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台風の中で

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第一章

                台風の中で
 藤村安武はこの日家に顔を見せに来た実にこう言っていた。
「もう母さんも亡くなったしな」
「もう一年だよな」
「何もすることがない」
 髪の毛がすっかりなくなり残っている左右と後ろは真っ白になっている、眼鏡の奥の目の光は弱くなっていて痩せた顔には皺が目立っている。身体もそうなっていて服も着ているというよりか着られている感じだ。その顔で自分が若い時そっくりの息子に言うのだ。その黒々とした髪の毛としっかりとした体格で長身の彼に。
「だからな」
「後はか」
「お迎えが来るだけだな」
「何か寂しいな」
「定年して十年、それでだ」
「母さんも先立ってか」
「そうなるとな」
 それこそというのだ。
「何もすることがなくてな」
「お迎えがかい」
「来るだけだ」
「とはいっても親父まだ七十だろ」
「ああ、もうな」
「まだだろ、平均寿命にもいってないじゃないか」
 息子は父に言った。
「それじゃあな」
「まだこれからか」
「七十過ぎてもさあこれからだって言ってる人もいるぜ」
 こう父に言うのだった。
「だからな」
「他の人はどうあれわしはな」
「もう七十でか」
「特にやることもない」 
 そうだというのだ。
「だからな」
「後はか」
「死ぬだけだ」
 そうした風だというのだ。
「行き先はわからないけれどな」
「六道の何処か、か」
「出来るなら餓鬼にはなりたくないわ」
「あんなの誰がなりたいんだ、地獄よりも辛いだろ」
 息子は餓鬼と言われて父に笑って返した。
「少なくとも親父そこまで悪い生き方してないだろ」
「だといいがな」
「ああ、だからな」
 それでというのだ。
「そこは安心しなよ」
「ならいいがな」
「ああ、しかしまだ七十だからな」
 息子はまたこう言った。
「本当にそれでそんなこと言ってもな」
「駄目と言ってもな」
「それでもか」
「わしはそう思っている」
 言葉は寂しいものだった、そこには何の明るさもない。静かであるがそんなものだった。だがここで。
「ニャア」
「猫か?」
「またか」
 父は鳴き声に眉を顰めさせた、そしてだった。
 今いる部屋の縁側に面したガラスの障子のところを開けるとだった、縁側のところに太ったトラ猫がいた。目つきは悪い。
 その猫を見て息子は言った。
「野良猫か?」
「ああ、最近来る様になった」
 父は眉を顰めさせて息子に言った。
「というか半分うちに棲み付いている」
「軒下にでもいるのか」
「そうだ、図々しい奴だ」
「それで親父にか」
「いつも餌をねだる」
 ぶつぶつと言いつつだ、彼は。
 皿を出しそこにキャットフードを入れて猫に差し出した、すると猫は食べはじめた。息子はその様子を見て言った。 
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