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緋弾のアリア ──落花流水の二重奏《ビキニウム》──

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恋篝Ⅰ

「……なんで、キンちゃんは私を誘ってくれたの?」


葛西臨海公園──海岸沿いの散歩道を歩きながら、キンジは、徐に口を開いた白雪を一瞥する。懐疑心の見え隠れするような声色だったと分析すれば、本気で疑問に思っているのだろう、と結論付けた。

水平線の彼方へ身体を預けゆく夕陽は、眩い陽光を放っている。
漆黒のカンバスに紺碧のインクを零したような少女の瞳は、およそ飴細工の如き婉美さと、反照する朱の淡さとを兼ね備えていた。


「なんで、って……。理由を言わなけりゃ駄目なのかよ」
「出来れば、明確な理由をキンちゃんから聞きたいな、って」


通販で購入したお揃いの浴衣は、自分よりも似合っていると、ふと思った。それは宛ら、大和撫子のような──いや、違う。今、目の前にいるのは、正真正銘の大和撫子だ。


「まぁ、なんて言うんだろな──」


そして、すぐさま問われた問題の答えを模索しようと、脳内で文章を組み立てていく。それは実に容易なことだった。
あの日、2人で下校した道中の話を、キンジは忘れていない。『かごのとり』の所以(ゆえん)を。或いはそうであるからこそ、今回のこの行動に至ったのだということも。


「──お前に世界を経験してもらいたいからだ。枷を嵌められた小鳥を見捨てるなんてことは、俺には出来ないしな。だからと言って、ただ闇雲に籠の外に出すワケじゃない。段階を踏むんだよ、段階を。これはその一種だ」


その答えに、白雪は小首を傾げて呟く。切り揃えられた黒髪が、曲線を描いて揺れた。


「星伽の制約を、破れってこと……?」
「口が悪いようだが、星伽の制約はおかしいと思うぞ。お前も、その……なんだ。生き難さとか、感じたことないのか」
「それは、まぁ……無いワケじゃ、ないけどっ。でも……」
「だったら尚更だ。時には殻を破って生きてくことも大事だろ。ましてや武偵なら、な。武偵憲章9条、世界に雄飛せよ──だ」


白雪が生きているのは、限りなく狭小範囲の、箱庭だ。だから、そこでしか知識や経験が得られない。そこでしか、見えていない。その枠でしか、考えられない。そう、キンジは一考する。

対して自分たちは、それとは比にならないほどの世界を見ているのだ──と自覚してはいるが、それですら極一部であったりするのだから、世界は酷いくらいに残酷なのだ。

麒麟が見る世界と、人間が見る世界と、蟻が見る世界。
極論化すればこうであって、白雪はまさに蟻であるのだと。だからこそ成長させて、せめて並の人間らしく(・・・)してやろうと、キンジは前々から思っていたのだが。

あくまでもそれは表面的な理由に過ぎない、と彼は脳内で大きく頭を振って否定した。そうして、また(・・)胸中で渦を巻くこの感情に付ける名前は、いったい何だろうと自問自答する。

いつからか意識し始めた、幼馴染の存在。それを想えば、言い知れぬ感情の暴力に心臓を穿たれるような、そんな感覚。傍に居て、少なからず安堵の息を吐ける。そんな感覚。
過去の如月彩斗の言を借りれば、これが『好き』という感情なのだろうか、と何度も何度も長考した。

それに踏ん切りがつかないまま、それでも、安堵の息を吐き続けていたいという面倒な欲望を満たすために──こうして先述の理由を免罪符にして、訳の分からない戯言を行動に起こそうとしている。

嗚呼、そうだ。結局はそうでありたいのだ。ただ、露呈して拒絶されるのが怖いだけ──。


「……馬鹿馬鹿しい」


誰にともなく、歩を止めることなく、ただ虚空に霧散させることが目的かのように、キンジは零した。
白雪は彼を一瞥するが、また視線を前に向けて、何事も無かったかのように歩を進めていく。

キンジは胸中で渦巻く感情を押し留めながら、せめて上辺だけの目的は果たしてやろう──と意気込んだ。
視界の端には、首都高湾岸線。東京湾を隔てた向こうには、煌びやかな装飾のウォルトランドが見えた。

立ち止まって、白雪が指さす。


「あっ、ほら、キンちゃん。あそこ! ウォルトランドだっ」
「あぁ。思った以上に人も少ないし、ここは穴場だな」
「そうだねっ。それにしても……花火はこれから、なのかな?」
「さぁ、どうだか。音は聞こえてなかったけどな」


下手したら……もう、終わってたりするんじゃないか。
なんて、キンジは一考する。ともすれば、かなりバツが悪い。
自分から誘っておいて、少なからず期待させてしまったその思いを反故にしてしまうのは、男として最低だ──。

白雪は藍のキャンパスを見上げ、揺蕩(たゆた)う千切れ雲を緩慢と目で追いながら、淋しそうに呟いた。


「……終わっちゃった、のかな。多分、私の足が遅かったり、駅で切符を買うのに手間取っちゃったからいけなかったんだよ」
「少なくともお前のせいではないから、安心しろ。もしかしたら、休憩時間かもしれないしな」
「……うん。ありがとう」


自虐史観的な性格は、昔から変わってないな──とキンジは思った。他人の非さえも自分の非にしてしまうのは、時に良くも悪くも、自分に働きかける。相変わらず悪い癖だな、と苦笑した。


「ところで、キンちゃん。昔の──星伽を抜け出して、初めて花火を見に行った時のこと、覚えてる?」
「あぁ……あれか。忘れるワケないだろ」
「あは、良かった。今回も、それと同じだね。キンちゃんが私を、学園島から出してくれた。籠から、ね」


過ぎた日々を懐古するように。今この瞬間も、1秒後にはもう過去だ。その刹那でさえも、彼女は意識を傾注させている。


「あの花火の景色を覚えてるから、私は大丈夫。今夜の花火も楽しみだったけど、あの時の花火の方が、ずっと綺麗だった」


そう言って、彼女は海岸沿いへ駆け寄った。
そのまま、藍に散りばめられた輝石を背景に、振り返る。
浴衣の袂が靡いて、黒髪が艶美に曲線を描いた。


「それでも、花火よりも──傍にキンちゃんが居ればいいの」


心臓を穿たれたような、形容し難い感覚。そうして迸る血潮の如く、溢れ出たこの感情は、その名を明白に告げた。
先程まで胸中に掛かっていた(もや)は霧散し、既に過去の遺物へと想起してしまっている。

あぁ、これが──恋心、というモノなのか。
思えば如月彩斗は、いつだったか自分にこう告げたことがある。『白雪は、お前のことが好きだ』と。

当時は一蹴こそしていたが、日々を過ごす度に、名もなき感情の靄が一段と濃くなっていくのを感じていた。
それが、今。その感情に名前を付け、あまつさえ、濃霧も嘘のように晴れている。点が線になるのを感じている。

白雪がここまで自分を想ってくれているのなら──俺のやるべきことは、少しでも応えてやることだ、とキンジは決意する。
フッ、と笑みを零して、呟いた。


「ありがとう。……ちょっと待ってろ」
「えっ、キンちゃん、何処に行くの?」


白雪は振り返り様にキンジへと駆け寄ると、見上げるようにして問い掛けた。純粋な興味の篭った声色と瞳だ。


「売店に花火セットを買いに行くだけだ。心配しなくていい」


キンジは、地を蹴って駅の方へと駆け出した。後ろで白雪が何かを言っているが、風が頬を撫でる音で聞き取れない。
あくまでも彼女の護衛が役目だが、ものの数分だ。大丈夫だろう──。





白雪は、徐に駆け出したキンジの背中を茫然と見詰めていた。

──売店に花火セットを買いに行くと言ってたけど、私はキンちゃんと一緒に居れればそれでいいのに。
でも、花火を買ってきてくれるのは、少し嬉しいかも。

胸中を巡るのは、幼馴染への恋心。内に秘めていた想いを、今日やっと伝えられたのだと思うと、妙に心臓が早鐘を打った。
気のせいか、頬も火照ってきた気もする。きっと自分は今、誰にも見せられないような顔をしているのだろう。

白雪は、浮ついた足取りで遊歩道沿いのベンチに腰かけた。
手に提げていた巾着から携帯電話を取り出し、ディスプレイに目を見遣る。時刻は8時を優に越していた。

それと同時に、1件の不在着信が入っていることも、彼女は理解した。非通知着信だ。誰だろう、と小首を傾げる。
不審に思いながらも、白雪は通話ボタンを押し、受話器を耳へと軽く当てた。電子音が数コール響き、鼓膜に反響する。

僅かなノイズ音の後、その主は声を発した。時代がかったような、それでいて、威圧感のある女性の口調だ。


『──星伽白雪だな。こうして(・・・・)話すのは初めてだろう』


白雪は辺りを見渡し、誰もいないことを確認して声を潜める。


「……あなたは、誰?」
『勘が鈍いな。まぁ、教えるまでもないだろう。既に貴様は、私のことを知っているのだからな』


わざわざこうして接触を図ってくる人物。
しかし生身の現実ではなく、通話という愚像を用いるとは──自分の詳細を明かしたくないから、だろう。
ともすれば、白雪にとって思い当たる節は、1つ。


「……何が目的なの、《魔剣(デュランダル)》」
『既に分かりきっている(・・・・・・・・)ことを、貴様は問うのか。……笑わせるなよ、時間稼ぎをしようとしても無駄だ。私としても、暇ではない。今から、貴様に交渉を持ち掛ける。
それを呑まねば、そうだな……。最愛の者を、殺めても構わんのだろう? 交渉とは即ちこれであり、森羅万象には対価が付いて回る。それを自覚しろ、星伽よ』


実に交渉が上手い相手だ、と白雪は思った。
呑めなくはない条件を餌にしつつも、対価の価値は異様に高い。断れない構図を、自らの言葉で作り上げている。
しかし、白雪としても保身に走る意味はない。


「なら、早くその条件を言いなさい。私も暇ではありません」
『ふむ、いいだろう。……己が()を差し出せ。それがこちらの条件だ。時間の猶予は無い。今ここで返事をしろ』
「いいでしょう。その代わり、周りの者に手出しするのは許しません。その時は、私が許さない」
『貴様が反故にせずに来れば、の話だがな』


白雪は逡巡する素振りすら見せず、即答した。
それは暗に、彼女の最愛の者を想う気持ちの強大さを示唆していた。それでありながら、正義心というモノも、また。


「《魔剣》、私が約束を破るとでも思っているのですか」
『フッ、貴様がそんな人間でないことは把握済みだ』


《魔剣》は愉悦そうに笑みを零す。そうして、告げた。


『場所は『■■■■』、時間は『■日』の『■■時』だ。口外は許さん。抜け出してこい、周囲に勘づかれるなよ──』







キンジは買ってきた花火と小型ライターを袋に提げ、小走りで駆けながら、白雪のもとへと進んでいく。
心地良い夜風が、髪の間を通り過ぎていった。地を蹴る音と、木々の葉が擦れる音と──誰かが話す声が、聞こえる。

まさか──。

足音を消しつつ、木の影から様子を見る。暗くて見えにくいが、ベンチに座っている白雪は、電話を片手に誰かと話していた。
普段なら絶対に見せないような、険しい顔付きだった。
……その相手は、誰だ。キンジには粗方の予想は付いている。


「──《魔剣》、私が約束を破るとでも思っているのですか」


刹那、心臓が早鐘を打った。否、早鐘などといった生温い表現では、些か足らない。これは警鐘だ。
白雪は、《魔剣》と接触している。あまつさえ、何らかの交渉も結んでいることは明らかだ。

キンジは、如月彩斗に連絡をすべきか逡巡する。
《魔剣》が白雪に連絡をとれたのなら、恐らく、自分たちの連絡網も割れているだろう。それは危険だ。
下手をすれば、『約束』の対価に抵触する可能性がある。そうなれば、白雪やその周囲の身が危ういことは、容易に見える。

どうすればいいんだ──!

ギリ、と歯が軋み、悲鳴を上げる。掌に喰い込んだ爪が皮膚を引き裂き、深紅色の薔薇が花弁を散らした。
ポタタッ、と朽葉が音を立てて鳴く。
痛覚が自我に干渉する。そこで初めて、キンジは焦燥に身を任せて自傷していたのだと気が付いた。

この件は、下手に口外できない。かと言って白雪を問い詰めても、口を割ることはないだろう。
つまりは、《魔剣》に干渉されていると勘付かれずに、行動を起こすことが必要だ──とキンジは思い至った。

白雪は既に通話を終え、神妙な面持ちでベンチに腰かけている。電話はいつの間にか、仕舞われたらしい。
タイミングを見計らってからキンジは、さも今戻ってきたかのような演技をしつつ、彼女の名を呼んだ。


「っ、……なんだ。キンちゃんかぁ。おかえりなさい」
「なんでその程度で驚くんだよ。怖いことでもあったのか?」
「う、ううん。何にも無いよ。大丈夫」


白雪は両手を大仰に振って否定する。普段のキンジなら何も思わずして流すだろうが、今だけは、その言葉が苛立たしかった。


「……んで、花火。これしか売ってなかったんだけど」


申し訳なさそうにキンジが呟き、袋の中身を取り出す。たった数本の手持ち花火だ。


「花火セットは売り切れてた。これしか残ってなくてな。悪い」
「キンちゃんが謝ることないよ。買ってきてくれてありがとう」
「もう少し早めに来てたら、たぶん売ってたんだろうけどな。ちょっとばかし残念だ。……さて、やるぞ」


キンジはそう言って白雪の隣に腰掛ける。それぞれが1本ずつ花火を持ったのを確認してから、ライターで着火した。

小さな炎が灯る。それは瞬く間に朱の球になり、そうして、我先にと散りゆき、霧散した。
色とりどりの輝石が、虚空を灯している。陽炎が揺らぎ、その姿を虚偽へと変貌させる。

それでもここには──2人だけが、真に誠の存在だった。
白雪は軌道の読めない散る華を見て、小さく悲鳴を上げる。にも関わらず、その儚げな瞳は、真っ直ぐとそれを見据えていた。

白雪は花火から視線を外すと、キンジに問い掛けた。


「……キンちゃんはさ、火って、嫌い?」
「いきなり何を突拍子もないことを言い出すんだ、お前は……」
「嫌い? 嫌いじゃない?」


真理を探るような声色で──。


「人は本能的に火は苦手だと思うぞ。特に日本人は、恐怖を感じる遺伝子が多いらしいからな。俺は苦手じゃないが」
「そっか、良かった。……あっ、消えちゃったね」
「まだあるから……、あ。こっちも消えたな」


花火とは、つくづく酷い造形物だと思う。
日本人の深層心理に訴えかけ、否が応でも『儚い』という感性を想起させてしまうから──キンジも白雪も、胸中に生まれたこの感情に、心を寄せずにはいられない。

それでも、その花火だった(・・・)残骸を放り捨てて、またその愚行を何度も何度も繰り返す。その度にこの感情はどんどん湧き出て、それをいつか終えるとき、まるで──激しく火花を散らし、果ては散りゆく花火のように、霧散するのだ。


「……さて、これで最後だな。線香花火だ。白雪、お前がやれ」


キンジは残骸の後処理をしながら、最後に残った線香花火の1本を、白雪に手渡した。
白雪はそれを受け取ると、ただそれを呆然と眺めている。何かを脳裏に焼き付けるような、そんな眼差しで。


「ねぇ、キンちゃん。これ……残しておいてもいい?」
「別に構わんが、何でだ」
「今日の、キンちゃんとの思い出にしたいから」


あぁ──、実に白雪らしい答えだ。とキンジは思った。
断る理由など無いのだ。それが彼女らしいとあらば、それが彼女の性格そのものなのだろう。
一点の穢れすら見えないような純白を、染めたくはなかった。

自分の都合で『花火は燃やすモノだろ』とか、そんな話じゃなくて。その《物》が白雪にとって《確かな記憶》になるのなら、キンジはそれでもいいと思った。
だから──そんな彼女を守りたいのだ。


「……あと。あと、1つだけ。お願いしても、いいですか?」


そう問い掛けた彼女の声は、嫌に震えていて。


「……これまでも、だけど、これからも──」


──私だけを、見ていてください。


夜闇に融けてしまいそうなか細い声は、キンジの耳にしっかりと届いていた。ただ、その意味を理解するのが気恥ずかしくて。
そんな2人を嘲笑うような大輪の菊の華が、夏を先取りした。

 
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