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ノムさんの人生、その夢と現実

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解説者、監督復帰まで

 ノムさんは引退後、TBSのテレビ・ラジオの野球解説者を務めていた。また、サンケイスポーツの野球評論家、そして後にテレビ朝日の解説者にもなった。この解説者時代には投手・打者の心理が素晴らしく、まさに捕手、四番打者そして監督を務めた実績が活かされていると私は感じた。この時も野球一筋で講演を行ったり、夫人がオーナーとなる(南海の球団経営や采配に口出しした事が原因で野球チームを経営したかったからか?)少年野球チームの監督を務めたりと公私共に活躍した。

 この間にもロッテや近鉄、南海改めダイエーから監督の要請・打診があったというが、全て実現せずに終わっている。山内一弘氏の後任としてロッテオリオンズから要請を受けた時はやはりロッテに在籍していた頃に金田氏からの願いで選手に指導を行った所、コーチ陣から煙たがられた事もあって、監督をやっても選手やコーチとの確執を生むと懸念したのではないだろうか。近鉄からは西本幸雄氏の後任として名が挙がっただけで正式な要請はなかった。

 ここで仮にノムさんが近鉄バファローズの監督になったらどうなっていただろうか。後のヤクルト監督時代のように今や幻に終わった近鉄の日本一を達成し、近鉄の球団史に黄金時代を築いたのだろうか。もしそうなら近鉄の優勝は史実より2~3度多かったかもしれない。

 また、南海はノムさんが解任された後、ノムさんを慕っていた選手が他球団へ次々と移籍してしまった影響で万年Bクラスの球団へと陥り、ダイエーに売却、本拠地を福岡へと移転した。その記念も兼ねて嘗て南海で監督を務めたノムさんに再招聘をお願いしたのかもしれない。しかし、やはり、鶴岡一人氏とのトラブルや沙知代夫人絡みの事で一度監督を解任された事もあったのだろう、拒否した。確かに一度自信を追い出した球団に監督をまたやってくれなどというのは都合が良すぎると思うし、ノムさんも流石にそこまでのプライドは捨てられなかっただろう。

 そして1989年、関根潤三氏の後任としてヤクルトスワローズの監督を要請された。だが、ノムさんは当初は渋っていた。やはり南海監督時代のような解任のされ方をするのだろうか、それとも、全く縁のないセントラル・リーグのチームだから受け入れられるか不安だったのだろうか。それは私の推測ではあるが、ノムさんは受け入れた。そして低迷していた燕のテコ入れを行うことになる。

 次回からは監督時代のノムさんについて記述したい。 
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