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ボロディンJr奮戦記~ある銀河の戦いの記録~

作者:平 八郎
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閑話1 エル・ファシルにて その1

 
前書き
ヤン視点の閑話になります。
正直、原作とさほど違わないというか、これを書くのはいいことなのか迷いました。
 

 
宇宙暦七八八年八月 エル・ファシル星域 エル・ファシル星系

「ひとつ狂うと全てが狂うものだな」

 エル・ファシル星域駐留艦隊旗艦である戦艦グメイヤの司令艦橋の一角、幕僚グループの末席でヤンは胸中でつぶやいた。

 当初アスターテ星域を哨戒警備中であったエル・ファシル星域駐留艦隊所属する二〇隻ばかりの哨戒隊が、運悪くほぼ同数の帝国軍哨戒部隊と不運にも遭遇。お互いが後方へ増援を呼び、あれよあれよという間にエル・ファシル駐留艦隊のほぼ全機動集団が出動する羽目になった。

 帝国軍側も予期せぬ拡大であったのか、おそらくはアスターテ星域の哨戒部隊を全て糾合したのであろう一〇〇〇隻程度の戦闘集団を編成し交戦。お互いに二割程度の損害を出して終わった。二割という数字は決して小さくない数字であり、帝国軍の後退に合わせて戦域を離脱する判断を下した上官に、用兵上の判断ミスがあったとはヤンは思わなかった。

 だが帝国軍は帰投すると見せかけて急速反転し、油断したエル・ファシル星域駐留艦隊の後背を襲撃した。最後尾に付けていた戦艦グメイヤの周囲には破壊された僚艦の生み出す爆発と閃光が溢れることになる。想定外の事態に慌てふためく司令部にあってヤンともう一人、管区司令兼任のリンチのみがある程度落ち着いていた。

「艦隊右舷回頭! 迎撃せよ、砲門開け!」

 リンチの声は大きく、聞く者とそして言った者自身を落ち着かせようとしたものだろうとヤンは思った。だが、後に敵を背負いながらの一斉反転迎撃は、一時的に部隊全体の側腹部を敵にさらけ出すことになる。反転攻勢をかけるのであれば、すでにエル・ファシル方面への移動を開始している前衛部隊から順次反転し、ドーナツの輪を内側からひっくり返すように陣形を再編すべきではないか。ヤンは意を決し幕僚グループの末席から、上官のいる司令艦橋の最上部までできるだけの速度で駆け上がると、恐慌をきたしている他の参謀達の困惑の視線をよそに、リンチに向かって自分の考えを告げた。それに対してリンチは眉を顰めつつ、小さく首を振ってこたえた。

「貴官の言いたいことはわかるが、部隊全体が混乱している現状では細かい指示を必要とする艦隊機動は実施不可能だ」
「であれば、回頭を中止し全速で前進。時計回りで敵の後背をつくべきです」
「それまでに味方の大半がやられてしまう。敵の方が優位な状態に立っている以上、より短時間で敵に正面を向けられるよう動くべきだ」
「しかし」
「ここは士官学校のシミュレーション室ではない。下がれ」

 リンチが議論を打ち切るように、視線を艦橋正面のスクリーンに視線を戻すのを見て、ヤンは何も言わず敬礼して自分の席に戻った。これ以上言っても司令官は聞く耳を持たないであろうし、ここで再度意見具申をして作戦が変更することにでもなれば、ヤンの目から見ても熟練した部隊ではないと分かる駐留艦隊ではさらに混乱してしまう。この際、司令官が冷静さと戦意を著しく欠いているわけではない事が分かっただけでも、幕僚としては満足しておくべきだ。最もその前にエル・ファシル星系まで自分が生きて戻れるかどうか。

 戦艦グメイヤは被弾しつつも戦闘可能状態で反転を果たした時、後衛に配置されていた直属戦隊の過半数は失われ、他の指揮下部隊も四割以上の被害を出していた。それでもどうにか部隊全体が反転を果たし、攻撃する態勢を見せたため、すでに三割近い損害を出している帝国軍側も一方的で乱雑な砲撃を停止し、ゆっくりと時間をかけつつ後退に移った。

 今度は慎重に部隊を再編制しつつエル・ファシル星系に帰投した残存部隊は三五〇隻、兵員八万五〇〇〇人を数えていた。損害が大きく部隊内における士気の低下も随所で見られるものの、それなりに秩序が維持されているという点で、行政府も民間もそして軍・艦隊要員自身も安堵していた。ただ敵の残存部隊も七〇〇隻を数え、こちらの倍以上。それだけの戦力でエル・ファシル攻撃を企図するとはまず考えられないが、早急に増援が必要であることは、ヤンに限らずエル・ファシルにある全ての人間が理解していた。

 しかし、周辺星域の情勢はそれを許さなかった。

 エル・ファシル星域と同様の同盟外縁部のダゴン星域において、ラザール=ロボス中将率いる同盟軍第三艦隊がほぼ同数規模の帝国軍に優勢な状況で勝利した。ただし帝国艦隊も壊滅したわけではなく、未だ五〇〇〇隻以上の戦闘可能艦艇を有しており、彼らは惨めな敗北を糊塗するためにも勝利を欲していた。彼らはイゼルローン要塞への帰路途中、エル・ファシルとアスターテの両星域をめぐる小競り合いで帝国側が優位になっている状況を確認すると、『駐留部隊からの増援要請を受けて』比較的損傷の少ない三五〇〇隻を艦隊より分離し、エル・ファシル星域を『叛乱軍の魔手から解放しよう』と図った。

 それを感知したのはドーリア星域軍管区テルモピュライ星系の哨戒部隊であり、エルゴン星域軍管区を通じてエル・ファシル星域に連絡が着いた時には、エル・ファシル星域外縁部の跳躍宙点に無数の帝国軍艦影が姿を現していたのだった……


「ヤン中尉。エル・ファシル行政府から軍管区司令部に、民間人の脱出計画の立案と遂行の依頼があった」
「はぁ……」
「今、司令部が防衛計画にかかりっきりになっているのは貴官の目にも明らかだろう。皆、手がふさがっているんだ。新任でここに配属されたのは運が悪いとは思うが、貴官に民間人脱出計画の指揮を執ってもらう」
「……了解しました」

 命令を持ってきたパーカスト大尉の言葉とは裏腹の、『面倒なことはごく潰しに任せればいい』といった表情に、ヤンは敬礼しながら心の底から溜息をついた。ツイてないといえばツイてない。が、襲い掛かってくる一〇倍以上の敵と戦うのは無謀以外の何物でもない。司令部の防衛計画がすぐに脱出計画に変更されるに違いないが、とりあえず早急に民間人脱出において船舶の手配などを纏めておくようにという内示と考え、ヤンはらしくもなく勤勉に行動を始めた。

 エル・ファシル星系の人口は約三〇〇万人。エル・ファシル星域全体では五〇〇万人になる。幸い星域内の他の星系に帝国軍が向かったという情報は届いておらず、星域最大の要衝エル・ファシル星系に照準を合わせて帝国軍も戦力を集中しているのは司令部の分析からも間違いない。故にヤンとしてはエル・ファシル星系のみの脱出計画を練り、残りの星系に関しては事前に状況を伝え、各星系の駐留部隊に脱出計画を練ってもらうしかない。そこまでこちらが計画する権限はないと、ヤンは判断した。正直言えば一つの星系だけで手間取るのに、星域管区にある残り一〇個の星系にも同じことはしていられない。

 まず三〇〇万人について行政府に住民人口等のデータを。次に現在エル・ファシル星系内に停泊している民間船舶―貨物船やタンカーなども含めて―の確認とその一時的な強制収用手続きを。そして脱出コースの検討。とても一人ではできる仕事量ではないので、軍港管理部や補給管理部から何人か融通してもらい、宇宙港の小会議室を借り、そこに行政府側の担当者及び航宙企業の運用部門担当者と共に計画を練る。

「食糧輸送船やタンカーにも住民を乗せるのですか?」
「持ち運びできる一人当たりの荷物重量が二〇キロではとても足りませんよ!」
「押し寄せている民衆が宇宙港だけでなく軍用宇宙港への立ち入り許可を求めています」

 次々と下士官や兵士達がヤンに問題を押し付けてくる。誰かに助けを求めたくても、現在脱出計画の指揮官はヤン自身である。部下というより協力者のようなチームの各員に対応を任せるのもヤンの権限であり責任だった。

 こうなったら出来ないことは出来る人に任せる。ただし責任は自分がとる。はっきりとそう割り切ったヤンは問題を全てチームの中の担当者と思しき人物たちに任せ、自分は彼らから集められる報告と、彼らが手に余ると判断した問題を解決することだけに集中した。それでも寄せられる問題は多い。特に民間人と軍人の間に発生するトラブルが特に。

 さすがに計画のトップがこれから逃げるわけにはいかない。軍人や行政府役人達は、脱出計画自体の細部を詰めるために労力を割いているため、民間人の不安の解消というほとんど解決することができない問題に関与する暇はない。ヤンは脱出コースの検討書類だけ端末で持ちながら、宇宙港へと向かった。

「君が……脱出計画の責任者なのかね?」
「はぁ、まぁ……そうなります」
 明らかに失望を禁じ得ない民間人側協力者達の顔つきを前に頭を掻きながらヤンは応えた。
「ですが、ご安心ください。船舶の調達は順調です。誰一人残すことなくエル・ファシルを脱出することはできるでしょう」
「……それは、本当かね?」
 やや若さが残るが、知識と知性を感じさせる協力者の一人の医師がヤンに問うた。勿論ヤンには完全な自信があるわけではないし、成功の見込みなど逆に保証してもらいたいくらいだ。

 だが、そんなことを言っても仕方がない。正面に立つ医師はともかく、他の協力者のヤンを見る目は厳しい。中尉という階級の低さから、軍が真剣に脱出計画に携わるつもりがないと勘繰られるのは無理ないことだが、非協力的になられては元も子もないのだ。裏打ちに値する実績がないのは……まぁどうしようもない。

「ええ。大丈夫です。ですから皆さんも落ち着いて鷹揚に整然と行動してください。もし不安に思っている人が近くにいたら、傍によって勇気づけてあげてください。困っている人が居たら手を差し伸べてあげてください。お願いします」

 ヤンは深く頭を下げた。頭を下げて何とかなるなら、いくらでも下げよう。士官学校で話の分かる先輩が言っていたではないか。好き嫌いで逃げることなく、なるべく手を抜かずに努力せよと。気持ちが通じたわけでもないが、協力者たちは戸惑いの表情を浮かべ、お互いの顔を見合わせる。その中で最初に口を開いたのは、やはり若い医師だった。

「わかりました。ヤン中尉、でしたな。私達にできることがあれば遠慮なく言ってください」
「ありがとうございます。ドクター……」
「ロムスキーです。総合中央病院の救急センターに務めてます」
「よろしくお願いします。ロムスキー先生、他の医師の方と連絡は取れてますか?」
「なにぶん、この混乱状況です。今どこにいるかどうか……」
「これから宇宙港全体に放送を掛けます。ロビーの数か所に野戦病院を開設しますので医師の方にはご協力を頂きたいのです。移動にはカートを使って構いません。最優先です」
「わかりました。お任せいただきたい。中尉が脱出計画に専念できるよう、我々も軍の指示に従います」

 ギュッとヤンの手を握るロムスキーの握力に、ヤンは一瞬たじろいたが痛がるわけにもいかない。そのロムスキー医師に促されたように他の協力者たちも次々と握手し、それぞれ若干の不安の表情を浮かべつつも協力を約束する。

 彼ら協力者一団が離れた後、ヤンは宇宙港ロビーでのけんかの仲裁、大気圏外シャトルの運航計画の承認、軍事物資と行政府保管物資の放出についての手続き、及び民間病院の医療品物資統制を指示したのち、朝配給されたサンドイッチを持って一人ロビーの片隅にあるカウンターに向かった。袋を開くとかなり変形して中身がこぼれかかっているサンドイッチが、捕食者に対して不必要な虐待をしたことを無言で抗議していた。その一つを口に放り込むとヤンは民間宇宙港ターミナルロビーの高い天井を見上げる。

 三〇〇〇隻対三五〇隻。まともに艦隊決戦を行うなど自殺行為以外のなにものでもない。増援と言っても、エル・ファシル星域内にあるのは他の有人星系の警備部隊で、あわせても三〇〇隻に満たない。大規模に纏まった戦力と言えば後方のエルゴン星域しかないだろう。それだって二〇〇〇隻前後だ。ダゴン星域で戦っている第三艦隊がすぐさま転進して来ない限り勝ち目はない。

 にもかかわらず、リンチ司令官をはじめとした司令部は脱出計画についてヤンとこれまで一度も相談していないし、報告するよう促してきたことすらない。戦って勝てないのは誰でもわかっているのに何故か。その状況を納得できる結論にヤンは達し、少なくない衝撃からサンドイッチを喉に詰まらせた。

 慌ててヤンは胸を叩き吐き出そうとするが、虐待に対するサンドイッチの恨みは深いらしく、適度に乾燥した薄い生地が喉に張り付いて余計苦しくなる。こんなところで中途半端に、しかもサンドイッチを喉に詰まらせて死ぬのか……小さな闇が見えた時、ヤンの目にコーヒーの入った紙コップが差し出された。慌ててそれを手に取り、一気に喉へ流し込む。コーヒーと共にサンドイッチが強制的に胃に流れ込んだことを感じると、肩を落として二度深呼吸し……不思議そうな目でこちらを見つめる少女を確認した。

「助かった。ありがとう。ミス……」
「グリーンヒル。フレデリカ=グリーンヒルです。フレデリカって呼んでください。中尉さん」
「……」

 金褐色の美しい髪をした美少女に救われた気恥ずかしさから、ヤンは思わず紙コップを握りしめた。その行動にフレデリカと名乗った美少女の眉が一瞬寄ったが、それを認識するほど気持ちに余裕がなかったヤンは、思わず本音を漏らした。

「コーヒーは嫌いだから、紅茶にしてくれた方が良かった……」
「……」
「え、あ、ごめんごめん。助けてくれたのに失礼だった」
「いいんです。中尉さん。見てましたけど本当に忙しそうですもの。一生懸命お仕事されてるのはわかってますから。でも食事はゆっくり、ちゃんととってくださいね?」
「ありがとう。ミス=グリーンヒル」
「フレデリカ、です。また時間があったら持ってきてあげますね。中尉さんはアイスとホット、どっちがいいですか?」
「……ホットで」

 ヤンは小鳥のように手を振って去っていくフレデリカの姿に、自分はそうじゃないと言い聞かせつつ、何となく背筋が寒くなるような感じを覚えた。彼女の命運も、自分の手の内にあるという恐ろしさを。それゆえに確認しなくてはならないことをヤンははっきりと認識できた。リンチ司令官とはそれほど長い付き合いでもなく、それほど親しい上官でもない。司令官と一幕僚。ただそれだけの関係ゆえに、リンチ司令官がどういう気持ちなのか。直接聞く以外に方法はないだろう。幸い理由はある。

 脱出計画の概要をまとめ司令部に出頭したヤンは、忙しく動き回る司令部要員と、司令室の片隅に頭を寄せ合って話し合っているリンチ司令官以下の幕僚の姿を見た。スクリーンには数少ない偵察衛星や哨戒艦からの情報が映し出されている。確認されている帝国艦隊は四〇〇〇隻に達しているようだった。

「司令官閣下。民間人の脱出計画ができたので、ご覧いただきたいのですが?」
 ヤンの報告に、幕僚の一人が視線を向ける。その動きによって気が付いたのか、リンチは首を廻してヤンを見た。
「何の用だ?」
「行政府より依頼されていた脱出計画ができましたので、ご覧いただきたいのですが?」
「わかった。後で目を通す。デスクにおいて置け」
 リンチは何も置いていないデスクを指差す。興味がない、というより端から司令官の頭に民間人の脱出計画は入っていない。そう感じ取ったヤンはデスクの上に計画書を置いてリンチの背中に向けて敬礼する。答礼はもちろんない。だがヤンが振り返って司令室を出ようとした時、その背中からリンチが声をかけた。再びヤンが振り返ると、リンチは視線をヤンに向けることなく続けた。
「ヤン中尉。民間人は全員船に乗れるんだな?」
「はい、閣下。一人残らず」
「よし。ご苦労だった。ハイネセンまでの民間船の指揮も引き続き貴官に任せる。うまくやれ」
 そういうと再びリンチは幕僚達と話し合いを続ける。もうないな、と判断したヤンは司令室を後にし、宇宙港に作った会議室へと戻った。

 間違いなく、とまでは言い切れない。だが司令官の頭には脱出船団を護衛するつもりが毛頭ない、というのは理解できた。民間船団を逃がすために戦うか、それとも民間船団を囮にして自身が逃亡するか。それともただひたすら保身のために逃げ出すか。自由惑星同盟軍創設以来の輝かしい歴史の中にも、民間人を犠牲にした汚点がないわけではない。逃がすために戦うなら、脱出計画の発動時刻を問い質すなり指示するはずだ。ということは。

「最悪に近いが、最悪ではない」

 ヤンは独白すると決断せざるを得なかった。
 
 

 
後書き
2020.05.22 事前入稿 
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