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至誠一貫

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第二部
第一章 ~暗雲~
  八十九 ~暴かれる真相~

「主。風らが戻りましたぞ」
「うむ」
 翌朝。
 自室にて睡蓮(孫堅)の事に思いを馳せていると、星がやって来た。
「仰せになりましたな、主は。違う世界の我らの事をご存じと」
「……そうだ」
「ならば、睡蓮殿がこうなる事も?」
「……或いは、な」
「やはりですか。主がそのような顔をなさる理由、得心がいきました」
 そう言って、星は私の頬を撫でつける。
「一人で抱え込むのはお止め下され。睡蓮殿のこと、主に責めはありませぬ」
「わかっている。いや、わかっているつもりだ」
「いいえ、わかっておられませぬな。これは、天命と言うものにござろう」
「天命……か」
「はい。仮に主がその事を睡蓮殿に話しておられたとしても……恐らくは、避け得ぬ事であったと思います」
 そして、私の頭を抱え込んだ。
「主が悔いていても、睡蓮殿は戻りませぬ。ならば、前を向いて行動するよりありますまい?」
「ふっ。私を慰めているつもりか?」
「当然です。主が苦しむのなら共に、嘆くのなら共に。一蓮托生なのですからな」
「そうか……。ならば参れ」
「主? 皆が待っておりますぞ」
 怪訝な顔の星。
「その前に、やっておかねばならぬ事がある」
「は。主が参られるというのなら、冥府と言えどもお供仕ります」

 四半刻後。
「待たせたな」
 疾風(徐晃)を除き、主立った者は皆顔を揃えていた。
「ご主人様、何事かございましたか?」
「うむ。星、連れて参れ」
「はっ!」
 後ろ手に縛り上げた男が一人、星に背中を押されて入ってきた。
 昨日、星に捕縛された者だ。
「あなたは……」
「紫苑。存じているようだな?」
「は、はい。蔡瑁さんの一族、蔡和さんです」
 蔡和は、黙って顔を逸らす。
「しかし殿。何故この場にお連れになられるのです?」
「彩(張コウ)の言う通りなのだ。今は孫堅おばちゃんの事を話し合わないといけないのだ」
「その事と大いに関わりがある。……禀、風。報告を聞こう」
「御意」
 禀は眼鏡をかけ直し、咳払いを一つ。
「まず、孫堅殿の戦死は事実でした。疾風の手の者からも、その知らせが入っています」
「孫堅さんの軍ですが、黄蓋さんが中心になって撤退しているみたいですよー。ただ、士気が落ちている事もあって、兵士さんの逃亡が相次いでいるみたいですけど」
「孫堅殿程の軍でもか……。やはり、主将を失った軍というものは、どうしても脆いな」
「睡蓮さんの場合は、ご自身が強烈な魅力で軍を纏めていた面もあったから……。余計にそうなっているんだと思うわ、愛紗ちゃん」
「うむ。して禀、戦死の際の詳細は?」
「はい。それなのですが」
「……私から、ご報告申し上げます」
 天井から、人影が降りてきた。
「明命。無事であったか」
「……はい」
 だが、その顔は沈んでいる。
「ともかく、話が先だ。お前の話が最も正確であろう」
 明命は頷くと、皆を見回す。
「零陵郡に入ってすぐ、私達は賊の襲撃を受けました。それも、多方向からです」
「それは妙ではないか? 賊の大半はこの長沙で討ち取った筈ではないか」
「仰せの通りです、趙雲さん。襲撃してきたのは、いずれも小勢でした」
「じゃあ、孫堅おばちゃんなら問題ないのだ。軽くぶっ飛ばせば終わりなのだ」
「……いえ。周泰殿、賊は小勢ながら執拗に襲ってきたのではありませんか?」
「その通りです、郭嘉さん。でも、どうしてそれをご存じなのですか?」
「少し考えればわかりますよー。孫堅さんに本気で挑むつもりなら、手勢を小分けにしても各個撃破されるだけなのに、態々そうしてくれと言わんばかりじゃないですか」
「風の申す通りであろう、明命。そして、睡蓮の我慢が限界を超えて、自ら賊を追っていったのであろう?」
「あうあう、歳三さまもお見通しでしたか。……はい」
 後は、想像に難くない。
 誘いの手に乗ってしまい、待ち受ける罠にかかってしまった……そんなところか。
「だが明命。睡蓮殿の側には祭殿や飛燕(太史慈)、それにお前もいたのではないか?」
「はい、星さん。ですが、賊の襲撃が重なり、祭さまも飛燕さまもそれに追われてしまっていたのです。私も、睡蓮さまと離れてしまっていたので……」
 一見、睡蓮が猪故の出来事……とも見える。
 だが……。
「禀。腑に落ちぬのだが、どうか?」
「同感です。孫堅殿は勘も鋭く、また戦慣れしておられます。このぐらいで討ち死にというのも妙な話です」
「風もそう思いますねー。それに、賊さんの襲撃を聞く限り、誰か指揮者がいると思うのですよ」
「しかし、殿。区星なる者、そこまで将としての素養があるという話は聞いていませぬ」
「他に名のある将がいるとも思えぬ。だが、ご主人様が仰せの事もご尤も……」
 不意に、全員の視線が蔡和に集まる。
「歳三様。もしや?」
「察しがいいな、紫苑。睡蓮が事、やはり蔡瑁が裏にいる」
「……案の定ですね」
「はいー。それなら全て、説明がつきますからね」
 頷く禀と風。
「では蔡和。睡蓮を亡き者にした、直接の下手人の名を教えて貰おうか」
「…………」
「黙りか」
 私は兵らに合図し、部屋の隅にあった桶を、蔡和の前へと運ばせた。
 蓋を取ると、部屋に異臭が立ちこめる。
「臭いのだ!」
「殿。……この臭い、まさか」
「蔡和。それが何だか、お前にはわかるな?」
 桶の中を覗き込んだ途端、蔡和は驚きで飛び上がった。
「こ、こ、こ、これは……」
「お前の手下共だ。よもや、見覚えがないとは申さぬであろうな?」
「あわわわわ……」
 驚愕で身を震わせる蔡和。
 皆は、事情を知っている星以外、皆呆然としている。
「お兄さん。それがお兄さんの判断なのですね?」
「そうだ。城下に火を放ち、多数の庶人を巻き添えにしようとした罪、軽からず」
 蔡和を睨み付ける。
「明命、こやつも関わっている事は明白。好きに致せ」
「……宜しいのですか?」
「うむ。何も言わぬのであればもう用はない」
「ありがとうございます」
 明命は頷くと、背にした刀を抜き放つ。
「ひぃっ!」
「睡蓮さまの敵、取らせていただきます」
 冷たい目で蔡和を見、剣を喉元に突き付ける。
 その刃先が食い込み、血が流れ出した。
「ま、待て! 待ってくれ!」
「何を待てと言うのですか? 睡蓮さまを生き返らせていただけるのですか?」
「そ、それは無理だ! だが、言う、知っている事は全て話す!」
 落ちたな。
「明命」
「……わかりました」
 頷き、刀を納める明命。
「蔡和。では洗いざらい吐け」
「は、はい……」
 涙と涎で酷い顔をしたまま、蔡和は項垂れた。
「こ、此度の事、我が従兄弟の蔡瑁より指示を受けました。孫堅が事も、です」
「貴様……。孫堅殿を呼び捨てにするとは」
 今度は、彩が剣に手をかけた。
「止せ」
「し、しかし殿!」
「……二度は申さぬぞ」
「……は」
 蔡和は、どうやら歯の根が合わぬらしい。
「続けよ」
「そ、それで私は隙を見てこの長沙を火の海にせよ、と。その上で庶人に扮した者を襄陽に駆け込ませ、土方軍の非道を訴えよと」
「何だと!」
「許せないのだ!」
「愛紗、鈴々。同じ事を言わせるな。……それで?」
「そして、孫堅は恐らく別行動を取るだろうから、零陵郡に攻め入ったところで罠にかけ、討ち取れと」
「…………」
 皆の顔が、怒りに満ちている。
「だが、零陵には太守が健在であろう? そのような無法、罷り通る訳がなかろう」
「い、いえ。零陵太守劉度様と、武陵太守金旋様は我らと手を結んでいます。ですから兵も賊に扮して加わっていた筈です」
 ……蔡和の話が真であれば、睡蓮は大がかりな罠に飛び込んだ格好になってしまったという事か。
「そして、指揮を執っていたのは我が一族の蔡中、それと呂公です。そ、それと」
「早く申せ!」
 此処まで冷静であった筈の星まで、怒りで声を荒げている。
「ひっ! あ、あの、覆面をした軍師、これが作戦の取り纏めを」
「何者だ?」
「わ、わかりません。私は顔を見た事もなければ、名も知らされていません!」
「他には?」
「そ、それだけです! 本当です!」
 それを聞き、私は腰を上げる。
 そして、兼定を抜いた。
「や、約束が違うぞ! 話せば助けると!」
「……言った覚えはないが」
「卑怯者め! 外道!」
 それには答えず、蔡和の前に立つ。
 兼定を上段に構え、振り下ろした。
 ……蔡和の頭上ぎりぎりのところまで。
 蔡和はそのまま気を失い、倒れ込んだ。
「歳三さま! 何故です!」
「明命の言う通りなのだ。こんな奴、生かしておく価値もないのだ!」
「明命、鈴々。生かしておく価値はないが、斬る価値もない。剣を穢すだけだ」
「…………」
 他の者も黙ってはいるが、この処置には不服のようだ。
「閉じ込めておけ。監視は怠るな」
「はっ!」
 兵らが、蔡和を運び出していく。
「ご主人様。せめて我が手で、孫堅殿の無念を晴らしたく思います」
「私も同感ですな、殿」
 止めなければ、愛紗も彩も飛び出しかねない勢いだ。
「待って下さい。短慮は禁物ですよ」
「短慮とは何だ、禀!」
「まーまー、ちょっと落ち着きませんか彩ちゃん?」
「しかしだな、風! このままでは、腹の虫が治まらん!」
 そんな彩を諭すように、禀はゆっくりと語る。
「蔡和を始末するのは簡単な事です。ですが、それが本当に正しいと言えますか?」
「だが、奴は殿にも危害を及ぼそうとした一味だ。それだけでも死に値する!」
「確かに、歳三様に対する所業は許し難いです。ですが、怒りに任せて首を刎ねれば、どうなるでしょうか?」
「……そ、それは」
 言葉に詰まる彩。
「たぶんですねー、蔡瑁さんはそれを利用するでしょうね。お兄さんが、一族の者を闇討ちにしたとか」
「馬鹿な! それをしようとしたのは奴らの方ではないか!」
「では、それを公に証明できる人はいるのですか、愛紗ちゃん?」
「そ、それは奴が証拠で……」
「その通りですねー。では、何故その証拠を消そうとするのですか?」
 風の言葉に、愛紗らの顔から血の気が失せた。
「私達が今知らなければいけないのは、事実だけです。それに、孫堅殿を亡き者にしたのは別の人間です」
「とにかく、風達は大きな罠にかけられたのですよ。風は罠にかけるのは好きですが、かけられるのは大嫌いですからねー」
「……まさか、歳三様」
 紫苑に、私は頷く。
「ああ。恐らくは此度の反乱自体、仕組まれたものだな」
「では主。趙範らの事も、韓玄殿が討たれた事もその一つだと?」
「……わからぬ。が、罠を罠と見せぬ為の手立て……その可能性はあろう」
「うー、蔡瑁の奴、許せないのだ!」
 壁を殴りつける鈴々。
 パラパラと、その一部が崩れる程に。
「鈴々。黒幕は蔡瑁殿ではないと思いますよ?」
「どういう事なのだ、禀!」
「まず、蔡瑁殿にそこまでの才覚があるか、という事です。如何ですか、紫苑殿?」
「ええ、そうね。自分と一族の権力とか栄華には熱心だけど……此処まで思い切った手を打てる人物ではないわ」
「それに、覆面の軍師というのも気になりますねー。絶対に正体を突き止めてやるのですよ」
 いつになく、風も怒っている。
 我らへの仕打ちに加え、軍師としての矜恃もあるようだ。
「主。蔡和の事は仰せの通りとは存じますが。この後は如何なさいます?」
「うむ。明命、祭らの帰還はどれほど要する見込みか?」
「はい。兵の動揺が激しく、逃亡も相次いでいますが……。祭さまや飛燕さまなら、明日には戻られるかと」
「よし。では休養を取ったら、祭らのところに向かうが良い」
「いえ、大丈夫です。直ちに向かいます」
 無理をするな、と言っても無駄であろう。
 そう思っているうちに、明命は姿を消した。
「さて、罠にかかったまま死を待つ事もあるまい。禀、風」
「御意。今後の戦略を早急に立てます」
「桜花(士燮)さんや山吹(糜竺)ちゃんにも使者を出しますねー」
「うむ。鈴々、すぐに呉に向かい、朱里を連れて参れ。雪蓮には書簡を認める」
「わかったのだ!」
 愛紗らは城下の警備と、軍の方をと自発的に向かっていく。
 ……人材が揃っている筈の我が軍でも、こうなると存外人手が足りぬものだ。
 今のままでは特に、禀と風に負担をかけ過ぎてしまう。
 朱里が戻れば一息つけるのであろうが……。
「歳三様。少し、宜しいでしょうか?」
「紫苑。軍務に向かったのではないか?」
「それは、彩ちゃんや愛紗ちゃん達がいれば大丈夫ですわ。それよりも、気になる事がありまして」
「聞こう」
「ありがとうございます」
 そう言いながら、紫苑は声を潜める。
 ……皆にも聞かせられぬ話、という事か。
「睡蓮様を罠にかけた軍師の事です」
「心当たりがあると申すか?」
「確証はありませんわ。だから、迂闊に口には出来ませんでした」
「そうか。ならばこの事、私の胸に収めておけば良いのだな?」
「はい、ご配慮に感謝致します」
 紫苑は頭を下げた。
「心当たりと申したな? その者、劉表麾下という事か?」
「いえ。私の推測が正しければですが……その覆面の軍師は、本心から蔡瑁に荷担している訳ではないと思います」
「どういう事だ?」
「歳三様は、馬氏一族の事はご存じでしょうか?」
 荊州の馬氏……か。
 私の知識通りならば、あの馬氏以外にあるまい。
「長男、いや長女が白眉の者か?」
「仰せの通りです。やはり、ご存じでしたか」
「いや、面識はない。ただ、知識としてはある」
 紫苑は頷く。
「馬氏一族の長女は、歳三様がご存じの馬良という子ですわ。襄陽にて、劉表様にお仕えしています」
「ふむ」
「……ただ、あの子はこういった悪辣な事は好みませんし、そもそも策士ではありませんわ。ですから、あの軍師と同一という可能性はないと思います」
 私は黙って、紫苑の話に耳を傾ける。
「その子の妹に、馬謖という子がいるのですが……ご存じですわね、きっと」
「知識だけというならば、な」
 『泣いて馬謖を斬る』、私でも知る有名な故事。
 尤も、あの朱里がそのような真似を出来るとは思わぬが。
「とても才気煥発で、馬氏一族でも目立つ存在なんです。……ただ、自信過剰気味で、よく周囲には窘められていますけど」
 そこまで言われれば、もう十分だ。
「つまり、覆面の軍師は馬謖ではないか。そう思うのだな?」
「そうですわ」
「……そうか。だが、本心から荷担しているとも思えぬという根拠は何か?」
「まず、あの姉妹はとても仲良しなんです。だから、姉が好まない事を妹がするとも思えません」
「他にもあるのだな?」
「はい。自信過剰、と申し上げた通りで、蔡瑁などは見下していました。それで、劉表様への仕官が叶っていなかったのですが」
「……では、仕官を条件に荷担していると?」
「いえ」
 と、紫苑の表情が厳しくなる。
「恐らくですけど。姉を人質に取られているのではないかと思います」
「成る程。従わなければ命を奪う……か」
「蔡瑁ならば、そのぐらいの事はやりかねませんわ」
 何処までも卑劣漢なのであろう。
 ……許せぬ。
「疾風が戻ったら、すぐに襄陽を探らせよう。それで、真相が判明する筈だ」
「ええ。……歳三様」
「わかっている。仮に紫苑の推測通りだったとしても、馬謖を守って欲しいというのだな?」
「はい。才能もありますし、性根も悪い子ではありません。蔡瑁に巻き込まれたというだけで死なせたくありません」
「……うむ」
 とにかく、事の次第を調べるよりあるまい。
「紫苑。この事、構えて他に漏らすな」
「勿論ですわ」
 風が知ればどう思うかはわからぬが、その時に言い聞かせるよりあるまい。
 この程度の事で、己を見失う事はあるまいが。


 そして、翌日。
 睡蓮を欠いた軍が、長沙の郡城へと帰還。
 あれだけの威風を誇っていた軍も、見る影もない有様だった。
「祭、飛燕。……まずは、城内へ」
「…………」
「……はっ」
 流石に精気を欠いたままか。
 だが、真相は話さねばなるまい。
 二人には酷ではあるが、それが私の務めでもあろう。 
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