深い闇の中に、大輔は1人ぼっちで佇んでいるのである。
そのことに気づいた時、急に怖くなった大輔は、先輩達の名を呼ぼうと口を開いた。


「───────────────────────────────────────────────────────────────────────────っ!!」


だが腹の底から喉を通して吐き出されたはずの声は、まるで暗闇に食べられてしまったかのように、その空間に響くことはなかった。
あれ?あれ?って大輔は自分の喉を抑えて、もう一度声を出してみるが、やはり結果は同じだった。
誰もいない、何処にいるのか分からない、声も出せない。
大輔の中に燻っていた不安の火種は、徐々に大きくなっていく。



ぽわ……



暗闇に閉ざされた空間で、恐怖に支配され始めた大輔の小さな身体は全身が震え始め、お気に入りの青い服をぎゅっと握りしめる。
初めて感じる孤独に大輔の心が押し潰され始めた時だった。
視界の端に、白い何かが黒を掻き分けるようにして浮かび上がったのである。
誰か、いるのだろうか。藁をも縋る思いで振り返った大輔の視線の先にいたのは──。







気が付いたら薄暗い、鉄の板が目の前に浮かんでいた。
路面電車の天井だと気づくのに数分かかったのは、脳みそがまだ覚醒しきっていなかったからである。
むくり、と両脚と腹筋を使って上半身を起こした。
周りを見ると、隣に身体を丸くして眠っているブイモン、反対側には両手を頭の下に置いて枕代わりにしているヒカリ、ブイモンの隣には、パタモンを抱えて幸せそうに笑いながら寝ている賢の姿。
向かいの席には空とミミ、光子郎と丈はそれぞれ別の座席で寝ていた。
治とガブモンは出入り口付近で座りながら目を閉じている。
そして南国風の葉っぱで誂えた寝床に、デジモン達。
ちょっとずつ引き上げられていく意識で、先程の夢のことを思い出した大輔は何となく気分が悪くなる。
よく覚えてはいないのだけれど、何故かは分からないが不快な気分になったことだけは覚えていた。
窓の外を見ればまだだた夜が明ける気配はない。
もう1度寝ようと座席に横になってみるものの、不快感がどうしても拭えない。

「………………」

起き上がる。そろそろと座席から降りて、そっとそっと足音を立てないように静かに歩いた。

『……ダイスケ?』
「っ、ブイモン、起きちゃったのか?」

起こさないように細心の注意を払っていたつもりだったが、僅かな振動を感知したらしく、パートナーであるブイモンは、寝ぼけ眼の赤い目をとろとろさせながら、大輔を見つめていた。
眠い目を擦りながらブイモンもそっと身体を起こして、そろそろと座席を降りて大輔の下へと向かう。

『どうしたの……?』
「あー……ちょっと夢見悪くて。顔洗いに行こうと思ってたんだ」

だからついてこなくていい、と言おうとしたら、ブイモンも行くと言った。

『オレもちょっと……顔洗いたい』
「ん?お前も何か変な夢でも見たのか?」
『……そんなとこ』

曖昧に微笑むブイモンに、そっかぁって大輔はそれ以上深く聞くことはしなかった。
ただもう早く顔を洗いたくて、顔を洗って寝たくてしょうがないのである。
2人でそっとそっと、抜き足差し足をして眠っている先輩達を起こさないように電車を降りた。

「ふぁ~あ……」
『んーっ……』

2人して伸びをする。
ばきばき、って背骨が鳴ったような気がして、いててって呻く。
伸びをした時に見上げた夜空には、白い絵の具がついた筆を振って散らばしたような星が広がっていた。
人工的な光に包まれた都会で育った大輔は、遮るものが何もない夜空を初めて見た感動で、目を輝かせていた。
はしゃぐ大輔を、顔を洗うんじゃなかったの?って苦笑したブイモンによって我に返った大輔は、慌てて島の縁へと移動した。
斜面になっている縁を慎重に降りて、膝をつく。
緩やかなさざ波が島の縁に当たってちゃぷちゃぷという水音が響いた。
水の向こうに映る大輔を掻き消すように、両手を水につける。
掬い上げた水を叩きつけるように、ばしゃっと顔にかけた。
大きく息を吐くと、心地いい風が、水がかかった大輔の顔に吹きつけた。
やっとすっきりした気がする、と大輔は顔を軽く叩いた。
先程見た夢の内容は覚えていないけれど、どうもむかむかとした、もやもやとしたものが心の奥から湧き上がってきてしょうがない。
憶えていないと言うことは、大した内容ではないのだろうけれど……はっきりしないのはイライラする。

「さってと……ん?」

電車に戻ろうと思って、同じく隣にしゃがんで顔を洗ったはずのブイモンに声をかけようと、横を向いた。

『………………』
「……ブイモン?」
『っ、な、何……?』
「いや、何って……」

顔を洗っていると思っていたブイモンは、隣で右手の甲をぼんやりとした眼差しで見つめていたのである。
その目に光はなく、まるでブイモンの心が夜の闇に溶けてしまったような感覚に陥った大輔は、恐る恐るブイモンに声をかけた。
途端に、は、と我に返ったブイモンの目に光が戻り、困惑した表情を浮かべながら大輔に答える。

「どうしたんだよ、自分の手なんか見て……」
『……え、と……』

大輔が尋ねるも、ブイモンは答えようとしない。
目を逸らし、落ち着きなく右手の甲を左手で擦っている。
怪我でもしたのかと思って、無理やりブイモンの右手を取って見てみたが、そんな跡は何処にも見当たらなかった。
しかし、安堵することも怒ることも、大輔には出来なかった。

取った手が、震えていたのだ。

小さく、小刻みに、でも確実に、ブイモンの手は震えていたのである。
慌ててブイモンはその手を引っ込めたが、もう遅い。
大輔にばれてしまった。どうしよう、ブイモンは再び右手を左手で掴む。



ブイモンには、大輔に言っていない秘密があった。
それは、仲間のデジモン達はみんな知っていることで、ブイモンがまだチビモンだった頃からの、公然の秘密だった。
チビモンがチビモンとしての物心がついた頃には、もう“それ”があって、ブイモンにはどうしようもないことであった。
何とかしようと努力はした。でもそれは、努力ではどうすることもできないものだった。
心と体は別物である、頭で理解していても、身体はそうそう納得してくれない。
脳みそが幾ら命じても、身体はその通りに動いてくれないのである。
右手の震えもそうだ。ブイモンがどれだけ止まれと願っても、身体が受け付けてくれず、勝手に震えてしまう。
せっかくカッコイイって、すごいなって大輔が言ってくれて、受け入れてくれているのに、ちっちゃなチビモンが大輔と同じぐらいの大きさになれたのに、“それ”はブイモンにしつこく付きまとってくる。
大輔を護るためにここにいるのだと、大輔のパートナーなのだと豪語しているのに、それを覆してしまうような“秘密”を抱えていることを知られたら、大輔に嫌われてしまうかもしれない。
そう思うとどうしても言い出せなかったのである。



大輔は大輔で考えていた。ブイモンが先程から気にしている、右手。
どうしてしきりに右手を気にしているのか分からなくて、大輔はここに来るまでの行動を必死に思い出していた。
あまり頭がいい方ではない大輔ではあるが、デリカシーが全くないわけではない。
アメリカで生まれ育ったせいで空気が読めないところはあるものの、基本的には大輔は優しい子である。
相手が笑っていると大輔も楽しくて、相手が泣いていると大輔も悲しくなる。
感受性が強い子で、人の悲しみに敏感なのである。
猪突猛進だが、決して前しか見ていないわけではなく、誰かが置いてけぼりを食らったり、1人でぽつんといる子によく気づき、どうしたのって戻ってきてくれるのである。
1番前を走っているはずなのに、いつも1番後ろの子に気づいて、声をかけてくれるのである。
だから、知り合ったばかりだけど、パートナーだって、待ってたって言ってくれて、大輔を護るために大きくなったブイモンが何か悩んでいるのなら、力になりたかった。
屈託なく笑って、ダイスケダイスケって慕ってくる不思議な生き物が、悪いもののはずがない。
勘とも言うべき感覚が、大輔にそう告げている。
それは間違いではなかった。

「……なあ、ブイモン。俺のこと、パートナーだって、待ってたって、言ってくれたよな?そんな俺にも、どうしても言えないことなのか?」

未だに震えている右手を落ち着きなく左手で擦っているブイモンの両手をとり、包み込むようにしっかりと、優しく握る。
まだ出逢って1日も経っていない、これから始まる冒険もどれぐらいかかるのかも、相手のこともよく知らないのに、大輔は目の前にいる不思議な生き物の力になりたいと心の底から思っていた。
クワガーモンと戦っていた時はあんなに凛々しい表情をしていたのに、昼間みんなで移動する際は愛嬌のある笑顔を浮かべていたのに、それが今はこんなにも不安そうなのである。
何とかしてやりたいと、この震えを止めてやりたいと、大輔が思うのは当然だった。

──どうしよう

真っ直ぐな目で見つめてくるパートナーに、ブイモンは何も言えない。
いつかは、言わなければならないだろうなって、思ってはいたけれど、まさか出会って初日で覚悟を決めなければならなくなるとは思ってもいなかった。
どうしよう、ブイモンは必死で考える。
ずっとずっと待っていた、待ち焦がれていたパートナー。
気が遠くなるような月日を、皆で身を寄せ合って待っていた。
時には意地悪なデジモンに虐められて大変な思いをしたこともあったけれど、それでもパートナーのことを思えば、そんなもの何でもなかった。
やっと来てくれた時には、嬉しくて嬉しくて、思わず飛びついてしまった。
嬉しさの方が、勝っていた。
だからもしブイモンの“秘密”を打ち明けたとして、信じてくれるかどうか。
大輔のことはとってもとっても大好きで、心から信頼しているけど、大輔はどうだろう。
初めて会った時、思わず飛びついたチビモンに対して、訳の分からない言葉で何やら捲し立てていたことは、きっと一生忘れない。
あの時は訳の分からない言葉が耳に入ってきた驚きの方が強かったけれど、後からじわじわと怖くなったのだ。
だってやっと会えたパートナーが怖い形相で訳の分からない言葉で捲し立ててきたのだ、怖かったに決まっている。
ゴマモンも化け物扱いされた時はちょっと傷ついた、って丈に寂しそうな笑顔を見せて丈が平謝りすることになるが、それはそう遠くない未来の話である。
すぐに仲直りできたけれど、少なくとも大輔の第一印象は最悪だったに違いない。
ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、ブイモンは躊躇する。
自分の“秘密”を打ち明けて、果たして大輔は受け止めてくれるのか、決心がどうしてもつかない。


──そしてそれは、思わぬ形で暴露されることとなる。


どうしようって考えあぐねているブイモンと、真っ直ぐブイモンを見つめる大輔に迫る、1つの陰。
2人は気づいていない。思いこんだら一直線の大輔の目にはブイモンしか映っていないし、ブイモンは俯いてしまっている。
……そのせいで、反応が遅れてしまったことを、後にアグモンは後悔した。

「なぁにしてんだ、お前ら!」
「うわっ」

静かに伸びてきた陰に、がっしりと横から首を掴まれた大輔は悲鳴を上げる。
誰だ、と思う前に引っ張られて、ほっぺたをむにぃってされた。

「たっ、太一さん!?」

見張り番をしている、太一だった。
薪の前で見張りをしていた太一だったが、眠気に負けそうになって顔を洗おうと島の縁に来たのだ。
その際に大輔とブイモンがいるのを見かけ、しかも深刻そうな表情を浮かべていたから、何かあったのだろうかと感づいたらしい。
ならば先輩として、ここは相談にのってやろうじゃないかとこっそり近づいてきたと。
大輔の首に回ったのは太一の腕で、頬に感じたむにっとした感触は太一が抱き寄せた際に頬を擦りつけてきたものだ。
太一はよく動くこの後輩がお気に入りで、揶揄っては全身を使ってきぃきぃ怒る後輩の柔らかい頬っぺたをむにむにしてやるのがマイブームだ。
両手で顔を挟んで、むにむにと捏ねくりまわしてやれば、またきぃきぃと怒る。
それに便乗して、彼の姉もよく大輔の頬をむにむにしている。
太一からすれば、ただのスキンシップだった。
勿論大輔にとっても、尊敬している先輩に構ってもらえる手段にすぎなかった。
だから太一は深刻な表情をしている大輔の緊張でも解してやろう、ぐらいの認識であった。
自分と後輩だけのスキンシップに、後輩のパートナーも混ぜてやろうと思っただけだったのだ。
まさかそれがとんでもないことを引き起こすなんて、考えても見なかった。

「ちょっ!太一さん!やめてくださいって!くすぐったい!」
「他のみんなは寝てるっつーのに、夜更かしか?ん?いっちょまえに大人な表情してやがって。何話してた?言えっ、おらっ!」
「ぎゃー!」

うりうりと自分の頬を大輔の頬に押し付けてやれば、大輔も満更ではなさそうな表情で太一から離れようともがく。
じゃれ合っている先輩と後輩は気づかない。

『タタタタタタイチ!?何してるの!?』

薪の前で留守番していたアグモンは、島の縁が少し騒がしいことに気づいてそちらに向かう。
その際、島を構成している細かい石の塊とは違う感触を足の裏で感じたが、今はそれどころではない。
太一の声がする方向に行ってみれば、太一が後輩の大輔とじゃれ合っている姿を見た。
が、その光景に和むことは出来なかった。

太一が、ブイモンに抱き着くように触れている

もうそれだけで、アグモンの度肝を抜くのに十分であった。
黄色い顔を真っ青にさせているアグモンに、太一と大輔はキョトンとしている。

『タッ、タイチ!ブイモンから手を離して!』

顔を真っ青にさせながら、突然そんな忠告をしたアグモンを不思議に思った太一と大輔がブイモンの方を見ると……ブイモンはがっちーんと硬直していた。
目を見開いて、尻尾と頭のへにょっとした触角がぴーんとなって、ぎぎぎ、と壊れたロボットのようにぎこちなく顔を動かして、自分の肩に回された太一の手に目線をやる。
え、え、と困惑する太一を他所に、アグモンがあわわわわって言いながら彼の手をブイモンから引きはがした。

が、時既に遅し。

「?おい、何だ…。」
『………う、』

恐怖に引きつる表情を浮かばせたブイモンが森に響くほどの悲鳴を上げたのは、数秒後。








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