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血戦・姫騎士ゾンビVSサムライオーク~そして全てが首になる~

作者:南雲麗
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本編

  昏い洞窟の奥深く。そこには『かつてヒトだったモノ』の山があった。うず高く積まれた腐肉と骨の山。そこに今、一糸まとわぬ女が投げ込まれた。

 洞窟の肌と衝突する音。
 肉と骨に塗れる音。
 聞くことすら憚られる音が響き、身体が山の中に埋もれてなお。女は悲鳴を上げなかった。否。上げられなかった。最早、ヒトではないからだ。

 時折雫が岩肌に落ち、蛆は死体の腐り肉を貪っていく。湿気と腐臭が入り混じり、むせ返るという言葉すら生温くなるほどの臭いが漂っている。
 されど死したる女の目は見開いていた。未だに戦意を失ってはいなかった。

 ぷぎい、ぷぎい。
 死体の様を笑いに来た者がいた。オークである。この地はオークの塒であった。
 ならば、この躯の山は。そう。オークに辱められ、嬲られた果ての姿である。

 ぷぎい、ぷぎい。
 オークはヒトの死骸を嘲笑う。己に逆らった者の凄絶な行く末を嘲笑う。しかし、不意に嘲笑は止んだ。

 それは、怨念の力か。あるいは、今なお戦意を失わぬ女を媒介に、なんらかの術が行使されたのか。
 見開いたままであった女の目に、暗い光が宿ったのだ。
 直後。オークは無意識のうちに戦慄した。積み上げられていたはずの肉と骨が動き出し、女を飲み込んだのである。否、逆に女が屍を飲み込んだのか? 誰も知るよしはない。オークは既に逃げ、己を恥じて誰にも語らなかったからだ。

 かくて、誰も知らぬままに時は過ぎ。やがて腐肉と骨片は消え果てた。女が唯一人。躯の置き場に立っていた。
 骨肉を喰らい。眩いドレスじみた装束を血肉に染め。暗い瞳を宿し。黒く、鈍く光る刀を手にして。
 かつて姫騎士と呼ばれていた女は、汚濁に塗れた鎧を纏い。狂い乱れる、腐肉の姫騎士となり果てた。


 姫騎士は目覚めた直後。頭を二回、横に振った。
 生前にはなかった全能感。
 暗い力が、内側から溢れてくるようだった。
 腹の底か。あるいは蹂躙された個所からか。オークへの憎悪が、突き上げるように己を満たして。
 解放を試みるかのように、蛮声を轟かせた。
 声は洞窟のそこかしこにこだまし、反響し。
 なにも知らない哀れな下っ端オーク二匹と、運んでいた死骸を捕捉した。

 次の瞬間、姫騎士は動く。肉が千切れるのも苦にせず、奥底より駆け出した。生前よりも、更に軽く身体が動いた。「速く」と思うだけで肉が崩れ、更に軽くなった。
 オークが見える。刀を振る。この洞窟で奪われたものに似た、両手持ちの剣。しかし今は、片腕で振れる。

 ぷぎい。

 小さな悲鳴が耳に入り、オークの死を悟る。だが、満足はない。オークへの憎悪は、未だに己を突き上げている。他にも、やるべきことがある。手段は、すぐ近くにあった。

 姫騎士は、三つの死体を一瞥した後、ヒトの形をしたものに触れた。軽々と屍を持ち上げ、口元に運ぶ。
 かぶり。
 奏でられる咀嚼の音。新鮮な『それ』を引き千切り、噛み砕く。味など知らない。ただ喰っていく。一口歯を突き立てる度。装束が、肉体が。聞き慣れぬ音と共に再生していく。

 そして。噛み千切られた屍にも。異変は生じた。
 肉が腐っていく。噛まれた傷口が、泡立っていく。やがて死体は食いちぎられた姿のままに目を見開き。のたうち、起き上がった。
 それは、許されざる二度目の生。生命への冒涜行為。

 されどそれは、死体そのものには関係なく。やがて屍は歩き出す。
 おぼつかない足取りで、よたよたと肉を求める。

 うめき声を響かせて、死体は洞窟を歩き始めた。姫騎士の尖兵として、オークも人も。全てを屍の同胞とするために。
 歩みゆくまでの姿を見届けた姫騎士は、更に洞窟を行く。足取りは穢れた意志に満ち、刀は地面と擦れて耳を塞がんばかりの音を放っていた。

 髪は白。わずかにのぞく肌は浅黒く。身体は動かす度に崩れていく。されど、姫騎士に迷いはない。己の行うべきことは。
 オークへの断罪。オークの殲滅。そのためには、手駒が足りない。故に向かう場所は、決まっていた。

 オークの塒である洞窟のある一角に、それはあった。姫騎士もかつて通った、生贄の牧場である。人の尊厳を奪い、仔袋とし。汚辱の過程を尽くして。最後には。

 姫騎士が現れた際にも、様相は変わってはいなかった。オーク共は女を辱め、貪っていた。鳴き声を上げながら腰を振り、女の悲鳴など聞こえぬと言わんばかりに獣欲を発散せしめていた。

 姫騎士に、躊躇いはなかった。一番近くに立っていたオークを無感情に薙ぎ払い、その者が蹂躙していた女の首に、刃を突き立てトドメを刺した。

 オーク共が異常に気付く。しかし欲に溺れていたのが災いだった。頭も身体も、思うように働かない。姫騎士は機先を制し、全てのオークを一刀のもとに切り捨てた。眉一つすら動かぬ惨殺であった。

 更に姫騎士は、女共にも刀を振るった。女共は、むしろ自ら贄になった。ただし姫騎士は救世主ではない。ただただ作業のように。女共を斬り殺した。

 そうして全てが躯になった後、姫騎士は先程行った冒涜を。またしても行った。今度は複数回。女の肉に歯を立て、喰らいついた。
 改めて言うが、腐肉の姫騎士は救世主ではない。姫騎士にとって女共は、ただの材料でしかない。

 その証拠は、僅かな時を経て示された。死した女が、動く屍へと変じる。オークの死体に、牙を立てる。立てられた側も、屍と変わる。
 そうして牧場に居たもの全てが生ける屍へ変わると。それは一気に洞窟へと溢れ出した。惨禍は臨界を越え、拡散する。

 オークだったものが。ヒトだったものが。かつての仲間へ。復讐すべき相手へ。無慈悲に牙を突き立てる。捕食する。
 理性もなく、悲しみもなく。ましてや欲望ですらない。残虐の宴。それのみであった。

 強きオークは立ち向かい、弱きオークは岩肌や裏道へ逃げた。
 しかし生ける屍は。誠に冷酷であった。喰らい、探し、見つけ、殺す。その作業に、淀みというものは全くなかった。かつて人を嬲り倒したオークが、冷たい牙に肉を削がれ。やがて生ける屍へと成り果てて行く。繰り返される度に、屍は増えて。

 もはやオーク共に残された手段は、逃げることのみであった。洞窟の出入り口近辺へ、ゆっくりと追い詰められていく。洞窟から追い出されれば、また塒探しからだ。人間に追い回される生活だ。
 しかし二匹だけ、抗う手段を思い出した者が居た。二匹のオークは恐る恐る洞窟を抜け出すと、ある方角へと走り出した。

 ***

 洞窟から僅かに離れた池のほとりで、一匹のオークが釣り糸を垂らしていた。池に目を凝らしていた。

 呼吸は一定。
 ただ水面を見つめて。
 やがてオークが見る光景は釣り糸の周囲となり。
 その目が光る。
 アタリだ。反応からして、少々手がかかる代物だ。
 すぐさま竿を握り締めるが、腕力には頼らない。
 魚と己の、一本勝負。
 糸を切られぬ程度に暴れさせ、弱らせるのだ。右へ、左へ。魚を遊ばせ……。

 不意の蛮声が、オークから集中力を奪った。かすかな緩みから魚は隙を見出し、餌を食らって逃げていく。
 オークが苛立たしげに、声のした方角を見れば。済まなさそうな顔をした、二匹の同類がいた。目で己の方へと招き、言葉を交わす。やがてオークの顔が険しくなり、そのまま森へと向かった。当然、二匹も付き従った。


 彼のオークは、自分が仲間内で「変わり者」とされていることを知っていた。知っていたが、変えようとは思わなかった。
 女を辱めることよりも、人間を嬲ることよりも。人間の扱う道具の方に興味が湧いた。特に武器の類が気になった。
 いつしか彼は、人から奪った武器を手にするようになった。試行錯誤し、人の言葉で言う「武技」を磨いていった。その行為を楽しむ内に彼は、群れの中では敵なしの強さを手に入れていた。

 それでも多くのオークは、彼を侮蔑した。時には彼を不能扱いする発言すらも飛び出した。しかし、彼の強さは明らかであった。オーク共は彼を重宝し、自由をも許したのだ。

 塒における異常事態のさなか、彼が一人池に居たのも。彼が勝ち取った権利を行使していただけの話である。釣りという名の修練もまた、彼が人から奪った道具を。あれこれと試行錯誤した結果だった。


 オーク達が森に分け入ると、そこには武具の山があった。それは全て。変わり者のオークが、仲間から貰い受けたものである。
 変わり者は中から刀を数本手に取り、身に括り付けた。
 その後二匹を説得し、森で待機させた。足手まといを減らす為だ。話に聞いた奇妙な死体が、塒を埋め尽くす。その前に事を終わらせるのだ。

 普段は決して近付かぬ塒。日夜乱痴気に塗れ、忌避し続けてきた塒。されど今は、別だった。足取りも確かに、オークはさほど遠くない道を行き、死地たる洞窟を前にして。

 大音声の、咆哮を一つ。
 洞窟に向けて放たれたそれは、戦士の名乗りじみて中へと響き渡り。
 生ける屍と、生き残りのオークを引き寄せた。
 変わり者は仲間を逃すと、屍の軍勢に刀を向けた。たった一匹のオークに対して、軍勢は五十にも迫らんとしていた。
 ただし屍共は、人もオークも一絡げにし、列を連ねて押しかけるのみ。無知極まりない襲撃は、変わり者にとって鎧袖一触。試し斬り程度にしかならなかった。

 蛮声と斬撃が、洞窟で交互に反響する。
 オークが一つ吼える度に、蠢く屍が斬り飛ばされる。肉を落として、岩肌に這う。慈悲もなく、容赦もなく。両手持ちの大剣が、ヒトに。かつての同類に。血煙をばら撒いていく。

 しかし死体共も一筋縄ではなかった。首を落とされた個体こそ動きを止めた。されど大半の屍は、未だに蠢く力を残していた。唸るような声を上げつつ、身を起こしていく。
 オークは刀を、下段に構えた。守りの構えだが、右膝を深くしている。隙あらば、斬り上げて攻め込む。そういう気勢だった。

 ザリッ。

 オークが一歩、足を踏み出した。聴覚は機能しているのか、屍共も動く。次の瞬間、偶然の一騎打ちが発生した。オークの斬撃と、屍の突進が交錯。その後、屍の首が落ちた。オークが後続の屍を睨み付けると、屍共はジリジリと引いて行く。
 オークは、今しがた倒れた屍を一瞥した。首。経験則が、屍の致死点を暴き立てる。確信させる。
 変わり者は目を光らせて気勢を上げ、勇躍し。そのまま屍の群れに飛び込んだ。


 暫く後。地に残るのは。首のみがこぼれた屍の山であった。血の海だった。汚れを気にするでもなく洞窟に立つオークは。僅かな残心の後、刀を下ろした。遠くより聞こえる叫喚の声からすれば、遠からず第二波は来るだろう。
 刀を見れば、既に刃こぼれを起こし、血脂に染まっていた。オークは、大剣を無造作に捨てた。斬れぬ刀に意味はない。むしろ、洞窟内で振り回すのであれば。体に括り付けた剣から選んだのは、一見頼りない、片刃細身の剣。

 しかしオークは、この剣の真価を知っていた。かつて塒に襲い来った冒険者。小癪にも知恵をもって群れを炙り出そうとし、塒に火種を投げ込んだ男。
 その男が手にしていた片刃で細身の剣は、小ぶりながらも恐るべき切れ味を持っていて。変わり者に手傷を負わせていた。その傷は、今も胸元でかすかに疼いている。
 故に変わり者は、この剣を。己の物とした。鍛錬を重ね、敵を斬り続け。片腕でも扱えるようにした。

 オークには当然知る由もないが。その刀は、遥か東方の島国では珍しくもないものであった。
 かつて僅かに西方に流れたその刀は、「サムライソード」として恐れられ、扱う者は東方の言葉に倣い、「サムライ」と呼ばれていた。すなわち、このオークも。誰もが認めぬであろうが、サムライであった。

 洞窟の中に、生ける屍の鬨の声が充満し出す。変わり者を追い詰める、第二波が始まろうとしていた。

 ***

 屍の内で、最初に動き出した者。生ける屍において、生命の根源たる者。腐肉の姫騎士は、誰に促されるでもなく、その振る舞いを成していた。洞窟の最奥に一人佇み、オーク共の掃討は群れに委ねていた。

 姫騎士の脳内では、過去が渦を成していた。
 もっとも、記憶は最早あぶくのようで。浮かんでは消え、消えては浮かび。一度消える度に、姫騎士はオーク殲滅の意志を新たにしていた。

 女はかつて、武芸に長けた姫騎士だった。都でも噂になる程で、嫁の貰い手がないと陰口を叩かれたりもした。
 しかし本人は、陰口を全く意に介していなかった。むしろ身軽で結構と言わんばかりに、民の声に応え続けた。
 東で怪物が出ればこれを始末し、西に盗賊が出れば一隊を率いてこれを成敗した。当然、民からの人気はうなぎのぼり。都の貴族がこれを妬むのは、全くの必然であった。

 そうした策謀の中で、今回の惨禍に繋がる事件は起きた。姫騎士の抹殺を目論んだ貴族が、民の声を謀って過少に伝え、姫騎士の慢心を引き起こさせたのだ。
 慢心は敗北を招き、姫騎士は想像よりも遥かに多いオーク共に囲まれ、膝を屈した。武装と鎧を奪われ、狂った宴へと連れ込まれ、命と尊厳を失った。汚辱に塗れ、仔袋へと変えられ、失意のうちに屍の置き場へと投げ込まれた。

 しかし。なんの因果か。あるいは怨念が引き寄せた必然なのか。不可思議な事象を経て、女は蘇った。
 人ならざる、おぞましき者として。腐肉の輩の、女王として。傅く者は一人としてなく、されど気高き威風を纏い。玉座はなくとも、ただ在るのみでひれ伏させる迫力があった。

 赤と黒で構成された装束は、かつて身に着けたドレスに似た形である。ドレスは鎧によって要所を護られていた。しかしその鎧でさえ、赤に黒。血の泥濘。そこに骨のような灰色が斑に混じった、なんとも不気味な様相であった。
 その傍に、刀はあった。無造作に、姫騎士の手に握られていた。姿は、姫騎士が生前に握っていた物に似ていた。されど。刀身は血肉を吸い上げたかのように脈を打ち、白銀の輝きは赤黒の、おぞましきそれへと変じていた。
 かつては美しく結い上げられていたであろう金髪は、憤怒を示すように逆立ち、白く染まり。所々に返り血がこびりついていた。生前のような艶やハリはなく、それもまた、姫騎士が魔性に堕ちたことを示していた。

 姫騎士が、不意に顔を上げた。そこに生気は無い。しかし生前から讃えられていた、その面立ちの良さは健在であった。
 首を傾げる。先程まで洞窟内部に満ち満ちていた筈の同胞の声が、いつの間にか途絶えていた。

 姫騎士は目を閉じ、探る。何が起きているのか、何が起きたのか。その果てに、見た。
 血生臭い空間に。
 鉄錆の臭いのみが残る場に。
 一匹のオークが立っていた。こちらが見えていないにもかかわらず、姫騎士は睨まれたかのような錯覚に襲われた。心臓を一掴みにされ、握り潰されそうな悪寒。身体が僅かに震えてから正気に戻り、自身がまだ動けることに安堵を覚えた。

 しかし、姫騎士はその感情を自ら粉砕した。恐怖をねじ伏せ、力を求めた。
 感情を焚べたかのように、姫騎士から赤黒の炎が立ち上る。
 目が赤く染まる。
 逆立つ髪が、うねりを増す。
 鎧が装束を覆い隠し、肌を伏せ。禍々しく。

 姫騎士は深く息を吸い、吐き出した。その行為一つだけで、身体が一回り威容を増す。
 姫騎士の力は今、最高潮に達していた。

 ***

 激しさを極めた屍の第二波は、オークの心身に少なからず傷を与えていた。いくら蔑みを受けていたとはいえども、群れを同じくするものである。斬るにはわずかのためらいがあり、その隙を突かれる形で、彼は負傷した。

 しかし、彼は足を止められなかった。屍の死骸が作り上げた道を、ただ進む他なかった。その先に、濃密な血の臭いがしたからだ。

 群れを救う。
 危険な屍を再び殺す。

 ただの題目には、最早興味はなかった。
 この先に、一等強い屍武者が居る。そう思うだけで、心が躍りそうだった。
 足を進める度に、臭いは濃くなっていく。
 自然と口角が上がり、疲労を圧する気迫が立ち上っていく。
 高揚感が、オークを押し上げて。

 遂にオークは、「それ」と対面した。
 洞窟の奥底。かつて群れの者が、死体置場だと笑っていたか。
 そこには女が唯一人。闘気を燻らせて立っていた。

 見ただけで、ハッキリと分かる。この女こそが、一等強い。
 噎せ返る程の臭気の中で、変わり者は犬歯をあらわにした。彼に、敵を見くびるという風習はない。女であろうが、同じだった。
 刀二つ分の距離まで進む。敵も同じく、笑っていた。直後。

 雫が岩肌に落ちる音。
 蛮声と咆哮が交わり、洞窟を揺らし。
 刃鳴りを交えた両者の刀が、鈍い音を響かせる。

 オークが上段から振り下ろした兜割りの一刀は、下段からの神速によって阻まれた。手の痺れを残して、刀はオークの元へと跳ね返る。握りを固めて、構えを直す。
 しかし、先に動いたのは女だった。威圧的な絶叫を上げ、前進する。
 身体が千切れるのも厭わぬ突貫。腰を異常なまでに捻ってからの、胴を両断にかかる豪剣。
 オークはすかさず後ろへ飛んだ。喰らえば致命は、免れなかった。だが、それだけでは終わらせない。着地で足を踏ん張り、前へと飛び込む。喉元を狙い、切っ先で突きを入れる。過つ事なき剣閃。されど届かず。刀で僅かに逸らされた。


 互いに致命を狙い合う、懸命の死闘。攻防は既に十を越えたが、未だに互角だった。
 オークも姫騎士も膝をつき、呼吸を整えていた。されど目線は切らずに睨み合い、隙あらば斬りかからんとしていた

 姫騎士は己の危うさを悟っていた。
 肌の傷。
 千切れ行く手足。
 体力の消耗。
 生ける屍故の回復力は、既に鎧装束による防御を犠牲にしていた。
 あれほど昂ぶっていた力も、少しずつ落ちてきている。

 翻って、目の前の奇妙な敵はどうか。
 間違っても意気軒昂ではない。
 己よりも傷を多く負い、一部に至っては泡立ち始めていた。
 しかし目に揺らぎはない。己への殺意を、昂ぶらせている。

 姫騎士には手に取るように状態が理解できた。かの者は。己と渡り合うオークの戦士は。放っておけば同胞となる。
 しかし歓迎できなかった。同胞になる前にケリを付けたい。欲望が噴き上がる。理性を凌駕する。
 あまりに理屈から外れた欲望に、姫騎士は口元を笑みに歪めた。歪な決意が、己を満たす。

 最早鎧は要らなかった。全ての力を、全身に注ぐ。鎧が消える。呼吸を重ねるごとに、装束が色濃く変わってゆく。
 刀が脈動し、血脂が削ぎ落とされる。昏い輝きを取り戻していく。
 次の一撃でケリをつける。呼吸が深まり、身体の全てが脈を打つ。昂ぶる力をその身に溜めて、解き放つ。

 獣じみた咆哮を引っさげ、姫騎士は駆け出した。敵手は僅かに遅れていた。目を剥いている。だが緩めない。これで勝てるのなら、とうに戦は終わっていた。

 全てを焚べよと、内側から声がした。
 女は思う。そうだ。この強き男を喰ってしまえば。
 屠る。
 喰う。
 同胞にする。
 それで全てが。

 思考が消えていく。大口を開け、オークの肉に歯を突き立てんとする。
 オークの肌が目前に迫った。
 それが姫騎士の見た、最期の光景だった。


 姫騎士の首は宙で二回程回った後、音もなく地に落ちた。
 オークの刀は力なくぶら下がっていた。
 オークの肌に突き立てられんとした屍の牙。
 しかし寸前。刹那の間に。オークは限界を超えて刀を振るった。腕が千切れんばかりに疾く、鋭く。
 結果オークは勝利した。されど己の滅びも確信した。
 千切れんばかりに振るった腕が、回復していく感触。活力が再びこみ上げてくる感覚。
 オークは理解した。己があの敵と、同じものになろうとしている。

 自らに助けを求めて来た、あの二匹を思い出す。とうに逃げてしまっただろうか。あるいは待ち続けているのだろうか。
 しかし一つだけ分かることがある。

 自分は彼等の元へ帰ってはならない。帰れば惨禍を外へもたらす者になる。
 ならばやるべきことは分かっていた。
 軽く呼吸するだけで、腹は据わった。血脂に塗れた刀をそっと手で拭う。刃こぼれはしているが、最期の役目程度は果たせるだろう。オークは刀をそっと首に押し当てた。

 僅かの後。二つ目の首が地に落ちた。 
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