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ユア・ブラッド・マイン―鬼と煉獄のカタストロフ―

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episode5『仲直り・前編』

 日は更に明けて、朝日の輝きが窓から差し込み始めた頃。
 冬場の低気温で冷え切った井戸水で顔を洗ったシンを最初に迎えたのは、兄弟たちの中でも歳の低い子供たちだった。

「シン兄!もう寝てなくて大丈夫なの?」

「うん、たっぷり休んだからね、もう大丈夫さ。それより皆、僕が寝てる間にシスターを困らせてないだろうね」

「大丈夫!シン兄の分までいっぱい手伝いしたよ!」

 もうシスターから大まかな顛末は聞いているのだが、敢えて子供たちに問いかければ無垢な笑顔でそう返してくる。実際のどうなっているのか知っている身分としては嘘はついていないと分かるのだが、何とも言えない気分になる。

「お、偉いぞヤイチ。ありがとう、僕の分までってなると、凄く疲れたろう?」

「平気だよあれくらい!全然疲れてない!」

「嘘つけ、みんなで分割してやっと間に合っただけじゃん」

「あっ、バラすなよ」

 シンが寝ていた丸四日、それに加えて大事をとって部屋で休んでいた昨日、計5日間の不在は、やはり幼い子供たちにとっては中々に驚くべきものだったらしい。『代わりに自分達が!』とやる気になってくれるのは良いが、あまりにも不慣れゆえに逆に仕事が増えてしまった――とシスターが苦笑しながら話していたのを思い出す。
 わいわいと騒ぐ子供たちに手を引かれながら食堂に向かうと、既に皆が食堂に集まっているのがわかった。その中でシンの姿を見つけたらしい一人がぴょこんと跳ねるように立ち上がり、パタパタとスリッパを鳴らしながら駆け寄ってくる。

「……!おはよう、シン兄」

「うん、おはようマナ。ごめんよ、マナにも迷惑を掛けちゃったね」

「ううん、いい。シン兄が元気になって良かった」

 はにかむように笑うマナの亜麻色の髪をセットを崩さないように優しく撫でれば、彼女は心地よさそうに目を細める。が、いつまでもゆったりとしているといつまでたっても食事が始められないので、撫でるのもほどほどに適当な空き席に座る。朝食はすでに配膳されていて、暖かい味噌汁と炊き立ての白米が眩しかった。
 当番の義弟が神様へのお祈りを捧げ始めるのに続くくように、シンを含む皆がお祈りを捧げ始める。それは教会でもあるこの施設での食前のルールであり、礼儀作法だった。

 長いお祈りの言葉を済ませて、『いただきます』の言葉で最後を締めくくる。いつもは騒がしい皆もこの時間だけはシスターの教育もあってピタリと静かになり、食堂に響くのは箸が食器に触れる音と、わずかな咀嚼音だけ。
 穏やかで心地良い時間に浸りつつも食事を口に運んでいると、ふと一つの違和感に気が付いた。

 ――シスターとあの子(ヒナミ)が居ない。

 マナ曰く、誰かと話すことこそしないものの、一応朝食の時間には顔を出していたと聞く。それが今日に限って居ない、となるとその要因は明白だろう。

(……そりゃ避けられるよなぁ)

 素性の知れない相手が隠している筈の本名を知っていて、しかも本人の事情が事情。一応シスターがフォローは入れてくれているらしいが、それでも疑惑が綺麗さっぱり晴れるなどあり得ない。加えてファーストコンタクトがあのザマでは、仲良くしようといったって無理があるというものだ。

 らしくもなくカッとなってしまった。彼女の事情を鑑みれば、あの子に悪気なんてないのは分かり切っていることなのに。

「……やっぱり気になる?ミナちゃんの事」

 本当に小さな、辛うじてシンに聞こえる程度の声音ではあるが、隣に座るマナが心配そうに声を掛けてくる。やっぱり彼女には隠し事は出来ないな、と内心で苦笑して、口に含んでいた米を飲み込んでから小さくこくりと頷いた。

「……僕のせいで随分と怖がらせちゃったからね。これからここで暮らすんだし、仲直りはやっぱりしておかないといけない」

「……うん、そうだね」

 手元の目玉焼きの一端を切り分けて口に運びつつ、マナは続けて「そうしたほうがいいよ」と微笑む。何かと難儀はするかもしれないが、それでもこの先ギクシャクしながら暮らすよりはずっといい。
 後でシスターの部屋を訪ねよう――そんなことを考えながら、今は一先ず久しい病人食以外の食事に集中しようと、味噌汁の入った椀をぐっと持ち上げることにした。





 ――――――





 ぺら。

 そんな紙をめくる音が、静かな室内で小さく反響する。
 遠くからは子供たちの遊ぶ声が聞こえてくる。先ほどまでは少しもそんなことはなかったのだが、きっと勉強時間が終わったのだろう。声は遠く小さいので決して五月蠅くはない、本に没頭するには良い塩梅だった。

 本の題は『製鉄師(ブラッドスミス)魔女(アールヴァ)』。題そのままに、製鉄師と魔女という概念の成り立ちと歴史、そしてその特徴やそうなるための方法などが記されたモノだ。
 曰く、製鉄師となった者は『魔鉄の加護』なる恩恵をその身に受けるという。その強度は製鉄師によって様々だが、最低ラインとして保障されている事実が一つ存在する。

 ――それは、製鉄師達は製鉄師である限り、製鉄師やOI能力者を除くあらゆる手段では傷一つ与える事が叶わなくなる、という事だ。

 さらに言えば、OI能力者でもダメージは与えられるとはいえ、決して決定打にはなりえない。製鉄師を倒すためには、いかに相手が貧弱な力しか持っていなくとも、製鉄師でなければ倒せない。
 これこそが、かつてラバルナ帝国が全世界を手中に収めた秘密。この力に真っ先に辿り着き、その方法を独占した帝国に、通常兵装で対抗するなど不可能だったのだ。
 今や、戦争は軍隊対軍隊ではない。国と国との戦は、常に製鉄師と製鉄師による殺し合いによって決まる。

 時代は変革した。既に軍隊など、たった一組の製鉄師にも劣る代物なのだ。

「……どうしたら、いいの」

 つまりそれは。
 そんな相手が牙を剥いてきた場合、ヒナミ如きただの魔女一人には、どうあったって太刀打ち出来ないことを意味する。

 五日前、ヒナミのもとに訪れた製鉄師とその相方たる魔女は、ヒナミを守護する為に来たと言った。だが、ヒナミを狙う海外の製鉄師達は一組ではなく、確実に組織単位の人間がヒナミの身柄を狙っている。たった一組でヒナミを守り切るなど、あの二人には悪いがとても出来るとは思えなかった。

 両親は、ヒナミのこの体質についてよく理解していた。故にこそ万全をとって、ヒナミを守るために国から何組かの製鉄師を派遣して貰っていたのだ。

 だが、それでもダメだった。あの時は頼もしく思っていた熟練の製鉄師達は、一瞬のうちに消し炭になってしまった。あの悪魔のような高笑いと共に、全てが一瞬の内に灰塵と化した。熟練の製鉄師ですらも、あの炎の前には歯が立たなかったのだ。

 どうしてこんなことに、なんてことは飽きるほど神様に問いかけた。格別の魔女体質?それがなんだ、こうして災いを振り撒くしか出来ないような体の、いったい何が良いというのだ。
 こんな事になるなら、魔女体質なんていらなかった。こんな体質さえなければ、皆が死ぬこともなかったのに。こんな体質さえなければ、平和な生を送れていたかもしれないのに。

 こんな体でなければ、きっと――。



 ――コンコン、コン、と。

 みっつ、連続した独特なリズムの音が部屋の扉から鳴った。
 一瞬ピクリと身構えたが、聞きなれたリズムはいつもシスターが入ってくるときと同じものだ。知った相手であることに小さく安堵して、ほっと一つため息をつく。今や、こんなノックの音一つですらも恐ろしく感じてしまっている自分に嫌気がさす。
 背表紙から垂れる糸を頁に挟み込んで本を閉じ、「入って」と声を掛ける。するとドアノブがゆっくりと下がって、扉の向こうにいた人物が姿を現した。

 その人物は、決してシスターではなかった。

「……おはよう、ここにいたんだね」

「――――っ!」

 息を呑む。

 そこにいたのは丁度五日前、ヒナミがこの施設に入って初めて出会ったシスター以外の住人。
 そして同時に、出来るならもう会いたくないと思っていた少年だった。

 シスターが言うには、名を逢魔シンというらしい。深い焦げ茶色の髪は所々で跳ねていて、赤みがかった瞳は鋭く細い。灰色のタンクトップの上から室内だというのに真っ黒なコートを羽織って、その体の大きさはシスターが言うように同じ年には到底見えないほど大きかった。
 その右腕にあるのは、魔鉄製の腕輪。彼がOI能力者であることを示す証。

「あ。ごめんよ、驚かせちゃったかな」

「……いい。それより、何?」

 無論、シスターから彼が海外の製鉄師達とは全くの無関係である事は聞いている。ヒナミとてそれはよく理解しているのだが、一度感じてしまった彼当人に対する恐怖というものはやはり薄らいではくれなかった。
 どうしても怖いのだ。自分の勘違いが何か彼の逆鱗に触れてしまったのかもしれないし、それに関して彼には悪い事をしたという自覚もある。けれど、あの恐ろしい怒鳴り声と異様な怪力を見てしまうと、どうしても彼の製鉄師達の姿がちらついて体が委縮してしまう。

「まず謝っておきたくってさ。前、怒鳴っちゃっただろう?」

「……それも、私が悪かったことだから、いい。ごめんなさい」

「いや、君は悪くないよ。僕の方こそ配慮に欠けていた、ごめん」

 目を伏せて頭を下げるシンの姿に、すこしヒナミが後退る。そんなヒナミの様子を見かねたのか「まいったな」と頬を掻いたシンは、片手に下げていたレジ袋を探る。
「手、出して」という彼の言葉に従って手のひらを差し出せば、何やらひんやりとした感触が落ちてくる。何かと思って見てみれば、それはこの時期にはあまり見ない代物だった。

「……アイス?冬なのに?」

「む、冬のアイスも結構美味しいんだよ?それも割と奮発して買った高めのやつだから、味も保証するし」

 はいこれ、と差し出された使い捨てのスプーンを恐る恐る受け取れば、シンもまたレジ袋から取り出したアイスのカップを開ける。彼もまた小袋を破ってスプーンを取り出すと、幸せそうな顔でその一掬いを頬張った。
 困惑するヒナミに食べないの?とでも言いたげな表情で首をかしげるシンに、ますます意味が分からなくなる。彼の目的が分からない、彼だってこんな面倒なことになる相手に関わるメリットはないだろうに、なぜわざわざヒナミに構うのかがわからなかった。

 ともかく、促されるままにアイスを口に運ぶ。口に広がる優しい甘みっとバニラの風味がすうっと鼻を通って、冷たくとろりとした舌触りが心地いい。久々に口にした美味しさに、自然と頬が緩む。

「……あまい」

 思わず漏れたそんな声に、シンがニッと笑う。その顔を見てようやく自分の表情が緩んでいたことに気が付いて、少し顔が赤くなった。

「……それより、何の用なの。『まず』って、さっき言ってたでしょ」

「……あはは。やっぱり耳聡いね、君は」

 バレちゃったか、といった顔で苦笑する彼はアイスの入ったカップを裏返した蓋の上に乗せると、木製の使い捨てスプーンをアイスの小山に刺す。少し言い淀むように視線を揺らしたシンは、やがて決心したように小さく頷く。
 一つ深呼吸して顔を上げたシンの顔には、わずかな恐れの表情が浮かんでいた。

「……僕の用事としては、君と仲直りをしに来た。それだけだよ」

「……それなら、もういいってさっき」

「違うんだ」

 ヒナミの言葉を遮って否定するシンに、訳が分からなくなって困惑する。仲直りがしたいというのならさっきのやり取りで全てが終わりだ、これ以上続ける話など何もない。ヒナミには、シンが何が言いたいのかわからなかった。

「……違う、って?」

「ごめんよ、僕の信条……じゃないか。考え方の問題でさ。これを話しておかなきゃ、君と本当に和解できると思えなかった」

 随分ともったいぶった素振りに、ますますヒナミが怪訝そうに眉を顰める。シン自身も回りくどく話すのは本意ではないのか気まずそうに顔を歪めて、しかし少しずつでも言葉を止めはしない。
 出来るなら話したくはなかった。それはきっと、彼女は知らない方が幸せだろうから。

 だがシンがああして口を滑らせてしまった以上、もう戻れない。きっとこれを話さなければ、彼女はこの場所にいても安寧を得られなくなってしまう。本当にバカだと、過去の自分を心の中で罵倒した。

 隠したかった事実とは何か?決まっている。





「……僕が、君の本当の名前を知っていた理由の事だよ。ヒナミ」

「……!」




 ――ただただ、彼女が心から安心して暮らせるようにしてやれなかったことが、シンには不甲斐なくて仕方なかった。




 
 

 
後書き
別に、シンが気に病むことではないっていうのにね 
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